銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

ノブレス・オブリッジそのものの人、平成天皇

2009-09-03 00:32:26 | Weblog
 私は8月14日だったと思う火曜日に、芸大前からJRの線路に向かって歩いていたわけです。国立博物館の中から、生い茂る樹木の枝が、途切れるところがあって、そこから、門前に集まっている、2、30人の人を認めた途端に、『多分、天皇陛下がいらっしゃるのでしょう』と感じたわけですが、その群れの中にたどり着くと念のために、最後尾(つまり、噴水に近い方)にいた青年に「誰が来るんですか」と聞いてみました。すると予想通りでした。が、どのくらい待つのかが分かりません。

 それも同じ人に聞いてみると、「あと、10分ぐらいだそうです」とのこと。「そうですか。じゃあ、私も待ちましょう」と言って列の中に加わり、「ところで、あなたはどこでこの情報を得たのですか? ホーム頁か何かですか?」と聞くと、「あ、さっき、おまわりさんに聞いたのです。博物館の門を出たら、おまわりさんがいるので、何があるのですかと聞いたら教えてくれたのです」とのこと。

 「そうですか。じゃあ、ほかの人もおんなじ感じかしら?」と私がいうと、「きっとそうですよ」と彼は応えます。そのひとは、服装から推定すると、デザイナーか何からしい人で、美しい女性がパートナーとして寄り添っています。

 『勉強家なんだなあ。ちゃんと基本を踏まえておこうと言う感じなのだ』と考える私です。何かを創出する場合に、古典を踏まえるのは必要な事なのです。ただ、私が新しいものばかり見たがるのは、『古典の勉強は既に、充分やりました。伊勢神宮の秘宝はまだ見ていないが、斎宮美術館(または、斎宮博物館)にも既に行っているし、何度も伊勢神宮も訪れているし』と考えているからです。あとは、誰がどういうものを作っているのかを把握して、アイデアが重ならないようにする必要があり、真似するためにではなく、真似にならないようにするために、もっとも新しいものを見る必要があるのです。

 ただし、デザイナーは違うと思います。デザイナーと言うのは、顧客があり、その要望に応えないといけません。その顧客はまた、その先に、そのデザインによって購買意欲を掻き立てられる大衆を意識しています。だから、三段階先の、大勢の人に訴える作品としないといけません。

 私は本を作り始めてから、デザインの勉強も始めました。基本的な部分だけですが、でも、大本を押さえると、そうなります。で、6冊目の本では、初めて写真をカバーに使いました。これでは、画家とか版画家としての面目が立ちませんが、お客様に、タイトルをよりすばやくご理解を頂くためには、そのユーモラスな写真が生きるのです。滑稽な顔をしたライオンを、部分とする花瓶が「おばさん、お釣りを忘れているよ」と言う本のタイトルにより適合するのです。でね、画家であると言う自分の本分を捨てて、写真を使いました。デザイナーとしての自分がそれを、許したのです。

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 辺りを見回すと、そういう類の若い人ばかりです。8月14日は猛暑の日で、ご老人はいないのです。三々五々門から出てくる人の中に混じって外人も多い。ただし、数回前まで書いたような米軍の関係者ではなくて、外交官か、ビジネスマンと言うタイプ。

 私は他人(ひと)様からは、「若い。若い。どうしてそんなに元気なの」とよく言われるのですが、実は、残念ながら既に老人であり、体も弱くて、そのたった10分が立っていられないのです。で、アテンダントバッグを椅子代わりにして、中腰になって待ちました。そのときに私より後ろに並んでいる人たちから「あ、白バイが来た。もうすぐよ」と言う声が上がり始め、その直後、あっという間に車列が到着し、

 開け放たれた窓から、平成天皇が手を振っておられました。私はもちろん立ちました。しゃんと立ちました。ただ、声は何も上げませんでした。周りの人々も大声を上げるというわけではなく、ただ、「あっ」と言う声や、「ああっ」と言う声を上げるのみでした。それは、珍しいものを見たときの声ではなくて、静かな喜びと安堵の感情を示していました。

 車列が90度曲がって門内に入ろうとしたその瞬間に、「天皇陛下ばんざーい」と言う男性の声がして、それは、三回繰り返されました。何ともいえない哀切な声でした。右翼と言うような、がなり立てるものではない、ある個人の痛切なる悲しみのこもった声。

 それを聞いたときに、また、私の脳は瞬間的に高速回転をはじめ、さまざまな事を考えました。最初には、『場違いだなあ。ここにいるのは若い人ばかりであり、普通の意味で、静かな敬愛を捧げている。歴史的な意味を考えて、待っているわけではない。一種のミーハーなのだ。だけど、上品な意味でのミーハーで、天皇陛下を好きではある。そんな彼らは、あの声にびっくりしたであろうし、場違いだなあと考えたはずだ。平静天皇ご自身でさえ、・・・・・あれ、ありがた迷惑と言うか、場違いだなあ・・・・・とお考えになったのではないか』と言うものでした。

 しかし、その男声の声の哀切さが気になり、もっと違う方向で考えてみました。なぜ、彼はあんなに悲しげな声で、万歳三唱をしたのであろうと、・・・・・

 20秒ぐらい後に、《平成天皇に対するシンパシー(同情の念)を持っているからこそ、悲しげな声になっていたのだ》と、気がつきました。そうですね。そこにいた若い人々も何も彼をとがめなかったのは、同じことが、みんなにも分かっていたからでしょう。若い人は結構残酷なときがあります。よく、「KYだね」と言うようなひそひそ声をあげたり、残酷なまなざしを交わして、老人を排除したりします。その究極の形がホームレス狩りです。

 大昔、横浜山下公園で、ゴミ箱にホームレスのおじさんを入れて、引っ張りまわしてついに死に至らしめた少年たちがいます。彼らはゲームとしてそれをやりました。また、最近では一人で、ゲームとしてではなく、単なる気晴らしで多摩川河川敷にいるホームレスのおじさんを殺したりします。

 もちろん、国立博物館に伊勢神宮展を見にくるような若者と、そんな遊びを真夜中にする少年たちとはまるで、品性が違います。教養もまるで違います。本当の事を言えば、親たちの育て方に責任があるのですが、その親にはまた、その親がいて・・・・・

 でも、いずれにしろ、底の底で老人たちに対して厳しいところもある若者たちが、その哀切なる

 「天皇陛下ばんざーい」「天皇陛下ばんざーい」「天皇陛下ばんざーい」とエコーのように、ながく、声を引いて、繰り返された声の主に対して、温和なる無視をしたまま、さっと、ただ、あかるい満足げな雰囲気で去っていったのでした。

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 私はちょっと涙が出そうでした。その門前で待っていた最終的には5,60人に膨れ上がった人たちはみんな、天皇陛下が我慢をしていらっしゃる事を知っていて、深い同情心に充ちていたのです。平成天皇が悲しみや苦しみをぐっとのみ込んで我慢をしていらっしゃる事は、みんなが知っている事なのです。

 そして、我慢の結果の究極の姿として、ただ、にこやかに手を振っていらっしゃる。それはテレビで拝見するのと全く同じです。だけど、演技とも思えません。繰り返されるつまらない事として、手を振っておられるとも思えません。

 それは、究極のノブレス・オブリッジの具現化でした。そこに待っていた人々の反応も含めて、美しいものを見たという感慨を持ちました。

  この項続く。2009年9月2日   雨宮舜(川崎 千恵子)
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