今は、2016年の3月9日の夜11時に近い時間です。本日は、この時間まで、パソコンを開きませんでした。そのため、前日書いたものが、全部は、表出をしていなかったこと・・・・・を、その時まで、知りませんでした。その文章の総タイトルは、後注1で置いておきます。今、驚き入っていますが、『それだけ、この文章が、重要なものだったのだ』と、思い到り、詳細を、思い出しながら、その部分を再度書き表し、かつ、丁寧に、続きの部分もここで、書いて、主張をさらしていきましょう。
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副題1、『小堀令子さんが、ネックとなっていたので、思いの詳細を、書けなかったのだった』
その文章は、リヴェンジポルノの二審が開かれて、殺された沙彩ちゃんの父君が、『極刑を望むと、発言した』と、言うニュースを受けて書き始めております。
そこで、は、今まで、私は、この事件について、「ある程度までは書いているが、それでも、奥歯のものが挟まった様な調子で書いていたのだった」と、も、述べております。
それは、現代アート系作家として、大変有名な、小堀令子さんと関係があるので、書けなかったのです。
小堀さんは、どうしてか、2013年より、異常に親切にしてくださって、個展の案内状をくださるので、新宿の大きな画廊【絵夢】にも作品を見に行っています。銀座以外に、出かけるのは、私にとっては、70歳を超えた今では、とても、苦痛なので、普通は行きたくないと、思っているのです。それでも、勇を鼓して、新宿に行っていると言う事は、小堀さんの事を、相当に大切に思っているからです。醍醐イサム展の方でも新宿にまで、見に行っています。それなのに、彼が、銀座の画廊で、私の目の前で、ひどく失礼な応対をして来たので、『これは、裏がありますね』と、判ってきたのでした。で、その裏を下がり始めたら、大阪城北詰口で、闇の勢力に醍醐イサムの、とても、みっともない本質が映っている、ビデオカメラが盗まれたので、彼の不親切な対応は、もっとも、政治的なものだった、と、判って来たわけです。
小堀さんに戻れば、その高度な親切は、2013年から始まって、2015年の10月まで、そういう雰囲気であると、私は、考えていたので、この三鷹ストーカー事件についても、書けないところが多かったのでした。ただし、小堀さんと知り合っているのは、ずっと前からであって、その2013年頃、急に知り合ったというわけではありません。何度も画廊で、お話は交わしていると、自分では記憶をしています。作品は、いいと思います。個性横溢だし。人柄も、超・上品ですし。一ノ瀬智恵乎さんよりも、作家としては、上です。
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副題2、『前報(後注1)に書いてある、2013年四月の飲み会に出陣していた、現代アート系作家、C女史とは、上條陽子さんなのだ。その日のメンバーは、実際の事を言って、すごいメンツ(麻雀でいうメンバーの事)がそろった、飲み会だった』
昨日の文章が、私としては、最後まで、完成して、まとまっていると考えていたのに、その最後の部分が、表出していなかったのですね。先ほど、30分前にそれにやっと気が付いたわけですが。
と言う事で、もう一回、同じことを、書かないとならなくなりました。で、再度、キーボードを打つのなら、・・・・・ちょっと、表現を変えて、実名表記をするか?・・・・・と、なってきます。
で、2013年の4月、三鷹ストーカー事件の起きる、一か月前に、銀座で、飲み会をしたのですが、その時のメンバーは、画廊香月のオーナー、小堀令子さん、上條陽子さん、小堀令子さんの姪にして、東大卒の学者、そして、私の五人です。上々たるセレブ系お集まりと言ってよいでしょう。セレブなのに、天津飯店(庶民的なお店。ただし、今はすでに閉店している)みたいなところで、飲み会をするのは、ひとえに、現代アートの世界には、お金が落ちていないからであって、業績を言えば、きんきらきんの、女性たちが、集まった飲み会だったのですよ。
しかし、ですね。表向きは、きんきらきんで華やかなものであっても、裏側は、ひどくどす黒いものだったのです。どうして、そう言えるかと言うその理由は、後注1の、副題4に書いてあります。そこに戻って、読み直してくださいませ。
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副題3、『無辜(イノセント)と言う言葉があるが、あの、天津飯店の飲み会で、小堀さんと、その姪、および、上條陽子さんは、イノセントだったと、私は思っている』
その日は、小堀さんの個展の最中だったと思います。初日ではなかったでしょう。そして、私が、必ず、銀座を回る日を、目指して、計画が練られていたと、思います。だけど、上條さんが、どこまで、詳細を知っていたかとか、小堀さんが、どこまで、詳細を知っていたかと言う点では、二人と、小堀さんの姪は、ほとんど、裏を知らず、ただ、香月さんに頼まれて、行動をしたのだと、思いますよ。でも、香月さんは、その時に、野見山さんの名前は出して、委細の協力をお願いをしたのかもしれません。だけど、何故、野見山さんが、警察の協力をしないといけないのかの、裏側までは、知らなかったと、思います。それから、鎌倉エージェントの本質とか、アメリカの大富豪が、実質的に、日本、および、日本人を支配しているシステムなども、知らないで、行動をしている可能性は強いです。
香月ひとみさんも、似たようなものだけれど、彼女はとても勘が鋭いので、小堀さんや、上條さんよりも、より深く、事情が分かっていると、私は見ています。
で、上條陽子さんですが、とても、人が好いのです。そのうえ、最近では、耳が遠いです。で、上條さんと、3メートルも離れて居たら、ちゃんとした話はできません。円卓の対面だったので、『もう、今日は、上條さんと共通の話題については、何も話はしないぞ。上條さんのお相手は、小堀さんに、全面的に、お任せですね』と、思っていたので、その日、上條陽子さんは、無罪放免の立場です。悪人に加担をしているというわけでもないです。
小堀さんですが、上條さんのお相手専念です。だから、こちらも無罪放免です。最後に残った人物である小堀さんの姪ですが、この人は、美術畑ではないです。だけど、東大の、大学院も出て居る学者の卵だから、私は、もっぱら彼女とだけ話をしていました。私は、1966年に、国際基督教大学を卒業した後で、東大に勤務しています。その時の教授様から、「非常に頭がいいね。そして、政治的な部分も、理解が可能だ。東大は、全国の学会の総元締めだから、政治的な腕力もないと、教授にはなれないが、あんたは、並の東大卒よりも頭がいいから、もし、結婚とか子育てで、辞任をしなければ、必ず、将来は東大教授になれるよ」と、言われていたぐらいなので、東大卒の、人と対等に、渡り合えるのでした。
:::::::::ここで、突然、気が付いたことを挿入させていただきます。それは、「西隣の東大卒の、建築家白井さんが、どういう会社に勤めているとか、横浜銀行の鎌倉支店を、設計した人であるのだ」という様な情報を、もらったのは、この女性からではないと言う事です。この女性と、話し合ったのは、もっぱら、文I,文II,文III系統の話です。今の東大の、入学試験の仕組みがどうなっているかを知りませんが、昔の言葉でいう理 I、理 II、理 IIIについては、何も話さなかったのですよ。建築科は、入学試験時には、理Iに分類される分野だと思います。と言うお断りを入れて、元へ戻ります。:::::::::::
この2013年の4月の、天津飯店での飲み会は、暗い目的が陰にあった飲み会でしたが、私は小堀さんの姪の存在によって、救われていたのです。
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さて、読者の皆様、ここまでが、後注1に置いた文章の、副題1~4までを実名で、詳細に書き直した部分です。小堀さんも、上條さんも、有名な人なので、その作品やら、人となりを知っている人は多いでしょう。それで、この文章が、ぐっと、読者の皆様に身近になったと、考えます。
香月ひとみさんですが、北九州で、タレント活動をしていたと、聞いています。美女です。頭の回転も速いです。テレビ番組の司会等もしていたと、聞いています。だから、彼女を知って居る人も多いと、思いますよ。私こそ、ただ、一人無名の存在です。しかし、現代トップのエージェントだと、私が見ている成岡庸司君と、中学時代の同級生なので、
実は、私を中心として、ニュースが動いているというほどのものなのです。(苦笑)今般、リヴェンジポルノの、加害者、池永チャールストーマスの二審の途中で、沙彩ちゃんの、父君の発言「極刑を望む」が、急に報道の対象になり、私の目に入ってきたのも、言ってみれば、それによって、私の過去ブログを否定しうると、鎌倉エージェントたちが考えているからでしょう。と言うわけで、私は、実は、日本の、もっとも、上層部で、政治的腕力を発揮しているのでした。実は、剛腕の人なのですよ。あ、は、は。
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副題4、『ここから先は、前報の、副題5以下、9日の午前中に書いた部分の再現を目指そう・・・・・まず、ビュッフェバイキングの話に入る』
皆様は、スマホで、レストラン情報をお探しになると、思うのですが、私はスマホを携帯していると、必ず、嫌がらせ(=電車の遅延他)を受けてしまうので、もっぱら紙に拠る、情報に頼っているのです。で、【ぴあ】で、発行をしているもの他、ビュッフェバイキングを特集したムックは、5冊も持っているほどです。ところで、銀座4丁目、数寄屋橋交差点に面したビルの八階に、サッポロビールが経営する、レストランがあって、お昼時は女性向けのスィーツバイキングに、力を入れていました。
眼下に、岡本太郎の、太陽の塔(ミニチュア版)を、見下ろすガラス張りの部屋で、50種類を超える、スィーツが提供されているのです。私自身は、一人または、夫婦で、合計三回ぐらい、そこに、行っています。ところで、昨日と、本日、それを探していますが、一切、ウエブでは出てこないので、洋麵屋五右衛門の、上の8階にあったとだけ、言わせてくださいませ。もしかすると、もう、無くなっているかもしれません。私は一時期アサヒビールが経営する、銀座7丁目か8丁目のB1に在った、レストランを愛用していたのですが、そこも無くなっています。
そこに、2013年の10月の或る一日、香月さんと、小堀さんを、「のみに、行きましょう」と誘いました。香月さんと私はすでに、狐と狸の化かし合い状態に入っているのですが、お互いに頭がいいので、『それを隠して、呑むことができる』と、思ったのです。その上、その時点では、小堀さんは、パートナーを亡くされていて、お嬢さんが、家に同居かどうか、判らなかったし、香月さんは、独身だと、思うので、二人の帰宅時間を、気にする必要が無かったからでした。私は主人に、「銀座に行ったときは、たいてい、夜遅くなりますよ」とは、すでに、言ってあるので、終電3本ぐらい前までなら、いつまで、銀座にいてもいいのでした。
この飲み会は、私としては、サッポロビールの株を持っていて、その株主優待券(=飲食の20%引き)を使いたかっただけで、他の目的はありません。
ところで、この日、香月さんは、インテリアをくさし続けていました。偽物だと言って。でも、そう言う話題は、罪が無くて、私は、別にいやではなかったですよ。店側では、質素な服装の、女性三人だと、見くびって(と言うのは、社用族などは、クラブのホステスなどを誘って、派手にお金を使うでしょうから、そう言うケースと比べると、私達三人は、貧相でした)窓のない部屋に通したぐらいなので、香月さんの言う通りでした。それに、彼女は、相当ハイレベルなところで、呑んだ過去が、数十回あると、思いましたし。
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副題5、『小堀さんに、仁義を切りたいのだが、その前に、個展の案内状が、どれほど、重要な役割を果たしているかを、ここで、語らないといけなくなった』
個展の案内状と言うのがあります。ほかのパーティ等では、封筒に入って、招待状が来ると思いますが、画廊は、一枚のはがきの表に、作品をカラーで印刷し、裏に白黒で、個展の開催画廊の名前、個展の日時、地図などを印刷してあるものを常用します。
これが、具象系の画家だと、それほど、大切ではありません。小さな個展でも画廊の力が大きくて、作家はあまり動きません。それに、森本草介などが、日本橋高島屋で、個展をする時とか、東山魁夷が、横浜美術館で、個展をする時には、大量の情報が、大手メディアで、流れます。日馬富士が、日動画廊で、個展をした際にも大量の情報がテレビで、出てきました。
しかし、現代アート系の作家は、そういう扱いを受けていないのです。で、個展の案内状が命となります。
この三鷹ストーカー事件の被害者、鈴木沙彩ちゃんの母が、一ノ瀬智恵子さんであると言う事も、個展の案内状が機縁となって知りました。それは、2013年の秋の事で、画廊香月に行ったところ、デスクの上に、個展の案内状が、山積みになって置いてあったのです。今から、ポストへ投函するものです。で、すべて、ラベル化された、住所が、表に貼ってあるのですが、一番上に乗っていたのが、たまたま、一ノ瀬智恵乎さんあてのものだったのでした。
ここらあたりが、天のお助けがあると言う点なのです。私は画廊香月で、個展の案内状(それは、一ノ瀬さんの個展のモノでもないし、小堀さんの個展のモノでもないのだが)が、準備状態で置いてあるのを見なかったら、一ノ瀬智恵乎さんが、沙彩ちゃんの母だと言う事を永遠に知らないでいたでしょう。しかも、アイウエオ順で、言う苗字の群の中で、画廊香月としては、【あ】で始まるお客が居なかったと、推察されます。それも天の采配の一つです。
しかし、そこで、小さなフォント(マイクロソフトのワードだったら、8ぐらいかな)で、印刷された一ノ瀬智恵乎と言う文字を見て、「ねえ、一ノ瀬さんって、例の三鷹ストーカー事件の起きた場所のごく近所に住んでいるのではない? そんな気がする」と、言ったのです。その時、小堀さんが、そばに居たのか、それとも、他のお客がそれを、答えたのか、それとも香月さんが答えたのかの、記憶が定かではないのですが、
「あら、一ノ瀬さんこそ、沙彩ちゃんの母なのよ」と、誰かが答えてくれたのですね。それで、初めて、一ノ瀬さんの家が、事件の舞台だったことを知りました。
その時に、私は天啓として、『ああ、自分の予測はなんと当たる事だろう。私は、2003年にすでに、一ノ瀬さんに対して、・・・・・この人は将来、子供の事で苦労をすることとなるだろうと、予測をしていたのだが、こんな恐ろしい形で、実現したとは?』と、内心で思ったのでした。
それで後日ですが、後注2と、後注3を書きました。
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副題6、『一之瀬智恵乎さんが、沙彩ちゃんの母であることを知った日に誘ったのか、それとも、別の日に誘ったのかを、覚えていないのだけれど、私はあくまでも、株主優待券を使いたくて、二人を誘ったのだった』
私がすでに、2013年に青色申告をして居る人だったら、このサッポロビールのレストランでの、三人の飲み会がいつだったかが判るのです。レシートは、5年間取っておかないといけませんから。ただし、平成25年の申告分に関して、ありえないほどの高い税金が来て、急に白色申告を止めて青色申告にしようと判断を変えたのですが、26年度分については、【事業主勘定】と言う項目の有ることを知らなかったので、不可能でした。今年から、それを知ってやっと、青色申告がやっとできる様になったという次第です。と言うのも出版業務をやっているのですが、それ自体で、うまくいくはずもなくて、母からの遺産で入る、賃貸収入でそれを行っています。つまり、別のお財布から別のお財布へお金を、移動をさせているわけです。それを事業主勘定と言うのだそうです。
私は、頭は十分にいいので、他人がたくらんでいることはすぐわかるのです。だから、香月ひとみさんが、なれなれしく、かつ親し気に、のみかいに誘ってくれた、四月の会は、ひっかけようの会だったと、判っているのです。そして、私をリラックスさせるために、上條さんが居たと言う事もわかっているのです。
しかし、反対に、こっちがひっかけてやろうとして、私が香月さんと、小堀さんを飲み会に誘ったわけではありません。私は聖書で言っている、「野の花を身よ。空の鳥を身よ。彼らは紡がず、耕さない」と言う言葉を、最近では、身に染みて、いい言葉だと思い、できるだけ、それを実践しようと思っているのです。
『決してたくらまない。特に相手をだましたりすることは一切しない』と、心に決めております。それを、きちんと守っているからこそ、神様は、必要な情報を与えてくださるのだと、おもっております。
その日、小森さんは、「友達が言っていたのだけれど、一ノ瀬さんは、泣きっぱなしだったのですって。彼女って、なかなか、子供ができなくて、まって、まってできたお嬢さんだから、かわいくて、仕方がなかったのよ」と、いいました。
それで、私は、香月さんからも離れ、小堀さんからも離れ、静かに、自分の想いの中に沈潜して行きました。
そうか、私は、2003年の横須賀線車中で、渡辺豊重さんと、一ノ瀬さんが、組になっていじめてきたときに、すでに、お子さんが、15歳ぐらいだろうと思って、『この人は将来子供の事で、苦労をすることになるだろう』と言う予測を立てたのだけれど、それは、近々、お子さんが、大学生になり、就職し、母を批判をし始めるのだろうと、思っていたが、実際には、10歳ほどの年のずれがあったのだ。
沙彩ちゃんは、母親を批判し始めるというところまで、行かないうちに、わき道へそれてしまったのだ。脇道とは、性的快楽を知ると言う事だけれど、その道しるべを付けたのは、母である、一ノ瀬智恵子さんの生活態度なのだ。どうして、今頃になって、可愛い子だったなどと言えるのだろう。馬鹿みたいだ。
池永チャールストーマスとの、いざこざも、それを、自分が今まで間違った子育てをして来たことへの、天からの、サインとして受け止め、必死になって、生活を立て直し、母娘関係をやり直し、小さいころからの、落ちていたところを埋め合わせるチャンスだったのに、・・・・・と、思っておりました。
私の頭は、回転が超早いのですよ。で、一ノ瀬さんについて、あれこれ、まとめ上げた上で、瞬時に現実に戻り、また、香月さんと、小堀さんとの会話に、耳を傾けました。
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副題7、『「モルディブで、ワークショップをしていたんですって、それって、私が、頭の中で考えている母親像と、真っ反対の行動ですね」と、煮えたぎる様な思いにとらわれたのだった』
じっと、耳を傾けていると、「その様子を教えてくれたのは、モルディブへ一緒に言った仲間の人なの。でも、私はとても、お葬式にはいかれなかったわ」と、小堀さんは、続けました。で、私はここで、初めて、「モルディブってなあに?」と、質問をしました。すると、小堀さんが、「ワークショップがあったの」と、いいました。「そこで、一ノ瀬さんと、一緒だったの」とも。
私も香月さんも、小堀さんが、お葬式に行かれなかった気持ちはよくわかりました。小堀さんは、落ち着いた人だし、考えが深い人です。あんな事件で、お子さんを亡くした人のそばにどうしていかれます? それは、無神経の極致と言うものです。小堀さんは無神経な人ではありません。
一方で、沙彩ちゃんの、ご両親には、いろいろな側面で、無神経ぶりを感じていますよ。あの場合、お葬式をするべきではなかったと思います。お友達は、グループごとに、後日自宅へ招いて、お別れの会を開いた方がよかったと、思います。手間を惜しんではいけません。子供を愛すると言う事は、エネルギーを要する事なのです。一ノ瀬さんは、エネルギーを画家としての自分が偉くなる方向へは、使っているが、子供に対しては、使っておりません。だから、だめなのです。
沙彩ちゃんは外見と肉体は、成長をしていたでしょう。だけど、心の側面で、育っていなかったのです。やっていいことと、やってはいけない事の、区別がついて居ない状態でした。そういう部分こそ、母親が小さい時に、こどもの、身に、沁み込むように教え込むべきことなのです。
ただ、私は小堀さんと、香月さんには、自分の思っていることは、語りませんでしたよ。私が頭で、考えていることなど、30秒程度の言葉で、説明するのは、圧倒的に無理なことだからです。普通の会話で、一人の人が、一分も話すことは無理なのです。20秒程度しか、話せません。その中で、どうして、語れるでしょう。
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副題8、『私は探偵ではない。だから、小堀さんに対して、のどまで出かかった質問があったが、実際には、それを、出さなかった』
私は自分に対して、大きな縛りをかけています。「決して、人を、たぶらかさない。騙さない。ひっかけないなど」の、決まりです。上の章で、語っている、モルディブのワークショップの話でも、すぐさま、「それって、誰がメンバーとして行ったの?」とか、「何日間、行ったの?」とか、「誰が、計画したものだったの?」とか、「誰(または、どんな組織)がお金を出したの?」とか、「帰国したら、どこで、どういう展覧会をするの?」と言う様な質問です。
ここで、一般の方で、特に年取っている方で、ワークショップと言う言葉の、意味をよく知らない方のために、念のために、解説をさせていただくと、
この場合は、ある団体が、200万円ぐらいの費用を出したと、思います。そのうちの100万円は帰国してからの、展覧会用の費用だと、思います。美術館を借りる。または、大きな画廊を借りる。案内状を印刷する。それを、郵便で出す。などの、帰国後の費用として、80万円ぐらいを当て、モルディブでの、制作実習への、費用へ、120万円ぐらい充てるのだと、思います。もし総額が、300万円以上の予算だったら、企画者へ、謝礼として、50万円ぐらいが当てられ、現地での生活費用に、150~200万円ぐらいが当てられるでしょう。総費用如何によって、待遇と、参加者の人数が代わってきます。宿は、大学生用の寮みたいなものを使えば、一泊、3000円ぐらいで済みますので、一週間でも、2万円ぐらいな筈です。食費も入れても、一人、5万円ぐらいだから、飛行機代を入れても、最低の待遇だったら、一人、10万円の予算で済むでしょう。全員で、12名~15名ぐらいが参加していると思われます。
こういうワークショップの目的は、それに参加して居る人に箔をつけるという目的があります。だから、企画者が、権力を持つこととなります。
そして、そう言うものに、誘われない画家との間に、差別を作っていきます。私は誘われない方の作家だから、小堀さんよりも下の格の作家であり、無論の事、一ノ瀬さんよりも格下の作家です。しかしね。私自身は、そう言う仕組みを利用する、人間たちの裏側をすっかり、しかも、ただしく、把握しているので、決して自分を卑下することはないのですよ。『うーむ、また、一ノ瀬さんをスターにして行こうとする仕組みが、企画をされたのですね』とは、思うが、しかし、その詳細を、小堀さんに質問をすることはないのです。具体的な固有名詞(たとえば、その組織は、朝日新聞社だったとか、または、美術9条の会だったとか、その手の実名)を知らなくても、このブログの読者には、その実態を説明できるからです。
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副題9、『小堀さんに、私は、仁義(?)は切ったのですよ』
でね、モルディブのワークショップに参加したことは、私が、もっとも、批判したいポイントです。既に、池永チャールストーマスと、トラブルが起きて居て、しかも、娘に縁を切りなさいと、言っている状態です。子供の事を真に判っているお母さんだったら、その縁切りが簡単には、行かないことはわかっているでしょう。
損なケースで、日本を離れることなど、圧倒的に間違った選択です。昔から、一ノ瀬さんを観察しているが、非常にふわふわした人です。画面の中で、どこにどの色を置きましょうか?とか、どこに線を引きましょうか?と言う部分には、頭を働かせるでしょうが、
池永チャールストーマスと、娘の間柄を、どう改善して行ったらいいかなどの、側面では、頭を働かせない人なのです。『こういう傾向の人は、(渡辺幸子さんと親しかった時に)、居るのだ』と、判っております。渡辺幸子さんと、一ノ瀬さんは、共通する部分がいっぱいあるでしょう。
私は2013年の今まで、一ノ瀬さんについては、大量の文章を書いているとは思いますが、この2016年の、三月7日までは、このモルディブのワークショップの事は書いていなかったと、思います。
一宿一飯の恩義があると言っては、古臭いですが、2013年4月から、10月までの、小森さんの、親密さを示してくださった、事への、義理はあると、思っておりました。しかしですね。2015年12月を境にして、それは、消え去ったと、おもっております。その時期に、画廊香月で、小森さんは何回目かの個展をしたのです。その際に、小森さんからも、個展の案内状が来なかったし、画廊のオーナー香月さんからも来ませんでした。これで、狐と狸の化かし合いは、終わったのです。(笑い)
お互いに、真実の姿へ戻ったと言う事でしょう。上條さんが、親密にしてくださるのは、ずっと、昔からの事だから、不思議ではないのですが、あの、2013年度の、小森令子さんの、親密さを示す度合いは、変でした。裏に香月ひとみさんの意思が働いていて、また、その上の存在としての、野見山さんが居たと、おもっております。と、言いながら上條さんも、最近では秋山裕徳太子氏と、3人展をしたりして、敵さん方に、最大限に利用をされていらっしゃるので、それもむろんわかっておりますが、面と向かって意地悪なことはしない人でしょう。そこは、信じているし、それも破られる日が来れば、それは、それで、文章の書き方が異なって来るだけの話です。
この件はもっと、続きますが、この章は、ここで、終わりとさせていただきたいと、思います。野見山さんを中心とする【美術9条の会】の存在が、この三鷹ストーカー事件によって、一ノ瀬さんが会員だったと言う事から、私に、わかっただけでも、・・・・・天は、その采配を、見事に、振るっておられるのだ・・・・・と、私は、おもっております。人間はですね。池永チャールストーマスに、検察が、時期外れの抗告をするという形で、22年よりさらに重い罪をかぶせようとしております。でも、天は、きちんと一切をご覧になっておられることでしょう。
池永を死刑にすると、一ノ瀬千恵乎さんは、ご自分の母親としての、怠慢によって、二人の、人間を殺したと言う事になります。けれど、それを、ミスターパパは、今、現在、主張をしているそうです。当然の事、ママもそれに、同調をしているのでしょうね。そうなると、私が考えている事とは真っ反対の心境だと、言う事となります。
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副題10、『池永チャールストーマスが、殺されても仕方がないが、・・・・・と言うのも、私は弁護士でもないし、彼を助ける手段はないから・・・・・それで、また、鎌倉エージェントを助けるために、殺された人間の数が増えるのだった。そうすると、早川重章さんとか、前川佳子さんが、上品ぶっていることが、偽善極まりないと言う事となる。
何故なら、早川さんが、小町通りを歩いて、扇が谷の自宅へ向かうのは、異常な事だし、それが、2週間のうちに、五回以上もある野も異常なことだ。しかも、私が外出時に、それが、起きると言う事は、雪ノ下の、あくどい連中、前田氏などが、常用する手法と、まったく、同じなので、結局のところ、早川重章さんは、鎌倉エージェントに使役をされていると言う事になる。それが、私には、一月ごろから、明々白々にだった。それなのだが、この<<<<<池永チャールストーマスに、過酷な刑を与えましょう>>>>>と言うのも、同じ仲間である、鎌倉エージェント(その一人が、野見山暁次さんだと思うが)の、発案だと、思われるので、そこで、この2,3日は、結び付いていくからだった。
前川さんには、ここでは、こう言っておこう。「彼等と結びつくと、瓜南直子さんとか、一ノ瀬智恵子さんみたいに、神様に見放されますよ」と。ただし、彼女(ここでは、前川佳子さん)はこのブログは読まないだろうが、それでも、そう、言っておこう。「どうしてかと言うと、あなたは、善人だろうから」とも。・・・・・悪人は彼らと結びつくと、エネルギーが増えるみたいですが・・・・・善人は、エネルギーを吸い取られるのですよ」とも』
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後注1、
沙彩ママは事件直前に、海外へ行っている。種々の点で母としては無責任なのに政治を味方につけて!? 2016-03-09 01:09:32 | 政治
後注2、
渡辺豊重さんは、沙彩・ママを、自分のアクセサリーとして、連れ歩いていたが?△ 2013-10-28 01:56:05 | 政治
後注3、
母とは、普通はもっと地味で、堪える姿勢がある筈だ(三鷹ストーカー殺人事件)△ 2013-10-30 06:21:07 | 政治
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