銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

2020-2-18 のブログ、総タイトルをつけない文書

2020-02-18 22:56:30 | 政治

  私は18日のお昼ごろ、この続きは夜書きますと、前報の最後で申し上げ、徹夜明けの就眠に入りました。そして昼に起床後、全く新しい発想が浮かびました。それは、この日本中が、とても、危険な状況に入っている、と、いう事です。ふせぎようのない感染が、爆発的に起きる段階に入りました。人為的に、ウィルスが、ばらまかれ始めたからです。前報の続きは、後で、行います。なお、この文章は、18日の夜から延々と書き続けているものですが・・・・・19日の午前5時に、やっと、総タイトルをつけることができました。本当に、怖い状況が出現をしています。皆様も、感染には、ご注意の上にもご注意を。

副題1、『どうして、和歌山県有田市で、感染が確認されたのか?・・・・・このミステリーを解いて置かないといけない』

 ・・・・・和歌山県、有田市での済生会病院の、外科医に、発見されたコロナウィルス感染は、感染経路がわからない・・・・・と、言われています。私は、それを踏まえて、と、言っても、そのニュースを聞く以前ですが、日本の、ブランド住宅街に、既に、大勢の中国の超富裕層が、土地を買って居て、賃貸住宅として、貸し出ている(後注1)と、述べています。其れをウィークリーマンションとか、滞在型ホテルとして、使う、中国の富裕層も多いだろうと、思っております。

 表参道ヒルズの裏側に、細い通りが並行して走っていて、その道路沿いに建つ、中層階の、豪華マンションは、ほとんどが、そういう中国人の持ち物だとは、事情をよく知る人からダイレクトに、聞いた話です。   で、そういう場所に逃げ出してきた富裕層から、ウィルスが出ていても、その人達への感染の、追跡は、できなくて、それは、しょうがないのだと、思っておりました。というのも、1月ごろに、まだ、日本国内では、これが、報道をされていない時点で、彼等が入国している可能性が高いからです。かれらは日本より発展しているらしいネット社会に住んで居るので、情報の入手が、とても早いからです。このウィルスの恐ろしさを知っているし、月給で暮らしてはいない富裕層が逃げ出して来ていて、ウィルスをばらまいていたら、追及のしようがないからです。
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副題2、『2020-2-14、16:51分・鎌倉駅発・成田空港・行きの横須賀線に、4組の若い夫婦が、子連れで、乗ってきた。中国中南海にでも、暮らしている特権階級だと、思われる』
 この間、ネットのニュースで見たのですが、休日には、入れないことになっている北京の紫禁城域内に、高級車で乗り入れて、スマホで、自分達を撮影して、SNS紙上に流した二人の若い女性が、中国全土から、批判を受けて、その動画を削除したと、言うものがありました。その時、批判する一般人は、「これは、きっと中南海に、住んで居る人間だ」と、判断したそうです。なお、日本にも丹沢のふもとに、共産党幹部の、別荘地域があるそうです。秘匿されているそうですが?
 処で、その中南海の、住民らしい人間を、鎌倉でも発見をしました。私は、この16日の月曜日、久しぶりに、前の方の車両にある、四人掛け席を使おうと、思って、ホームの先頭へ進んでいました。新橋駅で、後ろの方にエレベーターがあるのを知って以来、後ろの方ばかり使うようになっているので、これは、珍しい事でした。このウイルス騒動で、人出が少なくなっている鎌倉です。で、一つのドア指標に、一人ぐらいしか並んでいない中、一つのドア指標に、八人ぐらいの若い男女がたむろして居て、ほとんどのカップルが、子供を抱いていました。とても珍しい光景でした。

 月曜日です。普通の日本人で、4,5組のカップルを連帯的に、形成して、月曜日に、観光旅行に出かける人など、いません。図書館とか、美術館は月曜日が休みです。しかし、一つの施設に、こんなに大勢の同年齢のカップルが、勤務しているハズもないです。しかも、全員が、非常に背が低いです。かつ薄着です。日本人の男の子って、東大とか、慶応に進学する子は背が低いです。でも、そういう男の子が、こんなに早く結婚をして、子供がいるとは、考えられません。しかも20代で、クラスメートと一緒に、旅行に行くなどとは。さらに考えられないのです。『ああ、この子たちは、例の中南海に住んでいる、若者達でしょう。でも、いつ来たのかしら、安倍総理大臣って、甘いからね。これは、困りますね』と、思った次第です。

 しかも、全員が、非常に背が低いです。かつ薄着です。日本人の男の子って、東大とか、慶応に進学する子は背が低いです。勉強ばかりしてきたので、体が、生著して居ません。そういう男の子が、こんなに早く結婚をして、子供がいるとは、考えられません。しかも20代で、クラスメートと一緒に、旅行に行くなどとは。さらに考えられないのです。『ああ、この子たちは、例の中南海に住んでいる、若者達でしょう。でも、いつ来たのかしら、安倍総理大臣って、甘いからね。これは、困りますね』と、思った次第です。
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副題3、『今回のウィルス騒動で、これは、よかったなあと、思う事がある。其れは、アメリカの一般家庭の人間、特にインテリ層が、安倍総理へ、げんなりして居て、評価が低くなっていることだ』
 私はね。今回のウィルス騒動では、ブログに其れは一度しか書いていません(後注2)が、内心では安倍晋三総理大臣の、無知と、無関心には、ひどく怒ってはおります。安倍総理大臣は、普段は、半減期の問題も、忘れているし、メルトダウンした核燃料が、どれ程に、保持に大金がかかり、大変なのかについても、全く考えていない人ですから、こちらの新型ウィルスに関しても、二次感染とか、三次感染によって、ほぼ、永遠に続いていくという可能性については、想像も、及んでいないと、見ています。ただ、サーズとか、マーズなどの、既に、制圧された、ウイルス問題と、同じ程度に、推移するだろうと、考えておられるのでしょう。 
 だけど、あのクルーズ船ダイヤモンドプリンセス号の顛末を見ていて、アメリカの報道が怒り一杯になっているのを見て、ある意味で、留飲を下げているのです。これで、日本アゲアゲムードもぐっと低くなるでしょう。一般市民(=日本でいう国民)の間で、日本を魅力的だと、思うムードが、冷えるという事です。 
ここで、安倍総理大臣が、得意になっている施政の内、二つが、壊滅へ向かうと、いう事になります。中国からの流入者は、増えます。しかし、彼等は、日本にお金を落としません。旅行土産を買う事もないのです。日本に来ている事は、一種の秘密だからです。また賢いので、上等なブランド物しか買わないので、其の売上金は海外のグローバルきぎょに行き、日本の税金は、増収へは、向かいません。また先ほどから、繰り返している通り、ホテルにも泊まりません。表参道みたいな、高級ブランド街のKINOKUNIYA では、英語で、事が済むでしょうし。 で、インバウンド事業で、お金を儲けるという案は、潰えます。ただ、単に、ウィルスが、恐ろしいわけではなくて、日本という国の、魅力が落ちて、三等国家と、見えるからです。
 もう一つの案ですが、そちらもダメになるでしょう。つまり、建設業で、税収増を図るという案です。オリンピックで、ホテルを増室する。住宅ローン減税を施して、マンションを乱立させる。私が、こういう事を昔から、予期できたのは安倍総理大臣が、鎌倉エージェントの言うなりなのを、逐一、感じ取り、検証をしてきたからです。鎌倉エージェントの言うなりになると、その人物に不幸や、災禍が訪れます。
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副題4、『安倍総理大臣の失政者ぶりを、一蓮托生の、人として、全身にまとい、同じく、破滅の道へ突き進んでいるのが、隈研吾氏と、その最新作、新国立競技場である』
 2020年の2月14日に、NHKBS1で、長時間を使って、日本酒が、世界に広がっていると、言う番組が放映をされました。その最後の方に、登場したのが、隈研吾氏でした。車の中でドンペリの元最高責任者、ジェフロワ氏と語る場面での、隈氏の傲岸さ。
  驕る平家は久しからずをもじって、「おごる隈研吾は、久しからず」と、言っておきます。「だって、あなたが、これ程、持ち上げられているのは、開発チエさんと、ぶつかった、私の方を弾圧する為ですから」とも、言っておこう。
 その日の二人の会合は、ジェフロア氏が、最高の日本酒をアッサンブール法という、ブレンドを利用して、作る予定ですが、その作業をする工場と、レストラン棟の設計者が、隈研吾さんなのだそうです。作った最高責任者、ジェフロワ氏が新しい種類の日本酒を作るのです。アッサンブールという手法でね。そのための、工場と、レストラン棟を、作るのですが、その設計者が、隈研吾さんなのだそうです。
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副題5、『しかし、この様な、不誠実な、安倍総理大臣の応答に比較すると、・・・・・おや、これは、珍しい、久しぶりに、見聞きする、誠実な、問答ですね・・・・・という場面を、ニュースで見た。有田市の済生会病院での、感染者発生に対する記者への回答をする、和歌山県知事の姿だった』
 冒頭に置いた、副題1でも言って居る様に、和歌山県の済生会有田病院で、外科医が発症したと、言うニュースには、日本中の人が、驚いたと、思う。その続報が、ニュースに出た。外科医の同僚やら、子供やら、看護師に、感染者が出たそうである。
  女性記者が、「二次感染と考えていいのですね」と質問をした。すると、和歌山県知事の方が、「はい、そう考えてよいと思います」と答えた。
珍しい体験だった。この和歌山県知事は、その名前を、仁坂吉伸というが、関東地方の地方版ニュースには、全く登場しない。で、初めて見る顔であった。
 しかし、しかしなのだ。このニュース画面以外でも、この顔を見たことがあると、思い至った。なんで、どこで、と、自からに、問いかける。すると、2020年2月18日の、夕方突然にひらめいた。そうだ。パンダの番組に出てきた名前だと。
 ここで、本日は、書く人としての、力が尽きました。続きは、将来書きます。総タイトルから、どういう結論を導き出すのか、どうか、皆様も、ご想像なさっておいて、くださいませ。
 
 
後注1、
武漢ウィルスで、グローバリズム資本主義の矛盾の到達を見ると書いたが、古村浩三君は、柳井氏の、ゴルフ場をタダで、使えるのでしょうかね?
2020-02-13 11:03:21 | 政治
後注2、
新国立競技場は建立の哲学が間違っているので、いずれ国民から見捨てられるだろう。鎌倉近美の葉山移転も、同種の理由で失敗策となっている
2020-02-15 23:57:50 | 政治
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鎌倉エージェントは、学閥を駆使する。その1、慶応閥・・・・・開発チエ⇔水沢勉⇔酒井忠康⇔伊藤玄二郎

2020-02-18 02:16:49 | 政治

副題0、『私は前報で、隈研吾さんが、テレビに、露出し過ぎるのは、これも鎌倉エージェントのさじ加減ひとつであって、よくない事だと、言って居る』

 教育を受ける権利とか、就職の際に、基本的人権をるべきだと、言われているけれど、実際は、程遠い状況で、CIAのお気に入りは、莫大なひいきを受ける。反対の方は、弾圧を受ける。

 どういう手法をやめさせたいが、やめないので、その結果、どうなって行くかを、予言の人として、書いた。あまりにも持ち上げられすぎの隈研吾氏が、設計を担当した、新国立競技場は、将来は、つかわれないこととなり、日本国民は、それを、失敗に終わって、何ももうからなかった東京五輪の象徴として、怨嗟の瞳で、見つめることとなろうと、書いているのが前報だ。

 その次に、どうして、隈氏が、これ程、ちやほやされるかというと、開発チエさんが、私に送った、七本のメールが、原因であると、言って居る。

副題1、『開発チエさんに、依頼した仕事は、隠微である・・・・と、私は言う。なぜかと、言うと、それを開発チエさんが、後日、証明することとなったからだ』

 隠微なところというのは、普段、このブログを読んでもいない開発さんに、こうこうこういうコメントを、引っ付けてください。特に栗田玲子、渡辺幸子、僕(酒井忠康)について描いている文章に引っ付けてください。そして、「ご返事は、必ず、フェイスブックで、ください」と、言う文章で終わっておいて、ください・・・・・と、教唆命令したことです。
 彼女がこのコメントをくれた時点は、後で、調べますが、2012年の6から9月の間の筈で、私は、第一次フェイスブックを追い出されていました。其れは、【トカゲか、鰐か?】というシリーズで、書いている、本格的な警察の特殊部隊との闘いの、記録です。女性刑事が変装した安藤てる子さんと言う、私のファンにして、似たような被害がある、女性に、付きまとわれ、翻弄された、3年間を書いているものです。が、その途中の、2012年の、2月12日の午前一時ごろ、安藤てる子さんへ向けて、その日、訪問をしてきた彼女の生活・ほう助のために書いた、大量の文章が我が家の一階の部屋から盗まれたのです。私が二階にいる間にです。こういう泥棒は、その後もずっと続いていて、主人が、東北の角の和室で寝ていて、私が歌舞伎座の夜の部を見ていて、歌舞伎座内のエレベーターや、新橋駅横須賀線の、エレベーターを利用したら、私が、帰宅をするまでにの一時間以内に、二階や、一階に、泥棒が入るのです。合鍵をもっている泥棒が、三種類いますので。
 私は、安藤てる子さんに、日本政治の真実とか、世界政治の真実を教えました。其れは、その時点から、10年たった、今では、日常的に、このブログの世界でも書いています。つまり、日本は非植民地国家で、日本人が汗水たらして働いて、集積である、国庫金は、為替差損や、株の乱高下、核燃料を買うという形で、アメリカに吸い上げられているという真実です。 

 その後、その盗まれた書類は、かまくら春秋社か、鎌倉警察署のどちらかに運ばれ、そこで、待機をしていた、伊藤玄二郎ほかの、CIA側日本人エージェントに読まれて、

 すると、フェイスブックを追い出されました。そのフェイスブックを使って、返事を下さいと、言ってくる開発チエさんの、コメントは、私の苦しみや恥をいや増しに増すもので、おおきな攻撃になるわけです。

 開発さんが、生まれた実家が経営している料亭、開花亭の新館を隈研吾氏に、依頼したという部分までは、隠微ではありません。其れは、実業の世界の事であって、表に出せる事です。それに、隈さんは、慶応大学卒でもない。後で、岡田美術館に行って、そこで出されるスィーツ類が、開花亭(神戸)のものらしいと知って、そうか、岡田美術館にも出しているとなると、根津美術館のお菓子も開花亭のものかもしれず、根津美術館を仲介者として、開花亭は、隈研吾さんと、結びついたのだと、なります。

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副題2、『私は、CIA側にひいきをされ、その言うなりに動いている人を評価しない。というのも,NHKや,朝日・日経などの大メディアを支配し、熟考して、謀略を行うとしても、それと、拮抗する、天の采配というものもあって、それで、悪事が壊れて行くのも、何度も見ているからだ』

 隈さんの、新国立競技場より、ずっと前に計画された、神奈川県(立?)近代美術館についても予言が当たったと、見ています。葉山・三が浜にある、旧高松宮(?)邸跡地に、本館を移したのは大失敗です。で、逗子からバスで、長時間乗って行かないと到着できないそちらへは、忙しい若い人が、もう、行かれないので、我が家のある、同じ町内の、雪ノ下二丁目にあった、別館を拡張した模様です。ただし、それは、オリジナルの設計者、大西正人氏が、2010年に亡くなっているので、別の人の設計でしょう。しかし、そのリフォーム用の設計者の名前は、公開されていません。唯ね。別館は、駅から遠いです。そういう楽しみのための場所に行くのは、せいぜい、徒歩12分が限度でしょうね。徒歩で、20分はかかります。そして、旧本館も、文華館となったけれど、お客を集めていません。若いインテリは、昔の武具や、軸などには、興味がないのです。近代美術館があった方が、八幡宮の格が高かったのです。

 どうしてそういう事をしたかというと、我が家から、直線にして、100メートルの位置に、旧本館があったので、それを『まずい!』と、瀬島隆三たちが考えたからでしょう。私が大物アーチスト化するのに、そこにあることが、便利だからです。

 其れは、土方館長の時代の、計画でしょうが、実際の交渉を担当したのは、酒井忠康氏だと、思って居ます。

 そして、その酒井氏か、現在の館長、水沢氏が、慶応大学卒だと、いう事が大問題なのです。慶応閥を利用して、開発チエさんを、対・私攻撃用弾丸に仕立て上げました。彼女が、このブログに、コメントを寄せてきて、大騒ぎが始まり、そこから、隈氏の、大躍進が、はじまるのです。というのも、開発さんは、自分がどれほど、私より、上に位置するのかという、証明の為に、ご自分の親(現在は、長弟)が経営している福井市にある料亭、開花亭の、新館が、隈さんの設計だという事を、その7通のメールの中で、書いてきたからです。

 似た様な事が、武蔵野美術大学の閥を利用して、秋山祐徳太子⇔保坂航子間で起きて、保坂航子が、それこそ、基地外そのものの、メールを、36行、101回か、101行、36回送ってきたのですが、私が、保坂航子の、東京での、初個展が行われた画廊のオーナーに、それを言ったら、裏側を教えてくれました。しかし、それを教えてことで、その方、山口みつ子さんは、殺されてしまったのです。画廊に盗聴がかかっていたので。

 そのケースと、この開発さんの、恐るべき罵りメールは、そっくりなのです。

それも、酒井忠康氏か、水沢勉氏が、開発チエさんに、私を、攻撃する様に、命令教唆をしたからでしょうね。私をいじめてやろうというアイデアは、伊藤玄二郎か、井上ひさしが出したとしても、そのふたりが、連絡係だった筈です。慶応閥を使ってです。しかし、開発さんは、滑っちゃったのです。私が事前に予測していた程度の人物ではなかったからです。私の実情を何にも知らないのに、大攻撃をしてくるから、ご自分が半分狂っちゃったのです。7通のメールとは、本当にきちがい沙汰の文章で、

 CIA側ハッカーたちが、のぞき見しながらも、『これは、大変だ』と、思ったらしくて、途中で、文字化けしました。古村浩三君か、アメリカの、CIA本部の人間で、日本語がわかる人物が、その文字化け行為を、行ったと、見ています。7通目の最後で、「あなたのことは、私のフェイスブック友達に、・・・・絶対に、付き合うな・・・・と、言っておくわ」と、言う捨て台詞で、終わりました。そこは文字化けしなかったのですよ。

 どうしてそういう事が起きるかというと、私を攻撃しようとしているうちに、私が想定外の、大物であることがわかって、パニックに陥るからです。事前に、彼女自身は、私の事を何も知りません。ただただ、悪口だけを聞いて、命令された通りの攻撃事項を実行をするのですが、予想外の対応を私がとるので、驚いてパニックに陥るのです。

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副題3、『私の2005年の顔のけがと、その顛末を書いたメルマガへの水沢勉氏コメント』

 この隠微な計画を開発チエさんに、飲み込ませたのが、水沢勉氏だったと仮定すると、私は相当につらい。伊藤玄二郎が、最初に頼んだ相手は、酒井忠康氏だと、仮定しても、酒井氏は、その役目を、元部下である(しかし、現在は、近美の館長である)水沢氏に、振った可能性はある。其れは、酒井氏と、開発チエさんとの、年齢差と、水沢氏と、開発チエさんとの、年齢差を考えると、後者の方が、近いというか、短い。で、友達度、又は、親密度が高いだろう。

 それに、水沢氏の実家が、私の実家のご近所だったので、父君、母君のことも知っているので、勉氏の話し方が、柔らかく、上品で、聞き取りやすいのもよく知っている。メールで、連絡をしたとしても、わかり易くて、チエさんは、納得しやすかっただろうと、思う。

 どうしてそういう事を知っているかというと、私は、実家つながりの縁を頼んで、水沢先生に、メルマガの読者に、なっていただいていた。無論のこと酒井先生にだって頼みたかったが、八幡宮様が開いたぼんぼりまつりパーティ(=献灯者が、出席するもの)で席が酒井先生の隣と指定をされていて、一時間半の間、ずっと、無視されるという、残酷な扱いを受けたので、接触したくなかった。

 水沢先生は、早起きの人で、早朝5時には、こういう公金のやり取りと関係ない連絡を処理なさる。その後、(これは、奥様に聞いた話なのだけれど)、ウォーキング(スポーツ的トレーニング)を兼ねて、三が浜の美術館まで、歩いて行かれるそうだ。

 そして、時々だが、メルマガに、感想もくださった。一番うれしかった感想は、2005年の一月に、鍛冶橋交差点で、転んで、大けがをした。その顛末を書いた、文章に「転んでも、ただでは起きないとは、このことですね」と書いてくださったことだ。その怪我とは、こめかみの所に割れた眼鏡が刺さって縦に4cm裂けた傷だった。脳外科の先生が、丁寧に丁寧に、40針もかけてその後、(これは、奥様に聞いた話なのだけれど)、ウォーキング(スポーツ的トレーニング)を兼ねて、三が浜の美術館まで、歩いて行かれるそうだ。縫ってくださった。その縫合の間にも、と切れもなく、整形外科担当の先生が、そばで、話しかけてくる。私は、顔にガーゼがかかっているし、大事な縫合の最中だから、何も言わない。しかし、終わってから、その整形外科の先生に聞いてみた。「先生、これは、先生がご経験なさった怪我の内で、どのくらいのランクなのでしょう?」と。

 すると、「僕が過去に経験した顔の怪我の内で、上から三番目ぐらいですね」とおっしゃった。しかし、その時点では、先生方も、看護師も、そして私自身も、まだ元気だった。ところが、新橋から、京浜東北で、品川まで、行き、横須賀線に乗り換えた処、みんながぎょっとして、私のそばを去る。遅延した横須賀線内で、満員なのに、私を中心として、四分の一円が、半径五メートルぐらいで、空白なのだ。家に帰ってから、わかったのだけれど、看護師さんも気が付かなかった顔の下半分に、こめかみの傷から、皮膚の内側へ、散らばった、大量の、出血が、歩くという振動で、どんどんどんどん下がって来るのだった。今、新コロナウィルスで、罹患者や、その家族に、差別が起きると、言うニュースがあったが、私にはよくわかる。四月ごろまで、世間の人が、自分の身を、私から、避けたから。

 しかし、そのころは、まだ、62歳だった。若かった。頭もピンシャンしていた。文章をまとめる力も、今よりずっと高かった。したがって、それも私の文章の一つの特徴らしいのだが、そこはかとはないユーモアがあるしい。どんな深刻な事が書いてあっても、どことなく、ユーモアがあって、読ませる筆力があると、言われる。そういう感想をも、色々な人から、いっぱい貰って居る。

 水沢先生も、それを、おっしゃりたかったのだと、思うが、それを、ユーモアという言葉を使わないで、ご自分もユーモアのこもった、簡潔なるコメントを返してこられた。こういう瞬間に、私は、文章を書くことの喜びに打たれる。アドレナリンが出るので、睡眠時間が、三時間でも持つという形になる。

 最近はアドレナリンが出ていないらしい。以前だと3=4時間睡眠を、三日ぐらい続けると、四日目に、7時間寝ると、言うそういう周期だったが、今は反対になっている。まあ、 

「山口みつ子さんは、自殺ではないです。他殺です」と、いう事をはじめとして、相当な事に、取り組んできた。したがって、安心し始めていると、いう事も言えるだろう。60代は、非常に切迫をしていた。77歳の今は、そうでもない。

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副題4、『私は潜在意識の中では、負けたなあと思った。特に水沢先生の、連絡で、開発さんが、こういう事をしてくるのだと、したら、100%、私の負けだ。しかし、こういう仕組まれたいじめを放っておいて、彼等に、勝ったぞと、思わせると。後が大変だ。私は、自分の工夫と努力で、できるだけ、被害を減らそうと考えた』

  それで、まず、開花亭のホーム頁を開き、隈研吾設計の新館の写真も眺めた。すると、使いにくいと、推定された。根津美術館は、まだいい。使いにくいという事はないだろう。しかし、開花亭新館は使いにくそうだった。そういう欠点に目をつぶって、隈研吾という名前を大ダンビラとして、開発チエさんは、振りかざした開発チエさんは、虚飾(半分は嘘)の上に立って、ものを言って居るとなる。しかも、威張っているのだ。

 これは、人間として、とても軽いと、いう事を示している。

 その上、私は第一次フェイスブック時代に、開発さんの文章を丁寧に読んでいる。悪いけれど、それで、開発さんが、実際には、結婚をしたかったと、言う女性なのだと、いう事が判った。ほとんど、不定愁訴気味の気分を書いているものだったから。ほぼ8か月間sorewo 読まされた。閉経期が迫っているのかな? 子供を産まないまま、閉経していくのは、子供を育てるという事以外の、任務を持っていない場合、本能に、響くほどのつらい事なのだろうか。こういう環境で育つと、行きずりの人と、できちゃった結婚をするわけにもいかない。ただ、まだできていない事の原因は、お見合い相手と、ご自分とのバランスがとれていないからだ。慶応大学卒で、お金持ち、そして、美女となると、相当にハイレベルのお婿さんでないと、いけない。しかし、そういう人には、おじょうさまのお見合い話が、わんさと来るので、福井に住んでいる彼女には不利である。その上、実家が料亭だ。そうなると、お見合い相手も、サラリーマン家庭では、「ちょっと! 駄目よ。結婚後、問題が出て来るはずよ」という事になり、同業者に、限られてくる。

その上、お見合いではなくて、慶応三田会内部での、出会いから生まれた、恋愛という形での、お付き合い状態に入っても、彼女の側に、性格的な問題点があり、あいてが惚れてこないのだ。其れは、ずっと、推定済みだったが、実際に、七通の、ヒステリー状態に陥ったメールを読んでみて、ああ、相手の男の人にとって、それは、わかるのだろうなあと、しみじみ思った。裕福な家で、何の、苦しみもなく、挫折もなく育つという事は、人格形成の上で、未熟のままで、年取っていくという、ある意味で残酷な運命をもたらす。

その上、顔がきれいだ。彼女自身、自分への評価が高くて、20代か、30代は、相当に紹介をされた相手の、えり好みをしたであろうと、思われた。結婚なんて、何かを諦めて、膝を屈しないと、できないものだ。将来の生活設計において、お金の不安がある人は、結婚すると、思うが、金銭的に不安も不満もない女性は、結婚という形で、自己防衛を果たしておくと、言う、心構えがない。

私は戦うにあたって、大きく余裕を持った。『ああ、何だろう。経験値に於いて、私の方が、上ですよ。心理面とか、哲学の面において。考える内容、そして、過去に考えてきたこと。この2011年に限っても、貴方が投稿した内容と、私が投稿した内容では、価値が違う。其れを、2011年6月から、2012年2月11日までに、しっかりと、覚え込んでいた。

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副題5、『私は、事務処理能力が高い。そして、冷静で、落ち着いている。このいじめ案を考え出した、井上ひさしには、そこを計算に入れる能力に欠けている。彼は、開保津さんが、既に美術評論家としては、有名人であるとか、隈研吾氏と、付き合いがあるとか、美女であるという側面しか考えず、それで、彼女を道具として、私に、ぶつければ、自分達が勝てると、考えている。これは、伊藤玄二郎と、井上ひさしがタッグを組んだ場合、何時も発見される瑕疵であり、余りにも同じパターンが続くので、瞬間的に、罠を見破ることができる様になっている。しかも、幼稚で、ゲーム性がある。それも、特徴の一つである。植松聖が行ったとされる、やまゆり園事件にも、青葉真司がやったとされる、京都アニメーション放火事件にも、同じくみられる特徴なのである』

 井上ひさしは、私の父が、霞が関の本庁の、官吏だったことを忘れています。また、その前は、満鉄調査部中央試験というところに、勤務していました。そこは、明治生まれの人間で、エンジニアである人種にとっては、環境としては、最高の場所だったのです。そして、私自身東大に勤務して居ます。そして、当時の上司から、優秀だと、認められていました。また1955年の事ですが、当時の神奈川県は、アチーヴメントテストという統一テストを中学生に施していました。それに全教科満点だったので、「という事は、神奈川県一頭がいいと言事だね。まあ、満点が、ほかに何人いるかは、聞いていないけれど」と、先生が、おっしゃいました。にやにや笑いながら。伊藤玄二郎は、神奈川県育ちで、私より、一学年下でした。あなたは、全教科、満点でしたか?

 で、開花亭のホーム頁で、電話番号を調べて、電話で、AOLのメルアドを伝え「フェイスブックには、入れないから、これからは、こちらを使って、ご連絡をください。そうお伝えください」と言ったのです。

 其れは、時間として正確に、午前11時5分でした。チエさんは、電話口に、出てきませんでした。で、私は『やはり想像通りだったわ。不定愁訴気味だし、まだ寝ているわけですね。わがままなお嬢様である、この人は、料亭の後継ぎとしては、適任ではありませんね』と、思った。それで、もともと、心理的に、余裕を持っていたのが、さらに、余裕を与えられて、「あなたも、あの人の下で働くのは、結構大変でしょうけれど」と言った。

 声が、とても若いし、てきぱきしているので、社長さんだとは、思わなかった。それに、最初に、名前を聞くべきだったのだが、こちらの名前は、告げたのに、相手の名前を聞かなかったのも失敗だった。その男性は開発ナニガシ、という名前の人らしくて、チエさんの弟さんだったのだ。そして、2012年当時すでに社長職についていた。

 さて、私は、26時間起き続けています。途中で、20分電車の中で眠り、パソコンの前で、30分歌種をしました。

 これから先、大事なことを語らないといけません、自分を死んだことんして、絶対に悪事が外へ漏れないと、信じ切っている、井上ひさし(いまだ本当は生きていますよ)の考え出した、隠微な悪が、

 開花亭、ロビー午前11時5分に、露出したのです。従業員だと、思っていた若い声の男性は、社長であり、チエさんの、上の弟だったのです。隠微なミステリーの世界で、本来は隠されていないといけない、悪が、実業も実業の世界の、・・・・・東京や、関西の、経済界の偉い人を迎え入れる・・・・・料亭のロビーで合体したのです。そちらが、一種のブラックユーモアです。

 なお、この辺りは、明日書きましょう。お待ちいただきたく存じま。

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