副題イ、『カフェで、提供されるのみものの、温度が問題だ。熱いものは熱々で出してほしいし、冷たいものは、キンキンに冷やして出してほしい。その原則に違反をしていた水を提供されて、私は、新コロナウィルスが入って居たのではないかと、心配になって、22日は、1日中、ひどく疲れた』
この一文は、処方箋薬局、HACDRUG 鎌倉店が、2020年12月19日に異常な事をやってきたのを分析しているものの、第三弾です。で、本章を書き始めるときの総タイトルが、ドゥトールを前面に出したものでした。そこで、出してくれた水が変だったので、そこに新コロナウィルスが入った居たのではないかと、一瞬、閃いて、ぎょっとしたと、言う物にしておりました。ドゥトールって、普段水を置いていないのに、親切に、お水をわざわざトレイに入れて出してくれたのですが、それがぬるいのです。
この提供・のみ物・の温度とか、電車や劇場内の室内設定温度と言う物を使って、攻撃を受けて居ます。で、温度に対して、私はひどく敏感です。今般の武蔵小杉の労災病院内での、ドゥトールが出してくれた、サービスのミズですが、それは、冷たい筈のものが、25度ぐらいの温度なのです。
ぬるいのは、以前、十文字美信(後注1)さんのカフェでも出てきたことがあって、私は瞬間的に下痢状態になり、そこから、7分程度、駅まで歩くのに脂汗三斗と、言ったほどでした。カフェラテを頼んだのですが、600円ぐらいで、温度が、28度くらいでした。非常に嫌な感じでした。
本当は十文字さんのカフェでトイレに行った方がよかったのですが、おなか・が痛いときのうんちって、下痢かそれ以外の症状なのかが、わからないですね。そういうときは、使用時間が、何分かかるかわからないので、問題(後注1に、リンク先を置いていますが、十文字さんって、何回も攻撃者として、利用をされている人物なのです。しかし、このカフェラテを頼んだ時は、私の方はブログで、十文字さんの事を取り上げていないので、こういうぬるいカフェラテを出されるのは、不満だし、不安だし、恐ろしいなあと、感じました。毒薬は入って居ないでしょうが、腐りかかって居た、生クリームを使われたかもしれないと、は、思いましたよ。というわけで)そういう問題のある、カフェのトイレを使う事を避けたのでした。五分もトイレに入って居るのは、そのカフェのお客が少ないし、マスター(美信さんではない。もしかすると、それも刑事の変装だったですか?)が、にやにやしていたのも、奇妙で、気になるので、カフェのトイレは、使いたくなかったのです。
その時は、いやがらせだったと、言う程度で済んだのですが、今回は、もしかすると、新コロナウィルスを入れられたかな?と、一瞬思ったのです。しかし、既に一口は飲んだ後で、そう思ったので、精神的に、冷や汗三斗と、いった類でした。一日中、ひどく疲れました。関東労災では、その後、相談窓口に行って、例の、PCR検査ができるところを聞いたほどです。
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副題ロ、『ここで、やまゆり園事件と、受動喫煙問題で、激しく、黒岩知事を批判している(後注2)ことが命の差別につながるかなあと、思い当たって、手ひどく、疲労感を覚えた』
神奈川県では、PCR検査をしているところは、発熱なんとかというところ、一か所しかないそうです。
其れって、受動喫煙運動と、やまゆり園事件で、激しく私の方が相手を批判をしている、黒岩知事が、一手に権限を握って居るところですよね。それを考えただけで、うんざりで、更に疲れました。
頭から冷たい水だと、思いこんでいたので、一口ですが、がぶっと飲んでしまいました。さあ、どう仕様です。外科か、内科に行って、胃洗浄でも、申し込みますか?
外科も、内科共に、予約制だそうで、新患は受け付け無理だそうですが、ともかく、お願いしまくって、「新コロナウィルスを、入れられたかもしれませんので、胃洗浄をしてください」なんて、もし、申し出でたとしたら、あの病院から、つまみ出されてしまうでしょう。時間もすでに、12時を過ぎて居ましたし。
というのもこの病院では、「私ともでは、新コロナウィルスを保持している患者は、来るはずが無い」と、言う前提で、動いています。東横線の、日吉、元住吉、武蔵小杉の三駅の住民がヒンターランドです。そこって、大体が、中流の上のクラスが、すんでいる一帯で、・・・・・新コロナなど、ここには、発生しないでしょう・・・・・と、言う前提で、動いています。非常に平和な感じで、スタッフも患者もともども、キリキリしていないのです。そこで、騒ぎを起こしたら、本当に嫌われてしまいます。
あの病院は、新聞記事では、一回コロナが出たことになって居ますが、嘘でしょう。で、最近は、他にも大病院がいくつかできたので、60年前の昔ほどの、人気病院では、無くなって居ます。でも、入院棟の、看護師さんの数が、他病院に比べて、豊富だとか、色々あって、地域の拠点病院の一つです。で、新コロナウィルスへの対応は、全くしていないと、医療相談窓口で、言われました。で、病院長へお手紙を書いて、こういう疑いがあるのですが・・・・・と、書き始めて、ふとですが、バッグの中を探すと、例の大問題の処方箋が無いのです。(ここで、後注2が効いてきます。それをお読みいただきたく存じます)
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副題ハ、『午後、12時半ごろ、病院内で、肝心かなめに処方箋がない事に気が付いた、再発行をしていただいたものだが、それが、見当たらない。この時の、心臓が、つかまれるほどの、痛い感じは、最近では、味わったことのないものだった。で、これが原因として、おおきな疲労感に、更に見舞われた』
19日の土曜日にハック内で、ハックの責任において、紛失したのにもかかわらず、恐ろしいたくらみができて居て、「貴方は出していません」などと、言われました。「監視カメラにも、あなたの映像はありません」ですって。でも、サクラとしてのお客が出てきて、そちらへの対応が、下へも置かぬ丁寧さで、その前の、20分間には、呼んでも呼んでも、私のためには、出て来なかった店長が、目の前3mの近さで、そのお客に恭しく対応し、セキュリティが何とかんとかと、薬とは無関係な、いかにも警察官が変装したお客が言いそうな、文句を、何度も何度も、同じところの繰り返しているのに対して、それを嫌がらず、聞いてあげているので、・・・・・これは、例のごとく、私を差別し、いじめる手法だなあ。今回は、お店ぐるみで、謀略を行ってきていますね・・・・・と、理解して、却って、落ち着いて楽になったほどです。
で、それが、土曜日の夕方ですから、日曜日と、月曜日は、動きませんでした。それは、担当の先生が病院内には、おられないからです。権威だそうですから、月、水、木は、他の病院へいらっしゃるのでしょう。それで、火曜日にやっと来訪して、やっと出してもらった、処方箋が、急にまた、見えなくなったのです。手元に無いのです。
この時ぐわ、ぐわ、ぐわっと、心臓がわしづかみにされるほどに、驚きました。三度目の請求は、道義的にも、できないです。で、其の5分間にも、グッと疲れたのでした。会計をする、広い・中央ロビーに座って、自分が、ドゥトールに入るまでは、持っていたことまでを、思い出して、その次を、さぐりました。次に、どこへ行ったかを思い出して、丁寧に、丁寧に探しました。特に病院の、べっしつに存在する患者用、相談窓口は、長居をしたので、床・他・を丁寧に探しました。しかし、無い。
で、念のために、ドゥトールで、聞いてみることにしました。すると、ありました。トレイに、乗せてあったそうです。その時には、嬉しさが半分ありました。しかし、一方で、黒い疑惑がはっきりと、立ち上がり、不安もいや増しに増大したのです。これが、この日、四度目の、痛い痛い、心配事の始まりでした。
というのも丁寧に考え直してみると、彼女たちが、気が付いた後で、私に「忘れていましたよ」という注意をするべきでしょう。病院内喫茶店です。今は、老人が多いので、カフェ・スペース内に、処方箋を忘れる人は、私だけではないでしょう。
私の場合は、単に私が、78歳の老人であると、言う以上の負担が、その日にかかって居たわけです。ぬるい水を飲んだ瞬間に、『うわ、毒殺未遂ですな。これは、私の為に、特別に用意された水であって、新コロナウィルスが入って居ますね』と、考えたわけですから、一瞬、頭脳が、白閃化し、手短な、所に不注意になったのでした。
彼女たちが、その処方箋を見付けて、15分か20分、そのままにして置いたと、言うのも不思議です。それを、病院内で、私を探して、「忘れて居ますよ」と、追いかけてくるのが、病院内ドゥトールのスタッフなら、当然の、行動でしょう。又は、私が、相談室に行って、しまって、姿が、見えなかったら、病院の、しかるべき窓口(ここは、会計処理をするところ)に届けてくれて、それが、院内放送、呼び出しという形に繋がるのが普通です。それが、できるポイントが二回あったのですが、その両方ともに、無視して居たらしくて、こっちが、「お宅に処方箋を忘れて居ませんか?」と、聞きだすまで、向こう側は、無反応だったのです。いくら忙しいからと、言っても、それは、カフェというサービス業に従事している人としてはおかしいのです。特に病院内カフェですよ。最近、急速に人気が増している川崎市立井田病院にもドゥトールは出店しているし、大船の大病院にもドゥトールは、出店して居ます。病院に勤務している人は、この・・・・・処方箋が、置き忘れてあった・・・・・と、言うケースには、私以外にも遭遇していると、思われるのです。
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副題二、『相手方に立って、推察してみよう。真相は、どうだったかを、私が一回、自分を捨てて、敵方にまわって、考えてみる。すると、つじつまが合う、ケースが多数出てくる』
ではね、思い過ごしかもしれないけれど、一番悪いケースを想像して、こちら側の、事情に対して、相手方は、どう考えて居たかを、探って行きましょう。
私は四十代では、コーフィーをがぶ飲みして居ました。マグカップに一日に、六杯以上をミルクとお砂糖をたっぷり入れて、呑んでいました。考え事をするときに、・・・・・男だったら、ここで、タバコを吸うよね・・・・・と、言う時に、代わりにコーフィーを飲んでいたのです。すると、それを、消化できなくなったらしくて、ある時から、膨満感に襲われて、うんちも出ないと、言う事になり、とうとう、コーフィーをあきらめました。カフェに入って、コーフィーを頼まない時に何を飲むかですが、冬ならスープです。夏ならスープがないので、ほっとティーです。それ以外のモノも試しましたが、結局好きではないと、成りました。柚子茶は、中国製らしくて、薬臭いし、ピーチを使ったスムージーの類も人工香料の、匂いがして駄目なのです。ストロベリー味も無論同じ。ココアなら、自宅で飲んだ方が、こってりしているものを作ることができるし。
ここで、武蔵小杉の病院内の、ドゥトールで、冷水を出してくれたスタッフは、松井嬢と、名札には、書いてあったアラサーの眼鏡をかけた女性です」と、はっきり言っておきます。
彼女にメールで、私の顔写真を送ればいいですね。jpeg file は、どんなものでも、今は、スパコンに入るので、いくらでも、私の、顔写真は、採取できます。この件については、角野栄子さんと福島瑞穂さんが、直接会った日の前に、私の顔を把握して居て、いじめる様に支配できます。実際に、いじめを経験して居ます。
福島さんの方は、青山ウィメンズプラザで開かれた日本ペンクラブのシンポジウムでのことです。私は、日本ペンクラブの会員ではないのですよ。しかし、いじめるために、そこに誘い出す、そういう謀略もあるのです。その日は、雨宮処凛と、私を合わせるのが、目的だったみたいです。
雨宮処凛は、その日に、自分は、8っ本の連載を持っていると、豪語して居ました。彼女と、福島瑞穂さんが対談し、司会は、松本侑子さんでした。その日の午前中に、インターネット検索をして、彼女に在日の出自があることを一生で、初めて、私が知ったことへの、復讐として、私が、その会場にいる間中、福島さんは、7メートルの至近距離から、似た見つけてきたのでした。青山ウィメンズプラザって、前の方にしか、一般客用の出入り口がないので、入った途端に、注視されてにらみつけられました。福島さんは、私の顔を知っていたのです。13年は、前の事でした。
角野栄子さんとは、新橋駅の横須賀線ホームで出会ったのですが、綿ギャバジンでできた、イチゴ色のコートの、色があまりにも素敵だったので、「色の名前を教えてください」と、丁寧に丁寧に、下手に出て頼んだのに、無視され続けました。
2017年のあさイチで、初めて、私は、その色を知りました。それは、デザイナーででもあるご主人のつてもあろう、特注品の染色で、それを、イチゴ色と、呼んでいるのを知りました。
が、私が、質問をした時には、それをすでに、特注品として、開発してあったのに、教えてくれませんでした。「私は画家で、それは、カドミウムレッド系統で、少し、紫がかかって居ますね」とか言っても、無視し続けて、教えてくれなかったのです。で、私を角野さんがいじめたゆえに、大々的に、持ち上げられていて、深川育ちなのに、江戸川区で、隈研吾さん設計の記念館が建つそうですし、22日深夜、其の第一回目が、放映をされましたし、29日に二回目として、【カラフルな魔女の物語 ~角野栄子 85 歳の鎌倉暮らし~】が放映をされます。
で、22日のドゥトールに戻ります。彼女たち三人に、私の顔写真を見せて、かつ、「必ず、スープを頼むはずだから、そうしたら、サービス精神全開にして、此のコップを渡してほしいと、依頼命令をして置きます。あそこには、男の人が店長として、いますが、その人に命令をして置けば、彼女たちは、言う事を聞くでしょう。
其れは、三国屋善五郎の女性社員が、社長に、言い含められて、西原理恵子が、わざわざ、横浜まで、買いに来た、法事用のお茶に、結婚式用の熨斗紙を、・・・・・社長に頼まれた女性社員がわざと、つけて、・・・・・・つけて、うちの息子が、やめざるを得ない様にもっていったケースと全く同じです。
しかし、其の水の中に、新コロナウィルスが入って居ると教えたら、彼女たちは、自分達が感染してしまうと、恐れて、任務を、嫌がる可能性があります。で、「薬としては、統合失調症に効くものです。それが溶かしてあるのです」と、言う嘘をついて居たと、考えられます。「この人間は、統合失調症で、思い過ごしが激しくて、その毒牙は、鶴岡八幡宮様に、まで、及んでいます。だから、強制的に、この薬を飲ませたいのです。できるだけ協力してください」と頼んで、ついでに、「直前まで、このふたを開けないで、置いてください」と、頼んで置けば例のごとく、一時間ぐらいの間に、常温に戻った、ぬるい水を、私は、飲まされる事と、成ります。
そして、瞬間的に異常に気が付いて、私が、水を返した、事は想定外だったと、思いますが、その水の返却と一緒に、処方箋が入って居ても、彼女たちは、私の事を悪人だと、聞かされているので、親切にしてあげるのを、ためらっていたのでしょう。でも、私はトレイを返すときにスープだけは、テーブルに残しておいて、それを飲みました。ぬるい水を飲まされて、危険を感じたのに、スープを飲んだのは、NHKの心の時間で、山川宗玄氏のお話を聞いて、たべ物を、絶対に、粗末には、しない様になったからでした。たった305円でも、大切に、ゆっくりと呑んで、食器(又は、カップだった?)を返却場に返しました。その時はすでに、処方箋の、忘れ物に気がついて居るはずなのに、彼女たちは、注意してくれませんでした。其のまま、ずっと無視し続けて、返してくれなかったかもしれないのです。ただ、私が、相談窓口に行って、「新コロナウィルスを飲まされたかもしれないのです」と、言ったので、カフェのスタッフにも、親切に返却する様に、新しい命令が下ったのかもしれないし、いったん、忘れたことの報告を受けたものの、カフェではないどこか、別の場所で、秘匿されていたのを戻したのかもしれないし、売店ほかで、ひそかに、抜き取られたのに、大急ぎで、カフェに、それを返したのかもしれません。私は、それを受け取りながら、更に、不思議な感覚を抱いて、グッと、疲労感に襲われたのでした。
其れが、23日の、武蔵小杉での、話ですが、そこまで疑うのは、19日の、ハックドラッグでの出来事があるからです。そこは、鎌倉ですが、そこでの謀略を、謀略だと、見抜いているから、こそ、武蔵小杉の、カフェでの、対応をも疑ったのでした。
ただ、ドゥトールですが、経団連の誰かさんから、連絡が言って、急に、本日から全国の全店舗で、冷水のピッチと、紙コップを置くかもしれません。どういう変化が起きるかは、わかりません。ともかく、ドゥトールより前に、HAC鎌倉店・処方箋薬局部門で、19日に出会った罠を書くだけで、今、一生懸命努力して居るところです。
で、これから先、先に書いて置いた、19日の事を、更に丁寧に、語って行きたいです。
ところで、先頭から、ここまでを、26日に推敲、加筆をしています。下は、まだ、未推敲ですが、次の文章(磔刑のキリスト、と言う方)の、推敲へ移ります。
副題1、『私は、18日の夕方HAC DRUG鎌倉店 骨粗鬆症の処方箋を出したのだが、いわゆる警察の特殊部隊(ブルーカラーとしての、CIA軍団)が、金曜日の夜中に、盗んだのか? 土曜日に行くと、処方箋が、出て居ませんと、言われた』
ここで、ブルーカラーとしての、特殊部隊が、と言って居ますが、私は、2003年3月31日(丸の内中央郵便局内で)とか、2007年9月27日(渋谷郵便局二階で)とか、2013年8月10日(ワシントンホテル秋葉原内で)とか2014年6月4日(銀座から、日比谷まで乗ったタクシーの運転手として)同じ月の、13日(保土ヶ谷のネットカフェげらげら内で)とか、出会って居ます。2014年に、小林画廊前で、停まっていたタクシーの運転手とは、2003年3月31日に、丸の内中央郵便局のロビー内で、若い女性と二人で、何もしゃべらないまま、歴史の勉強をしていた白髪の男と同じです。
渋谷郵便局の二階に、2007年の9月27日に現れた男は、その次の、秋葉原のホテルで、フロントに電話をかけて、貸しパソコンを、頼んだ際に、自室まで、持ってきた男と同じです。
その時々に、丁寧な、文章を書いて、説明をしていますので、リンク先を見付けようと思えば、見つけられるのですが、今はそれをやらないで、先へ進みます。
ただ、HAC DRUG 鎌倉店で、2020年12月19日の夜に、ひどく驚かされた話は、前報
今日は関東労災病院へ行きます。薬局HAC鎌倉店が、異様な形で処方箋を紛失したというからです
に、ちょっと書いて居ます。それは、全然、充分ではありません。しかし、わざとそうしたのです。というのもあんまりきちんと書くと、今度は、労災病院に手が回って、処方箋が再発行されない可能性もあるからです。それほど、彼等は、意地悪をします。平気な形で、弁護士、お坊さん、お医者さん、を使役して、そちら側に取り込んでいます。が、薬局で、あれこれ、異常があったのは、今回で二回目です。
この想像ですが、まず、我が家には、多数回の泥棒が入って居ると、繰り返し語って居ます。安野家の飼い猫が、(それは、主人が入院中の話でしたが)二階に、私と我が家の猫が居ても入って来る(おおきな鈴が、猫出入り口に下がっているので、音でわかるので、階段を下りて行ったら、確かに我が家の一階に入って居た)ので、安野夫妻は、合いかぎをもう持っているのだと、それが、確信になったと、語って居ます。それと、大原光孝と、言う人物も合いかぎを持っているでしょう。
そして、なんと、鎌倉駅おもて口の改札傍に置いてある、図書館の返却ボックスから、演劇界、2006年11月号も盗んだのです。それが謀略である、どうして、こうしてと、詳細に、書いて居ると(無論、主人が退院してからでしたが)今度はそれを、横浜銀行鎌倉支店内に、借りている、二つの貸金庫の内、殆ど開けない方の、下の方に入れてあったのでした。それを発見したのは、9月です。それほど、そちらの方は開けません。でも、二つも借りているのは、余りにも激しい泥棒の、侵入に備えてです。金目のものを取るというよりは、彼等が狙うはずだと、思うものを入れるためです。上から番号を振ってあるので、若い番号程、天井に高くなるので、脚立を使わないといけないので、開閉をしない、形で、使います。そちらには、納税用の領収書を入れてあります。それは、想像通りでした。次期申告のものは、金庫に入れておくのですが、申告した後の、ものは、自宅に持ち帰って、本箱の下段に入れて居ました。5年間は、取っておかないといけないからです。しかし、そういう古いものが無くなって居ました。本当に泥棒が入るのです。
で、仕方がなくて、浜銀に、一つ、22500円を出して、借り続けているのですが、当然のごとく、中身は点検をされています。で、中身の報告を警察から受けた、例の、いまだ、生きている井上ひさしが、金目のものが入って居ねえやと、考えたらしい、ので、それをからかうために、一芝居打ちました。
一番下段(少し、幅が広い引き出しになっている)に、金のインゴット、6キロ棒を、四本入れているお客を、作り出して、その中身を私に見せつけると、言う子芝居です。ある日、私が、金庫室に入ると、女子行員の制服を着た若い(ただし、アラフォーだと見えるが)女性が、「きゃーっ。何々さんって、すごいですね」と嬌声を挙げているのです。で、それには、驚かされて、思わずそちらを見ると、彼女もお客もしゃがんでいて、20㎝ぐらい引き出して、床に、一部をくっつけている引き出しの中身を見ているのでした。すると、映画【まるさの女】で、大量に使われていて、金の六キロインゴットが、4本入って居るのが見えました。
しかし、其の男の服装が、富裕層のものではない、というのと、浜銀のスタッフ(女子行員)が、それほどの矯正を上げるはずが無いのです。今は、事務スタッフもすべて、大卒を採用していると思われます。銀行が採用するのは、いいご家庭出身で、頭もよくて、しつけもきちんとして居る女性たちです。しかも鎌倉支店ですよ。三菱銀行の場合は、日本一預金高が多いそうです。それは、神社仏閣が定期預金という形で、大金を預けているからだそうですが、浜銀・鎌倉支店だって、残高は多いでしょう。神奈川県民にとって、浜銀とは、もっとも、おおきな銀行と言ってよいほどの存在ですが、その鎌倉支店ですよ。あんな下品な矯声を上げる上に、顔も下品な女性を採用して居るはずが無いです。
そのうえ、これが、子芝居だと、瞬時に分かったのは、富裕層って、金塊を買う際に、六キロインゴットなどでは買わないのです。二キロインゴットです。私の母が買って居た時代に、友人の従姉妹さんが、歯医者をやって居て、そちらにお招きを受けていたのです。そちらの私的玄関に、金業者が、御用聞きに来ていて、お医者さんが、「二枚ね」と、注文を出していました。母は、買うと言っても、一年に、二キロ一枚ぐらいであって、銀座の田中貴金属に出向いて、買って居ました。だから、御用聞きとして、金取引業者が、玄関先まで出向いてくるとは、どれ程に、お金もちかが分かります。当時二キロ金塊、一枚が、240万円ぐらいだったと、思います。今は、1200万円を超していると、聞いています。30年間で六倍になって居ます。というわけで、まるさの女に出て来た様な、パチンコ店みたいな場所ではない限り、六キロインゴットを、私有財産として、買う人なんていないのです。
その貧相で、服装も貧しい男性が、元サラリーマンで、退職金が、10年前に、7000万円出たと仮定しましょう。でもね。それほどの退職金をもらう人は、必ず、大学を出て居て、それなりの人品骨柄いやしからずと、言う顔をしているものです。あの六キロインゴットを見せびらかしてにやにやして居る男の顔とは、全く違うのです。また、退職金が、7000万円も出る様な階層だと、ボーナスも高額でしょう。で、資産運用は、40代から考え始めると、思います。すると、金塊以外の資産として、土地の登記簿とか、国債とか、各種生命保険の証書などを持っていると、思うのです。株の、資料を入れるのは場所を取りすぎますが、登記簿謄本と、国債程度は、入れているはずです。しかし、其の、偽の女子行員が、きゃあ、きゃあ、嬌声を挙げてほめそやしている、偽の富裕層の引き出しには、紙の形式の資産は、何も入って居なかったのです。かくして、井上ひさしが、考え出す、謀略の特質が、私には、しっかりとわかりました。で、自分の引き出しの中身もチェックされていると、言う事もわかりました。しかし、今の所、金庫を返却するつもりはないのです。もし、中身が無くなったら、浜銀に責任を問えるからです。
そして、鎌倉駅のロッカーもダメなのですよ。東京駅のロッカーもダメです。それも、詳細に、書いて居ます。ただ、今は、元文章のリンク先を見つけている暇が惜しいので先に進みます。
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副題2、『しかし、目の前に、アラフォー女性客が現れ、あれこれ、文句を言っているのだが、今まで、絶対に姿を見せなかった店長が、私の目の前、3メートルの所で、恭しく、彼女に対応をしているのを見た時に、あ、これって、デジャブーがあると思い至った。石春産業の道路補修工事の際に、我が家が、工事現場であり、その土地の持ち主が、我が家であるのにもかかわらず、石春産業の専務(社長の弟だと、聞いている)に話しかけている、私を完ぺきに無視して、その同時刻に安野家に向かい、恭しく、安野夫人と目くばせとあいさつを交わした時と、100%同じだった。・・・・・その石春産業の道路補修工事とは、私が書いて居る、アジサイ畑欺罔事件という、ほぼ、犯罪に等しい事の証拠隠滅を図るものだった。は、我が家に対する明瞭な犯罪である、私道部分のコンクリート打ちと、崖の無断崩壊の、証拠隠滅を図る工事だったのだが、・・・・・
石春産業の常務と安野智紗夫人は、見つめ合い、ウィンクさえしあったが?・・・・・三菱銀行、鎌倉市、神奈川県・・・・・雪の下黒物語の8
有楽町駅の禿頭・高橋某が、100%の嘘をついて、運賃を二重に取ったので、鎌倉の安野夫人(=CIA)の悪辣さがますます明瞭に!
他の、リンク先で、詳細を、書いて居ますが、本当にひどい話でした。で、これは、【アジサイ畑欺罔事件】というくくり(=シリーズ)で、詳細に書き続けて居ますが、安野夫人が、自分が、この山で、リーダー(まあ、はっきり言えばボスですが)になるための情報収集と、誰かを村八分して、そのスケープゴートを、苛め抜くことで、さらに、自分の権力を増す、そういう装置としての、井戸端会議を毎日開いていたのです。そのさなかを通るときに、「なんて嫌な人達でしょう」とはっきり、彼女たちに面と向かって言った人がいるほどで、この井戸端会議が、開かれていた、15年間は、本当に、引っ越しが多かったのですよ。私が知って居る限りで、総戸数20戸の内で、14回引っ越しがありました。
私がメルマガとか、ブログで、このいきさつを書いて居るので、やっと終わったのですが、1984年にして、既に、高校三年生の子供がいる母親にしてはありえない話なので、彼女が略奪婚の人だと、すぐわかったのです。この山には、子供がいない夫婦が、何組も居ます。で、子供がいる人は、わかっているけれど、渋々、従っていると、思いますが、前田清子さんだけは、実子が二人もいるのに、安野夫人を批判することが無くて、彼女の尻馬に乗って、当時、村八分の対象になって居た、藤本悌子夫人を苛め抜くのでした。藤本夫人は、見事な復讐策を思いつきました。前田家が、土地の異様な使用形態であることをついて、道路を使用させない様にしたのです。それが、雪の日の訴訟が起きると困るので、道路の真ん中に、自分宅のフェンスを作って、転ぶ人が出ない様にします・・・・・というものでした。
しかし、当時の道路は、幅が一メートル前後です。
これは、別の場所ですが、どれ程、狭いかと、言う事はご理解がいただけるでしょう。
その真ん中にフェンスを作るというのですから、ピアノもタンスも、リフォーム用資材だって、運び込めません。それで、私が、犠牲になって、自分の指導部分を提供することを、了承したのですが、何と、その工事人に了承をしていない、東北の崖部分の、削られてしまったので、起こった私は、その工事全般を了承しないと、言ってあります。その当夜、私は全戸を回って、賛同したかどうかを聞きました。が、前田家も、安野家をも含んで、どこも、崖を無断で、崩壊させる工事に賛成している人間はいませんでした。だから、その工事がもし、町内会会議で、決まったことだなどと書いてあったら公文書偽造です。五日白井さんに内容証明で、それを知らせておかないといけないと考えております。
その時の工事人は、びっくりして、崖を崩した土砂を、かまくら春秋窯の、西側において、盛り上げて、その上を、コンクリートで、補強しました。
しかし、そんな事をされても、私の被害は消えません。そして、ここを通る人、二軒は、危なくて、仕方がありません。上部は雨のために滑るからです。すべては、安野夫人の井戸端会議のせいなのです。それが、本当の子育てをしている人なら、高三に子供が到達する前に、当然にわかっている筈ですから、それが、わかっていないので、本当の母ではないし、「母親でございます」と誇示する態度に、余りにも芝居っ気が多いので、前の奥様は、彼女のせいで、死んでいるだろうとも想像して居ます。離婚をしたのちなど、普通なら、本当の親の方に逃げて行くはずなのに、いじめられることを知って居ながらも、この家に、お嬢さんが帰ってきていましたからね。道路を通っているだけでも、安野夫人が継子(30近い女性)をいじめて居る声が聞こえました。
それは、1985年に行われたので、土木作業員に頼んで、土留めを二段に分けて、作ってもらいました。上の写真は、崖の途中で、作ってあった二段目の土留めであって、木材で、できて居ます。右から三本が、太い、太い杭です。ここには映って居ませんが、左側にもあります。その後ろ側に厚さ、3cmぐらいの、太い板が渡してあって、土留めの作用を果たしていました。しかし、35年の間に全部崩れて居ます。土留めを構成して居た、板の、細胞の一つだって、残って居ません。当時、これを実行した中谷共二さんは、自分で、カリフォルニア大学卒だとか、羽田空港の燃料販売の権利を一手に握っていると、言って居ましたので、一種のCIAエージェントで会って、北久里浜の大詐欺事件を、友人と一緒に、引き受けた瀬島龍三に頼まれて、こういう事をやったと、見て居ます。
さて、昨日は、椅子に座ったまま、二時間寝ただけです。で、午前、二児から、ずっと、11時間これを書き続けて居ます。もう、やめないと、このブログの為に死にます。で、途中ですが、ここで、やめておきますね。リンク先は明日見つけてつけておきます。