銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

偉大なコレクター、その威力と魅力、川西英と、安宅、大原、米国の富豪

2011-11-19 19:27:35 | Weblog

 木曜日から、土曜日にかけて、建造物は、1、大原美術館、2、(犬山城)、3、姫路城、4、西本願寺、5、東本願寺、(東寺)、
美術館は、6、徳川美術館、7、大原美術館、8、ノリタケの森、9、東本願寺ギャラリー(中村久子展)、10、大阪市立東洋陶磁美術館、11、京都国立近代美術館(川西英、コレクション展、主に、竹久夢二)、12、京都市立美術館、(ワシントン、ナショナル、ギャラリー展・・・・・主に印象派を、展示)
  などを回ったので、今、疲れ切っていますが、いろいろ、書くように努力をしましょう。
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副題1、『たった一人の、国内旅行も結構楽しいのだった』

 金曜日の夜、東京新宿で、友達と夜遅くまで歓談していた私は、なんと、もう一回京都まで戻ってきているのです。

 本日、京都国立近代美術館の帰りに、京都駅への、地下鉄の利用方法を教えてくれて、ずっと一緒に歩いた、奥様連中が、教えてくれたのですが、金閣寺を、ブータン国王ご夫妻がお訪ねになったのですって。旅に次ぐ、旅で、動きまわっている私は、インターネットもやっておらず、テレビも見ないので、何も知りませんでした。

 国王の行先は、金閣寺だそうです。有馬さんという金閣寺のトップに、なにか、よくないことで、ニュースになった過去が、この2年以内にあると思うので、ブータン国王はそのマネーロンダリングのために、お招きを受けているような気もしてきました。そういうことって結構あるのですよ。
 でも、まあ、今は、幸せな状態の中にある私は、そこに、目くじらを立てるのはやめておきましょう。

 ところで、新宿でデートした
 その友達はパリから、わざわざ13時間もかけてきているので、『ああ、もっと京都にいたいから、約束をキャンセルしましょうよ』ともいえないのです。むろん、私のためだけに来たわけではないのですけれどね。

 木曜日から、金曜日に、かけて、徳川美術館、大原美術館、ノリタケの森だけを見たのでは、欲求不満に陥ってしまったのです。一泊二日で、しかも、それぞれの、場所が離れているうえに、美術館って、たいていは朝の10時から午後の四時までに入らないといけないシステムですから。

 そして、よく考えてみると、私は国内を、純粋な楽しみのために、旅行をしたことが過去には、ないのでした。
 この30年間、海外を一人で、または、二人だけで、いわゆる個人旅行をしています。それを、日本で当てはめるのは、一人ぽっちの孤独感を感じて、よくないだろうと、いままでは推察していました。みんな誰かと一緒ですからね。しかし、結構のレベルで楽しいのです。大丈夫でした。私にとっての、国内ひとり旅行も。それだけ、自立できたのかなあ?

 が、小田原から6時15分のひかりという朝一番で、出発しても、先ほど言った、<美術館は、10時から16時までに入館しないとだめだ>というルールがあるので、夜が無駄になります。で、木曜日は、名古屋近辺で、犬山城を十分に拝観できなかったのが、強烈な欲求不満を生みました。

 で、交通費は、無駄になるが、一気にある程度までの満足を得るためにトンボ返りをしたのです。大阪へ向かって。
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副題2、『古いものを、訪ねるというテーマなのだけれど』

 私は普段は、徹底的に新しいものを見ているのです。もっとも新しいものが好きなのです。だから、画廊が好きで、一般的な場合は、美術館は好きではないのです。何とも、古っぽく見えてしまいます。が、テレビから入る情報によって、安宅コレクションと、大原コレクションは、気になっており、それは、一回は見ておかなくてはいけないものだと思っていました。

 『坂の上の雲』ではないが、日本人がもっとも、健やかな時代の、もっとも、文化的な教養の高い人のふるまいだからです。魅力が、十分すぎるほどあります。

 でも、もちろんこと、その陰には、とんでもない裂け目が必要だったのです。『12時間も連続して寝たのよ。これは、めずらしい。これは、絶対に生かさないとだめよ。めったにないチャンスですから』と、いう思いがないと、普段通りに、『私は銀座で、新しいものを見るのが好きなのです』だけで、終わったと思います。殻を破ることはなかったでしょう。

 それに、パリから来た友達が、「これが、日本を訪れる最後の旅になると思うから、今まで行ってなかった四国を旅しておこうと思うの」といったことも刺激になったかもしれません。

 お若い方は、『何だろう。それ』っとお思いでしょうが、70歳前後になると、そういう風に、しまっていく扉の季節になっていくのです。決して、上昇だけではない人生というものにも気が付きます。で、その両方から、再び一人で、土曜日に京都を、訪ねたのですが、その二日前に見た、3つを合わせて、5つとも、大変好ましい美術館であり、好ましい企画展をやっていると感じました。

 それは、ほぼ、30年前に、大川美術館と、足立美術館を訪ねてころとは全く違った思いと、なります。今の、大川美術館と足立美術館がどうなっているのかは知りませんが、今回訪問した5つの、美術館ほどの親しみは、その30年前の時には、感じられませんでした。
 大川美術館については、創設者に対して、知識不足だという面もあったのか、印象が薄いのです。足立美術館については、『お値段の高い、高級なものを集めています』と言うムードが前面に立ちすぎていて、それに、『竹下首相なんかも、日本画のコレクターだと聞くが、足立さんも、竹下さんとは、親しかったのかしら?』、などと不純な、想像もしてしまいましてね。で、感動できなかったのです。

 30年前とは、違って見えたのは、ボランティアがたくさん手伝っていて、学芸員オンリーではない、お客が参加しているという意識も見える、ことも原因だったでしょう。受け手側の積極的な態度が、美術館自体の、愛らしさや、intimasy
(親密感)を生んでいるのです。それが、大いに感じられたからでもありましょう。

 愛されている美術館という趣が強かったのです。
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副題3、『大阪市立、東洋陶磁美術館の、好ましさと品の良さ』

 土曜日は日本全国的に、悪い天気だったのです。が、そんな気配の中でも、旧安宅コレクションを収集する大阪市立東洋陶磁美術館には、お客さんがいっぱいでした。そして、お客さんのレベルが、5つの美術館のうち、最も高かったのです。
 もっとも大衆的だったのが、京都市立美術館の、ワシントン、ナショナル、ギャラリー展です。若い人でいっぱいです。画集、全集、または、美術の教科書に載っているような名品があるのだから。大衆的といっても、軽蔑するべきではなくて、みんないい顔をしていますよ。

 それから、徳川美術館も大人気です。こちらは、定年退職後の善男、善女がいっぱいです。みなさん、いい顔をしていますよ。でも、雨のなかを、わざわざ出かけてきた、熱心で、かつ静かなお客の、様子は、やはり、『上等で、ござんした』というしかない、かんじでした。

 この美術館は、もう少し、広く、大きくてもよかったかなあ? 今日は、企画展で、小さな鍵煙草入れの、コレクションがありました。掌中の美といって、本当に、懐へ入れて楽しんだものらしいです。根付けより、だいぶおおきめで、なつめぐらいのサイズですが、ずっと華やかな文様と色彩の、美を誇る名品揃いでした。美煙壺というらしいものです。

 私はたばこを吸いませんが、たばこは文化、その物、または、周辺に、文化をを生んだアイテムでもあるのです。心理的にも財政的にも、余裕の表れの一つだったのに、今は罪の意識を感じさせる、貧しい、貧しいものへと堕させられています。この日本の精神状況がひどく細ってしまって、ヒステリックになってしまっていて、文化とは遠い状況になっているのが、例の、喫煙家いじめの諸相(条例で、禁止、または、分煙を強要したり、するものと、大増税の件)です。

 ところで、この上等な雰囲気は、やはり、安宅英一氏の執念と、審美眼の高さがもたらしたものでしょう。特に人生が、会社をつぶすという悲劇に終わったので、何とも意義深い感じです。神様は、ここで、この集客力、しかも、質の高いお客さんの集客力をもたらし、安宅英一氏を、顕彰していると感じます。

 ただし、私がごく普通の状態でいて、しかも、雨が降っていなかったとして、かつ、安宅英一氏が、悲劇の人でなかったとしたら、ちょっと違う見方をすると思うのです。

 私は骨董という趣味が嫌いです。そのうえ、陶磁器を好きな人にも、『スノッブだなあ』と思う気持ちを捨てられません。というのも、その世界は圧倒的に金が絡んでいるからです。最初から大金持ちでないと取り組めない世界だから、安宅氏が悲劇の人生で終わらなければ、何も知らないし、興味も持たなかったと思います。

 一方で、これから取り組む川西英(ひで)氏は、非常に好ましいコレクターです。しかも、莫大な量の美術品のコレクションがあります。主に紙の作品です。でも、日本画家の本画を収集したわけではなくて、ご自分と同時代の作家の、版画とか、イラストを集めておられるのです。最後に富本憲吉の壺が何点かありましたが、あれは、国画会の会員同士で、友達だから、買ってあげたものでしょうし、富本さんの方も、『お互いに、交換しましょう』とおっしゃったりしているのかもしれません。

 ここで、川西英さんには、どうしてコレクターとなるだけのお金があったのかとグーグルで検索をしてみますと、船場の回船問屋の、七男なんですって。これはね。持ち屋とか、家作(他人に貸して、家賃収入を得る一軒家のこと)を五軒ぐらい作ってもらえばそれを、当てることはできます。でも、長男ではないから、家業を継いだわけではなく、ご自分はサラリーマンとして働いたのですが、郵便局長さんだから、一般の人よりは楽だったかもしれません。

 それは、昔は地域の有力者で、かつ頭のいい人でないとできない職業でした。ですから、給料もちゃんと入るし、美術作品を収集する資金はあったわけです。特に何度も言うように、紙の作品ですし。しかも、wikipedia でも、はっきりそれについて触れているが、交流が活発な人で、お互いの、作品交換をして、手に入れたものも多いのだそうです。

 ただ、その際には川西さんの方の作品もよくないと成立しないので、それが成立したとことは、理想的な収集態度です。

 そして、首尾一貫性もあるのです。優しさという意味での。同業のアーチストが、芸術一本やりで生きていたら、給料が定期的に入る川西英氏の方が、絶対に経済的に余裕があるはずです。一枚を、交換すると同時に、さらに、次の、一枚ぐらいは、お金を出して、買ってあげるという形だったのではないでしょうか。

 夢二以外のコレクションでも、非常にやさしげな作風の、かつ美しいものを、たくさん集めておられます。夢二のものは、川西英氏の全コレクションの、三分の一にしか当たりません。これがどうして、神戸ではなくて、京都に寄贈されたかを、考えた時に、京都は、竹久夢二の個展として、ゆかりの場所なんですね。

 で、京都側が、学芸員等を出して、整理の作業等をしてあげたのだと思います。それで、川西氏のゆかりの地である、神戸ではなくて、京都国立近代美術館に、このコレクションが来たことを納得しました。

 なお、あと少し続きます。だが、大変に疲れているので、メモ程度におかせてくださいませ。
 それは、自分が国画会に、出さなくなったことを残念に思っているかどうかについてと、
<<<川西英、氏も、その三男である、祐三郎氏も国画会の会員です。
 また、
 収集品が、大原美術館、京都国立近代美術館、および、ワシントン・ナショナル・ギャラリーの、三館で共通する傾向があることなどです。で、やはり、ワシントン、ナショナル、ギャラリーに名品が多いのですが、

 ラベルを丁寧に見ると、持ち主としては個人名が、多かったので、持ち主が作家との個人的な付き合いがあったから、手に入れたという形ではなくて、サザビーや、クリスティーズとなどという、オークション会場で、手に入れて、保管を兼ねて、立派な美術館にあずかってもらうという形だと感じました。その手の大金持ちのうち、大富豪は、個人の名を貸した、独立した美術館を作っているのですが、それほど、たくさん作品を保持していない大富豪が、首都ワシントンにある立派な美術館だからと信じて、名品を預けているのだと感じます。
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 このラベルの件ですが、まず作品名が記載をされており、次ぎに技法や、制作年度が、記されていて、最後に所蔵者の名前が出ている形式でできています。大阪市立東洋陶磁美術館のそれには、住友グループ寄贈というものがたくさんありました。これは、法律的には、正しいことでしょうが、住友グループ内の、誰かが、心血を注いで、集めたものではないので、旧安宅コレクションと、かっこでも、つけて入れるべきだと思います。安宅コレクションの名前を残すことも文化です。後、30年もたつと委細が忘れ去られる危険性もありますですから、ラベルの改変を望みます。『かっこ』として、住友グループの次に、安宅コレクションと入れておけばいいでしょう。
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 このようなアメリカの大富豪が、コレクターとしての、普通の姿かもしれないけれど、もしそうだとしたら、『川西英は、稀有なほど、純粋で、自他ともに、幸せなコレクターだ』といってもよいでしょう。
 
 本日、亭主に叱られ叱られしながらも、突然、東京の新宿から、小田原経由で、もう一回大阪とか、京都に来てしまったのは、この出会いのためだったのかと、納得をしました。どうしてか、こちらの方にやり残したことがあるような気がしてたまらなかったのです。今、見ておかないと、東京へは、このコレクションは、私が生きているうちには、巡回しないような気がします。それに、単に竹久夢二展と聞けば、偏見を持って、『関係ないよね。私は、抽象画の人だし、』と思っていかなかったような気がします。

 たまたま、京都の美術館の収蔵品(常設展)を見るつもりで、やってきて、思いがけないいいものを見たということになりました。ラッキーです。

補遺
 私は結婚をした時に、narumi の葡萄文様のお皿を一通りそろえました。楕円のものも大、中二枚、深いスープ皿、肉皿、ケーキ皿と。ポットや砂糖壺は揃えませんでした。が、普段使いをするものですから、割れて来て、書い足しをしました。その新しい方が、ノリタケの製品です。美術館内でみると、1972年新発売の、Victorian Blue というものでした。

 これの方は、narumi のブドウ門尿揃いよりは、さらに買い方を控えて、大きめの肉皿とケーキ皿を、6枚ずつのみで、スープ皿も買わなかったし、もちろんポットもこーフィーカップも買いません。楕円形のお皿も買いませんでした。どうしてかというと、結構お高いものだからです。これらは、新品でも高いのですから、オールドノリタケになったら、どれほど、高いことか。

 さらに高いのが、安宅英一氏が集めた、東洋、韓国や中国の白磁と青磁です。すごいお金の散財だと言えば言えます。だから、特殊な分野というか、特殊な階層のなかだけの話です。それに比べると、川西さんの、コレクションは、保存という意味では脆弱なものですが、誰にでも、手が出せるお値段のものだし、絵ごころも、満足させられるものだから、好ましいのです。

 でも、安宅氏の実績が美術館の展示の中の、どこにも残っていないと、変ですし、それは、やりすぎだと感じます。住友グループさんは、借金を棒引きするという形で、莫大な金銭を放出しました。それは、大阪市民および、私のように遠くから来る人間も入れれば、日本国中への貢献です。特に外人も見に来ていましたから、世界への貢献です。イスタンブールのトプカピ宮殿にも、中国陶磁器はたくさん収蔵されていますが、あれは、王様という大金持ちだから、集まったものです。だから、特徴がありません。が、安宅コレクションには、相当なレベルで、統一感があります。

 これは、仮定の話ですが、今、安宅氏が、支払ったと同じ、金額を出しても、同じものが手に入るとは、とても思えません。世の中が、デフレと言えども、あのクラスの収集ができるわけでも ないでしょう。やはり、安宅氏に、上質の審美眼と、執念というほどの集中力ががあったからできたことです。

 今、各企業にいて、安宅産業を、撤収させた・・・・イコール、金銭的損失という意味で、煮え湯を飲まされた人たちは、引退しているのではないかしら。そちら側は縁の下の力持ちになってもいいから、安宅氏の名前は、あれらのコレクションに残すべきです。もちろん、旧安宅産業が、つぶれたことによって、苦汁をなめた内部の社員もいることでしょう。そういう人も、許しを与える時期に来ているのではないかしら?

   2011年11月19日、   雨宮舜(本名 川崎千恵子)

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