まず、今日の写真の説明をさせてくださいませ。暗いですが、これは、雨が降っているからです。本日は早朝に大騒ぎが、あったのです。それは、幅も高さも、1.5メートルを越す大石が、落下して、道をふさいだのです。
写真は、それを取り除いた後のもので、右に二つの小石(しかし、一般的な尺度から言えば、大石)が見えますね。
この石は朝の五時半ごろ主人が見つけて、鎌倉市に電話をかけて、市が、朝の7時までに撤去してくれた後なのです。午前7時半の写真です。あとで、人が映っておらず、画面がもっと明るいものと変更します。
私は、朝の六時半には起きていたのですが、ちょっと寝床で、モノを考えていました。ちょうど、服を着替えたときに、消防署の人が撤去しましたと、知らせてくれたのです。で、さらに、その30分後に撮った写真ですが、右側に、二つの石は残っています。
早寝、早起き方の主人は今朝大活躍をしたというわけです。私も最近で葉、できるだけ、普通の人のスケデュールへ、又10年前と同じく、時間をあわせるようにしていますので、消防署が、お知らせを下さったときには、起きていて、朝食をとった後で、写真を撮影しに行ったのです。
ブログを持ってはいるものの、あまり熱心に更新したり手入れをしていない主人には、この珍しい写真を撮っておくという発想はなかったみたいで、道をふさいでいる大石の実情は残念ながら、皆様には、お見せできません。
主人と二人で、いろいろこの件について話し合いました。まず、「非常に処理が早いね」ということと、「でも、小さいほうの石をどうしておいて行ったのだろう」ということの二つ。
それについて、私は何も言いませんでしたが、心の中で推察するところはありました。
さて、この文章は大きな流れの中の一環として書きますので、章の番号を振りたいと思います。
副題187、『自然現象だが、自己宣伝に役立つと、敵は見るのかな?』
私は、常に、神様に助けられていると申し上げております。
それを今から語りましょう。
この文章は、下に時間が出ておりますように、2012年の5月3日の10時12分47秒に上げております。そして、そのときに、写真を公開したのですが、と、同時にこのパソコン(XP)が、ハッキングを受けているときに固有の音が、シャーっとなり始めました。
で、その意味を考えたのです。『あ、そうか、敵はこの写真を公開してほしくないのだ。ともかく、こういう自然現象であっても、私の文章が、力を持つ事は避けたいのだ。絶対に避けたいのだ。
出、朝早く、大石の方は取り除いたのだ。なるほど、私は見ていない。が、主人とこの山の副会長はその実際を見ているはずだ。あたりを払う大石で、すぐニュースになってもいいものだ。NHKニュースが、長谷の方で、落石があったと、きちんとニュースにしていたが、それに比べてもはるかに大事である。映像を取りに来てしかるべきだ。だが、映像を撮りにくるはずがない。
というのも、私の地元の道が取材をされたら、私は当然に、ブログへ書くだろう。そうすると、又、当然のごとく、人々の興味を引く。
現在、物語は、あまりにもディープなところへ入っており、かつ、一般社会にはまだ、有名ではない人の、固有名詞が続々と出てくる。結構、読みにくくなっている。それが、一気に挽回してしまう。で、すぐ、その多い死を撤去しないといけない』と、例の敵が考えたとしても、それはありえる発想です。
今、私はご近所住まいの市井の人を話題にしていますが、その後ろには例の敵が隠れていて、彼らの行動はすべて、それらによって采配を受けているからです。
その敵は、我が家の電話を常に盗聴していますから、早朝に、それが、主人の声であっても、彼らなりに、適切な(笑)判断を下し、すぐさま撤去せよとなったのでしょう。
しかし、本日はゴールデンウィークさなかです。鎌倉市の職員も、消防署は、ともかく、これらの落石処理班が、人手が、足りなかった可能性はあります。で、最初の大石ですが、それを、大きな板でも利用して、軽トラック(それしか、侵入できない細い道である)の荷台に、上げたとしても、重くて上がらなかった可能性はあります。
すると、二枚目の写真、(この上に別記事としておいてある)のように、つるはしで割って処理をしたと推察もされます。もし職員が、消防の応援を入れても、四人しか来ていなかったら、みんなが、「疲れちゃったなあ。後は明日やろうね」となっても不思議はないです。
で、私たち夫婦が、早朝に不思議がった、どうして、三つの中型の石は残していったのだろうねと、言う質問への、答えがここで出たことになります。
それで、敵様たちは、もう安心だと思ったのに、私が、小さい石の写真を使って、ブログを描き始めました。すると、それでも、人々の興味を引くと、敵方は考えたのでしょう。それで、大急ぎで、市役所を動かして、残った石を撤去する様に命令したのだと思われます。それが、上の写真です。
しかし、神様がいらっしゃり、私に常に緒見方をしてくださるというのは、どうしてか直感が働いて、新しい写真を撮りに行って、上の写真が手に入ったというわけです。
この二枚の写真の間には、ほぼ、5時間の差があります。その時間差から考えても、私が、ここに、書いた事は、十分に真実味が出てきます。そこまで、敵が、気にしてくれている事は、今書いていることがどれほど、重要で、真実であるかを明かしています。
このように、ありとあらゆる手段を通じて、私がブレイクしないように、ブレイクしないように、計られているわけです。一方で、都合がよい人、たとえば、山本容子さんなど、NHKを上げて支援をしてくれるというわけで、どんどん有名になります。私は別に彼女をライバル視など、していないのですが、
2010年3月の個展の予定が、後ろへずらされて、そのときに同時に、山本容子さんの個展が開かれ、
普段なら着てくれるはずの、画廊のオーナーが軒並みいらっしゃらなかったし、その裏側に、あなたたちの悪巧みがある事を知っていますよと、言う、サインのひとつとして、鎌倉春秋社に、「個展を見に来てくださいね」と、言う連絡を入れたら、突然に、次の日の夜に、井上ひさしが、死んだことになったのです。どこの墓地に埋葬されたかも、発表をされていませんし、私は、死、そのものが偽装だと、いまだに思っていますが。
鎌倉春秋社社長の、伊藤玄二郎氏は、山本容子さんが、そのときに個展をした、ガレリアグラフィカの、栗田玲子さんとは、夜の10時半に、一緒に鎌倉の夜の街へ出て行くほどに、親しいのですよ。
無論、色事のためではなくて、こういう件の打ち合わせのためでしょうが、
葉山在住の奥様である栗田さんを、夜の10時半に、鎌倉に途中下車させるのは、非常におかしいというか、礼儀知らず、礼儀失脚の話です。
が、それほど、彼はあせって、栗田さんを説得したかったのでしょう。
栗田玲子、山本容子、酒井忠康、渡辺幸子、大原光孝、等の人材も、それについて詳しい事を書かれては、伊藤玄二郎は、辛いと、思わざるを得ない人材だと思いますが、今、私がブログで書いているご近所様の面々も、それについて描かれたら大変だという人材だとも思います。鎌倉の住人ですからね。あっちこっちで、つながっていますし。
では、2012年5月3日 雨宮舜 (本名 川崎 千恵子)