唯ね。その時、私の方が、とてもいい顔をしていた。らしく、反対方向から、歩いてくる家族連れから、にっこりとあいさつをされて、しばし立ち話をしました。その時、ああ、しばし、神様が、慰めてくださったと、思ったものです。
副題2、『和歌山県知事の、記者会見の顔を見ているときに、あれ、この顔って、デジャブーがあると、思い至った。なんと、一日前の、パンダの、ファミリーヒストリーで、ちらっとだけだが、出てきた顔だったのだ』
NHK総合チャンネルの、ファミリーヒストリーの再放送が、2020-2-15日の午後に在ったのです。全く知らない番組でした。私は、大勢の人が関心を持つことには、関心を持たない主義です。
パンダとは、大勢の人が関心を持つものだからこそ、全く関心がありませんでした。それにニュースを録画し後で、チェックすることで精いっぱいだから、娯楽番組には、手を出さない主義です。ところが、日曜日に偶然チャンネルがあっていて、見たこの番組には、本当に驚かされました。
3つの柱があって、そのどれもで、驚かされたのですが、まず、最初にパンダ自身、の方で、驚かされたのは、*1)母系の、生命力の強さ、*2)人工授精が後で、幸いをもたらす話・・・・・最初のfemaleパンダが、産んだ子は、実は、人工授精で、既に、妊娠している状態で、日本に連れてこられた、為、却って、一緒にレンタルされた、male パンダとは、近親交配にならず、二人のfemale ぱんだと、一人の、maleとで、て、15頭もの子供が生まれた・・・・・という点です。私は数人のお父さんとお母さんがいるから、15人もの、子供パンダが生まれたと思っていたので、いい意味で、裏切られました。
まあ、そのほかに、たくさん驚かされたことはあるのですが、
もっとも、驚いたことは、この浜家と、呼ばれる誕生劇の裏側に、
英傑といってよい人間が、何人も、居たというところです。
日本側では、ここの園長(1980年代)が、すごいのです。全く新しい繁殖用リースといいう形を生み出して、中国から、借り受ける約束を取りつけたのに、
日本国内に、獅子身中の虫が居たのです。その個人名はわかりませんが、通産省内の人間でした。当時、通産省に、勤務していた、現・和歌山県知事の、仁坂氏は、そのバリアーを取っ払ったのだそうです。そこから、浜家、15頭の軌跡が始まったのです。無論、中国側でも反対する人がいたのですが、それを取っ払った人がいたのでした。あs手、そのエピソードが公開された時、NHKは、ちらっと顔写真を写したのです。パンダのファミリーヒストリーの画面内にです。大変強い印象を受けました。いわゆる英断を下した人だからです。
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副題3、『これが、1月6日に放映をされたといわれる。そうなると、2月16日に、ひどく驚いた私の前に、この番組に強い刺激を受けた、ほかの、人物がいてもおかしくない。それがCIAメンバーだったらどうなるだろう。私は、新コロナウィルスは、生物兵器であり、鎌倉エージェントの人で、いまだ、実際には、生きている井上ひさしが、それを覚えていたと仮定している。私が、1月30日に書いた解釈が、正しいと仮定すると、彼は、それを覆す必要を感じて、ブルーカラーとしての、日本の警察(秘密部隊の方)に、それをばらまく様に、依頼(又は、命令)をしたと、考える。そうなると、和歌山県有田市で、感性経路が定まらない、患者が出たというのも頷けてくるのだった。
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副題4、『そして、クルーズ船からドドドっと、下船をさせている。それって、ウィルスをばらまく可能性がある。誰もが、そう感じている。しかし、そういう風に、日本全体に、ウィルスが散って行けば、口蹄病と同じく、ばらまかれた様に、今、感染経路がわからないという形で、発症者が出ている地方の、・・・・・それは、人為的にばらまかれたのですよ・・・・・という、嘘が、隠蔽できる。
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副題5、『仁坂知事は、東国原宮崎県知事や、橋本徹大阪府知事と親しかったと、聞く。考えを同じくするところがあったと、聞く。すると、口蹄疫の、東国原知事と、橋本徹大阪府知事への、個人的大攻撃を重い合させられる。東国原知事への弾圧の一手法として、口蹄病の、細菌が、ばらまかれたと、言うのも、ここで、あたりとなって来る。
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副題6、『そして、突然にマレーシア航空機の行方不明事故が、機長の、自殺願望によるものだと、出てきた。これも、また、井上ひさしの関与する項目だし』
ルビッツ副操縦士の自殺願望説は、井上ひさしが案出した嘘です」と、言ってる私の全部の説を否定するために、マレーシア首相が、今、発表をした(後注2)。と、同時に、実家が売られてしまって、私は、鎌倉エージェントに激しく負けていることとなる。特に、井上ひさしの復讐に参っていると、いう事になる。神様には愛されていると言う自信は、常に、あるのだけれど、それでは、追いつけないほどの、この4日間のダメージが激しい。
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副題7、『なんとなく、弟が付き合って居る不動産屋の後ろに鎌倉エージェントが居る様な気がしている。で、弟に、それを言うべきではないが、これは、政治的、いじめ(=ブログで、真実を書く、私へ)の一つだと、考えている』
母は、遺言書内で、13坪分を私のものとしていた。しかし、弟が、「将来面倒なことになるので、それを僕に買わせて下さい」と、言った。その時に、私は、「はい。はい」と言って、当時の時価の、13坪分をもらった。今、実家が、持っている意味は、金銭的な価値(一億四千万円か五千万円で売れたと、思うが)だけではなかったと、しみじみ思って居る。
母が、老人ホームのベッドで、「結局あんたの所が、一番にぎやかになったわね」と、言って居た。父は明治生まれの人間であり、長男大切の人だったが、親との関係が、非常に強いのは、13歳も年上の私の方だった。家庭裁判所の調停委員の人が、遺言書開封の際、(それは、1986年の事だったが)、私が特別に少ないので、・・・・・其れは、不動産を、母の代で、分ける予定があったからだが、・・・・・「あなたは、本当のお子さんですか?」といわれた。そうです。100%、兄弟の血は、同じだ。その時に、家庭裁判所を出た後の落ち着いたれすとらんの中で、弟が非常に、礼儀正しく、「僕の分から、2000万円のお金をお姉さんにあげますから、この遺産相続・協議書になついんしてください」と頼んできたのて、はいはいと、言った。1980年代の2000万円とは大金だ。弟は紳士で、善人だ。人間として、文句のつけようがない。
だから、100%、彼のものである家を彼が売るという意味で、この件は、納得をしているつもりだった。だが、じわじわじわと、悲しみが押し寄せてくる。両親の戦中戦後の、苦労を知っている私としては、あの家で、幸せな最期を迎えた(父)あの家に帰りたい帰りたいと、言いながら、老人ホームで死んだ母。
今は、深い悲しみに浸っている。父の死の後の、40年以上が過ぎて、2012年に母からの、遺言書相続があった。その、時に、私に与えられていた13坪分を、弟に売らなかったら、典型的、争族になったのだろうか?
弟と争うつもりは、毛頭ない。それなのに、それなのに、しんしんと、訪れる、この悲しみの深さは、何といったらいいのであろうか。もし、父と母が、子供たちの、今の、家族の様相を知ったら、あの家を遺言書相続をするのは、私だったと、思うのだけれど、そして、そうだったら、私は売らなかっただろうに。辛い。とてもつらい。
なお、上の写真は、家の西側であって、東側に、植木類が、多く植わっています。大谷石の崖の中にある黒い部分は前の家(ビル、但し、二階建て)の陰です。この大谷石の崖を「作り直せ」と、横浜市から、言われたりしているのは、理不尽ないじめの一つですねエ。法律(条令)を使ったもので逆らいにくいです。だから、鎌倉エージェント発でしょう。特に坂倉準三設計の、旧鎌倉近美本館の、大谷石でできた壁を、新建材で、覆ってしまわれています。そうところにも、日吉の実家へのいちゃもん付けが、鎌倉エージェント発だと、わかります。なお、後ろに小さく、見えているピンクの崖(又は、塀)部分が、旧・真田・手塚邸です。
でもね。スカーレットオハラではないが、きっと私は、立ち直れますよ。この悲しみから、です。人とは、奪われれば奪われるほど、純粋になってきますからね。考察するものとしては、ますます、頭がさえると、思いますよ。クルーズ船とは、現代に現れた、ソドムとゴモラでした。だけど、私は、そういうところに住んで居ない。結構、禁欲的に暮らしています。
この続きはありますが、21日は、午前3時になったので、ここで、終わりとさせてくださいませ。
後注1、