銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

怪談牡丹灯籠と、玉三郎に、敬服。7月大歌舞伎-2

2015-07-27 23:31:38 | 文化、芸術、書物

これは、本当は、2015年7月28日の夜8時半に、書いていますが、日付をずらして、37日の夜11時半に書いたことにいたします。前報(後注1)の続きです。政治を語る文章を書いていたら、眠くなってしまったのですが、FBで歌舞伎の説明をしているうちに目が覚めました。で、話題が突然に飛びますが、歌舞伎(特に7月の演目)に戻ります。

 副題5、『玉三郎が、現代歌舞伎を、盛り上げている、もっとも、有能な人なのだということが、しみじみ、分かった』

  私は、1947~49年にかけて親に歌舞伎によく連れて行ってもらったのですが、それ以降は行っていないのです。でも、おやが好きだから情報は把握していて、歌舞伎界が、天皇家と同じく門閥の世界だということは知っていました。そして、子供のころは、掛け声で、音羽屋(おとわや)と、言うのとか、成駒屋(なりこまや)と言うのをよく、聞きました。それは、尾上菊五郎と、歌右衛門が、人気役者だったことを示しています。

 7月大歌舞伎には、音羽屋一門は、全然出ていなかったし、成駒屋一門も出ていませんでした。飛び交った屋号は、主に、澤瀉屋(おもだかや)です。猿之助と、中車が、澤瀉屋だから。また、それが、よく聞き取れなかったのですが、獅童に対しても大きな掛け声が何度もかかりました。後でこれも劇場の人に聞くと、萬屋(よろずや)と言っているそうです。

 でも、玉三郎に対しても、何か屋号がかかるので、劇場の人に後で、聞いたら、大和屋(やまとや)と言うのですって。それで、今ネットで調べると、それは、坂東三津五郎に対しても、使う屋号だそうです。ただし、玉三郎は、坂東三津五郎と、血縁関係はないですよね。玉三郎って、富士山さんみたいな孤峰です。親や兄弟や、従兄弟などが、一人も歌舞伎界にはいないのです。

 でも、プログラムを見ていたら、二つの記述があって、それで、玉三郎が、今回の演目の、大・棟梁だったことがわかりました。まず、終幕に置いてあった、怪談牡丹灯籠は、市川中車(一般的には、香川照之と言った方が通りがよいだろう)を、生かすために、玉三郎が選んだそうです。

 しかも、脚本は、大西信行のもので、初演は文学座だったものを使っています。それは、きっと、香川照之の演技力の高さを生かすためでしょう。歌舞伎の世話物としては、せりふが非常に多い芝居でした。しかも、その演出を玉三郎がやっています。主役兼演出家。あの、東大出身で、演技にも一元があるだろう、香川照之を指導しているというわけです。香川照之は、実父が猿之助で、母が浜木綿子だから、演技力抜群ですよね。それを指導しているのが玉三郎なのでした。驚きました。歌舞伎って、演出家と言うものが、確立をしていなくて、先輩が教えるという気風があると思うけれど、玉三郎は、近代的な、要素を持っているので、演出家として、指導を行っているのでしょう。脇役をやっている人が、これもプログラムの中で、「大和屋(玉三郎)さんにご指導をいただき、一所懸命勤めたいと思っています」と書いていました。

 今回、この7月大歌舞伎がものすごい人気で、大騒ぎでもあって、早くに売り切れて、立ち見席しか切符が手に入らないというのも、玉三郎が、海老蔵の『切られ与三郎』と組んで、『お富さん』をやるからでしょうね。美形、美形のカップルです。

 つまり、孤峰乃玉三郎が加わると、それだけで、人気演目になるうた模様でした。だけど、今回は、それだけでもなかったでしょう。演劇はアンサンブルだから。

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副題6、『怪談牡丹灯籠って、ゾラの小説みたいなところもある。とても近代的な芝居だ』

 

怪談牡丹灯籠の
 7月大歌舞伎で、使った脚本(大西信行)は、初演が文学座のもので、当時は、杉村春子と、北村和夫の夫婦だったそうです。

 それを、今般は、香川照之(=市川中車)と、玉三郎が、やりました。
善良な庶民夫婦が、幽霊にもらった100両があだとなって、崩壊していく様が、ディテイルを含めて、たいへん、上手に表現をされています。一種の、ゾラの小説を思わせるリアルな設定なのですが、もともとは、園朝の落語なので、庶民派夫婦のディテイルのところは、ユーモアたっぷりな会話が続くのです。濃いお芝居でした。そして、美形で有名な海老蔵が、ひょうきんで、ひょっとこ面の、馬子などの脇役を、やってね。
 

 玉三郎が、お金持ちになった亭主が浮気をして居るのを、その海老蔵演じる馬子をおだてて、白状をさせ、詳細を知ってしまう処とか、面白かったです。ヨーロッパからきた外人たちと、昨日も二組と友達になりましたが、翻訳機は、英語しかないのですね。気の毒です。普段使い慣れていない英語を読みながら、舞台を見るのは、とても大変だと、彼らは言っていました。歌舞伎座は、フランス語と、イタリア語と、スペイン語の翻訳機を作るべきですよ。ちょっと、お金をかけて。

すみません。また、疲れた。こちらも、ここで、中断をして後で、続きを書きます。

後注1、 

2015年7月大歌舞伎、千穐楽  2015-07-27 23:10:33 

 

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2015年7月大歌舞伎、千穐楽

2015-07-27 23:10:33 | 政治

副題1、『午前三時に起きたので、早朝しかできないことをやった本日』

 本日は、あさ3時に起きました。前夜から考えると、3時間か、4時間しか寝ていないのに、すっきりしています。こういう日は、普段とは、全く異なった、早朝しかできないことをするべきだと判断をしました。

 早朝しかできないことと言うのの一つに、歌舞伎座の当日券を買う。しかも、4階で座ってみるというのがありました。で、朝、7時28分に家を出ました。歌舞伎座の人が、「午前9時前に着いたら、座ることが可能ですよ」と教えてくれていたからです。で、本日が、7月の演目の千穐楽だとは知りませんでした。でも、朝の三時に起きたので、行ってみたのです。

 非常に面白かったです。それで、今、連続して20時間起きていますが、まったく眠くないです。エンターテインメントがリフレッシュに役立つという典型でした。

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副題2、『猿之助一座は、もしかすると、今、最も人気があるのかな?』

 ニューヨークでは、ミュージカルのある演目を一緒に構成していく演技者集団をカンパニーと言います。日本だったら、それは、一座と言うものにあたるでしょう。猿之助一座は、10年ぐらい前までは、歌舞伎座の主役ではなかったはずなのです。一時期、首魁の、猿翁が、スーパー歌舞伎をやっていましたから。市川右近と言うのは、スーパー歌舞伎での第二位の俳優でした。それが、歌舞伎座でも、第二位の役をしています。

 しかも、そこに玉三郎と、獅童が加わっています。獅童は歌舞伎の時と、映画俳優や、TVタレントをやるときに、同じ名前・中村獅童を使っていますが、猿之助の従兄弟にあたる、香川照之は、市川中車と言う名前を使っています。名前と言うより名跡と言うのかな? この二人が想定外に、上手だったです。

 三年前だったら、このカンパニーだと、『寄せ集め集団ですね。大丈夫かなあ。この人達ってテレビでは有名だけど、歌舞伎俳優としては?』という感じだったと思うのですが、今は、違います。驚きました。名門の生まれですと言って、5歳か、6歳から、歌舞伎の舞台に乗っている人も、うかうかしてはいられませんよ。

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副題3、『猿之助の、イナバウアーを、3度か、4度やって見せ、それは、荒川静香より、後ろへ、深くカーブしていた。前から頭のよい人だとは、思っていたが、身体能力も高い人だった』

 現在の猿之助が、襲名する頃、それは大騒ぎであって、社会現象と言うべきものでした。だけど、私は、一切関心がなかったのです。小さい頃、(小学校、入学前)に親に何度も連れて行ってもらっています。1047~49年にかけてです。時蔵(現在の指導の祖父にあたる筈の役者。もしかしたら曽祖父?・・・・年は、取っているが、背が高く、美しかった)とか、梅幸、菊五郎(もちろん現在の父)、海老蔵(現在の祖父)などは、はっきりその顔を、いしょうこみでおぼえています。

 5歳ぐらいの子供だったのですから、演技には、興味を抱かず、ただ、単に美しいものを覚えているのです。

 猿之助(現在の猿之助の祖父)だけは、白波五人男の、意休だったでしょう。その姿ははっきりと、覚えております。が、他の立役は、映像としては、ほとんど覚えておりません。

 なお、女形では、歌右衛門が、当時は、非常に有名だったのですが、私は、どうしてか嫌いでした。痩せているうえに、年取って見えるからでしょう。が、後年『玉三郎をいじめていた』と聞いて、・・・・・ああ、そういう本質って、あらわれるのよ。そして、5歳でも、私には、それが、分かったのでしょうね・・・・・と、思うのでした。

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副題3、『鎌倉で知り合った外人二人と、歌舞伎座の一幕ものを見たことが、歌舞伎を、再度見直すきっかけとなった』

すみません。ここで、中断をさせてくださいませ。家に帰ったら、急に疲れが出てきました。

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