銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

「あなたは、最初から、英語でものを考えているわね」と、今日、外人に言われた。△

2012-05-17 21:22:42 | Weblog
以下の文章、6400字のところで一応終わりとしてパソコンを閉じました。が、書いた後のすっきり感がないのです。変だなと思っています。本日のエピソード自体は、美しいのですが、途中で入れた例の悪人たちに関するエスカレーターの部分の描写が、よくないのです。が、これは、文章を云々するよりも現象がいやな感じなので、どうしようもありません。

 だが、文章の全部を落ち着いたところで終わらせるために、後半という部分をつけて、そして、18日に推敲をさらにしていくことにいたしました。

 いまは、19日の午後三時です。推敲が全部終わりました。エスカレーターの部分を相当にプラスしました。なぜ、井上ひさしが、エージェントだと思うのかとか、言う部分が増えています。完成したしるしに、タイトルの右側に△印を入れておきます。

前半、6400字の部分、
 今日ね、鎌倉駅で、目の前で、電車を取り逃がした外人の女性がいました。結構な年配の白人女性。

 とても残念そうなので、「ちょっと、待ってくれたらいいのにね」と英語で言うと、「ええ、ほら、友達が乗ったので」と、彼女は言います。
 横須賀線は、15両も車両が連なっているので、ドアを閉めた後も、すぐには発車しないのです。

 特に鎌倉駅では、ホームがゆるく曲がっていますし、後ろから、三分の一のところで、OKの合図をしたホームの駅員の指呼を、目視で車掌が確認して、それを内部連絡の声で運転手に伝えて、発車をするわけですから、ほんのちょっとの間、ドアを閉めて止まっているのです。で、彼女のさした方を見ると、確かに、こちらを向いて手を振っている人が見えました。

 私はね。外国で、急に事故(今回のこれも、友達と別れてしまったという意味では、事故のひとつです)に出会うとどんなに不安だろうかと、推察するので、すぐ、助けてあげたいと思いました。
 特に彼女が動き始めたので、
 「それじゃあ、待っている彼女と出会えないでしょう。さっき、彼女が乗ったところのドアのそばにいなくちゃあ」というと、

 「いえ、違うのよ。彼女は、ヨコハーマで降りるし、私は、シナガーワで降りるの。だから、彼女は待ってはいないわ」
 
 「で、もう一回下へ降りて、駅長さんに聞かないといけないから」と言って階段へ向かっています。
 私が「何か、お買い物でもなさるの?」と聞くと、

 「シナガーワに行く電車がどれか、教えてもらわないといけないから」と彼女は言います。後で、わかりましたが、
 彼女は何度も日本には来ているが、(だから、団体旅行風ではないが)、

 湘南新宿ラインが、できて、品川に行くのと、新宿に行くのと、二つできて、そのことは、先に行ってしまった友達から聞いているものの、どれが、どうなっているかは彼女にはわからない模様です。

 それで、「すぐ、電車の横にあるラインの色を見ればいいのよ。オレンジと緑のラインがついていたら、それに乗ってはだめ。ブルーのラインがついている電車にだけ乗りなさい」と、言いました。これは、鎌倉駅と、北鎌倉駅や、逗子駅では使える識別方法です。大船より北側ですと、これほど、簡単に言うことができなくなります。東海道線も同じ色の車両だからです。

 案内板を見ると、次がまさに、小金井行きで、乗ってはいけないものなので、それを説明しながら、「少し、私は待っているわ。一緒に、向こうへ行って、ベンチに座りましょう」と提案しました。

 というのも、私も残念ながら、すでに、70に近くて、疲れやすいのですが、彼女も(外人としても少し背が曲がって)猫背になっているので、すでに、年になっていて、ひと電車遅らせるとすると、ずっと待たないといけないからです。たって待つのは気の毒な感じもある。

 その上、彼女が友達とはぐれてしまった理由からも、ベンチに座らせたいと願いました。それは、彼女たち二人はエレベーターで連絡通路から、ホームへ上がってきたのがわかったからです。
 JRは、とてもけち臭い方針(=はっきり言えば、とても、無残な経営方針)を持っていて、
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(と、ここで、文句を言うのも、新橋駅には、最後の段階では、下りるエスカレーターが、前の方に、一基しかないし、エレベーターはないのですよ。横須賀線は、ごく最近、地下へもぐったのに、エレベーターが設置されていなかったり、地下に下りる最後の段階では、階段を利用させようとするのが、けちそのものだと思うからです。

 本来ならサービス業ですよね。利用者の数から言えば、グリーン車よりも一般庶民の方の売り上げのほうがずっと多いと思います。昼間なんて、一両に、上下買いを合わせて、30人も乗っていないです。だから、普通車の人の方が圧倒的に多くて、売り上げも当然そちらの方が上だから、そちらを大切にしないとならないのに、一般庶民を大切にしないのです。エレベーターを降りると、そこはグリーン車の停車位置です。
 横須賀線には昔海軍があって、一等車というのが当然のごとく設定をされ、その名残が残っているのでしょうか。

 それからね。鎌倉駅では、しょっちゅうエスカレーターが止められています。切符の利用者から考えると、この駅には、この規模に比すと、莫大な収入が上がっているはずなのに、節電をするのです。その必要はありません。おかしなレベルで、けちそのものだからです。洋光台や港南台などでは、同じ日の同じ時間帯に、エスカレーターがスムーズに動いているから、鎌倉駅が特別にけちなのです。おかしな駅です。
 小町通りの工事もちっとも完成には向かわないし、鎌倉って本当におかしい町になりました。井上ひさしが、侵入してきてからですね。

 昔からいる人は、原住民、先住民、新住民、インヴェーダーと、四種類に規定をしているそうですが、井上ひさしなど、その典型的なインヴェーダーでしょう。(苦笑)
 ともかく駅のホームにあった喫茶店がつぶされたのは、井上ひさしの差し金でしょう。
 
 ここで、30%しか、書かないという、普段キープしている原則をかなぐり捨てて、突然に60%まで書き抜きましょう。
 というのも、『敷石を磨く男』と言う私のエッセイから、それが効果を上げるといけないので、小町通りの敷石は引っ剥がされ、瓜南直子さんは、その美しい敷石がちっとも復活しないことを、肯定して、『全日本アスファが連』というのを作り、その極端な遅れと、道路のずたずたにされて、深夜タクシーでとおると、ごっつんごっつん、頭を打ちそうなのをも、笑いのめしていますしね。全部連関があるのです。

 鎌倉駅の喫茶店で、私が井上ひさしと出会って、「私の本の中にあなたのことを書いていますが、差し上げたいのですけれど」とこちらが言っても、彼が無言なので、ぽんと彼の肩をたたきながら「要らないわよね」といったエピソードがあるから、駅の喫茶店をつぶしたのでしょう。それが、彼にしてみれば『生意気だ』となるのでしょうね。だけど、井上ひさしのなしている政治的な意味を考えると、この国と普通の人にどれほどの弊害を与えているかがつぶさにわかるので、私は昔からほとんど、というか、まったく尊敬をしていないのです。対等か、それ以下にみなしているぐらいです。

 特に、悪をなすレベルで言っています。有名人度で、対等だとは、もちろんのこと、思いませんよ。だけど、才能と教養については、対等だと思っています。宣伝効果がありすぎる手合いの一人です。時を経れば忘れられる作家のはずです。今はまだ生きていて、ありとあらゆる策謀を弄して、自分が消え去らないように図っているから、消えないだけです。

 美術館の庭にあるアメリカキササゲについては、私が何度もエッセイを書いています。ので、それも、病気でもなんでもないのに切られました。ジャックと豆の木を思わせる臥龍のごとくうねった大木で、切り株が50掛ける60センチほどの大きさです。これも、私のエッセイの証拠物件だから、消されたのです。

 そして、エスカレーターが止まるのも、一度、真夜中11時ごろに、「港南台の駅では、今日は、動かしているのに、どうして、こちらではとまっているのですか?」と、誰何(スイカ)したら、副駅長は、しどろもどろでしたからね。合理的な理由のない、停止なのです。それらのアイデアは、ほとんど、例の伊藤玄二郎、井上ひさし、成岡庸司の三人の結託から生まれてきている可能性が強い現象です。
 しかし、このエスカレーターやエレベーターを使ったあくどいいじめにもかかわらず、私が元気なのは、人をいじめるそういう悪人と結託をなさっておられるからこそ、鶴岡八幡宮には天からのお叱りが來たでしょう。それを考えるからです。そのみしるしが大銀杏の倒壊です。
 前田清子夫人の際限のない、傲慢さと、それに連動するご近所主婦様の悪業を天がお怒りになったということもあります。そちらが30%ぐらいとすれば、この駅と、こまちどおりを使った悪行の数々を天がお怒りになっているという件も、30%寄与しているでしょう。伊藤玄二郎と知り合い、彼に協力すれば、一巻の終わりです。本当よ。ただ、人たらしの天才らしいので、おっちょこちょいの人は、彼に、引っかかります。

 しかし、このアメリカキササゲが、伐採をされてしまったこと。および、小町通りのめちゃくちゃ、延期されている工事のあり方。
 今は辻堂だって、法務局(または、一国まで)までは、人がほとんど通っていないのに、幅広く、1キロ近く歩道が敷石で舗装をされているのに、
一年で、2千万人が往来するといわれる、鎌倉小町通りで、美しい敷石が消えているのです。
 そして、駅における、エレベーターの停止か、エスカレーターの停止。

 そのアイデアは、ブログに何を書いたかと、その直後に起きる鎌倉市内の警戒警報、放送〔昔は、鎌倉防犯協会名義で、なされたもので、今は、私がこれについて、何度も書いているので、市の名義で放送をされます。その上、行方不明者の探索依頼が多いのですが、以前、私のブログへの恫喝を示す内容の放送があったので、それ以来、井上ひさしと警察が、100%結びついていることがわかったわけです。
 井上ひさしは、クローズアップ現代でも、太宰治の桜桃忌に事寄せて、とんでもない問題のすり替えを行い、警察を擁護しています。それらは、すべて、私のブログと連動をしています。私にとって、最大、最悪の敵です。
 必ず、今も生きているはずです。

 私の文章を深く研究して、「菅総理をいじめると、彼女はいらつくはずだ』と提案したり、それをすぐ見破ってここで書くと、すぐ、海江田さんを先に呼ぶというような、悪辣さの薄めのアイデアを新しく出すのも、彼である可能性は大きいです。
 むろん、ほかの人間が、井上ひさしが、やっているかのごとく装ってやっている可能性もあります。しかし、その方が率が低いと私は考えています。

 それでも、井上ひさしなど、死んだことになっていますから、一切の責任を負いません。口をつぐんで逃げるということわざがありますが、まさに、『死人にくちなし』のことわざを100%生かしています。

 そして、2012年の三月と四月にも、またまた、新刊本が出ました。普通の没故・作家ではありえない現象だと思います。生きていて地下潜行してあれこれ指図して、奥様などに交渉をさせれば、いくらでも可能な話でしょう。そして、全国の図書館に買わせる。となると、部数は出ますよね。
 といって、挿入から元に戻れば
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 エレベーターの前は、グリーン車だから、それを避けようとして、彼女たち外人の年配の女性二人は、斜めに向かって走ったから、一人だけ、ドアの中に入って、一人だけ、取り残されたのです。エレベーターや、エスカレーターを使おうとするのは、それだけ、体力が落ちていることを示し、それは、旅行者なら当然のことなのです。私だって3ヶ月滞在型の旅行(または、研修)をやった後では、普通の旅行はしたくなくなっています。それほど、疲れるものですから、座らせてあげたくて、ベンチまで導こうとしました。

 その移動の理由がはっきりとは飲み込めないみたいなので、「グリーン車のチケットを持っていますか?」と聞くと、「スイーッカ・チケットを持っているから大丈夫。乗れます」と彼女は言います。
 外人のための固有のパスがあるのは知っています。日本のJRを、どこに行くのにも全部、特急券が使える、パスポートもあるらしいので、それかなあと思って、でも、念のために、「見せて」というと、ちょっと不満そうでしたが、お財布から、スイカを出してくれました。何だ、スイカだったのか、外人が発音すると、スイカというカタカナ語(ただし、和製語)も、まったく違って聞こえるなと、それは、ちょっとほほえましくは思いましたが、

 「あ、これじゃあだめなの。グリーン車には乗れない。特別料金が必要なの」といって、さらに前にいざないました。ここらあたりは日本語で、書くととても、きつい言い方をしているみたいです。特に、彼女が解せない風だったので
(・・・・・というのも、グリーン車という、名前では、それが、クラス的に、上の一等車であるということは、認識しにくいですよね。・・・・・今度からは、一等車と、英語で言おう。でないと、今日みたいに、それ以前にグリーン車を使ったことのない人には、理解できないだろうから)
 2,3回それを強調しましたから、相当に失礼だったですよね。

 ところが、英語を使っているときは、私は本質が正しければ、それでよしという傾向が普段よりさらに強まるのです。躊躇しないという傾向が強まります。はっきり言って、外人を、振り回すという感じかな。

 そのとき、ちょうど反対側に、逗子行きの電車が入ってきました。私は思わずに、それをさして、「ほら、車体に、ブルーのラインが入っているでしょう」というと、彼女は思わず、「そうね。わかった。そうね」と納得をしてくれました。
 そんなこんなをしているうちに、やっとベンチに安住できて、ほっとして、「どういう目的で日本に来ているか」とかのやり取りと、どこに停まっているかとか、お話が弾みました。それを書きたいぐらい、よい目的で來ている人でしたが、その人が特定されるといけないので、やめておきます。

 その二人の目の前に、湘南新宿ラインが止まりました。「ほら、オレンジと、緑のラインが入っているでしょう。これに乗ってはだめよ」というと、彼女は、「あなたは、とてもいい先生だ。非常にわかりやすい」といってくれました。
 そして、「どこで英語を習ったの?」と聞かれたので、「カレッジで」と答えました。「あなたは、とても英語が上手だ」とも言ってくれたので、「ええ、たいてい、そういわれる。発音とイントネーションはね。ただ、日本にいると、単語を忘れちゃうのよ。だから、言葉がすぐには出てこない。でもね。ニューヨークへ行っちゃえば、一ヶ月ぐらいたつと、すぐ思い出せるのよ」と答えておきました。
 それが、一種の謙遜ととられたのか、彼女は、「いいえ、いいえ、とても上手だ。特にあなたは英語でものを考えるでしょう。そこが普通の人(多分、英語が上手な、普通の日本人のことをさすのでしょう)とぜんぜん、違う。普通の人はまず、日本語で考える。それを翻訳してから、英語を発言するでしょう。あなたは違う」と、言ってくれました。
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 ここで、恐れ入りますが、挿入として、「日本語の文章を書くときも、英語の発想と英文を書くときの手法に、影響を受けている」と白状をさせてくださいませ。私の文章はともかく、平易です。わかりやすいことを旨としています。それがなぜかというと、英文って、とても平易なのですよ。学術論文だって平易なのです。ヨーロッパに語幹の起源を持つ特別に長い言葉や、その分野固有の学術用語を別にすれば、学術論文と、普通の用途の文章とが、それほど、差異がないのです。

 それから、主語述語を、くっきりと説明をします。そういう流れの中で、日本文も書いているので、一般的な、邦文と比べると饒舌に説明しすぎているということになるようです。余韻がないとか、ためが効いていないとか、いう批判を受けたことがあります。
 ただ、そういう批判を気にしてもいないのです。つまり、『言いたいことがあって、それを伝えて、わかってもらいたい』という動機で、文章を書いていますから、文章家として評価を上げようなどとはまったく思っていないのです。で、挿入から元へ戻ります。
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 それしか話せなかったのですが、とまっているところがホテルではないし、(しかし、個人の家でもない)会議に参加するための来日であって、しかも、初来日でもないと思われます。

 ニューヨークでは、裕福な中流の上の暮らしをしている奥様。しかも、相当にインテリ。そういう人にほめられてややうれしかったです。

 ただ、英語について、自負するレベルで、最高なのは、ニューヨークで大学院の教室などで、自分のパソコンを持ち込んで英文を書いている姿を人に見られるときです。驚かれます。本当に驚かれます。

 入力(今はタイピングというのかな?)が、まず、ものすごく早い私です。しかも、何かを見て移すのではなくて、英文をじかに書き下します。そのスピードが、外人並みというか、アメリカ人のネイティブを超えるぐらいの速さなので、驚かれます。相当に驚かれます。

 外見が、ごくごく普通のアジア人のおばさんでしょう。それに、普段はニューヨークのアーチストのまねをして、スラックス(または、今ではパンツというのかな?)と、ブラウスとセーター(または、カーディガン)だけの人だから、まったく偉そうには見えないわけです。
 名刺も作っていませんし、肩書きもないですからね。
 だけど、英文を書くという点で、ものすごい高い能力を示すので、みんなびっくり仰天をしちゃうのです。うちでこっそりと仕上げてきましたというのではなくて、みんなの見ている目の前で、辞書も使わずに、さーっと、タイピングをしていきます(つまり、書き下していくわけな)ので、驚かれます。

 日本語もそうだけど、英語でも、文章を書くほうが、しゃべるより、なれているというか自信があるかな?(笑)

 うーん、ご近所のつまらない話などにとらわれていたくないですね。本当にそう思う。だけど、だからといって、すぐ、明日にでも、海外へ行きたいとは今は思わないです。お金ができたのに、そうは思いません。

 どうしてかというと、家族のことが大切になってきているから。夫が、行きたいというのなら一緒にいきます。前は一人でいきました。猛然と勉強するためには一人のほうがいいと思っています。だけど、この年では、猛然と勉強するのは、もう無理かなと思いますから、海外へ行っても、そこで、普通の暮らしをするわけです。で、もちろん、夫と一緒に行くつもりですし、猫も連れて行きます。で、ときどき、「ニューヨークで、鍼灸医をしない。きっと受けるわよ。私が通訳をする。そして、私が東洋星占いをする」といっても、「別にー。そんなことは、やってみたくないことだ」
 と、彼が言いますので、仕方がないので、日本にいます。
 
 今は、セシウムなどの放射能汚染もあるでしょう。私の実家の両親みたいな夫婦だったら、とっくに海外に拠点を買っているでしょう。夫婦ともにスケールの大きなことを考えるのが好きだし、常に前向きだったから。そして、父が常に、母が正しければ、母に従ったから。我が家では、主人は絶対に、私には従いませんからね。相談しないで、やりたいことはやってしまうのに、限ります。だけど、そのやりたいことのうちの海外暮らしは、不思議と今は、それほどやりたくないです。

 ところがね。我が家の主人って、身近なこと、普通の暮らしを、丁寧にやるのがすきなんですよ。それに不満を持ったこともあったけれど、まあ、京都・大原のベニシアさんの暮らし(NHKBSプレミアムで、猫の尻尾というタイトルで、その生活が放映中)のことを思えば、味噌を作り、梅酒を作り、ラッキョウをつけ、塩麹もブーム到来以前から使っている主人の、日常生活への丁寧な、取り組みも、いいかなと思っています。ときには、干物や燻製も作ります。

 65までは、今のような、「これでいいのだ」という、諦観と満足の混合した境地までは、到達しえていなかったですね。
 だから迷いもいっぱいだったし、意欲もいっぱいだったし、したがってあせりもいっぱいでした。

 今は、あせらないのです。一生を考えると、英語ひとつとっても、特に英文を書く能力のこと、ひとつをとっても、宝の持ち腐れだったかな。自分を生かしきっていなかったかなと、思うけれど、これが、私の人生であり、仕方がないですね。悔やんでも仕方がない。
 特に私のように、1942年(昭和17年)生まれですと、結婚して、子供を持って、しかもキャリアーウーマンであることなど、相当にきついことだったのです。ちゃんとおやりになったご家庭で、子供に事件が起きたりしていますので、平凡に生きてきて、専業主婦でしかない私も、それで、仕方がないことなのです。

 今日はね。駅でのたった、10分前後の会話を敷衍して、お話をひとつ作り出してしまいました。
 一種の自慢話みたいですが、敵がいて、ストレスいっぱいの日常で、ふっと気の抜けるひと時です。それのご報告として聞いてやってくださいませ。そして、純粋に人を助けようとしてお礼を言われた日の記憶は、私の心を洗うとも言わせてくださいませ。

後半部分、

 人の一生は棺のふたを覆って、初めて定まるといわれています。そういう意味で最近思い出すエピソードは、岡田嘉子の一生と、最近知った、レオナルド藤田の絵で、一躍パリの若手文化人の寵児となった、モデル・キキの最終場面のことです。マリアカラスもそうなのですが、芸能とか芸術の分野で若くして成功を収めた人材が、一生輝くのは無理なようです。
 このポイントに対する考察をしっかりすれば、平凡であることの、よさとか必然性もわかってくるかもしれません。

 とても、とても難しい問題です。そして、一生をひとつの道で、貫いた人って、意外とものを考えていなかったりする。
 こういう部分は、非常に難しいです。書くのも考えるのも難しいです。しかし、自分の人生を肯定するためには、他者から学ぶ必要はあります。
 明日考えましょう。(まるで、風とともに去りぬの最後のせりふですが)
 いま、明日の19日になっています。ここまで推敲をしてまいりましたが、後半部分を丁寧に、推敲する気はおこりません。そんな難しいことは、いまの環境では、考えるのは無理だなあと思っています。恐れ入ります。では。

 では、2012年5月17日~18日にかけて書く
              雨宮舜 (本名、川崎 千恵子)
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