銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

政治評論・「社会の窓が開いていますよ」・・・#1 (なぜ、反日デモが、ピタッとおさまったのか?)

2012-09-20 02:13:41 | Weblog
 今、午後の五時です。少し、休ませてくださいませ。午後、8時まで再開をしません。慎重に書かないといけないことなので。で、何度も二万字を超えそうになっていて、一部の章を移動しております。現在推敲中の最先端は、*****罫線で示します。

 ええと、皆様は、誤解をなさっておられますよ。特に普段の読者様は。・・・・・
 この一文を、個人的な復讐の文章と、おとりになっておられる可能性があります。または、単なる美術の世界の噂話だと。だが、違うのです。これは、すこぶるつきの政治評論です。非常に壮大な世界を描いている政治評論なのです。ただし、今日の部分は、一部ですが。

副題0、『中国の反日デモはなぜ、収まったのか?』

 だって、見てごらんなさい。これを、さらしたのが、水曜日です。その後、ピタッと反日デモのニュースが静まっています。だから、この文章が重要なのです。中国のデモは、鎌倉エージェントたちの失敗を、国際的軍産共同体が、糊塗してやろうと思って、作り出した諜略行為です。むろん動いているのは中国人です。だが、そういう方向へ指導・誘致した人物は、教唆を受けています。

 焼打ちに遭った企業様はお気の毒です。が、これも方向転換するには、いい機会です。
中国に企業が進出しているのは、安い労働力を求めてですが、それと同時に技術を盗まれていることもあるのです。そして、日本国内を空洞化しています。だから、ここで、日本へ企業が帰ってくるのは、その方がいいのです。ユニクロの社長さんが最近批判をされ始めていますが、私に言わせると、この一年間の彼の発言は、ひどかったです。考え方が金儲けだけなのです。ああいう人物に追随しては、損をすることもあるという例が、イオンの焼き討ちなどです。お気の毒ですが、引き揚げればいいのです。
 もし、今週末(=というのは明日ですが)、また、反日デモが復活すれば、その際は、この文章を大きく拡散してください。この文章が正しいことが証明をされます。そうしたら、鎌倉エージェントたちも、少しは、静かになるでしょう。あまりにいろいろやりすぎています。

 オスプレイも、いったんあげたこぶしを下ろせないので、本日から、訓練飛行が始まるそうですが、危険、危険と大宣伝した傾向は収まっています。

 では、本日は、三回目の推敲へ入ります。その最先端は、*****罫線で示します。

 本日の文章も、実はそれに似ていて、書く方にとっては、最高難易度に満ちた、エピソードの一つです。鎌倉在住の人ばかり登場しますしね。だけど、私は美術界を捨てて、負けた形をとっているからこそ、書くことのできるエピソードの一つです。
 新制作協会の重鎮を、先生と呼ばず、さん付けで、書くことができる自由さが、自分の方にあります。ここに登場する田沢茂さん、や、桜井陽子さんは、公募団体展の、最高峰、新制作協会の、会員です。相手にしてみれば、「なんで、川崎千恵子に、自分がとりあげられるの?」という気持ちでしょう。
 だけど、渡辺幸子さんが関与している部分の政治を書くためには、対照例として、桜井さんに登場してもらわなければならないし、田沢茂さんが、どんなに嫌味なところのある人かも書かないとダメなのです。でないと、渡辺幸子さんがどうして、青木繁大賞を取ったのかの説明ができないのです。
 そして、鎌倉在住の人物について書くことこそ、極めて重要なのです。その理由は後で述べます。
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副題0、『中国の反日デモはなぜ、収まったのか?』
副題1、『全・ホテルは、今は、警察に支配をされている』
副題2、『全・ネットカフェは、今、警察に支配をされている』
副題3、『渡辺幸子さんから、留守中に電話が来る』
副題4、『渡辺幸子さんから、彼岸花の絵を、返せと徹夜明けに言われるが』
副題5、『仲間から、いじめで追い出されて、田沢茂氏に、拾われた渡辺幸子さん』
副題6、『美術とお金、赤津ただしと、渡辺幸子の場合』
副題7、『ものを考えない渡辺幸子さんは、ご自分の強烈な嫉妬心を、ときには、隠せない』
副題8、『ご長男に対する偏愛があり、ご次男に対する軽いネグレクトがあるのでは?』
副題9、『親子喧嘩をできる親子が、健全だと、私は、信じている』
副題10、『子供を愛するということは、時間やエネルギーをそこへ注ぐことです』
副題11、『渡辺さんの嫉妬心が、私に向かって驚く。しかも原因が作品の大きさだったから、さらに驚く』


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副題1、『全・ホテルは、今は、警察に支配をされている』

 皆様、19日水曜日の私は、午前九時に家を出て、次の日の木曜日の午前一時に帰ってきました。ここまで長時間外にいると、疲れ切るから、鎌倉の山の上にある自宅までは、帰りたくなくて、東京圏で、ホテルに泊まりたいのですが、どうも公衆電話からのお客は断るように、首都圏では設定されている模様です。常に「満室だ」と言って断られます。
 そんなことを命令できるのは、警視庁とか、警察庁だけですね。だから、私の敵は警察庁らしいということがますます、明らかになってきます。警察に、追いかけられる理由がないから、本当に怒っています。
 だから、ホテルの予約を優先するためなら、携帯を持ち歩けばいいのですが、それを携行すると、行く先々で工事をやっていたり、制服のガードマンがいるという脅かしをかけられるので、それも嫌だから、i-phone は、家において出て、公衆電話を使うのですが、どこのホテルも満室だ断られます。それは、おかしいです。

 どうしてもと、押しかけて泊まった秋葉原のワシントンホテルだって、すけすけでしたよ。決して満室のホテルなんかありません。どこがが空いているものです。不況だし、東京にはホテルはあふれるほどあるのですから。ただし、強引に押しかけると、お値段が高く取られます。一万円前後は取られます。ビジネスホテルでも、そうです。ネットで事前に予約をすると、安いのですが、そのネット予約もできない時期がありました。それは、急に予約なしで、ホテルに泊まると、そこで、当然のごとく、本の編集をします。
 ホテルに宿泊するのは、本の編集に疲れるからゆえですから、で、当然、そうなります。ホテルで仕事をすると、敵様たちにとっては、ハッキングの準備ができないから、困ります。で、ホテルに宿泊をさせないために、公衆電話から申し込むと、一律で断るように警察は手配をしたと思われます。敵は本当に、私の本作りを恐れています。

 で、ネットカフェが安いので、そこで、仕事をしながら、仮眠をとるというのも手です。ところがね。ネットカフェに泊まることで、私が、悪口に使われていることに、最近では、気が付きました。そんなことは気にしませんよ。本を作るためなら・・・・・というのも一つの筋なんですが、一方で、急に体力も衰えてきて、外で徹夜するのも疲れ切ることだから、あまり、やらなくなりました。ネットカフェに入るのは、ノートパソコンのバッテリーの電源補充のためだけという感じです。

 でもね、今から五年ぐらい前は、私も体力がありましたし、本作りにも慣れてはいなかったので膨大な時間がかかるから、一冊の本を作り上げるまで、何度もネットカフェで徹夜をしました。
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副題2、『全・ネットカフェは、今、警察に支配をされている』

 これから先に述べるエピソードは、渡辺幸子さん、酒井忠康氏、および、栗田玲子さん、および、伊藤玄二郎および当時は、公的にも生きていた、井上ひさしの悪辣さを語る目的に、見事にかなうエピソードです。本当のことを言うと、ここでは渡辺幸子さんについては、まだ、語りたくないのです。醍醐イサムや、増田きよみ論が中途半端です。国画会についても中途半端です。そちらを先にしたいです。

 が、警視総監と、警察庁長官の固定化した頭脳について、語りたいので、ここで、彼女に関する私が関与したエピソードをさらします。

 それは、2007年の話であります。

 で、私が当時、使っていたのは、新橋交差点の角にある大きいネットカフェで、主にサラリーマンが使う場所です。それらは、お客があまり入っていません。それでも経営が成り立っているのは、経営者が別のビジネスで儲けているからでしょう。余裕の別業としてネットカフェを経営しているから、お客が入っていなくても大丈夫なのです。ここで、ネットカフェにもカラーや、種類があることを語っています。それが、重要な伏線なのですが、読者の皆様には、煩雑だと思われかねないところがあるので、下へスクロールしてくださると出てくる新しい一文に移動をさせてあります。

 ところで、今は、ネットカフェを使っても意味がない時代になりました。大型のチェーン店ほど、全スペースが、ワイファイで支配されていて、我が家が、支配されているのと、そっくり同じ環境になってしまっているからでもあります。技術の革新は、数年間ですさまじい進歩でもありました。
 だから、喫茶店を使うのですが、ルノワールもエクセルシオーネも、もう手が入っていて、電源プラグが使えません。ですから今は充電はおうちでやって、二台のパソコンを持って出かける体制にしています。それでも、敵に支配をされていて同じなのです。それは、知っているのですが、過去に、自宅でかけられたすさまじい妨害の記憶が残っていて、外でやる方が、少しでも安心感があるので、引き続き、外でやっています。

 しかし、この流れは都立図書館、または、区立図書館のコンセントが一切使えなくなったときに似ています。石原新太郎という人と、猪瀬直樹という人は、文化人ではありませんね。残念ながら。自分たちだけは文章の力を利用していても、他人がそれをするのは許さないという横柄さを示していますから。または、警察の言うなりなのか、井上ひさしか、伊藤玄二郎のいうなりなのか?
 
 しかし、五年前の、2007年ごろは、そこは敵には、支配をされていないと思っていたのです。だから、ネットカフェで、有線のラン・ケーブルを外せば、仕事が把握されないで、自由にできると思っていました。仕事が把握されるとどういうことが起きるかというと、・・・・・本当はそれを語りたいのですが、普通の人なら、『あ、ばれたか。恥ずかしいからやめよう。だって、それは、だれが考えても、不道徳なことだから』と言ってやめるはずですが、この攻撃者はやめないのです。それで、もっと攻撃してきますので、攻撃策、その物を詳細に語ることができません。で、100種類ぐらいの妨害策で、責め立てられ、苦しめられてきていますが、
 その一例を、下にスクロールしていただくと出てくる文章に移動をさせて書いておきました。

 このように相手をだましたり、ひっかけたり、後戻りをさせたりするような仕組みを、バグというらしいのですが、本作りを始めると、我が家なら、一日に50回はそれを入れられるので、到底仕事にならないのです。時間がかかるし、エネルギーの消耗も激しくなりますので。

 しかも、我が家では、泥棒が入ります。だから、主人とすれ違いで外出しますから、外で徹夜で本作りをします。それも、可能なのは、月曜日の、深夜と、木曜日の深夜だけです。

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副題3、『渡辺幸子さんから、留守中に電話が来る』

 その、留守中に、電話が頻繁にかかってくるのです。主人は私の状況をすべて正しく理解をしているわけではありませんので、身内よりは他人を大切にします。で、渡辺さんに対しても、『はい、わかりました』と答えます。
 この渡辺さんという人が、どういう人なのかを、まだ、みなさんに説明をしていませんが、私に激しい意地悪を仕掛けてきた大学の先輩です。で、そのことが、同じく大学の先輩であり、ジェイソンロックフェアー氏と、親友でもあるらしい、元、日経新聞論説委員である石塚雅彦氏を通じて、敵に知られているので、たいそう大切にされている人で、

 美術の世界で青木繁大賞を取りました。つまり、私の友達にはすべて、賞や、よい仕事を与えて私との関係を切らせるという意味でも、その典型であります。一時期親しかったのに、2005年ごろ彼女から激しい攻撃を受けて、すでに、2人は敵同士になっているし、喧嘩をしているのだから、渡辺幸子は、いい鉄砲玉として使えるぞ』と、みなされたと思います。

 だから、渡辺幸子さんを優遇をしてあげましょう。そうすれば、川崎千恵子は悲しんでダメージをさらに、受けるはずだから』という発想のもとに、美術界で大優遇を受けている人です。

 その青木繁大賞の、審査員は酒井忠康氏です。これだけを言うと、まだ、何が何やらお分かりいただけないと思うし、むしろ、私の方が嫉妬しているように、読者はお感じになると思うのです。が、・・・・・このシリーズが全部終わったら、皆様にも相当に正しく、文意を取って頂けると確信をしておりますので、ここでは、その誤解を気にしないで、先へ進みます。
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副題4、『渡辺幸子さんから、彼岸花の絵を、返せと徹夜明けに言われるが』

 警察の関与は、渡辺さんが、『絵を返してください』とその、私が留守をしている当夜に、我が家に電話をしてきたので、わかったことです。徹夜をしているので、私が自宅へいないその留守の間に、とても言いにくくて、意地悪きわまりないことを、言ってきたのです。その絵は大変な悶着のある絵でした。しかも前の夜に徹夜している日に、そんないやな行動(=買った絵を返す)をとらないといけないことは、私に激しいダメージを与えるので、わざとその日が選ばれたのです。

 その絵はたぶんですが、酒井忠康さんにプレゼントをされたものでしょう。私がその絵を、まだ喧嘩をしていない時期には、褒めちぎっているのですが、それは電話の盗聴で、敵の知るところですからね。そして、

 私も、『それだけは、悔しいな』思うことは、私がその絵を褒めたたことがどれほど、渡辺幸子さんを救ったか、程度が知れないほどだと思うからです。渡辺さんは、一時期、田沢先生とのことで、ノイローゼ寸前になるほど悩んでいましたから、そこから脱出できる、一つの希望を与えられたと思うのです。ちょっと、言い過ぎの部分もありますが、神様を信じている私には、これは、真実だと感じられるエピソードです。

 だからこそ、その絵は酒井忠康氏か、井上ひさし氏か、伊藤玄二郎氏へ、プレゼントをされたと思います。

 最大の可能性は、酒井さんへのプレゼントとなったという話であり、それは、栗田さんからの連絡で、そうしなさいと言われたことになり、その前には、伊藤玄二郎が栗田さんに、『今夜、渡辺幸子に、そういう電話を川崎千恵子にかけさせてください」と依頼が行ったのでしょう。鍵は、その前に警察から、伊藤玄二郎に、「川崎千恵子は新橋と銀座で、今夜は徹夜をしているから、いじめるのには好機です」という電話が入っていたという点にあります。それらの憶測は、きっと当たっていると思います。そしてこれからそれを証明していきます。
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副題5、『仲間から、いじめで追い出されて、田沢茂氏に、拾われた渡辺幸子さん』

 で、その悶着について語る前に、渡辺さんの先生である田沢茂さんが、どういう人かを語らないといけません。田沢茂さんは、新制作協会の会員です。だが、たぶん、有名・美大を出ておらず、そのことを、コンプレックスとも、また、撥ね返すバネとしても、使って、のし上がった人であり、それゆえに、性格の中に大きな癖のある人でした。プライドの高さと上品さを売り物にしている新制作協会の中では、異色の存在でしょう。

 そしてそういう、ご自分のコンプレックスをカバーするために、上流階級(または、中流の上)の女性を弟子にして、支配をするのが好きでした。いわゆる閨秀作家とか、鎌倉マダムと世間で呼ばれている女性たちを支配していて、そこを、ご自分のプライドの立脚点としている人です。
 私自身がリクルートをされそうになったり、田沢先生と小関俊夫先生との合同会食界にも何度も出ていますので、伝聞だけではなくて、私自身の直接の感想として、それは、わかっております。

 たまたま、弟子がみんな背が高かったので、そのグループは『アマゾネス軍団』と呼ばれて、湘南地方では有名で、肩で風を切る勢いがありました。

 渡辺さんは、私と同じく国際基督教大学を出ていて(?、中退のはずなのだが、いつの間にか、卒業の資格が付与されています。そちらについても、政治的に大問題なので、別の章で詳しく語ります)

 その後、日本航空のスチュワーデスになった人です。だから、美貌の人でもある。そして、最初は主婦のたしなみとして書道に凝っていたが、そのうちに、絵に興味がうつり、鎌倉美術家協会に出品を始めました。そちらの主流派は、日展系です。ところがそちらの人たちに渡辺さんはいじめられて、苦労が果てしが、なかったようです。

  これは、渡辺さんに、いわゆる平均的な日本人以上の、個性があるからでしょう。主婦上がりの、画家は、嫉妬深いからね。だけどそれだけでもなくて、渡辺さんにはどことない形で、まっすぐではないところがあるのです。悪女という評判もあるし、青木繁大賞展を取った凱旋個展の初日の夕方でも、だれもお客が来ていなかったことでも証明されます。青木繁大賞を取ったことを祝福する友達が誰もいなかったのです。中央に小さなテーブルを置いてワインを並べていましたが、知人や友人は、誰もそばにいませんでした。ただ一人を除いて。その日、総ガラス張りで、道路から全部が見えるガレリアグラフィカの一階で、彼女のそばにいたのは赤津ただしさん、ただ一人でしたよ。
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副題6、『美術とお金、赤津ただしと、渡辺幸子の場合』

 赤津ただしさん。うーむ。・・・・・・問題の人。この人の名前を知らない可能性のある世間に人へ向けて簡単に、紹介をすると、元朝日新聞の記者だった美術評論家です。
 12年前の2000年に、「川崎さん、一文字100円で、500文字の評論を書いてあげるから、僕の企画で、個展をしない」と声をかけてきた人。だけど、その文章が案内状印刷申込みの要諦日までに、どうしても、できない(理由は、「僕は時々、うつ病になるから」)とのことで、おおもめにもめた相手です。私はあまりのだらしなさというか、約束違反に、驚いて、『先生、先生が企画をされた個展はやめることにして、前からの予定通り、9月から、アメリカへ勉強に行きます』と言ったら、驚くほどの罵詈雑言を浴びせてきた人です。ファックスでね。

 ところで、今の赤津さんは元気らしくて、主に、画廊るたんとギャルリー志門に張り付いておられます。そこへ行くと「赤津ただしの推薦文つきの個展」をよくやっています。まあ、これは、余談中の余談です。ただし、画廊るたんと、ギャルリー志門が、ここ数年、私に対して、相当に意地悪なのはなぜだったでしょうね。赤津さんの讒言によるもの、それとも、別方向から?

 ところで、その青木繁大賞展での、赤津さんの会話は、当然に、この明瞭に値段が決まっている美術評論へのお誘いだったと推察します。
 ところが、渡辺幸子さんは、乗りません。にやにや笑いながら、顔だけはそっぽを向いています。それは青木繁大賞の賞金が100万円ほどあってね。それで、二回ぐらい個展ができるから、『それで、次もガレリアグラフィカで、やりましょう』と、渡辺さんが内心で思っているので、赤津さんの言うことを聞く耳がないのです。

 渡辺幸子さんの金銭感覚は相当にシビアです。それは、実はお父さんが破産をして、大学を中退せねばならなくて、そこから、相当にシビアな感覚を身に着けた人のようです。で、その反発からか、ロールスロイスを買っていて、それが何度も絵のテーマとして登場しています。
 で、彼女は生きたお金、または、生きるお金しか使いません。ということは、出世に役立つ方向でしかお金を使いません。新制作協会の入選や、受賞に関して命運を握っている先生である田沢茂さんに関するお金は使います。
 だけど、私のように、自分の出世ではなく、主張を開示するために、本を作ること、または、その前段階として、パソコンを使わない彼女のために、プリントアウトで、エッセイを送ることなどには、一切の関心がなくて、送られても一頁も読まなかったと思います。その後、本も差し上げているけれど、読まなかったでしょう。

 そちらの件ですが、赤津さんは読んでくださっていると思います。そういう言葉を銀座の路上でかけてもらっています。文章を書くプロだから、他人の文章に対する姿勢にも、誠実さがあります。それはありがたいことですね。それに、最後までは、朝日新聞にいなかった人だから、それだけ、謙虚でもあるということ。そして、12年前よりも成熟して、おられます。
 だけど、渡辺さんの方からは、度々、『なんで、こんな無駄なことをするの?』と、叱られております。(笑)彼女にとっては、理解不可能な私の行動の一つらしいです。

 だが、私にとっては、考えるということは、息をするのと同じぐらいに、いつもやっていることであり、思考とは文章へ直さないと、次へ進めないものだから、文章を書くことも息をするのと同じぐらいに、必然であり、自然なことなのです。一方で、渡辺幸子さんはものを考えません。行動はします。だが、ものを考えません。フェリス出身で、頭はいいはずですが、それでも、思考をすることには、興味がない模様です。
 それが一番出たのは、桜井陽子さんへの嫉妬心の表出です。

副題7、『ものを考えない渡辺幸子さんは、ご自分の強烈な嫉妬心を、ときには、隠せない』

 それは、2001年から、2003年の間でのことだったと思います。当時、私はたびたび名前の出てくる石塚雅彦さんがトップである、大学同窓会展と言うのに出品をしており、例の外人記者クラブで、打ち上げや、準備会をする、12人のメンバーの一人でした。それは、現代日本社会ではエリート中のエリートの集まりでした。その中に渡辺さんより、6歳ほど年上の紳士がいました。最初は大銀行へ入行し、その後、系列会社の社長になった人です。
 その人を渡辺さんは、嫌いで、嫌いで、批判を私にも平気でいうのです。だが、理由がとても小さい、変な理由です。

 その人が画廊の応接間に部下を呼んで仕事上の打ち合わせをしたのが気に入らないらしいのです。つまり、地位を見せびらかしたのが同窓会展のマナーから外れるのだそうです。
 これはね。一聞すると正しいことを言っているみたいです。だが、今は引退していて、東京からは当いところに住んでいるその紳士が、久しぶりに東京へ出て来て、お当番で、5時間程度画廊に滞在する間、部下を呼んで、打ち合わせをすることぐらいは、寛容になっていいのではないですか?
 驚くべき狭量です。そのグループ内では、新制作協会にすでに入選している自分が、一番でないと、すべてが、気に入らないらしいのです。でもね、彼女自身は、こ知らの大学同窓会展など、遊びみなしていました。というか、「お付き合いでやっているだけなのよ」と、何度も私に公言しています。
 で、画家としては素人であるその社長さんを、本当なら美術界に対する理解深い紳士になってもらうためにも、大切にしないといけないのに、そんな度量はまるでないのです。そのの貫録や、恰幅のいい体格も気に入らないらしいです。それは、不思議な感性ですが、結局は追い出したみたいですよ。元、スチュワーデス特有の女の意地悪で、じわじわと、一緒にいたくなくなる様ないじめをやったのでしょう。6歳も年上の紳士に対して、平気で、そういうことができる人です。

 でもね。今、深い謎解きに挑んでみると、ご主人と比較をして嫉妬したのだと思います。だけど、ものを考えないタイプの彼女は、それにさえ気が付いていないし、決して反省をしないでしょう。だから、青木繁大賞をもらっても、美術のすそ野の広がりには何も寄与しないと思います。100万円を自分で使えることには喜んでいるはずですが・・・・・
 ご主人と比較して嫉妬したとは、渡辺さんのご主人も同じ国際キリスト今日大学の出身者で、社長なのです。だが、はるかに会社の規模が小さいです。ゴルフボールか何かを扱っている会社で、日本全国での売上高で上述の紳士の会社とは、破格の差があるはずです。

副題8、『アマゾネスの同僚の、桜井陽子さんへも、嫉妬心が隠せない』

 ところで、田沢先生の弟子たちって、お金持ちの奥様が多くて、いい洋服などを着て歩いているので、大変目立つのですが、その中でも桜井陽子さんは、その美貌において、最も目立つ人でしょう。原田美枝子を太めに、かつ、より大型にしたようなタイプです。

 私は、渡辺さんと付き合う前に、桜井さんとは、長時間一緒に過ごしています。ぐるーぷとしてのつきあいですが。それは、桜井さんが、30年以上前から田沢先生の弟子になっているので、同じく新制作協会の会員であった小関先生の弟子であった私とは、神奈川県内の団体展が終わった後の打ち上げを兼ねた合同食事会を、何度もやっているということが、まずあります。

 そのうえ、子供が同じ御成中学の同じ学年で、同じ塾に通っていたとか、ほかのポイントでも、いろいろありまして。
 だから、稲村ケ崎の桜井陽子さんのお宅にも上がらせてもらってあります。総二階形式のプレハブで、一室を完璧なるアトリエになさっていたわね。あの頃彼女は室内で、特殊なスミレを20株以上栽培をしていました。今は、もう、人気がないみたいですが、当時は、おおはやりの、外国種のスミレでした。

 その桜井さんは、たぶん、子供が小学校に上がるとすぐに絵(特に公募団体展用の大作)を描き始めたでしょう。そして、武蔵野美大卒だし、若くてきれいだから、新制作でもとんとん拍子の出世をして、2011年現在、既に、会員です。会員とは審査を受けないで済むので、大作を何枚も作る必要がなくなって、金銭的にもエネルギーの上でも、ぐっと楽になるので、公募団体展に所属する限り、会員にはなりたいと誰でも思っています。

 ところが渡辺さんは、条件が違います。同じく美貌の人だけど、清潔感という意味では、桜井さんに劣ります。時によっては、いかにも憎々しげな顔に見える時があります。この章のハイライトの彼岸花の絵を受け渡す際でも、鬼みたいな顔をしていましたよ。後で(たぶん次の日に別のブログで、その詳細を)、書きますが、本当に、鬼そのものだった。
 だから、ほかの人からは、好きになってもらえないでしょう。
 ここに、これだけの文章を書いたので、これから先はわかりません。裏から手が回って、今年は会員になれるのかもしれません。

 渡辺さんは美大卒でもないし、なかなか出世ができません。そのことは何回も愚痴として、聞かされました。それについては同情をします。だけど、その堂々巡りを、私にぶつけないで、ご自分でどうするかは、考えてほしいです。私の方もそっくりな条件を、国画会で、感じました。が、私の方は公募団体展を引きました。やめました。だから、もう、愚痴は言いません。でも、この問題は、相当数の人がすでに悩んでいることだから、まだ、許せるのです。

副題9、『桜井さんの、子供の結婚に嫉妬する渡辺さんの、深層心理は、どうなっている』

その桜井陽子さんが、息子さんの結婚式で泣いたそうです。それを渡辺さんは笑うのです。私に、「おかしいわね、泣くなんて」というのです。私は内心で、『ああ、渡辺さんって、相当に嫉妬深いのだなあ。自分の方がずっと年上なのに、まだ、2人の坊ちゃんたちが、相手はいるのに、正式な結婚式を挙げていないから、それで、こういう風に桜井さんをけなすのだ。ダメねえ。渡辺さんたら、子供っぽくて』と思いましたよ。

 相手がどうあれ、私の方は勘が鋭いので、桜井さんが、どういう人であるかをよく知っているので、そういう風に感じました。幸いなことに我が家では、2人の子供が、ふたりとも、立派な結婚式を、しかも、自力で挙げてくれました。それも、神様の恩沢の一つだと思っていますが。

 だって、桜井さんの泣いた理由は『ご主人・・・(長らく単身赴任状態だった。職場が激務だったからだが、勤務場所は東京だから、奥様は放っておかれたといってもよい)・・・が、「よく一人で、息子を育てあげてくれました」と自分へ、感謝してくれた言葉がありがたくて』でしたから、

 桜井さん特有の、まっとうでまっすぐな、素直極まりない告白であり『アマゾネス軍団で、長年一緒に行動している同僚なら、喜んであげるのが筋であり、たとえ私(=川崎千恵子)が、桜井さんより、人が良くて、渡辺さんの方が、ずっと、陽子さんより気を許せる間柄であっても、『変ねえ』とか、言ってけなすのは、ご自分の心の汚さを、外へ表すことと同義語だからです。「渡辺さん、油断が過ぎるよ」とここでは、言っておきましょう。他人は、表面切っては逆らいませんが、見事に正しく判断をしているものです。

 ところで、ここで、今日は触れたくなかった主部分にまで、とうとう踏み込まざるを得なくなりました。上の問題は、渡辺さんの画家としての生き方に、弱点があることを見事に反映をしているのです。
 彼女はまるで、飢えた人のように、出世を望んでいます。

 それは、国際キリスト教大学卒の女性の中にはありがちな発想です。アメリカ式達成主義があるから。そして出世のために、膨大な時間を注いでいます。

 私は渡辺さんからそれらの桜井陽子をけなす言葉を聞きながら、『この人は、心の中で、家族をどうとらえているのだろう』と不思議でなりませんでした。ほとんど関心がないのではないかしら?』とも考えていました。

 それが証明されたのは、夕食が夜の10時過ぎだという点でした。むろんのこと、ご主人の帰りが遅いのだと思います。社長ですから。しかし、もう一人同じく社長をご主人に持つ別の知人は、ご主人は、職場近辺で夕食を済ませてくるので、自宅では遅くには、食べません。まあ、そこら辺りはそれで、いいのですが、メニューが問題です。その夜はミネストロネスープだそうです。これってただ材料を入れておけば、勝手に完成してくれる料理です。
 しかも彼女は、私との電話対応を左手の子機でしながら右手ではさらに絵筆を捨てません。しゃっシャット音がするので問い合わせると「その通り、今(夜の10時過ぎ)にも描いている」とのこと。それって、ご主人だけではなく、私という60兆の細胞を持つ、一人のれっきとした他人を、ばかに仕切った態度です。でも、普通なら気を使うはずの他人に対して、これほど、無神経な態度を取れる人なら、より親しく手短な家族に対しては、どれほど、乱暴で、乱雑な接し方でありましょうぞ。

 「おや、おや、それで、ご家族が納得ですか、すごいご家族ですね。できたご家族ですね。私には、信じ難いです。それほど、渡辺さんって、物事が通じない人なのではないかしら。感情も通じない人なのではないかしら?」と思いました。

 無論、私だって丁寧に書けば、家族に迷惑をかけた人間です。ただ、「私が一人暮らしをしたのは、同居していて仕事を熱心にすると家族が嫌がるからですが。つまり、私は、そこにいればいろいろなことを家族から期待をされる人間ですが」・・・・・と、私は思いました。そして満三年で海外修行を終えて、家へ戻っています。まあ、詳しく言うと海外は三か月で、のこりの9か月は、その反芻的修行(日本国内)でしたけれどもね。

 彼女の方は、「勝ち続けて、出世をする」という目的には、かなった生活ですが、なんとなく、ほかの家族が、こころの中では、捨てられきっているように思います。それを抗議する隙もないほど、彼女は鉄面皮に見えます。または、非常に弱いので、家族全員でかばっているのかな?
ただね。まるで鉄仮面かサイボーグみたいです。
 
副題8、『ご長男に対する偏愛があり、ご次男に対する軽いネグレクトがあるのでは?』

 ところで、その渡辺さんのそそけ立つような、荒々しさ、が、性格の中に見えるときに、私は常に、このように想像をしていました。
 『渡辺さんって、子供の時に、親に愛されていなかったのではないかしら?』と。お姉さんがいます。そちらを偏愛して、次女の渡辺さんを看過する。そういう傾向がご両親のどちらかにあったのではないかしらと。『特にお母さんが、無感動なタイプで、愛情のなんたるかがわかっていなかったタイプではないかしら』とも。

 別のお友達で、やはり、お父さんが社長だったのだけれど、破産をしたと聞いたケースがあります。だけど、おうちを売って、貸家住まいに環境を変更して、お子さんは大学を出しています。昔のいいおうちは母親が働くという発想がありません。だけど、愛情豊かだと、そういう選択もありです。
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 まあ、余談ですが、わが実家は、明治生まれと大正生まれのカップルとしては、非常に特殊でした。父が、モダン極まりないタイプで、女性を対等に扱いました。が、対等だからこそ、働くべきだとも考えていて、結婚式を挙げてから、母は勤めに、出ました。さすがに、私が生まれた後は、外で勤無するのは辞めましたが、家の中では、やはり働きました。特に戦後は頑張りました。

 パートとか、アルバイトというのではなくて、正式な社員としてです。最初は大銀行、だけど、帰りが遅いので、そこは、やめて次は自動車会社のOLをしました。母は子供を三人産みましたが、いつも、お手伝いさんが家にいて家事はそちらがやって、母の方は、家の中で家族には背を向けてデスクに座り、仕事をしていました。で、よく『私が、大根一本腐らせたとしても、その間に、頭を使えば、100万円は違うのよ』と言っていました。夫婦げんかもよくしましたが、危機に際しては、夫婦で、よく話し合っていたと思います。

 私が、このブログでも男ではないかと誤解をされるほど、きちんと、書き続けることができるのは両親の、その、ものすごく勤勉で、かつ、民主的な家庭運営と、その中で、独立自尊の精神を持っていた母を見習っているからです。だから、どんな苦労があっても、このブログを継続することができています。
 ただ、母には、普通のご家庭のお母さんほどの、素朴な愛情はなかったと思います。怜悧すぎる人でもありました。
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 だけど、渡辺幸子さんが、大学を中 退しなければいけなくなった日々を考えると、『どうも変だなあ。ご両親が』と、思わざるを得ないのです。ともかく、『お母さんは、働く気はなさそうだし、お父さんは、家を売るとかいう手立てを考える気力もなかったみたいだ。変だなあ?』と思うのです。というのも当時の国際基督教大学は学費が、とても安かったのです。アメリカから大金が寄付として寄贈されていたし、日本の財界からも寄付金が来ていたと考えます。
 国立大学よりは無論高いが、一般的な私立の大学の四分の一ぐらいの学費だったでしょう。
だから、ちょっと、工夫すれば、元社長というご家庭なら、何とかなるはずです。

 ご両親は、お姉さんを偏愛していたのではないかしら?

 そして、今度は渡辺さんを主役にして、そのお子さんとの関係を考えます。私は割と図太くて、無神経な彼女は、『お子さん、特に、ご次男に対しては、幾分かの看過(ネグレクト)があったのではないかしら?』・・・・・無論とても軽いものです。親の方も子供の方もそれに気が付かない程度の軽いもの。

 だけど、愛されていない子は親に文句を言いません。そして我慢をします。だけど、愛されていないことが無気力を生みます。渡辺さんのご次男の無気力って、とても軽いものです。だけど、渡辺さんは、それの改善方法を知りません。だから、ご次男はずっと、そういう調子で、生きていくでしょう。
 どこが問題かというと、引っ越しをする時に、自分で荷物を整理できません。また、片付けができません。それと、私もあったことのある、お嫁さん候補を愛せません。だけど、関係を切ることもできません。
 渡辺さんは、そのご次男が、女性に対して、優柔不断であることは、まともなお母さんのひとりとして、悩んではいます。だけど、改善の方法に気が付きません。

副題9、『親子喧嘩をできる親子が、健全だと、私は、信じている』

 私だって、子育てに万全であるわけもありません。問題が山積みであり、それを、渡辺さん以上に無防備な私は、いろいろな人に相談をかけたりしてしまっています。だけど、私は考えることが大好きです。『どうして、こうなるの?』とか、『どうしたら改善できるの?』と考えます。

 で、結論が出ると、自分の生活を軌道修正します。自分が変わるように努めます。つまり、私も渡辺さんと、そっくりで、仕事の鬼であり、家族を見捨てていたところがあるのです。

 家にいるのですよ。ちゃんと家事をしています。お料理は、一週間に、三六品目は使うように気を付けていました。だから、わが子たちは、両方とも背が高いです。そして、別に肥満体でもありません。見事に、すっきりとした体格はしております。痩せすぎでもないし。それは、小さい時から栄養には気を付けているからでしょう。そこには自信があります。(笑)
 だけど、「料理がまずい」と、長男の方にさんざんに叱られました。特に「餃子とか、みそ汁とかが、よそで食べるとおいしいのに、内ではおいしくない。お母さんが、だめなのだ。料理しているときに、心が集中していないから」と、叱られました。

 そして、子供も考える方だから、子供からもお母さんの生活に改善案を示してきました。ごく最近の、十年間の彼の要請は、「パソコンなんか使うな。文章を書くな。夜は早く寝ろ」などです。つまり、子供の方も、問題点をしっかりと把握してるのです。『お母さんの問題点は、お母さんがインテリすぎるところにある。いつも、ものを考えていて、まるで、夢遊病みたいなのだ』と思っているわけです。(笑)
 これは、彼が社会人になって、自分でお金を稼げるようになって、そのポイントで母を上回ったという自信に裏打ちされた発した言葉ですが。
 しかし、息子からだけではなくて、自分でも気が付いて、ちゃんと軌道修正をしているのです。実は一九八九年にすでに銀座で個展をしています。その時毎日新聞の個展の案内ランに、七つぐらいの個展が紹介をされていましたが、上條陽子先生と同時期でした。だから、あそこから一直線に進んでいれば、今、上條陽子か、馬越陽子かというところにいたでしょう。あ、は、は。

 しかし、どうも、自分は集中が激しすぎる。それで、両立が難しいと判断をして、個展をするほどの集中的画家生活を、一〇年も休んだのです。神奈川県では、団体展に参加したり、それこそ、湘南での女流画家さんとのお付き合いはありましたけれどね。銀座には無関係でした。
 だが、その一〇年間の逼塞があったからこそ、子供が大学へ進学した後では爆発的に、集中しました。ところが、またもや、子供たちの批判の対象となります。で、別居してしまったのです。彼らと、一緒にいながら、集中生活をすると、まずいのです。
 でもね、病気になってしまって、それを主人が直してくれたことをきっかけに帰ってきたら、今度は、あきらめやすくなりました。
 どうしてかというと、その猛烈な三年間に、創作と時間のけじめについて見通しを得たからです。ただし、文章をパソコンで書くことについてだけですけれど。
 だから、落ち着いていて、家族が家にいて、嫌がる時間帯は、仕事をやらないと、決めて、我慢をしても、欲求不満には陥りません。

 そのうちに子供たちは結婚をして出てしまいました。だから、部屋が空きました。となると、仕事をする部屋も寝る部屋も、たくさんあって、主人と、時間差で、行動をしてもなんとかなるようになって、真夜中にパソコンを開いて打ったりできるようになりました。

 で、ブログなんかでも継続できるわけですが、それでも、絵画方面は休んでいます。欲求を100%追及できているわけでもないです。ある程度の妥協と、ある程度のあきらめの混合した生活です。それでも平静で、明るく生きることは大切です。

 そして、うちの子たちは二人とも、どなたともストーカーだとか、失恋だとかの問題を起こさず、むろん中絶などの問題も起こさず、普通の形の、しかし、結構に豪華な結婚式を自力で挙げ、その後、自分たちだけで、普通に子供を育てています。ごく普通ですが、親としては安心です。そして、女の側は娘も息子の家も専業主婦です。落ち着いた家庭が、喜ばしいと思っているみたいです。『よかったあ、あそこで我慢をして、自分を捨てて』と思います。

副題10、『子供を愛するということは、時間やエネルギーをそこへ注ぐことです』

 あのね。待つということも愛です。何もしないのも愛です。ただし、そういう目立たない形の愛こそ、ひどく大切なものだと気が付きます。

 その時に、傍にいて、相手に集中しているのだけれど、押しつけがましくなく、穏やかでいる時間が大切です。私は夜主人がテレビを見ている、7時から、10時までは、できるだけ簡単なことをやります。パソコンを開いていても、あまり思考が必要ではないことをやります。
 それでも、文章が途中で、しかもある人間を批判している最中だったりすると、入力を続けないといけませんが、誤るという形を取ります。必ず、謝罪の気持ちを持って、入力します。で、なるべく同じ部屋にいるように努めています。
 渡辺さんが、夜の10時過ぎにも絵筆を握っているのは、家族に我慢を強いている姿勢です。
そして、家族が不満を漏らさないとか、喧嘩を持ちかけてこないというのは、非常に楽な姿勢ですが、相手方に、負担や、成長の不備をもたらしている可能性があります。

 しかも渡辺さんは、精神的に田沢先生のことを考えすぎています。これは、恋愛の話ではありません。が、いつも田沢先生のことを考えていました。これでは家の中は、もぬけの殻です。主婦がいないおうちです。そうなると家族にエネルギーが沸き起こりません。

 坊ちゃんたちは、結婚ではなくて、仕事のため、会社の近くに住むという形で家を出ておられます。だけど、その前に、こういう風に空洞化していたら、ご次男には、気力がわきません。そのうえ、度ことはない形で、両親の姿に対する疑問や不満があったら、結婚生活に魅力を感じないでしょう。だって、ご次男からみれば、お父様は、100%奉仕するだけです。

 そこに魅力を感じないとすれば、または、今、自分に、「お嫁さんにしてくださいね」と迫ってきている女性にも似たにおいを感じれば、逃げたくなるのも道理です。だけど、形の上では、社長さんが父、芸術家が母、鎌倉に実家がありと、続いていて、これ以上はない、よいお婿さん候補ですから、御嬢さんの方は必至で、坊ちゃんがお母さんの個展の会場に来れば、一緒についてきます。そして、打ち上げにも同席するのだそうです。だから、午後五時ごろ、私はその御嬢さんにお会いしました。

 でもね。それほど、しつこくされても二人が将来幸せになれるかどうかについて、渡辺幸子さんの方には確信がないのです。そういう潜在意識のある時期に、桜井さんの坊ちゃんの結婚式のエピソードを聞きました。そこには『ああそれって、愛情の交換が示されたエピソードですね』と確かに言える言葉が出てきています。

 『僕は東京にいて、ほとんど家には帰っていないので、一人で息子を立派に育て上げてくれた妻に感謝します』という言葉が。・・・・・

 渡辺さん、それをけなしている場合ではないでしょう。子供を育てるのは母しかいない。適切な時期に適切な愛情を与えていない場合は、もう一回育てなおす必要があるのです。だけど、会社勤務があって、夜とか、休日はがるフレンドと過ごすご次男と、育てなおすために、愛情の交換をしている暇は、もうないですね。だけど、ともかくはっきり言えることは「桜井さんを笑っている場合ではないですよ」ということ。

副題11、『渡辺さんの嫉妬心が、私に向かって驚く。しかも原因が作品の大きさだったから、さらに驚く』


 その渡辺さんの強烈な嫉妬心こそ、私に大きな苦難を与え、かつ、彼女に、青木繁大賞をもたらしたものだったのです。世の中は不条理に満ちています。が、それでも、私が平気で元気で、本作りに励み続けているのは、私の方が、心の安寧を、彼女より多く持っているということには確信があるからです。それと、自分が自分の心身に対する主人公であるという側面でも、地震があります。ので、平気なのですが、これから、彼女の嫉妬心の激発について、委細を語らせてくださいませ。

 で、展覧会の方は、小松ストアーの別館三階にある、望月画廊で、展示をするのを常としていました。

 私はたいていの場合は、三号か、4号の、小品(楽しみを旨として描いた小さな絵)を出していたのですが、そのころ、そろそろ、国画会とか、女流展を辞めたいと思っていて、そちら用に作ってあった、100号の絵を、その同窓会展に回して出しました。それは、画家としての全力投球をした絵であり、優れていた(?)模様です。
 おとなしい絵ですよ。ほとんどが白で、砂や貝殻の粉を混ぜているので、つやもない絵です。が、上品なことと清潔なことは確かな絵でした。多分成功している作品の一つです。

 一方で渡辺幸子さんは、まだ、画壇での出世にこだわっている真っ最中であり、(しかも、71歳を超えた今でも、そこを目指して一直線のはずです)本格的な発表の場を、新制作協会においていました。だから、大学同窓会展は手抜きの場所・・・(と、彼女は電話内で、私に何度も公言していました)・・・であり、たいていは、鎌倉美術家協会に春に出品をしたものを、そちら(秋)に、繰り回すという形の出品をつづけていました。そこへ、私が本格的な絵を出品したので、彼女は度肝を抜かれたらしいのです。しかも余裕を失って、大きないじめを仕掛けてきたのでした。

 ここで、本日の文章を終わりとさせていただきたいと存じます。このサイズの件も最後まで書くと20000字を超しますので、次に続くとさせてくださいませ。

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