副題1、『本日の前置き、・・・・・ただし、8日に書いています』
副題2、『佐々木俊尚氏は、ねとうよ(ネット右翼)の研究家だそうですが?』
副題3、『日本が法治国家である限り、私は安全です』
副題4、『オピニオンリーダー、または、政治評論家でありながら、単なる一鉄砲玉として利用をされている、佐々木俊尚氏』
副題5、『数で、考えてみる佐々木俊尚の実力・対・私+対・伊藤玄二郎』
副題6、『山中教授のスピーチにあった、日本を大切にする言葉群』
副題7、『山中教授の発言は、海外暮らしをした人には共通するものだ』
副題8、『歴女の発生は、必然だったか』
副題10、『リーウーファンの絵が李明博大統領の後ろにあった』
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副題1、『本日の前置き、・・・・・ただし、8日に書いています』
皆様、私は日曜日から月曜日にかけて、ほぼ、20時間も、パソコンにタッチしていませんでした。どうして、それほど、間を開けたかというと、法事があったのと、久しぶりの肉体労働で、お昼寝をしたからです。思いがけず頭と体のバランスが取れていて、眠いと感じたら、寝られたという状態でした。
肉体労働とは、築40年という古家部分を改築しようとしていて、その18坪に入っているもの類を、改築しない新家部分、15坪に移動をしようとしていたからです。膨大なもの、特に絵とか、書類など、自分が作ったものは、整理に時間がかかるはずなので、本とか、衣服など、買ったものの移動に、最初に取り組もうと考えました。が、本は意外に重いです。
ついでに、はば60センチの簡易な本棚を一階から二階へ一人で移動をさせたりしたので、疲れました。ただし睡眠にむけては適宜な状況です。
でもね。これほど、長時間パソコンを開かないでいられるというのも、私自身が相当に余裕を持ってきたことを証明しております。
大体、似たようなことは繰り返されています。大阪府警が発表した『成りすまし、ウィルス感染』の問題も、私が一週間(10月2日)前に、書いたことを、打ち消すために、作られた現象です。ただし、府警側は起きたのが、8月ごろと言っていますが、それこそ、作られた期日のはずです。
大相撲壊滅作戦の時も、NHK記者が捜査情報を漏えいしたと言って、叱られました。名前が明らかにはされませんでした。顔写真も出なかったです。あのときも7月に発生したものを、9月か、10月に究明するといっていまう。これら、調略として作られた事件や事象は、期日については見え見えの嘘が含まれています。
特に、顔写真および名前が出ないという点では、毒いり餃子事件等とも同じです。期日が、前倒しにされているのは、
トロイの木馬、ボッツウィルス、など、国谷裕子さんが、解説した大騒ぎめいたウィルスが過去にありましたが、また、国谷さんが、クローズアップ現代で、これを取り上げるようだと、ほぼ、100%、私のブログと対応をしていて、それを否定するための現象だといえましょう。
で、そのように、私の文章を打ち消すための、NHKニュースおよびその前段階での警察の発表という攻撃があっても、おっとりと構えて、『ああ、そうですか』と言っていられる自分が、いま、ここにいます。それも、これも、すさまじい過去の経験から、生まれた余裕です。もし、そのニュースによって、私が書いたことが否定をされるのなら、また、次の問題で、その新しく発見をされたあくどさを書くだけとなります。
で、前報を、改善推敲、加筆をしないで、24時間たっているうちに、山中教授のノーベル賞受賞というニュースが飛び込んできました。で、ここで、お約束をしていた前報群を、推敲することを後回しにして、その朗報を聞いて感じることを書きたいと思います。
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副題2、『佐々木俊尚氏は、ねとうよ(ネット右翼)の研究家だそうですが?』
私は自分が不当な形と、不当な理由で、弾圧を受けていて、五億円に近い損害を被っていると思っています。その一つに、「ねとうよ」と規定をされていて、朝日新聞を中心とした論壇にいる論客から馬鹿にされていることも、含まれています。
その証拠の一つは、2010年の初夏に、『消された映画』という本を準備していた最中に起こりました。
朝日新聞に『売れている本』というコラムがあります。そこに佐々木俊尚氏が、堤みかさんの新書を取り上げたいたのですが、その中に突然、文脈を外して、マイケルムーア監督に対する否定と批判の言葉が出てきたのです。
朝日新聞の編集サイドから頼まれたのか、彼本人の、意識下から生まれた言葉かは不明ですが、誰か、いわゆるCIAのエージェント化している人間から、・・・・・私(=雨宮舜)が今、マイケル・ムーア監督を、称揚する文章が入った書物を編集中だ(・・・・・とは聞いていて)、それをつぶすために、そういう文言が、おかしな場所に入った文章を書いたのだ・・・・・と、それは、直感をしました。
その当時は、千葉景子法務大臣が、持論に反して死刑執行を行い、死刑場を公開した件もありました。それも、私が編集しつつあった、レオス・カラックス監督の映画、{TOKYO}の部分をつぶすために、行われたと直感をしています。
私は、本を編集する際には、妨害が果てしがないので、編集作業を今行っているとは、このブログや、AOLのメルマガの読者様にはお知らせをしないで、秘密裡に行います。最初はのんきに、今はそれで、忙しいのです』などと、報告をしていましたが、渡辺幸子さんが、『絵を返してくださいと』電話をくれたころには、本の編集の真っ最中で、それゆえ妨害をするための電話だと思いましたし、その妨害を乗り越えながら作業を、自宅でしていると、普通の日の、10倍の時間と労力がかかるからです。
ですから、読者に、目撃者となって頂くことができません。
それを利用して、現場で私のパソコンに直接バグを入れこめるだけではなくて、同時並行的に、すごいレベルで、高度な(笑)いじめるためのニュースが作り出されるのです。そのニュースを聞いたり接したりすると、気がめいるはずだと思われて、そういうニュースが創出をされます。
はたまた、誰か、彼らが考える有名人が使役されて攻撃者として登場します。
上の千葉景子さんもその一人ですが、佐々木俊尚氏も、その一人であり、最近猛烈なメールをくれた開発ちえさんも、その一人です。
後で、整理しておきますが、お互いのやり取りを逐一、テキスト形式に直して、全部総合させると、一万五千字以上になるはずです。そのうちの4分の3が彼女の文章であり、罵りの連続です。
開発さんがどういう風に、それをお考えになろうとも、こちらからみれば、『ああ、佐々木俊尚氏と同じレベルで、使われましたね。あちらは、早稲田卒、こちらは慶応卒ですが』と思うだけですね。だから、私は冷静であって、あのまま、だれにも言わないで終わらせてもよかったのですが、パソコンを壊されるほど、敵方の陣営に深い形で、大切にされていたわけで、驚いて、ブログで、文章化したのでした。
敵方は、私がAOLのメールはパソコンを壊されるとたとえハードディスクを取り出しても、すでに読めない形になると言い続けていますので、パソコンを壊して彼女を守ったのです。しかし、私は常に予測の人ですから、それも勘案して、もらったとたんにすべてをコピペして保管をしてあります。
彼女は、その10日以上前に、ご自分の方は、既にフェイスブックで、私のメールを公開なさっているそうですから、互角というか、お相子というか、こちらは正当防衛となります。
30年前に瀬島龍三(その友人)に、北久里浜の横須賀市の水道タンク山を彼らがただどりした際の法的闘争(訴訟という大げさな形にはしていないが)に勝っていて、弁護士さんが、舌を巻きながら「あなたって、あたまがいいですね」とおっしゃってくださった、そういう人間が、私です。法を守る行動と、法で、守られるという行動様式は、きちんと身についています。決してヒステリーは起こさないし、感情的にもなりません。
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副題3、『日本が法治国家である限り、私は安全です』
日本が法治国家である限り、私は安全です。私を攻撃してくる人を、一種の虫けらとしてみなしているのも、豊富な、実地経験があるからです。私の言葉は、机上の空論でもなく、かつ言葉のブラフでもありません。
そして、「100%勝てるわね」と思っても絶対に深追いをいたしません。相手が逃げられる余地を残しておく。人生は長いのです。それに法律とは、自分を守るのが本義なのです。正義がこちらにあるときに、自分を守るものが法律です。
ある時期に、一気に勝っても、結局のところ、復讐をされたりしますから、100%の勝利は取らないように、気を付けています。55%の勝利ぐらいしか求めておりません。
武士の情け、相手に逃げる余地を残しておきます。
しかし、素人は、そういう法律の本義を知りません。で、感情まみれになります。今回の開発ちえさんのメールも全文を公開すれば、みなさんは、あるインテリ標榜する人間が示した目を覆う惨状(または、破たん)を、実際にご覧になることとなるでしょう。それは、ちえさんが、法律に関しては、素人だからです。だから、私はほほえましく思って、本当に、たとえ一部でも、非公開のままにしておきたかったぐらいですが。
この山の住人も、私からみれば法律に関しては、素人ばかりです。前田清子夫人は静岡大学の法学部出身だそうですが、アジさい畑欺罔事件・・・・・・前田家は造成上、違反な指導分担をしているのに、私の指導分担へは、コンクリート打ちをするという形で、事実上盗んだ。その裏側にはすさまじいまでの、女社会のいじめがあった。対・私ではなくて、対・藤本夫人という形ではあったが・・・・・
では自分がもっとも、主要な原因者であるにもかかわらず、平気な顔で、24年を過ごし、「私(雨宮舜が、きちんと法的な被害と加害の関係には、気が付いていて、理論的に、それを再構築できるのですよ」ということを示した途端に、初めて恐ろしくなったのでしょうね。
急に追い出したくなって、私の猫さえ脅かすのです。真昼間なのに、雨戸をキー、ががががーっと、開け閉めして、ご主人からたしなめられるほどです。それを書いた日から、引き戸を、がーと開け閉めするのが、攻撃策として有効だとみなされ、数か月おいては使われました。30メートル離れている大原光孝氏もそれをやり、5メートルも離れていない小野寺夫人もそれをやりました。
で、常にそれらを書き留めながら、「何んて法律に対して、無知なのだろう」とあきれかえっている私です。静岡大学って、どなたもご存じのように、国立大学でしょう。税金で法律の勉強をさせてもらったのに、実生活の中では、法律的思考が身についていないのです。違法なことを平気でやっている。まず、ご自分のうちの崖の設置場所は、なんですか?と言いたいです。恐るべき無知蒙昧無教養というべき態度です。『ごめんなさいね。いつも、ご迷惑をおかけして、あなたが我慢をしてくださって、譲ってくださっているので、とても、助かっていますわ』という態度ならまだ許せるけれど。
それが、28年も続いて、もっといろいろあるのですから、彼女を国学院大学の講師へ推薦なさった、八幡宮の大銀杏も倒れるというものです。神様はちゃんとご覧になっています。別に法律だけが人間を守るものでもありません。
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副題4、『オピニオンリーダー、または、政治評論家でありながら、単なる一鉄砲玉として利用をされている、佐々木俊尚氏』
ところで、前田夫人からも、開発ちえさんからも、離れて、俊尚氏に戻ります。
私はその佐々木俊尚氏の文章にびっくりして、グーグル検索だけですが、彼を調べてみると、
早稲田大学出身で、私より若い。
そうすると、私の中学の同級生で、元朝日新聞社記者、週刊朝日編集長だった、飯田隆君などが、引き揚げてあげることができますね。ほかにも朝日新聞社には、早稲田大学出身者は、たくさんいるはずです。
で、朝日新聞に署名入りで、コラムを書くことは、自分の権威をあげ、ほかの仕事を、もらう可能性が広がりますので、お金にも名誉にもつながります。となると、朝日新聞の大方針である、『右翼的傾向の人間をつぶせ』ということには、従順なはずです。
だけど、タイミングから考えると、一方で、絶対に、「私を狙った、文章」であるそれが、あり、かつ別方向で、「ねとうよ」の研究家だという記述があると、それを重ね合わせると、当然のごとく、私が「ねとうよ」ということになります。
『え、それはないでしょう』とびっくり仰天です。昔よく、『ギョエテとは、俺のことかとゲーテいい』という文言がもてはやされました。
これは明治期から、大正期にかけて、日本語表記に、まだ不備があって、ゲーテを、ウムラウト表記などがない日本語であらわすのが難しくて、ギョエテと、翻訳してあったのをからかった文言です。
それに倣えば、『ねとうよとは、おれのことかと、舜はいい」となります。
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ここで、2,3わき道にそれますが、まず第一に、雨宮舜は、女性ですと、お断りをしておきます。
また、ギョエテの笑い話が生まれたのは、『デカンショ、デカンショーで、はんとしくーらーす」というデカンショ節が、生まれたころの、優雅な旧制高校のはやり言葉の一種です。
お若い方のために、念のためにおせっかいな解説をさせていただくと、デカンショとは、
デカルト、カント、ショーペンハウエルを、三つ合わせて短縮形にした言葉で、いわゆる高等遊民生活を送っていた、戦前、特に、大正期の旧制高校生や、帝大生が産んだ言葉でしょう。
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私は本当に佐々木俊尚氏とか、彼を、そのように使役をしている存在に対して、怒っています。特に、私が編集中の本は、ほとんどが、ブログ等でさらしていますから、その本文そのものがハッキングをされようがどうしようが構わないのですが、
紙の本に直すとなると、最大の妨害を受けます。ということはいまだに紙の本が大いなる力を持っていることを示しています。で、私が小さな仕事である、自分の本の編集を始めると、それが、大警戒心を敵ども(=原発の燃料を送り込んでいる世界の大資本とそれに連なって大小のエージェントとして、動いている日本人)
に抱かせるみたいで、激しい攻撃用ニュースが作り出されるのです。
だけど、「ねとうよ」なんていないのですよ。ごく当たり前の日本人として、ごく当たり前の発言を、私はしているだけです。そして、私が喫茶店や、レストランでパソコンを開けて本の編集の仕事をしていると、隣のテ-ブルで、話し合われていることが聞こえてきますが、それらは、まさしく、私がここで書いているような話題で、私がここに書いているような結論に達しています。だから、佐々木俊尚氏の方が、そのうちに裸の王様になる可能性は強いです。朝日新聞自体はすでに、ジャーナリズムとしてはそうであって、ただ、映画、演劇などのエンタメ系および、展覧会等の情報が乗っていますね。番組表もカラーで見やすいしという形で惰性で、撮っている人たちが多いが、世代が、新しくなればなるほど、衰退に向かう形式のメディアでしょう。だから、ご自分たちが自認しているほどの、力や権威はすでにないはずであり、かつ、どんどん、下落していくと思います。
早く山中教授へ入りたいのですが、もう少し佐々木俊尚氏にこだわります。
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副題5、『数で、考えてみる佐々木俊尚の実力・対・私+対・伊藤玄二郎』
佐々木俊尚という名前を知っている人間が、日本中には、500万人はいるでしょう。朝日新聞は、公称、800万部売れているそうです。家族もともに読む、とか、図書館で読む人もいると仮定すると、2000万人ぐらいに、佐々木俊尚という名前が知られている可能性はあります。
しかし、まだ、本田靖春、佐木隆三、佐野真一のレベルではないと思われます。
それに、私もそうなのですが、忙しくて新聞を読んでいる暇がないとか、若い人で、新聞なんかとっていないよという人も多いでしょうから、
その文章の実際を知っている人間を、500万人と仮にですが、想定をしておきましょう。
比較して、私の方がどれだけの数の人間に、知られているかと言えば、5000人ぐらいだと思われます。と、なると、力関係上は、0.1%の数量差があります。
そこをどう処理するかです。相手方は総力を挙げて、私をつぶそうとしています。それも、常に心理学的な処理で行おうとしています。
この数で、または、数に基づいた力関係で、考えると『負けているのだ』となり、それを、真正面から受け止めると、そりゃあ、気分がめいりますね。当たり前のことです。ですから、そういう時は、『自分は神様に向かって書く』とこころに決め、臍下丹田に力を入れるのです。
朝日新聞は、人間が作った組織です。また、ロックフェラー四世も人間であることには変わりはないです。アメリカが国家としては、主役となり、国際的軍産共同体が、自分たちの人間としての利益を得るために、日本を事実上の被・植民地化していると言っても、それも人間が決めたことです。だが、神様の存在は人間を超えています。そこに依拠してものを考えると、心が自由になり、筆も自由になります。
そのような自由な姿勢でものを書くときに、ものを書くことが喜びとなります。佐々木俊尚氏にとって、ものを書くことが喜びであろうか? 例えば朝日新聞の記者であった赤津ただしさんは、うつ病になって、定年前に退職したそうです。それは、ものを書くことが負担になっていたことを想像させますが、朝日新聞の記者だったからこそ、負担が大きくて、そうなったともいえます。
1000万人の読者がいて、種々様々な不文律で、縛られてもいる。しかも字数に制限がある。これって、私だって、容易に想像できる書きにくさがあります。
佐々木俊尚氏は、外部の、フリーのライターで、記者でもない。特にサラリーマンではありません。だから、ずっと自由だと言っても、種々様々な規制が文章にかかっていることには変わりはないのです。
例えば、ですが、選挙区制度の問題を考えてみましょう。小選挙区制を総力をあげて推進したのは朝日新聞です。しかし、あれが大きく日本政治をダメにしたのは、衆目の一致する意見です。となると、まず、その一点で、自分の脳みそや心を、麻痺させないとダメです。もし、『麻痺させないでも大丈夫だ。自分は心から小選挙区制は正しかったと思っている』となるなら、私は、その点で、氏を軽蔑しますね。特に判断力において。
しかし、ここで、何を書いても佐々木氏の方では、絶対に自分が上だ。一千倍以上の力でと思っているでしょう。だけど、もう一つあります。
対、私ではなくて、対・伊藤玄二郎で考えてみると、こちらでも、佐々木氏の方が下なのですよ。著名度においては、伊藤玄二郎は、十分の一、である、50万人程度の人間にしかその名前を知られていないと思います。だけど、この国を支配する案を紡ぎだし、それを実行させるべく、NHKや、朝日新聞を動かすことができる人材としては、伊藤玄二郎の方が上なのです。
しかし、佐々木俊尚氏のためを思えば、そういう立場の方がいいのですよ。そういう風な、国民に隠れて行う悪にまで、手を染めると、自分自身が絶対に、伸びられないです。天とか、神様という存在の好意も失うからです。
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副題6、『山中教授のスピーチにあった、日本を大切にする言葉群』
山中教授がノーベル賞をもらうこととなりました。それに関して記者会見が開かれて、教授の思いが語られました。
そのスピーチの中に、日本を大切に思う気持ちがあふれていました。
例えば、日本に感謝するとか、日本を代表してもらったとか。
今、ノーベル賞をありがたがっている日本人で、山中教授を右翼だという人間はいないでしょう。この際の右翼とは、軽蔑の趣で語られる言葉としての右翼です。
佐々木俊尚氏が上で語ったエピソードに関連して使った「ねとうよ」という言葉を使った時には、軽蔑のニュアンスが確かに込められていました。
いま、ここで、佐々木俊尚氏に呼びかけたいです。一種の公開質問状としてね。
あなたは、明日[=2012年10月9日]にでも、「山中教授は右翼的だ。危険な人物だ」という評論をブログで、でも、つぃったーででも、フェイスブックででも発表できますか?
今度の標的人物は大きいです。幼児と、認知症に陥ったご老人以外の、一億人の人が知っている人物です。
日本に対して、愛国的言辞を弄した人間がすべて右翼だ、という私に対して示した考察が、本当にあなたの信念に基づいたものだったら、これは、好機ですよ。あなたの心情を一億人の心に届かせることができます。
これから、一か月ぐらい、ネットの世界で検索したり、新聞の雑誌広告や電車の中吊りを検討します。待っています。ぜひ、記事か、エッセイか、論文を拝読するのを楽しみにしています。その主張は、『山中教授はけしからん人物だという方向性を持っていること、それを望みますよ。いったん濡れ衣というか、欠席裁判にかかけられた経験をしている人間としては、絶対にそれを要望します。
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副題7、『山中教授の発言は、海外暮らしをした人には共通するものだ』
山中教授は海外で、仕事をする人間です。日本でもするが、アメリカでもそれをする。となると、アメリカできちんと仕事をする人間としては、弱気でもなえていてもだめだと気が付きます。ところが、日本人というのは相対的(または総体的)に、弱気であり、まっすぐではないのです。
一方で国籍はどこであれ、パリやニューヨークなどの多国籍国家で暮らしている多数の外国人は総じて、元気なのです。
行動の様式、思考の在り方。それから、種々様々な面で、まるで元気で、日本のように、KYだとか、足を引っ張られるとか、目立つといじめられるという発想がありません。
そういう中で、よい仕事をしていくためには、同じように元気でまっすぐでないとダメなのです。
『じゃあね、他人を見習えばいいのね。そっくりな行動様式を取ればいいのね。ほら、日本人って猿まねの国だって言われるでしょう。だから、すぐできるわ。私だって、実際にアメリカにわたってしまえば』となるかというとそうでもないのです。
アメリカで暮らす場合でも、パリで暮らす場合でも、日本人としてのアイデンティティを確立したうえでの元気さでないとダメなのです。
現地の言葉ができないと、それは、だめです。が、言語は別にして、行動用式、マナー、ふるまい、思考の在り方、そういうものすべてに、日本人としての、誇りを、付記した、アイデンティティがないと、外国人と互角の仕事はできません。仕事の場さえ確保できません。例えば、実験室なら、スペースすら確保できないでしょう。大学なら器具を後で洗ってくれる助手すら確保できないはずです。
たとえ、予算や地位を与えられても相手が、丁寧に仕事をしてくれなくて、実験がうまく行かないなどという弊害が起きるはずです。
最先端の学問を共同研究するという目的をかなえるためには、まず、明治時代の日本人が一般的にもっていたであろう、武士道精神に基づいた毅然としたマナーと、上品な強気さがないとダメなのです。
それを、戦後の教育を受けた日本人がぽんと外国へ放り出されて、どうしたら、獲得できるかというと、歴史を正しく認識しないとダメなのです。
その歴史ですが、別に厚い教科書を読むことで学べるものでもないのです。自学自習というか、気持ちがそれを欲していることが大切です。山中教授は両親の言葉や愛の大切さを語っておられますが、それが歴史です。
まず、家族が大切です。そのの中に継承をされた正しい歴史ととか、歴史観があると、それが基礎になります。そのうえで、新聞を読むとか、テレビニュースをちらっと見るでもいいのです。
しかし、海外では、そういう風に個人的に、人々は努力をして現地生活に対応するようになります。特に観光で渡ったわけではなくて、現地で仕事をしようとする人間は、ちゃんと適応するように、努力をします。それぐらいの気概は自然に生まれます。
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副題8、『歴女の発生は、必然だったか』
現代日本で、最もお金を使えるのは、熟年で、65歳以上、だと言われ始めました。だが、数年前までは、OLをやっていて、親元から会社に通勤をしているアラサーとか、アラフォーの女性が一番お金を使うと言われたものです。
で、そういう年代の女性に関心を向けられた現象はニュースショーにもたびたび登場します。最近で、注目をされたのは、山ガールでしょう。『登山用・スカートが山小屋で、下ばき(=パンツ)を取り替えるのに便利だ』という知識を、私も得ました。ただ、私にはそれを実行する体力は、もう残っていないでしょうが(笑)
大部屋で、男性が一緒にいる場所でも、スカートなら下着を取り替えることができて、それは、ヨーロッパアルプスでは、よく見られる光景で、日本でもだんだん普及をしてきたという話です。『なるほどなあ』と思いながら聞いています。
しかし、もう一つの流行現象、歴女の出現には、考察を要します。そういえば銀座の東急ハンズで、武将グッズを売っていて、それが今はやっているというのをスタッフから聞きましたが、これも、歴女と関係があるのかしら。
歴女というのは、戦国時代の武将をただ一人選びだし、そのファンになって、そこから歴史をいろいろ調べ出した女性の群れを指すのだそうです。
テレビに、その特別番組があって、出演した女性たちが驚くべき深さで、知識を語り出しました。
それを見ていた私は、『まあ、これでもいいか。ここを糸口にして歴史は学べるから』と思いました。それ以前には男の子を中心とした三国志ブームがありました。あれも役には立っているはずだと思います。だけど、本当に学ばないといけないのは、日本の戦後史です。その次に大切なのは、徳川末期から現代にいたる、150年間の歴史です。
それを、学ばせないような措置が種々とられています。大体、授業時間が無くなって、そこにはざっと触れるという程度で、学校教育は中学でも、高校でも終わってしまいます。
大人になった人々の中には、まじめな人々もいて、歴史を学びたいと思っている人もいるでしょう。
中央公論から、日本歴史という叢書が出て、大ヒット商品となったと覚えて居ります。ただし、そのあとで、中央公論社は、つぶされ(?)中央公論新社となりました。勘ぐりたくはないけれど・・・・・関係があったかもしれません。
そして、私の文章に出てきたものや店、それから、時には人物、が、次から次へと消されていく(一応表向きは癌だったり、自殺だったりして、不思議はないという形ですが、感染病でもない癌が、それほど、蔓延するのもおかしいです。)のと、似て、歴史上のキーワードが次から次へと消されています。
大蔵省が、財務省になり、建設省が、国土省になったのです。これでは、池田勇人首相を語るとか、田中角栄首相を語るときに、正しいイメージが、わきません。それらの人の実際を知っている私でさえ、そうなるのですから、ましてやお若い方はさらに、正しいイメージを持てないでしょう。となると、どうなるかというと、羅針盤も持たないで、航海している船のごとき状態になります。こうして、日本の歴史やら、文化が破壊をされていきます。それが、被・植民地化の最たるものなのです。
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副題9、『幸運な研究者と、悲劇に見舞われた研究者』
山中教授は、そんな中で、極めて希少な人材として、きちんと自分を確立して、互角の研究をアメリカで行うことができました。それがあったので、よけいに、ノーベル賞に近くなったでしょう。それは、よかったです。おめでとうございます。心から敬意を表します。
ただし、同じような基礎医学の研究をしながら、実験素材を持ち出したとして、アメリカで、刑事告訴まで受けた気の毒なお医者様のことを同時に、思い出す私です。
その方は、同僚との意思疎通がうまく行かなかった模様で、邪推されやすい性格だったようです。英語がだめだったのか、いわゆる日本人的な控えめさと、内向性があって、積極的な会話を交わせなかったという可能性はあります。
研究者は研究だけできてもだめで、しっかりした自分を持って、余裕をもって、アメリカ人の中に積極的に入って行かないとダメなのです。社交性も必要だと思いますし、特に英語は、しっかりしていないとダメです。
でも、その方は、今は、僻村で、実際の医療行為をなさっていて、いいお医者様だと、周りの人々から感謝されているそうです。
メーテルリンクの語る青い鳥の世界は、そちらのお医者様の周辺に展開しているのかもしれません。
ちょうど、そのころ、すれ違いに、山中教授は臨床医を辞めて、基礎医学の研究に入って行ったのでした。そして、山中教授のノーベル賞受賞は、日本の国としては、そちらのお医者様がもし、一種の冤罪だったら、名誉回復という意味での、リベンジに当たります。または、慰藉と言ってもよいかなあ。
政府は山中さんを、ちやほやしていますが、前のケースのお医者様の時にこそ、救済の交渉をアメリカ側に対して行わないといけません。
あちらの先生が有罪になったのは、それこそ、弱腰中の弱腰外交を見せる、被植民地国家日本の典型です。もし、それが、加藤日本プロ野球コミッショナーが、駐米大使だった時代のことだったら、あの美形の紳士は、とんでもない無能は人と言えます。顔だけで、仕事をつつがなくこなしたつもりになっているのかな?
前のお医者さんのケースがおきた際にアメリカにいたので、私も事件の推移が無罪へ向かいますようにと、一喜一憂をしました。ので、今回の受賞に、ことさらに、不思議なドラマ性を感じます。
副題13、『リーウーファンの絵が李明博大統領の後ろにあった』
さて、これは、追記として書きます。李明博大統領が、麻生元総理を招いて、会合を開きました。これは、一種の懐柔策でありましょう。腰が軽い人です。ただ、私は政治家としては、両者とも結構できている人物だと思っています。どうしてかというと、批判を許す政治家はいい政治家だからです。ヒットラーもスターリンも毛沢東も、在任当時は、崇敬の対象でした。また、それを本人も求めて演出を敷いた政治家です。ただ、実力とメディアの評価が合致するわけでもありません。不運というか、不遇な人もいるものだとみています。
で、2人が会合したのは、何かというと、天皇に対しては失礼な言葉は出していないという弁明だった模様です。
金融の円とウォンの関係で、韓国国債を買わないというか、支えないといったそうです。それに対して、結局は恐れを抱いたらしいのです。ただ、私は経済のことにはあまり詳しくないのです。ほとんど、ニュースを点検していないので。
ただ、これを挙げたのは、会見場の後ろに遭った絵が問題なのです。
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ところでここで、挿入を入れます。火曜日のお昼に、NHKニュースを見ていたら、韓国国債の、肩代わり信用資金を、今までの700億どまりで、増やさないそうです。その前ですが、120億ドルだったのに、突然に、700ドルと、五倍以上に増えています。なるほど、と、思わせる展開です。それは、ちょうど小沢一郎氏が、やんや、やんやで、菅首相を追い落とした時期です。野田総理が誕生して、ポンポン、お金をあげる傾向の表れの一つだったと思います。
でもね。路線を敷いたのは、小沢一郎氏でしょう。習金平氏の天皇会見を約束してきたときに、中国へ100人以上のチルドレンを連れて行きました。が、それは、カモフラージュで、韓国が目当てだったと思います。その時に大盤振る舞いで、五倍以上の増額をしたのです。それでは、もう、お金をそちら向けに用意する必要はないですね。だけど、日本と、日本人にとっては、7兆円(=7億ドル・・・・・12時間以上、7億円と誤記していました。恐れ入ります)・・・・・・が、自由には使えないこととなったのです。
それが、小沢一郎という政治家の本質です。で、元に戻ります。
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あれ見たことがあるというのが、月曜日の深夜フジテレビのニュースを見た時の感想で、次の日の火曜日、NHKのニュースを見ているときに、『ああ、リーウーファン』だとわかったのでした。
これは、何を意味するのか?
そこにこだわって考え込む私でした。中国は外交に、部屋の装飾で、大きく差別をつけます。
背景が豪華、または、花瓶が豪華、または、そこに生けてある花が豪華かどうかで、客人がどの程度の待遇で扱われているかの、物差しとなります。
韓国の外交儀礼の様子が映ることは早々はないのです。日本の偉い人が公式に韓国を訪問することがないし。で、判断のしようがないのですが、今回、用いられたのは、それら中国の会見場と比較すると、質素でした。
だが、懐柔の気持ちがリーウーファンを飾ってあることに出ていると感じています。リーウーファンが、どちらの国で生まれたのかを知りません。ただ、1960年代からずっと、日本で活躍しているのではないかなあ。?
そして、扱い画廊(リーウーファンの作品を買うことのできる画廊のこと)はシロタ画廊です。となると、もしかすると、例の『社会の窓が開いていますよ』シリーズの渡辺幸子さんを『書くな』というサインかな?とさえ、勘ぐってしまう私です。
それが、正しい予測かどうかは、例の銀座の画廊巡りを続けていれば、すぐわかる問題ですが、9月に入ってから、その渡辺幸子論を展開するために行っていないのです。行くとそれなりに、刺激があって・・・・・(というのは、書くモノ次第でいじめられるということですが)・・・・・それもまた、私の判断材料になるので、美術の勉強+、純粋な楽しみ+、ブログを書くための指針を得るために行っていたのでした。それを、9月の初旬から、5週か、6週休んでいます。
でね、質素な部屋を選んで会見をしたのが、その部屋には常時飾ってあるリーウーファンを大切にしていることを、日本人に見せるのが目的だったら、あそこでいいわけですね。麻生さんには、「この人は、日韓友好のシンボル的な芸術家です」と言えば、麻生さんなら、納得をして、その質素な会議場でも、気を悪くしないでしょうから。
まあ、この件は私がもし、50代だったら、ひどくこだわるはずですが、今は、70を過ぎたので、何が真実であったとしても、『ああ、そうですか』とか、『ああ、そうざんしたか』というだけですが・・・・・・
2012年10月8日の深夜に書き、9日の深夜に推敲を終わる。
雨宮舜(本名 川崎千恵子)
副題2、『佐々木俊尚氏は、ねとうよ(ネット右翼)の研究家だそうですが?』
副題3、『日本が法治国家である限り、私は安全です』
副題4、『オピニオンリーダー、または、政治評論家でありながら、単なる一鉄砲玉として利用をされている、佐々木俊尚氏』
副題5、『数で、考えてみる佐々木俊尚の実力・対・私+対・伊藤玄二郎』
副題6、『山中教授のスピーチにあった、日本を大切にする言葉群』
副題7、『山中教授の発言は、海外暮らしをした人には共通するものだ』
副題8、『歴女の発生は、必然だったか』
副題10、『リーウーファンの絵が李明博大統領の後ろにあった』
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副題1、『本日の前置き、・・・・・ただし、8日に書いています』
皆様、私は日曜日から月曜日にかけて、ほぼ、20時間も、パソコンにタッチしていませんでした。どうして、それほど、間を開けたかというと、法事があったのと、久しぶりの肉体労働で、お昼寝をしたからです。思いがけず頭と体のバランスが取れていて、眠いと感じたら、寝られたという状態でした。
肉体労働とは、築40年という古家部分を改築しようとしていて、その18坪に入っているもの類を、改築しない新家部分、15坪に移動をしようとしていたからです。膨大なもの、特に絵とか、書類など、自分が作ったものは、整理に時間がかかるはずなので、本とか、衣服など、買ったものの移動に、最初に取り組もうと考えました。が、本は意外に重いです。
ついでに、はば60センチの簡易な本棚を一階から二階へ一人で移動をさせたりしたので、疲れました。ただし睡眠にむけては適宜な状況です。
でもね。これほど、長時間パソコンを開かないでいられるというのも、私自身が相当に余裕を持ってきたことを証明しております。
大体、似たようなことは繰り返されています。大阪府警が発表した『成りすまし、ウィルス感染』の問題も、私が一週間(10月2日)前に、書いたことを、打ち消すために、作られた現象です。ただし、府警側は起きたのが、8月ごろと言っていますが、それこそ、作られた期日のはずです。
大相撲壊滅作戦の時も、NHK記者が捜査情報を漏えいしたと言って、叱られました。名前が明らかにはされませんでした。顔写真も出なかったです。あのときも7月に発生したものを、9月か、10月に究明するといっていまう。これら、調略として作られた事件や事象は、期日については見え見えの嘘が含まれています。
特に、顔写真および名前が出ないという点では、毒いり餃子事件等とも同じです。期日が、前倒しにされているのは、
トロイの木馬、ボッツウィルス、など、国谷裕子さんが、解説した大騒ぎめいたウィルスが過去にありましたが、また、国谷さんが、クローズアップ現代で、これを取り上げるようだと、ほぼ、100%、私のブログと対応をしていて、それを否定するための現象だといえましょう。
で、そのように、私の文章を打ち消すための、NHKニュースおよびその前段階での警察の発表という攻撃があっても、おっとりと構えて、『ああ、そうですか』と言っていられる自分が、いま、ここにいます。それも、これも、すさまじい過去の経験から、生まれた余裕です。もし、そのニュースによって、私が書いたことが否定をされるのなら、また、次の問題で、その新しく発見をされたあくどさを書くだけとなります。
で、前報を、改善推敲、加筆をしないで、24時間たっているうちに、山中教授のノーベル賞受賞というニュースが飛び込んできました。で、ここで、お約束をしていた前報群を、推敲することを後回しにして、その朗報を聞いて感じることを書きたいと思います。
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副題2、『佐々木俊尚氏は、ねとうよ(ネット右翼)の研究家だそうですが?』
私は自分が不当な形と、不当な理由で、弾圧を受けていて、五億円に近い損害を被っていると思っています。その一つに、「ねとうよ」と規定をされていて、朝日新聞を中心とした論壇にいる論客から馬鹿にされていることも、含まれています。
その証拠の一つは、2010年の初夏に、『消された映画』という本を準備していた最中に起こりました。
朝日新聞に『売れている本』というコラムがあります。そこに佐々木俊尚氏が、堤みかさんの新書を取り上げたいたのですが、その中に突然、文脈を外して、マイケルムーア監督に対する否定と批判の言葉が出てきたのです。
朝日新聞の編集サイドから頼まれたのか、彼本人の、意識下から生まれた言葉かは不明ですが、誰か、いわゆるCIAのエージェント化している人間から、・・・・・私(=雨宮舜)が今、マイケル・ムーア監督を、称揚する文章が入った書物を編集中だ(・・・・・とは聞いていて)、それをつぶすために、そういう文言が、おかしな場所に入った文章を書いたのだ・・・・・と、それは、直感をしました。
その当時は、千葉景子法務大臣が、持論に反して死刑執行を行い、死刑場を公開した件もありました。それも、私が編集しつつあった、レオス・カラックス監督の映画、{TOKYO}の部分をつぶすために、行われたと直感をしています。
私は、本を編集する際には、妨害が果てしがないので、編集作業を今行っているとは、このブログや、AOLのメルマガの読者様にはお知らせをしないで、秘密裡に行います。最初はのんきに、今はそれで、忙しいのです』などと、報告をしていましたが、渡辺幸子さんが、『絵を返してくださいと』電話をくれたころには、本の編集の真っ最中で、それゆえ妨害をするための電話だと思いましたし、その妨害を乗り越えながら作業を、自宅でしていると、普通の日の、10倍の時間と労力がかかるからです。
ですから、読者に、目撃者となって頂くことができません。
それを利用して、現場で私のパソコンに直接バグを入れこめるだけではなくて、同時並行的に、すごいレベルで、高度な(笑)いじめるためのニュースが作り出されるのです。そのニュースを聞いたり接したりすると、気がめいるはずだと思われて、そういうニュースが創出をされます。
はたまた、誰か、彼らが考える有名人が使役されて攻撃者として登場します。
上の千葉景子さんもその一人ですが、佐々木俊尚氏も、その一人であり、最近猛烈なメールをくれた開発ちえさんも、その一人です。
後で、整理しておきますが、お互いのやり取りを逐一、テキスト形式に直して、全部総合させると、一万五千字以上になるはずです。そのうちの4分の3が彼女の文章であり、罵りの連続です。
開発さんがどういう風に、それをお考えになろうとも、こちらからみれば、『ああ、佐々木俊尚氏と同じレベルで、使われましたね。あちらは、早稲田卒、こちらは慶応卒ですが』と思うだけですね。だから、私は冷静であって、あのまま、だれにも言わないで終わらせてもよかったのですが、パソコンを壊されるほど、敵方の陣営に深い形で、大切にされていたわけで、驚いて、ブログで、文章化したのでした。
敵方は、私がAOLのメールはパソコンを壊されるとたとえハードディスクを取り出しても、すでに読めない形になると言い続けていますので、パソコンを壊して彼女を守ったのです。しかし、私は常に予測の人ですから、それも勘案して、もらったとたんにすべてをコピペして保管をしてあります。
彼女は、その10日以上前に、ご自分の方は、既にフェイスブックで、私のメールを公開なさっているそうですから、互角というか、お相子というか、こちらは正当防衛となります。
30年前に瀬島龍三(その友人)に、北久里浜の横須賀市の水道タンク山を彼らがただどりした際の法的闘争(訴訟という大げさな形にはしていないが)に勝っていて、弁護士さんが、舌を巻きながら「あなたって、あたまがいいですね」とおっしゃってくださった、そういう人間が、私です。法を守る行動と、法で、守られるという行動様式は、きちんと身についています。決してヒステリーは起こさないし、感情的にもなりません。
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副題3、『日本が法治国家である限り、私は安全です』
日本が法治国家である限り、私は安全です。私を攻撃してくる人を、一種の虫けらとしてみなしているのも、豊富な、実地経験があるからです。私の言葉は、机上の空論でもなく、かつ言葉のブラフでもありません。
そして、「100%勝てるわね」と思っても絶対に深追いをいたしません。相手が逃げられる余地を残しておく。人生は長いのです。それに法律とは、自分を守るのが本義なのです。正義がこちらにあるときに、自分を守るものが法律です。
ある時期に、一気に勝っても、結局のところ、復讐をされたりしますから、100%の勝利は取らないように、気を付けています。55%の勝利ぐらいしか求めておりません。
武士の情け、相手に逃げる余地を残しておきます。
しかし、素人は、そういう法律の本義を知りません。で、感情まみれになります。今回の開発ちえさんのメールも全文を公開すれば、みなさんは、あるインテリ標榜する人間が示した目を覆う惨状(または、破たん)を、実際にご覧になることとなるでしょう。それは、ちえさんが、法律に関しては、素人だからです。だから、私はほほえましく思って、本当に、たとえ一部でも、非公開のままにしておきたかったぐらいですが。
この山の住人も、私からみれば法律に関しては、素人ばかりです。前田清子夫人は静岡大学の法学部出身だそうですが、アジさい畑欺罔事件・・・・・・前田家は造成上、違反な指導分担をしているのに、私の指導分担へは、コンクリート打ちをするという形で、事実上盗んだ。その裏側にはすさまじいまでの、女社会のいじめがあった。対・私ではなくて、対・藤本夫人という形ではあったが・・・・・
では自分がもっとも、主要な原因者であるにもかかわらず、平気な顔で、24年を過ごし、「私(雨宮舜が、きちんと法的な被害と加害の関係には、気が付いていて、理論的に、それを再構築できるのですよ」ということを示した途端に、初めて恐ろしくなったのでしょうね。
急に追い出したくなって、私の猫さえ脅かすのです。真昼間なのに、雨戸をキー、ががががーっと、開け閉めして、ご主人からたしなめられるほどです。それを書いた日から、引き戸を、がーと開け閉めするのが、攻撃策として有効だとみなされ、数か月おいては使われました。30メートル離れている大原光孝氏もそれをやり、5メートルも離れていない小野寺夫人もそれをやりました。
で、常にそれらを書き留めながら、「何んて法律に対して、無知なのだろう」とあきれかえっている私です。静岡大学って、どなたもご存じのように、国立大学でしょう。税金で法律の勉強をさせてもらったのに、実生活の中では、法律的思考が身についていないのです。違法なことを平気でやっている。まず、ご自分のうちの崖の設置場所は、なんですか?と言いたいです。恐るべき無知蒙昧無教養というべき態度です。『ごめんなさいね。いつも、ご迷惑をおかけして、あなたが我慢をしてくださって、譲ってくださっているので、とても、助かっていますわ』という態度ならまだ許せるけれど。
それが、28年も続いて、もっといろいろあるのですから、彼女を国学院大学の講師へ推薦なさった、八幡宮の大銀杏も倒れるというものです。神様はちゃんとご覧になっています。別に法律だけが人間を守るものでもありません。
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副題4、『オピニオンリーダー、または、政治評論家でありながら、単なる一鉄砲玉として利用をされている、佐々木俊尚氏』
ところで、前田夫人からも、開発ちえさんからも、離れて、俊尚氏に戻ります。
私はその佐々木俊尚氏の文章にびっくりして、グーグル検索だけですが、彼を調べてみると、
早稲田大学出身で、私より若い。
そうすると、私の中学の同級生で、元朝日新聞社記者、週刊朝日編集長だった、飯田隆君などが、引き揚げてあげることができますね。ほかにも朝日新聞社には、早稲田大学出身者は、たくさんいるはずです。
で、朝日新聞に署名入りで、コラムを書くことは、自分の権威をあげ、ほかの仕事を、もらう可能性が広がりますので、お金にも名誉にもつながります。となると、朝日新聞の大方針である、『右翼的傾向の人間をつぶせ』ということには、従順なはずです。
だけど、タイミングから考えると、一方で、絶対に、「私を狙った、文章」であるそれが、あり、かつ別方向で、「ねとうよ」の研究家だという記述があると、それを重ね合わせると、当然のごとく、私が「ねとうよ」ということになります。
『え、それはないでしょう』とびっくり仰天です。昔よく、『ギョエテとは、俺のことかとゲーテいい』という文言がもてはやされました。
これは明治期から、大正期にかけて、日本語表記に、まだ不備があって、ゲーテを、ウムラウト表記などがない日本語であらわすのが難しくて、ギョエテと、翻訳してあったのをからかった文言です。
それに倣えば、『ねとうよとは、おれのことかと、舜はいい」となります。
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ここで、2,3わき道にそれますが、まず第一に、雨宮舜は、女性ですと、お断りをしておきます。
また、ギョエテの笑い話が生まれたのは、『デカンショ、デカンショーで、はんとしくーらーす」というデカンショ節が、生まれたころの、優雅な旧制高校のはやり言葉の一種です。
お若い方のために、念のためにおせっかいな解説をさせていただくと、デカンショとは、
デカルト、カント、ショーペンハウエルを、三つ合わせて短縮形にした言葉で、いわゆる高等遊民生活を送っていた、戦前、特に、大正期の旧制高校生や、帝大生が産んだ言葉でしょう。
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私は本当に佐々木俊尚氏とか、彼を、そのように使役をしている存在に対して、怒っています。特に、私が編集中の本は、ほとんどが、ブログ等でさらしていますから、その本文そのものがハッキングをされようがどうしようが構わないのですが、
紙の本に直すとなると、最大の妨害を受けます。ということはいまだに紙の本が大いなる力を持っていることを示しています。で、私が小さな仕事である、自分の本の編集を始めると、それが、大警戒心を敵ども(=原発の燃料を送り込んでいる世界の大資本とそれに連なって大小のエージェントとして、動いている日本人)
に抱かせるみたいで、激しい攻撃用ニュースが作り出されるのです。
だけど、「ねとうよ」なんていないのですよ。ごく当たり前の日本人として、ごく当たり前の発言を、私はしているだけです。そして、私が喫茶店や、レストランでパソコンを開けて本の編集の仕事をしていると、隣のテ-ブルで、話し合われていることが聞こえてきますが、それらは、まさしく、私がここで書いているような話題で、私がここに書いているような結論に達しています。だから、佐々木俊尚氏の方が、そのうちに裸の王様になる可能性は強いです。朝日新聞自体はすでに、ジャーナリズムとしてはそうであって、ただ、映画、演劇などのエンタメ系および、展覧会等の情報が乗っていますね。番組表もカラーで見やすいしという形で惰性で、撮っている人たちが多いが、世代が、新しくなればなるほど、衰退に向かう形式のメディアでしょう。だから、ご自分たちが自認しているほどの、力や権威はすでにないはずであり、かつ、どんどん、下落していくと思います。
早く山中教授へ入りたいのですが、もう少し佐々木俊尚氏にこだわります。
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副題5、『数で、考えてみる佐々木俊尚の実力・対・私+対・伊藤玄二郎』
佐々木俊尚という名前を知っている人間が、日本中には、500万人はいるでしょう。朝日新聞は、公称、800万部売れているそうです。家族もともに読む、とか、図書館で読む人もいると仮定すると、2000万人ぐらいに、佐々木俊尚という名前が知られている可能性はあります。
しかし、まだ、本田靖春、佐木隆三、佐野真一のレベルではないと思われます。
それに、私もそうなのですが、忙しくて新聞を読んでいる暇がないとか、若い人で、新聞なんかとっていないよという人も多いでしょうから、
その文章の実際を知っている人間を、500万人と仮にですが、想定をしておきましょう。
比較して、私の方がどれだけの数の人間に、知られているかと言えば、5000人ぐらいだと思われます。と、なると、力関係上は、0.1%の数量差があります。
そこをどう処理するかです。相手方は総力を挙げて、私をつぶそうとしています。それも、常に心理学的な処理で行おうとしています。
この数で、または、数に基づいた力関係で、考えると『負けているのだ』となり、それを、真正面から受け止めると、そりゃあ、気分がめいりますね。当たり前のことです。ですから、そういう時は、『自分は神様に向かって書く』とこころに決め、臍下丹田に力を入れるのです。
朝日新聞は、人間が作った組織です。また、ロックフェラー四世も人間であることには変わりはないです。アメリカが国家としては、主役となり、国際的軍産共同体が、自分たちの人間としての利益を得るために、日本を事実上の被・植民地化していると言っても、それも人間が決めたことです。だが、神様の存在は人間を超えています。そこに依拠してものを考えると、心が自由になり、筆も自由になります。
そのような自由な姿勢でものを書くときに、ものを書くことが喜びとなります。佐々木俊尚氏にとって、ものを書くことが喜びであろうか? 例えば朝日新聞の記者であった赤津ただしさんは、うつ病になって、定年前に退職したそうです。それは、ものを書くことが負担になっていたことを想像させますが、朝日新聞の記者だったからこそ、負担が大きくて、そうなったともいえます。
1000万人の読者がいて、種々様々な不文律で、縛られてもいる。しかも字数に制限がある。これって、私だって、容易に想像できる書きにくさがあります。
佐々木俊尚氏は、外部の、フリーのライターで、記者でもない。特にサラリーマンではありません。だから、ずっと自由だと言っても、種々様々な規制が文章にかかっていることには変わりはないのです。
例えば、ですが、選挙区制度の問題を考えてみましょう。小選挙区制を総力をあげて推進したのは朝日新聞です。しかし、あれが大きく日本政治をダメにしたのは、衆目の一致する意見です。となると、まず、その一点で、自分の脳みそや心を、麻痺させないとダメです。もし、『麻痺させないでも大丈夫だ。自分は心から小選挙区制は正しかったと思っている』となるなら、私は、その点で、氏を軽蔑しますね。特に判断力において。
しかし、ここで、何を書いても佐々木氏の方では、絶対に自分が上だ。一千倍以上の力でと思っているでしょう。だけど、もう一つあります。
対、私ではなくて、対・伊藤玄二郎で考えてみると、こちらでも、佐々木氏の方が下なのですよ。著名度においては、伊藤玄二郎は、十分の一、である、50万人程度の人間にしかその名前を知られていないと思います。だけど、この国を支配する案を紡ぎだし、それを実行させるべく、NHKや、朝日新聞を動かすことができる人材としては、伊藤玄二郎の方が上なのです。
しかし、佐々木俊尚氏のためを思えば、そういう立場の方がいいのですよ。そういう風な、国民に隠れて行う悪にまで、手を染めると、自分自身が絶対に、伸びられないです。天とか、神様という存在の好意も失うからです。
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副題6、『山中教授のスピーチにあった、日本を大切にする言葉群』
山中教授がノーベル賞をもらうこととなりました。それに関して記者会見が開かれて、教授の思いが語られました。
そのスピーチの中に、日本を大切に思う気持ちがあふれていました。
例えば、日本に感謝するとか、日本を代表してもらったとか。
今、ノーベル賞をありがたがっている日本人で、山中教授を右翼だという人間はいないでしょう。この際の右翼とは、軽蔑の趣で語られる言葉としての右翼です。
佐々木俊尚氏が上で語ったエピソードに関連して使った「ねとうよ」という言葉を使った時には、軽蔑のニュアンスが確かに込められていました。
いま、ここで、佐々木俊尚氏に呼びかけたいです。一種の公開質問状としてね。
あなたは、明日[=2012年10月9日]にでも、「山中教授は右翼的だ。危険な人物だ」という評論をブログで、でも、つぃったーででも、フェイスブックででも発表できますか?
今度の標的人物は大きいです。幼児と、認知症に陥ったご老人以外の、一億人の人が知っている人物です。
日本に対して、愛国的言辞を弄した人間がすべて右翼だ、という私に対して示した考察が、本当にあなたの信念に基づいたものだったら、これは、好機ですよ。あなたの心情を一億人の心に届かせることができます。
これから、一か月ぐらい、ネットの世界で検索したり、新聞の雑誌広告や電車の中吊りを検討します。待っています。ぜひ、記事か、エッセイか、論文を拝読するのを楽しみにしています。その主張は、『山中教授はけしからん人物だという方向性を持っていること、それを望みますよ。いったん濡れ衣というか、欠席裁判にかかけられた経験をしている人間としては、絶対にそれを要望します。
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副題7、『山中教授の発言は、海外暮らしをした人には共通するものだ』
山中教授は海外で、仕事をする人間です。日本でもするが、アメリカでもそれをする。となると、アメリカできちんと仕事をする人間としては、弱気でもなえていてもだめだと気が付きます。ところが、日本人というのは相対的(または総体的)に、弱気であり、まっすぐではないのです。
一方で国籍はどこであれ、パリやニューヨークなどの多国籍国家で暮らしている多数の外国人は総じて、元気なのです。
行動の様式、思考の在り方。それから、種々様々な面で、まるで元気で、日本のように、KYだとか、足を引っ張られるとか、目立つといじめられるという発想がありません。
そういう中で、よい仕事をしていくためには、同じように元気でまっすぐでないとダメなのです。
『じゃあね、他人を見習えばいいのね。そっくりな行動様式を取ればいいのね。ほら、日本人って猿まねの国だって言われるでしょう。だから、すぐできるわ。私だって、実際にアメリカにわたってしまえば』となるかというとそうでもないのです。
アメリカで暮らす場合でも、パリで暮らす場合でも、日本人としてのアイデンティティを確立したうえでの元気さでないとダメなのです。
現地の言葉ができないと、それは、だめです。が、言語は別にして、行動用式、マナー、ふるまい、思考の在り方、そういうものすべてに、日本人としての、誇りを、付記した、アイデンティティがないと、外国人と互角の仕事はできません。仕事の場さえ確保できません。例えば、実験室なら、スペースすら確保できないでしょう。大学なら器具を後で洗ってくれる助手すら確保できないはずです。
たとえ、予算や地位を与えられても相手が、丁寧に仕事をしてくれなくて、実験がうまく行かないなどという弊害が起きるはずです。
最先端の学問を共同研究するという目的をかなえるためには、まず、明治時代の日本人が一般的にもっていたであろう、武士道精神に基づいた毅然としたマナーと、上品な強気さがないとダメなのです。
それを、戦後の教育を受けた日本人がぽんと外国へ放り出されて、どうしたら、獲得できるかというと、歴史を正しく認識しないとダメなのです。
その歴史ですが、別に厚い教科書を読むことで学べるものでもないのです。自学自習というか、気持ちがそれを欲していることが大切です。山中教授は両親の言葉や愛の大切さを語っておられますが、それが歴史です。
まず、家族が大切です。そのの中に継承をされた正しい歴史ととか、歴史観があると、それが基礎になります。そのうえで、新聞を読むとか、テレビニュースをちらっと見るでもいいのです。
しかし、海外では、そういう風に個人的に、人々は努力をして現地生活に対応するようになります。特に観光で渡ったわけではなくて、現地で仕事をしようとする人間は、ちゃんと適応するように、努力をします。それぐらいの気概は自然に生まれます。
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副題8、『歴女の発生は、必然だったか』
現代日本で、最もお金を使えるのは、熟年で、65歳以上、だと言われ始めました。だが、数年前までは、OLをやっていて、親元から会社に通勤をしているアラサーとか、アラフォーの女性が一番お金を使うと言われたものです。
で、そういう年代の女性に関心を向けられた現象はニュースショーにもたびたび登場します。最近で、注目をされたのは、山ガールでしょう。『登山用・スカートが山小屋で、下ばき(=パンツ)を取り替えるのに便利だ』という知識を、私も得ました。ただ、私にはそれを実行する体力は、もう残っていないでしょうが(笑)
大部屋で、男性が一緒にいる場所でも、スカートなら下着を取り替えることができて、それは、ヨーロッパアルプスでは、よく見られる光景で、日本でもだんだん普及をしてきたという話です。『なるほどなあ』と思いながら聞いています。
しかし、もう一つの流行現象、歴女の出現には、考察を要します。そういえば銀座の東急ハンズで、武将グッズを売っていて、それが今はやっているというのをスタッフから聞きましたが、これも、歴女と関係があるのかしら。
歴女というのは、戦国時代の武将をただ一人選びだし、そのファンになって、そこから歴史をいろいろ調べ出した女性の群れを指すのだそうです。
テレビに、その特別番組があって、出演した女性たちが驚くべき深さで、知識を語り出しました。
それを見ていた私は、『まあ、これでもいいか。ここを糸口にして歴史は学べるから』と思いました。それ以前には男の子を中心とした三国志ブームがありました。あれも役には立っているはずだと思います。だけど、本当に学ばないといけないのは、日本の戦後史です。その次に大切なのは、徳川末期から現代にいたる、150年間の歴史です。
それを、学ばせないような措置が種々とられています。大体、授業時間が無くなって、そこにはざっと触れるという程度で、学校教育は中学でも、高校でも終わってしまいます。
大人になった人々の中には、まじめな人々もいて、歴史を学びたいと思っている人もいるでしょう。
中央公論から、日本歴史という叢書が出て、大ヒット商品となったと覚えて居ります。ただし、そのあとで、中央公論社は、つぶされ(?)中央公論新社となりました。勘ぐりたくはないけれど・・・・・関係があったかもしれません。
そして、私の文章に出てきたものや店、それから、時には人物、が、次から次へと消されていく(一応表向きは癌だったり、自殺だったりして、不思議はないという形ですが、感染病でもない癌が、それほど、蔓延するのもおかしいです。)のと、似て、歴史上のキーワードが次から次へと消されています。
大蔵省が、財務省になり、建設省が、国土省になったのです。これでは、池田勇人首相を語るとか、田中角栄首相を語るときに、正しいイメージが、わきません。それらの人の実際を知っている私でさえ、そうなるのですから、ましてやお若い方はさらに、正しいイメージを持てないでしょう。となると、どうなるかというと、羅針盤も持たないで、航海している船のごとき状態になります。こうして、日本の歴史やら、文化が破壊をされていきます。それが、被・植民地化の最たるものなのです。
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副題9、『幸運な研究者と、悲劇に見舞われた研究者』
山中教授は、そんな中で、極めて希少な人材として、きちんと自分を確立して、互角の研究をアメリカで行うことができました。それがあったので、よけいに、ノーベル賞に近くなったでしょう。それは、よかったです。おめでとうございます。心から敬意を表します。
ただし、同じような基礎医学の研究をしながら、実験素材を持ち出したとして、アメリカで、刑事告訴まで受けた気の毒なお医者様のことを同時に、思い出す私です。
その方は、同僚との意思疎通がうまく行かなかった模様で、邪推されやすい性格だったようです。英語がだめだったのか、いわゆる日本人的な控えめさと、内向性があって、積極的な会話を交わせなかったという可能性はあります。
研究者は研究だけできてもだめで、しっかりした自分を持って、余裕をもって、アメリカ人の中に積極的に入って行かないとダメなのです。社交性も必要だと思いますし、特に英語は、しっかりしていないとダメです。
でも、その方は、今は、僻村で、実際の医療行為をなさっていて、いいお医者様だと、周りの人々から感謝されているそうです。
メーテルリンクの語る青い鳥の世界は、そちらのお医者様の周辺に展開しているのかもしれません。
ちょうど、そのころ、すれ違いに、山中教授は臨床医を辞めて、基礎医学の研究に入って行ったのでした。そして、山中教授のノーベル賞受賞は、日本の国としては、そちらのお医者様がもし、一種の冤罪だったら、名誉回復という意味での、リベンジに当たります。または、慰藉と言ってもよいかなあ。
政府は山中さんを、ちやほやしていますが、前のケースのお医者様の時にこそ、救済の交渉をアメリカ側に対して行わないといけません。
あちらの先生が有罪になったのは、それこそ、弱腰中の弱腰外交を見せる、被植民地国家日本の典型です。もし、それが、加藤日本プロ野球コミッショナーが、駐米大使だった時代のことだったら、あの美形の紳士は、とんでもない無能は人と言えます。顔だけで、仕事をつつがなくこなしたつもりになっているのかな?
前のお医者さんのケースがおきた際にアメリカにいたので、私も事件の推移が無罪へ向かいますようにと、一喜一憂をしました。ので、今回の受賞に、ことさらに、不思議なドラマ性を感じます。
副題13、『リーウーファンの絵が李明博大統領の後ろにあった』
さて、これは、追記として書きます。李明博大統領が、麻生元総理を招いて、会合を開きました。これは、一種の懐柔策でありましょう。腰が軽い人です。ただ、私は政治家としては、両者とも結構できている人物だと思っています。どうしてかというと、批判を許す政治家はいい政治家だからです。ヒットラーもスターリンも毛沢東も、在任当時は、崇敬の対象でした。また、それを本人も求めて演出を敷いた政治家です。ただ、実力とメディアの評価が合致するわけでもありません。不運というか、不遇な人もいるものだとみています。
で、2人が会合したのは、何かというと、天皇に対しては失礼な言葉は出していないという弁明だった模様です。
金融の円とウォンの関係で、韓国国債を買わないというか、支えないといったそうです。それに対して、結局は恐れを抱いたらしいのです。ただ、私は経済のことにはあまり詳しくないのです。ほとんど、ニュースを点検していないので。
ただ、これを挙げたのは、会見場の後ろに遭った絵が問題なのです。
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ところでここで、挿入を入れます。火曜日のお昼に、NHKニュースを見ていたら、韓国国債の、肩代わり信用資金を、今までの700億どまりで、増やさないそうです。その前ですが、120億ドルだったのに、突然に、700ドルと、五倍以上に増えています。なるほど、と、思わせる展開です。それは、ちょうど小沢一郎氏が、やんや、やんやで、菅首相を追い落とした時期です。野田総理が誕生して、ポンポン、お金をあげる傾向の表れの一つだったと思います。
でもね。路線を敷いたのは、小沢一郎氏でしょう。習金平氏の天皇会見を約束してきたときに、中国へ100人以上のチルドレンを連れて行きました。が、それは、カモフラージュで、韓国が目当てだったと思います。その時に大盤振る舞いで、五倍以上の増額をしたのです。それでは、もう、お金をそちら向けに用意する必要はないですね。だけど、日本と、日本人にとっては、7兆円(=7億ドル・・・・・12時間以上、7億円と誤記していました。恐れ入ります)・・・・・・が、自由には使えないこととなったのです。
それが、小沢一郎という政治家の本質です。で、元に戻ります。
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あれ見たことがあるというのが、月曜日の深夜フジテレビのニュースを見た時の感想で、次の日の火曜日、NHKのニュースを見ているときに、『ああ、リーウーファン』だとわかったのでした。
これは、何を意味するのか?
そこにこだわって考え込む私でした。中国は外交に、部屋の装飾で、大きく差別をつけます。
背景が豪華、または、花瓶が豪華、または、そこに生けてある花が豪華かどうかで、客人がどの程度の待遇で扱われているかの、物差しとなります。
韓国の外交儀礼の様子が映ることは早々はないのです。日本の偉い人が公式に韓国を訪問することがないし。で、判断のしようがないのですが、今回、用いられたのは、それら中国の会見場と比較すると、質素でした。
だが、懐柔の気持ちがリーウーファンを飾ってあることに出ていると感じています。リーウーファンが、どちらの国で生まれたのかを知りません。ただ、1960年代からずっと、日本で活躍しているのではないかなあ。?
そして、扱い画廊(リーウーファンの作品を買うことのできる画廊のこと)はシロタ画廊です。となると、もしかすると、例の『社会の窓が開いていますよ』シリーズの渡辺幸子さんを『書くな』というサインかな?とさえ、勘ぐってしまう私です。
それが、正しい予測かどうかは、例の銀座の画廊巡りを続けていれば、すぐわかる問題ですが、9月に入ってから、その渡辺幸子論を展開するために行っていないのです。行くとそれなりに、刺激があって・・・・・(というのは、書くモノ次第でいじめられるということですが)・・・・・それもまた、私の判断材料になるので、美術の勉強+、純粋な楽しみ+、ブログを書くための指針を得るために行っていたのでした。それを、9月の初旬から、5週か、6週休んでいます。
でね、質素な部屋を選んで会見をしたのが、その部屋には常時飾ってあるリーウーファンを大切にしていることを、日本人に見せるのが目的だったら、あそこでいいわけですね。麻生さんには、「この人は、日韓友好のシンボル的な芸術家です」と言えば、麻生さんなら、納得をして、その質素な会議場でも、気を悪くしないでしょうから。
まあ、この件は私がもし、50代だったら、ひどくこだわるはずですが、今は、70を過ぎたので、何が真実であったとしても、『ああ、そうですか』とか、『ああ、そうざんしたか』というだけですが・・・・・・
2012年10月8日の深夜に書き、9日の深夜に推敲を終わる。
雨宮舜(本名 川崎千恵子)