最後にとても大切な事で、今まで、黙っていたことを、蛇足という形で、加筆します。それは、東京北部にある十文字学園の理事さん一族の、お嬢様=【トシさん】があの、罠に加わっていたという事です。私は、彼女がとても繊細だと、言う事を知っているので、今まで、彼女の役割を隠して来ました。しかし、十文字美信氏の役割を語った(後注2)後では、彼女と美信夫人が、姉妹(又は、従姉妹同士)ではないかと、言う推察を語ります。美信夫人に強く惹かれたのは、その繊細さが、同じ苗字である【トシさん】と、とても、似通っていると、言う事が、裏にありました。
副題1、『最近、総タイトルに、芸能人の名前が出て来ることが多いけれど、無論、中身は、政治的主題であって、いつもと同じです』
このブログで、登場した人物の内、一般人と、思われるかもしれない上級国民で、鎌倉エージェント達が、・・・・・これは、困った。この人について、書かれるのは、困る・・・・・と、頭を抱えたであろう人物は、
2014年ごろは、時田史郎さんでした。彼は、横浜国立大学付属中学校で、私とB組で、同級生だったと、思って居ます。後で、確認すればわかりますが、早稲田大学へ進学したので、中学と大学が同期の、人物が他に、成岡康司君、飯田隆君、そして、他に数人、います。
時田史郎君は、福音館創業者、一族の、甥にあたるのかな? で、社長になりました。クリスチャンの筈で、おとなしそうに見える人ですが、福音館そのものが、敵方に、相当に、利用をされていると、言うのは、しっかりと、感じて居ます。ただし、それには、まだ、踏み込みません。時田史郎君とは、友人である、成岡康司君が・・・・・瀬島龍三に次いで、現代日本最大の、CIAエージェントになっている・・・・・と、思いますので、その親友に近い人物なので、伊藤玄二郎などより、上に、置いておかれる、人物なのです。だから、彼について書こうとすると、それは、ご近所人間より上のクラスの人間だから、ご近所人間の攻撃など、木っ端みじんに撃退できるのでした。
瀬戸内寂聴、林真理子、角野栄子、野見山暁次、レオスカラックス監督・・・・・などについて、書かれるのは、鎌倉エージェントにとっては、屁でもないのです。北野武監督と、櫻井よしこさんについては、まだ、ほとんど、書いて居ませんが、この二人について、何か、いけないことを、書いても、伊藤玄二郎にとっては、痛くもかゆくもないのです。それは、他の有名人についても同じです。まだ、実際には生きている、井上ひさしにも、成岡康司君にも、石塚雅彦さんにも、痛くもかゆくもないのです。どうしてかというと、それらの有名人は、大変立派な人だと、一般人が、認識している人だから、それらの人が敵として、何をした、カニをしたと、私が、このブログ内で、書いても、このブログの読者の方が、著者=雨宮舜(本名、川崎千恵子)を馬鹿にするだけだから、何でもないと、思いこんでいます。
ここで、京アニ放火事件の裏で動いた有名人は一切オミットします。あまりにも、時制が近い事であって、すぐ、真実を捻じ曲げて、ニュースを作って来るからです。これにも宮崎駿をはじめとして、相当数の大物が使役をされているのですが、ここでは、オミットしておきます。というのも時制が、近い事件は、私が書いて居ることの方が真実ですが、真実を捻じ曲げた、ニュースが、続報と出てきて、私のブログの方が、あたかも嘘である様に、作り上げられてしまうからです。青葉真司など、軽い、軽いやけどの筈ですが、二か月ぐらい前に、microsoft が提供するニュース内で、「医療関係者が、青葉真司の、回復作業が超難関だったと、言っている」と、言うニュースが出ました。だけど、どこの誰が、発言をしたと、言う実名報道でもなかったし、やまゆり園事件の時など、誰も死者がいないのに、病院関係者が、名前や、顔をさらして、重症者云々という記者会見をしましたし、こちらの方も嘘だと、思って居ますよ。まあ、まあ、まあ、嘘が蔓延している現代日本です。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
副題2、『伊藤玄二郎が、震撼したケースは、2014年の秋、豆腐屋うかいにおいて、開かれた、お茶大付属高校のクラス会において、私をひっかける策謀が、練られていたのだが、その関係者として、坂本きっこ(喜杏)さんを挙げたことであろう。その事案には、宇都宮和代さんが、表の、人間として動いたのだが、陰の主役としての、きっこさんを挙げたことが、相当に、苦しかったと、推察する。しかし、彼は、復讐方向で、出ていくことで、私を苦しめて、・・・・・殺してやる。したがって、その手の事実は、すべて消える・・・・・と、楽観をしていた模様である。その楽観視が、最も強く出たのが、やまゆり園事件であり、その一周忌に、も、・・・・・真実を書かせてやるものか!・・・・・と出てきて、私の、実妹を殺すと、言う恐ろしい事をやった。すべて、CIAが絡んでいるので、ブルーカラーとしての、実動部隊がいる。だから、妹は、自宅から、薬で、眠らされた後で、拉致され、人目につかない処で、腰あたりを、重量車輌で、轢きつぶされたと、思う。遺体は、手を組んだあたり以下、急に低めに引っ込んでいて実際の肉体が、無かった』
妹の他殺という事は、私には、委細がすべて、わかって居ますが、まだ、書きません。あまりにも深いし、重い事なので、まだ、書きません。で、クラス会で、いじめを受け、辱めを受けた方を語りましょう。その方が書くのも楽だし、読む方も楽なはずだからです。
私は、1998年、パリで、1999年と、2000年、ニューヨークで、相当にレベルの高い人達(主に版画家)に出会って、自分の美的才能が、高いことを実感しました。それで、世界的な、アーチストに、成れるし、成るつもりでした。しかし、知名度を上げるという事は容易ではないのです。今は、敵が妨害していると、はっきりわかったので、それはあきらめております。しかし、2012年までは、そこまでは、理解が至らず・・・・・というのも彼等は、すべて、隠微な形で、事を行うので、ミステリーを解いていかないと、真実がわかりませんので、
性善説で、人を疑う事を知らない私は、2012年ごろまでは、真実を見抜く目が、まだ、弱かったのです。特にそれを、ブログで、書くなどと、言う事はやって居ませんでした。で、自分が、大物アーチストに、成れることを疑いませんでした。しかし、簡単ではないと、覚悟をしていて、自分をさらけ出し、一種の、商品価値を高める必要はあると、思って居て、ありとあらゆるパーティで、お歌を歌う事にしていました。お歌とは何の道具も、使わないで、手ぶらで、外出しても、自分をアッピールできるツールだからです。
私は音楽は、全く、素人で、お金を使う為の道具としては、考えて居ないのですが、
しかし、実際には、天与の美声を持ち、かつ表現力が高いので、人を感動させ得るという事は、既に、1975年(37歳)にして、確実に把握をして居ました。その年に、460人もの、児童が通う幼稚園の園長から、PTA会長に任命されていたのですが、一般役員さんから、不評を被って居て、言う事を聞いてもらえませんでした。というのも前任者が、ベンツを乗り回し、横須賀中央で、ブティックを経営していると、言う見るからに体格も大きく、お顔も美形の、大物女性だったのですが、私の方は、車の運転はできないし、サラリーマンの妻として、肩書は、単なる専業主婦ですし、金銭的にも、そのほかの点でも、太刀打ちできないわけですね。つまり、女性だけの社会での、マウントを取れない女だったわけです。
でも、そのPTAでは、年度末に相当に派手な打ち上げ会があることを知って居て、カラオケのない時代でしたが、流しのギター弾きが、呼ばれていて、どんちゃん騒ぎがあるのです。そこで、何とか、一矢を報いたいと、思ったのです。で、ピアノで、楽譜を大量に勉強しました。左手で、和音を分散し、右手で、メロディーを引いて歌を覚えるのです。で、覚えた結果を、パーティ(50人出席だが、大会場で、行われる)の最初の、方で、My way を歌いました。しかし、これは、だめでした。「あら、いやだ。川崎さんが、又、インテリぶって、英語の歌なんか歌っているわ」という感じです。
しかし、中盤過ぎて、芸達者が、すべて、歌い終わった時点で、下手のマイクを握って、二曲目として【長崎の女(ひと)】を歌ったら、やんや、やんやの大喝采で、帰り道、ヤングママたちから、こういわれました。
「今まで、何で、川崎さんが会長なのかが、わからなかったけれど、今日初めて分かった。川崎さんって、普通の人じゃあないのね。まったく、違うのね」と、言われました。つまり、やっと、・・・・・大物なのだ・・・・・と、認めてもらえたわけです。最後の日にです。なぜ、大物なのかというと、自分を捨てることができるからです。何かを達成するために、自分自身の、小さな羞恥心とか、小さなプライドなど、捨てることができるのです。私の親戚で、東大を出た人が「ちっちゃん(私の幼名)は、歌謡曲なんて歌うの?」って、びっくりして居ましたが、そういう縛りは、平気で捨てることができる・・・・・と、言う部分が、自分を捨てることができるという部分で、それゆえに大物と化すのです。外見が、大物なのではありません。
その後、2002年か3年ごろだったと、思いますが、今関一馬先生(国画会の会員、主に、日動画廊で個展をされていた具象系画家)が、故郷で、市・主宰の、大個展をなさいました。その個展のオープニングパーティに、今関先生から、直々のお電話をいただいて、「来なさい」と、言う事だったので、お祝儀の、のし袋と、お歌の準備をして出かけました。つまり、今関先生と同窓の旧制高校(一高)の卒業生が、喜んで、呉れるだろうと、言うお歌として、【琵琶湖周航歌】の歌詞を三番まで覚えて行ったのです。今関先生は、1990年代・当時、上野の精養軒で開かれていた国画会の、オープニングパーティには、お出にならない方だったので、私の歌は、実際には、聞いたことが無い方だったと、思うのですが、同じ神奈川県出身の人間として、私のうわさは、耳に入れていらっしゃったと、思うのです。
で、市原市だっただろうか? 行ってみると、画家は誰も来ておらず、かつ、女性も、奥様以外、一人もいない会場でした。私は、『自分の想像があたって居て、よかった、歌詞を覚えてきて』と、思いました。というのも、セミクラシックが好きな私は、すべて、外国語(主にイタリアの語)のうたを好んでいる人なので、歌詞なんか覚えている時間が無いからです。
:::::::::ここで、すみませんが、スピンオフに入って、好きな曲を上げさせてくださいませ。マスターした時代順にあげると、ハバネラ、カタリ、恋に生き愛に生き、誰も寝てはならぬ、私のお父さん・・・・・などです。が、すべて、イタリア語ですね。後、ドイツ語では、シューベルトの、「聴け、ひばり---horch horcho」と、モーツァルトの魔笛から、【夜の女王のアリア】だけは、マスターしたいと、思って居ますが、それ以外は、それほどに、好きでもないのでした。:::::::::
日本語の歌は、実は、自分の音域にあわないものが多いのです。私は、下は、ファ(F)から、一オクターブ上の、ソ(G)あたりまでが、好きな音域で、それ以外は、得意ではありません。だから、本当のことを言うと、【長崎の女(人)】も、【琵琶湖周航歌】も、好きな方ではなくて、聴いてくださる方が好きだろうと、推察して、歌詞を覚えて置いた曲でした。しかし、自分としては、好きではない方の、歌が、やんやの喝さいを受けるというのは、どれ程に、歌詞が、大切なのかを、理解させてくれます。しかし、私は相変わらず、歌詞は、覚えません。曲想だけを楽しむのは、メロディーだけで、充分だからです。
~~~~~~~~~~~~~~~~
副題3、『伊藤玄二郎と、井上ひさしは、女には、嫉妬心があるのだと、言う前提で、罠を用意した。本当だろうか? 御茶ノ水女子大付属高校、昭和36年卒業組の、人々の間に、女の嫉妬心などあるのかしら? ただ、唯、外部の人間として、その私にとって、大切極まる温床(お茶大付属高校、昭和36年卒の133人)をひっかきまわす、彼等を憎むのだが、その姿勢と、行動様式は、こちら、雪ノ下二丁目の、実動15軒しかいない、住まい近辺の人を動かすのと、全く同じで、自分達は、常に隠れて居て、自分以外の他人は、唯、唯、家来として、使っているだけなのだ。
人権無視もいいところだけれど、使われている人の方は、それが、見えないらしい。坂本杏喜さんなんて、明治以来、医学書を出版している由緒正しき、冨山房の社長夫人なのだ。そして、宇都宮和代さんなんて、世界史の先生を、立正佼成会経営の、中学高校で、教えていた。女子部なのか、男子部なのかは、わからないけれど。私を、押さえつけるライバルとして、その日、登場した中島(旧姓永仮)加奈子さんは、お受験塾(有名私立・小学校向け)のトップ校の経営者として、実績があり、とても有名だそうだ。栗田玲子さんは、銀座随一の有名画廊のオーナーで、山本容子を自分の配下に抱えている人だ。そして、イタリアに強くて、今、ヤマザキマリさんを、一押しで、テレビの世界へ、押し込んでいる。
そして、池田理代子さん。彼女は【ベルサイユの薔薇】で、一世を風靡した、漫画家である。歌もお得意だ。旧名・教育大学・現在名・筑波大学・卒。栗田玲子さんも同じ。国立の、有名大学卒の、しかも、女性の、画廊オーナーは、少数なので、彼女は、ぴか一の存在として、銀座で、威張っている(苦笑)
そして、宇都宮和代さんは、お茶大卒。この三人は、文京区、茗荷谷を、生息域とした、インテリ女性だ。そして、たぶん三人とも、西洋史学科卒。そして、イタリア留学経験がある。
中島(旧姓 永仮)加奈子さんは、上智大学卒・・・・・そうで、ございましたか? でも、ご実家は文京区でしょう?
ただ、加奈子さんが、上智大学卒だと、すると、この人は、直接、鎌倉・佐助在住の、井上ひさし邸に、お招きを受けた可能性がある。本日、2020-12-3まで、加奈子さんが、上智大卒だとは、知らなかった。なんか、もっと、入学が、らくちんな、女子大程度、ご卒業かと、思っていた。
だから、私を虐めたり、辱(はずかし)めたりすることを安易に引き受けたのだと、考えて居た。この六年間、そう考えて居た。しかし、上智大学卒だと、全く変わって来る。筋金入りの、政治的、闘争ウーマンで、CIAエージェントとなる。おや、おや、これは、驚いた。
ここで、数千字分、書くべきことがあります。だが、それは、今は、書かないで、先へ進みます。でないと、この文章の文脈がまとまりません。なぜ、この一文を起こしたのかが、皆様に、お判りいただけないからです。抜かした部分は、宇都宮和代さんと、坂本きっこさんに関する部分です。実は、昔すでに書いて居るので、そのリンク先を後で、見つけることにして、当夜(=20-12-2の深夜)は、筆を向けませんでした。その件が成功したと、見た井上ひさしは、雅子様の、お馬のアレルギーというのを案出します。というのも、この罠では、黒田佐夜子さんと、親しいきっこさんが、重要な役目を果たしていたので、皇室を、手玉に取って、使役しても大丈夫だと、鎌倉エージェントが思い込んだからです。そう言う部分を後で、別の章で、書きましょう。
で、そこでの説明用に、副題4と、副題5を当てるつもりなので、ここで、次の、数字の、副題6へ飛びます。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
副題6、『坂本きっこさんが、何故、動いたかというと、岩波ホール支配人の高野悦子さんと、神保町、町内会を通じて、お知り合いだったからだと、思う。高野悦子さんと、伊藤玄二郎は親しい模様で、二人で、共著【びょんぶ】を出し、それで、ポルトガル国のエンリケ皇太子勲章を、受賞している。
しかし、その書物の編集を、私のICU同期入学組の、川名昭宣君が行ったのであろうと、このブログの世界で、言って居るので、その書物は、全国の主要な図書館から消えている。金沢21世紀美術館内にも2013年6月には、なかった。大阪市立図書館にもなかった。
ところで、この豆腐屋うかいでの、辱めを、行った、すべての関係者に言いたい。「あなた方は、私をからかって、辱めて、それを、唯、一過性の、いたずらだと、考えて居ませんか?」と。だから、『簡単な事だ。どうして、いまだに、それが、問題になるのかがわからない』と思って居ませんか?
そこなんですけれど、中島(旧姓 永仮)加奈子さんなんて、私の事を一切知らないで、唯、唯、悪口だけを聞いていて、「川崎千恵子なんて、何を、行って(=わなを仕掛けて、苦しめて)もいいんだ」と、思って居ませんか?
其れを自分で言ってはおしまいだと、思いますけれど、私は、市井の学者を自認して居て、これを政治論文として書いて居ます。平易な言葉で書いて居ますが、これは、論文なのですよ。英語の論文って、日常用語と同じ物を使います。その手法を用いているだけなのです。
だから、この11月29日(土)に、NHKが、・・・・・かわいアンリ議員は、秘書の有罪が確定したので、連座制を適用されて、議員資格をはく奪される可能性がある・・・・・などというニュースを報道すれば、・・・・・・ああ、こういう事案も、CIA鎌倉エージェント軍団が、最高裁に命じて、そうさせて居ますね。そして、それを、その日、報道する様に、NHKに命じて居ますね・・・・・と、考えるので、
で、即座に、頭の中の引き出しから、この池田理代子さんまで、使役をされている、2016年の、エピソードを引き出して来て、その詳細を、思い出すのです。無論の事、現代で、かわい議員夫妻を苦しめている最高裁をたたきたいですよ。しかし、そんな事をしたら、蟷螂之斧の典型で、私が笑われてしまいます。
でも、お茶大付属高校36年卒というのは、同じ穴のムジナです。最高裁判事を批判するのとは、違います。そのあなたの、おかしな行動を、このブログの中で、書く方が、効果的だと、私は考えるのです。何に対して、効果的かというと、天の神様に、ご報告をして置くことで、伊藤玄二郎や、井上ひさしに、天罰が下るからです。実名があり、具体的な行動があることをきちんと報告をして置くことが大切です。
鎌倉エージェントの中の、仲野通巳吉、伊藤玄二郎、杉本俊一・正子夫妻、+(まだ、本当は、生きて地下潜行をしている)井上ひさしなどの、悪行を天の神様に、お知らせして置く事の、効果です。
~~~~~~~~~~~~~~~~
副題7、『北久里浜の旧宅で、園芸の仕事をしていた時だった。南西にあるお隣さん、(=石川さん宅)をから、モーツァルトのオペラ、【フィガロの結婚】の中から、普通は、女性が歌う事で、有名な、少年【ケルビーノ】のアリアが、聞こえて来た。例のごとく、私が行わない、行動である歌詞を覚えると、言う作業をきちんとこなして、歌っていた。私はまさか、有名なお受験塾の総帥である、加奈子さんが、そこまで、遠征をしてくるなどとは、夢にも思い至らず、・・・・・しかも、石川さんちって、敷地が、30坪しかない。その上、そこにぎりぎりの大きさで、建売住宅が建っていると、言う雰囲気のお家だ。そんなところに、おお金もちの、加奈子さんが、身を潜めて、わたくしを脅かしてくるなど、夢にも想像しない。それは、2015年内の事だったと、記憶している。どこかで、一本ブログを書いて居るので、もし見つかったら、ここにリンク先(後注1)を置きたい。
彼女が若いときに教えた生徒のご本人とか、親は、すでに、社会的成功者になっているだろう。そう言う人の先生だった身が、どうして、北久里浜の、無住に近い荒れ果てた、一軒家にまで遠征して、そういう、ばかげたことをしますか? 信じがたいです。
主人が一回、それを聞いてきて、その美声には、びっくりしたらしい。鎌倉に帰宅して、「すごいレベルのクラシック歌手がいる。北久里浜に」と、言った。で、それをすでに聞いているので、私は、そのケルビーノのアリアを聞いても、ちっとも驚かなかった。
そして、まさか、加奈子さんが、品川から特急でも、一時間はかかる、北久里浜まで、遠征をしてきているとは、夢にも思わず……・・・・・だけど、私を威圧しようとしている悪意の方は、感じて、しかも、住民が、いないとは言え、合いかぎを持っているはずもない、その歌い手の女性が、石川さんちに入って居るのは、当然、仲野通巳吉が、合いかぎを持っていて、開けたと、考えた。だから、これは、単に美声を、私に聞かせることが目的ではなくて、政治的な威圧をしてきているとは、感じた。嫌がらせをしてきているとも感じた。
こちら、鎌倉雪ノ下でも、一、二度、クラシックのソプラノの歌い手が、現れて、歌ったことがあるが、加奈子さんとは、声質が違う様な気がする。だから、ブログには、取り上げてはいない。
ところで、まさか加奈子さんとは、思わない私は、北村充子さんだと、思い至る。
この人(=音大卒ではなくて、高卒なのに、横須賀市立根岸小学校、PTA合唱団を指揮する、才女で、超がつく、やり手だ。在日の出自があると、噂をされており、その夫は、・・・・・中学時代に、自分の先生を仕留めたそういう男性である・・・・・といわれても、いた。中学生にしては、すごくませていたのよと、言ううわさもあった。
ここまで、今、語るのは、私を、1985年に、ひどい罠にかけて、いじめて来たからである。鎌倉に引っ越してきている私をわざと、横須賀の自宅に呼び出して、衆目の中で、いじめた人物である。自分より上の人間に対しては、丁寧な態度をとるが、下と、見た人間に対しては、手ひどい事をする。したがって、育ちがよくないことが見え見えの人物だ。それは、彼女が持っているしたたかさとか、こ狡さで、誰にとっても、見えてくる話であって、彼女が、立派な活動をすればするほどに、悪口を言われる事となる。華やかな態度と、華やかな雰囲気はあるのだけれど、在日のくせにあんなに威張ってと、言われるのもその一つだと、私は、考えて居る。なお、これは、35年は前の話で、まだ、差別意識が、根強かった時代の話だ。横須賀の場合は、特に在日への差別が強かったのかもしれない。横須賀海軍工廠などに、徴用工などが、連れて来られていたと思われるので、在日への差別が、息長く、存在していているという事だろう。
横須賀においては、向こうから、私に、近づいてきて、川崎さん、これ知っていると、言う風に教えてくれた人が大勢いた。新参者の転入者にしか過ぎない私は、結構、広い範囲の住民について、深いレベルの噂話を、見聞して、知っているのだった。つまり、私はリアルな世界でも、結構な大物だったのだ。笑い話みたいだけど、外見は、貴方って、生活臭が全然ないのねと、いわれていて、大変に弱い人だと、見えるのだけれど、真実を言うと、ある所属ソサイエティの中で、たちまちにして一種の重鎮になってしまうのが、私だった。・・・・・(苦笑)
ただ、私は、歌が大好きだ。敵が歌おうが、味方が歌おうが、美しい声は、大好きだ。だから、石川さちから、聞こえてくる歌声と、一緒に、歌い始めた。
後で、加奈子さんだったと、わかってみると、いかにも彼女らしい歌い方だった。歌詞をきちんと覚えて、三番でも、四番でも最後まで、歌いきる。それが、5分であろうが、6っ分であろうが、最後まで、歌いきる。律儀で、正当な歌い方である。
私の方は、その時、彼女に触発されて、本当に、たまらなく歌いたくなって、【ケルビーノのアリア】を、一緒に歌い始めた。最後の方の、2分ぐらいは、一緒に歌ったと、思う。で、終わって、彼女が何を次に歌うかと、思って待っていると、相手は、もううたわなかった。それで、歌う情熱に、火がつけられてしまった私は、その後、20分ぐらい、数々のお歌を歌った。ソルベーグの歌。これは、ニューヨークの版画工房で、クラシック好きな版画家ホアレスに、美声だねえと、言われて以来、持ち歌となっていた。
正式な言葉として、表現すれば、彼は、工房の中を、五メートルぐらい歩いて、私の方に、近寄って来て、まるで、「マリアカラスみたいだ」と言ってくれたのだった。どうして版画工房などで、歌ったかというと、それは、夜だったが、日本人女性版画家にして、移民としての先住者栃木県出身の【通称、よよ】に虐められていたからだった。
かの女が、別の日本人女性版画家と組んで、手ひどいいじめを行ってきたので、その邪気を払う為だった。
:::::::::ここで、又、スピンオフに入るが、アベマリアとしては、シューベルト作曲のものがもっとも有名だと思う。だけど、私は駄目なのだ。シューベルトの歌曲としては【聴け、ひばり】だけだ。シューベルトは、ピアノ曲が思いがけなく、私にはフィットする。即興曲など、何度聞いても飽きない。中一に、それを初めて聞いて、以来65年間も、好きになっている。ピアノ曲は、ショパンがだめだ。それは、すべて、感情が過多だと、だめだと、言う事。歌手としては、今、最高だと、言われているアンナネトレプコがだめだし。この間、プロムスラストナイトに出て来た、ゴルダ・シュルツは、体格が、大きすぎるが、声は、中庸で、素晴らしい。:::::::::
私には、歌が身を助けてくれたことが何度もある。
この辺りは、私の五冊目の本【黄色いサクランボ】に書いて居るところで、その中では、ホアレスをエドゥアルドと、仮名でよび、同じく、よよを【ミミ】と仮名で、呼んでいる。それで、20年後の今、ちょっと間違えて、よよの名前の方を仮名のミミの方で、表現してしまった。
間違いに、気が付いて、戻って来て、書き直した。それで、時間は、午前四時半に既になっている。黄色いサクランボの評判が良いのは、エッセイ集なのに、劇的展開があって、それが、小説によくある、筋となっている、せい、なのだ。
その筋というのは、フィクションではなくて、真実に起きた事なのだけれど、よよが、案出したモニター制度によって、ホアレスも、ブラックバーン氏も、命を縮めたと、思う。その点が、事実は小説より、奇なりを児で言っている話だからであろう。
よよが、自分が、お金を払わないで、工房を使おうとして、案出し、みんなを巻き込んだモニター制度によって、工房が、使用料を支払わないアーチストで、占拠されてしまって、ニューヨーク一古い版画工房なのにもかかわらず、つぶれてしまって、その結果、摺師として働いているのを、唯一の生活費としていたホアレスは、お金を、稼げなくなって、死に至るのだった。孤独死、又は、飢え死にだと、思われる。9月1日に遺体が、発見されたとのことだ。腐臭があたりに漂ったせいだと、思う。勿論、貧乏な彼は、クーラーなど、設置して居なかったと、思う。
かわいそうにホアレス。どうか、私の文章の中で、生き続けてくださいと、祈ろう。そして、ニューヨークに住んでいると、言う事を最大限の武器として、一年に一作しか作らないのに、酒井忠康氏に褒められていて、それを、ニューヨークで、金科玉条のごとく、だんビラ振り回している作家が、よよだ。
私は、こういう手あいと戦わなくては、いけないので、勇気を鼓舞する必要があり、それで、全員が、一人ずつ、必ず、スピーチを行う事となっている、お茶大付属高校のクラス会で、そのスピーチの習慣を利用して、肝試しをさせてもらっていたのだった。肝試しが、お歌を歌う事だった。それを、永仮加奈子さんが、突然に、関を代わって、前に座って、自分の方が、長時間、しかも、出席者全員の、納得や了承のもとに歌ったというのが、罠だったという事。
私の内心としては、133人の同期生の中で、ひとり、目立ってやろうとか、勝とうとか思っていたわけではない。でも、下品な心情の井上ひさしは、そうとって、上智大学の後輩である、永仮加奈子さんに、向かって、「あなたは正しい事をやっているのだ」と、言い聞かせ、思いこませたのだと、思う。
という挿入を入れて、北久里浜で私共が所有している、旧宅から見ると、南西のお隣さんにあたる石川さんちから、ケルビーノのアリアが、聞こえてきた日に戻ろう。
彼女の美声に、触発をされて、ずいぶんと歌心が刺激されてしまって、その日に、ソルベーグの唄の次に歌ったのが、オッフェンバックの舟歌。これは、映画の主題歌だった。そして、上の方でも語っている【カタリ】とか、グノーの【アヴェ・マリア】とか、【カチューシャの唄】とか、【木綿のハンカチーフ】とか。
実は、加奈子さんは、暗黙裡の謝罪をしてきてくれたのだった。私が、120%のお歌好きであり、歌を勝負の材料にするなど、全くもって、神への冒涜だと、考えて居て、邪気無く、まっとうに、美しい声で、歌ったので、『或る意味で、負けたわ』と、思ってくれたみたいだった。
それで、2016年のクラス会で、幹事だった彼女は、出席者全員へ、手作りのグリーティングカードを持ってきてくれたのだった。全員だから、対私への謝罪と、言うのには、表むきには、当たらない。普通ならそうだ。しかし、私は、その大量の手間がかかっているグリーティングカードをしみじみ眺めながら、彼女がどんな思いで、こんな複雑な手作業を、夜なべ仕事としてやりながら、40人分も作ったかと、思うと、人知れず、涙した。で、加奈子さんの事は、100%許している。
一方で、宇都宮和代さんだ。彼女に対しては、こういいたい。「あなたって、美貌が災いして居ますね。で、苦労が足りない人の典型となって居ます。ちょっと、未熟すぎるというか、幼稚すぎますよ」と。
和代さんの、美貌を、仮にたとえると、南野陽子の華やかさに、オードリーヘップバーンの上品さと知性を足して二で割ったら、和代さんが出来上がると、そう言うたぐいである。彼女は日本人100%なのに、どこか、アーリア人を思わせる美貌の持ち主だ。したがって、彼女は、すべての他人が、道を開けて通してくれるタイプだ。それで、人生で、苦労をしてきていない。したがって、未熟なのだ。だから、あんな、汚い、たくらみを平気で、実行してしまう。お子さんも居ないみたいだし。
間に抜かしたところがあって、それは、後日、時間がある時に埋めます。午前4時になってしまったので、寝ます。・・・・・その抜かしたところでは、歌を歌う事で、目立ちたがっている雨宮舜(=川崎千恵子)は友人たちから嫉妬を、されているはずだ。自分が主人公になりたがっている。したがって、その直前に、歌のうまい、加奈子嬢に、長い時間、しかも、彼女の作詞作曲をした歌を歌わせれば、雨宮をぎゃふんと言わせ得るだろう。それを、見た皆は、嘲笑するだろう。そう言う形で、素早く、彼女(=川崎千恵子)をノイローゼにして、早く、あのブログを閉鎖させないと、大変なことになるのだ・・・・・と、井上ひさしが、考えたので、加奈子さんが、突然に席を代わって、私の直前に、スピーチする人となり、かつ、誰か、からの、ご紹介付きで、お歌を歌う事となったのだった。そのご紹介者が、きっこさんだっただろうか?
私は、自分が一人だけ、いるときに歌うのは、神様が、傍にいらっしゃるという事を信じるために歌うのだけれど、パーティなどで、歌うのは、自分の勇気を試すために歌うというところがあるので、誰かのサポートとか、支援を待ってから歌うという事はない。
(蛇足、・・・・・・【十文字としさん】と、【十文字美信氏夫人】がとても似ていることについて、ひとこと。・・・・・
私は、鎌倉市内でのいじめが始まった最初期に、十文字美信氏に、やられてしまったと、書いて居ます。(後注2)その時、奥様が、とても悲しげだったとも書いて居ます。奥様は、けっして派手なふるまいをしないし、自然志向で、お化粧さえしていないのだが、とても美しいと感じたと、語って居ます。その奥様は、直観として、私が悪い人間ではないと、知っておられるのに、いじめないといけないのを悲しがっておられたと、語って居ます。
其れは、ずいぶん前の話で、この豆腐屋うかいでの、罠に引っ掛けられる前の話でした。ところで、十文字美信氏が、芸名ではないと、仮定すると、十文字トシさんと同じく、十文字学園に関係があるかもしれません。トシさんとは、私のお茶大付属高校の、同期生で、その罠が張られていた際にも、大きな役割を果たしたのでした。
十文字トシさんは、もともとは、私の隣に座っていたのです。左隣が、彼女で、右隣が、宇都宮和代さんで、どうして、十文字さんが、そこにいたかというと、そのテーブルが、末席であって、幹事さん専用の席だったからです。私が、そこに座ったのは、くじ引きで、そこが当たったのですが、私に示されていた箱には、全部、その席の番号が、書いてあったと、推察して居ます。一~三枚程度残っていたのですが、すべて、その番号だったのでしょう。
十文字さんは、その日は、幹事だったらしいです。そして、私が着席して、スピーチの順番が、自分に、迫ってきたころ、突然に、十文字さんは、席を立って、先生の隣に、一つ、もうけられていた、空席に移動して、行ってしまいました。普通だったら、「御免ね。白ちゃん(これは、高校時代の私のあだ名)、私、先生のお相手をしないといけないから、あっちへ行くのよ」と断って移動をするものでしょうが、彼女は無言で、移動をしました。そして、どこから現れたのか、その、移動の姿を見ても居なかった、中島(旧姓 永仮)加奈子さんが、私の左隣に急に来て、座って、直前の、スピーチをする人となったのでした。
このクラス会は、既に、卒業以来の、55年間で、20回は行われています。しかし、加奈子さんを始め、芸大・音楽部・卒の、人でさえも、この会で、お歌を、歌ったことは過去にはないのに、加奈子さんは、唯一人の人として、突然に、歌いだしたのです。しかし、事前に、ご紹介があり、安心して歌いだした彼女の歌い方は、出席者全員の許容の上で、行われました。堂々と、しかも、彼女が作詞作曲をしたという日本語の歌曲を、6っ分程度の長時間歌ったのでした。
当然の事、私は、びっくりして、調子を狂わせられたし、いつも歌詞を覚えて行かない、セミクラシックを歌うのですから、ご自分で、作詞作曲をしたという加奈子さんからは劣位に、置かれるわけです。
でも、すべてを瞬時に悟る私は、自分が罠にはめられたことに気が付くのです。そして6分間の内に、・・・・・どう対処したら、最善であるか?・・・・・・を考えました。「今日は、罠に引っ掛けられていますね」と、今なら、ぶっちゃけた、語り方ができます。笑いながら。
しかし、2014年は、まだ、このブログで、真実を語るのに、30%程度で、抑えていた時期であって、そこまでの、真実を語るわけには、行かないし(プライドの問題があり、かつ、雪ノ下黒物語も、北久里浜黒物語をも、読んでいないであろう同期生たちは、ちんぷんかんぷんの話になりますからね)、
しかも、罠に掛けられたからこそ、それに負けないで、予定通りうたわないと、いけないと思うのです。でも、相当に、びっくりさせられたので、もちろん、調子がくるって、いい声が出なかったし、今になると、何を歌ったかをさえ、覚えていないのでした。オペラアリアの、一節を、歌詞なしで、歌ったと、思います。【トスカ】から、【恋に生き愛に生き】をえらんだのだったか?、【トゥランドット】から、【誰も寝てはならぬ】を選んだのだったか?。
もし、十文字学園の、創始者の、一族に、ある時期、孫として、女の子だけ、生まれたと仮定しましょう。そうすると、以前に鎌倉エージェントに使役をされた、十文字美信氏は、養子に入り、入り婿となったと、成ります。(唯ね、十文字というのが、ペンネームかもしれません。上品な感じの苗字として、ペンネームとして、使って居る?)でも、そうではなくて、本名であり、十文字学園の創始者の、息子さんの、家の、入り婿となったと、考える、のも、一法です。唯ね、これが間違っている可能性は、もう一つあって、それは、トシさんが、一度も、「私の親戚が鎌倉に住んでいるのよ」とは言わなかったことなのです。ただ、しつこく、私がこの件にこだわるのは、美信夫人の美貌を説明するのにあたって、有名な私学の創設者の、お孫さんらしいのですよと、言うと説明が、しやすいのです。そこを言わないと、女性専科(アイドルたちの写真集を撮影する美信氏の、奥様だから、若い日に、その対象モデルだったのでは、ないですか?と、間違った解釈をされやすいと、思います。そこは、全く違うのです。とても、品の良いそして、繊細な、美しさを、示す女性です。
もし美信氏が、養子で、入り婿だと、なると、あのトシさんの繊細さが、(いまだ、名前さえ知らない)、美信夫人に、似通っていたのも当然で、したがって、私が強く、惹かれたのも、無理がないと、成ります。トシさんも、美しいですよ。しかし、知的なところが勝っている雰囲気はあります。大学で、教えているので、当然でしょう。その点、美信夫人は、専業主婦です。だから、トシさんと比較すると、それだけ柔らかいです。それで、特別な美を感じ取ったのだと、成ります。
唯ね、2014年に至って、豆腐屋うかいでの、あの罠に接したときに、・・・・・あの、繊細な、トシさんが、そこまでの、事(私を罠に引っ掛けて、出席者、みんなで、嘲笑しようと)をする・・・・・のは、とても信じられないことでした。
ここで、一応の推敲は、終わります。ただ、この件は、まだ、まだ、書き足らない一件となります。将来をお待ちいただきたく、存じます。
本当に、驚かされた事件でした。唯ね、かたずをのんで、見守っていた、他の、級友たちが、実際には、私を、笑ったわけではないのですよ。その時に、表出した、私の本当の想いをわかった人は、大勢いたでしょう。そして、ひそかに、かわいそうだなあと、思った人もいたと思いますよ。だって、二次会にも出たのですが、「白ちゃん、早く帰りなさいよ」と、そこから、追い出す人はいなかったのですもの。(なお、白ちゃんとは、高校時代の、私のあだ名です)
なお、このブログの、2010年から数え始めた延べ訪問回数は、6301932です。
後注1、なかなか、見つからないと、思いますが、見つかったら、ここに置きます。
後注2、
十文字美信夫人は、雪ノ下一丁目に住んでいるのにも拘わらず、同二丁目の私のご近所主婦達の悪辣さを隠蔽する為に使役をされた。15年以上前の話だが🔲