就労までの道、高次脳機能障害
ある患者の日々。
今まで何度も書きましたが、
「脳が大きなダメージ」を受けなくても、
脳脊髄液の減少でも
深刻な高次脳機能障害が起きます。
今までの定義は、改めてほしいと思っています。
脳脊髄液減少症患者は
見た目どこも悪そうに見えないけれど、
高次脳機能障害だけでなく、
数々の非常につらい見えない、認めてもらえない、
身体症状、精神症状、の一般的な検査にも異常が出ずらい
目に見えない、
理解されずらい、不定愁訴の数々症状を抱えて苦しんでいます。
そんな私達脳脊髄液減少症患者に
福祉の手がさしのべられる日は、いつくるのでしょうか?
国が、
脳脊髄液減少症の抱える、ことの重大さに気づいてくれるのは
いつのことでしょうか?
医療の救済の手でさえ、まだ充分に患者にさしのべられていないのですから、
福祉の手がさしのべられるのはまだまだ先の話なんでしょうね・・・
脳脊髄液減少症の症状に耐え切れなかったり、
脳脊髄液減少症の生むさまざまな無理解に、絶望して
自らの命を断ったり、
「異常なし」と言われ続け、
病名もわからないまま苦しみぬいて一生を終えたり、
高次脳機能障害を抱えながら、何の支援もないまま、普通の生活を強いられ、
かつての私のように、症状によって危険にたびたびさらされ、
不慮の事故で亡くなってしまう方も、
この瞬間にもいるかもしれないのに・・・。
誰にも「脳脊髄液減少症」のせいだとわからないまま、
病人だと認めてもらえないまま、一生を終えたり、
亡くなるような人を、
今後は出してほしくないと思っています。
だから、
脳脊髄液減少症というききなれない病態が、特別な病などではなく、
実は身近にあふれている、ありふれた不定愁訴と
深く関係していることを一般の人びとに知っていただきたいと
思っています。
ここに「誰ひとり見捨てない」って書いてあるけど、
脳脊髄液減少症こそ、福祉のはざ間に落ち込み、
世の中から見捨てられている病だと感じるのは、私だけでしょうか?
脳脊髄液減少症で苦しむ患者たちが、「福祉のネットワーク」に
支えてもらえる日は、
いつ来るのでしょうか?