非常に短い投稿としておきます。と、言って、書き始めたが長くなりそうです。ただし、この事件
=小田急で、男が暴れて、9人を刺したというのは、私狙いの謀略(犯人はリクルートをされてきた人間で、命令通り動いている)です。。
で、こういうことが企画をされた裏には、二つの側面(または、目的)があって、70%は、新幹線焼身自殺事件のリメークだということです。そちらについて、私が過去に書いたことが、あまりにも正しかったので、・・・・・今度の小田急刺殺事件の方だったら、一般国民だって、絶対に信じるさ。あの時は、少し、ばれる要素があったけれどね・・・・・と、彼ら(=いまだ、生きている、井上ひさしを裏の代表とする、鎌倉エージェントたち)は、うそぶいていることでしょう。しかし、本章では、そちらには、言及しません。だから、短くなるつもりでした。しかし、すたっぷ細胞疑惑とか、小室圭さん問題とか、ありとあらゆる政治的事件が関与してくるのです。で、それなりに長くなりそうです。
30%とは、刺殺が、始まったのが、小田急・成城学園駅だったという点が、はたと、思い当たるからです。そこで、事件が起こされているということは、その件で、私が最近書いている熱海土石流問題とも関連するし、昔書いてあった、舘野ひろおちゃんと、三輪喜久代さんが組んだ、対私への、恋愛に関するだましうち問題とも関連してきます。
舘野ひろおちゃんは、成城学園に通学していたのです。そして、その時の国語の先生が・・・・・なんとかかんとかと、言う形で、広い、広い、分野が関係してきます。リンク先は、日本全国に、また、日本現代史を、深く、さかのぼる形で、展開をしていきます。
三輪喜久代とは、ロンドン在住の大物CIAエージェントです。彼女が、すたっぷ細胞疑惑の発端であるNATUREへの小保方論文掲載の、働きをしています。彼女と、私と、ひろおちゃんは、1965年、ICU本館一階、西翼に在った化学実験室で、毎日、午後数時間を一緒に、三人だけで過ごした間柄です。それは、中島飛行機時代からの、化学実験室だったので、床の木部の、薬品の影響で、傷んでいたこと、傷んでいたこと。穴ぼこだらけでしたが?!?!?
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副題1、『今、私の大学同期卒の何人かが、問題となっている。舘野、ひろおちゃんもその一人であって、そのことには、10日ぐらい前から気が付いていた。』
:::::::::ここで、挿入に入ります。舘野ひろおという人物は、日本橋(室町)に本社のある、大きな企業、竹本油脂の社長だった男性です。
舘野君は、江戸時代から続く創業者一族の人です。で、上皇后・美智子さまとは、同じテニスクラブのメンバー(軽井沢でも、同じコートを使っているだろうし、東京でも同じコートで、試合を、し合う間柄でもあろうし)でもあり、それ以外でも交流のある間柄です。
それでも、ひろおちゃんと呼んでしまうのは、名前の正確な漢字が思い出せないときがあるからです。たぶん、浩雄だと、思うのですが、不確かなのです。名簿をひっくり返せばわかるのですが、一番近い場所(=このパソコンから、2mの距離にある引き出し内)に置いてあった伊東屋の、布装の大型ノートで、作ったものが、2020年の夏の白内障手術の際、夫婦そろって、武蔵小杉で、宿泊したので、盗まれてしまって、知人の正確な名前を探るのが、面倒になったのです。できないことはないのだが、時間がかかる様になったので、手を抜いて、ひらがなで、表記をしています。
それと、舘野ひろおさんは、ほかの人もそういうが、私もそれを知っている様に、やさしい人なのです。今、思わず、彼が優しい人であると、感じたエピソードをいくつか、思い出して、つらつら、書きたくなってしまいました。が、本筋から、どんどん離れていくので、無理にでも、口にチャックとさせてくださいませ。
ともかく、ゴマ油を売っている会社が、かどや製油、九鬼と、合計三つあります。だが、その中で、かく段に大きいでしょう。なぜかと言うと、界面活性剤を扱う、化学企業となったからです。
今グーグル検索で、日本で、界面活性剤を作っている企業を、検索すると、一部上場企業数社を抑えて、竹本油脂が、三番目に出てきた。大きいのだ。個性というか独自性の強い高砂香料などと、通じるところがあると、思っている。非上場なので、あまり詳しい説明がないが、それでも、売上高だけを見ても、かどや製油の二倍以上がある。
だから、私と彼と、三輪喜久代さんは、1965年の秋には、毎日午後、数時間、化学実験を、別々のテーマだが、同じ実験室で、行う間柄と、なっていたのです。:::::::::ここで、挿入を終わります。で、小田急で、2021-8-6に起きた刺殺事件に戻ります。
今、・・・・・館野ひろおくんという、1962年国際基督教大学入学、及び、1966年卒の、私の同級生を思い出せ・・・・・と、言うテレビ番組が続いています。で、そこから、連続している、ライン上に、この刺殺事件もあり、舘野君を思い出せと、言う連中の暗喩だと、推察しています。
それに気が付いたのは、新日本風土記が、非常に古い番組である【軽井沢、篇、2011年10月14日放映(?)】を、ごく最近放映をしたことでした。それがきっかけとして、最初に気が付きました。
どうしてかというと、舘野ひろお君は、今、某所(わたくしが場所も固有名詞も知らない・・・・・ただし、たぶん、老人ホームであろう)にいて、奥様の方は、軽井沢にいるそうです。
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副題2、『それを教えてくれたのは、不二子(ふじこ)さんというAFS経験者だった女性で、お茶大付属高校では、一年上の入学組の人であって、普段は、ほぼ、クラス会には、来ない人であった。60年間で、一回か、二回しかあったことがない。それなのに、2018年の同期会にだけは、出席していた。大学の方は、彼女は現役で、入学し(国際キリスト教大学ですよ)、私が、浪人をしたので、学年は、一期、私が下である。
こういう形で、友人関係を持っていたのは、どかん(あと注1)が、一期下の高校と大学の同期生として、しかも、寮が同じだったという形で、ものすごく親しい。榊原節子さんも同じ。節子さんの方は、美智子さまと、いとこ同士だから、当然、ひろおちゃんとも、顔見知りの筈である。ただし、節子さんは、テニスはしない模様であって、そういう意味では、ひろおちゃんとは、それほど、親しいとは思われない。二人は、お互いに親しいことは、他人には見せていない。
しかも、どかんの方は、今、それに主に取り組んでいる、北久里浜の、実質的大詐欺事件=地積変更届(書類が整っているので、犯罪化は、できない)の、起きた時に、私を助けてくださった、東京の有名弁護士のお嬢様である。そういう人たちのことを描いている最中だった。したがって、例のCIAエージェントたちに、・・・・・川崎千恵子の、国際キリスト教大学時代の友人を探して、それを使おう・・・・・と、言うアイデアを、生み出させてしまった、可能性がある。
20代の不二子さんと、言うのは、スポーツで、日焼けをしていて、肌浅黒く、バターぽいつやつやの肌だったが、ほぼ、40年ぶりか、50年ぶりで、出会った彼女が、まるで変っていたので、驚いて、隣の人に、名前を確認したほどだった。それほど、交流がないのにもかかわらず、彼女は、散会時には、つかつかと、私に、近寄ってきて、「あのね。舘野君って、今、福祉施設にいるのよ。奥さんの方は、軽井沢にいる」と、言った。
私が驚いて、目をまん丸くすると、不二子さんは、なぜ、私が驚いているかの、部分的な解釈は果たして、「あのね。私、舘野兄弟とは家族ぐるみで、仲良くしているの。だって、お姉さん(兄嫁)と、親しいからよ」と、補足説明をした。彼女は、それだけを言うと、風の様に去っていったが、私は、ちゃんと、その部分も、ほかの部分をも、理解はした。舘野兄弟は、二人ともICUに学んでいて、ひろおちゃんは、ICU卒以外の女性と結婚をしている模様だが、お兄さんの方は、ICU卒の女性と結婚をしている。で、舘野兄弟二組、+鈴木不二子夫妻、また、さらに誰かが、加わって、日本における隠された社交界生活を凌駕していた可能性があるのでした。
しかし、私があっけにとられたのは、ほかにも、5つぐらい理由があるのでした。そのうち、もっとも、語りやすいものから、政治的な、解釈を始めましょう。
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副題3、『不二子さんが、その日、八芳園で、放ったセリフは、すべて、原案は、鎌倉エージェントが練ったものであり、大前勇介さん(研一さんの兄弟か、いとこの筈)などを通じて、不二子さんに、吹き込まれたものだと、推察している。特に、ここでは、福祉施設と、言う言葉を、問題にしたい』
「舘野君の、施設への入所は、あなたに責任があるのよ」と、不二子さんを通じて、敵さんが暗喩したかったことでしょう。それは、わかっていますが、それについては、北久里浜の大事件から、解き明かさないといけないので、どかんのエピソードの続き(あと注1)とか、ターちゃんママのエミール(ルソー著)信奉の話という今、書きかけ中の話題に入っていかないと書けないのですが、小田急電車内で、死傷事件が起きた今、少しでも、書きやすいところから、書いていきたいと考えて、福祉施設という語彙を問題にしたいと思います。
舘野君の母親とは何代か前に、竹本家から舘野家へお嫁入した、創業者一族ですから、非上場といっても、相当な株式を保有している筈で、したがって、その配当だけでも、今でも、富裕層であることは、間違いないでしょう。で、彼が私が彼に関して書いた、ブログ文にショックを受けて、循環器系の病に倒れ、半身不随になったり、していても、入所しているのは、その2018年当時、老人ホームであるはずです。
老人ホームには、母が入っていたので、感じ取っているのですが、普通の人には入れない場所です。やはり、富裕層が利用する場所です。この山でも、明治生まれ、または、大正生まれの人が入っていた可能性を感じ取っていますが、昭和生まれの人は、入っていない模様です。それだけ、明治生まれとか、大正生まれは、年功序列制度の恩恵を受けているということでしょう。ところで、それは、お金の側面でのみ語っているのですが、精神面を語ると、老人ホームは、周辺の人にとってはありがたい施設ですが、入居しているご本人にとっては、牢獄です。自分のものが持ち込めません。で、趣味の生活など、ほとんど、そこでアウトになります。
で、このご近所様でも、昭和生まれ世代は、老人ホームにはできるだけ入らず、訪問医療を利用して、最後を迎えるという形らしいのです。その方が幸せです。
で、私は不二子さんのセリフを聞いたときに、まず、ひろおちゃんの、奥様へ対する批判の思いを抱きました。『え、ひろおちゃんって、まだ、75歳なのに、老人ホーム=牢獄に閉じ込めちゃうの?そして、奥様は、軽井沢で、羽を伸ばす。あら、いやだ。いいとこ育ちの、お嬢様奥様って、・・・・・ああ、よかった。自由になれて・・・・・・と、言って、大賀ホールに通ったり、セゾン美術館に通ったりしているのかしら? ダメねえ、苦労知らずの人って、忍耐することを知らないから』と、思いました。
もちろん、軽井沢にある施設に入れて、奥様は毎日見舞いに行っている可能性もあります。しかし、軽井沢には、高級な老人ホームはないはずです。東京の自宅を売り払って、100%安中榛名などに移住をしてしまった(元・部・課長級のサラリーマンである)人たちには、夫婦で、ひと月、50万円を支払う余裕はないからです。で、高級老人ホームに入る余裕はないはずです。特に昔からの軽井沢住民は、東京都内にも、ダブって自宅がある人たちだから、東京で、高等な病院にも入院できる高級な施設に入りたいと、願うはずです。
ともかく、舘野君が入っている施設を、福祉施設と、呼ぶのは、ニュアンスが違うだろうと、思いました。
小田急狛江駅のすぐ近所に、ベネッセが、経営する、高級な老人ホームがあるので、そこかしら?と、思ったりしました。舘野君は、成城学園に、通っていたので、小田急・狛江駅には、なつかしさがあると、思うのです。
周辺の人が、「川崎千恵子が、舘野君を病気にしたんだ」と、言おうがなんと言おうが、私には、一抹の自信があるのです。舘野夫人、三輪喜久代さん、不二子さん、時には、お嬢様二人と、比較しても、私の方が、人間理解力があり、しかも、宗教的高みに、今では、到達しているので、彼は、私と話していて、楽しいだろうという自信があるのです。
で、その理由については、次の章で、語るとして、ともかく、老人ホームを施設と呼ぶのは、2008年当時の、104の、応答に憤慨した私が、たぶん、一章を、それに当てて、ブログを書いているので、わざと、その語彙に固執をしたのだと、おもいます。
104を利用したのは携帯を持っているが、私が持ち歩かない主義だからです。もし、携帯して家を出ると、行く先々でGPS機能を利用して嫌がらせを受けるからでした。で、老人ホームにいる母に伝言を頼みたい時があったのです。それで、母が入所している施設の名前を104に言うと、「その番号は、03-〇〇〇〇ー△△△△です」と答えるのが普通でしょうに、「福祉施設の、まどかみなみですね」と、104の、担当女性が、特に福祉施設という部分に力を入れるのでした。
月に25万円支払っています。それなりに、良い待遇をしてくれたと思います。でも、母が家に帰りたがったのは、家なら、入所直前まで、パソコンを開いて、株式投資をしていました。女性には、普通は許可されてはいない信用取引まで、していました。そういう種類の自由がなくなるので、いやだったのです。
でも福祉施設って、聞くと、白いカーテンだけが下がっている8人部屋で、金属製のベッドに手を包帯ほかで、縛り付けられて、自由がない入所者の姿などを思い出しますね。だから、その言葉を聞くのは、非常に嫌でした。特に義理の父が、東京で、急に循環器系の病を発症して、吉祥寺の病院へ、救急搬送をされました。
兄たちは、個室用の別料金を支払っていたと、思います。しかし、父は、手を包帯で、ベッドのへりに結び付けられていました。父は、歩けなかったけれど、頭脳は確かだったので、私は、その包帯をほどいたうえで、「お父さん、おむつ取り換えましょうね」といいました。おむつの中には想像をして居た通り、柔らかい便がありました。
父は、それを気持ち悪がって、手が自由だと、外してしまうのだと、思います。ナースコールを呼び出して、おむつを取り替えてもらえば、いいのですが、経済的な問題から、一日に三回とか、四回とか、病院側が決めているのだと、思います。父はおしりがきれいになった後で「千恵子さんは、慈母観音のようじゃのう」といってくれました。
ほかに三人のお嫁さんがいますが、こういうことは、やらなかった模様です。・・・・・人間は、お顔ではないですよ。それと家柄だけでもない。・・・・・と、舘野君に言ってあげたいです。
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副題4、『舘野君について書いた文章で、彼が、傷ついた可能性があるのは、以下の三点だ。取り上げやすいというか、リンク先を見つけやすいのは、NHKのホーム頁を装って、雅子さまご愛用の化粧品があると、言う、そういうサイトが、私のパソコンに何度も浮かんだ件だ。
これは、むろんのこと、舘野君自身がやっていることではない。桜田門にいる、IT専門家か、古村浩三君がやっている。しかし、何を目的として、こういうサイトが浮かぶのかと考えると、『舘野ひろおについて何かを描くな。例えば、雅子さまが、愛用している化粧品(超高級なもので、一般庶民相手の商売はしていない)を、作って売っている舘野ひろおの顔の広さたるや、お前なんか、想像もできない世界なんだぜ。日本の社交界の、中枢にいるんだ。引っ込め。舘野ひろおについて書くな』と、言われていると、感じました。
しかし、そんなことにめげて、引っ込んでいたら、私は、とっくに死んでいるでしょう。または、殺されているでしょう。だから、逆ザヤを張ります。だから、きちんと因果関係を分析しました。その一章の評判をどこかから聞いたら、舘野君は、困ったでしょうね。自分がやったことではない。古村君か、警察庁の特殊部隊が行ったことです。しかし、この人間たちは、姿を、表には題していません。だから、私は、この化粧品は、竹本が作っている界面活性剤を、原料としている可能性があると、書きました。(あと注3へ)
舘野君は、普段は、私のブログを読んでいません。しかし、この文章だけは、会社そのものに関することだから、当然に彼の耳に入ったでしょう。で、彼は、本来なら、私に抗議をしたいと思った筈です。共通の知人が何人もいます。もし彼が、知らなかったとしたら、それらの人に聞けばいい。このサイトの問題点は、将来皇后になる方が、一化粧品の愛顧者だと、言う点で、偏波がある点です。
しかし、お兄さんから、「川崎千恵子には、連絡を取るな」といわれていた可能性があります。私は、すれ違っただけで、相手が何を考えているか、何を目的として、今暮らしているかが即座にわかる人間です。
もし舘野君から、実際にお電話がかかってきたら、こういったでしょう。「あ、電話では話せないことがあるのよ。京橋のペンステーション(カフェ、今は、無くなっている)で会いましょう」と。もし彼が、「いやだ。今ここで決着をつけたい」と言ったら、会話が始まります。でも、三分も話したら、私には裏側がすっかりわかってしまうでしょう。私は、2014年の11月のある夜、宇都宮和代さんに電話をかけて、「あなた、栗田玲子さんを知っている?」と、聞きました。すると彼女は、「知らないー」っと、電話内で、大声で叫んで、即座に電話を切りました。でも、その一言から、膨大な文章を紡ぎだしています。
では、舘野君みたいに、私が、ひろおちゃんと、呼んでる程の親密度を示している相手なら、どうするべきでしょう。私は、会うべきだと、思います。そして、二人が納得できる妥協点を探ることしかないと思います。
ともかく、一番、良い防衛方法は、対私へのひっかけとか、わなとか、いじめとかを発案しないことです。そして、そういうたくらみに自分が、実行者として、利用をされないことです。
しかし、舘野君は、私に直接会うことをお兄さんから、禁じられていたと、推察しています。お兄さんの後ろには、大前友介さんがいたでしょう。で、ディレンマに陥った、舘野ひろお君が、循環器系の、特に脳の病気を発症したと、考えられます。これが、第一点です。
この続きは、明日8日書きます。お待ちくださいませ。
@@@@@@@ここが書きかけ中の最先端です。
NHKの4つのチャンネルのどこかの、番組の後ろに、そっと引っ付けておいて、その前の番組名で録画をされていたのでした。鉄オタ選手権だったかな? または、中井精也の、鉄道写真の番組だったか?いや、消し去ってしまったので、わかりません。新聞のラテ欄を見ても、わかりません。
NHKアーカイブスを見ると、選とあって、確かに三回前の、放映で、軽井沢があったと出ています。
ラテ欄には、金曜日の朝八時から、柳川という記述があって、一時間番組となっています。新日本風土記は、30分番組の筈です。しかし、新聞には、予定が出ていなかった、日本目が合って、それが、軽井沢だったのでしょうか?