子供が、脳脊髄液減少症の症状の苦しさや、医師やまわりに理解されない精神的苦痛で自殺するという話はあまり聞かない。
(もしかしたら、自殺する子供の中に、大元の原因が脳脊髄液減少症なのにそれに本人も親も誰も気づかないまま亡くなった子はいるのかもしれないけど)
けれど、大人の患者が、せっかく脳脊髄液減少症の診断までいきついて治療もうけているのにもかかわらず、自死でなくなってしまう話は時々聞く。
その理由を私は、自分の体験から想像できる。
悪化した時、それがわかった。
だって、苦しくて苦しくてたまらないにもかかわらず、身近な医師も家族も、私の感じている危機感を感じてくれないし、助けてくれなかったから。
大人の患者は、子供の患者のように守ってくれる親や保護者がいないから、とてもつらい。
配偶者とか親兄弟とかが、自分の代わりに動いてくれるようなそんな恵まれた患者ばかりではないから。
入院準備も、移動も、書類書きも、買い物も、親の介護も、自分の会社や周囲への報告も、各種書類の申告も、なんでも自分で、健常者と同じようにすることを、周りから「大人なんだから自分でできるでしょう」と当たり前のように強いられるから。
症状が悪化しても、脳脊髄液減少症を診ている医師のいる病院はどこも予約患者で一杯で、子供の患者優先だから、急激に悪化してもすぐさま診てもらえない。
耐えがたい苦痛を抱えたまま、大人だからと普通の生活を周囲から強いられ続ける。
見た目が死にそうな病人に見えないから、地元の病院でも、助けてもらえない。
入院もさせてもらえない。
日常に普通に生活することを強いられ続ける。
その苦痛と絶望感に耐えられなくなって、亡くなってしまう人もいるんだと私は思う。
たしかに子供は未来があるから、救う優先順位は高いのかもしれない。
けれど、脳脊髄液減少症の病院に、自分が何の努力をしなくても大人たちがつなげてくれるような恵まれた子供たちは、
親が働いてくれる。
親が家事をして食事を作って提供してくれる、親が入院準備も入院書類もすべて準備してくれる、
親が障害年金や、確定申告の難しい書類をなんでもやってくれる、
親が病院に症状悪化で受診したいと医師に伝えてくれる、
寝たままでも親が病院まで運んでくれる、
自分に代わって世間に脳脊髄液減少症について発信してくれる、なんでも患者に代わってやってくれる大人たちがいる。
けれど、大人の患者はそうはいいかない。
どんなに救急の症状悪化時でも、自分で道を切り開かなければならない。
救急車を呼んで、運ばれて、その病院で助けてもらえるようなそんな普通の病気やケガと全然違う、過酷な状況の中、自分でなんとか生き延びなければならない。
その苦痛さ。
しかも、脳脊髄液減少症でありながら、苦痛を抱えて子供を育て、老人を介護し、働き、家族の生活を支え、家事を毎日しなければならない、そういう世代の大人患者たちがいる。
その人たちよりも、子供を優先して診て!という、子供の親たちに伝えたい。
大人の患者の方が、周囲から、健常者と同じように、求められることが多すぎて、とてもとてもきついんですよ。と。
子供だからというだけで、その親たちが「こどもを優先して!学校があるから」というのもわかる。
けれど、他の病気や疾患で「こどもだから大人より治療を優先する優先枠がある」ってことはないと思う。
こどもだからというだけで、診察や治療を優先させるということは、もうそろそろ改めてほしい。
大人も子供も公平に、受診の先着順、あるいは、
普通の災害時と同じように、大人子供関係なく、普通のトリアージにして治療してほしい。
でも、大人患者は大人患者でも、新米患者と慢性患者とは、耐えてきた年月が違いすぎるから、慢性患者ほど痛みや苦しみに我慢づよいはず。
我慢強いから生き残ってきたわけだから。
慢性になればなるほど、我慢起立性頭痛がなかったり、するから、医師から見ても、緊急性が薄いと感じてしまうと思う。
ただでさえ、見た目、元気そうに見える脳脊髄液減少症。
慢性患者は、痛みや苦痛があっても、普通に生きることを強いられ続けてきたから、忍耐力もすごいし、痛みにもかなり我慢強く、辛さに慣れている。
新米患者の方が「苦しい痛い、つらい!」と「頭が痛い、頭が痛い」と大騒ぎするだろうから、医療側も頭が痛い人を放置はできないだろう。
だから、
慢性患者がどんなに髄液漏れがひどくても、黙って耐えて順番を律儀に待つ人と、
新米患者が脳脊髄液減少症の症状を初めて体験してビックリ仰天し、痛いよ苦しいよと大騒ぎする場合、
新米患者の診察や治療を優先されてしまうだろうと思う。
脳脊髄液減少症の症状悪化時、検査まで半年待ち、そこからさらに治療まで半年待てと言われたら、その間、耐えきれず自殺してしまう人がいるのも、私にはすごくよくわかるのです。
脳脊髄液減少症の病名がすでにある時代に、交通事故に遭い、すでに診断してくれる医師が数は少なくても存在する時代に脳脊髄液減少症を発症し、早々に診断され、病名をもらい、れっきとした病人として認められ、
「怠けもの」でも「おかしな人」でも「精神疾患」でもなく、怪我の後遺症、あるいは体の病気だと家族や周囲に認識され、思いやられ助けられ支えられ、すぐさま十分な入院もさせてもらっている人と、
昔の病名も存在しない時代の患者とは、症状に耐えてきた時間がぜんぜん違うのに、
慢性患者はすぐには死なないからと、軽視されがちな気がする。
「頭が痛い」という命にもかかわりかねない、医師が深刻になってくれる症状は、慢性患者にはない場合もあるから、よけい医師から後回しにされがち、放置されがちだから、
脳脊髄液減少症になったばかりの新米患者より、大昔に発症してずっと苦しんできた患者の方が、さらに治療までの待ち時間を長くさせられる気がして、時々悲しくなるのです。
そんなことはないのかもしれないけど。でも、見た目よけい軽症に見えるのは慢性患者だと思うのです。がまん強いから。
今まで医師にいろいろ傷つけられてきたから、傷つけられるぐらいならと、症状を我慢するクセがついているから。