以下は二日前に書いておいたもので、昨日のものと連続性がありませんが、本日の朝日新聞の夕刊で、たまたま三浦皇成・騎手がイギリスへ遠征して二勝をしたという記事を読み、このストックブログを、本日にアップロードをする事と致しました。本当に連続性がなくて申し訳ございません。ところで、前文は昔から文章を送っていたメルマガの世界に向けて描いたものです。
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私の生活には二つのラインがあります。そのどちらの流れも、文章として同じ場所に書いてしまっておりますので、皆様には、読みにくくていらっしゃる事と・・・・・お詫びを申し上げます。つまり、<<<<私の政治に関する発言を、困ったものと考える、一派からの間接的な攻撃>>>>に対して、私側からの反論<<<<これまた、相当間接的にですが?>>>>を展開するメールと、それとは、全く無関係に描く(書く)独立した文章とがあるのです。
前報で、「続きを書きます」といったまま、次の報で、それに触れないのも申し訳ございませんが、今日のは、後者となります。時々それらが、入り混じります。それについてはお許しをくださいませ。
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私の1980年代は子育ての真っ最中で、したがってシゴトなどはできませんでした。今の女性たちがそれをお聞きになると「え、どうして?」と仰るでしょうが、芸術の仕事って、二十四時間体制だから、家族としては嫌がる仕事なのです。いつも『お母さんはどこか、心、ここにあらず状態に成ってしまうので、僕たちはさびしい』と思わせてしまうからなのでしょう。
で、なんどもそれは、申し上げておりますが、40代と言うのは、主体的な時代ではなくて、従の時代でした。受動的な時代だったのです。読書をしたり、新聞を隅から隅まで読んだり、テレビを見たりしていた時代です。週刊誌も一週間に6冊ぐらい読みました。今では忙しくて考えられない事ですが、スポーツ新聞も読みました。その一つとして競馬をテレビで見ることがありました。美しいと思いました。で、相当にはまりました。馬券を買うというのではなくて、馬のことを知りたいという欲求を得ました。
それは、一種の競馬全盛期でもありました。日本の競馬についての話ですが、今は、吉田牧場系列が、あまりに強くなりすぎて、日本の競馬が衰退しつつあるような気がします。不景気も影響をしているでしょう。馬主になる人も少なくなっている。
その後で、私の方も、競馬とは相当遠くなりました。子どもが大学進学を終え、就職もしてしまったあたりから、本格的に、絵や版画を始め、したがって、今の競馬・情報とは無縁な生活となりました。
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しかし、メルマガやブログの手当てをするために、パソコンは開くわけです。そこで、ウエブ・ニュースと言うのを自然に見る形になります。4種ぐらい見ていますが、その結果、2008年度中に、三浦皇成と言う旗手が大きな話題となっているのを知りました。
それで、09-1-24日に放映されたNHKトップランナー『三浦皇成』編を、録画をしておいたのです。なんとそれを、本日、9月17日に再生をして見たのですが、彼に対して、相当に感心をしました。
それを、どうか、本日語らせてくださいませ。今、現在の三浦皇成騎手の成績も知りませんが、普遍性を持った話題として語らせていただきたいのです。
それには、『彼は、顔立ちからすると、ニッポンの少年の典型である』と言うポイントから入ります。週刊文春はどうしてか、ジャニーズ事務所を目の敵にしています。私はそれについてはどちらにも与しません。が、現在の美形タレントと言うのが、男の子も女の子も、昔の日本人の顔とは、相当違ってきている事は、感じています。彫りが深くて、目がパッチリしています。昔だと女の顔なら、おかめか、般若として、分類をされたのでしょうが、今の言葉で言えば、しょうゆ顔・ソース顔という分類となります。
三浦皇成騎手は、どちらかといえば、しょうゆ顔の典型ですが、久しぶりに、・・・・・よき時代の、日本の少年に出会った・・・・・・という感覚を得ました。また、たまたま、ですが、映画『トウキョウ・ソナタ』の主演の少年、それから、映画『豚がいた教室』の中で、重要な発言者となる少年なども、こういう顔立ちの子どもなのです。
彼は、20年間も破られなかった武豊騎手の新人最多勝記録、69勝をはるかに上回る91勝をあげました。それなのに、それほどの大物とも思えない、あどけない顔をしています。そのギャップが、私の注意を引きました。
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さて、これから、先は三浦皇成騎手の発言とか、生活、および人生(その放映時でも、たった19歳ですが)について、語らせてくださいませ。と言うのも、おせっかいながら申せば、このメルマガの読者は、ほとんどが競馬など無関心であり、三浦皇成騎手の事も知らない方だと思うからです。でも、彼は一流中の一流の人間でした。単に騎手内で一流(と言っても、これから、それを目指す、プロ二年目の騎手ですが)と言うに、とどまらず、他の分野の人間に比べても、一流といえる人間でした。
こういう人間が現れた社会と言う日本も、相当に、良い社会であると感じました。時々現状について、絶望をしますが、その一人の少年の存在が、気持ちの救いになったのです。
彼は、競馬とは無関係な家庭に育ちました。ただ、一家で、大井競馬場に遊びに行った事を機縁として、5歳にして既に「騎手になりたい」と考えたそうです。それ以降は家庭の協力もあって、将来騎手になるために役立つ、お稽古事(8種類かなあ、またはそれ以上)をやらせてもらったそうです。
乗馬や剣道(勝負強さとか、勝負勘を養うためであろう)は分かるけれど、生徒会(副会長だった)が、お稽古事の一つとして紹介をされたのには、会場につめている人と一緒に、笑いました。
「JRAの競馬学校(それは、入試が厳しいらしい)への内申書をよくするためでもあった。もちろん、学校を良くしたいという思いもあったのですよ」と、これも会場を笑わせる発言をしましたが、この経験は、大試合で、大観客を相手にしても、平静でいられるスケールを彼に与えたでしょう。度胸をも獲得できたと思います。
この日(09-1-14)のトップランナーは、人間としてよく生きるための、指針や希望を与えてくれる番組でした。NHKのオンデマンド放送は、過去の全番組に該当するのではないらしいので、それは、残念ですね。皆様にもお勧めをしたい番組でした。
09-9-17 雨宮 舜(川崎 千恵子)
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私の生活には二つのラインがあります。そのどちらの流れも、文章として同じ場所に書いてしまっておりますので、皆様には、読みにくくていらっしゃる事と・・・・・お詫びを申し上げます。つまり、<<<<私の政治に関する発言を、困ったものと考える、一派からの間接的な攻撃>>>>に対して、私側からの反論<<<<これまた、相当間接的にですが?>>>>を展開するメールと、それとは、全く無関係に描く(書く)独立した文章とがあるのです。
前報で、「続きを書きます」といったまま、次の報で、それに触れないのも申し訳ございませんが、今日のは、後者となります。時々それらが、入り混じります。それについてはお許しをくださいませ。
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私の1980年代は子育ての真っ最中で、したがってシゴトなどはできませんでした。今の女性たちがそれをお聞きになると「え、どうして?」と仰るでしょうが、芸術の仕事って、二十四時間体制だから、家族としては嫌がる仕事なのです。いつも『お母さんはどこか、心、ここにあらず状態に成ってしまうので、僕たちはさびしい』と思わせてしまうからなのでしょう。
で、なんどもそれは、申し上げておりますが、40代と言うのは、主体的な時代ではなくて、従の時代でした。受動的な時代だったのです。読書をしたり、新聞を隅から隅まで読んだり、テレビを見たりしていた時代です。週刊誌も一週間に6冊ぐらい読みました。今では忙しくて考えられない事ですが、スポーツ新聞も読みました。その一つとして競馬をテレビで見ることがありました。美しいと思いました。で、相当にはまりました。馬券を買うというのではなくて、馬のことを知りたいという欲求を得ました。
それは、一種の競馬全盛期でもありました。日本の競馬についての話ですが、今は、吉田牧場系列が、あまりに強くなりすぎて、日本の競馬が衰退しつつあるような気がします。不景気も影響をしているでしょう。馬主になる人も少なくなっている。
その後で、私の方も、競馬とは相当遠くなりました。子どもが大学進学を終え、就職もしてしまったあたりから、本格的に、絵や版画を始め、したがって、今の競馬・情報とは無縁な生活となりました。
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しかし、メルマガやブログの手当てをするために、パソコンは開くわけです。そこで、ウエブ・ニュースと言うのを自然に見る形になります。4種ぐらい見ていますが、その結果、2008年度中に、三浦皇成と言う旗手が大きな話題となっているのを知りました。
それで、09-1-24日に放映されたNHKトップランナー『三浦皇成』編を、録画をしておいたのです。なんとそれを、本日、9月17日に再生をして見たのですが、彼に対して、相当に感心をしました。
それを、どうか、本日語らせてくださいませ。今、現在の三浦皇成騎手の成績も知りませんが、普遍性を持った話題として語らせていただきたいのです。
それには、『彼は、顔立ちからすると、ニッポンの少年の典型である』と言うポイントから入ります。週刊文春はどうしてか、ジャニーズ事務所を目の敵にしています。私はそれについてはどちらにも与しません。が、現在の美形タレントと言うのが、男の子も女の子も、昔の日本人の顔とは、相当違ってきている事は、感じています。彫りが深くて、目がパッチリしています。昔だと女の顔なら、おかめか、般若として、分類をされたのでしょうが、今の言葉で言えば、しょうゆ顔・ソース顔という分類となります。
三浦皇成騎手は、どちらかといえば、しょうゆ顔の典型ですが、久しぶりに、・・・・・よき時代の、日本の少年に出会った・・・・・・という感覚を得ました。また、たまたま、ですが、映画『トウキョウ・ソナタ』の主演の少年、それから、映画『豚がいた教室』の中で、重要な発言者となる少年なども、こういう顔立ちの子どもなのです。
彼は、20年間も破られなかった武豊騎手の新人最多勝記録、69勝をはるかに上回る91勝をあげました。それなのに、それほどの大物とも思えない、あどけない顔をしています。そのギャップが、私の注意を引きました。
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さて、これから、先は三浦皇成騎手の発言とか、生活、および人生(その放映時でも、たった19歳ですが)について、語らせてくださいませ。と言うのも、おせっかいながら申せば、このメルマガの読者は、ほとんどが競馬など無関心であり、三浦皇成騎手の事も知らない方だと思うからです。でも、彼は一流中の一流の人間でした。単に騎手内で一流(と言っても、これから、それを目指す、プロ二年目の騎手ですが)と言うに、とどまらず、他の分野の人間に比べても、一流といえる人間でした。
こういう人間が現れた社会と言う日本も、相当に、良い社会であると感じました。時々現状について、絶望をしますが、その一人の少年の存在が、気持ちの救いになったのです。
彼は、競馬とは無関係な家庭に育ちました。ただ、一家で、大井競馬場に遊びに行った事を機縁として、5歳にして既に「騎手になりたい」と考えたそうです。それ以降は家庭の協力もあって、将来騎手になるために役立つ、お稽古事(8種類かなあ、またはそれ以上)をやらせてもらったそうです。
乗馬や剣道(勝負強さとか、勝負勘を養うためであろう)は分かるけれど、生徒会(副会長だった)が、お稽古事の一つとして紹介をされたのには、会場につめている人と一緒に、笑いました。
「JRAの競馬学校(それは、入試が厳しいらしい)への内申書をよくするためでもあった。もちろん、学校を良くしたいという思いもあったのですよ」と、これも会場を笑わせる発言をしましたが、この経験は、大試合で、大観客を相手にしても、平静でいられるスケールを彼に与えたでしょう。度胸をも獲得できたと思います。
この日(09-1-14)のトップランナーは、人間としてよく生きるための、指針や希望を与えてくれる番組でした。NHKのオンデマンド放送は、過去の全番組に該当するのではないらしいので、それは、残念ですね。皆様にもお勧めをしたい番組でした。
09-9-17 雨宮 舜(川崎 千恵子)