今、8日の18時ですが、ほとんど完成しました。
本日のものは、六回前、5月2日に上げた、『藤本夫人の違法な境界石が、正当化される』の続きです。また、3月16日にアップしているものの、通気でもあります。が、突然に発想が、神奈川県内の土地のことから、横にずれていって、銀座や京橋の美術界のお話へと入っていきます。
副題1、『私を取り巻く、敵陣の、概要』
副題2、『醍醐イサムは、美形です』
副題3、『秋山祐徳太子氏は、一・泡沫候補だけではなかったのだ』
副題4、『北側順一郎氏と、ワシオトシヒコ氏』
副題5、『攻撃を考え出すほうは遊び半分でも、やられるほうは被害を忘れない』
副題6、『ここで、物的証拠をひとつ入れます』
副題7、『湯川有紀子、石塚雅彦夫人、渡辺幸子』
副題8、『やはり、小沢氏は、月曜日に動いたわね』
~~~~~~~~~~~~~~
が、ここで、これまでのあらすじをまとめましょう。
副題1、『私を取り巻く、敵陣の、概要』
1)、私は大学在学時に、ベイカーさんと言う金髪のアメリカ人に、呼び出されます。そのときに彼が「僕は三鷹の警察署長と親しいので」といったので、目を丸くしてしまいます。それで、『失敗した』と思ったらしい彼は、数日後、キャンパス内の暗闇を歩いていた私を、後ろから首を絞めて、殺そうとします。それにも失敗したので、それ以降、ずっと、暗殺しようと、いい加減な理屈をつけて、組織(=CIAと、それに賛同する日本人エージェントたち)を動かし続けている可能性があります。それは、1965年の初秋だったので、それ以降ずっとでしょう。
2)、1980年か、1982年までの間の夏に、北久里浜で、現在ソラヒルズという大・マンション群が、建っている、もと横須賀市の水道山を、地籍変更届というのを利用して、1200坪ただどりをしてしまう経済的な詐欺事件がおきます。その全貌を、自分が境界を共有する地主として、自分側にも被害が及びそうな形で巻き込まれたがゆえに、知ってしまいます。いわゆる<悪の目撃者>と、私が、偶然にも、なってしまったわけです。
当時は中野某という人間しか書類上は表に出ていませんでしたが、
後にこの土地は、伊藤忠何とか、何とか、という四つの子会社に、半分以上が譲り渡され、1980年代から、これが、旧帝国軍の、参謀二人、
益山某(海軍)、瀬島龍三(陸軍)の二人によって、引き起こされている頭脳的な詐欺事件である事を、今では知るのです。
その当時は、彼らに甘く見られていた私が、実際には非常に知的なレベルが高くて、ほぼ対等に、渡り合い、彼らの悪の仕組みを100%程度、見抜いたものですから、あわてた彼らは、益山夫人の車で、私をひき殺そうとします。が、それにも失敗したのです。その失敗を知った益山氏は、急死しました。葬儀屋が普通に談笑しながら、作業を執り行っていたので、自殺ではないと思いますが、それ以降うらまれ続けることとなっています。それで、、それ以降も、私はずっと、命をつけねらわれることとなります。
しかしね、こちらとしては、心外のきわみです。だって、こちらには一切の落ち度はなくて、相手方に・悪・が重なっているだけなのですから。
が、そのやり口は、『ノイローゼにさせて、精神病院送りにしよう』という間接的なもので、ほとんど証拠の残らない、いじめという形で行われます。
それが、三つの方向で、行われます。
*近隣の主婦を利用する形。
*私が現代アートの作家兼、ライターなので、美術界の人間(=画廊のオーナーや画家や、版画家など)を利用する形。
電話の記録(1980年以来すべての電話と、室内には盗聴が仕掛けられていたと考えます)や、そのほかで、見つけた私の知遇の、ありとあらゆる相手にも教唆をかけて、裏切るようにとの、指令が出され、それが実行されます。昨日月曜日には、先週、偶然に名前が出たギャルリー志門のオーナーの態度が、こちらに対する、いじめそのものでした。その女性は普通なら、こういう態度をとりません。
これは、そこで時々お手伝いとして、働いている相馬さん(旧、村松画廊のスタッフさん)について、ちょっと電話内で、出たから、それと関連して何らかの教唆が、ギャルリー志門へ入ったのでしょう。
これも、電話が盗聴をされているという、傍証となります。
副題2、『醍醐イサムは、美形です』
そして、先日来、チラッと、お話をしている醍醐イサム氏についても、10年前から、面識はありますが、それ以降の交流は、一切ないのですから、突然の態度の急変はどこやらからの教唆が入ったのも、当然の話なのです。
その教唆ですが、誰か、間に、X氏(男性)か、Y女史(女性)が入っている可能性はありますが、その前は、秋山祐徳太子氏あたりでしょう。
または、野見山暁司氏か、九州の産業能率大学の関係者か?
「で、その前誰だったか?」という話に入る前に、どうして、醍醐イサムと言う人が選ばれたかを推論しましょう。それですが、常に、その個展を、私が見ているということがあります。銀座以外、新宿にも行っています。それと、彼が美形の方だと言うことがあるでしょう。
ある程度以上に有名で現代アートの世界では数少ない、絵で食べている人材ですが、
奥様連中、または、女性に人気があるらしいことが、今回、彼のホームペイジ等を見ているうちにわかりました。
一方の私ですが、自分の容姿は、さておいて、美しいモノが大好きな人間で、声の良し悪しにもこだわるし、表情の良し悪しにもこだわるし、服装が、整っている(材質や、値段というよりも、色のセンスにおいて、整っていて、調和を満たしていることが大切です)事にもこだわります。
醍醐イサム氏の美形度が、どこにあるかといえば、肌の美しさ(ろうたけたという種類)と、知的な印象のあるところかな? 別に目が大きいわけでもないが、その知的な印象というのが、好感度を高めていると感じます。
私は、毎日いろいろなテーマで、ブログを書いているので、時には文章が甘くなります。だから、「美形好きの川崎さん」といわれたりします。が、決して甘い人間ではありません。戦後の日本で、最も大きな政治力と権力を握っている、瀬島龍三と対等に渡り合っている人間です。
いや、それを瀬島龍三氏を、2メートルの近さで、目視した事はないが、彼の親友である、益山某氏は、私の能力と気概と、胆力に驚嘆して、命を自ら縮めたのですよ。
まあ、美形であるということだけで、選ばれた、醍醐イサム氏が、
どういう見返り条件の下で、そのいじめ用弾丸の役目を果たしたかどうかはわかりませんが、これから先、醍醐イサムという人間が、美術の世界でさらに大きくブレイクするとしても、私は絶対に、偉い人とも天才であるとも、認めません。
彼がどんなに、出世しようとも、非常に軽くて、哲学など何もない、薄っぺらな人間であることを見抜いてしまいましたからね。その上、美術界で、ほかの人より上のポジションにいて値段が高いですって。そんな事は、一切信じませんから。
私は真剣になったら、瀬島龍三と同じ、能力を、持つ男性を、一種の気概だけで、死に追いやることができるのですよ。最近ではさらに、天に見守られていると感じています。伊藤玄二郎と、今日はじめて、丁寧に触れる、木村某氏=世界を股に掛ける大物・ファンドマネージャー・もと電通マンにして、明治政府の元勲の子孫、また、早稲田大学卒業=に動かされている八幡宮様に、さえ『大銀杏が倒れる』という形での、お叱りが下ったことから、見ても、
さらに、人間として、自分が、この30年間に、大きくなっているのを感じます。体力は無論衰えています。ですから、今はすでに、一般社会での知名度を上げるのをあきらめていますが、その分、たまりに、たまったエネルギーを、醍醐イサム一人を分析し、追求することに当てることもできるでしょう。その分を、ご覚悟召されよ。醍醐君・・・・・
副題3、『秋山祐徳太子氏は、一・泡沫候補だけではなかったのだ』
ところで、間に誰かが入ったとしても、その前に、この件を担って動いたのは、秋山祐徳太子氏でしょう。こちらからも、私は、大被害を与えられています。
時に、変死なさったとか、自殺だったといわれる、山口みつ子さん(旧、山口画廊のオーナー)が、私に、秋山祐徳太子さんが<「雨宮舜、なにするものぞ」と画廊でおっしゃっていたわよ>と、教えてくれたことがあります。1995年か6年だったと思う。後で、日付けは調べておきます。
ところで、ここで、挿入ですが、私は、<山口さんは他殺だった>と信じています。
が、ここではそれには詳しくは触れず、秋山さんについて語ります。
『泡沫候補として、大きな選挙には必ず立候補していて、政治を笑いものにしていた人だ』という認識しか、それ以前にはなかった私にとって、その日以来、氏は急速に興味を引く対象となりました。そして、美術畑の人間だと、はじめて知ったのです。私は、人間関係とか、他人のうわさで動く人間ではなくて、作品だけを見て、評価をする人間なので、今まで、秋山氏の作品からは高い感動を与えられなかったと思われます。
後に氏の自叙伝的エッセイ『ブリキの、何とか・・・・』(草思社)を読んで、母との心の交流が深くて、愛されて育った人である事はわかりましたし、ブリキを細工した彫刻を専門とする作家(美術系)でもあり、
実は武蔵野美大出身でもあり、
美術評論もする人であることがわかったのです。
それで、当時、月刊ギャラリーを舞台として、画家の間で、大変に人気が高くなっていた私に対して、「雨宮舜、何するものぞ」という言葉が出てきたものと思われます。私はそのころ、ひしひしと、自分が既存の美術評論家たちに追い詰められて、いろいろ、不利になっていることは、わかっていました。いわゆる嫉妬ですが、多勢に無勢で、なかなか、挽回ができませんでした。
私の文章はわかりやすく、しかも、自分が美術系の作家として、画廊では主に技術について語り合い、文章にするときは、情感たっぷりなエッセイとして、心理学的なエピソードを語るので、読みやすいのです。特に当事者以外の人が読んでも面白いのです。こういう美術評論は今まではありませんでした。
つまり、その作家をえらく見せる美術評論しかなかったのです。変形した広告としての美術評論しかなかったのです。えらく見せるためには、難しい言葉で、飾り立てる必要があって、それなりに、美術館へ売り込む際などには、役に立つわけで、それを、みんな珍重して、裏側からお金をお礼として、払っていたわけですね。ところが、私は美術館にルートもないですし、一切のお礼は取りませんが、真実感動した作品にしか触れませんので、とても、力強い文章が書けます。しかも、「一字、100円いただきます。500字で、五万円お礼にいただきます」と、公言するような、某氏のような事は一切いたしませんので、文章の長さも自由自在に設定できます。
裏からの手が回らなければ、私は月刊ギャラリーでの連載は、五年は、続いたと思われるし、ネットを利用した美術評論も活発に続けたと思います。
私は今は、このブログに専念しておりますが、一応、相手方、特に敵の諸相を全部書き抜けたら、また、安心して美術評論に戻るでしょう。
副題4、『北側順一郎氏と、ワシオトシヒコ氏』
が、秋山祐徳太子氏が、同じように動かした可能性のある北側順一郎氏を、ここで、ついでに思い出さざるを得ません。こちらは醍醐イサム氏とは異なって直接にさまざまな教唆を与えて、秋山氏が動かしたなと思われるますが、その名前を北側順一郎氏と、いいます。その男性について書くだけでも、10万字は超えると思います。
醍醐イサム氏について今、書くのは、北側氏などが、書くのが複雑すぎるから、簡単に書ける醍醐氏を先に置いたというだけです。
ただ、このように筆が運んで行くと、『あれ、開けないといっていた、第二のパンドラの箱が、開いてしまっているぞ。困ったなあ』と、私自身が思います。特に、藤本夫人の測量の件は、まだ終わっていません。
『困ったなあ。続き物としても、全体構造を、失ってしまっているぞ』と思いますが、常に、天が頭におろしてくださる事を書くという私の頭には、本日はこれが降りてきているのです。
北側順一郎氏は、その作品を平塚画廊というところの個展で見て、一種のほめ言葉に当たる文章を書いたことが機縁となって、面識ができた人ですが、
ギャラリーモテキのオーナーでもあり、別業として、建築家でもあり、恵比寿の自宅をマンションに改造した?(その区画が、賃貸なら、不動産収入は莫大であろう)ので、大変、力が強い人です。が、私はそれだから、ビビっていて、書かないというわけではなくて、ともかく、北側氏について書くと、字数が、膨大になって一回には収まらないので、今のところ書かなかっただけの話です。
が、銀座井上画廊のロビーを舞台にして行われた、ワシオトシヒコ氏のいじめほど、はげしくもドラマチックなものはなくて、これは、一応丁寧に書かないといけないのですが、
それを見ていた井上画廊のオーナーから、ワシオトシヒコ氏に、ご注意が、入ったらしくて、二ヵ月後ぐらいに、ワシオ氏宅に私が電話をかけてみたところ、一種の平身低頭と言う形で、
「自分は何も言ないし、やっていない」ということでした。一応表立って、そういわれてしまうと、しかも、礼儀正しく楽しそうに明るくいわれてしまうと、書き方が面倒になります。ので、ほうって置いてありますが、
このワシオ氏に限らず、瀬木慎一氏、針生一郎氏、等々の美術評論家の態度の豹変は、誰かが間に立って、悪い風評を入れたとしか考えられないわけです。
秋山祐徳太子氏と、北側順一郎氏のコンビは、その悪い風評を流す役を、ご自分がしていたか、または、それに、肩入れしてくれる、だれか別の人に分担を、頼んでいた可能性は高いのです。後、ほかに、4,5人、この手のうわさを流布する可能性のある人間がいますが、
開き直っている私、しかも、「なめんでおくんぜよ」と、覚悟を決めた私は誰の事をも恐れていません。し、瀬島龍三の親友が、心臓麻痺か何かで、急死するほどの、力を持っている・・・・・その力の全力で、事実を解明しようとしますので、覚悟しないさいね。醍醐イサム君よ。あなたが軽くも軽く、私をいじめた事は、相手方にとっても、攻撃用の弾丸と化したという事ですが、裏を返せば、こちらにとっても、最上の弾丸と化したということなのですよ。ボールは打ち込まれれば、必ず、打ち返すものです。
軽い軽い、あなたは、これから、どんなに美辞麗句を、ご自分のホーム頁で展開しようとも、私には、その本質が見えてしまっていますからね。無理、無理です。
特に、いったんは収まっていて、今まで書いていなかったワシオトシヒコ氏の、詩人ともあるまじき動物的ないじめについて、これから書く可能性が出てきましたが、それは、あなたの軽はずみな態度ゆえですよ。
ともかく、いままで、ワシオトシヒコさんについて、そのひどい行動を黙っていたのは、ひとえに、画家でもある井上秀子さんを大切に思うからです。が、醍醐さん、あなたは、こちらをも、裏切ることになるのですよ。よろしいですか? ボールは常に打ち返されるのです。
そのきれいな顔で、ナンにも、因果関係のない相手をいじめる。結構ですよ。そういうことをなさっても。でも、覚悟をしておいてください。大きな政治的な事件と絡めて、あなたが、国際的軍産共同体の手先として、第七位ぐらいのパペット(操り人形)として利用された話を、書くでしょう。大勢の関係者を含めてね。私にとっては、あなた一人が問題なのではないです。銀座を中心にして、美術界全体を巻き込んでいる悪を、解明することが必要なのですから。
副題5、『攻撃を考え出すほうは遊び半分でも、やられるほうは被害を忘れない』
ところで、ワシオトシヒコ氏のひどい行動、針生氏の裏切り、瀬木慎一氏のひどい手紙・・・・・これらのアイデアを考え出した人間は時とともにそれが、過ぎ去ったことであって、新しい攻撃用アイデアをつむぎだすのです。
しかし、こちらはたまったものではありません。その被害はすべて蓄積していて、決して忘れる事はありません。そして、西隣の白井・小野寺夫妻までも、この攻撃に使われてしまっては、とうとう、堪忍袋の緒が切れますね。
氏かも、白井・小野寺さんは、四年間もお隣なのに、こちらは我慢に我慢を重ねていますから、ここでは、「とうとう、平静な季節は終わりです」となります。
ところで、美術界へ突然に話が移行をしてしまいました。
鎌倉については、まだ、20%も書いていないのですよ。だけど、これもまた、神様の配慮であって、読者の皆様が、『もう飽きたよ』と内心で思っていらっしゃる事を、神さまが、教えてくださったといってもよいでしょう。
ところで、この何にも因果関係のない醍醐イサムという人間を弾丸として使おうというアイデアを誰が出したか知りませんが、その人間は、非常に、面白がりの精神を持っている人間です。人の生活を壊したりすることには一切配慮をしておりません。
今回は、秋山祐徳太子辺りが、原初のアイデアだったかもしれません。秋山氏が、私を憎むのは、赤瀬川原平氏よりの受け売りでしょう。
赤瀬川氏が、私を悪ものだと信じたのは、
村松友視氏からの受け売りです。ここらあたりは坂本龍一氏にまでつながって行く大きな流れを呼び寄せる話ですが、
どんな、悪い教唆を受けても、しっかりした人間だったらそれを伝えません。それを伝えて実行にもって行くのは、軽い、人間で、不道徳な人間です。秋山祐徳太子氏は、お母さんとの間柄は、人間性に満ちていて素敵です。
が、あの泡沫候補としての演説ほど、ひとを食っていて、政治を遊びと、化したものはありません。それで、日本人は世界で、有数の高い生活費(交通費はアメリカの10倍、食料品は二倍の値段の高さです。電気代を比べた事はありませんが・・・・・常に借家に住んだので、それは、大家さんが払ってくれたのです・・・・・きっと高いはずです)を払って、働けど、働けど、余裕がないということになります。特に若い人の生活が破壊されます。
それを、諄々と用意していったのが、秋山祐徳太子氏です。ですから、吉本隆明氏と同じく、また、北野武監督と同じく、日本人をまじめさから、引き剥がしたという功績があって、例の国際的軍産共同体に、愛でられている存在です。が、
私をいじめる事はジョークではすみませんよ。あなたのところで、ストップをさせなかった事は、冗談ではすまないのです。
それは、はっきりといっておきます。今回の醍醐氏については、もしかしたら、あなたは、無関係なのかもしれません。
が、ギャラリー山口における、私への『足のひっぱり』は、あなたが関係しています。ここでは若い作家に関係しているので、彼女を助けたくて、あえて詳細を省きますが、ことが紛糾すれば、それも持ち出します。
私の方にはいろいろ、証拠みたいなものも残っていますので。・・・・・・この件は、拭いきれない記憶になっていますし。ともかく、あなたも赤瀬川原平さんも、こういう裏工作をするから、現代日本で、ちやほやされていて、新聞記事を作ってもらい、テレビにも、露出が多いというわけです。だから、本が売れる。で、お金がさらに儲かるとというわけで、それが、高尚な行為というわけでもない。
ごめんなさい。相当に、はっきり言って。だけど、それは、真実です。今からそれを、裏付けていきましょう。
だから、私は二人を、尊敬など、決していたしません。はっきりいろいろ、これからも、気がついたポイントでは書いて行くでしょう。
ところで、私は、今のところごく普通の人間です。美術界においてランクが高くないでしょう。が、「なめんでおくんぜよ」です。瀬島龍三の親友が急死するほどの強さのある人間なのですよ。
私は家来も社員もいないたった一人の人間です。そして、人間だから、食事もとらないといけないし、生きて行くための義務もやらないといけません。とても、力弱い存在です。が、思念の強さというものは強いでしょう。そして、それは、時には、岩をも貫くのです。誰かの教唆によって、何の真実の裏づけもない事をやっている醍醐イサム氏ごとき存在と、比較して、しっかりした裏づけのある事実を知っている人間が、書く文章とは重みが違うでしょう。それを、きちんと天の神様はごらんになっています。
醍醐イサム氏のホーム頁の文章なんて、薄っぺらい薄っぺらいモノです。だが、ここで、こう書くと、これからは、覆面ライター(井上ひさしか、酒井忠康氏か、はたまた、ワシオトシヒコ氏か、それとも、まったく新しくリクルートをされる新人美術評論家かはわかりません)が、これから、醍醐氏の文章については、サポートしてあげる可能性はありますね (笑)でも、更新の頻度などは、私には比較もできないでしょう。覆面ライターといったって、みんな賃仕事だから、お金を払ってもらえないと動かないはずですから。
そして、大本のアイデアマンは、やっちゃれ、やっちゃれ主義だから、すぐ忘れる可能性がありますしね。また、そのような悪魔のお助けを得て、ご自分を飾っても、いずれ、化けの皮がはがれますよ。すでにいっぱいはがれていますが。・・・・・私の目には大きくあなた(=醍醐イサム)の本質が見えていますけれどね。
副題6、『ここで、物的証拠をひとつ入れます』
写真を見てください。そこに大きな切り株があります。それは、直径が30センチで、高さは、6メートルぐらいはありました。枝もしっかりと張っていました。
隣に、一般的な大きさのアラビア糊が置いてありますので、この木がどれほど、大きかったかを証明できると思います。これは、藤本夫人の私道部分に植えられていた大木でした。もともとの山に自生していたものを残したのかもしれません。
が、こういう大木が私道部分に何本も生えていて、しかも、それを含めて私道部分の彼女の塀から2メートルのところに、私(=彼女)設立の塀をつくりますといわれると、残りの道幅は一メートル前後しかなくて、誰も通れないのはお分かりになりますか。
それで、犠牲になったのですよ。我が家だけが。藤本夫人のそれほど、異常な主張は、この山のタコ部屋的、小さな社会で、わがままいっぱい振舞った主婦たちのいじめにありました。私に原因があったわけではありません。それで、20年間も、この山のすべての人は、私道部分に植物を植えて楽しんでいるのに私だけ、コンクリートうちをされています。しかも崖の草や、潅木を取れないので、がけが湾曲するほどの被害を受けています。
さらに、あくどい事は、この藤本家の私道部分に在る樹木類を伐裁したのです。それが、第五波の証拠隠滅です。今日はそれについては、詳細を書くのを止めておきますが、醍醐イサムという人間は、それほどの、経済的な損失を与えた人間たちを支援し、悪を、さらに上塗りするのに、役立った人間なのです。
何が美形ですか? 何が、美術界で、自分の方が上ですか? あなたは、こういう犯罪者に加担をしているのです。彼らは、一種の証拠つぶしをしていて、法律的には、すでに、罪を免れる形を取っています。それは、京急北久里浜の東の岡の上に建っていて、総額を、120億円を超えたであろう、ソラヒルズという大マンション群の、所有権移転とそっくりです。
何の瑕疵もない形で<一戸ずつ>を買った人々は安心していると思います。しかし私はそこが、旧来は、横須賀市の水道山で、あり、瀬島龍三と、益山某氏が、ただどりをした事を知っているのです。それを、当時看過したであろう、土木課勤務の杉本氏は、極端な出世をしました。宮大工が建築したような広壮な和風住宅に住み、吏員では最高の地位である、副市長にまで上り詰めました。
そして、従来は、助役という言葉で言われていた、副市長を、副市長と呼び名を変えたのも、・・・・・アイデアは、誰かは知りませんが、・・・・・この件が作用しています。
瀬島龍三、および、彼に協力するエージェントたちは、言葉を変える事をしょっちゅうやります。それは、文化の継承を遮断する仕組みです。
そこに、この国が、被・植民地国家であることの傍証をも見るのです。
そして、現実には立っている大マンション、四棟が、グーグルの地図に現れないというのも、おかしいです。そして、駅からエレベーターが通じているのに、そのエレベーターは会員制で、特に最初の二ヶ月は、近隣住民に無料で使わせたそうです。それも、媚びにこびている。もし、私がその会員券を買えなかったら、(私はいまだに、そこに、自分の旧宅を持っていますが)それこそ、私の言っていることが真実です。今度買いに行きます。買えなかったらご報告をいたします。が、ここにこう書いたので、必ず買えるでしょうね。(笑)
そういう悪の最先端のお先っパシリとして、醍醐イサム氏と、秋山祐徳太子氏は、使われた可能性があるのです。それでどうして、哲学など語れましょう。どうして、ひとの心を打つ作品が作れるでしょうか? あきれ果てる軽さと、心の汚さです。風評被害に動かされる人間の浅はかさです。皆様は映像として秋山祐徳太子氏を、すでにごらんになっているでしょうから、それを思い出してください。都知事選には、泡沫候補として、必ず立候補。時には北海道知事にさえ、立候補。笑っちゃうほどの、コメディアンです。
伊藤玄二郎をはじめとする、この件の関係者は、このように、第五波、第六波と、証拠隠滅を果たして『これで、大丈夫だ。私たちは、安全だ』と思っているでしょうが、とんでもないです。心を澄まして、丁寧に考えれば、恐ろしい悪の重積が見えてきます。悪人たちは、自分に責任が追及されないように、されないように計らいます。
美術界の人間を使えば、鎌倉や、横須賀の土地とは、まったく無関係に見えるでしょう。しかし、さにあらずです。それだけ、悪の構造が深いことが、私には見えるからです。
副題7、『湯川有紀子、石塚雅彦夫人、渡辺幸子』
さて、秋山祐徳太子氏は、赤瀬川原平氏と、カメラ、のライカの愛好家として同盟を結んでいます。私がほとんど、交流がない秋山氏にいじめられるのは、赤瀬川原平さんからの情報だと考えられます。
その情報は、赤瀬川さんを通じて、日笠雅水さんに伝わり、そこから坂本龍一さんに伝わっているでしょう。そこから、フェイスブックのラインで、小沼純一氏、山本冬彦氏、おりひめまきさん、等が使役をされる様になり、必ず、私と同じタイミングで、大量のリンク記事(それは、大体が書くのが楽であるので、10本ぐらいすぐできるし、できないのなら、事前に、準備していて、私が投稿を始めるころにぶつけてくるという形)武田歩さん(こちらは、私の紹介で、友達を作ったのだが、その承認が、一挙に50人以上現れて、同じく、私の情報を、隠蔽した作業等がどの様に、行われ、使役をされていたかもわかってきています。
さらにあくどいのは、永田恵理さんや、梅森伸一さん、等ですが、それらの影に、大学同期生のKK君、および石塚雅彦氏、
および、成岡庸司君、および、木村某ファンドマネージャー、などの姿も垣間見えます。というか、絡んでいるはずです。誰が使者に立ったかは別として、小沼純一さんと、山本冬彦さんは、フェイスブックの世界で、相当に、自覚的に、私の投稿を邪魔した可能性はあります。私が投稿をしようとしているときには、右の隅に私を象徴するアイコンが出ますので、そのときに、二人と、おりひめさん、それから、後二人程度、同時刻に投稿をされるのです。それが、重なるので、
私の投稿は一瞬にして見えなくなるという形で、弾圧をされました。これは、ここでかいても、その当該の人たちは「別に、あなたの事は、気にしていません。気がついていませんでした」といわれるでしょう。
だけど、いつかは、この部分も丁寧に分析する事はできるはずです。
また、とても重要な事は、村松友視氏が、『鎌倉春秋』というタウン誌に連載を持ったことで、以前からうっすらと感じていた湯川有紀子さんの中央公論社内での、極端な出世が、瀬島龍三のご支援のもとにあった事も、ここから類推されて來ます。
むろん、神戸女学院、→国際基督教大学、→中央公論社の湯川有紀子さんは、優秀な方です。また、非常にきれいな方です。そして、その名前からも類推できるように、日本人を欣喜雀躍をさせた、戦後初のノーベル賞受賞者、湯川秀樹氏のご一族(?)と結婚と、名門街道をひた走っている方です。
が、その方は、石塚雅彦夫人と大学では同期で、同時に、青木繁大賞展で、大賞を取った渡辺幸子さんとも同期です。
渡辺幸子さんは、私とガレリアグラフィカで、同席するように、例のごとく、タイミングを計っていて、現れました。単純な心の、敵たちから、視ると、『こういう風に、彼女の敵を、その目の前に現せさせれば、それで、嫌がらせができて、結果、彼女を、悩ませ得て、それで、弾圧できて、書くことができなくなるはずだ』と思うようです。
ところで、本音を言うと、そんなことでは、ぜんぜん弾圧などされませんよ。それより、てぐすね引いて、新しい真実を手に入れるだけです。石塚雅彦氏と、KK君の新しい真実を、手に入れたと、喜んでいて、その詳細を書く機会が来るのを、待っているだけです。
渡辺幸子さんは、同時に鎌倉美術家協会にも絵を出品しています。
まあ、そこからわかる事もいろいろありますが、
今日は詳細は述べません。ところで、国際的軍産共同体の暗黒組織といっても、アイデアを提供したりまた、そちらに、べったりと協力をする人間は、それほど、多くはないでしょう。
となると、秋山祐徳太子氏は、その深度において、この日本をダメにする、100人、もしくは50人に一人の人材といってよいでしょう。
そして、醍醐イサム氏は、この日本をダメにする、500分の1を担っています。むしろ、私を弾圧したということで、二百五十分の一、または、百分の一ぐらいに出世したかもしれません。
そして、こういうことをすべて企画している人材として、木村某、ファンドマネージャーを<<<仮定としてだけでも>>>>、今日、上げておきたいと思います。氏は早稲田大学の出身ですし。
副題8、『やはり、小沢氏は、月曜日に動いたわね』
昨日のニュースウォッチを、録画しておいて、本日火曜日の午後、4時に見ました。輿石氏が、一任をされて小沢一郎氏の復権が図られた模様です。
小沢氏は、必ず、月曜日と木曜日に動きます。今回は輿石氏だけが動いたけれど、小沢復権の主役は小沢氏です。
どうしてこうなったかというと、小沢一郎氏と、私はもっとも、対峙している存在で、したがって、私が銀座の画廊めぐりをする、月曜日と木曜日に、必ず大きな動きがあるのです。批判のブログを書けないとみなされています。
昨日月曜日は、午前10時半から外出をして、夜九時ごろ帰宅しました。母の容態が悪かったころと同じく、11時間も外へいたのです。無論、小沢氏復活の可能性も知っていましたが、そこも、わかっていて、直接の対峙を避けています。
より深い分析を行うことを目的として生きています。
つまり、本日のメインのテーマと主張は、実は醍醐イサム氏に在るのではなくて、木村某、大・ファンドマネージャーの存在を、これに絡めて書いた事です。
小沢一郎氏が、庶民に顔を見せる存在だとすれば、影で、弾圧のアイデアを練っている同世代の、成岡庸司君とか、井上ひさしとか、伊藤玄二郎の方が、実質的には上であるのにも似て、
庶民に顔を見せて活動する表に出てきた存在が、成田豊・もと、電通社長にして顧問だとすれば、裏に回って、もっと強い存在として、日本のあれこれを、国際関係と同時進行的に、牽引する役目が、こちらの存在かもしれないのです。
ここで、牽引するという言葉は、よい方向を指してはいません。木村氏は、日本の普通の庶民のためになるようなアイデアを出す人間ではないのです。
どうしてか、骨の髄からの国際派です。いわゆるフリーメーソンだと思うし。今までは、大物だから、私を恫喝する事はあっても、いじめるためのアイデアを練るとは思ってもいなかったのですが、最近の攻撃の総合性を考えると、木村氏がアイデアマンである可能性も出てきました。
特に鎌倉を利用するアイデアですね。それと、銀行を利用するアイデアです。股、警察を利用する攻撃を考んがえだすアイデアです。
でも、この人は、恥の感覚もないだろうし、貴種やカーストのことでも、絶対に引け目がないので、面倒というか、反省してもらえる可能性のない人です。厄介な事を、私は、ここで書いているともいえます。
だが、結構、この推察が当たっていたりして。そして、後で、小沢氏の動向も調べます。もし、復権していたら、かえって、月曜日に長時間、パソコンを開かなかった、私が、相当な、大物(?。または、笑)であることを示しています。
本日はここで、終わりとさせてくださいませ。副題7に含まれる人名は、一切が、ここでは、メモ代わりであり、後日丁寧に、委細を語ります。ただ、私の政治分析が、単純な資料、新聞とテレビしか使っていないのに、
深いのは
このように、ご近所様、美術界の人間(今日は特に醍醐イサムという人間を上げておくが)同窓会関係のいじめにより、裏打ちされていると、発言をさせてくださいませ。
2012年5月8日、 雨宮舜 (本名、川崎 千恵子)