副題1、『記憶の中で、五指に入る藤圭子』
藤圭子さんが、自殺をしたと報道をされました。最初から自殺と報道をされて、有名人にしては珍しいことだと思いました。
離婚していて、しかも、現在活躍していないと、いわゆる特権が与えられないのかと、気の毒に思いました。自殺でも自殺とは公表をされないケースも多々あると思いますよ。
ただ、天才芸術家には自殺は勲章でもあります。歌手は演奏家だから、創作はしていないと言っても、彼女の歌唱力で、『夢は夜開く』などの楽曲は生きたと思いますので、天才の一人だと思います。あの歌は、平凡な歌い方をしたら、短くてつまらない歌だと思われてしまうでしょう。
ルックスがよくて歌唱力もあるということでは、珍しいほど、バランスの取れた整った人でした。そのバランスが取れたと言う部分ですが、それは、仕事上の部分であって、私生活では、バランスが取れていなかった・・・・・と言うことは後でわかってくるわけですが、最初はそれを知らないので、いろいろ誤解をしていきます。
私は日本の女性歌手の中で、今でも、聞きたい人のトップにはちあきなおみを、置いている人間ですが、メロディとしてはより単純な歌を、きちんと、しかも、魅力的に聞かせたのですから、藤圭子も歌唱力は高かったと感じます。
ところで、最初に感じたことが『守られていない』でしたが、彼女は歌手時代から、別に過剰にマスコミが、優遇しているわけでもなかったと思います。で、それも、彼女を好きだった理由のひとつです。実力がないのに、マスコミ宣伝力で持っている人も多いから、比較すれば好感度が高かった歌手です。
~~~~~~~~~~~~~~~~
副題2、『結婚とは老後の保障と言う側面が、大きいのに、離婚は残念でしたね』
最初に思ったことが、上でしたが、次に思ったのが、『離婚をしたのが、失敗のケースの典型的な例だ』でした。結婚とは我慢の連続だと思う時期もあるし、ひざを屈することの連続だと思う時期もあります。
だけど、老境に入ると、一人では、生きられないと思うときが増えてきます。そのときに、一人だけでも誰かが一緒にいて、支えてくれると、助かります。親兄弟でもいいですし、遠縁の人でもいいし、友人でもいいのですが、自分が、老人ホームへ入るにしても、その前の段階にしても、一人だけで暮らすよりは、誰かと共同生活を送っていた方が、楽でもあり、有利なのです。
前の夫、前川清氏は、歌手なので、お互いにわがままだったところがあっても、二度目のご主人は音楽プロデューサーと言う裏方の仕事の人なので、歌手と言う人種に対する理解もあったでしょうから、この離婚は藤圭子側からの、申し出でだったような気がして、『残念でしたね。早まりましたね』と思ったことです。特に子供がいます。
それを考えるとご主人の方から離婚を申し出でることが想像ができず、これはやはり、藤圭子が、申し出でたのでしょう。予測が足りませんでしたねとか、『慎重さが足りなかったですね』と思ったことでした。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
副題3、『ご主人の言葉が真相を明かした。そこから感じるのは、とても優しいご主人だと言うこと』
さて、本日になって、宇多田ひかるのホーム頁に、ご主人が、述懐を寄せていると、ブラウザのニュースが教えてくれて、先ほど、私もその元頁に入って、それを読んだところです。
それを読んで、ほっとしたと言うか、なんと言うか、・・・・・
なぜ、ほっとしたと言うかと言うと、藤圭子が、ちゃんと、大切に思われていたとわかったからです。憎まれたり、嫌われたり、うらまれたりしていたわけではありませんでした。
だけど、それを読むと、『一緒に暮らすのが、とても大変な人だった』と言うのもわかるからです。藤圭子が、単純にわがままだったと言うわけでもなく、また、彼女が誰か別の男の人を好きになったと言うわけでもなかった模様です。
真相はまことに深いところにあって、人間存在の実存的不思議さに、向かうところなのでした。だから、他人の容喙すべきところでもないのでした。
~~~~~~~~~~~~~~~
副題3、『さびしくて、感性の豊かな女性の、長電話』
今はラインとかフェイスブックの個人メールのやり取りとかヴァーチュアルな世界で、同時進行的に、お話ができるシステムが発達してきました。総称してSNSと言うのかな? だけど、1940年代までに生まれた女性にとって、心を打ち解けあうのは、やはり電話ですと言うことになるでしょう。
大原麗子さんが孤独死したときに、「実は、彼女の長電話には、苦しめられていました」と言う友人がいっぱい出てきました。彼女は二度結婚をしていますが、そのお相手は離婚後、それぞれ、別の女性と結婚をしていて、たぶん、両方の家庭ともにお子さんがいるので、電話をかけることができません。お葬式には二人とも来ておられたけれど、電話をかける間柄ではなかったでしょう。で、ドラマとか、映画に出演する際にカンパニーを形成する、仲間へ、電話を掛け捲って、事実上、迷惑がられていたのでした。それは、彼女にもわかったはずで、したがって、さらに、不満が募り、さらに、電話を掛け捲ると言う悪循環に陥っていたと思われます。
藤圭子さんの場合は歌手なので、カンパニーと言うものがありません。伴奏者はいるが、そういう固定的な関係に、深い人間関係を持ち込むわけにも行かないものです。だから、もっぱら、元ご主人とお嬢さんに、かけるという形になっていた模様です。二人とも現役で仕事があり、しかも、藤圭子さん側から、特に海外旅行先から、真夜中など日本で受け取るには困る時間帯にかかってきたと言われていますので、ご主人など受け取る側は、留守電機能など多用して防衛していたと思われます。
しかし、わらをもすがりたい人にとって、留守電機能は不安をよりいっそう、掻き立てるものだから、大原麗子さんと同じく、こちらも悪循環に陥っていたのでしょう。そんな様子がご主人の述懐からは、察せられ、これでは、藤圭子さんも、自殺をするほかなかったのだろうと思います。それ以上生きていても、向上とか展開とか、進歩とかが予想されないから。
海外旅行ですが、病院へは、絶対に、入院をしないと言う彼女に、ご主人側が、金銭的援助をして、「どこでも好きなところへ行ってきなさい」と送り出していたと推察されます。彼女は肉体的には健康なので、それが可能であり、それも、お金のある家の、ひとつの家族の形でしょう。私も肉体的に丈夫だったら、母からの遺産を全部食い潰してでも、海外でアート修行を続けたいと思っていますが、それは、できないと、すでにあきらめています。それができないのなら、観光旅行を、するのも、それほど、楽しいとは思っておりません。それよりも手縫いで、こつこつ、現在の生活を向上させる方が楽しいかな?
しかし、藤圭子さんに老いが忍び寄っていて、そういう風にデラシネの生活を続けることができないと、本人にもわかってきていたら、帰るべき安住の場所がないというのはつらかったでしょうね。特にもし、元ご主人である宇多田さんに新たな妻ができていたら、そこは、帰るべき場所ではないから。
でも、そんな『迷惑な存在にあなたはすでになっていますよ』と、元夫側が感じている関係でありながら、とても、立派で愛情のこもった追悼の言葉が、お子さんからも、ご主人からも出ているので、藤圭子さん、は、これで、よかったのだと言うべきだと思います。ともかく他人の口を出す分野ではなかった模様です。お葬式がないのもそれでいいでしょう。
~~~~~~~~~~~~~~~~
副題4、『一方、私は、PARCO劇場の、切符を手に入れていた』
藤圭子さんが、自殺をしたと言う情報が流れたころ、私はNHKニュースから情報を得て、戯曲、ISAMUを見に行こうとしていました。そのニュースを見てからコンビニに行ったので、切符は、最終日のしかも後ろの方の席しか手に入りませんでしたけれど。
で、なんとはない形で、ニューヨークへ思いをはせていました。NHKニュース内だけでも、宮本亜門が、現代の日本女性を登場させて、ニューヨーク在住の設定にしていると、聞いていましたし、宇多田ひかる一家が、ニューヨークを拠点に活動をしていたことも知っていましたから。
これから先は、ちょっと知ったかぶりのいやみなところですが、ニューヨークで、セールスマンの死を見た話をさせてくださいませ。ニューヨークへ、ISAMUを宮本亜門が持っていくかもしれないと、私は推察するので、そこが急に、私の心の中でクローズアップをされたからです。
タイムズスクエアーに、ユージン・オニール劇場と言うのがあって、そこで、1999年に見ています。その年のトニー賞(第53回)も、もらっています。
これは、2回、映画化されていますが、私は子供のころ、白黒版のそれを、見て、ずいぶん変な映画だなあと思った記憶があります。しかし、母は大好きだと言っていて、大人になってからその言葉は正しかったと思っています。20代の結婚前は、英語の戯曲も読み、滝沢修の民芸の公演も見て、さらに映画もその白黒の方を、もう一回見て、そして、50代になって、子育て中(未婚のこどもが、ふたりいる状態で)NYで、それを見たわけです。14年前ですが、ともかく、子供が結婚をしてくれていて、孫もできているので、セールスマンの死に出てくる家族よりは、自分は幸せだと言えますが・・・・・
まあ、そういう世代になってから見ると、真に迫る映画です。ジワーッと苦い涙が出てきます。その芝居はいわゆる名作のひとつですが、その脚本家が、アーサーミラーで、彼には『荒馬と女』と言う脚本もあり、
そこに出演した時期の、マリリンモンローが、藤圭子さんと似ているのです。
しかし、夫としてのアーサーミラーと、宇多田照実さんとの間には、ずいぶんと差があります。
それが個人としての差なのか、それとも、日本人とアメリカ人の気質の違いなのかが、考えたい項目なので、少し、荒馬と女について触れてみたいです。
~~~~~~~~~~~~~~~
副題5、『映画、荒馬と女の中の、マリリンモンローの切なさと哀れさ』
NHKに荒馬と女の撮影中の裏側を、表したドキュメンタリーフィルムがあるはずで、それは、最高です。映画そのものよりも、このドキュメンタリーフィルムが最高です。私はBSが始まって以来二回ほど、それを見ていますが、何度見ても秀逸です。
話し手は主に、映画の裏方です。主役である出演者、監督、および、脚本家のアーサーミラーは何も言っていません。撮影助手とか、何とか言う、立場であって、主役級の役回りではない人々が、客観的に、見た、その場の雰囲気を説明しています。
最悪の現場だったのです。主役のマリリンモンローは常に遅刻をしてきていました。それは、体調が心身ともに最悪だったからです。演技に自信が持てなくて、悩みに悩んでいて、不眠も進行していて、どうしようもない状態でした。夫のアーサーミラーを深く尊敬していて、相談したいのだけれど、彼は、突き放す態度にすでに入っていました。
そして、この記録映画を撮影した(?)、インゲ・モラスは、その二年後、アーサーミラーと結婚をしています。
その過程はなんとなく井上ひさしの、離婚と、結婚の過程を思わせます。彼の前夫人好子さんは、心理的に不安定ではなくて、健康そのものでしたが、井上ひさしの方に、すでに、次の意中の人が、いて、その人と、結婚をしたいと言う心を秘めていたと、いう感じが、見られます。
それが、この映画の時期のアーサーミラーにも見られ、世の中は、不思議と言うか、お金と名誉をゲットする成功者は、世界中で、共通する要素を持っていると言うか?
つまり、一般の人から見れば、「それは、悪の要素です」と言うようなものを内側に秘めているのです。
よく、天才は狂気を内側に秘めていると言われますが、私がそれを換骨堕胎すれば、成功者は悪の要素を内側に秘めているとなります。インゲは大変に才能のある人です。そして、すでに、ジャーナリストとして頭角を現していました。が、ネヴァダ州はニューヨークからは遠いです。
そこに、社会の表には出ないかもしれない、メイキングフィルムの撮影のために、呼んで、二ヶ月ぐらい密着取材をさせているのです。単なる、お金儲け主義で、彼女に引き受けさせた仕事ではないでしょう。
つまり、極言すればですが、『僕の奥さんのマリリン・モンローって、こんなにだめな人なんですよ。だから、僕がこれから離婚するのもいたし方がないのですよ』と言う弁明のための記録フィルムのように見えてくるのです。
ただし、それが、また、傑作なのですよ。マリリンモンローの悲しさが、随所に見えてね。彼女は、一緒に暮らすにしては、だめな女で、やりきれない日常生活になるにしても、『やはり、かわいい人だなあ。一生懸命で』と、私には思えるから、すごい内容のフィルムなのです。映画の正編より、こちらの方が面白いぐらいですが・・・・・
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
副題6、『照実氏にも問題があったと、ネット(日本語)では言われているが』
さて、今朝27日の午前三時から、五時までかけて、上の文章を書き、その後、7時間たっています。間に、ネットの情報を検索すると、ご主人が宇多田ひかるのマネージングに、乗り出したので、最初にひかるをかわいがり、彼女を売り出そうとしていた藤圭子との間に亀裂が走ったとか、いろいろ、金銭面での、問題を書いている文章も出ていて、ご主人が、最大級の善い人ではなかたっと、も、こちらが、知らされてしまいます。
しかし、それでも、同居していた若い男性は、ご主人が彼女のお世話のために、手配した人だろうとも、推察する記事もあれば、そういう姿は、夫として、または、娘の父として、最善を尽くそうとした姿であって、アーサーミラーの「荒馬と女」を撮影時期のマリリンに対する冷たさに比較すると、ずっと、ずっと、善い人に当たると感じます。
そこが、肉食系のアメリカ人と、元来が草食系の日本人との差か、それとも個人的な資質の差なのかは、わかりませんが・・・・・
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
副題7、『ウィリアム・インジは、マリリンには優しかったのだが』
ところで、ウィリアムインジという脚本家がいます。私の通った大学が、英語を重視する大学なので、バス停留所を、英語(原書)で、読んだのですが、涙がぼろぼろ出て、たまりませんでした。日本の映画で言うと、高峰秀子主演の、『二十四の瞳』を見たときに似ています。それを、字面だけで感じさせるのですから、すごい脚本でもあります。
これは、マリリンモンロー主演で映画化されており、彼女はこの映画の中では、大変生き生きとしていて、かわいいです。美しくもあります。
ウィリアムインジは、アメリカの脚本家の中では、相当に大物だと思うのですが、WIKIPEDIAが立っていないので、不思議に思って、彼について書いてあるブログ類を、今大量に読みました。よいブログがたくさんあります。読者の好感度が高い作家なのです。
で、WIKIPEDIAが立っていない理由ですが、いくつもありましたが、最大のものは、61歳で自殺をしたと言う点にあると、感じます。
結婚をしておらず、お子様もいなかったので、事跡が残っていないのです。ただ、同郷(カンサス)出身の大学教授が、インジの伝記を書いているらしくて、いろいろわかるのですが、
ジョシア・ローガンと、エリア・カザンと言う、大監督二人と、彼の戯曲の映画化に当たって、喧嘩になっているそうです。結末が、彼のもの(原作)の方が地味目で、暗いのです。ハッピーエンドには持っていっていない。これは、創作家として、彼のレベルが高かったと言うことをさします。家は、中流だけど大学院まで両親に出してもらって、ニューヨークで活躍していたのに、アルコール依存症と、ホモセクシュアリティの問題から、だんだん沈んで行ったらしいのです。
だけど、有名人で亡くなったからと言って、その人の業績が消えるわけでもないし、天才性が消えるわけでもないでしょう。1950年代の戦勝国アメリカでは、彼の脚本の結末は、あまりにも暗すぎると思われたかも知れませんが、・・・・・特に、『ピクニック』において・・・・・9.11以降の現在のアメリカだったら、インジの原作の方が、理解をされるかもしれません。
ところで、藤圭子さんのことを書いているうちに、出会ったウィリアムインジの自殺と言うニュース、それを非常に遅れて知ったのですが、天才には、そういう結末もありだろうなあと思いますよ。
母が、死因は、「大往生」と、お医者さんに書いてもらって、老人ホームで死にましたが、普通の私立の老人ホームって、年金では、まかなえないほどの、金額であっても身近に何も置けないのですよね。それは、お掃除をしやすくするためでもあるだろうが、お洋服とテレビ程度しか置けないのです。ほかの人はもっと私物を持ち込んでいたかもしれませんが、母は、その程度のお荷物で暮らしていました。生きる意欲は抜群に高くて、93歳まで生き抜きましたが、私は、あれでは、とても満足できないので、現役で自宅で、生きている時期だけで、終わりたいです。(笑)
では、本日は、いつもの半分以下ですが、一生のプランだけではなくて、ブログもここで終わりたいと思います。
なお、このブログの2010年度より数えはじめた、伸べ訪問回数は、 1769188です。
2013年8月27日に書く。 雨宮舜(本名 川崎 千恵子)