銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

『風たちぬ』の喫煙シーン、 創造する者には、煙草は手放せないのだ。△

2013-08-18 10:09:34 | 政治

 さて、今は19日の午前10時半ですが、推敲を終わりました。で、恒例の△印をタイトルの横につけておきます。

 禁煙運動はある一個人をいじめるために発案をされたものです。だから、とてもつまらない方向性を持つ・ち・ん・け・な運動です。上の写真は、鎌倉の我が家への進入路におかれたもので、観光客は別に通らない道に置かれました。だから、かえって明瞭になるのですが、禁煙運動とは、・・・・・・・・・・・・と、初稿では、ここで、結論を、二重に展開をしていました。しかし、二日目の推敲後は、それを後ろに回し、文章の組み立てを、通常のものへ戻します。

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 副題1、『この一文を書くに当たっての前書き』

 私は書くべき懸案を、たくさん抱えております。2011年ごろは、30時間連続して起きていて、書き抜いたものですが、フェイスブックを離れ、かつ、銀座の画廊めぐりを中断していると、怒髪天を抜くことが、少なくなるのです。

 実はその両方の世界で、いじめ抜かれていました。それゆえに、防衛する必要もあって、最後まで、文章を、完成させるのに必死だったのですが、最近、家の改修やら、不動産物件を探したいと言う、生活面の欲求から、上に書いた両方の部分を削除して生きていますので、怒ることが少なくなっているのです。

 ただし、そうなると、再度とか、三度目として、うねるような形で、ご近所様が弾圧用に、使われるようになってきて、『あ、そうですか。そういうことですか。それなら、鎌倉問題を書き抜きますわ』と、気持ちが変転をしていて、

 鎌倉ご近所問題を、30年前の事象から説き起こして、書き抜いているうちに、日本政治もずいぶんと正されてきていました。今回の参議院選の前には、前回の衆議院選の直前に生起した嘉田新党のような国民だましの手口は使われなかったのです。

 ・・・・・・・・・やはり、そういうことだったのですね。私のご近所問題は、すこぶる政治的なものであり、瀬島隆三が、自分の次ぐらいの段階に登用した、伊藤玄二郎と、井上ひさしが、すでに、フリーメーソン化も果たしている大物エージェントであって、彼らの指導の下に、すべては、動いているわけですね。

 だったら、アジサイ畑欺もう事件の詳細を書くことは大きな意義があります。でも、これは、大変に込み入っていることですから、一気には書けませんね。ゆっくり書きましょう。・・・・・・・・・・と、本腰を入れて、ゆっくりと書き続け、やっと、中谷共二と言う元会長が、帰米二世であることまで、書けたところでした。

 特に、その途中の5月27日に起きた、前田祝一氏の、『あんたを刑事訴訟にかけてやる』と、言う恫喝を、文章で、払いのけたので、すっかり安心もしておりました。

 その委細は、連続してお読みいただいている方は、すでにご存知でしょうが、

前田祝一様、貴君に行動の自由があるのなら、私にも、その行為を記録する自由はあるでしょう?△

2013-06-11 15:31:49 | 政治
 
 に書いたとおりです。でも、新たに、このブログへお入りになった方、特に、風たちぬを、すでに、ごらんに成っていて、この記事に気がついた方に、上の文章をお読みいただく必要はありません。ただ、私にとっては、正確を期する記録として、ここに、それを、記載しておく必要があるだけです。

 ところが、すっかり落ち着いているように見える世界の裏側で、敵さんたちは、次の攻撃用アイデアを着々と準備していたのです。それが、参議院選開票の当夜にぶつけてこられた、平成の八墓村事件と、通称をされている、山口県周南市の事件です。

 これですが、私から見ると、報道をされている側面とはまったく違ったものが見えており、7月30日以来、こつこつと、それを証明しつつあるのですが、それは、無論のこと、まだ終わっておりません。

 ところが、新聞のテレビラジオ欄に、本日2013年8月18日に、とても気になる記述を見つけました。それで、急遽、周南事件を、いったん離れて・・・・・ただし、底流では伊藤玄二郎というキーパーソンにおいて、つながっていますが、見かけ上は、離れて、・・・・・ジブリの最新作『風たちぬ』に筆を及ばせたいと思います。

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副題2、『新聞のラテ欄に、フジテレビが夜10時から、風たちぬの中の喫煙シーンに関する論争に、ついて触れるらしい事を知る』

 私は、先週ですか、この風たちぬに関して、特に喫煙シーンに対して、論争がネットで起きていることを知りました。ですが、わざと触れないでおきました。私の意見は、思いがけず、ひどく大きな影響を持ちます。しかも、私の意見に反対する方向で、事が運びます。

 それゆえに、一種の営業活動である、映画の上映に、影響を与えてはいけないので、黙っていることにしたのです。

 ずいぶん、大物ぶった言い方ですが、それが、最初に起きたのは、NHKの朝ドラ『つばさ』の視聴率が低いと発表をされたときだったと思います。あれは、非常に面白いドラマであって、視聴者も燃え上がり、いわゆる掲示板の活動も活発でした。内容も高度だったと思います。で、私も楽しみにしていて、当時、自分が活発に書いていたメルマガの世界で、4,5回それに触れました。すると、見事に妨害をされて、「視聴率が低い」と言う報道がなされて、急に水を差されて、すべてが沈静化しました。

 あのころは、電通の成田豊氏が、公式にも生きていることになっている時期で、鎌倉のエージェント、木村某氏などから、入った忠告かどうかは知りませんが、視聴率が低いと言う嘘(たぶん、嘘だったと思います。または、サンプルの抽出数が少ないので、偏った数値が出ると言うことでしょう。)を流して、私の書くものを否定して来たのです。

 その後、この手の小さなニュースではなくて、もっと大きなニュースで、私の書くことを否定してきていますので、ものを書くにあたって、テーマの選び方も、書き方にも、書くタイミングにもそれぞれ、自己規制をするようになりました。それもひとつとして数えて、被害が五億円に達しますと、常に言うこととなります。

 だから、『風立ちぬ』という映画をきっかけに、喫煙論争が起きたと聞いて、『おー。よかった。正しいことは、結局は、世に露見するものだ』と、内心で喜んだものの、このブログでは、声を上げませんでした。ここで、19日の挿入として書きますが、この一文を書き上げた後で、18日の深夜、2チャンネルを点検しようと思ったら、グーぐるに項目は確かにあるものの、私のパソコンでは、どれも展開せず、中身を読めないのですから、『なるほどね。自分が今書いていることはすこぶる正しいのだ』と、確認したしだいです。

 ただ、ネットの社会とか、ブラウザのニュースの世界でのこととではなくて、フジテレビが、取り上げると聞くと、ちょっと考えます。私は私なりの持論があるのですが、フジテレビで、取り上げた後で書いては、二番煎じの感が否めなくなるでしょう。

 ただ、迷うところではあります。その番組は録画ではないのでしょうね。すると、フジテレビにまで、私の影響力が及び、結論が左右されてくる可能性は強いのです。で、その結果として、・・・・・・やはり、あそこまで、喫煙シーンが多くてはいけない・・・・・という結論になると、それは、わたくしとしては、損失なので、それゆえに、私がここで、これを取り上げるか、あげないかは、大いに悩むところでもあります。

 しかし、現代アートの世界では、オリジナリティと言うことが、特別に、大切です。ですから、ここで、声を上げましょう。書きます。自論を。

 なお、私はタバコを吸わないし、「夫も、息子も、父も弟も、吸わない」と、申し上げておきます。だけど、現在の禁煙運動の高まりには、深い怒りをもっていると、申し上げておきます。

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副題3、『禁煙運動はお定まりの、鎌倉エージェントが起こしたのだったが、その証拠写真の一つがこれだ』

 周南市の平成の八墓村事件が、鎌倉エージェントが起案した可能性があり、それは、わたくしの家の近所の住人、安野夫妻、前田祝一・清子夫妻、石川和子・柳沢昇夫妻、大原光孝さんなどを、助けるために起こされたといっていますが、この禁煙運動も同じです。その根拠の一つが、冒頭に挙げた写真ですが、あの標識の周辺の景色は以下のようになっています。 

 

  右側の金網の外は、鶴岡八幡宮様が持っている時間貸し用の駐車場です。バス用はもっと北側にありますが、これは普通乗用車・専用のものです。左側に、ごみ用の青い色のネットが見えますが、その裏も八幡宮様の普通乗用車・専用の駐車場になっています。私が引っ越してきてから、20年ぐらい、そちらの南側は無料の駐車場であり、特に、私たち、山の住人は、お断りをすれば、八幡宮への参拝用に来た人ではなくても、そこにお客の車を無料で、停車することができたのに、今はすべて、有料になっています。

 それもきっと、私が過去に、その無料であることを書いたので、伊藤玄二郎あたりから、「ぜひ、有料になさいませ。彼女あたりに親切になさっては、いけません」というような文言で、吉田宮司様が、そそのかされて、こういう決定をなさったことでしょう。でも、いじましいというか、けちだなあというか、なんだか、嫌な感じがします。無料であるほうが、ずっと、おっとりとしていて、大きな神社らしい風格を感じるのに、・・・・・・『吉田宮司様は、どうして、ああも、いっぱい彼らの言うことをお聞きになるだろう』と、思うほど、言うなりですね。

 吉田宮司へのそそのかし役として、大衆の目には見えない伊藤玄二郎がいるのですが、されに、その後ろには、さらに上位の、教唆、教導役としての井上ひさしがいるでしょう。その井上ひさしは、母親が貧乏なあまり、長男は、育てられるが、次男は育てられないと、いうことになり、カソリックの・・・・・一種の・・・・孤児院に預けられ、したがって、カソリックの信者になっています。

 吉田宮司は、そういう人間の風下に立って、言うなりになっておられるので、宗教活動的に言っても、私は、残念で、見ていられない思いがしますが、伊藤玄二郎の、例の人たらしの策が功を奏して、居酒屋で、一緒に飲むとかが、あるのでしょうね。もう、どっぷりとそちら側に引っ付いておられるのでしょう。後戻りはできない形なのでしょう。

 我が家は、その左側(南側)の駐車場の真上にあります。樹木で隠れていますが、すぐ目の前の場所にあります。我が家から、冬には、八幡宮様の大屋根、および、舞殿の、緑青吹いた屋根が、木立の間から、見えます。イチョウやモミジの葉が落ちるからです。

 ところで、この路上喫煙禁止の標識は、ゴムに印刷をしたもので、今では、鎌倉中の道路に貼ってあります。そして、全国展開するでしょう。だが、初発は、この山の下だったのです。つまり、私が必ず通る場所だから、それを張ったのでした。山に入る道はそこしかないからです。だから、見え見えの私に対する脅かしでした。だが、脅かされても、フンと笑っている私は、それを、持論の証拠立てに使おうと、黙って、腹の中で、決めていたのです。すべて、そうですよ。彼らが勝とうと思って仕掛けることは、すべて、こちらにとってもありがたい、アイテムとなるのです。

 前報で、・・・・・大原光孝氏が、勝ったという表情を7月26日の夕方、私の正面から見せた時に、私は周南事件が、諜略行為であり、作られたものであることを確信したと、書いていますね。究極の勝ちは負けの始まりであり、究極の負けは、勝ちへの第一歩なのです。

 しかし、公開の文章として、周南事件が作られた事件であることを書くのは、7月30日まで待ったし、大原氏に関してはさらに、2週間ほど待ってあげた野に、ちっとも、そのありがたさが彼にはわからないようでした。いわゆる武士の情けというものですが、相手の教養が低いと、その武士の情けが、通じません。彼はどうも、ひどく教養が低いと思われます。自己防衛に関して、何も反応がありませんので。自己防衛の反応を、確実に、見せている人もいるのにです。

 つまり、はっきり言えば、この恐ろしい悪巧みに乗せられる方向から逃げようと考え始めた人もいるのに。

 上の白いゴムの標識ですが、これに絡まって、ひどく嫌な思い出もあります。それを、起因した人ですが、今、まさに自己防衛型の反応をお示しになっているので、その部分を書けません。でも、私も常に、30%で押さえているので、そこで、そのいやな思いの詳細を、書かなくて、胸におさめても、別に大筋には、関係はないだろうと、思っております。

 ただ、常に用心はしております。どういう人が敵に回っても、または、見方にはならないものの、一応、平静な心のレベルになっても、それは、常に変転の可能性はありますから。

 いつも誰か、知人を心理的なスナイパーとして使って、心を破壊することを、狙われているものですから、本当に用心深くなっていて、昔の無防備な私ではすでにありません。で、開発ちえさんのような無防備・100%な人と対決すると、圧倒的にこちらが上だと言うこととなってしまうわけです。それが、また、彼女が、逆上を、しまくる原因となったのでした。

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副題4、『井上ひさしが発案した、私をいじめるための、諜略行為に、松沢茂文・神奈川県知事(二〇〇八年当時)が乗ったのが、禁煙運動の始まりである』

 私のブログを連続してお読みいただいている方には、すでに何回か、そのいきさつと仕組みは書いていますが、『風たちぬ』をきっかけに、ここに入ってきた方のために、まとめて、繰り返しますと、

 <<<<<<<<・・・・・原文は、ブログとかメルマガとして書いたエッセイの中で、特に出来の良いのを選んで、そこに登場するものを消し去る動きがあって、それは、どうも、井上ひさしが発案しているみたいだ。彼は、二〇〇九年、四月の九日に死んだことに、自分でしたのだけれど、デスマスクもなければ、主治医の発表もなく、墓の場所も明らかにはされていない。

 御嬢さんの発表である、「死の直前まで病院には歩いて往復した」というのも嘘であり、チャンチャラ笑ってしまう・・・・・彼が住んでいた佐助という場所は、駅からは、結構な急こう配で上がる坂があり、病院への行き(くだり)は、ともかくとして、帰り(のぼり)に歩いてそこを瀕死の病人が上るのは不可能である。嘘八百もいい加減にしてほしい。

 さらに言えば鎌倉市内に歩いて行かれる病院で、彼が「ここで、死んだ」と発表をしている病院はない。嘘八百も嘘八百の、その死である。彼はまだ、確実に、生きている。そして、地下潜行をしていて、周南事件とかそのほか、おお相撲壊滅作戦とか、のアイデアを練っている。

 さらに、お葬式の代わりの、しのぶ会だが、壇上に四百冊だかの、自著が並んだが、献花は受け付けなかった。普通は、菊、一本ずつ祭壇にささげる形式だけれど、それをやらなかった。さすがに、それは、心に恥ずかしさが、きざして、控えたのだろう。

 だが、公的には、死んだと発表した後でも、私が、「常用のパソコンは縦長の画面なので、XPを使っている」と書いた途端に、マイクロソフト社が、XPのサービス停止を言い出した。これも、井上ひさしの発案であろう。しかも停止日が、自分が自分で、公的に、死んだことにした、四月九日を選んでいる。おちょくるのもいい加減にしてほしい・・・・・・・・・>>>>>>>>>

 と書いたのを覚えておられると思うのですが、

 彼が公式にも生きていることになっていたころに、発案をされたのが、この禁煙運動の高まりです。

 それは、私がメルマガに書いたエッセイが源発の動機となって起こされたと感じています。

 それで、その原文をここに置きます。

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副題6、『一本の煙草が、横浜駅のベンチに落ちていて』

編み上げた六冊目の本、『おばさん、お釣りを忘れているよ』の中では、第三十九章『一本のタバコが、ベンチに置いてあって』 と言う原題で、おいてあります。

 二〇〇八年の九月二十三日、(火=休日)の夜遅く、横浜駅のホームにいた時、ベンチがひとり分開いているのが、遠くからも見えました。疲れているので座ろうと、数十メートル離れたところから近寄ってみると、その座席には、なんと、一本のロング・フィルターのタバコが置いてあったのです。しかも新品が。 

 それで、それを怪訝に思った人が、今までそこに座らないでいたらしいのです。辺りを見回してもゴミ箱が無くて、ぽいとそれを捨てるわけにも行きません。旧東横線の線路と駅舎部分を改築しているので、横須賀線のホームもなんとはない落ち着きのなさがあって、ゴミ箱等が設置されていないのです。で、私は疲れているので、それを拾って自分の紙袋へ入れ、ともかく座りました。 

 さて、いつも、『自分に必要なものは、天から、必要な時に与えられる』と信じている私は、『このタバコには、どういう天からのメッセージが、込められているのだろう』と、考え始めます。そして、そうだ。『これで、バラの除虫薬を作りなさい』と天が仰っているのだと考えました。

 家の中に、タバコを吸う人がいないので、昔、知人から三本ほど貰って、それを作り、よく効く事を知っていました。それが無くなっているので、今は木酢液というのを使っています。

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 そんな事を考えているうちに、さっき西口で見た光景に対する違和感が、強烈に沸き起こって来ました。西口のちょっと右側に、ガラスでできた、広さ四畳半程度のボックスがあり、その中に人が一杯群れていて、タバコの煙がもうもうと充満をしていました。

 『ああ、今は嫌煙運動が盛んなので、こういうところで、人間がタバコを吸っているのだ。だけど、人間の尊厳が無視されているなあ。まるで動物園の檻みたいだ』と思って。

その時に、ジョージ・オーウェルの小説、『1984年』を突然思い出しました。

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 ここですが、2013年の今ちょっとお断りをすれば、本当に思い出したのは動物農場の方でした。しかし、動物農場の方は、実際に読んだのが、1963年だったし、英語版で読んだので、より有名な1984年と、勘違いをしたのです。恐れ入ります。で、元のメールエッセイへ戻ります。

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 さて、二日後の木曜日の朝、主人にこの話を伝えました。特にジョージ・オーウェルの部分まで差し掛かると、彼は、突然に、ジョークを言い始めます。「鎌倉駅の、嫌煙スペースも、ガラス箱で囲ったら良い」と。こうして文章に書くと、どぎつくて面白くないのですが、主人特有の話し言葉としてのニュアンスがあって、それが付随すると、特別に面白いのです。それで、私が笑うと、彼は悪乗りをして、「そこに石を置いて置くんだよ。嫌煙運動に逆らう、人へ、庶民が一丸となって、石・つ・ぶ・てを投げよう」と。

 ジョークも、そこまで飛躍をすると、私は笑えなくて、猛烈に抗議をします。母から良く、「あんたって、冗談が通じないんだから」といわれましたが、確かに真面目一方なのです。

 すると、突然に主人は面変わりをして、真面目に話し始めました。「何百年も続いて来た人間の行為を、突然に、ここで、終了させようとするのは、行きすぎだ。条例か何かは知らないが、傲慢だ。喫煙などは、道路でそっと吸っても、空中へ煙は霧散して行き、そう、大きくは、他人には迷惑を掛けないのだから、自己責任に任せればいい」といいながら。

 「そうね」と私は得たりや応と、返事をします。そして、心の中で画家として、タバコを手放さない、友人(女性)の姿を何人か、思い浮かべました。クリエーターの中には、考えている間の手持ち無沙汰を紛らわすために、タバコをたしなむ人間は多いのです。

 そういう人が外出した時に、とても、惨めな思いをするでしょう。心を開放したくて、タバコを吸うのでしょうに、あのガラス張りの箱の中で、しかもお隣の人間とぎゅうぎゅうづめですから、どうやって、開放できるでしょうか? これはやりすぎです。

 「でも」と、私は主人に逆らうように言いました。「あのね。私って、真綿にくるまれたような表現が好きなの」と。実際のところ、あまりはっきりと、自分の意見を言わないで、読者に後はお任せするのが好きなのでした。

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 すると、主人は一瞬黙り込みました。これは、彼が私の発言に一目を置いてくれた時の、準備運動タイムなのです。そして脳内シナプスを俊敏に働かせた上で、おもむろに、新たな矢を放ちました。

 真綿にくるむ前に、掃除をしてね」と。そして、その矢が見事に、私の胸に刺さったのを見極めて、さっと席を立ちます。元々外出する予定を持っていました。そして、早起きだから、私が食堂へ入る前に、じゅうたんには、既に掃除機を掛けてくれていました。

 私も心の中では、『私が後で、フローリングの部分を、拭き掃除をしなきゃあいけないわね』と考えていたのです。で、玄関から出て行く主人に、「私、今日、拭き掃除をして置くわ」と声を掛けながら、

 でも、やはり、掃除の前に、例の『真綿にくるんだ、表現』をするために、パソコンに向かう私でした。『掃除も、洗濯も後でしよう。ともかく、発想が沸いているうちにパソコンに落とすのが先よ』と思いながら。              二〇〇八年九月二十五日

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 これが、すべての始まりとして、禁煙運動は起きたのでした。

 今思い出しても懐かしいのですが、鎌倉駅のホームにさえ、喫煙用の灰皿が置いてあったのですよ。それなのに、この文章がきっかけで、神奈川県で禁煙運動がどんどんエスカレートをしていって、井上ひさしと、伊藤玄二郎が、エージェントであるからこそ、それは、アメリカにまで波及をしていくのでした。

 その大いなる原因は、この一文の出来が・・・・・多分ですが、相当に、よくて、・・・・・そうですね。銀座でも、大評判でしたよ。・・・・・同じ文章書きである井上ひさしの激しい嫉妬を招いたのでしょう。・・・・・・継続して、ここをお読みになっていない方は、この手の言い方に、驚天動地をなさって、ここをバカになさるでしょうが、継続してお読みになっているかた、および、神様を相手として、そのように、断言をいたします。そういうことだったのです。

 井上ひさしと、ふたり羽織というほど、連動して動いている伊藤玄二郎は、松沢しげふみ神奈川県知事を、どうにでも動かせるみたいで、彼が、いろいろ動いたか、東京の、エージェントの誰かが動いたかは知りませんが、神奈川県を中心として、禁煙運動がおこったのでした。そして、おお相撲壊滅作戦と同じく、それは、エージェントが発案したことだから、日本全国を巻き込むこととなります。

 でも、ほかの県の県知事さん、もしあなたが、マネをしたら、あなたは、必ず次の選挙には落選するでしょう。これは、業者泣かせの条例です。そして、普通の人々を、悲しませる条例です。深い恨みを、あなたの名前に対して、彼ら、庶民の心の中に刻み込まれてしまうでしょう。

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副題7、『この禁煙運動の高まりの真実の目的は、何か、ここで、まとめておこう』

 この一節は、初稿では冒頭に置いたものです。

 大結論を述べておりますが、それを語る前に、もう一回道路標識に使われたゴムラベルの写真をおきます。この標識は、我が家から、直線距離にして40m(この数値は高低差があるので、正確には、素人には計測できないのですが、40mは、超えないことは確かです)のところに設置してある標識です。しかも、鎌倉市内で、一番早く設置されました。一つの恫喝の道具として設置されています。 

 私と言う個人をいじめ、そのものを書く能力を失わせるために、例の連中がよくとる手段としてはじめられたのです。別に存在する目的を完遂するめに、ある間接的な別の項目を作リます。それが、いかにも正しいことであるかのように、お砂糖にまぶして、ことを大衆に受け入れられやすくします。

  この場合は、喫煙者のそばにいる人の健康がだめになると言うことで、すばらしい話のように見えます。だが、その結果、大切なこと、すなわち創造力のある人の、創造性を失わせて、国力が真の意味で低減すると言う結果になるのです。とても、短絡的な幼児的な発想です。一方でIPS細胞の研究で国際的な競争に勝とうとする国家が一方で、こんな貧しい発想で、自分達をがんじがらめにすることの、忌まわしさに目覚めましょう。

  女性に不妊をもたらす子宮頸がんワクチンを国民全体に強制投与させようと提案したのも同じ連中ですが、そっくりな流れですね。これがこの一文の結論です。禁煙学会は医者が入っているそうですから、両方に名前を連ねている人がきっといるはずです。

  ところで、私はフジテレビのミスターサンデーを見るのをすっかり忘れてしまいました。主人のおじが録画されたテレビに出ていたので、それを見るのに夢中だったのです。帰米二世が、日米のハザマで苦しむと言う、15日と、16日にNHKで放映したものですが、そこにもと海軍の少尉だった主人のおじが、前後編、両方に出ていたので、録画されたそれを見るのに夢中だったからです。私の方のおじは帰米二世ではないものの、元海軍中尉で終戦を迎えましたが、すでに亡くなっています。主人のおじである元少尉は、若いので、いまだ存命ですが・・・・・

 なお、このような結論を導き出して、喫煙を擁護しているみたいに見えるでしょうが、私自身は喫煙をしません。また、家庭に父の代、子供の代、兄弟のこと、主人のこと、すべてを含めても喫煙者はいません。だが、目の前で喫煙をする人は何人も見ています。一時間ぐらいなら、受動喫煙の被害は、気にしていません。 

 そして、2チャンネルのまとめを見ようとしたら見ることができません。それで、ますます、この件が政治問題であることに気がつきました。

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 フジテレビの、ミスターサンデーが始まる前に、初稿を完成させえて、よかったです。それを、見ながら、この一文を読み比べてくださると幸いです。もし、新聞でのお知らせと違って、その項目が削除されていたら、ますます、私が言っていることが正しいことが証明をされるでしょう。

 ただ、上に行っているとおり鎌倉、特にこの住まい近辺の雪ノ下2丁目では、禁煙運動は、特に私を狙って敵側から起こされており、それを、私がまた、文章にきちんと書くものですから、敵側も『しまった、失敗した。大衆を敵に回してしまったか?』と思うらしくて、言葉が、どんどん、変えられてきています。大衆の人気は失いたくないし、私のほうは脅かしたいという二律背反した望みのもとに、最初は禁煙運動という用語だったものが、受動喫煙防止となりました。そのほうが、非喫煙者の共感を得ると考えられたからでしょう。 

 それもまた、私が、『おかしい、諜略だ。神奈川県知事の後ろには、伊藤玄二郎がいて、かくかくしかじか』と書くものですから、今では、『やめよう路上喫煙』となっています。つまり、言葉がどんどん変えられていきましたが、受動喫煙より、路上喫煙禁止となると、それを反対する人間は、さらに少なくなるだろうと、いうことです。が、すべて、脅かし用の策略です。 

 どうして、私を脅かす必要があるかというと、我が家の周辺には、恐ろしい、犯罪が隠されているからです。それを、私はあじさいばたけ欺もう事件と言う通称をつけて読んでいますが、そこには、ダブった形で、京急北久里浜駅東側の岡野上に建つ、大マンション群ルネ北久里浜の土地に関する疑惑が含まれています。

 そちらの方の関係者である、瀬島隆三が初発(または、源発)の暗雲が、こちらの鎌倉雪の下二丁目もすっかり覆っているのです。そして、わざと、わたくしの土地を盗むように、普通の人を、そそのかし、盗みというしかない犯罪を、普通の人(=息子さんが、東大宇宙工学研究所の所長である中谷共二氏)に起こさせています。

  さらに、そういう土地盗みを、中谷さんが起こさざるを得なかった、真実の原因者たちが、逃げて行って、自分たちの責任を負わないようにするために、多数の証拠隠滅も行われていますが、並行的に、こういう脅かしも、常に行われていて、・・・・・たばこの禁煙運動もその一括・または、一環として、発生しました。

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副題8、『むろんのこと、風立ちぬは、劇場で見ましたよ』

 この一文を書く前に、むろんのこと、風たちぬは、桜木町駅前の映画館で、見ました。映画そのものに対する論評は避けます。ただ、問題の喫煙シーンはよく見ましたよ。

 そして、『頭脳を駆使する人々にとって、こういう生活態度は当たり前でしょうね』と、思いましたよ。そして、宮崎駿監督の激しい、抗議の意思を感じました。実際に堀越二郎が、たばこをたしなんでいたか、また、彼の盟友、本庄氏が煙草をたしなんでいたか、どうかを知りません。だが、禁煙運動は、創造活動への邪魔モノでしかないのです。

 こういう運動に率先して旗振りをした松沢茂文という人間の浅ましさを、皆様どうか、永久にご記憶くださいませ。みんなの党は、彼を自分たちの仲間として、承認したそうですが、いずれ、いろいろな意味で、自分たちの衰亡を招くことでしょう。

 早速の仲間割れが起きていますが、松沢茂文が、細野豪司氏と、組んで、新党を起こそうとしているのなら、どっちも浮かばれないと思いますよ。二人とも国民の間に、人気がないです。

 みんなの党には、お気の毒ですが、仲間に入れる人間のことは、裏から表から、よくその人間性を勘案しないとダメですよ。

 ところで、繰り返しますが、私は、ここでは、宮崎駿という人自身と、この映画『風立ちぬ』本体には、言及しません。特にこの章では言及いたしません。

 ただ、私が書いたタバコに関するメール原文では、以下の部分をさらに継ぎ足しで、それを、六冊目の本に、いれてあります。

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副題8、『創造をする者には、たばこは手放せないらしいね』

  追伸、このあとです。〇九ー五ー十二にNHK衛星第二放送で、過去二十年間で放映されたうちで、最も人気の高い番組の再放送がありました。視聴者からの投票で七番目の番組が放映されたのです。それは女性プロデューサーたちが、「今、最も裸にしたい男たち」という副題で二〇〇一年度内に取材して制作したもので、ガクトの密着取材でした。マダカスガル島へ一緒に旅行をするのですが、ガクトは、ほとんどの場面で細い紙巻タバコを手放しません。その映像を見たときに、文化と芸術の根源である創作の世界にいる人が、思考をまとめるためにタバコをたしなんでいる事を再確認しました。

 同じ事ですが、忌野清志郎さんが亡くなった時に、朝日新聞が恩師について、特集コラムを組んでいましたが、恩師(美術専攻)はタバコを手放さなかったと書いてありました。そして、忌野清志郎さんはそれを詩に書いている。

タバコは、確かに肺を汚す猛毒でもあり、傍にいる人間が、受動喫煙で悪影響を蒙るのも確かでしょう。しかし、それを関係者が、あまりにもきつく取り締まるのは、どうでしょうか?

個人の場合ですが、よく家族が嫌がるので、ベランダで喫煙をしているお父さんがいますが、そういう家庭は発展性が無いのです。お子さんがなんとなく、しぼんで育ちあがったりします。つまり、お父さんをないがしろにしているわけですね。大切にしていない感じが見えます。

 日本も国として、少数派を圧迫しぬく事は、発展が阻害される事となると思います。それは本当に危ないし、もったいない事です。ここまで文化の発展した国なのですから、そのまま、進行をしたいものです。                            二〇〇九年五月十三日

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副題9、『本当の文化とは何か?』

ところで、こういうこと・・・・・路上喫煙禁止と言うゴム製のラベルを道路に張る・・・・・その道路は別に観光客が侵入してくる道路ではない・・・・・を考え出さねばならないほど、この山の連中はひどい連中なのですよ。

自分達が先にひどいことをしておきながら、それを、ないものにするために、次から次へと無関係な人を犠牲にして、私の文章が死ぬように図るエージェントたちに、大協力をし続けています。時には彼ら自身がアイデアを出しているのではないのと、思うほどです。

特に、これを将来の法的な証拠のひとつとするために実名を表記しておきますが、駒澤大学の教授だった前田祝一氏の心根と、国学院大学講師だった前田夫人清子さんの野蛮さは、もう本当に唾棄すべき態度です。ここでは、実例を挙げませんが過去文とか、これから書く文章で出てくるでしょう。いつも、書くべき題材が頭の中に充満して、あります。aeraの特集記事を参照にしたりして、いずれ解説していきます。いずれにしろ人をいじめる方向で、腐心するばかりな、ご連中ですから、心根は乱暴極まりない人たちです。見かけはお芝居っ気たっぷりで、それにだまされる人々もいるみたいですが・・・・・

そういう連中に、脅かされ、軽蔑され、いじめられている私ですが、今般少し、心が慰みました。風立ちぬは、本日まででも、大勢の人が見たでしょう。宮崎駿さんの、・・・・・創作をする者には、たばこが手放せないのだ・・・・・というメッセージは十分に伝わったと思いますよ。

さて、その禁煙運動は、日本とか、アメリカでも、文化の創造を遅らせる恐るべき悪法なのですが、それでも、私をつぶせないと考えて、周南事件を起こしたのでした。禁煙と言う間接的な攻撃と、殺人事件という直接的な攻撃の間の隔壁は、恐るべきものですが、庶民なんて,一顧ダニしない、彼らエージェントたちにとって、虫けらにしか過ぎないのです。

井上ひさし、おそるべしです。いや、『そのしつこさと、脅かしを発案し続ける永続性に恐れ入ります』と言って脱帽したくなります。(笑)

が、私の心は毅然として、そんな脅かしには屈せずに、また、周南事件に戻ります。

 なお、このブログの2010年度より数え始めた延べ訪問回数は、

1756825です。

2013年8月18日から19日にかけて書く、 雨宮舜 (本名、川崎 千恵子)

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