月岡節氏は、縷々聞いてくださったうえで、「川崎さんの気がすまないのなら、僕が、瀬木さんに、川崎(雨宮舜の本名)さんが、《一億円なら体を売っても良い》と言っていました・・・・・と言っておいてあげますよ」と仰いました。
私は絶句してしまいました。だって、普段なら真面目な月岡さんが、流れとしては、ジョークとしてこれを、解消しようとなさっておられます。
それでは困るのです。私には名刺を作り、書き表すような肩書きがありません。だけど、非常に観察が鋭いと大勢の人から言われています。文章も面白いといわれています。しかも芸術家だから、三百年後まで生き残るつもりになっていて、現代の社会状況の中での上下関係など一切無視しているというか、関与しない人間なのです。
それこそ、哲学の問題として、いけない事をやってしまったのなら、きちんと、謝罪して欲しいです。
それにね。こういう風に、女性問題として、考える日も来るわけです。このセクハラ発言はいかようにも料理できますが、本日は、女性の哲学者、シモーヌ・ヴェイユと、シモーヌ・ド・ボーヴォワールの違いを考える項目から発展をした話題として、これを取り上げています。
つまり、テレビの世界に出る有名人(フランスではボーヴォワールがそれに当たる)とそんな世界ではなく、実践的に、地を這うように生きたシモーヌ・ヴェイユのどちらが、あれから、50年後の現在の評価が高いかを考えると、あながち、瀬木慎一さんが偉いともいえないのです。随分物をはっきり言いますが、こんな発言を貰うほど、私は軽蔑をされる存在ではありません。
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でね、絶句をしたまま黙っていたら、月岡さんが、勘違いをなさって「三億円だったら、体を売ると言っていたに、直しましょう」と続けて仰いました。私は月岡さんに向かってはあいまいに口を濁しましたが、内面では頭を俊敏に働かせて、
・・・・・これはこのまま、放っておいたら大変な事になるなあ。真面目な月岡さんがいつものような調子ではないのだから・・・・・瀬木慎一と言う人は厄介なところのある人なのかな・・・・・と考え、
その当時、雑誌に書かせていただいているという形での、実質的な付き合いのあった、月刊ギャラリーの編集長本多さんに電話を掛けました。すると、意外に早い飲み込みで(それが後から考えれば、瀬木さんが先に一本電話かメールを入れていたのでしょうが)「川崎さん、それは、瀬木さんが酔っていたのですよ。気にしない事」で片付けられてしまいました。
本多さんとは、上下関係があり、彼が私の制裁与奪の権を握っているわけですから逆らえず、引き下がりましたが、その後、評判が良かったのに、急に一年で連載が終わった事(ほかの人は、100回を越えるほど、連載を続けていた。内容はミートパイの話などで、たいしたこともない内容だったが、それほど、長い間続いていた。私のは、画家たちからも画廊からも面白いと評判だったのに、たった、12回で終わってしまった)
とか、文章の剽窃が行われた事実から考えると、本多さんの意思決定の影に、瀬木さんのこの問題も数十パーセントは含まれていると、私は考えます。
まあね。普通の人なら、ここで、本多さんにしつこく、アタックをして、夜討ち朝駆けをして、「なぜ、こんなに早く止めさせられるのですか?」と質問をして見るべきだったと思います。しかし、私は元来が『ジャン・クリストフ』の愛読から人生を始めた人なので、『瀬木慎一さんみたいな人も、この世にはあまた、いる』ということも分かっていて、また、本多さんが、弱小出版社の社長として、まだ、現代アートの世界に限っても、この日本社会では、力が足り無い事も分かっていたので、黙って引き下がりました。
~~~~~~~~~~~~
ところで、ここから先は文章の剽窃と言う問題に入って行きます。有名であろうとなかろうと創作の結果を、踏みにじられてはたまりません。しっかりと、抗議をしておきましょう。それも、詳しい説明が必要です。でないと、ただ、蚊が一匹ぶんぶん言っていることになります。その詳細は、次回に書きます。
09-9-11 雨宮 舜(川崎 千恵子)
私は絶句してしまいました。だって、普段なら真面目な月岡さんが、流れとしては、ジョークとしてこれを、解消しようとなさっておられます。
それでは困るのです。私には名刺を作り、書き表すような肩書きがありません。だけど、非常に観察が鋭いと大勢の人から言われています。文章も面白いといわれています。しかも芸術家だから、三百年後まで生き残るつもりになっていて、現代の社会状況の中での上下関係など一切無視しているというか、関与しない人間なのです。
それこそ、哲学の問題として、いけない事をやってしまったのなら、きちんと、謝罪して欲しいです。
それにね。こういう風に、女性問題として、考える日も来るわけです。このセクハラ発言はいかようにも料理できますが、本日は、女性の哲学者、シモーヌ・ヴェイユと、シモーヌ・ド・ボーヴォワールの違いを考える項目から発展をした話題として、これを取り上げています。
つまり、テレビの世界に出る有名人(フランスではボーヴォワールがそれに当たる)とそんな世界ではなく、実践的に、地を這うように生きたシモーヌ・ヴェイユのどちらが、あれから、50年後の現在の評価が高いかを考えると、あながち、瀬木慎一さんが偉いともいえないのです。随分物をはっきり言いますが、こんな発言を貰うほど、私は軽蔑をされる存在ではありません。
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でね、絶句をしたまま黙っていたら、月岡さんが、勘違いをなさって「三億円だったら、体を売ると言っていたに、直しましょう」と続けて仰いました。私は月岡さんに向かってはあいまいに口を濁しましたが、内面では頭を俊敏に働かせて、
・・・・・これはこのまま、放っておいたら大変な事になるなあ。真面目な月岡さんがいつものような調子ではないのだから・・・・・瀬木慎一と言う人は厄介なところのある人なのかな・・・・・と考え、
その当時、雑誌に書かせていただいているという形での、実質的な付き合いのあった、月刊ギャラリーの編集長本多さんに電話を掛けました。すると、意外に早い飲み込みで(それが後から考えれば、瀬木さんが先に一本電話かメールを入れていたのでしょうが)「川崎さん、それは、瀬木さんが酔っていたのですよ。気にしない事」で片付けられてしまいました。
本多さんとは、上下関係があり、彼が私の制裁与奪の権を握っているわけですから逆らえず、引き下がりましたが、その後、評判が良かったのに、急に一年で連載が終わった事(ほかの人は、100回を越えるほど、連載を続けていた。内容はミートパイの話などで、たいしたこともない内容だったが、それほど、長い間続いていた。私のは、画家たちからも画廊からも面白いと評判だったのに、たった、12回で終わってしまった)
とか、文章の剽窃が行われた事実から考えると、本多さんの意思決定の影に、瀬木さんのこの問題も数十パーセントは含まれていると、私は考えます。
まあね。普通の人なら、ここで、本多さんにしつこく、アタックをして、夜討ち朝駆けをして、「なぜ、こんなに早く止めさせられるのですか?」と質問をして見るべきだったと思います。しかし、私は元来が『ジャン・クリストフ』の愛読から人生を始めた人なので、『瀬木慎一さんみたいな人も、この世にはあまた、いる』ということも分かっていて、また、本多さんが、弱小出版社の社長として、まだ、現代アートの世界に限っても、この日本社会では、力が足り無い事も分かっていたので、黙って引き下がりました。
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ところで、ここから先は文章の剽窃と言う問題に入って行きます。有名であろうとなかろうと創作の結果を、踏みにじられてはたまりません。しっかりと、抗議をしておきましょう。それも、詳しい説明が必要です。でないと、ただ、蚊が一匹ぶんぶん言っていることになります。その詳細は、次回に書きます。
09-9-11 雨宮 舜(川崎 千恵子)