脳脊髄液減少症患者のつぶやき、「とりあえず、生きてみよか・・・。」

過去から現在へ、脳脊髄液減少症、体験克服記。

「支援拒否」という言葉の誤解

2020年12月01日 | つぶやき
NHKスペシャルの「あるひきこもりの死」を見て、やるせない気持ちになった。

強制的な、措置入院みたいな事して命を救う事はできなかったのかと。

法的に難しいなら法律変えなきゃダメじゃない?
ほっといたら死ぬかもしれない人を、ほっとく法律なんておかしくない?

それに、

ひきこもりの人を
助けようとしているのに応じないからと、
勝手に、自分たち目線で、
「支援拒否」って、言うけど、
それはあくまで支援者側の言い分だと私は思う。

支援を拒否しているんじゃなくて、
受けたくても受けられないような、心理状態にあるだけかもしれないのに。

支援を受ける事自体が、受けない事の、苦痛を上回っているからかもしれないのに。

「どうして、命の危機が迫っているのに支援を拒否するのか?」って、
そんなこともわからないの?

当事者から見たら、どう見えているのか
私の体験からくる想像だけどこれから当事者の目線で書く。(私は「ひきこもり死」していないからあくまで私の考えにもとづく想像だけど)

たぶん、
「支援は受けたいし助けてもらいたいし、立ち直りたいけど
あなたから支援を受けるのは嫌なの!
あなたから支援を受けるのがつらいの!

それなら、まだ、一人にしてほうってもらった方が私は楽なの、
あなたの世話になるくらいなら死んだ方がマシなの」ってことではないかな?

でも、当事者は優しいから、せっかく来てくれる人にそれが言えない。

当事者だって支援者を選ぶ権利はあるのに、
勝手に担当が決められて、勝手にあてがわれた人が、
いきなりこちらの領域に踏み込んで来て、かかわろうとする。

誰だって、人は相性といつものがあるのに、そんなの無視。

いちど担当になったら、ずっとその人。

こちらは支援者の人を選びようがない。

第一、元気な体で、
当事者を支援に来る仕事してお金もらって、公務員みたいな安定して働いている人になんか、こちらの気持ちなんかわかるもんか!
私なら思う。

自分を支援としようと来る支援者とさえ、自分を比べて、当事者はよけいつらくなる。
だから、支援者と会うと余計落ち込むし、つらいから
そんな人たちにはなるべく会いたくないし、話したくもない。

元気に働けている人たちから、
上から目線で言われたくない。

あきらかに、対等な関係ではないから、よけいみじめになる。

サラリーマン的に仕事だからと支援に来る人になんか、
私の苦しみなんか理解できるわけがない!

そんな人たちが、自分たちの都合のいい時間に、いきなり来てほしくないから、こちらが調子が悪い時は早く帰ってほしいの!

でも、本当はもっとお節介に助けてほしい。

もっと強引に助けてほしいの!

簡単に帰ったり引き下がったりしないでほしいの。

見捨てないでほしい。

できれば、支援にかかわる人は、
若くて元気で、働いているような人ではなく、
過去に同じひきこもりの状況があってから立ち直った人とか、病気や怪我で苦労した人とか、
まずはそういう経験がある人と専門家で組んで来てほしいの。

こちらも、そういう、同じ苦労をして乗り越えた経験のある人なら、理解してもらえるかも?と心開けるから。

そんな事、当事者が考えているなんて普通は想像できないでしょ?
私はそういうこと想像しちゃうんだけど。

だから、あなた達からだけの目線で一方的に「支援拒否」だなんていうのよ。
まずはその言葉から考え直さないと!


当事者側から見たら、「拒否」じやなくて「不可」なの。

「あなたの支援は私から見たら不可」なの。

あなたの支援がこちらの合格点に達していないの。

「誠に残念ながら、私の支援担当者としての採用には至りませんでした。」ってことなの。

それでも見捨てない気持ちがあるのなら、
勝手にこちらを「支援拒否」と決めつけて、
そのまますぐひきさがって、
すぐ帰らないでほしいの!

人を変えて欲しい。
別な人をよこしてほしい。

その事業所にいる人材の何人かをとっかえひっかえよこしてみて。

相性があって心を開く人がいるかもしれないから。

何人も何人も人を変えて、来て!

そうすれば、もし、少しでも心開けそうな人が来たら、実は強引にでも、助けてほしいの。

その人の丁寧な支援なら、落ち込まず従えると思うから。

支援はいらないというのは、その人を試しているの。

児童養護施設施設から里親に引き取られた子が里親を困らせて、「お試し行動する」みたいに

本気でこちらを救おうとしているのか?その気が本当にあるのか?と試しているのかもしれない。

仕事上で義務的にやっているなら、こちらからお断りだと。

そんな人の支援を受けてますますみじめに感じて落ち込むぐらいなら死んだ方がマシだと。

当事者の気持ちは、もしかしたらだけとこんな風なことではないかな。

NHKのアンケート調査で、ひきこもり支援者側が、7割も、困っている事が、
「当事者の支援拒否」と捉えている段階で、
もうこりゃダメだと私は感じた。

「拒否」じゃなくて、当事者にとっては、
支援という名の、
さらなる苦痛や嫌悪から逃れるための一時的な行為だと、私は思うから。

脳脊髄液減少症の私を、多くの医師や専門家が、自分目線の考えで、いろんな病名つけたり、私の精神的な弱さのせいにしていたけど、

全く別な視点で私をみた医師が、私の抱えた問題の諸悪の根源が、脳脊髄液減少症だと見抜いて、
適切な支援をして回復に導いてくれたように。

私という同じ人間に起こっている同じ問題でも、人の見る角度、考え方によって、勝手にラベリングされ、全く、支援につながらなかった経験と、適切な支援につながった経験。

その、両方の経験から、

ひきこもり支援の解決の糸口も、視点を変えて考えないと、見えてこないんじゃないかな?

と思うんだけどな。

こんなこと、普通、支援者側では思いつかないかもね。

脳脊髄液減少症もね、

「脳脊髄液はそう簡単には漏れない」
「低髄液圧はあっても極めて稀」
という、古い常識にがんじがらめにされてた多くの医師が気づかなかったし、

今も、疑いの目で見る医師もいる。

ひきこもり支援も、いままでの常識を取っ払わないとダメかもね。

たとえば、不登校やひきこもりとされている人たちの中に、

脳脊髄液減少症患者が見逃されているかもしれない、とか、

「支援拒否」を無くすには、「支援拒否」という自分たち目線の言葉を使うことからやめる、
くらいの、斬新な発想の転換、逆転の視点も、支援者たちには持ってもらわないと、

これからも「ひきこもり死」は防げないでしょうね。




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はじめまして。 (goma)
2020-12-02 23:26:33
初めてコメントさせて頂きます。
現在医師国家試験浪人をしているgomaという者です。

「こもりびと」のドラマのことを調べていてこのブログにたどり着きました。
僕は精神科か神経内科になりたいと思っています。そのような事情もあり、ゆめさんのブログは大変勉強になります。
恥ずかしながら僕は「脳脊髄減少症」という病気をはじめてこのブログで知りました。
そして引きこもりや不登校と言われている方たちの中には脳脊髄減少症のためにそのような状態になってしまっている可能性についても全く考えたことはありませんでした。
これまでの自分自身の勉強不足、想像力不足を感じました。

この記事でゆめさんがおっしゃられているように、この引きこもり・不登校については今現在の発想を大きく変えなければならないと感じます。
そして発想の転換が必要という意味で言えば、もしかすると現在の医療の在り方自体についてもそうであるかも…と思ったりもします。

今の僕は国家試験に落ちている浪人生であり医者にすらなっていません。
まずは医者になることに力を注ぎますのでゆめさんのブログを訪問することは試験が終わるまであまり出来ないと思いますが、終わり次第また読ませて頂き、コメントさせていただくことがあるかもしれません。

その時はどうぞよろしくお願いします。
コメント、失礼致しました。
返信する
Unknown (ゆめ)
2020-12-03 11:36:05
gomaさま、はじめまして。
お忙しい中、コメントありがとうございました。
少し前に、ブログ拝見しております。

そうですか、精神科か神経内科医を目指されて勉強中なのですね。

脳脊髄液減少症はまだ教科書に書かれていない事が多く、実態は体験した患者と脳脊髄液減少症患者を20年くらい患者を診つづけてきた医師たちだけしか知らないと思います。

脳脊髄液減少症を診はじめて日が浅い医師は、症状が「起立性頭痛」「起きていられない」だと思っている医師もいますが実態は違います。

私の周りの現役の医師に脳脊髄液減少症について伝えようとしても、いまだに自分とは関係ないと興味を示さない医師が大半です。これが日本の医師の実態です。

ですから決してgomaさまの勉強不足のせいではありません。

むしろ、gomaさまが、こんな素人患者の私の記事に目を止め、考え学ぼうとする姿勢は、本当の意味での医師の素質を持っている方だと感じます。

浪人はつらい時期かもしれませんが、人生には無駄な事は何もないと私は思っています。

私も脳脊髄液減少症になる前は、弱者の気持ちなど想像もした事のない人間でした。

脳脊髄液減少症になって、医師のいいかげんさや冷酷さ、身勝手さ、社会の理不尽さ、
そして、助けてくれた医師のありがたさと、
人間の脳がこれほどいろいろな事をコントロールしているという事など、いろいろな事に気付かされました。

脳脊髄液減少症にならなければ、私も、脳脊髄液減少症の話をする人を胡散臭いと感じたり、ひきこもりの人に、甘えてる!と叱咤激励するだけの人間だったと思います。

脳脊髄液減少症になっていろいろ体験したからこうして違った視点で物事を考えるようになりました。
こうした体験がなければ、私は「脳脊髄液減少症を世の中に伝えなければ」と思わなかったと思います。

gomaさまも、ストレートに生きてきた人より、ご苦労をされた分、必ず培っている何かがあるはずです。

それは自分の糧となり、やがて誰かを気づ救う事につながると思います。

必ず医師になって、脳脊髄液減少症の研究にぜひ加わってください。
お願いします。

なぜなら、原因不明の不定愁訴と思われて、多くの患者が医師に精神科に回され、そこで抗精神薬漬けになる患者が大勢いるのに、
精神科の医師で、脳脊髄液減少症に興味を持ち、研究にかかわる例はほとんどないと感じてきたからです。

癌患者のチーム医療はあっても、脳脊髄液減少症患者のチーム医療は皆無です。

私は、脳脊髄液減少症の完治率アップと、患者の早期の社会復帰のためには、
全国各地で、脳脊髄液減少症のチーム医療ができる拠点病院が必須だと考えています。
gomaさま、今は良く寝て、食べて、たまにはネットで気晴らしして、たまには外に出て散歩して空を見上げてみてください。

あなたが医師になるのを心待ちにしている患者の私が、同じ空の下にいます。

あまり自分を追い詰めず、まずは心と体を整えて、リラックスして日々をお過ごしください。
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