銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

「もう、打ったから、近々旅行をするつもりです」という女性には唖然としたが・・・・・それが、私のワクチンバリアーを溶かした。

2021-08-12 21:07:17 | 政治

 これは、最初とろとろと、進行します。しかし、副題6あたりから、非常に恐ろしい話題へ入っていきます。

副題1、『私は、なぜ、この三日間ブログを更新しなかったか?』

 さて、私は、体を守るために、ペースを落とすと言いました。しかし、異様なニュースに追われ切っていて、ペースを落とすことが、できないのが、この20年間だったのですが、オリンピックが、有ったので、ニュースの時間がそちらの方に大幅に取られるので、異様なニュースの起きる頻度も下がっていて、ずいぶん余裕をもって生活することができました。

 預言者として、それを言ったら、憎む人が大勢出てくると思っていたので、申し上げませんでしたが、オリンピックは無論やるべきではないし、GO TO TRAVELも、やるべきではなかったと、ずっと、思っていました。

 ところが、つい、5日くらい前(または、一週間前)に、誰かが、「GO TO TRABVEを、復活させよう」と、言ったらしいですよ。ネットで、みつけたのですが、コピペするべきだったでしょう。しかし、あまりにもばからしい提言だったので、コピペしませんでした。だれか、自民党の要人、または、大臣だったと、思います。政府、の要人すら、真実がわかっていないこの国が、これから、どうなっていくのか、予測はついていますが、マイナスの事は、言わない主義です。

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副題2、『私は新コロナウィルスワクチンに対しては、全く関心がなかった。だが、主人が、申し込んでいた。それでも、自分は、申し込むつもりがなかった。というのも、4月ごろ、ある知人(横浜市在住で、昔病院にお勤めだった方)に聞いてみたら、「私もまだ打っていないわ。配布は、だいぶ遅れるらしいわよ」と、教えてくれたので、鎌倉市なら、さらに遅れるはずだと、思い込んでいて、全く関心を失っていた。

 自分自身は、用事で、しょっちゅう電車に乗って、外出していたが、感染については、非常に用心をしていて、小型の、ボトルにアルコールを入れて持ち歩いていたし、よほどあつくなる前までは、手袋(ただし、木綿のもので、ホームセンターで、売っている白いものを、染めて、洋服に合わせた色にして)、ずっと、使っていたし、外出先では、必ず、ミネストローネスープしか注文をしなかったのだった。

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副題3、『私は最近、外食の際は、ミネストローネスープしか注文をしないのだった。それは、たいてい、あっつ、あっつだから安心で』

:::::::::::::::ところで、ここで、挿入に入ります。【日本のサグラダファミリアと、言われている横浜駅】の工事がとうとう終了したみたいです。

 このブログを長らく、連続して、お読みになっている方には、申し上げますが、ダイヤモンド地下街が、ジョイナスと、名前を変えて、リニューアル態勢に入っていました。それが終わったので、とうとう、日本のサグラダファミリアも、その命名を返上することになるのでしょう。

 ところで、これは、スピンオフ中のスピンオフですが、その地下街の、工事は、西隣の、白井達雄さんが重役にして、横浜支店長をしている、松田・平田設計事務所が、請け負っていたはずです。ただし、京アニ放火事件以来、(近大付属病院が、BCS賞を授与されていることから、演繹していって)西隣の白井さんの、勤務先がわかって、それを、自分の身を守るために、何度も、このブログの世界で、使わせていただいているので、かれは、すでに、転籍しているかもしれませんが?!?!?・・・・・というのも、私がブログで、書いたことはすべて、無かったことにしようというのが、鎌倉エージェント(CIAエージェントたち)の主義ですから。

 でも、そのリニューアル工事も終わって、さらに、もっと大規模な、リニューアル工事である、昔、CIALと、言っていた、もっともホームに近い駅ビル部分が、リニューアルされて美しくなり、中央改札内・通路から、そちらに出る出口が一つできました。チャージ済みのスイカ(または、パスモ)でしか、通れませんが、ずいぶん便利になりました。

 まあ、文体が、しょっちゅう変わって申し訳ございませんが、自分が関係している事は、会話帯で、語りたくなるし、自分が関係をしていないこと、特に政治的なことは、文章体で、語りたくなります。それは、お許しくださいませ。

 さて、横浜駅の、ほぼ、60年に及ばんとする長い長い、工事期間が、終わって、旧東急ホテルが無くなって、旧京急ホテルみなとみらい(そこで、息子が立派な結婚式を挙げたのですが、経営権が移動した?)に移転をして・・・・・

 旧東急ホテル部分は、JRタワー横浜オフィス棟(26階建て)になった模様です。そこには、どういう企業が入ったのでしょうか? ともかく、竹中工務店施行の、相当に、高級感あるビルで、商業施設の方を、NEWoManと、言い、12階建ての模様です。

 私は白井さんの勤務先がわかる前までは、ありと、あらゆる工事現場で、その工事をどこが請け負っているのか、塀に、張り付けてある、建築確認の掲示板を穴のあくほど、見て歩いていたので、相鉄のシェラトン・タワーが、松田・平田設計事務所の管轄であり、

 対抗するかの如くタワー化した、JRタワー横浜が、竹中工務店の設計施行であることは気が付いていたのです。ずっと前からの話です。

 私が小学生の時は、横浜駅って、上野駅とそっくりな四角いビルが、東口にあり、そこに、崎陽軒のビルがあるだけで、ほかには、何にもない場所だったのです。ヨコハマの中心は、伊勢佐木町だったのです。しかし、そんな、東口にあった崎陽軒ビル以外は何にもない、特に何もなかった運河だらけの西口の方を開発して、たぶん、日本一の商業タウンにしていったのは、相鉄の、企画力です。相鉄の企画力は高いです。

 日本一というのは、集約力で言っています。銀座より狭い場所で、相当な売上高を誇っていると思いますよ。新宿よりも、もちろん狭いです。池袋?は、私自身があまり詳しくはないですが、新宿は面積が広いです。だから、坪単価の売上高は、横浜駅周辺が全国一だと思います。渋谷の商店街が、ヒカリエなどと、タワー化していったので、それで、集約力が高くなったので、渋谷には負けるかもしれません。ただ、渋谷は、わかりにくいですから、私は、利用したくないけれど?!?!?

 雑誌SUUMOが特集する住みたいまち、ナンバーワンが、最近、横浜駅周辺だと、言われるのも道理というほど、便利です。私が数えたところ、商業モールというか、商業ビルというか、商店街というか、が、13もあるのです。そして、最後の工事現場だった、JRタワーも、地下一階から、地下三階までは、旧モール名CIALを、そのまま残してあります。が、内容は、ぐっと、高級化しています。

 ただ、私自身は、最近では、武蔵小杉が好きになっています。園芸用品を含めて、高い値段のものから、安いものまで、狭い地域に、全種類売っているし、図書館の大きなものもあるからです。横浜駅には、図書館と美術館がありません。そういう文化の匂いのするものは、関内とか、馬車道とか、みなとみらいにあるのです。

  その、横須賀線からの、最短出口のすぐそばに、TOM CAT というベーカリーができて、ここのスープはおいしいです。トマト味の方には、あさり、クリーム味の方には、牡蠣が入っていてね。最近の外出で、横浜駅で降りる時は、必ず、そこで、トマト味スープを注文をしていました。ところが、最近、売っていないのです。「夏は、売らない」んですって。ただし、それは、口実にしか過ぎなくて、私の尾行者が、すべてのポイントで、意地悪をしようとしているので、売らない様になった可能性があります。

 エクセルシオールとか、ドトールも、夏は、スープを売らないそうです。

 こっちも、私が、・・・・・2020年の12月に武蔵小杉のドトールで、新コロナウィルスを、水(ぬるかった)に入れて、飲まされた(後注1)・・・・・と、言っているので、売らなくなったのだと、思います。

 で、スープがない場合は、熱いお紅茶と、パン(ピザの様に、できるだけ、熱を入れてもらえる形のパン)で、済ませる様にしています。外で、口に入れるものは、殺菌済みのものしか、注文しない、形にしています。

 で、そういう風に防衛しているから、現在の、フランス人(ワクチンの強制接種に反対して、デモをしている)みたいに、新コロナウィルスワクチンを打たなくても、感染しないという気分になっていました。

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副題4、『私が、宗旨替えをして、ワクチンを接種したのは、横須賀線車内において、隣のマダムが、或る旅行雑誌を熱心に読んでいて、「それは、何ですか?」と、質問をする私に対して、「これは、【旅行読売】です。近々、旅行をしようと思っているから」と言ったからだった。

 本当に唖然とした。で、私は「ワクチンは打たれたのですか?」と質問をすると、「ええ、とっくに」と彼女は答えた。で、私は、彼女が乗ってきた駅が、鎌倉だったか? 大船だったか?を、必死になって記憶を探った。ただ、大船駅で3~5分間、時間調整をする間には、すでに、【旅行読売】を読んでいたと、思うので、次に、「鎌倉の方ですよね」と念を押してみた。すると、彼女は「ええ、そうです」と答えた。

 私は、左目だけを使って、彼女の品定めをした。『あれ、おしゃれじゃあないなあ。ずいぶん平凡な形と、平凡な色の、洋服を着ている。ただ、形としては、古いものではないから、最近買ったものでしょう。最近お洋服を買ったことと言い、こんなに高齢で、年金暮らしの筈なのに、いそいそと、夫婦で、旅行へ行くほどなのだから、夫は、一部上場企業の、部長以上で定年退職し、金銭的には、今現在も富裕な人の筈ですよね』と考えた。けど、そういう上級な日本人が何も考えていないと言う事には、唖然としたのだった。

 鎌倉には、高齢で、しかも、超、おしゃれなマダムが、たくさん、いる。私は、高価なものは着ていないが、さすがに画家なので、頭のてっぺんから、つま先まで、色の合わせ方には、気を使っている。ので、他人から見て、おしゃれに見えることには、自信がある。

 だからおしゃれな人を見かけると、(気後れしないで)、言葉がけをする。そうすると、相手から、女性の生き方の、コツとか、秘密を教えてもらえる。おしゃれな人って、自分固有の哲学を持っているのだ。で、古くても、上等な品質で、自分にピッタリと、似合うものを着ている。私の方も、「そうですよね。昔のものの方が、材質がいいですよね。だからなかなか捨てられない」と、自分の考えを、言ってみたりする。で、お互いに共感をしあって、三分か五分だけだけど、話が弾む。

 そういう個性的な、ひとに比べると、あまりにも平凡な感じがする。そして、NHKニュースが報道をしていることを全く疑わないらしい。または、菅義偉・現首相が、率いる、自民党内閣の、方針にも、一豪だに、疑いを抱かないらしい。

 『へえー。こういう女性も鎌倉にはいるんだ。驚きましたね』と、思って、それ以降は、彼女とは、言葉を交わさなかった。

 これが、日にちの方は、正確には、特定できないものの、期間は、特定できる。6月18日から、24日の間の、どこかなのだった。どうしてそれが判るかというと、あまりにも、ノー天気な彼女の毒気に、あてられて、私もついつい、ワクチン接種に、動き始めたからだった。

 私には、その時点で、現在の、・東京都・五千人超え・とか、・神奈川・1500人超え、とか、・医療のひっ迫・とかは、見えていた。だから、そういう流れに巻き込まれ、飲み込まれても仕方がないと、言う一種の覚悟を決めていて、悲壮感というバリアーに囲まれていたのだけれど、そして、ワクチンも打つつもりがなかったのだけれど、

 その「近々、旅行をするつもりだから、旅行読売の最新号を、今、読んでいるのですよ」という、ノー天気マダムから、吹き付けられた、爆風みたいな物によって、全身を、こごらせていたバリアーの氷も、解けてしまった。

・・・・・と、言う感じなのだった。・・・・・あ、そう、これが、一般の日本人の姿なのですか? それじゃあ、私もね。ここでは、一般の日本人のひとりと化して、あまり深くは考えないで、申し込んでみましょうか・・・・・というのがその時の、正直な気持ちだった。

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副題5、『主人のワクチン接種の流れを見てみよう。5月中に鎌倉市から、接種の案内が、夫婦別々の封筒で、届いていた。主人の方は、すぐ開けてみた模様だった。そして、日時は、指定をされておらず、こちらから、鎌倉市に電話をかけて、日時を決めることと、言う話だそうだった。

 私はその時点では、旅行予定マダムにも、出会ってもいないわけで、全く持って無関心であり、自分あての封筒を、開封もせず、ただ、無くさない様に、または、泥棒に、盗まれない様に、丁寧に、保管を、しておいただけだった。

 しかし、主人の方は、旅行などは、企画しないものの、普通の日本人の一人だから、6月の11日になって、鎌倉市側に電話をかけた。すると担当吏員は、「すぐには申し込めません。一週間後に、もう一回、電話をください」と、言ったそうだ。で、17日に再度、電話をかけると、今度は決定日時を教えてもらえた。それは、17日から、17日間後の、8月4日(日)に設定をされた。

 そういう経過を傍で、いちいち聞いていた。その後、【旅行読売】を電車内で熱心に、読んでいた女性に出会い、急に、世の中に、沿って生きること(=菅内閣の、方針に隷従すること=)へと、方針を変えて、私も、鎌倉市に電話をかけてみた。

 すると、主人とは、全く異なって、一回目の電話で、すぐ、申し込みOKとなって、しかも、あれほど、待たされた主人とは、たった、三日間しか差がない、8月7日に設定をされたのだった。

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副題6、『私のケースだが、二回目の接種が、7月の27日に、もう、済んでいる。そして、二回目の接種後の後遺症として、蕁麻疹が出て、とてもかゆかった。しかし、それも、皮膚科に行って、塗り薬と飲み薬を処方していただいて、8月5日には、峠を越えたと、思っている。だから、以下を、語り始めるのだけれど、裏で、対・私用に、相当に恐ろしい計画が練られていて、かつ、実行をされたと、考えている』

 私はね。たまたま、主人が待たされた、23日間という時間を知ったうえで、6月の22日に、鎌倉市に電話をかけています。主人の方が、23日間待たされて、私の方は、14日間しか待たされていません。これを私は、頭の隅で、不思議だなあと、考えていました。

 しかし、NHKが、今週に入って、特に、火曜日から、「ワクチンを、接種しない若い人が増えている」と、報道をし始めました。原因やら理由は、「若い人が、SNS上に拡散しているデマを信じて、それ(=不妊になる)を、恐れているからである」というニュースです。そして、大々的に、報道を開始されたのは、10日からの筈です。もしかすると、9日だったかな?

 ともかく、ニュースウォッチでも、丁寧に、取材をしているという形で、報告をされました。

 それをコピペしなかったのです。頭の隅で、一抹の不安があったからでした。このニュースは、対私のブログ潰し用のニュースではないかと、思うところがあってね。

 「そういう強い攻撃に対しては、無視した方がいいか、あえて取り上げた方がいいか、迷う」と、以前書いて居ます。

 特に肉体への攻撃がすでに、一般庶民には、開示されてはいないが、支配者側には、可能であって、

 私の場合は、特にひどくて、まるで、実験動物であるかの如く、全身に、痛みや、故障が起きています。

 白内障手術の直前に、一週間、毎朝メヌエル氏病状態が、続いたのは、もし内科に行って、診察を仰げば、・・・・・私の場合は、尾行が付いて居たり、電話が盗聴をされていたりするので・・・・・当然のごとく、眼科にも伝わってしまい、「そういう風に体調不良なら、白内障手術は、見合わせましょう」と、言われるはずだと、考えて、当時は病院(=内科)へは行かなかった・・・・・と、最近になって書いて居ます。

 その際に、実際にメヌエル氏病に、過去にかかった経験があって、それとの差を、考えたり、もともと、医者では治らないと、言う事を知っていた上に、武蔵小杉の中原図書館にまで、わざわざ、行って、開架書庫に挟まっていた一般人向けの医療書を、五冊ぐらい、読んで、同じく、医者に行っても治らないことを確認して(つまり、疲労をとる以外に、治る方法がない)とか、

 そのほか、息子から電話がかかってきたときに、一階のトイレ内にいた私が二階にいる主人に向けて、大声で、「あ、来ないでと言って。だって、メヌエル氏病だから、労働ができなくて、お掃除ができないもの。彼は、この家が汚いと、ひどく怒るから、来ないでと言ってください」と、頼んだのが、盗聴をされていて、

 メヌエル氏病を起こしている当の敵さんたちが、「あ、彼女(=私の事)は、こちらが、メヌエル氏病状態を起こしていることを知っているのだ。その上で、何もブログに書かないでいるのは、こちらの真実の狙いがわかっている。と言う事はいずれ将来、彼女は、責任者の実名入りで、このことを書くぞ、または、誰を助けるために、これを行っているかという形で、これを書くぞ。と言う事は、白内障手術をやらせた方がいいだろう。その方が、こちらが後で、彼女の文章を否定できるから」と、考えたらしくて、攻撃が終わりました。

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副題7、『今回の、SNSを使った、デマ拡散だけれど、それは、わざと、やっているCIAの下部組織の宣伝行為であって、為政者に、反抗しているかのごとく見せて、実際には、奉仕をしている連中だと、私は見ている。これは、世間の誰も、まだ言っていないことだが、そうであろうと、自信をもって、信じている。つまり、これは、タリバンや、イスラム国と同じであろう。特に、この運動を実際に担っている人間たちとしては、シーシェパード運動に参加していた連中が、そっくりそのまま、そのデマ拡散運動に配置されていると、私は考えている』

 で、前の節で言っている、そのメヌエル氏病は、当座は、無視して置いても、いいものでした。というのも、関係者が、被害者としての私と加害者側の、技術者も含めて、総勢、10人ぐらいしか関係して、いない形だったからです。

 しかし、今回の攻撃の方は、対私狙いとしては、相当に大掛かりなものです。日本国内でも、あれこれ、在って、相当な資金が投入されている陰謀でしょうが、アメリカ国内では、昔、大仰に活動をしていた、シーシェパードの、運動と、とても似ています。

 あれも、私いじめでした。何年間も我慢をしたうえで、とうとう、真相を書いたら、急に運動が下火になりました。しかし、欧米の大企業が、みんな寄付金を出し、映画【コーブ】も制作され、調査捕鯨船太地町には、監視者が入って、【いるか漁】が残酷極まりない、現象として、湾内に、血があふれかえっている映像が、映画【コーブ】にも出てきましたね。

 そして、日本では、田原総一郎、崔洋一などが、映画【コーブ】支援者として、名乗りを上げています。あれは、戦後すぐ、大洋漁業捕鯨船団、日魯漁業捕鯨船団の、二つ(?)が、南極捕鯨漁を盛んに、行い、牧畜など壊滅状態だった、日本人にたんぱく質を与えていた時代に

 霞が関で、それらの会社に、重油を配給している部署があったのです。戦後は、物資がなくて、すべての、物量が、配給だったのですよ。で、重油はものすごく高価なものです。それを配給する立場ですから、会社側としては、必死ですよね。

 部署の名前は、経済安定本部と言って、のちに経済企画庁と名前を変えます。大来三郎さんが、父よりも若い吏員として、勤務をしていたそうです。父は、30代の、元満鉄中央試験所所員(特に、特に今の言葉でいうオイルシェール、当時の言葉でいう頁油岩が専門だった)からの転籍者として、勤務していました。もちろん、係長程度の、身分です。

 のちに、大来さんの方は、佐武郎と名前を変えて、外務大臣を務めます。東大卒だから、それが、可能でした。息子さんも経済企画庁に勤務しています。奥様は、お茶大付属高校出身の先輩にあたる方で、私は、同窓会の下部組織である、OPCで、大来佐武郎氏夫人、寿子さんと、ずいぶん大量の時間を一緒に過ごしているはずです。神田の学士会館を使って、昼食付、講演会他が、行われていました。が、学士会館を使えたのも、ほかにも、使える資格(東大卒)のある方とか、ご主人がそうである方があったとは、思いますけれど、世話好きな、大来壽子さんの、お力があったからかもしれないのです。

 特に国立劇場の切符が、スパコンにバグが入って、全部、売り切れという形で、買えなかった時に、私は、大来佐武郎 x 寿子夫妻の、ご子息が、当時の、国立劇場の支配人、茂木七左衛門氏と、親友であるということなどから、書き始めたので、敵さんたちも恐れ入って、シーシェパード運動が、下火になったのでした。

 私は東大に、勤務していた時に、上司の教授から、「もし、やめなかったら、将来、必ず、東大の教授に成れるよ。ともかく演繹力とか、統合する力が、すごくあるからね。今の東大生は、受験が難しすぎるので、分析の方は強いのだけれど、演繹力とか統合力はないのだ。それに、あんたには、いくばくかの政治力もあるからねと、言われています。だから、シーシェパード運動を粉砕することができした。太地町から、何の感謝状も来ていないけれど、私がたった一人で、かつ、このブログに書いた、文章の力によってだけで、あれを退治したのです。

 しかし、今回の謀略については、厄介です。退治できるかどうかが、わかりません。ただし、私狙いであることが確かです。で、無視するか、それとも取り上げるかを、13日に入ってからは、なやみました。9日と10日は、そのニュースには、気が付かず、録画で、それに気が付いたのが、11日の深夜であり、12日いっぱいは無視していて、13日から、悩み始めたのです。

 さて、ほかにも、このSNS上のデマ拡散によって、若い人の中に、ワクチンを打ちたがらない人が出てきている」というニュースが、対私狙いであると、言う現象については、ギャラリーアーチストスペースのお手伝いをしていた纐纈昌代さんという女流画家のセリフを、取り上げないといけません。

 纐纈さんのはなったセリフをここで、応用するなんて、私の、演繹力の、ものすごく高いところにあたるのですよ。まあ、ちゃんと、聞いてください。

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副題8、『私は、絵を描いても弾圧を受けて、女流画家協会でも国画会でも、会員になれず、頭打ちだなと思ったので、海外へ逃げたかった。たまたま、1999年には、ニューヨークブルックリンにある、Pratt Institute という美大の大学院へ入ることができたので、英語と日本語の両方を使って、美術評論をすることとなった。文章を書くのは好きだったし、友人や、先生にも文章を面白いと言われていた。国語の成績も抜群によかった。

 ただし、父が、第二次大戦の敗戦の結果をつぶさに味わった結果、理工系でないと、戦争のある時期を乗り越えられないと、言う思想の持ち主だったので、文学部、とか、芸術学部に、進学するのは、絶対に許さなかった。父自身が、本当は上野の美校に行きたかったのに、旧制中学時代の担任が、「絵描きでは食えないよ」と忠告をしてくださったので、あきらめたという経緯があって、石油のエンジニアになったのだけれど、そうなったら、給料で、油絵を描く、余裕ができたので、絶対にサラリーマンになれる学問を、習得しないとだめだと、言う方針だったのだ。

 しかし、私が自信をもって、かくのごとき、文章を書いて居るのは、結局のところ、父が働いて、残してくれた遺産を使って、そういう修行をすることができたのだから、結局、人間って、一番向いているところに、収まる様に、なっていると、思う。そういう風に天が采配をしてくださる。

 しかし、絵そのものは、時間と、体力が必要で、もし、病気にならなかったら、ずっと、アメリカに居続ける道を探ったと思うのだけれど、三か月ニューヨークで暮らして、九か月日本の逗子で、暮らしている間に、二回ほど、大病を患ってしまって、特に二回目の方は、主人に直してもらったので、「ああ、妻として暮らせ」と天がおっしゃっているのだと、考えて、2002年以来考えて、今の様な暮らし方になっている。

 才能は、美術の方にあるのだと、確信をしているけれど、美術の仕事というのは、完成まで、離れることができず、集中している時間が長い。一方、文章の方は、もし、パソコンを使うのなら、保存という形で、残せるので、より取り組みやすい、創作手段だった。

 すみませんが、ここで、寝ます。明日は、お医者さんの予約が入っているので、午前三時になったので、寝ないといけません。続きは後で、この章内で、書きます。お待ちいただきたく存じます。

 

 

https://www3.nhk.or.jp/news/special/coronavirus/number-tokyo/

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