まず、最初に説明をさせてくださいませ。上の場所は我が家の存在する山のトップレベルの場所で、すでに、石段はなくなっています。真ん中の細い道は、幅30センチの敷石です。そして、正面は当時は無住(今も別荘扱い)、右側は無住、左側は、南斜面のがけで、道を挟んで、次の家までの高低差は、一階までは、8メートル近く、手前の家は、高低差、同じく、7メートルです。
ここを、ウィークディの昼間通行する予定の人は一人しかいません。
本日は、ここが舞台となってお話が展開します。、
ところで、火曜日の午後五時に一応の完成といたしましたが、なお、共産党がどうしていけないのかノ論議と、養子と養い親の間に何の問題が起きるかの論議が、まだ、なされていません。それは、後で、付け足します。
副題171、『我が家の猫は、テリトリーを失っている』
副題172、『あまりにも、かわいそうなので、散歩に連れ出す』
副題173、『前田夫人が雨戸をがたがたさせて、猫を脅かし、
ご主人にたしなめられる』
副題174、『前田祝一氏の、真の恐ろしさと、さまざまな後日談』
副題175、『共産党を挙げて、助けてもらっている前田一家』
副題176、『警察の<生活安全課>にも、支援される前田家』
副題177、『大原家でも、サッシをピシャーッと音高く、開け閉めした』
副題178、『大原氏のせいで、第二のパンドラの箱があくぞ』
副題179、『大原氏のせいで、第三のパンドラの箱をも開けてしまうことになるので、大いに大変だ』
副題179、『最も、ぬえ的な要素の、多い、大原氏』
副題180、『だから、意味を持ってくる、白井・小野寺夫妻の玄関戸開閉の、異常音』
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副題171、『我が家の猫は、テリトリーを失っている』
我が家の猫は、石川和子と、柳沢昇という夫婦2人のあまりにも、ディープな、わがままのために、外へ自由に出せなくなりました。ここまでになるまで、息子が説得に行ったり、私が、お手紙を書いたりしましたが、まったく反省がないのです。どこまで増長マンで、自己だけ中心の権利の肥大した、精神の持ち主か、計り知れない連中で、彼女が死ぬまで、いやな思いをさせられ続けました。今は夫の柳沢昇と、伊藤玄二郎の二人に、苦しめられているところです。
伊藤玄二郎は、鎌倉春秋社社長ですが、石川和子と、愛人だった時期があるそうで、今、NHK,朝日新聞、それから、国会、文学界、美術界へ、総動員的に手を伸ばして、私を苦しめているところです。
JRの遅延現象が多発しているのも、この二人の、大わがままが、警官を巻き込んだ、とんでもない形に発展したことの、秘匿とか、修正のために行われていると感じます。
でね。猫好きの我が家としては切ない事、限りがないのですが、ネコを、自由に行動させないことにしました。家の中では、自由自在に動けますが、外は、庭に出したときでさえ、人間がついていて、絶対に監視していることに下のです。というのも山の中に住んでいますので、どれだけ、木戸や塀で囲んでも、どこかに隙があるわけです。ですから、ネコが、外へ出たがれば、私が必ず、ついているという形になっています。
ところが、猫というのはテリトリーがありますので、
安野夫人という、石川和子と大の仲良しで、これまた、威張りかえっている主婦の飼い猫が、我が家をテリトリーとして支配しきっていて、縦横無尽に庭を横切ります。
猫は神経がとても鋭いので、そのたびに我が家の猫は目を覚まし、猫ベッドからむっくりと起き上がり、二階の出窓から、眼下を見下ろして、緊張感で、毛を逆立てます。
アジサイ畑という花畑が我が家だけ使用形態上、盗まれてしまっていて、使えないのです。それも、見るたびに、24時間神経をさかなでさせられるのですが、今度は、室内に居ても、猫の気配で、異常なほどに高い迷惑を、掛けられている事を自覚します。そしてそれが、この山の安野、石川和子、前田清子などの、意地悪主婦軍団に、し掛けられた事を思い出させられるわけです。
副題172、『あまりにも、かわいそうなので、散歩に連れ出す』
この『テリトリーを回復させてやる』という事は、すでに、不可能なのです。毎日、我が家の庭を、我が物顔で、歩き回る安野家の猫は、24時間自由なので、それに、対抗するためには、私が24時間猫についていて、外に居ないとダメですね。そんな事は無理です。
で、仕方がないので、それは、あきらめたのですが、彼女は今では、あまりにも運動不足でもあります。前は、蛇を取ったりモグラを取ったりしていたのです。それも、我が家の山といえども、自由自在に登らせたから、とることができたわけですね。しかし、そこに上らせれば、鎌倉春秋釜(石川和子宅)へ、行っちゃうわけですから、狩さえ、させられない生活です。それで、散歩に連れ出すことにいたしました。
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ところで、読者の皆様に置かれましては、私が、石川和子と、柳沢昇を呼び捨てにしている事を、それだけでも下品だとお考えだったと知覚しています。 しかも彼女は鎌倉市内で、あっちこっちの公民館・支所を利用しても教えていて、先生と呼ばれている立場です。そういう人をこれほど、けなして、「あなたの方が、おかしいのではないの? 特に鎌倉春秋釜のホーム頁を見たけれど立派でしたよ」とおっしゃる方があるのも推察しております。
が、毎日、毎日、向こうからし掛けられる、すさまじい迷惑行為・・・・・それは、ニュース(今朝のNHKニュースでは、菅首相を、国会内の原子力調査委員会が諮問する、がありましたが、あれも、このブログと対応していて、ブログを否定する方向で編まれて居ます)でも、痛めつけられるわけですから、
天の神様に照らし合わせれば、加害、被害の足し算と引き算から見て、絶対に、この手法(=呼び捨て)をお許しくださるわけです。しかも、八幡宮様の大銀杏が倒れましたね。それは、見事にも、伊藤玄二郎を懲らしめるための裁可でした。
この山のわがまま主婦たちは、ほとんどの、行動を、伊藤玄二郎の発案で動いていますので、彼に対する裁可が下る影には、これらの、我が家近辺の意地悪主婦たちの、日ごろの行動の影響が大きいのです。
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さて、元へ戻ります。猫を散歩させるといっても、リード(紐)をつけて、小町通りを散歩させている紳士ほど、凝るつもりも自己顕示欲を満たすつもりはなくて、この山の中の、どこかまで猫を抱いて連れて行って、帰り道を、走って帰らせるという形で、運動をさせていたのです。
そのための最適な場所が、上の写真で描かれている場所です。四方八方に人の気配のない場所です。やがて、そこを気に入った私は、本を制作するための下プリントを校正しながら、時間をすごすようになりました。毎日ではないのですよ。数ヶ月に一度、本当に天気のよい日だけです。しかも、15分も居ません。だって、猫だって、15分以上はじっとしていられません。そこから自由自在に逃げ出されたら、紐もつけていないので、大変です。猫が蝶ちょを、眺めて、飽きないうちに引き上げるという形です。
そこが、上の写真の場所です。
副題173、『前田夫人が雨戸をがたがたさせて、猫を脅かし、
ご主人にたしなめられる』
この場所は、我が家と似ていて、三方に人の気配のない場所です。しかも東南に、鎌倉の市街地が開けていて、光明寺の上の山などが見渡せます。そこで、頁設定済みで、ノンブルも振ってあるプリントアウトの校正をやっていたところ、突然に背後から、がたんがたんという大変乱暴な音が聞こえました。猫がびっくりします。私はすぐ事情を察知しました。前田夫人が二階の雨戸を昼間の二時なのに、開け閉めしていて、しかも、乱暴極まりない形で開け閉めしていて、猫を脅かしているのだと。
みなさま、ここに、鶴岡八幡宮の大銀杏が倒壊した秘密の、20%が隠されているのです。というのも、私が猫を散歩させなければならなくなったのは、二重、三重に、彼女にも原因があるのに、こんな、無残で意地悪な事をするからです。そして、それほどの、事をやる、彼女の、無謬性(自分が正しいのだと信じる気持ち)は、八幡宮様が、彼女を國學院大學の講師に推薦なさったことに依存をしているでしょう。だから、風が吹けば桶屋が儲かるの伝で、三段論法で、そうなって八幡宮様に懲罰が下るという形になって行くのです。
非常にシンプルに下世話な事を言うと、彼女は猫をかわいがりません。で、ノエミちゃんと言う猫(お嬢様が冬に拾ってきたので、フランス語で、クリスマスという名前がついている)が、より猫好きな石川和子宅に入り浸っても、気にもしないで、迎えにもいかなかったという話です。これは、石川和子さんから聞いていて、『なるほど、それもあって、これほど、和子さんは、他人の猫を楽しむことに関して、ルーズなのだ』と理解した次第です。
ただし、我が家は家族四人が、全部、猫好きですから前田家とはまるで違います。ここで、今、悔やんで言いたいのは、もし、和子さんが「楽しませていただいてありがとうございます」というムードで毎晩持って、かえしに來てくれたらよかったのです。それから、それが彼女にとって最高に楽しいおもちゃなのですから、三ヶ月に一度ぐらいは、菓子折りを持参で、情報交換に来てほしかったですね。特に、・・・・・<<<おいちに、おいちにの安野君に、東京の人間なら、そこを絶対に、国立大学の付属校とは呼ばない学校への入学に、お祝いにと称して、菓子折りを持参しているのを、こちらに見せ付けたのですから、その手の贈答マナーを知っていると、思われ>>>・・・・・それなら、こちらに、菓子折りを持参しないといけません。
しかし、まっはんたいのマナーを誇示したのです。それが、どういう意味を持っているかというと、例のアジサイ畑欺もう事件があります。それが、悪いことである事を、死亡した中谷さんと、前田夫妻、安野夫妻、石川和子・柳沢昇、大原光孝夫妻は、知っています。しかし、内心で、それを知っているからこそ、私にどこかへ引っ越して行ってもらいたいのです。そうしたら、証拠はいくらでも、自由につぶせるし、
どういう人に向かっても、自分たちをいいものに宣伝できるからです。
だから、私がいじめられているのを見たり聞いたりするのは快感なのです。デモね、猫を脅かす。そのときに、きっと前田清子さんの口は裂けていただろうし、目はつりあがっていたと思いますよ。
そして、それをたしなめた、ご主人はまともです。
そして、「奥様が異常、ご主人がまとも」という組み合わせに出遭ったのは、これが二回目です。一回目は、浅野家の令嬢という未婚の女性をスパイに仕立て上げ、彼女の携帯を利用してタイミングよく安野家のベランダから、私の頭に水をぶっ掛けようとした日です。
私は、いつも、天から助けられていますので、その日も直感が働いて、安野家のヴェランダに、わが身が差し掛かる直前で、歩をとめたのです。目の前をザーッと水は流れて行き、私は、水を浴びませんでした。だけど、前田夫人と同じように強いヒステリー性格を持つ、浅野家では、お嬢さんは、「実は失敗したのだ」と白状できなくて、「成功した」と親に告げたらしいのです。それを、この山で、あからさまに、喜んだのが、前田清子夫人と、大原光孝家一家、ほかでした。
そのときも、ご主人、祝一氏は、奥様をたしなめていたのです。
副題174、『前田祝一氏の、真の恐ろしさと、さまざまな後日談』
こういう風に書くと、すぐ、本能にもどり、野獣化してしまう奥様と、理性的なご主人という組み合わせで理想的にも見えます。
ところが困ったことに、このご主人様も、又、食えないところがあるのです。
ただし、安野氏などよりは、はるかに上ですよ。はるかに格上ですし、哲学的、考察も可能な人です。某私大で、長らく教授を務めてきただけの事はあります。
ただし、ことアジサイ畑欺もう事件に関連する部分では、奥様だけが先導しているのではないのです。ご主人も企画にあれこれ、噛んでいる可能性があるなあと、思われる、困った現象が多々あります。それらを、軽いものから、重いものへの順番でいいますと、
1)、私邸の庭(ただし、私道供出の件では違法な土地)での、孫を利用した、お正月の羽根突きで、正当化しようとした事件。
2)、同じく孫を利用した事件。
元はアジサイ畑だったところで、わざと記念撮影をしようとした。そんな他人の私道(=川崎の私有地)で、前田家が、自分の孫の記念写真を撮る必要は微塵もないのに、わざとそんな、いやみな挑発をする。これも、そこを盗んだ事を、盗みではなく正当なものであり、かつ、固定化しようとする試みである。
3)、同じく孫を利用した事件、
じゃんけんをして、勝った人が、ち・よ・こ・れ・ー・と(チョキで勝った場合、ぐ・り・こ(グーで勝った場合)、ぱ・い・な・っ・ぷ・る(パーで勝った場合)と、数えながら、その音節分だけ、先へ進むことができる遊び・・・・・を、わざわざ我が家前の石段で、やった事です。非常に悪意が深いです。それも、上と同じで、自分たちが実質上盗んだ土地を、あたかも、公正な手段で取得した、確定した道路であるかのごとく、見せ付ける手段ですから。
しかも、もし、抗議をするのなら、「孫(=小さい子)をいじめたのだ」と、こちらを悪人扱いをするのが見え見えですからね。
4)、夜、暗くなってからも同じ遊びをする、不自然さ。
そのころ、引き続いて二回ほど、同じ遊びが繰り返されました。
しかも、夜も暗くなってから、そして、今度はおばあちゃんではなくて、普段は、すでに、この山には住んでいない坊ちゃん(お孫さんにとってはお父さん)が主導しました。
子供が自然発生的に、他人のところで、こんな遊びをするはずがないです。しかも、よる暗くなってから。
これが、この前描いた平木さんのキャッチボールというところでも繰り返されました。原型は、ソラヒルズという大マンション群(北久里浜)の立っている土地を、横須賀市から不正取得・・・(地籍変更届を利用して瀬島龍三らが、ただどり)・・・したときに、相手方の一人である益山某という海軍参謀を助けるために、上滝某という、当時はトキワ相互銀行に勤めていた普通の男性が13坪の土地をただでもらえるという約束の見返りに取った手法と同じであり、それゆえに、まったく不自然なものなのです。平木さんは、何を見返りにもらえるのだろう。又、白井さんは何を見返りにもらえるから、異常な音で、私を困惑させたのだろう。
元へ戻れば、上滝某の、その不自然な遊びを、私がすでに、文章に書いていますので、<<<<<実際には、まだ生きているのに自らの意志で、自らを死んだことにして、地下潜行していると思われる>>>>>井上ひさし等が、研究していて、そのポイントをつけば、彼女は神経を煩わされ悲しむだろうと、みなしているのでしょう。つまり、これらの町内会からの攻撃が、瀬島龍三主体の、大きな攻撃であると、思わせれば絶望的になるはずだとみなされています。そんな事はないです。悪人と一緒になっている庶民なんて、あほの塊だから、私はただ、軽蔑するだけですよ。何の影響も受けません。
平木さんという若いご夫婦は、アジサイ畑欺もう事件が起きてから、相当の年月が過ぎてから引っ越して來たので、現場としての騒動をあまり知らないのですが、
それだからこそ、利用をされたのです。
これから藤本夫人の測量という項目で、本当に丁寧に、その一端を語ります。誰が見ても、恐ろしいことが行われたのです。それが、どうして可能だったかを、これからも、諄々と説いていきます。
副題175、『共産党を挙げて、助けてもらっている前田一家』
前田家では、『奥様が、ヒステリーを起こしやすく、野獣化しやすいのだが、それに比べればご主人は、洗練をされている知識人だ。常識もある』と、私は過去の、ブログや、メルマガのエッセイで書いています。
しかし、ご主人も恐ろしいところがあります。上の石段を利用した遊びなど、全山にその声は響き渡るのですから、『それが、心理学的な意味での挑発であり、結果として、こちらをいじめるものであり、アジサイ畑欺もう事件が、その悪辣さが薄まるどころか、ますます、反対に行くものである事は、わかるはずでしょうが、
とめないのです。
それだけでも、ことによっては、奥様と同罪であるのですが、ことによってはご主人が主導して、起こされる挑発もあります。それがペンキ塗りお当番事件です。これは、我が家だけが、コンクリートうちをされていて、花畑が使えない上に、そこ二手すりができていて、それが邪魔なために、がけの草が取れないので、がけが今では、湾曲しているほどです。
すさまじい迷惑の掛けられ方なのですが、その手すりを正当化する目的で行われた非常に悪辣なものが、このペンキ塗りお当番です。ご自分が、私道部分を違法に提供していないのに、それゆえに、起こされたご自分を助けるために、ごく、個人的な発想で出てきたアジサイ畑欺もう事件を、あたかも、正当なものであったかのごとく、町内会のメンバーに思い込まさせる・・・・・非常に悪辣なものなのです。
手すりがあって、そこが、さびてきたから、町内会で、メンバーで分担して、塗りなおしましょうという事ですが、その忌まわしい件をまるで、お祭りの様にやりました。
私は被害の傷口に、さらに、塩を塗りこまれたような思いでしたが、復讐もしないで、じっと我慢をして來たのです。そうしたら、八幡宮様の大銀杏が倒れたでしょう。やはり、神様は存在すると確信をしました。
こんなに、前田夫妻って、あくどいのですが、
さらにいけない事は、まるでお祭り騒ぎみたいにして、このペンキ塗りを行った事です。そのときに、『ああ、このやり方って、共産党のそれだわ。彼ら夫婦は、共産党なのだ。となると、八幡宮様って、神社庁の所属だし、日本国民が、2000万人も、一年間におまいりをすると言われる場所なのに、
・・・・・共産党の人を推薦したり、ご支援したことになる。それで、いいのだろうかなあ?』と思っていたら、案の定でしたね。大銀杏が倒れました。案の定です。
しかも、前田夫人の驕慢は、八幡宮様にご支援いただいているという自信に裏打ちされているところが大いにあるから、余計いけないですね。余計、汚辱を八幡宮様に引っ掛けています。ほら、昔でいう、人糞のこえたごから、肥料を畑にかけている図の、ひしゃくを、山の下のほうへ向けて、引っ掛けたと、ご想像くだされば当たっています。
しかも、あおいエナメルの、防犯何とか立ち寄り所という警察の看板が門前に貼り付けてあります。今の世の中って、「いったいどうなっているの?」と思うばかりです。
ただ、この共産党員だろうという推測ですが、証拠はないのです。が、その後、傍証が出てきました。あまりに何度もひどい事をされるので、怒ってグーグル検索をしたら、前田祝一氏が、集団訴訟の原告になっていたのです。集団訴訟って、みえみえで、共産党が核となっています。
その上、私が、前田さん一家について書くだろうとみなされると鎌倉駅周辺に、原水爆禁止運動の署名活動が、展開します。あれは普通は夏のものだったのに、今は季節はお構いなしです。
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本日も山の下から『何とかに、ハンターい』というデモ行進の音が聞こえたので、『彼女が、今、前田夫妻について、書いている。だから、前田夫妻を援助しないとダメだぞ』と、まだ生きている(と、私は信じています)井上ひさしが考えて、共産党の幹部に、動員を掛けたのかもしれません。それは、無論ユリ夫人を通じて、しかるべき存在への連絡として、有効になるでしょう。それか、前田氏自身が、鎌倉市内や、横浜市内の、党員たちに、動員を掛けられるほど、上の方なのかな?
それが、私を脅迫する効果があるとみなされていて、書くのを抑止するだろうとみなされているみたいです。だが、私はかえって、それを傍証として、前田夫妻の、共産党員説を、強く前面に打ち出します。
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ここで、大切な事は、どうして、共産党を私が嫌うかです。その党は、日本にあたかも自由があり、言論の自由もあるかのごとく、海外のほかの国に思いこませるのが目的だと、私は見ています。実際には上意下達の典型で、創価学会にも似ていて、本当の事を考える自由はないとみなされます。
しかも、日教組に代表される、その党に所属している人材の考え方は、
日本社会を引っ掻き回すだけです。小沢一郎氏とそっくりです。
朝令暮改の典型が小沢一郎氏です。それとそっくりなのですから、結果として、例の国際的軍産共同体の、手下であるということと同じなのです。
だから、共産党と密接に結びついている井上ひさしはマスコミ界から、優遇のきわみなのですよ。今のマスコミほど、広告宣伝の世界はありません。そこに優遇されているという事は、資本主義の権化なのです。
まあ、金銭的な部門では、誰でもお金がほしいのは認めます。が、思想的に欺瞞がいっぱいなのが、困るのです。日本に本当の自由はない事を、本来なら、言えるし、言うべき存在が共産党に絡めとられていて、何もいえないということになっているケースは多いと思われます。
副題176、『警察の<生活安全課>にも、支援される前田家』
実は、生活安全課が、前田家の味方をしたのです。これは、大問題中の大問題なので、後で、詳しく語りなおします。今日は、そういうことまであったのだとだけ、申し上げさせておいてくださいませ。
副題177、『大原家でも、サッシをピシャーッと音高く、開け閉めした』
さて、前田家で、清子夫人ががた方を、雨戸を開け閉めして猫を脅かした後です。今度は大原家で、雨戸ではなくて、サッシの窓を強く開閉して猫を脅かすことが起こりました。
大原家の前は、道路が狭くて、猫を遊ばせる事はできず、ただ、通っただけですが、ひどい音で脅かされました。
このときの方が私の怒りは深かったです。
というのも、大原家のメンバーはヒステリーではありません。
だからこそ、この脅かしが、意図的なものであり、野獣化が、政治的意味を持っているからです。だから、私は激怒して、『せみのおしっこ』というブログを書いているし、それ以来、酒井忠康氏の悪を書く事も、日経新聞の石塚雅彦氏への疑念をあらわにする事をも、躊躇しなくなりました。
本当に怒っているのです。ですから、大原光孝氏こそ、第一のパンドラの箱(鎌倉を中心として行われる、諜略行為)、も、第二の箱(銀座を中心として、行われる美術界での、いじめの行為)も、分析できる人材となります。
しかも、第三の箱(同窓会を中心とした大悪の分析)にもつながって行く存在となります。
副題178、『大原氏のせいで、第二のパンドラの箱があくぞ』
その
理由は、大原さんのお嬢さんが、酒井氏が館長当時の、神奈川県立美術館で、勤務をされていたし、(学芸員ではなくて事故や盗難を予防する監視役としての勤務)、当時、柄沢斉氏が、ここで、個展をしたし、
(それは、日経新聞に支援をされていたし)、
大原氏は、柄沢氏の、木口版画の弟子に当たるし、
酒井忠康氏は、渡辺幸子さんへ、青木繁大賞展で、大賞を与えたし、
彼女は、その賞金を使った(?)、受賞後第一回展を、ガレリアグラフィカで行ったし、
ガレリアグラフィカのオーナー栗田玲子女史は、葉山の住人なのに、夜の10時半に鎌倉駅のトイレに居るし、
トイレの外には、伊藤玄二郎が待っていて、さらに女子と入れないの会話で、私と栗田女史が鉢合わせをした事を知ると、身を翻して逃げて行ったし、
栗田女史は、その夜、私に向かって、『あなたって、怖い人なんで吸ってね』というし、出、じっとその次の言葉を待っていると、「渡辺幸子さんがそういった」というし、(ここらあたりは、にやっと笑ってしまうほどです)、
栗田女史の応接まで、どうしてか、渡辺幸子女史と、酒井忠康氏と、三者三つ巴で鉢合わせをすることとなるし、そういう脅かしにも、私が屈しないと、栗田女史は、展示室兼応接間を、縮小して、応接間を人目から隠すことになるし、・・・・・
2010年の二月に予定されていた私の個展は、どうしてか、4月の5日から10日に延期をされ、そこに、同時期に山本容子の、個展(ガレリアグラフィカ)が、ぶつけられるし、
その会期中に、『あんたが田がいろいろ画策しているのはわかっていますよ』という意味合いを込めて、鎌倉春秋社に、『画廊に、私の個展を見に来てください」といいに行ったら、
井上ひさしが、突然に、死んだこと(2010年4月9日)に、なるし、
瀬木慎一、馬越陽子、針生一郎、柄沢斉が、どういう風に利用をされているかもわかってきてしまうし。・・・・・
副題179、『大原氏のせいで、第三のパンドラの箱をも開けてしまうことになるので、大いに大変だ』
さらに言えば、上の柄沢斉、から、石塚雅彦へ入って行くし、渡辺幸子からも、石塚雅彦へ入って行くし、
で、同窓会関係の、第三のパンドラの箱があいてしまうことになるし・・・・・そこから川名昭宣さんほかを分析しないといけないということになるし、
栗田玲子から、北鎌倉のポラリスへ入って行くし、そこから又、侘助(北鎌倉の文化人愛好の居酒屋)にも入って行くし、そこから、瓜南直子さんへも入って行くし、それで、結局は、第一の箱(鎌倉問題)へ、返ってくることとなるし・・・・・で、多分、10万字費やしても、この章が終わらないこととなるでしょう。
副題179、『最も、ぬえ的な要素の、多い、大原氏』
それを誰と比較するかといえば、この山の問題児と比較しても、大原光孝氏が、最もぬえ的な要素が高くて、複雑です。複雑なのは悪いことではないが、今の彼は、こちらの敵として、動いていますので、分析するのが、こちらがわが反吐が出るという感じになってしまいます。
実は大原さんは、お母さま(80代後半)と、息子さん(60代前半)との間は、養子縁組なのだそうです。
安野家と違って、はた迷惑な行動が少ないので、私は人がそれを教えてくれるまで、知りませんでした。質問をしたわけではないのですが、相手から教えてくれました。
ただ、昔、大原光孝氏から、「私の父は吉原で、医者をしていて」という言葉が出た時に、別の機会に聞いた、「僕たちは、夫婦ともに、高知の出身です」という言葉とは、矛盾するので、『変だな』とは思いましたが、『吉原で開業しているお医者(父上)様の、郷里が高知県なのだろう』と、思いなおし、それ以上は深くを詮索しませんでした。
でもね、今思うと、それが大問題だったのです。養子と養父母がその成長期のどの時点で、養子縁組を結ぶかは大問題なのです。
多分、中学生以下で、東京へもらわれてきたのではないかしら?
または、大人になって? いずれにしろ彼には、ほかの人の中に見えない複雑さがあります。養子は、養父母が虐待するなどのケースでは早めに養子縁組をした方がいいけれど、資産と、名前のある家の跡継ぎとしてもらうのなら、遅い方が絶対にいいですね。思春期を、養い親の元で過ごすと、こちらも十分な反抗ができないで育つので、
人間の深いところの基礎ができないのです。その上、どうしても真実を告げあわないで育ちます。だって、本当の事を言ったら、やしない親なんて、いやだよ。本当の親の元で育ちたいというのが誰者本音でしょう。そこを抑えないと生きていけないのですから、大きな嘘の上に生活が構築されるのです。
それで、きっと、倫理観とか道徳観において、ぬえみたいになってしまうのでしょう。格好はいいのですよ。そして上品です。だが、この山の住人のうち、最も食えないタイプの一人が大原氏です。
彼は、私以外の、存在に対しても、隠された敵意を持っている人です。隠された敵意とは深い軽蔑と、同義語です。彼は、誰の事をも尊重できない人間でしょう。だから、取り扱いが難しい人物です。彼に反省を促す事は特に難しいと思われます。大いに難儀な人物です。
上品なのですよ。虫も殺さない感じです。が、なんとも取っ掛かりがない人です。その人の、恥の感覚にも訴えることができず、ましてや、すべての人に備わっている、しかも深いところにあるであろう、倫理観に訴えることもできません。ですから、分析するのに、非常に面倒な人物です。
で、本日は、彼もまた、戸をピシャーと開け閉めすることに関係があるとだけいっておきます。
副題180、『だから、意味を持ってくる、白井・小野寺夫妻の玄関戸開閉の、異常音』
ここで、やっと、本日の長い文章の四メガやってきます。本日はここで纏め上げます。
つまり、なぜ、お隣の白井・小野寺夫妻の、玄関扉(引き戸)のきつい開閉音、ピシャーっと言う異常音に、噛み付いたかを、明らかにできました。ここで、やっとというわけです。
その音は、歴史のある音だったのです。たぶん相手はそれで、いじめられると思っています。まず、『彼女は、神経をさかなでされる音には、ひどく弱いので、お隣と喧嘩になる。喧嘩をさせると、こちらが有利だ』と思っていたでしょう。そのとおりに、私は罠に引っかかってお隣と、喧嘩をしました。だが、喧嘩は両方が傷つくのですよ。私も大いに傷ついたが、相手の、白井・小野寺夫妻も傷ついたはずです。誰が、そんな音を立てろと、あの夫婦に、命令したり教唆をしたのでしょうか。
また、『彼女は大切なお隣とは、喧嘩をするはずはない。だけど、いろいろな過去を思い出して、項目がたくさんありすぎて、混乱して、モノを書けなくなるはずだ』と、思ったのかもしれません。
『あいつにものを書かれると困るんだ』と思っている連中は多いでしょう。
今日の大原氏の項目で上げた人々は、
ここでは、軽くお名前だけという感じですが、将来、又、適切な時期に、きちんと詳しく分析をさせていただきます。特に2010年4月の私の個展の近辺と、
2011年、5月から6月へ掛けての、鎌倉警察署の生活安全課とのやり取りは白眉です。ただし、それを、明日連続して書くかどうかは、お約束ができません。ただ、天が、正しく、かつ面白く、書かせてくださる日を待つのみです。誤変換を直したら、署名を入れます。