ブログを始めた動機
昔は、脳脊髄液減少症の症状でブログ記事を書くのは今よりもっとつらかった。
このブログを始めたころは、インターネットが普及しはじめ、ブログが流行り始めたばかりのころ。
そもそも私は機械が苦手だった。
その上、体を長く起こして座っていることもままならなかった。
パソコンの前に座っているだけで、白い光が目にしみて、つらかった。
光を暗く調節しても、今度は電磁波かなにかわからないけど、とにかくパソコンの前にいるのがつらかった。
しかも、そのころ、脳脊髄液減少症治療に取り組む医師は、日本中の大勢の「脳脊髄液減少症の存在を否定する医師たち」に袋叩きにあっていた。
「損保とつながる医師」が、ブラッドパッチ治療を「おなじないのようなもの」で回復は患者の思い込みと言っていた。
損保は、この事故後遺症を否定するのに、あの手この手で動いていた。
あのころ、身をもって、脳脊髄液減少症の発症原因と、その後の理不尽さと、症状の理解されなさと、ブラッドパッチの効果を知ってしまった私。
実際に、交通事故にあったわけでもなく、原因不明の症状に日常を奪われたわけでもなく、ただ、医師というだけで、「脳脊髄液減少症の存在やブラッドパッチの効果」を平然と否定する“専門家”たち。
数少ない脳脊髄液減少症患者の治療に取り組む医師たちを、バカにし、軽蔑する多くの医師たち。
私は、こうした、無知な医師たちが許せなかった。
だから、
パソコンが苦手なのに、ネットが苦手なのに、体を起こしたり、パソコンや携帯画面を見るのは、つらかったのに、
「書かなきゃ!伝えなきゃ! 私が気づいて知ってしまったこと」と思って書きはじめた。
ただでさえ、精神症状で、精神状態も不安定だった。
ネットが苦手で、見知らぬ誰かが読むのが、恐怖でしかたなかった。
損保関係者かと思われる、心無いコメントが相次ぎ、ただでさえつらい症状がある患者なのに、健常者?にいじめられ何度も心折れそうになった。
まとめられない文章
過去の記事を読めばわかるけど、このブログ、文章がダラダラと続いてまとまっていない。
当時は、今より高次脳機能障害がつよくて、言いたいことをまとめることに難儀した。
同じことを繰り返し書いたりまとめられない。
今も、文章をまとめるのも、電話で要点を適切に短く話すのも苦手だけど、以前よりはマシになった。
あのころ、必死で伝えてたな。脳脊髄液減少症のこと。
でも、あれから14年たっても、私の身近な医師たちは、脳脊髄液減少症のこと、何もわかっていない。
そのことで、今、また、ここに帰ってきた。
ここが私の原点だから。