今、金曜日の午後4二時です。やっと推敲が完成しました。タイトル右横に参画印を付けておきます。
副題ゼロ、『日銀、短観は、なぜ、この(2012年10月)24日に、発表をされたのか?・・・・・この、描くのに大変苦労した一文を、苦労を乗り越えて書いた理由と目的』
最近の中国の尖閣諸島をめぐる脅かしと嫌がらせに私は当然怒っていますが、その理由が一般の日本社会の特にメディアとは、圧倒的に違うでしょう。それはあれが単なる、自然な外交的事件ではなくて、ただ、ただ、単純に、鎌倉エージェントと私が呼んでいる三人、特に、伊藤玄二郎と、酒井忠康氏を救うために起こされた、非常に個人的な色彩の強いものだという判断です。
で、無視しておけばいいほどの小さな事件ですが、私の主張を覆し否定させるために、次から次へとでっち上げ情報が、繰り広げられ、報道をされます。
伊勢神宮等を脅かしたと言われる成りすまし疑惑、誤認逮捕問題もそうですが、
この2012年、10月24日に発表された日銀短観もその一つです。
いかにも正当なもののように見えます。そして、白川日銀総裁と、各理事たちが、関与して練り上げた(?)ものであることも確かでしょう。
ところが、『ああ、これも、例の鎌倉エージェントを救済する一環の、作られた情報ですね』と思うところがあります。
どうしてそう思うかというと、
まず全体の基調が長期デクライン(下降傾向)にあり、デフレの意味合いが強いと発表されています。
これは、最近の発表では珍しい傾向のものだそうです。それで、国民の耳目を引きます。その発表に対して注意が特別に払われます。
ところが、短観そのものの、見通しが暗いので、国民の気持ちも暗くなります。
そこは、まあ、良しとしましょう。だって、国民の皆さんも、だいたいそうだとご納得されているでしょうから。
そして、その理由としてヨーロッパ圏の経済不況が挙げられています。
そこも、まあ、良しとしましょう。
ギリシャ政府の経済破たんから始まってスペインが危ないとか、いろいろ、報道もされています。
そんな中IMF総会が開かれて、『野田総理大臣は、600億ドルをユーロ圏救済へ拠出する』と発表をされました。だが、その情報はすぐにひっこめられました。これは国民にとって嫌な傾向です。国民が損をする大切な情報が、きちんと報道をされないという事実は無視できません。
しかし、そこも看過いたします。というのも、私一人がのろしを上げても、だれもついてこなかったら、なんの力も生み出さないからです。
自分がドンキホーテとなっている。または、トリックスターとなっているのは、重々に承知しております。でもね、自爆は避けなければなりません。主張しても何の効果も表れないことは、仕方がないので無視しておきましょう。
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しかし、一つだけ、引っかかるポイントがあります。それは、ここで、きちんと主張をして、皆様にお伝えしておきましょう。
それは、上の長期低落傾向は、対中国貿易が落ち込む可能性があり、そこに原因があるというポイントです。
ということは、中国の尖閣諸島をめぐる一連の抗議行動が、大きなものであり、国民にとっては無視できないという主張をサポートするものです。これは、私の判断とは、真っ向から対立をするものです。
・・・・・なんだ、日銀さえも、鎌倉エージェント救済へ動くのか。白川総裁は、中川経産相の酩酊記者会見を、演出した側と協力して、追い落とすことをサポートした人だが、この短観の発表で、二度目として、国際的軍産共同体(または、フリーメイソン)の言うなりに動く人物だ・・・・・・ということがわかりました。
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そういう政治状況の中で描いた(または、書いた)のが、下の文章です。
一読すると、単なる美術界の裏話、または、噂話の類とみなされるでしょう。
しかし、違うのです。最近、数年間の政治状況は、見事に、この三人(私がまだ彼は生きており、地下潜行をしていると判断をしている井上ひさしをふくむ)の救済を最大の目的としているとみなされるところがあります。特に彼らの失敗を救済し、修正していくことが目的となっているとみなされます。
しかし、なにぶんにも長いです。それは、思い出に任せていろいろなエピソードを詰め込みすぎているところがあるからです。これから、主流から外れているエピソードはどんどん、次(というか、真下に出てくる)
上の文章から抜いた部分、
2012-10-24 01:43:53 | Weblog
へ、移動をさせていきます。
副題1、『瓜南直子さんと渡辺幸子さんの差』
副題2、『日傘雅水さんが、キーパーソンの一人として選任される』
副題3、『画廊・るたん・のオーナーがシカといじめて来るのだが』
副題4、『父は、嫉妬されないようにすることが、人生の要諦だと言っていたが』
副題5、『小関先生との別れの日』
副題6、『読者の、この文章に対する不満を推察し、おもんぱかり始めた私』
副題7、『それは、場所(=舞台)が、鎌倉のグローブだったから、語れないことが多かったのだ』
副題8、『酒井先生の奥様について、真実に触れることはグローブを使えなくなるということだが、その決心はついた』
副題9、『私には、最初から分かっていたのだ。その淑女が酒井先生の奥様だっていうことを』
副題10、『根は善良だが、いまだ、鎧を脱げない酒井夫人』
副題11、『馬越陽子さんが、任務を失敗した徒労感を呟いた日』
副題12、『画廊るたんの態度に怒っているから、私は酒井忠康氏の夫としての態度に疑問を呈したのだった』
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副題1、『瓜南直子さんと渡辺幸子さんの差』
ここは前からの引きずりであり、この章の主題からはずれますので、下へ移動をさせました。
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副題2、『日傘雅水さんが、キーパーソンの一人として選任される』
ここも副題1と同じく、助走期間であって、主題とは直接に関係がないので、下へ回します。
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副題3、『画廊・るたん・のオーナーが・シ・カ・といじめて来るのだが』
私は副題1、と、副題2の中で、手相によればやわらかいところがある人間なのだが、鎌倉へ引っ越してきたのをよい機会として、一切の社交を断ち、内面を磨く修業時代へ入ったと書いています。絵を描くこと、文章を書くことなどに凝ることとなります。
ところが、これも、美術のお付き合いの一つなのですが、小関利雄先生の画塾に招かれていて参加をしていた時期があるのです。そこでは、毎月一回、飲み会が開かれていました。
これは、ほぼ25年前の話なのですが、いまだに尾を引いています。というのは、この2012年に、画廊るたんで、高橋裕子さんという女性と頻繁に出会い、画廊るたんのオーナー中島さんが、私より、そちらをはるかに大事にして差をつけるという話があるからです。
この小関利雄先生(芸大卒、横浜国立大学教授、新制作協会会員・・・・・だが、既に亡くなっている)の画塾時代の情報が掘り起こされて、その当時、2人の活発な弟子として、先生との対話を、牛耳っていたのが、私と、私より、10歳は年下であろう、高橋裕子さんでした。
彼女は、私からみると、日本経済が裕福な時代に、裕福な親元で暮らす、お嬢様の典型で、甘えていてわがままなところがあり、『今は、この人は幸せであろう。だけど、こんなに努力の必要がない生活をしていて大丈夫かな?』と当時から思っていた人物です。
画廊るたんで、中島さんが、差別的にちやほやしているので、あえてはっきりと申し上げますが、25年ぶりに遭う裕子さんは、やせすぎていて、年齢にふさわしい肉体ではありませんでした。 こんな人を対私の対抗馬として、使ってくる例の敵様連中の、おぞましさを強く感じました。
それこそ、瓜南さんよりも先にこちらが、亡くなってしまいそうなほど、やせておられるのです。昔はそうではなかったのです。ふくよかで、きゃぴきゃぴとまでは言わないが、才気煥発なお嬢様でした。
中島さんは、蝶よ花よともてなして、お茶ひとつ出してこない私との差別を見せつけて、裕子さんを気分良くさせているみたいです。
彼女は、私と別れていた25年の間に、どうも、サントリー学芸賞受賞をしたみたいです。分野は、美術評論。
彼女は、お嬢様育ちだし、今では昔のわがままぶりも影をひそめていて、やや、客観性を増していらっしゃいました。私への態度も成熟度を増したものでした。
メディアも含めた形での、名誉という意味では、彼女は勝ちました。(?)
ただ、幸せの形という意味では、私の対抗馬として、彼女を仕立てあげるのは、本当に気の毒だというようなものです。私の予測では、こんなことに使われていると、神様の『ご加護から、さらに見放されますよ』ということでした。
でも、彼女にそれを教えてあげることもありません。ここで、これを思い出して記載をしているのは、この画廊『るたん』のオーナー中島さんが、気が強い形で、ひどく攻撃をしてくる陰に誰がいるのかを知りたいから書いているだけです。
中島さんだって、根は悪い人ではないのですよ。ある時に私が着物で銀座へ出かけて画廊るたんのあたりでは、着付けてから五時間以上たっていて、ゆるゆるになっていたら、彼女は「貴女ったら、こんな着方をしてー』と言いながら、歩道で、ぐっと、しめなおしてくれたのです。すごく姉御肌な感じで、親切でした。年下なのに、頼りがいのある感じを見せてね。だからこそ、裏にあるものを知りたいのです。
特に、その上の階で画廊を開いているギャルリー志門のオーナーが、これまた、大変化をしていて、いじめて来るので、それも裏側を知りたいと思っています。こちらのオーナーは中島さんより若くて、私の知る限り「処女さんではないか」と思うほど、上品で、そそとしていて細身でした。が、最近太っていらして、そのうえふてぶてしいまでの態度でいじめてきます。
銀座の画廊街では、増田きよみさんと、双璧をなすほどの、大変化です。『いったい裏に何があるのだろう』と、思っています。誰が、使者として立って「雨宮舜をいじめなさい」と教唆しているのだろうと深い疑問と興味を持っています。
そして、彼女がもらった見返りはなんだろうとも思っています。
再度繰り返しますが、高橋裕子さんは、サントリー学芸賞をもらっています。
だが、その一ポイントを捕まえて、例の渡辺幸子論(それの実際のテーマは、酒井忠康論ですが)を書かせないがために、選ばれて、画廊るたんに出没するようになったと思われます。特に同じ時間帯に出没するように謀られていたと、感じます。それも一回だけではありません。
この際に同じ小関利雄グループに所属をしていた馬ツナギ(横浜国大卒、新制作協会会員)さんとか、熊沢淑(神奈川女流、#2、新制作協会会員)さんを使うと、その構造と意図が明瞭に見えてしまうので、年齢が離れているということと、公募団体展に関係がないという点で、私との縁が、新制作の会員である、上記の二人より縁の薄いYTさんが選ばれたのだと思います。
が、見ていて、本当に気の毒な感じを受けました。
もしかするとサントリー学芸賞という名誉が、これほどの、激やせを招いたかとも思われました。期待を受けると人間は頑張るものですが、それが、かえって、心身のバランスを崩す場合もあるでしょう。
それはそうとして、瓜南直子さんの方に戻ります。彼女の方は、生前の姿も性格もまるで知らないのに、フェイスブックでの、活発な投稿状態(それは、2011年の11月までは、そうであった)を知っているので、まさか、2012年の6月に亡くなるとは、夢にも思いませんでした。
その死因が、肝硬変であると聞いて、思い出すことがあります。
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副題4、『父は、嫉妬されないようにすることが、人生の要諦だと言っていたが』
ここと、副題5、『小関利雄先生と別れた日』は、小関利雄(新制作協会会員、元横浜国立大学教授、故人)先生にまつわる思い出です。そして、それは、高橋裕子さんを語る際に、二人が出会った機縁が小関先生なので思い出した部分です。が、本論とはやや離れているし、全体が二万字を超えたので、削除をして、すぐ下へ移動をさせます。恐れ入りますが、そうさせてくださいませ。
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副題6、『読者の、この文章に対する不満を推察し、おもんぱかり始めた私』
副題1~5までの1万字はほんの前置きにしか過ぎないのです。いよいよ、本日のメインテーマにして、恐ろしい話へ入ろうと思うのですが、その前に、あれ、このポイントにつき、読者は疑問や不満を持っておられるのではないだろうかということに気が付いたので、そちらの手当てを先にいたします。
数日前に瓜南さんの死を読者からご注意という形で知らされる前まで、私は読者におもねるということは一切ありませんでした。おもねらないばかりではなくて、顧慮さえしておりませんでした。それは、文章を書くことへ妨害を多数受けているので、ともかく、脳からアイデアが、パソコンの世界へ移ったら即座に公開するということにしています。
まとまったものを公開しているわけではありません。それで、読者をおもんぱかることができないのです。ばかにしているわけではありません。いつも、ぎりぎりのところで、初稿を書いているからです。
だから、ここは、駄文でしょうね。この間10月12日に数通のコメントが、(たぶん、伊藤玄二郎だろうか、その二人羽織の井上ひさしからだと思われますが)きて、
『死ぬほど的外れじゃあねえか』とか、『駄文の極みだ』とか、『もはや、頭がいかれていますね』と書いてきたのがあります。
そのコメントが寄せられたのは、私がその日に書いた文章ではなくて、ずっと前に書いた文章に対してきたもので、見事に、『立派な文章だと思われるもの』を狙ってけなしています。自分で「立派な」というのも変ですが、その根拠は、読者が、その時点で急激に増えたり、読み返していただける回数が増えたりしたものを指します。そこで、判断ができることなのです。
だから、これらの攻撃は、「そういう優れたエッセイを、紙の本で出版するな」というメッセージだと受け止めております。だけど、それが真の目的であろうとも、20%ぐらいは、彼らの言うことも当っているだろうと認識しています。
それは残念なことですが、成功も30%しか求めていないという人生上の心情を持っているので、それを使って、乗り越えているのですが。
そして、常に、神様を相手にして書くという心構えも持って、そこを乗り越えているわけです。
でも、この前に、瓜南さんの逝去を知らせてくださったコメントが入ったのは衝撃でした。それは、読者様が、『この文章って変だなあ』とお思いになったことを示しています。でも、瓜南さんは、死亡があったので、読者様が、ご注意をくださったのですが、そこまでの、間違いがない場合は、ご注意は来ないでしょう。
となると、自分で、考察やら、点検をしないといけません。
この文章で皆様が不満や、腐心をお感じになるポイントはどこにあるかというと、副題三にあると思われます。それは、わかっているのですが、その陰にメディアを利用する連中に対する嫌悪感があって、そのまま残してあります。ただ、相当に、改良しました。
でも、瓜南直子さんが、死亡しているのだということを注意してあげたいというほどの、緊急性もないが、やはり、ここが引っ掛かるねと、皆様がお感じになるであろうポイントがもう一つあります。
それはね。「画廊るたんに、その受賞した美術評論家高橋裕子さんが表れた時に、それを謀略であると、なぜ、考えたのですか? 理由はなんですか?』というものです。「偶然に出くわすということもあるでしょう。あなたの思い込みが強すぎるのではないですか?」というものです。
その点についてなのですが、この手法は繰り返しつかわれる弾圧用道具で、以前に使われた例として、馬越陽子さんが、ギャラリー手に現れて、「私は、北京で、個展をました」だの、「それは、日本人としては初のものです」とか、自慢しまくったエピソードを書いています。それも何度もです、だから固定読者さんの中には、それは聞き飽きたとおっしゃる向きがあるでしょう。
あれは、その後、ギャラリー手が廃止されてしまったので、やはり、謀略だったと考えています。ギャラリー手さんは、突然に舞台として使われてしかもせっかくの聖地・京橋への出店を閉じなければならなくなったのですから、お気の毒です。例のごとく悪人たちの、軽くて、単純な頭脳の犠牲者となっておられます。
特に山本美香さんと、瓜南直子さんという名前にひかれて、新しく、このブログを読み始めてくださった方には、そのエピソードは初耳だと思います。とてもコンパクトにまとまっていて、しかもスケールも大きく、しかも単純ですから、語りやすいお話です。瓜南さんを語るよりもずっと語りやすいです。
しかも結論としていえば、私は馬越陽子さんをかわいい人だと感じているのです。恨んでもいません。激しい攻撃をされたわけですが、恨んでもいません。それゆえに読後感もいいエピソードになるでしょう。
しかし、本日、私の頭に降りてきているエピソードは、別のもの(=酒井忠康氏の奥様に関するもの)なのです。そちらの方が、微に入り、細に入り、文章がすでにできています。で、それを語らせてくださいませ。
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副題7、『それは、場所(=舞台)が、鎌倉のグローブだったから、語れないことが多かったのだ』
酒井忠康氏の奥様については一度述べております。
・・・・・「水も滴るいい女だ」と。だけど、「そういういい女を、二度目の奥様として迎えた酒井氏を、私は嫌な男だと思う」・・・・・と書いています。
「離婚をして再婚をする場合、以前より顔は不細工でも、性格はいいという女性を選ぶ男性なら許容できるが、反対に、いい女を選んだ人は信用できない」と語っています。
しかし、その文章は本当は正しくはありません。そんなにどぎつく、他人のご家庭をけなすようなことを書くことが、本来の目的ではなかったのです。だが、いわゆる30%規制の中で書いているので、本当に正しいこととか、言いたいことが表現をされていない文章となってしまいました。
この場合の規制とは、私が自分で自分を縛るものです。で、どうして、それほどの強い規制がかかったかというと、奥様と出会った場所が、鎌倉のグローブという事務センターだったからなのです。事務センターとは何かというと、家庭ではできない事務仕事を、自分の代わりにやってもらうところで、多数の支店を日本全国に、また、世界に展開しているフェデックス・キンコーズが、一番の大手だと思います。
東京の繁華街には、ほかの名前を持つ会社が数社あります。ただ、それらの会社名を私は、今は頭脳内に、憶えてはおりません。
で、それらは、貸しパソコンを備えています。というのも、自宅でやって来た仕事をUSBに入れて持ってきて、そちらの貸しパソコンに入れて、プリントアウトを依頼したりしますのでね。
鎌倉のグローブさんが東京のそれらの会社と違うポイントは、インテリアが、きれいなことと、家庭的なことです。スタッフは常勤で、アルバイトの人はいません。深夜もやっていません。で、貸すだけではなくてパソコン教室もやっています。その教室が終わると、お茶やお菓子も出ます。それもあるのか、お客と、スタッフは顔見知りで個人名で呼び合います。
ワードやメールの使い方を教える基本的なコースもありますが、さすが鎌倉と思われるのは、一時間半の自由レッスンがあることです。
その自由レッスンで相当に高度なことを、私は、教えてもらっています。特にアドビ・イラストレーターは特に複雑ですので、教えてもらっています。取説や、教習本を読んでもわからなくて、困ったところだけ教えてもらっています。それは本当にありがたいことです。
私は、そこで、2000年に始まって今まで、20回ぐらい自由レッスンで、教えてもらっているかなあ? しかし、その例の、レッスン後のお茶が出ない時があるのです。むろん、出る時もあるのです。
その差は、伊藤玄二郎が、こちらを攻撃したいと思っている時には出ないし、別に特に攻撃をしないでもいいと思っているときは出るという差です。そして、それは、見事にこのブログ(以前は閉鎖されたメルマガだった)と連動をしています。彼の名前を出した文章の時にグローブが変になるだけではなくて、日本政治に対して正しい分析をした時もグローブさんが変になります。お茶もお菓子も出ません。先生方(女性スタッフ)も緊張しきっていて、不親切になります。
私はこちらが教えていただく弱者の立場ですから、下手に出ます。どんな仕打ちを受けても我慢をします。でもね、そういうことをされるたびに、考えることは考えます。どうしてこうなるのだと。
その結果わかったことは、伊藤玄二郎は、大きな権力を持っていて、時にはヒットラーのごとく、鎌倉を支配していること。それに対して、おびえきっている鎌倉びとが大勢いること。その一人がグローブさんであること。グローブさんは、チラシを作ってあげたりプログラムを作ってあげたりして、伊藤玄二郎以外の、普通の鎌倉市民(および商店街)の中に深い根を下ろしているのだから、自信を持って、自主的に動いても大丈夫だろうに、おびえきって従っていること。
それは伊藤玄二郎の、強者には下手に出て、弱者には威張りまくるという性格も関与しているでしょう。以前、それを書いているホーム頁を見たことがありますが、鎌倉春秋社って社員がノイローゼになる率がとても高いのだそうです。
だけど、それだけでは、推し測れない部分があります。だって、グローブさんは、伊藤玄二郎の雇人ではありません。近代社会の住人なら対等なはずです。でも、違う。
こういうことを突き詰めていくと、私が日ごろ語っている真実に到達するのです。つまり、この日本の真の支配者は、日本の首相でも天皇でもなくて、例の核燃料を売りつけてきている大資本家グループで、国際的軍産共同体と呼ばれるもので、伊藤玄二郎はその陣営内に囲われているから、特権を持っているのだという真実です。そして、彼が鎌倉ペンクラブ会長であり、一方日本ペンクラブ会長である井上ひさしも、同じことであり、いわゆるエージェントなのだと、わかってくるのでした。
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副題8、『酒井先生の奥様について、真実に触れることはグローブを使えなくなるということだが、その決心はついた』
その鎌倉グローヴで私は、酒井忠康氏の奥様と、机を並べて、1時間半一緒にいたのです。その時に、私は酒井忠康氏自身がどういう人であるか、そして、どういう生活をしている人かが、ものすごく高いレベルで分かったのでした。
そのことを丁寧に明らかにすると高橋裕子さんが、私と同じ時刻に画廊るたんに、しかも、数回繰り返して現れたことが、弾圧の一種であったという自説を、証明してくれます。が、今まで、それができなかったのは、酒井先生の奥様に出会ったのが、グローヴだったからです。
これから先もそこで、アドビイラストレーターを教えてもらいたいと思ったり、コピー機を外から壊された時に、そこで、プリントアウトをしたいとおもっても、それを、することができなくなります。今までだって、神経質な関係だったのです。それが、これから先、ますます、神経質な度合いが深まるし、そんなところで、楽しく仕事もできるわけもないので、結局は行かないこととなるでしょう。それで、いいのかどうか?
相当に悩みましたよ。だけど、尖閣周辺で、日本領土内に、中国の艦船が、また侵入したと今朝のニュースで言っていましたでしょう。それから、私からみれば、単なるでっち上げ事件にしか過ぎない、成りすまし脅迫事件と、誤認逮捕事件が、2週間近くNHKで、取り上げられました。サキドリ、あさいち、クローズアップ現代、ゆうどきネットワーク、ほかで、何度も、それが取り上げられました。
こういうことはすべて、私に物を書かせないようにするための諜略行為ですから、こういうときに黙っていてはだめなのです。
しかも、普通の形で、政治論評をしていても、彼らはやめません。このように伊藤玄二郎が、『それを、書かれると痛いなあ』と思っていることを書かないとダメなのです。だから、日本政治に関する本質的なことを説明するために、グローヴを捨てました。そこにはいかないと決めたのです。本来は親切な人たちなのですよ。ただ、ただ、伊藤玄二郎におびえて、ああいう風に変な緊張感に満ちてこちらに、差別をしてくる場所となってしまいました。
私はぎりぎりのところまで、待ってあげております。
これは、相手方にとってはこれから何を書く予定であるかは十分にわかるはずです。で、大切な手当はどういうことなのかもわかっているはずです。しかし、それをやってくるどころか、全く正反対のことをやってくるのです。
24日の水曜日も東京へ外出して、夜の10時に鎌倉へ帰ってきたのですが、例の通り、小町通りで、工事をやっていました。こういうことで、私は自分が書いていいのだと判断をします。相手方は、私にものを書かせないがための、最もいい方法を取らないのですから。
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副題9、『私には、最初から分かっていたのだ。その淑女が酒井先生の奥様だっていうことを』
ある夜に、自由レッスン(=正式名を個人レッスンという)の予約を取って、出かけました。が、その夜は、どこか変なのです。いつもと違う雰囲気があります。私は勘が鋭いので、何か罠が仕掛けられていて、いやなことがあるのではないかと推察しました。
静かなのは、いつもは、2,3人いるスタッフが一人しか残っておらず、私以外の先客が、普通のお客さんとはまるで違っていたからです。
鎌倉はブランド住宅地で、お金持ちが多いと言っても、パソコン教室に来るお客さんは、地味で真面目な雰囲気の人が多くて、しかも老人であり、おしゃれはしていません。ところが当夜のお客さんは、水も滴るいい女という感じで、優雅できれいなのです。
しかも、後ろを通った時に、彼女の画面が、個展の案内状だったのは、わかりました。この件だけで、既に、立って歩いてお教室の私の机まで進入してくる時から、私はその女性が、酒井忠康氏の奥様だとわかったのです。
丁寧に理由を言います。個展の案内状を作るのは、画家本人か画廊のオーナーです。私は鎌倉の画廊のオーナーは、そのお顔をほとんど全部知っています。ただ、酒井忠康氏の奥様の画廊だけは、逗子にあり、しかもバスを利用しないとならない場所で、交通が不便なので、過去に行ったことがなかったから、顔を知りません。画廊のオーナーだとしたら、酒井忠康氏の奥様しか残っていないのでした。
一方で、作家である可能性も考えないといけません。でも、そのレディが、作家ではないだろうというのも、すぐ、わかりました。酒井忠康氏の奥様は武蔵野美大を出た方で、絵も描けるでしょう。だけど、奥様業と絵かきであることは両立しません。私が若いころ、お見合いで、二度も東大出身のエリートさんと出会ったのに自分からお断りを受けるように不愛想にしたりしたのは、名士夫人というものがどれほど、不自由であるかを想像できたからでした。
亭主(旦那とか、連れ合いとも呼ばれているもの)が、エリートであることは女性にとって、勲章の一つです。人生が成功であり、人間として勝ち組に所属をしている証です。ただし、その代償として、自由を失います。種々様々な気遣いをしないと、名士夫人は、勤まりません。
酒井夫人は画廊を経営しています。それは、働く婦人であり、収入もあるわけでしょうから、いかにも自由を謳歌しているように見えます。しかしその仕事は、格好良すぎます。実際には、収入など、それほど見込めず、ただ、ただ、彼女の人生のお飾りに過ぎないとも思われます。それに、それなりの、苦労もあるでしょうが、作家(美術系)本人として活動するほどの、苦労はないでしょう。つまり、画廊のオーナー、特に夫が酒井忠康であるなどという立場は、甘いものなのです。「個展を今度やりませんか?」と画家たちに声をかけたら、誰も断らないでしょうから。
銀座の月曜日は個展の初日で、たいていの画廊で、主役の作家本人が在室しています。で、男女を問わず、50過ぎの作家はたいてい、疲労困憊した顔をしています。
髪の毛からも肌からも、あぶらっ気が、すべて抜け落ちてしまったような、顔でお客さんを迎えています。銀座の晴れ舞台でもそうなのですから、ましてや自宅では、おしゃれとは無縁の生活をしています。それは、大体が作業であり、衣服が汚れるし、しかも一種の重労働であるから、余裕が全くないのです。お化粧をしている余裕も、買いものを楽しむ余裕もないのです。
もし、その先客が、画家として現役だったら、もっとやつれていて当然であり、酒井夫人ほど、潤沢でリッチな感じを醸し出しているのは、変なのです。しかも、私は鎌倉近辺に住んでいる画家のほとんどの顔を知っています。たまたま、瓜南さんの顔を知らなかったのは、彼女が日本画を専門としていたからです。私は日本画には、ほとんどタッチをしていませんので。鑑賞もしていない方です。時間があれば、創画会を見るぐらいかな?
で、私の席ですが、左に先生、右に酒井夫人という布陣で、用意されていました。で、質問をして教えてもらい始めますが、先生と対話している、あいま合間に、10分とか5分ほど空白の時間が生まれます。それは、教えてもらったことを確認したり、練習して見たりしている時間です。で、私は右の酒井夫人を気づかって、『先生、私ばかり面倒を見ないで、どうか、こちらの方の面倒も見てあげて』と酒井夫人を指しました。すると先生が、『いいの、その方はレッスンではないから』と言いました。
その途端、ここに張られている罠がなんであるかを、私は正しく理解をしました。
『ああ、そういうわけだったのですね。この右隣のいい女が、酒井忠康氏夫人で、お前なんか、この人には相当に負けているだろう。だから、おとなしくしろよと言われているわけですね』と。
美術界に生きている限り、武蔵野美大と、国際基督教大学を比べれば、武蔵野美大の方が上です。数を利用した力関係としても、圧倒的に差があります。そして、こここそ、渡辺幸子さんが、桜井陽子さんを、本音のところで、嫌いであるポイントでした。桜井陽子さんの方は、武蔵野美大の同窓会の力が幸いしたのか、早めに若くして会員になれたのに、自分の方は、なかなか、会員になれない。それは、実力の問題ではない。と渡辺さんは感じるので、イライラとしていたのです。
元に戻ります。この頃には、私は相当にさばけた人間へと変化をしておりました。ニューヨークで生涯に初めての喧嘩をして勝ったという経験が、自信を与えていたのです。それは、1999年に、25歳の日本人女性を相手にして起こり、2000年には、40代の日本人女性を相手にして、起こりました。両方とも三か月しかいられないので、仕事の邪魔をされるのが嫌で、はっきりと、あなたはこういう点でおかしいとか、間違っていると指摘をしたのです、すると相手はへなへなになりました。驚きましたね。
いつも我慢をしていて、自分の意志や考えを口に出さないので、とても弱いと他人からみなされている私は、実際には、非常に強い人だったのです。喧嘩をすれば連戦連勝となる人だったのです。
これがどうしてそうなるかというと、人って、驚くほど、自分を知らないのでした。自分のことをきちんと見つめていないのです。人が何か、相手に対してイライラするときには、その陰に、自分の方に、ちゃんとした理由があるものです。いわゆる当たるという現象は、他人にやってはいけませんが、それをやるときは、なんで自分がそういう状態になっているかを、それをきちんと見つめていないといけませんよ。それを、何も自覚をしていないところへ、私から解説をされると顔面蒼白になってへらへらと崩れ落ちるのでした。
その様子は、まるでわら小屋が崩れるようなものでしたよ。
ただし、こう言う喧嘩のやり方は、日本では通用をしません。日本人はつるむから一たい一の正義というものが、通用しないのです。こちらで負けると、別の人を糾合して勝とうとします。だから、いつの間にか、集団の力で、正義の側が負けてしまっています。でも、ニューヨークだと、私は、三か月しか滞在しないので、一気の勝負です。だから勝てるのでした。だから、日本ではめったに喧嘩をしないと心に決めていますが、それでも、人間関係に、自信を持ったことは大きいです。
で、ありとあらゆるところで、知らない人にでも声をかけ、自由で充実した会話を繰り返しているのです。自分の旧来の友人は敵にとられて、奪われています。だけど、一期一会の人と、楽しく充実した会話の時を過ごしています。
でも、それほどにさばけて来ていて自由自在にふるまえる私も、この時のグローヴでの三者の、共有の時間において、酒井夫人に、話しかける気には、なれませんでした。
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副題10、『根は善良だが、いまだ、鎧を脱げない酒井夫人』
ところが、30分ぐらいたった時に、酒井夫人の方から、私に声がかかったのです。『ずいぶん、難しい仕事をなさっているみたいね。何をなさっているの」と。
それを聞いた途端に、酒井夫人が、とても善良であること。および、育ちがいい人であることを、絶妙と言っていいぐらい完璧に、私は、察しました。で、彼女が、自分の家のパソコンで、十分にできることを、わざわざ、ここの貸しパソコンを使ってやっているということの当初の目的が、私を威圧することであったとしても、一切を許したのです。
で、気軽に謙虚に、「本を作っているのです。でも、あなたもすごい仕事をなさっているでありませんか。それ、個展の案内状でしょう」と言いました。
彼女は受け取って、『いいえ、いいえ、あなたのお仕事の方がすごいわ』と再び言いました。その時に、私は態度には何も示さず、声でも何も言わないないものの、例の馬越陽子さんに感じたのと同じ感想を持ちました。『なんて、この人って、かわいい人なんだろう』と。
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皆様、私がよく言う、神様はいらっしゃるというのがここなのです。酒井夫人は当初、いじめるために、(いえ、換言すれば、弾圧するために、)現れたのです。むろん、ご自分の意志ではなくて、例の連中の勧めでです。だけど、好奇心に負けて、ご自分の素地が出てしまった。そこがかわいいのです。
この際の好奇心というのは画面のことではありません。先生と私の会話に対して耳がそばだってしまったということです。先生と私は一般の人が全く知らない領域を問題にして、教えあって、います。それに、興味を抱かれたというのは、とてもいいことなのです。好奇心が旺盛な人はいつまでも若いと言いますでしょう。それに頭がいいという証拠です。確かに、酒井夫人はとても若く見えます。
そして、鉄砲玉としてのご自分の役割よりも、ご自分の好奇心の方を優先なさったのです。そこも主体性を感じるので素敵です。
そして、私は彼女を恨むというよりもかわいいという感想を持ったのでした。
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副題11、『馬越陽子さんが、任務を失敗した徒労感を呟いた日』
馬越さんも全く同じです。彼女は京橋に止めてあったどこかの美術系出版社(たぶん、油井一人さん)の車の中で、私がギャラリー手に入るまで待っていたのです。全く初めての画廊だと、彼女自身ギャラリー手のオーナー杉山さんに言っていました。その言葉を聞いただけで、彼女の目的がわかりましたし。
で、彼女が唐突と言ってよいほど一方的に、「私は北京で個展をして帰って来たばかりで、その凱旋個展を三越でするのですよ」と言っても、パニックにも陥らず、嫉妬もせずに淡々と聞いていたのです。
すると、突然に馬越さんは、自分が任務を完遂できなかったことを悟りました。『あいつをやっつける必要があるのです。あいつをノイローゼにする必要があるのです。だから、協力してください。威張れるだけ、いばってやってください』と頼まれていたと思いますが、それがだめだったとわかった時にすさまじい徒労感に彼女は襲われたのです。
もとより、こんなことを自分がやらないとならないということが解せなかったでしょう。どうしてだか、わからなかったと思います。本当の目的は伊藤玄二郎の下半身を守るためです。そんなことは一豪だに知らされておらず、自分でも思いもよらず、夢にも知らず。ただ、何かわからないけれど、大事なことらしいからするけれど、本当の気持ちやいやいややるのよと最初から思っておられたでしょう。
そのうえ、その育ちの良さから考えれば、『そんなに、単純に他人に向かって威張るのは、幼いことだわね。私は東京女子大と芸大大学院を出たインテリですよ。そんなことはやりたくないわ』と思っていたであろう、もう一つの、本音の方も、突然噴出し、『疲れた、つかれたー、つかれたわー』の連発となったのです。
それを、私はかわいいと、言っています。真実かわいいなとかんじました。
こうして、酒井夫人、馬越陽子さんと、2人で失敗しているわけですね。私はこの二人に威圧されようと何をされようと、全然ひるまず、文章を書くのを止めません。それなのに、あらためて、高橋裕子さんを使ってきました。そのことに私は怒っているのです。画廊るたんには、いぜんから何度も通っているのに、高橋裕子さんとそこで出くわしたことは過去にはありません。それが起きたのは、つい最近、この2012年に入ってからです。しかも、連続しておきましたから、意図的なものでしょう。
高橋さんは、25年前は、「自分の方が上です」という意味のニュアンスをぶつけてきた人です。だけど、25年後の今は、穏やかになっていて、成熟しておられて、私は別に威圧されませんでした。ただ、ここで問題なのは、彼女が病み衰えた状態にあったことです。特に何かの病名がついてはいないのかもしれませんが、幽鬼みたいに痩せていて、それが、例の悪人たちの悪意を、恐ろしいまでに、感じさせたのです。こういう状態で、束縛の多い任務を与えられているのも気の毒だと思い、こういうアイデアを練っている例の連中に対する深い怒りにとらわれるのです。私が家を出ると、それを監視しているご近所様からしかるべきところに連絡が入り、それから、彼女の自宅に連絡が入り、彼女はえっちらおっちら銀座へ出かけてきます。もし、自宅が今でも藤沢市にあるのなら、彼女は、藤沢から上京するということになります。
私は銀座の画廊巡りの順路として、画廊るたんを最後の方においてあります。だから、裕子さんは、余裕をもって準備ができます。でもね。こんな状態の裕子さんを道具として、使うことそのものが、例の鎌倉エージェントたちの大悪人ぶりを示しています。
ほかにも画廊のオーナーが使われています。特にやめた画廊のオーナーが使われています。川島某女史、黒田悠子さん、平野和子さん、そして、まだやめていない画廊のオーナー栗田玲子さん。ただし、この4人は、上の三人とは全九、雰囲気が違います。こちらは、素地や素顔を見せません。それだけしたたかな人たちです。だから、ここでは、パススルーといたしましょう。
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副題12、『画廊るたんの態度に怒っているから、私は酒井忠康氏の夫としての態度に疑問を呈したのだった』
この間、酒井忠康氏の精神について、一回、大きな疑問を呈しています。良心というものがないのではないかと。酒井氏に対しては、もう一つ疑問があります『あの人には精神の骨格、つまり、良心というものがないのではないかと。
それは審査員として機能することが多い人ですが、審査の基準に対して、感情や情実が入るのではないかという点です。その実例は、ニューヨークに滞在しているときに目の前で、展開した事実で、はっきり感じ取ったことです。が、その実例はまた、これも何万字にもなるので、別章で、後で述べます。
で、そちらの大問題は置いておいて、どうして、氏がこういう調略の世界に入って行ってしまったかと問えば、この前は「一度離婚をされているから、その時に良心は、離婚届の中へ、落っことしてきたのだ」。・・・・・と推論をしています。
ただ、そのほかにもそういう風にみる根拠があるのです。その一つが例の鎌倉グローヴの室内に、酒井先生の奥様が先に来ていて、レッスンではない形で案内状を作っていらした日に分かったことでした。
それは、彼女の発音の中に、強いコケットリーを感じたからです。甘いのです。『これは、甘すぎる。50代の主婦であり、画廊のオーナーである人の声にしては、子供っぽ過ぎる。かわいすぎる。極言すれば、かまととと言ってもよいぐらいだ』と感じたからです。
それは、主婦として妻として、50代に達した女性としては不自然だと感じたからです。なぜか新婚当初のかわいらしくて魅力的な女性であるという鎧をまだ、脱げない酒井夫人というものを感じました。
それは、気構えが取れない姿です。余所行きの姿です。そういう姿を妻がとらないといけないのは、夫に責任があると考えます。
つまり、結婚後数年たっているのに、まだ、地金を出して安心して、どでーんとクジラが横たわるような形にはなれない妻としての酒井夫人は警戒心を捨てきれないほど、安心できないという形です。身構えとしてのよそいきな姿をいつまでも捨てられない妻としての酒井夫人の姿勢の不自由さのことです。
それは、私の単なる想像ですから当たってはいないかもしれません。だけど、人を威圧するために妻の身柄を提供した(だって、奥様が伊藤玄二郎あたりに直接命令されて、それを夫に黙って実行するはずがないですから)、酒井氏の失敗だと感じているのです。人をいじめるために大切な妻を提供する。それによって、軽蔑しているはずの相手に、ぐいぐいと、すべてを観察されてしまう。「それってご損なのではないですか?」って、言っているのです。軽すぎます。そんなことはしてはいけないのです。
2012年10月24日に書き始め、26日に推敲を終わる。
雨宮舜 (本名、川崎 千恵子)
こういうところこそ、私が神様のご支援を感じる一番のポイントです。人を陥れようとするとき、ご自分も陥穽に陥るということです。
副題ゼロ、『日銀、短観は、なぜ、この(2012年10月)24日に、発表をされたのか?・・・・・この、描くのに大変苦労した一文を、苦労を乗り越えて書いた理由と目的』
最近の中国の尖閣諸島をめぐる脅かしと嫌がらせに私は当然怒っていますが、その理由が一般の日本社会の特にメディアとは、圧倒的に違うでしょう。それはあれが単なる、自然な外交的事件ではなくて、ただ、ただ、単純に、鎌倉エージェントと私が呼んでいる三人、特に、伊藤玄二郎と、酒井忠康氏を救うために起こされた、非常に個人的な色彩の強いものだという判断です。
で、無視しておけばいいほどの小さな事件ですが、私の主張を覆し否定させるために、次から次へとでっち上げ情報が、繰り広げられ、報道をされます。
伊勢神宮等を脅かしたと言われる成りすまし疑惑、誤認逮捕問題もそうですが、
この2012年、10月24日に発表された日銀短観もその一つです。
いかにも正当なもののように見えます。そして、白川日銀総裁と、各理事たちが、関与して練り上げた(?)ものであることも確かでしょう。
ところが、『ああ、これも、例の鎌倉エージェントを救済する一環の、作られた情報ですね』と思うところがあります。
どうしてそう思うかというと、
まず全体の基調が長期デクライン(下降傾向)にあり、デフレの意味合いが強いと発表されています。
これは、最近の発表では珍しい傾向のものだそうです。それで、国民の耳目を引きます。その発表に対して注意が特別に払われます。
ところが、短観そのものの、見通しが暗いので、国民の気持ちも暗くなります。
そこは、まあ、良しとしましょう。だって、国民の皆さんも、だいたいそうだとご納得されているでしょうから。
そして、その理由としてヨーロッパ圏の経済不況が挙げられています。
そこも、まあ、良しとしましょう。
ギリシャ政府の経済破たんから始まってスペインが危ないとか、いろいろ、報道もされています。
そんな中IMF総会が開かれて、『野田総理大臣は、600億ドルをユーロ圏救済へ拠出する』と発表をされました。だが、その情報はすぐにひっこめられました。これは国民にとって嫌な傾向です。国民が損をする大切な情報が、きちんと報道をされないという事実は無視できません。
しかし、そこも看過いたします。というのも、私一人がのろしを上げても、だれもついてこなかったら、なんの力も生み出さないからです。
自分がドンキホーテとなっている。または、トリックスターとなっているのは、重々に承知しております。でもね、自爆は避けなければなりません。主張しても何の効果も表れないことは、仕方がないので無視しておきましょう。
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しかし、一つだけ、引っかかるポイントがあります。それは、ここで、きちんと主張をして、皆様にお伝えしておきましょう。
それは、上の長期低落傾向は、対中国貿易が落ち込む可能性があり、そこに原因があるというポイントです。
ということは、中国の尖閣諸島をめぐる一連の抗議行動が、大きなものであり、国民にとっては無視できないという主張をサポートするものです。これは、私の判断とは、真っ向から対立をするものです。
・・・・・なんだ、日銀さえも、鎌倉エージェント救済へ動くのか。白川総裁は、中川経産相の酩酊記者会見を、演出した側と協力して、追い落とすことをサポートした人だが、この短観の発表で、二度目として、国際的軍産共同体(または、フリーメイソン)の言うなりに動く人物だ・・・・・・ということがわかりました。
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そういう政治状況の中で描いた(または、書いた)のが、下の文章です。
一読すると、単なる美術界の裏話、または、噂話の類とみなされるでしょう。
しかし、違うのです。最近、数年間の政治状況は、見事に、この三人(私がまだ彼は生きており、地下潜行をしていると判断をしている井上ひさしをふくむ)の救済を最大の目的としているとみなされるところがあります。特に彼らの失敗を救済し、修正していくことが目的となっているとみなされます。
しかし、なにぶんにも長いです。それは、思い出に任せていろいろなエピソードを詰め込みすぎているところがあるからです。これから、主流から外れているエピソードはどんどん、次(というか、真下に出てくる)
上の文章から抜いた部分、
2012-10-24 01:43:53 | Weblog
へ、移動をさせていきます。
副題1、『瓜南直子さんと渡辺幸子さんの差』
副題2、『日傘雅水さんが、キーパーソンの一人として選任される』
副題3、『画廊・るたん・のオーナーがシカといじめて来るのだが』
副題4、『父は、嫉妬されないようにすることが、人生の要諦だと言っていたが』
副題5、『小関先生との別れの日』
副題6、『読者の、この文章に対する不満を推察し、おもんぱかり始めた私』
副題7、『それは、場所(=舞台)が、鎌倉のグローブだったから、語れないことが多かったのだ』
副題8、『酒井先生の奥様について、真実に触れることはグローブを使えなくなるということだが、その決心はついた』
副題9、『私には、最初から分かっていたのだ。その淑女が酒井先生の奥様だっていうことを』
副題10、『根は善良だが、いまだ、鎧を脱げない酒井夫人』
副題11、『馬越陽子さんが、任務を失敗した徒労感を呟いた日』
副題12、『画廊るたんの態度に怒っているから、私は酒井忠康氏の夫としての態度に疑問を呈したのだった』
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副題1、『瓜南直子さんと渡辺幸子さんの差』
ここは前からの引きずりであり、この章の主題からはずれますので、下へ移動をさせました。
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副題2、『日傘雅水さんが、キーパーソンの一人として選任される』
ここも副題1と同じく、助走期間であって、主題とは直接に関係がないので、下へ回します。
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副題3、『画廊・るたん・のオーナーが・シ・カ・といじめて来るのだが』
私は副題1、と、副題2の中で、手相によればやわらかいところがある人間なのだが、鎌倉へ引っ越してきたのをよい機会として、一切の社交を断ち、内面を磨く修業時代へ入ったと書いています。絵を描くこと、文章を書くことなどに凝ることとなります。
ところが、これも、美術のお付き合いの一つなのですが、小関利雄先生の画塾に招かれていて参加をしていた時期があるのです。そこでは、毎月一回、飲み会が開かれていました。
これは、ほぼ25年前の話なのですが、いまだに尾を引いています。というのは、この2012年に、画廊るたんで、高橋裕子さんという女性と頻繁に出会い、画廊るたんのオーナー中島さんが、私より、そちらをはるかに大事にして差をつけるという話があるからです。
この小関利雄先生(芸大卒、横浜国立大学教授、新制作協会会員・・・・・だが、既に亡くなっている)の画塾時代の情報が掘り起こされて、その当時、2人の活発な弟子として、先生との対話を、牛耳っていたのが、私と、私より、10歳は年下であろう、高橋裕子さんでした。
彼女は、私からみると、日本経済が裕福な時代に、裕福な親元で暮らす、お嬢様の典型で、甘えていてわがままなところがあり、『今は、この人は幸せであろう。だけど、こんなに努力の必要がない生活をしていて大丈夫かな?』と当時から思っていた人物です。
画廊るたんで、中島さんが、差別的にちやほやしているので、あえてはっきりと申し上げますが、25年ぶりに遭う裕子さんは、やせすぎていて、年齢にふさわしい肉体ではありませんでした。 こんな人を対私の対抗馬として、使ってくる例の敵様連中の、おぞましさを強く感じました。
それこそ、瓜南さんよりも先にこちらが、亡くなってしまいそうなほど、やせておられるのです。昔はそうではなかったのです。ふくよかで、きゃぴきゃぴとまでは言わないが、才気煥発なお嬢様でした。
中島さんは、蝶よ花よともてなして、お茶ひとつ出してこない私との差別を見せつけて、裕子さんを気分良くさせているみたいです。
彼女は、私と別れていた25年の間に、どうも、サントリー学芸賞受賞をしたみたいです。分野は、美術評論。
彼女は、お嬢様育ちだし、今では昔のわがままぶりも影をひそめていて、やや、客観性を増していらっしゃいました。私への態度も成熟度を増したものでした。
メディアも含めた形での、名誉という意味では、彼女は勝ちました。(?)
ただ、幸せの形という意味では、私の対抗馬として、彼女を仕立てあげるのは、本当に気の毒だというようなものです。私の予測では、こんなことに使われていると、神様の『ご加護から、さらに見放されますよ』ということでした。
でも、彼女にそれを教えてあげることもありません。ここで、これを思い出して記載をしているのは、この画廊『るたん』のオーナー中島さんが、気が強い形で、ひどく攻撃をしてくる陰に誰がいるのかを知りたいから書いているだけです。
中島さんだって、根は悪い人ではないのですよ。ある時に私が着物で銀座へ出かけて画廊るたんのあたりでは、着付けてから五時間以上たっていて、ゆるゆるになっていたら、彼女は「貴女ったら、こんな着方をしてー』と言いながら、歩道で、ぐっと、しめなおしてくれたのです。すごく姉御肌な感じで、親切でした。年下なのに、頼りがいのある感じを見せてね。だからこそ、裏にあるものを知りたいのです。
特に、その上の階で画廊を開いているギャルリー志門のオーナーが、これまた、大変化をしていて、いじめて来るので、それも裏側を知りたいと思っています。こちらのオーナーは中島さんより若くて、私の知る限り「処女さんではないか」と思うほど、上品で、そそとしていて細身でした。が、最近太っていらして、そのうえふてぶてしいまでの態度でいじめてきます。
銀座の画廊街では、増田きよみさんと、双璧をなすほどの、大変化です。『いったい裏に何があるのだろう』と、思っています。誰が、使者として立って「雨宮舜をいじめなさい」と教唆しているのだろうと深い疑問と興味を持っています。
そして、彼女がもらった見返りはなんだろうとも思っています。
再度繰り返しますが、高橋裕子さんは、サントリー学芸賞をもらっています。
だが、その一ポイントを捕まえて、例の渡辺幸子論(それの実際のテーマは、酒井忠康論ですが)を書かせないがために、選ばれて、画廊るたんに出没するようになったと思われます。特に同じ時間帯に出没するように謀られていたと、感じます。それも一回だけではありません。
この際に同じ小関利雄グループに所属をしていた馬ツナギ(横浜国大卒、新制作協会会員)さんとか、熊沢淑(神奈川女流、#2、新制作協会会員)さんを使うと、その構造と意図が明瞭に見えてしまうので、年齢が離れているということと、公募団体展に関係がないという点で、私との縁が、新制作の会員である、上記の二人より縁の薄いYTさんが選ばれたのだと思います。
が、見ていて、本当に気の毒な感じを受けました。
もしかするとサントリー学芸賞という名誉が、これほどの、激やせを招いたかとも思われました。期待を受けると人間は頑張るものですが、それが、かえって、心身のバランスを崩す場合もあるでしょう。
それはそうとして、瓜南直子さんの方に戻ります。彼女の方は、生前の姿も性格もまるで知らないのに、フェイスブックでの、活発な投稿状態(それは、2011年の11月までは、そうであった)を知っているので、まさか、2012年の6月に亡くなるとは、夢にも思いませんでした。
その死因が、肝硬変であると聞いて、思い出すことがあります。
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副題4、『父は、嫉妬されないようにすることが、人生の要諦だと言っていたが』
ここと、副題5、『小関利雄先生と別れた日』は、小関利雄(新制作協会会員、元横浜国立大学教授、故人)先生にまつわる思い出です。そして、それは、高橋裕子さんを語る際に、二人が出会った機縁が小関先生なので思い出した部分です。が、本論とはやや離れているし、全体が二万字を超えたので、削除をして、すぐ下へ移動をさせます。恐れ入りますが、そうさせてくださいませ。
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副題6、『読者の、この文章に対する不満を推察し、おもんぱかり始めた私』
副題1~5までの1万字はほんの前置きにしか過ぎないのです。いよいよ、本日のメインテーマにして、恐ろしい話へ入ろうと思うのですが、その前に、あれ、このポイントにつき、読者は疑問や不満を持っておられるのではないだろうかということに気が付いたので、そちらの手当てを先にいたします。
数日前に瓜南さんの死を読者からご注意という形で知らされる前まで、私は読者におもねるということは一切ありませんでした。おもねらないばかりではなくて、顧慮さえしておりませんでした。それは、文章を書くことへ妨害を多数受けているので、ともかく、脳からアイデアが、パソコンの世界へ移ったら即座に公開するということにしています。
まとまったものを公開しているわけではありません。それで、読者をおもんぱかることができないのです。ばかにしているわけではありません。いつも、ぎりぎりのところで、初稿を書いているからです。
だから、ここは、駄文でしょうね。この間10月12日に数通のコメントが、(たぶん、伊藤玄二郎だろうか、その二人羽織の井上ひさしからだと思われますが)きて、
『死ぬほど的外れじゃあねえか』とか、『駄文の極みだ』とか、『もはや、頭がいかれていますね』と書いてきたのがあります。
そのコメントが寄せられたのは、私がその日に書いた文章ではなくて、ずっと前に書いた文章に対してきたもので、見事に、『立派な文章だと思われるもの』を狙ってけなしています。自分で「立派な」というのも変ですが、その根拠は、読者が、その時点で急激に増えたり、読み返していただける回数が増えたりしたものを指します。そこで、判断ができることなのです。
だから、これらの攻撃は、「そういう優れたエッセイを、紙の本で出版するな」というメッセージだと受け止めております。だけど、それが真の目的であろうとも、20%ぐらいは、彼らの言うことも当っているだろうと認識しています。
それは残念なことですが、成功も30%しか求めていないという人生上の心情を持っているので、それを使って、乗り越えているのですが。
そして、常に、神様を相手にして書くという心構えも持って、そこを乗り越えているわけです。
でも、この前に、瓜南さんの逝去を知らせてくださったコメントが入ったのは衝撃でした。それは、読者様が、『この文章って変だなあ』とお思いになったことを示しています。でも、瓜南さんは、死亡があったので、読者様が、ご注意をくださったのですが、そこまでの、間違いがない場合は、ご注意は来ないでしょう。
となると、自分で、考察やら、点検をしないといけません。
この文章で皆様が不満や、腐心をお感じになるポイントはどこにあるかというと、副題三にあると思われます。それは、わかっているのですが、その陰にメディアを利用する連中に対する嫌悪感があって、そのまま残してあります。ただ、相当に、改良しました。
でも、瓜南直子さんが、死亡しているのだということを注意してあげたいというほどの、緊急性もないが、やはり、ここが引っ掛かるねと、皆様がお感じになるであろうポイントがもう一つあります。
それはね。「画廊るたんに、その受賞した美術評論家高橋裕子さんが表れた時に、それを謀略であると、なぜ、考えたのですか? 理由はなんですか?』というものです。「偶然に出くわすということもあるでしょう。あなたの思い込みが強すぎるのではないですか?」というものです。
その点についてなのですが、この手法は繰り返しつかわれる弾圧用道具で、以前に使われた例として、馬越陽子さんが、ギャラリー手に現れて、「私は、北京で、個展をました」だの、「それは、日本人としては初のものです」とか、自慢しまくったエピソードを書いています。それも何度もです、だから固定読者さんの中には、それは聞き飽きたとおっしゃる向きがあるでしょう。
あれは、その後、ギャラリー手が廃止されてしまったので、やはり、謀略だったと考えています。ギャラリー手さんは、突然に舞台として使われてしかもせっかくの聖地・京橋への出店を閉じなければならなくなったのですから、お気の毒です。例のごとく悪人たちの、軽くて、単純な頭脳の犠牲者となっておられます。
特に山本美香さんと、瓜南直子さんという名前にひかれて、新しく、このブログを読み始めてくださった方には、そのエピソードは初耳だと思います。とてもコンパクトにまとまっていて、しかもスケールも大きく、しかも単純ですから、語りやすいお話です。瓜南さんを語るよりもずっと語りやすいです。
しかも結論としていえば、私は馬越陽子さんをかわいい人だと感じているのです。恨んでもいません。激しい攻撃をされたわけですが、恨んでもいません。それゆえに読後感もいいエピソードになるでしょう。
しかし、本日、私の頭に降りてきているエピソードは、別のもの(=酒井忠康氏の奥様に関するもの)なのです。そちらの方が、微に入り、細に入り、文章がすでにできています。で、それを語らせてくださいませ。
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副題7、『それは、場所(=舞台)が、鎌倉のグローブだったから、語れないことが多かったのだ』
酒井忠康氏の奥様については一度述べております。
・・・・・「水も滴るいい女だ」と。だけど、「そういういい女を、二度目の奥様として迎えた酒井氏を、私は嫌な男だと思う」・・・・・と書いています。
「離婚をして再婚をする場合、以前より顔は不細工でも、性格はいいという女性を選ぶ男性なら許容できるが、反対に、いい女を選んだ人は信用できない」と語っています。
しかし、その文章は本当は正しくはありません。そんなにどぎつく、他人のご家庭をけなすようなことを書くことが、本来の目的ではなかったのです。だが、いわゆる30%規制の中で書いているので、本当に正しいこととか、言いたいことが表現をされていない文章となってしまいました。
この場合の規制とは、私が自分で自分を縛るものです。で、どうして、それほどの強い規制がかかったかというと、奥様と出会った場所が、鎌倉のグローブという事務センターだったからなのです。事務センターとは何かというと、家庭ではできない事務仕事を、自分の代わりにやってもらうところで、多数の支店を日本全国に、また、世界に展開しているフェデックス・キンコーズが、一番の大手だと思います。
東京の繁華街には、ほかの名前を持つ会社が数社あります。ただ、それらの会社名を私は、今は頭脳内に、憶えてはおりません。
で、それらは、貸しパソコンを備えています。というのも、自宅でやって来た仕事をUSBに入れて持ってきて、そちらの貸しパソコンに入れて、プリントアウトを依頼したりしますのでね。
鎌倉のグローブさんが東京のそれらの会社と違うポイントは、インテリアが、きれいなことと、家庭的なことです。スタッフは常勤で、アルバイトの人はいません。深夜もやっていません。で、貸すだけではなくてパソコン教室もやっています。その教室が終わると、お茶やお菓子も出ます。それもあるのか、お客と、スタッフは顔見知りで個人名で呼び合います。
ワードやメールの使い方を教える基本的なコースもありますが、さすが鎌倉と思われるのは、一時間半の自由レッスンがあることです。
その自由レッスンで相当に高度なことを、私は、教えてもらっています。特にアドビ・イラストレーターは特に複雑ですので、教えてもらっています。取説や、教習本を読んでもわからなくて、困ったところだけ教えてもらっています。それは本当にありがたいことです。
私は、そこで、2000年に始まって今まで、20回ぐらい自由レッスンで、教えてもらっているかなあ? しかし、その例の、レッスン後のお茶が出ない時があるのです。むろん、出る時もあるのです。
その差は、伊藤玄二郎が、こちらを攻撃したいと思っている時には出ないし、別に特に攻撃をしないでもいいと思っているときは出るという差です。そして、それは、見事にこのブログ(以前は閉鎖されたメルマガだった)と連動をしています。彼の名前を出した文章の時にグローブが変になるだけではなくて、日本政治に対して正しい分析をした時もグローブさんが変になります。お茶もお菓子も出ません。先生方(女性スタッフ)も緊張しきっていて、不親切になります。
私はこちらが教えていただく弱者の立場ですから、下手に出ます。どんな仕打ちを受けても我慢をします。でもね、そういうことをされるたびに、考えることは考えます。どうしてこうなるのだと。
その結果わかったことは、伊藤玄二郎は、大きな権力を持っていて、時にはヒットラーのごとく、鎌倉を支配していること。それに対して、おびえきっている鎌倉びとが大勢いること。その一人がグローブさんであること。グローブさんは、チラシを作ってあげたりプログラムを作ってあげたりして、伊藤玄二郎以外の、普通の鎌倉市民(および商店街)の中に深い根を下ろしているのだから、自信を持って、自主的に動いても大丈夫だろうに、おびえきって従っていること。
それは伊藤玄二郎の、強者には下手に出て、弱者には威張りまくるという性格も関与しているでしょう。以前、それを書いているホーム頁を見たことがありますが、鎌倉春秋社って社員がノイローゼになる率がとても高いのだそうです。
だけど、それだけでは、推し測れない部分があります。だって、グローブさんは、伊藤玄二郎の雇人ではありません。近代社会の住人なら対等なはずです。でも、違う。
こういうことを突き詰めていくと、私が日ごろ語っている真実に到達するのです。つまり、この日本の真の支配者は、日本の首相でも天皇でもなくて、例の核燃料を売りつけてきている大資本家グループで、国際的軍産共同体と呼ばれるもので、伊藤玄二郎はその陣営内に囲われているから、特権を持っているのだという真実です。そして、彼が鎌倉ペンクラブ会長であり、一方日本ペンクラブ会長である井上ひさしも、同じことであり、いわゆるエージェントなのだと、わかってくるのでした。
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副題8、『酒井先生の奥様について、真実に触れることはグローブを使えなくなるということだが、その決心はついた』
その鎌倉グローヴで私は、酒井忠康氏の奥様と、机を並べて、1時間半一緒にいたのです。その時に、私は酒井忠康氏自身がどういう人であるか、そして、どういう生活をしている人かが、ものすごく高いレベルで分かったのでした。
そのことを丁寧に明らかにすると高橋裕子さんが、私と同じ時刻に画廊るたんに、しかも、数回繰り返して現れたことが、弾圧の一種であったという自説を、証明してくれます。が、今まで、それができなかったのは、酒井先生の奥様に出会ったのが、グローヴだったからです。
これから先もそこで、アドビイラストレーターを教えてもらいたいと思ったり、コピー機を外から壊された時に、そこで、プリントアウトをしたいとおもっても、それを、することができなくなります。今までだって、神経質な関係だったのです。それが、これから先、ますます、神経質な度合いが深まるし、そんなところで、楽しく仕事もできるわけもないので、結局は行かないこととなるでしょう。それで、いいのかどうか?
相当に悩みましたよ。だけど、尖閣周辺で、日本領土内に、中国の艦船が、また侵入したと今朝のニュースで言っていましたでしょう。それから、私からみれば、単なるでっち上げ事件にしか過ぎない、成りすまし脅迫事件と、誤認逮捕事件が、2週間近くNHKで、取り上げられました。サキドリ、あさいち、クローズアップ現代、ゆうどきネットワーク、ほかで、何度も、それが取り上げられました。
こういうことはすべて、私に物を書かせないようにするための諜略行為ですから、こういうときに黙っていてはだめなのです。
しかも、普通の形で、政治論評をしていても、彼らはやめません。このように伊藤玄二郎が、『それを、書かれると痛いなあ』と思っていることを書かないとダメなのです。だから、日本政治に関する本質的なことを説明するために、グローヴを捨てました。そこにはいかないと決めたのです。本来は親切な人たちなのですよ。ただ、ただ、伊藤玄二郎におびえて、ああいう風に変な緊張感に満ちてこちらに、差別をしてくる場所となってしまいました。
私はぎりぎりのところまで、待ってあげております。
これは、相手方にとってはこれから何を書く予定であるかは十分にわかるはずです。で、大切な手当はどういうことなのかもわかっているはずです。しかし、それをやってくるどころか、全く正反対のことをやってくるのです。
24日の水曜日も東京へ外出して、夜の10時に鎌倉へ帰ってきたのですが、例の通り、小町通りで、工事をやっていました。こういうことで、私は自分が書いていいのだと判断をします。相手方は、私にものを書かせないがための、最もいい方法を取らないのですから。
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副題9、『私には、最初から分かっていたのだ。その淑女が酒井先生の奥様だっていうことを』
ある夜に、自由レッスン(=正式名を個人レッスンという)の予約を取って、出かけました。が、その夜は、どこか変なのです。いつもと違う雰囲気があります。私は勘が鋭いので、何か罠が仕掛けられていて、いやなことがあるのではないかと推察しました。
静かなのは、いつもは、2,3人いるスタッフが一人しか残っておらず、私以外の先客が、普通のお客さんとはまるで違っていたからです。
鎌倉はブランド住宅地で、お金持ちが多いと言っても、パソコン教室に来るお客さんは、地味で真面目な雰囲気の人が多くて、しかも老人であり、おしゃれはしていません。ところが当夜のお客さんは、水も滴るいい女という感じで、優雅できれいなのです。
しかも、後ろを通った時に、彼女の画面が、個展の案内状だったのは、わかりました。この件だけで、既に、立って歩いてお教室の私の机まで進入してくる時から、私はその女性が、酒井忠康氏の奥様だとわかったのです。
丁寧に理由を言います。個展の案内状を作るのは、画家本人か画廊のオーナーです。私は鎌倉の画廊のオーナーは、そのお顔をほとんど全部知っています。ただ、酒井忠康氏の奥様の画廊だけは、逗子にあり、しかもバスを利用しないとならない場所で、交通が不便なので、過去に行ったことがなかったから、顔を知りません。画廊のオーナーだとしたら、酒井忠康氏の奥様しか残っていないのでした。
一方で、作家である可能性も考えないといけません。でも、そのレディが、作家ではないだろうというのも、すぐ、わかりました。酒井忠康氏の奥様は武蔵野美大を出た方で、絵も描けるでしょう。だけど、奥様業と絵かきであることは両立しません。私が若いころ、お見合いで、二度も東大出身のエリートさんと出会ったのに自分からお断りを受けるように不愛想にしたりしたのは、名士夫人というものがどれほど、不自由であるかを想像できたからでした。
亭主(旦那とか、連れ合いとも呼ばれているもの)が、エリートであることは女性にとって、勲章の一つです。人生が成功であり、人間として勝ち組に所属をしている証です。ただし、その代償として、自由を失います。種々様々な気遣いをしないと、名士夫人は、勤まりません。
酒井夫人は画廊を経営しています。それは、働く婦人であり、収入もあるわけでしょうから、いかにも自由を謳歌しているように見えます。しかしその仕事は、格好良すぎます。実際には、収入など、それほど見込めず、ただ、ただ、彼女の人生のお飾りに過ぎないとも思われます。それに、それなりの、苦労もあるでしょうが、作家(美術系)本人として活動するほどの、苦労はないでしょう。つまり、画廊のオーナー、特に夫が酒井忠康であるなどという立場は、甘いものなのです。「個展を今度やりませんか?」と画家たちに声をかけたら、誰も断らないでしょうから。
銀座の月曜日は個展の初日で、たいていの画廊で、主役の作家本人が在室しています。で、男女を問わず、50過ぎの作家はたいてい、疲労困憊した顔をしています。
髪の毛からも肌からも、あぶらっ気が、すべて抜け落ちてしまったような、顔でお客さんを迎えています。銀座の晴れ舞台でもそうなのですから、ましてや自宅では、おしゃれとは無縁の生活をしています。それは、大体が作業であり、衣服が汚れるし、しかも一種の重労働であるから、余裕が全くないのです。お化粧をしている余裕も、買いものを楽しむ余裕もないのです。
もし、その先客が、画家として現役だったら、もっとやつれていて当然であり、酒井夫人ほど、潤沢でリッチな感じを醸し出しているのは、変なのです。しかも、私は鎌倉近辺に住んでいる画家のほとんどの顔を知っています。たまたま、瓜南さんの顔を知らなかったのは、彼女が日本画を専門としていたからです。私は日本画には、ほとんどタッチをしていませんので。鑑賞もしていない方です。時間があれば、創画会を見るぐらいかな?
で、私の席ですが、左に先生、右に酒井夫人という布陣で、用意されていました。で、質問をして教えてもらい始めますが、先生と対話している、あいま合間に、10分とか5分ほど空白の時間が生まれます。それは、教えてもらったことを確認したり、練習して見たりしている時間です。で、私は右の酒井夫人を気づかって、『先生、私ばかり面倒を見ないで、どうか、こちらの方の面倒も見てあげて』と酒井夫人を指しました。すると先生が、『いいの、その方はレッスンではないから』と言いました。
その途端、ここに張られている罠がなんであるかを、私は正しく理解をしました。
『ああ、そういうわけだったのですね。この右隣のいい女が、酒井忠康氏夫人で、お前なんか、この人には相当に負けているだろう。だから、おとなしくしろよと言われているわけですね』と。
美術界に生きている限り、武蔵野美大と、国際基督教大学を比べれば、武蔵野美大の方が上です。数を利用した力関係としても、圧倒的に差があります。そして、こここそ、渡辺幸子さんが、桜井陽子さんを、本音のところで、嫌いであるポイントでした。桜井陽子さんの方は、武蔵野美大の同窓会の力が幸いしたのか、早めに若くして会員になれたのに、自分の方は、なかなか、会員になれない。それは、実力の問題ではない。と渡辺さんは感じるので、イライラとしていたのです。
元に戻ります。この頃には、私は相当にさばけた人間へと変化をしておりました。ニューヨークで生涯に初めての喧嘩をして勝ったという経験が、自信を与えていたのです。それは、1999年に、25歳の日本人女性を相手にして起こり、2000年には、40代の日本人女性を相手にして、起こりました。両方とも三か月しかいられないので、仕事の邪魔をされるのが嫌で、はっきりと、あなたはこういう点でおかしいとか、間違っていると指摘をしたのです、すると相手はへなへなになりました。驚きましたね。
いつも我慢をしていて、自分の意志や考えを口に出さないので、とても弱いと他人からみなされている私は、実際には、非常に強い人だったのです。喧嘩をすれば連戦連勝となる人だったのです。
これがどうしてそうなるかというと、人って、驚くほど、自分を知らないのでした。自分のことをきちんと見つめていないのです。人が何か、相手に対してイライラするときには、その陰に、自分の方に、ちゃんとした理由があるものです。いわゆる当たるという現象は、他人にやってはいけませんが、それをやるときは、なんで自分がそういう状態になっているかを、それをきちんと見つめていないといけませんよ。それを、何も自覚をしていないところへ、私から解説をされると顔面蒼白になってへらへらと崩れ落ちるのでした。
その様子は、まるでわら小屋が崩れるようなものでしたよ。
ただし、こう言う喧嘩のやり方は、日本では通用をしません。日本人はつるむから一たい一の正義というものが、通用しないのです。こちらで負けると、別の人を糾合して勝とうとします。だから、いつの間にか、集団の力で、正義の側が負けてしまっています。でも、ニューヨークだと、私は、三か月しか滞在しないので、一気の勝負です。だから勝てるのでした。だから、日本ではめったに喧嘩をしないと心に決めていますが、それでも、人間関係に、自信を持ったことは大きいです。
で、ありとあらゆるところで、知らない人にでも声をかけ、自由で充実した会話を繰り返しているのです。自分の旧来の友人は敵にとられて、奪われています。だけど、一期一会の人と、楽しく充実した会話の時を過ごしています。
でも、それほどにさばけて来ていて自由自在にふるまえる私も、この時のグローヴでの三者の、共有の時間において、酒井夫人に、話しかける気には、なれませんでした。
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副題10、『根は善良だが、いまだ、鎧を脱げない酒井夫人』
ところが、30分ぐらいたった時に、酒井夫人の方から、私に声がかかったのです。『ずいぶん、難しい仕事をなさっているみたいね。何をなさっているの」と。
それを聞いた途端に、酒井夫人が、とても善良であること。および、育ちがいい人であることを、絶妙と言っていいぐらい完璧に、私は、察しました。で、彼女が、自分の家のパソコンで、十分にできることを、わざわざ、ここの貸しパソコンを使ってやっているということの当初の目的が、私を威圧することであったとしても、一切を許したのです。
で、気軽に謙虚に、「本を作っているのです。でも、あなたもすごい仕事をなさっているでありませんか。それ、個展の案内状でしょう」と言いました。
彼女は受け取って、『いいえ、いいえ、あなたのお仕事の方がすごいわ』と再び言いました。その時に、私は態度には何も示さず、声でも何も言わないないものの、例の馬越陽子さんに感じたのと同じ感想を持ちました。『なんて、この人って、かわいい人なんだろう』と。
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皆様、私がよく言う、神様はいらっしゃるというのがここなのです。酒井夫人は当初、いじめるために、(いえ、換言すれば、弾圧するために、)現れたのです。むろん、ご自分の意志ではなくて、例の連中の勧めでです。だけど、好奇心に負けて、ご自分の素地が出てしまった。そこがかわいいのです。
この際の好奇心というのは画面のことではありません。先生と私の会話に対して耳がそばだってしまったということです。先生と私は一般の人が全く知らない領域を問題にして、教えあって、います。それに、興味を抱かれたというのは、とてもいいことなのです。好奇心が旺盛な人はいつまでも若いと言いますでしょう。それに頭がいいという証拠です。確かに、酒井夫人はとても若く見えます。
そして、鉄砲玉としてのご自分の役割よりも、ご自分の好奇心の方を優先なさったのです。そこも主体性を感じるので素敵です。
そして、私は彼女を恨むというよりもかわいいという感想を持ったのでした。
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副題11、『馬越陽子さんが、任務を失敗した徒労感を呟いた日』
馬越さんも全く同じです。彼女は京橋に止めてあったどこかの美術系出版社(たぶん、油井一人さん)の車の中で、私がギャラリー手に入るまで待っていたのです。全く初めての画廊だと、彼女自身ギャラリー手のオーナー杉山さんに言っていました。その言葉を聞いただけで、彼女の目的がわかりましたし。
で、彼女が唐突と言ってよいほど一方的に、「私は北京で個展をして帰って来たばかりで、その凱旋個展を三越でするのですよ」と言っても、パニックにも陥らず、嫉妬もせずに淡々と聞いていたのです。
すると、突然に馬越さんは、自分が任務を完遂できなかったことを悟りました。『あいつをやっつける必要があるのです。あいつをノイローゼにする必要があるのです。だから、協力してください。威張れるだけ、いばってやってください』と頼まれていたと思いますが、それがだめだったとわかった時にすさまじい徒労感に彼女は襲われたのです。
もとより、こんなことを自分がやらないとならないということが解せなかったでしょう。どうしてだか、わからなかったと思います。本当の目的は伊藤玄二郎の下半身を守るためです。そんなことは一豪だに知らされておらず、自分でも思いもよらず、夢にも知らず。ただ、何かわからないけれど、大事なことらしいからするけれど、本当の気持ちやいやいややるのよと最初から思っておられたでしょう。
そのうえ、その育ちの良さから考えれば、『そんなに、単純に他人に向かって威張るのは、幼いことだわね。私は東京女子大と芸大大学院を出たインテリですよ。そんなことはやりたくないわ』と思っていたであろう、もう一つの、本音の方も、突然噴出し、『疲れた、つかれたー、つかれたわー』の連発となったのです。
それを、私はかわいいと、言っています。真実かわいいなとかんじました。
こうして、酒井夫人、馬越陽子さんと、2人で失敗しているわけですね。私はこの二人に威圧されようと何をされようと、全然ひるまず、文章を書くのを止めません。それなのに、あらためて、高橋裕子さんを使ってきました。そのことに私は怒っているのです。画廊るたんには、いぜんから何度も通っているのに、高橋裕子さんとそこで出くわしたことは過去にはありません。それが起きたのは、つい最近、この2012年に入ってからです。しかも、連続しておきましたから、意図的なものでしょう。
高橋さんは、25年前は、「自分の方が上です」という意味のニュアンスをぶつけてきた人です。だけど、25年後の今は、穏やかになっていて、成熟しておられて、私は別に威圧されませんでした。ただ、ここで問題なのは、彼女が病み衰えた状態にあったことです。特に何かの病名がついてはいないのかもしれませんが、幽鬼みたいに痩せていて、それが、例の悪人たちの悪意を、恐ろしいまでに、感じさせたのです。こういう状態で、束縛の多い任務を与えられているのも気の毒だと思い、こういうアイデアを練っている例の連中に対する深い怒りにとらわれるのです。私が家を出ると、それを監視しているご近所様からしかるべきところに連絡が入り、それから、彼女の自宅に連絡が入り、彼女はえっちらおっちら銀座へ出かけてきます。もし、自宅が今でも藤沢市にあるのなら、彼女は、藤沢から上京するということになります。
私は銀座の画廊巡りの順路として、画廊るたんを最後の方においてあります。だから、裕子さんは、余裕をもって準備ができます。でもね。こんな状態の裕子さんを道具として、使うことそのものが、例の鎌倉エージェントたちの大悪人ぶりを示しています。
ほかにも画廊のオーナーが使われています。特にやめた画廊のオーナーが使われています。川島某女史、黒田悠子さん、平野和子さん、そして、まだやめていない画廊のオーナー栗田玲子さん。ただし、この4人は、上の三人とは全九、雰囲気が違います。こちらは、素地や素顔を見せません。それだけしたたかな人たちです。だから、ここでは、パススルーといたしましょう。
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副題12、『画廊るたんの態度に怒っているから、私は酒井忠康氏の夫としての態度に疑問を呈したのだった』
この間、酒井忠康氏の精神について、一回、大きな疑問を呈しています。良心というものがないのではないかと。酒井氏に対しては、もう一つ疑問があります『あの人には精神の骨格、つまり、良心というものがないのではないかと。
それは審査員として機能することが多い人ですが、審査の基準に対して、感情や情実が入るのではないかという点です。その実例は、ニューヨークに滞在しているときに目の前で、展開した事実で、はっきり感じ取ったことです。が、その実例はまた、これも何万字にもなるので、別章で、後で述べます。
で、そちらの大問題は置いておいて、どうして、氏がこういう調略の世界に入って行ってしまったかと問えば、この前は「一度離婚をされているから、その時に良心は、離婚届の中へ、落っことしてきたのだ」。・・・・・と推論をしています。
ただ、そのほかにもそういう風にみる根拠があるのです。その一つが例の鎌倉グローヴの室内に、酒井先生の奥様が先に来ていて、レッスンではない形で案内状を作っていらした日に分かったことでした。
それは、彼女の発音の中に、強いコケットリーを感じたからです。甘いのです。『これは、甘すぎる。50代の主婦であり、画廊のオーナーである人の声にしては、子供っぽ過ぎる。かわいすぎる。極言すれば、かまととと言ってもよいぐらいだ』と感じたからです。
それは、主婦として妻として、50代に達した女性としては不自然だと感じたからです。なぜか新婚当初のかわいらしくて魅力的な女性であるという鎧をまだ、脱げない酒井夫人というものを感じました。
それは、気構えが取れない姿です。余所行きの姿です。そういう姿を妻がとらないといけないのは、夫に責任があると考えます。
つまり、結婚後数年たっているのに、まだ、地金を出して安心して、どでーんとクジラが横たわるような形にはなれない妻としての酒井夫人は警戒心を捨てきれないほど、安心できないという形です。身構えとしてのよそいきな姿をいつまでも捨てられない妻としての酒井夫人の姿勢の不自由さのことです。
それは、私の単なる想像ですから当たってはいないかもしれません。だけど、人を威圧するために妻の身柄を提供した(だって、奥様が伊藤玄二郎あたりに直接命令されて、それを夫に黙って実行するはずがないですから)、酒井氏の失敗だと感じているのです。人をいじめるために大切な妻を提供する。それによって、軽蔑しているはずの相手に、ぐいぐいと、すべてを観察されてしまう。「それってご損なのではないですか?」って、言っているのです。軽すぎます。そんなことはしてはいけないのです。
2012年10月24日に書き始め、26日に推敲を終わる。
雨宮舜 (本名、川崎 千恵子)
こういうところこそ、私が神様のご支援を感じる一番のポイントです。人を陥れようとするとき、ご自分も陥穽に陥るということです。