脳脊髄液漏出症は
早期発見早期治療されないで慢性化悪化すると、たしかにすっきり治りにくく難病みたいにはなるけど、
難病の定義からは外れているはずです。
脳脊髄液減少症治療で治らないからといって、
自分は、脳脊髄液減少症ではなくて
軽度外傷性脳損傷だったから治らないんだと、
別の疾患の、
別の視点で病態に命名する医師に流れた患者がいた。
そう考えを変える事で、治らない原因を納得するには効果的な病名だろう。
自分をなだめ納得させ、違う病名を唱える医師を信頼する事で、過去の脳脊髄液減少症の治らなかった悔しさや主治医への不信感を忘れようとする。
これも、人が生き残るための手段かもしれない。
同じように、線維筋痛症を研究する医師につけば、親身に相談にのってくれるでしょう。
痛み止めも対症療法もそのつど丁寧に対応してくれるでしょう。
慢性疲労症候群を研究する医師も同様でしょう。
治るんだと期待してなかなか治らない脳脊髄液減少症の病名と医師にすがるより、
原因不明で根本的な治療法もない疾患とそれを研究する医師に流れた方が気が楽になるのでしょう。
治らないのが前提だから、治らなくて当然で患者も向き合うし、医師もていねいに対応してずっと見捨てないだろうから。
その病名の世界と、その病名の患者会と、その病名の研究者や医師たちのグループにいた方が居心地がいいのかもしれません。
中には、医師ごとにつけられるさまざまな病名を勲章みたいに自分に飾り付けていく人がいるのは、
不幸な人として世間の同情を得たいのかな?
重病人として世間から思いやってもらいたいのかな?
そんな負の勲章、たくさんあるのとっぱらって、シンプルに、自分の状態の大元を一番表している病名1本でよくない?
たとえば、ガンならガンのひとつの病名でよくない?
ガンによって生まれた痛みや、精神的うつや、脱毛や、口の渇きや、さまざまな事に、いちいち病名つけたらキリなくない?
脳脊髄液漏出症も同じ。
大元の真実を見失うと、表面にチャラチャラ医師の言うままのいろんな病名が羅列して、
それらの装飾に隠されて自分自身さえ見失いそうになるよ。
少なくとも私はそう。
自分の状態に名前をつけるのは、
さまざまな医師の提案から最終的には自分で選んで取捨選択していくわけだから、
取捨選択ができない人は、病名がいくつもたまっていくのはしかたがないとは思うけど。
自分につけられた不要な病名なんて、自分で捨てる勇気も必要だね。
不安神経症は、私は捨てた!
いらないよ、そんな病名!
脳脊髄液漏出症で脳が不調になり、さまざまな症状に苦しんでいれば、精神的におかしくもなるけど、
第一そんな状態で
不安になるのは、正常です!
そんな状態なのに全く不安にならない方が異常です!
それ、こじれてませんかって聞きたくなります。
一般的病気でも疑問になることがあります。医者的区切りのつけ方が分からないです。
無人島には病気なんて持って行きませんよ
自分の症状を表す病名をひとつ選ぶとしたら、何を選ぶ?って、なったら、
否が応でもひとつに絞るでしょうけど、
自由にいくつでも病名名乗れちゃうところがなんか嫌だわ。
髄液漏れを傘に、これでもかの不幸自慢で難病だと言われるのが違うかと。
治療して好転したり治った患者からみたら、どーしたんだろうとか、それも髄液漏れなんですかと聞きたくなります。
まぁ私が知らないことが多いのかもしれませんが