この文章ですが、最初は、総タイトルを、【続きを書きたいとは思いますが、今、違うこと(高峰秀子の晩年)が頭に浮かんでいて】としておりました。そうです。鎌倉の大物フィクサー(今は、シンガポールにいると聞いている)木村さんと、サバンナ高橋、高須クリニック院長、西原理恵子などを分析するつもりでした。が、ちょっと、頭が、違うほうへ行きましたので、本日は、結局のところ、伊藤健太郎と、伊藤玄二郎が主役になりそうですね。と言いながら、夜10時になって、また、また、伊藤健太郎まで、怒れないことに気が付きました。それで、総タイトルを、また変えます。二度目が、【伊藤健太郎の特権は、伊藤玄二郎が裏にいるから? 山内静雄、原節子、高峰秀子】で、今は三度目のものになっています。
副題1、『高峰秀子という女優さんは、明るくて美人で、非常に長い間活躍をした人なのだけれど、結婚相手として、自分より下と、人々が、思うであろう・ひと・・・結婚時には、松竹の助監督・松山善三氏・・・をえらんだので、世間をひどく驚かせた』
私は、映画館で、高峰秀子が、小豆島の小学校の先生(生徒が12人である)を演じるのは、見ました。【二十四の瞳】です。後テレビで、【カルメン故郷に帰る】の予告を見たのですが、実際には、その本編を見ていません。
日本の女優としては、原節子、岸恵子、京マチ子、杉村春子、市原悦子、玉三郎(?)(これらの俳優が活躍した時代としては、順不同です)などが、有名ですが、演技力という意味では、この高峰秀子もすごいですよ。子役から始まって、誰かに何かを教えられたわけではないのに、すごい女優さんです。
原節子は、小津安二郎監督のお気に入りで、しかも、それらの一群の映画のプロデューサーが、山内静雄さんです。この方は、里見頓の四男だそうで、長生きなさって、かつ、伊藤玄二郎と、ひどく親しいので、(というのは、伊藤玄二郎がなついて行っているので)、‥‥‥結果として、原節子の扱いが大きいのです。
特に彼女は、浄妙寺・住宅団地(三井不動産が発売したと、言われていて、原節子の、兄弟が、買った、一画の庭に、別棟を立てて)、に、住んでいたと、言われているので、山内静雄さんや、伊藤玄二郎とは、電話等での交流はあったとおもわれるので、マスメディアの扱いが大きいのです。
しかし今はやりの言葉でいうインフルエンサーとしては、高峰秀子の方が、圧倒的に大きいと思います。
本日の私が思い出しているのは、高峰秀子が、養女に、「直径12㎝の(片手)鍋を探してきて」と頼んだエピソードです。これは、なかなか、売っていません。特に高峰秀子が、現役でお料理を作っていたころは、売っていなかったでしょう。
私自身は、14cmのものは、白と赤の琺瑯製二つ持っています。これで、お味噌汁を作ると、二人前だと、常に余る分量ができてしまいます。私は、それでも気にしないのですが、晩年に、は、生活のすべてに、工夫をして、きちんと節度ある暮らしていた、高峰秀子は、鍋の7割を使って、二人分のお味噌汁(もしくは澄まし汁)を、作りたかったのだと思います。しかし、東急ハンズにも売っていないでしょうね。高島屋に売っているかな? 見つけるのは、非常に難しいサイズです。本日は、Rakutenのサイトで、ひとつだけ、ミッフィーのデザインが刻印された12cmのお鍋を見つけましたけれど。これは、日本での、老人化社会の進展、特に独身老人の増加を示していると思います。独居老人が料理する場合は、二回分か、三回分、一緒に作るとしても、鍋が、小さいものでないといけませんから。
本日の私が、やりたいことは、直径が18㎝から20㎝の寸胴鍋を見つけて買う事でした。15㎝と22㎝があり、その間が欲しいのです。今、私は、特に食生活に関しては、禅宗の修行僧の生活の教えと(つまり、腐る食糧とか、余る食品を出さないこと)と、高峰秀子の、食生活を見習っています。
特に作る量をよく考えると、言うことに留意しています。長らく4人前作ってきたので、二人前という分量になかなか慣れなくて。
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副題2、『高峰秀子は小学校すらろくに行っていない。筈だ。だけど、本当に頭の良い人だ。お顔もきれいで、演技の才能が高くあって、申し分ない人生だったと思われるが、お子さんがいないことだけが、彼女が未経験だった部分だ。仕事で訪れたライター・斎藤明美(文芸春秋社勤務)が夫妻になついて、なついて、しまったので、養女にしたのだけれど、それは、或る意味で、負担になったと思うけれど、自分たち夫婦の事を、後世に伝えてくれるから、とても、良い事だったと思っている』
今、高峰秀子の、wikipediaを開いて、市川崑監督ととても親しかったとあります。
うーん。それだけは、失敗というか、見込み違いというか、市川監督の、ずるさを見抜けなかったという事でしょう。または市川監督が、二重性を持っていたという事なのでしょう。(蛇足1)へ。でも、それ以外に、高峰秀子は、若い日に、天真爛漫というか、なんというか、困った発言もしています。
それは、5歳の時から、子役をしていて、ちゃんとした教育を受ける機会がなかったからでした。学校にもろくにいかれない生活だったのです。ところで、詳しいことは忘れましたが、両親が、養育を、てばなして、彼女は大叔母(祖母の姉妹)の養女になるのです。大叔母は、独身です。なぜ、独身かは判りませんが、大正時代の女性で、独身であるという事は、只者ではないという形です。性格が悪くて、お見合いの口を世話してもらえなかったか? それとも、結婚以外の、男女関係が少女期に、すでにあったので、結婚できなかったのか、それとも、花柳界で、働いていた過去があったのか?
ともかく、とても悪い性格の人だった模様です。で、高峰秀子を働きに働かせて、その報酬を搾取していたのでした。この叔母の影響で、或る意味で、天真爛漫だが、或る意味で、人を傷つける発言も、していた模様です。結婚より前の事でしょう。
ところで、子役時代から、結婚まで、ずっと働きに働いてきた経過は、美空ひばりに似ています。ただ、美空ひばりは、実母が、マネージャー兼プロデューサーだったので、金銭的に搾取されることはなかったものの、美空ひばり自身は、母親には、或る疑問や懸念を抱いていたと思いますよ。それを外に向かって、発言することが無くても、或る疑問や懸念を持っていたのは確かです。養育者が、とんでもない人(大欲望の持ち主)だったりすると本人は、大変な思いをしますが、それによって、天才的な芸能人になれるのですから、人間の一生なんて、何が災いするか、または、何が幸いするかはわかりません。
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副題3、『上で、戦後の、有名女優を上げている。女性は五人、そして玉三郎。ほかにも淡島千景、久我美子、有馬稲子、高峰三枝子、李香蘭(時代は、順不同)など、それぞれ、ごひいきがあるだろう。だけど、国民との親愛度の、強さ(いわゆる人気)という意味で、原節子と、高峰秀子は、双璧だと、思われる。たとえば、京マチ子は、一般社会に、その私生活をほとんど公開をしていない。岸恵子は、公開をしているが、同情を招く様な私生活ではない。「あら、離婚をしても、そんなにいい恋愛が、60を過ぎて、訪れたのですか。よかったですねえ。でも、私たちとは違いますわ」と、言われるぐらいがおちだ。
その中で、私生活をさらしていないのに、人気があるのが原節子だ。反対に、私生活を逐一エッセーに表現していても、人気が高いのが高峰秀子だ。
原節子が女優になったのは、家庭への経済的援助の為と、どこかで、読んだ。吉永小百合も、大竹しのぶも父親は東大卒なのに、経済力の無い人だったので、美形のお嬢さんが女優になった。
原節子もそうだったかもしれないけれど、高峰秀子の、苦労とは、比較にならないほど、優美だったのだと、思う。つまり、両親や、兄弟は、普通の中流家庭の人で、愛情豊かだったと、思われる。宝塚を経由して、女優になる人は,中流やそれ以上の、階層の人が多い。
私は、こういうことを書きながら、高峰秀子を軽蔑しているわけではない。そうではなくて、高峰秀子が、一般の人にとっては当たり前で、何の変哲もない日常の暮らしを送ることができる日々をどれほどに、ありがたいと思い、その喜びを表現している・・・・・という事がわかるので、良い晩年でしたねと、言いたいからだ。だが、その年齢の女性としては、たばこを吸ったという事が前半生の過酷さを思わせる。私自身は、たばこを吸わないが、喫煙者に対して、悪意を持っているわけではない。特に頭をつかうひとにとって、たばこは、重要な道具なので、喫煙の習慣に、現在の様な過酷な、縛りを貸しているのが、それこそ、鎌倉エージェントが、私のブログつぶしのために、起案したことだから、あれほど、きつく、縛っていると、判っているので、特に、困ったことだと、思っている。
ともかく、高峰秀子が、松山善三を選び、大変満足すべき晩年を送ったという事を祝福したい。二人の結婚は、大戦略を用いて、大叔母から逃げ出すものだったらしい。だけど、子供だった私だって、あれ、変だなあ。こんな地味な男性と結婚するなんて、とおもったのだから、裏側を知らない一般人は、本当に驚かされたものだった。松山善三という人物は、高峰秀子が、それまで知らなかった、中流の上の家庭で、大切に育てられたおぼちゃまで、愛情豊かな人だったらしい。素晴らしい選択だった。
さて、戦後最大の人気女優二人を比較しても、原節子が、その業績に比較して圧倒的に上の扱いを受けているのは、上で、言っている様に、彼女が浄妙寺住宅団地に住んでいて、山内静雄氏や、伊藤玄二郎らと、声による交流は、続いていたからだと推察している。
里見頓氏、自身が有馬侯爵家の、愛人の子供だし、私の推察するところだが、伊藤玄二郎は、伊藤整の愛人の子供だと思うので、秘密主義が強い人なのだ。貴種流るたんは、最大限に利用するから、しかるべき人間には、自分が偉い人だと、示すが、それ以外の人間には、秘密主義を通す、一族で、その流儀の中で、原節子も守られてきたと、思っている。
鎌倉殿の13人が放映中なので、鎌倉と、言う語彙が、今、大きな力を持っているけれど、戦後最大のエージェント、瀬島隆三は、いつの時点か、伊藤玄二郎を、後継者の一人として選んだ。そして、その伊藤玄二郎が、私の身辺に、あれこれ、現れていろいろ、やってくるので、
特に、鎌倉エージェントと、日本中で、生きて活動をしているCIAの代理人すべてを、私は、くくっているほどだ。で、伊藤玄二郎と、今だ、実際には、生きている井上ひさしが、日本、及び、世界の動向を、支配するほどの謀略行為を、次から次へと提案し、世界を支配しているつもりになっている、大・大・特権者だから、原節子の扱いも、特に大きいのだった。
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副題4、『伊藤玄二郎達、CIAエージェントが、今、私に対して、何を行っているかを、ここでまとめておきたい。知床の、沈没船も、伊藤玄二郎が、発案し、我が家のご近所で、行われた、石華産業の道路工事、第二期分も伊藤玄二郎一派が、考案し、
100分で名著に、【安倍公房の砂の女】を、選定し、その解説者に、ヤマザキマリを当て、内館牧子に、【今度生まれたら】という日曜日の(今は、BSPで夜10時、ただし、いずれ地上波で、放映するだろう)ドラマ枠を、与えて、林真理子に、日大理事長の、職を与えました。
これらの、人物は、ヤマザキマリさんだけは、大きな批判をしていない相手ですが、他は、一度は、このブログで、その人物を批判している存在です。
安倍公房は、なんと、山口果林さんを、セックスの快楽を求める対象として、洗脳支配していたのでした。上の方で、言っている、市川崑監督が、有馬稲子を支配していた構図と同じです。
山口果林さんは、お茶大付属高校の後輩で、しかも、姉に当たる、Tさんは、青山学院付属高校を出た後で、ICUへ、私と同期入学です。そして、英会話の実技のクラスでは、一日に二度も、一緒に、発音を先生からチェックされる立場でした、
果林さんと、Tさんは、同じ山口姓ですが、お顔が似ていないし、1960年代は、まだ、果林さんが、有名ではなかったので、果林さんが、女優になったことさえ知らなかったのです。果林さんは、桐朋学園に通学していたらしいし。
しかし、どこかで、果林さんが、Tさんの妹だと知って以来、もともと、上品形で好きだった果林さんのファン度が増しました。同窓会名簿を見ると、声優だった同級生や、宝塚に進んだ、上級生など、みんな結婚をしているみたいでした。お茶大付属高校って、勉強だけできてもダメよと、言う雰囲気があるので、結婚する人が多いのです。立派な職業を持っていてもね。その中で、果林さんが、いつまでも、山口姓だったのを、不思議に思っていたら、あの書物が出て、納得をしました。兜町の本屋のお嬢さんだったのですって。頂上を極めているから、用心深さがなかったのでしょう。それと、四人目のお嬢さんですって。そうなると、親の「こうしてほしい」と願う縛りが、ゆるくなるので、つい、洗脳させられちゃったと、言うわけでしょう。
ところで、石華産業の第二期道路工事も、ひどいレベルで、対・私いじめでした。が、沈没船の狙いが、二つあって、一つ目は、次男が、海上保安庁勤務である、安野千沙夫人を持ち上げるものであるという点で・・・・・というのもその次男は、公立中学で、通信簿に1と、2しかないと、言うことで、有名なお坊ちゃまですが、国立大学の付属高校にご入学あそばされて、その後、海上保安庁にご入庁あそばされたそうですが、その継母(=智紗夫人、略奪婚で、母になったと、推察している。ご長男は、一切寄り付かない)を、持ち上げることが、第一の目的でしたが、
第二の、目的として、私の長男を、海難事故で、殺してしまうことが、秘められていたのでした。本当に驚きました。すさまじい悪意ですね。
そういう計画を裏で隠しながら、テレビも利用して、徹底的にこのブログをつぶしてやろうとするのが、最近の、彼の行っている事の主要な部分です。内館牧子のドラマなど、一年ぐらい前から、準備をされていたと思います。だから、常に、私を暗殺しようとする試みが、継続しているというわけです。
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副題6、『ところで、朝ドラ、スカーレットとは、妹が殺されたことをえぐってきているドラマだった。妹は、あのドラマの主役、の名前、喜美子と、漢字も同じだった。
他殺なのだけれど、自殺と喧伝をされているらしい。ご近所の人間には、噂話として、それがいれられ、水沢勉(現在は葉山の美術館。館長)も、それを信じて、実家近辺で、噂を流したと、推察される。それが、実はカリタス小通学バス襲撃事件に帰結していった。水沢氏の姉ぎみ悦ちゃんは、私の妹喜美子と、小学生時代同期だった。その悦ちゃんに、「喜美子さんは、自殺をしたそうですよ」と告げられたらしい。それを、これまた、同期生の沢野ひろしちゃんに、悦ちゃんが伝えた。ひろしちゃんの母・沢野未亡人は、90歳を超えていても、超元気で、かくしゃくとした人で、亡き夫が塩野義製薬勤務であり、それが、ゾフルーザの危険性というニュースを生んだ。その延長線上で、さらに強く、私を、脅かすための謀略が、カリタス小通学バス襲撃事件だったのだ。・・・・・それがどうして私に分かったかというと、、沢野未亡人は、彼女宅から二軒隣の小田歯科医院の、奥様、みのりさんと、植物愛好家としてとてもしたしい。したがって、「礒部のきみちゃんは、自殺らしいですよ」と、沢野未亡人が、小田みのり夫人に伝えたらしい。それで、小田先生は、私を100%下位の人間として、いじめてもいいと判断をされた模様である。
小田歯科医院は、トイレの、コンセントにガムテープを張るなど、10年ぐらい前から、おかしくなっているのだけれど、ご主人に当たる先生の、方が、一番つらい件で、私をいじめて来た。
私の長男(上で、海難事故で、殺されそうだったと言っている)が、小学生のころ、大変優秀で、日能研も、絶対に合格しますよと、言われていたのに、私立中学二校(中堅校で、あって、1980年当時、偏差値が高かった、栄光、星光、慶応普通部などではない)を、不合格になったのは、瀬島隆三一派が、画策した、北久里浜における、旧・横須賀市の水道山をタダで、私有化するたくらみ(=地積変更届け)で、それに巻き込まれた私が、悪事のすべてを知ったので、その復讐として、不合格になったと思うのだけれど、それを小田先生が35年以上たっているのに、再度、えぐってきたのだった。2年か、3年にわたる長期間で、グニャグニャと、長時間にわたって、いじめられた。上品な言葉づかいで、(だって、歯科医師会会長選挙の参謀を務めるほどの、美形の紳士だから)怒田怒田、にやにやとしたいじめを行ってこられたのだった。
方法は、お孫さんが、私立中学三校に合格をされた話だったが、鎌倉学園から始まって、立教、慶応普通部と、三校とも合格した話を、まるで、いじめではないがごとく、話しをされた。それも、ひどく間をあけて、三年間ぐらいに渡って聞かされた。
私はとうとう、耐えきれなくなって、「先生、それは、いつの事だったのでしょう?」と、質問をした。すると先生は慌てて、「ずっと前の事です。孫は、既に社会人です」と、言う。
小田先生の診察室は、盗聴をされていて、すぐさま、私が、小田先生に、謀略の一つの形として、いじめられているという事を、私が、察知したと、(CIAの家来たる)警察が、判断をして、その結果、それを書かれると困るから、ここで、彼女を脅かしてやろうとして、次に準備されていた、カリタス小通学バス襲撃事件が実行へと、移された。
なぜ、カリタス小襲撃事件が起こされたかというと、東急バス、日吉、ときわ台バス停上の分譲地のほぼ中心に、位置する、我が家から、半径60m以内に、水沢家も沢野家も、小田歯科医院も、あって、特に沢野家の後ろに、寺沢さんという一家があり、寺沢家の二人のお嬢さんが、カリタスへつうがくしていたからだった。50年以上前だったが、カリタスへ通学していた。
寺沢夫人は、すでに亡くなっているそうだが、母が「あの町内会で、もっともよい人だ。誠実で、しっかりしていて」と、言っていた通り、私の問い合わせに、私が納得する答えを教えてくれた人だった。
私が、増田忠さんに、困らされ切った際に、とうとう、音を上げて、交際を切りたいと、思ったときに、その、拒否に傷ついた増田さんが、今では、自分が住んではいないそのときわ台の、寺沢夫人と沢野夫人に愚痴を言った可能性があった。それは、1997年か8年という、25年も前の話だったが、それで、私が悪人であるとあの山で、評判をとって居れば、妹の他殺を、自殺だと、嘘を言うのも、通るはずだった。
それで、急に、1997年の増田さんの、ケースを、実家近辺に知り合いたちに、問い合わせた時に、もっとも、正直に、事情を教えてくれた人が寺沢夫人だったからだ。
私は、小田歯科医院の院長が、どうして私をいじめるのかが、思い当たる夫氏がないので、もしかしたら、増田さんの愚痴が、原因だとも、まず、推察した。増田さんとは、子供のころ、北隣に住んでいた人で、真田広之一家に、家を売った人物だ。私との仲が、50年ぶりに、復活したのは、ときわ台の坂の途中で、腰を、90度曲げている増田さんにあって、「増田さん、どうしたんですか?」と、問い合わせた時に、増田さんが、「千恵子ちゃん、腰を痛めちゃったのよ」と答えたことで、始まった円だった。が、今では住んでいないときわ台の、古い友人に、私の悪口が、彼から、伝わっていると、考えて、問い合わせた先が寺沢夫人だったのだ。私が、「増田さんが、そちらで、何か、私の噂を流していませんか?」、と問い合わせた時に、それがあったと、教えてくれた上に、「増田さんの失敗は、お子様方が、あまりにも忠さんを、放っておいたからでしょう。と、みんなが考えて、お子様方に、もっとお父様のお世話をしないとだめよ。と、言っておいたのよ」と、教えてくれたのだった。
増田忠さんが、私に何をしたかというと、朝の五時に電話をかけて来て、一時間ぐらい探りを入れられたのだった。なんの探りかというと、・・・・・忠さんが、その電話の前に、横浜・山下町の、産業貿易ホールの当時は、10階にあった東天紅のテーブルの上に、ご自分の散らかったベッドの写真を置いて、それを私に、見せて、「千恵子ちゃん、片づけに来てくれない」といったのだった。
私はひどく驚いた。戦前から、ストラディバリウスか、グァルネリを持っていて、上手に弾くことができる人だった。そういう風にレベルの高い、お隣のおじさんなのだ。子供の時に、かわいがってもらったという記憶がある。そういうおじさんから、「片付けして」と表向きは言われても、内実は、「セックスしましょう」と言われたときに、私がどれほど、困惑したか? その苦しみは、言うに言われないものだった。しかし、増田さんが、会社を引退後、クラシックの音楽関係で、付き合っていた田園調布や、自由が丘の、上流婦人たちは、気軽く、セックスに応じるタイプだったのだろうか?
増田さんが、早朝、この鎌倉の家に電話をかけて来て、探りを入れてきたというのは、ベッドの上の、片づけを頼まれたときに、私が、それが、「二人で、セックスしませんか?」と、言うお誘いであることを見破ったのかどうかを、・・・・・しりたいのだった。だけど、後ろで、主人や息子が不審な電話に驚いて、訃報だろうと思って聞き耳を立てているのに、「ええ、ベッドインを誘われているとは、判りましたよ。だけど、増田さん、お金をせびられるのも、いやだけれど、無論セックスなんって、論外ですよ」と言えるだろうか。むろん言えない。
それで、相手も、グダグダと、探りを入れてくるだけなのだが、私も要領を得ない話し方になる。そのうち、六時になった。もう、朝食を作らないといけない時間としての、限界だった。で、私は、こういった。「増田さん、こういう時間帯の電話は困ります。で、ここで、お付き合いをやめたいです。もう、電話をよこさないで、ください」と。むろん、時間が問題ではなくて、ベッドインに誘われた事が最も困ることだった。だが、それは、子供や主人が後ろで、聴いているので出せない言葉だった。
ただ、増田さんが絶望をしたのは、よくわかった。でも、だからと言って、「増田さん、後で、こちらから折り返しの電話を掛けますよ」というわけにもいかなかった。
小田歯科医院の情報がネットから、一切消えている。カリタス小通学バス襲撃犯は、学生服を射てくる様に命令をされていたそうだ。現場には、プロのアサッシンが、学生服を着て待機していて、それらが生徒や、ミャンマー語に堪能な、外交官を殺し、引きこもり(ただし、まあージャン店の店員はしていたと、言われる)の男性は、自殺ではなくて、わざと殺されたのだと思う。というのは、日吉のその一帯は、割と、エリートの住んでいる地域であって、・・・・・・
特に水沢勉先生を守りたいので、こういう事件を起こされたと、推察している。
ところで、すべての案件に、伊藤玄二郎の、思惑と、影を感じるのだが、伊藤健太郎とは、彼の、親戚、もしくは、直径の、子供、または、孫だと、推察している。または、兄弟(伊藤整の孫)だと、推察している。だが、本日は、彼については、書く時間も体力も残っていない。
副題α、『ところで、伊藤健太郎の、復活が早いですね。冬薔薇で、早くも全国展開映画の主役を任じています』