実は、下のモノを途中までしか、推敲しておりませんが、すでに、三日目に入ったので、急遽、新しい文章へ移行をさせていただきます。途中までしか推敲をしておらず。恐れ入ります。が、非常に忙しくて恐れ入ります。
ところで、今日のタイトルはすごいのですが、土井してか、いつも救われます。
下の益山夫人に車に轢かれそうになる項目ですが、50メートル先で、彼女の車が停止していたときから、変だぞと思い、何か気構えがあったのでしょう。急発進して、こちらに向かってきたときに、横っ飛びに逃げることができました。たまたま、120どの角度で、くぼんでいたので、彼女の運転する大型車は、そのくぼみには入れず、私は助かりました。で、どうか、すべての他殺・企画はつぶれて行くと、安心して、お読みいただきたいのです。なんだか、『自分は、天に守られている』という感じがします。
副題1,『バスティーユで、美形の紳士に呼び止められたが、悪人だとすぐわかる』
副題2,『私のブログと連動して、外務省が、パリは治安が悪いと発表する』
副題3,『週刊朝日は、できごとろじいの中で、拉致を、冗談めいて、しつこく繰り返し、報道した』
副題4,『北久里浜駅裏(東の岡の上)の、大マンション群は、疑惑の土地の上に建つ』
先ほど、外出していた間、紙のデータを読んでいたら、まさしく、これから書こうとしていた、パリでの、拉致未遂の、ブログの文章が見つかりました。
それは、2010年2月13日に発信したモノです。トラックバックで、利用したいところですが、たぶん利かないと思うので、ここに、再現させてくださいませ。ただ、相当に、解説を加えます。
一年前にそれを、書いたときも、それが、諜略の結果であるとは、うすうす気がついていたのですが、そこまでは、はっきりとは、書いていないでしょうし。
原文は、3200字ですが、重要なところだけ残して、短縮します。
サクレクール寺院のそばの工房で、そちらを摺り師として、版画を摺ってもらおうとした帰りなのですが
サンポールという駅で降りなければいけないのに、私の版画は、一枚日本では、摺るのに、一万円も取られるほど、高いお金を出さないとできない版画なのです。特殊な種類です。が、私は、自分の方から、一枚につき、7000円、当時のレートで、100フランかな、出しますとは言わなかったのが災いしたと思います。
摺り師としての、働きを断られてしまいました。
で、がっかりして、帰宅する途中、あまりに、がっかりしていたので、地下鉄一番線で、たった、15分ぐらいの距離を乗り過ごしたのです。サンポールという駅で降りないといけなかったのに、バスティーユまで、乗り過ごしてしまいました。
サンポールは小さい駅ですが、バスチーユは大きい駅です。すべて、地下にあるのですが。
その中の、
あたりに誰も居ない場所で、突然に、私は呼び止められたのです。
相手の背は180センチぐらい。私より頭ひとつ高いです。そして、何よりも着ているものが素敵なことにはまず気がつきました。とても、上等な、しかし、十分に着こなしていて、やわらかくなっているホームスパンのジャケット。グリーンか茶色かわからないが、色合いもすごく素敵です。こういうものを着ている人は、意外と現在(=1998年のこと)は、地下鉄や町では、みかけないのです。パリでも、お金持ちは車に乗って移動をしているのか、オーソドックスなおしゃれをした人に出会うことは少ないのです。日本だってこれほど、おしゃれなジャケットを着ている紳士には、めったに出会えません。
彼は顔も優しそうでした。日本でたとえるなら、森本レオさんという雰囲気。または、渡瀬恒彦か?
でも、外人(白人)ですから森本さんとは、違います。・・・・・どうしても似た人を探せば、ウィリアム・ホールデンかハンフリー・ボガートかな。はたまた二人を足して二で割ったような渋い美形です。
版画の関係では、ぱりで、すでにいろいろな外人に出会っていましたが、一番の美男子だったでしょう。最初は、だから、安心して話を聞こうとしました。だけど、内容を聞いた途端に、私は『変だ。これはおかしい』と思い、全速力で、逃げ出していたのです。
どうして、『あ、この人は悪人だ』と気がついたかですが、周りに四・五人の屈強な同じく背の高い男性が居て、それらの人間の顔が悪相だったのです。スキンヘッドだったりして。中心人物とは明らかに差があり、紳士が、命令者で、手下を数人従えているのだと、察しました。
その上、一番変だったことは、「地下鉄の切符を後検札するから」といわれたことです。
これがものすごくおかしいと感じました。今ではどうなっているかがわかりませんが、1998年当時の改札口は、非常に簡単なもので、そこを飛び越える若者も居ました。だけど、私みたいな外人が、そんな小銭を節約するはずがありません。緑色のラシャ紙を、細く切った素朴な切符で、お値段も安くて、パリ市内なら、外へ出ない限り、全線同じ、値段だった記憶があります。
そして、改札を出た後では、切符は手に持っていないのが、普通ですから、チェックするのなら、改札のすぐ傍でチェックをするのが普通でしょう。彼らに呼び止められた場所は、改札口よりは20メートルは離れていて、地下鉄の職員とはまるで関係がなく、この呼びとめが行われたことが瞬時にわかりました。
普通なら誰だってもって居ない切符を「持っていないから、駄目だ」と、責め立てられれ、警察に来て欲しいなどといわれて、車に乗せられたら最後、警察ではなく、どこか、恐ろしい場所に、拉致されるのだと想像します。
すごい勢いで走って逃げました。ヒールのある靴を履いていて、スカートもはいていて、しかも左腕には、重い銅板入りの、紙袋を持っています。それなのに、必死で走って逃げました。
バスティーユは地上に出れば、中心のオベリスクを囲む円形の広場です。地下鉄の駅は、その中心から、やや細い地下通路が、四方八方に向かって放射状出ています。たびたび例として出す映画『ポンヌフの恋人』でも地下鉄の通路が印象的な場面で使われていますが、それも、バスティーユ駅の地下道を使っているのではないかと思うほど、似ています。
そこを全力で走って逃げました。よくぞ、重い銅版を入れた紙袋が破れないで済んでくれたものです。もしそれが敗れたら、それは、制版済みといって、模様が既につけられているものですから大切なので、それを拾うために立ち止まり、敵に捕まってしまっていたでしょう。
そして、時も味方してくれました。そのころの私は、まだ、十分に若かったのです。今では心臓がそれこそ破れる感じで、五十メートルも走れないでしょう。しかし、その日は火事場の馬鹿力がでました。
~~~~~~~~~~~
実はパリの普通の人って意外と背が低いのです。私は普通の日本人として、外人だとアメリカ人のことを思うので、背が高いはずだと信じ込んでいるのですが、アメリカの特に白人は、数世代にわたって、大漁のお肉を食べてきたのか、特別に大きいのです。
しかし、フランス、スペイン・イタリア、ギリシャ、トルコ等の南欧の人は、体格はそれほど大きくは無いのでした。そして、この後で、続きますと、2010年には書いていながら、その続きを書いていません。
それは、ほかの現象が入ったこともありますが、結局はそのときは、まだ、覚悟が定まっていなかったのです。真実の敵を明らかにする覚悟が定まっていなかったのでしょう。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
副題2,『私のブログと連動して、外務省が、パリは治安が悪いと発表する』
私は、2008年の9月に、ブログを始めてから、1700本、以上のエッセイを載せていますので、このバスティーユのケースは、もしかすると、別の場所で書いているかもしれませんが、そちらか、こちらかの、すぐ後で、外務省がパリは、治安が悪いと発表をし、それが、朝日新聞に載りました。
これこそ、国際的、軍産共同体が、私を個別、というか、特別に狙っていることを証明しています。というのはパリ観光当局か、フランス外務省かは知りませんが、そんなことを発表したら、損でしょう。そんなことは普通は発表をしません。が、ためにする報道だから、堂々と発表をするのです。
一過性というか、実態がないニュースです。これは、ソニーのハッキング事件も同じだし、ありと、あらゆる、ハッキング事件も同じです。ホワイトハウスも韓国政府にもハッキングが入ったと言われていますが、損亜はずはありません。私が、自分へ、個別に加えら得ている特殊な攻撃を語るたびに、それが、特殊なことでは、なくて、一般的にもあるのだといいたくて、そういうニュースが作られます。
だから、そういうニュースを見ている打ちに、自分が大物だと気がつくこととなります。そして、ホワイトハウスでさえ、動かすのだし、パリのバスティーユに、俳優よりもすてきだと思う紳士(本人も屈強だし、手下どもはさらに、屈強だった)が、現れて、拉致されそうになり、
・・・・・・しかも、外務省やら、朝日新聞まで加わって、それを、一般論へと、転換すべく、ニュースを作り出し、発表するのを見ていたら、そりゃあ、自分は大人物だと思い至りますよ。で、何でそんなに、注目されるの? と思えば、頭の良さしかないですよね。だから、私は自分の観測が正しいと、信念を持つようになっていくのです。
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副題3,『週刊朝日は、できごとろじいの中で、拉致を、冗談めいて、しつこく繰り返し、報道した』
この1998年から数年間、週刊朝日は、『できごとろじい』というコラムの中で、繰り返し、世界中で拉致が行われていて、女性は、手足を切り落とされ、売春窟で働かされると言う、ニュースを伝えました。
イラストがついていて、一種のジョークです。ほかの話題がすべて、笑いを誘うモノですから、これも、その一環です。北朝鮮の、本当の拉致が明らかにされて、帰還者モデル用になり、蓮池さんのように、インテリも入っていると、この『できごとろじい』の、記事は終わりました。
私はその頃、元気で、東京への行き帰りには、週刊誌を読む習慣があり、行きに一冊、帰りに一冊で、週に四冊ほど読む習慣にしていましたので、これは、確かです。
私は、それらの記事を全く信じませんでした。日本全国の人も信じなかったと思います。時々、アムステルダムで殺されたとか、ヨセミテで、殺されたとか、南の島で、死体が見つかったとか報道をされます。
だけど、できごとろじいが、報道をしたようなプロの誘拐犯が、色町の娼婦を集めるために、誘拐すると言うことはないでしょう。
そして、本当に、それがあるのなら、絶対に、まじめな姿勢で、報道を、したり、キャンペーンを張らないといけません。本日以降、それが起きたら、それもまた、私が左右したニュースとなりますが。
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副題4,『北久里浜駅裏(東の岡の上)の、大マンション群は、疑惑の土地の上に建つ』
2011年10月17日の月曜日の夜、私は北久里浜へ行ってきました。そこに、1970年代までは確かに横須賀市の水道山がありました。私の家が、根岸町、2-103という番地で、そこから真南の位置に、それがありました。
が、驚いたことに、そこは、すっかり、木が伐採をされ、宅地開発もされ、大マンションが4棟建っていました。そのことは、2週前の訪問でも、遠目からは、気がついており、
鎌倉の、自宅へ戻って、グーグルや、ヤフーの地図を拡大してみましたが、不思議なことに、その大マンション(sora とか言う名前がつけられている)が、地図に現れてきません。だが、実際にはそこにたっています。
しかも、そのマンションから、五階分の高さを持って、地上に降りる、エレベーターが、ついているそうですが、その切符(月極、1500円)は、登録制でないと買えないのだそうです。
秘密主義が強いです。が、後ろの一戸建ての、住宅地、池田分譲地の人は、サービスで、無料だった時期を経て、今は、登録制で、その切符を買うことができ、それを利用することができるとも聞いて、さらに、この土地が持つ疑惑に思い至りました。
この土地は、総面積で、5千坪ぐらいあるでしょう。それ以上かもしれません。そのうちの、1200坪分は、確かに、大建産業(これは、1970年代までの名前、それ以降変更された可能性はある。社長は中野某氏のはず)のものであり、
あとは、・・・・・2005年頃、私に電話をかけてきた、測量士の談によれば、「伊藤忠何とかという伊藤忠の子会社が持っている」そうです。・・・・・マンションを分譲する場合、土地の所有権は移転をするのでしょうから、今は、違うはずですが、2008年までは、完璧に、その、4,5社のモノだったでしょう。
大建産業の元社長は、益山某という人物で、伊藤忠の顧問で終わった、瀬島隆三氏と親友です。益山某氏は元海軍参謀で、瀬島隆三氏は元、陸軍参謀かな?
この益山某氏が、横須賀市の水道山を、搾取(収入の上前をはねることではなくて、詐欺で、自分のものに)してしまった課程を、私はつぶさに知っているのです。つまり、事件の目撃者なのです。で、それが遠因となって、バスティーユで、人生において、三回目の暗殺を狙われたわけです。命令の主体者は瀬島隆三でしょう。でも、結局は、逃げおおせたので、ついに、はげしく、天を信じるようになったというわけです。
バスティーユの拉致未遂が起きたのが、1998年で、
北久里浜の詐欺事件が、起きたのが、1980年だったと覚えています(が、これは、後で、調べ直さないといけません。ただ、30年も前です。
で、どういう作業かというと、横須賀市の水道山(=公有地だから、だれも、その地境に、敏感ではない)に接して、150坪ぐらいを益山氏は、買いました。だが、実際には、水道山を、一部は蚕食して、1000坪分ぐらいを、道路込みで、宅地開発してしまいます。こちらの仕組みは、1970年代の、まだ、引っ越して売る前のことなので、私は目撃者ではありません。ただ、登記簿上、益山氏は、1980年の事件を起こしたときには、一坪分桃っていなかったのです。つまり、2,73平米しか残っていなかったのです。500何平米かっておいても。
一部分は、道路にしてあります。が、益山さんが、1970年代に、最初に、売り払った建て売り住宅や宅地の総計を見るととても、500平米では収まりません。ます。そして、人を小馬鹿にし、なめきったシステムですが、本人の登記簿上の残りの土地は、一坪以下(=2.73平米)になってしまっています。
その上で、二回目の蚕食に取り組みます。自分の家、それは、すでに違法な部分に建っているのですが、それを、高い五メートルぐらいの、木の塀で囲み、その中でシェパードを放し飼いにして、他人を近寄らせない様にして、開墾を進めてしまうのです。で、見かけ上では、いかにも、その人の宅地であるがごとくにしてしまった後に、それを、地積変更届という仕組みだけで、自分のモノにしてしまうのです。
それが、可能なのは、その水道山が、一種の岬の突端という形を取っていて、誰にも見えない形であるからです。ヘリコプターでも飛ばせばね。みえますが、北久里浜の市街とか、後ろの住宅団地からは見えません。
で、私は、その地積変更届の実印を押すように迫られたときに、なんと、ついでに、自分の土地を取られそうになって必死で戦ったから、すべてがわかってしまったのです。なんと、書類上だけで、何も審査もしないで、突然に、ある人物の土地が、2,73平米から、4260平米に増えてしまうのです。おどろくべきしくみです。
いわゆる経済犯罪の一種だと思うし、私は、それの、つぶさな、目撃者です。しかも、それは、法務局とか、財務局を舞台として行われたので、私は、同時に、そちらを相手にして、たたかわなくても、いけなくなって、・・・・・
結果として、法的には、勝っているから、すこぶる頭のよい人間であると言うことを、彼らに、しっかりと見せつけ、植え付けてしまったのです。で、瀬島隆三は、私の命を狙う必要があルと、決意したのでしょう。
きょう、その水道山の山桜等の、自然林が、跡形も、無くなっていて、4棟の、大マンション群が建っていることを知り、『なるほどね。こういう将来を導き出すために、1998年に、私を、暗殺しようとしたのですね』と、わかったわけです。
そのマンション群は、その元横須賀市水道山の、益山氏が、開拓した、1200坪の上に建っているわけではありません。
が、2005年か、2006年頃、彼ら側の・・・・・「自分は、東工大を出ています」と前置きをした、・・・・・測量士を名乗る人間から、電話がかかってきたときの感触では、その水道局の山全部が、同じ考えの持ち主の、意思で、これから、開発をされるのを知りました。
その時彼が、後で、述べる、横須賀市の副市長である杉本家の「坊ちゃんのことを知っていますか?」と聞いてきたので、変なことを聞くなと、疑問に思ったのです。杉本家の坊ちゃんとは、地域社会で、噂の対象となっているぼっちゃんです。ですから、噂の内容は、知っていることを伝えるために、彼にも、もちろん正確に伝えました。
今となっては、向こうがひどいことをやってきたときに、私が防衛上、杉本夫人のことを、どういう風に分析し、どういう風に、書くつもりであるかを探ってきたのだと思います。ですから、坊ちゃんについては、ここでは、わざと、触れません。
~~~~~~~~~~~~~
副題4,『益山夫人に、ひき殺されそうになるが、と、同時に益山氏は、急死する』
その事件の際、私は、電話が完璧に盗聴をされているのを知りました。でも、今思うと、それ以前もそうだったかもしれないし、それ以降は、完璧に、電話はすべて盗聴をされています。それから、それは、一瞬も、やすまずだったとわかります。
しかし、それを、こちらが、自分の身を守るために利用したこともあります。たとえば、益山夫人に私は、車でひき殺されそうになりました。私は外の公衆電話からも弁護士さんにそれを知らせ、また、自宅の電話からも、それを知らせました。すると、その同じ日の夜に益山氏は、急死しました。
それから先の解釈ですが、夫人の企みがもし、出来心なら、『妻を、ここまで追い詰めてしまったか。・・・・・前の妻はアメリカ側の将校とアメリカへ、逃げてしまっており、二度目として迎えた、この若い妻は、自分にとって、とても愛しいモノだったのに、それほどの、ことをさせてしまったか』と嘆いているうちに脳卒中でも起こしたというケース。
反対に、奥さんが、車でひき殺そうとしたのは、夫婦同意の上で、『ここまで、あいつが頭がいいと、殺すしかない』となって取り組んだことだけれど、それが失敗したので、単なる経済事件でhなくて、殺人未遂にまで発展をしてしまい、将来、そのことを、彼女に口外される可能性もある。
彼女の口を封じるためには、ここで、私が切腹をするしかない』と、言って、自殺をしたのかもしれません。
益山氏は、高級軍人ですから、ヒ素は常に持っていたでしょう。だから、切腹イコール、服毒自殺です。が、瀬島隆三がついているのですから、死因は、通常の病死として届けられているはずです。
そういえば、益山夫人は、100メートルぐらい向こうにある自宅(祭壇がしつらえてあるはず)から、わざわざマイクを持ってきて、我が家の居間の前の、6メートルのところにある、我が家の塀のところで、「私の主人は立派な人間でした」と、繰り返していました。つまり、おまえが殺したんだと言わんばかりでした。
私は外にけんかを、やりになど、出ませんでしたが、
『何という悪人たちなのだろう。自分で勝手に経済的な、ちょうずるい事件を起こしておいて、しかも、その真実がばれたら、目撃者たる私を、殺そうとして、さらに、それも失敗したら、『おまえのせいで、死んだ』と、甘えまくるつもり。やめてください。大人でしょう。どこに自己責任があるのです。最初から悪いことを、やらなければいいでしょう。お馬鹿さんめ』と、内心で、怒っているだけでした。私は、虫も殺さぬほど、優しい人ですが、優しさとは強さです。だから、脅かされれても一切引きません。ただ、いつ何を書くかは神様にゆだねています。
昨日も銀座で、一軒だけ、非常に失礼な態度を取ったところがあります。それを、相手にけんかぱやく、抗議はしません。だけど、『あ、そうですか? あなたにそういう態度を取らせる、敵陣の一角は崩しますわよ。あなたより、時間的には前の、前の前の、前の段階のことは話しますわよ』と、決意しますわよね。それは当たり前です。ですから、『自陣営に、人数が多い、多いと、喜んでいたって、お馬鹿さんが含まれていたら、それで、アウトですよ』と、敵陣様と言っておこう。
しかも、深夜から、朝の五時にかけての、文章を今、さらに深めてはっきりと書いています。それは、なぜかといえば、フェイスブックでも、また、障碍にあいましたので、さらに、覚悟が決まったからです。『ハイ、ハイ、そうですか。じゃあ、こちらも先へ進みますよ』となります。
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ところで、読者の皆様にもうし上げます。何度も繰り返していますが、都会に住む限り、誰かを、馬鹿にしたり、いじめたり、下手においたりしていはいけません。それは、あなたご自身の墓穴を掘ることになります。私は、目の前で、益山某元海軍参謀が、実際の墓穴を掘るのを見ましたから。
戦時中には、三十代で、参謀と呼ばれた人間です。最も頭がいいと言われた人種です。が、私から言えば、彼のすることなすこと、すべて、予測がつきましたから、「実際には、たいしたことないね」です。
この益山夫妻は、両方なくなっているそうです。で、実質的に、この山を牛耳っているのが、益山夫人の弟である、中野某氏ですが、彼の自宅とおぼしきあたりも見て来ました。なんと、コンクリート製の、高さ3~4メートルの塀に囲まれていて、ふと、稲川会の会長の自宅を思わせました。そちらは、お城みたいなおうちですが、建物部分が外から見えます。が、中野氏の所有地は、一切中が見えません。
ただね、さらに、はっきり言えば、その塀の中には、彼の、家はないのかもしれないのです。そこが問題の土地であるが故に、誰の目にも見えない様に隠されている・・・・・そういう可能性はあります。そして、こういう大規模なマンションには、上の階に、特別に広い区画で分譲しているところがありますね。そういうところを、三つぐらいもらっているのかもしれません。
が、稲川会に比べても、こちらは・・・・・・一切を世間から隠していますから、・・・・・悪人度が、より高いですね。中野氏は、普通の日本人ぽいしょうゆ顔をした男性ですが。お姉さんの方の、益山夫人は原節子みたいな洋風の美人でしたけれど。でも、この大マンション群を売った利益の内、4分の1は、彼のモノだと思うから、資産15億以上の大金持ちだというわけです。で、金の力で、威張りまくるでしょう。特に子供や孫はいきさつを知らないから。堂々と威張りまくるでしょう。
最初はゼロ円だったのですよ。だって、この土地は、横須賀市の水道山だったのですから。それを、買ったわけではなくて、蚕食して、登記簿上、自分のモノに、してしまったのですから。
ただね。伊藤忠なんとか、かんとか、という伊藤忠の子会社が持っている部分は、横須賀市から正式に、買ったことになっているのかもしれません。と、なると、当時土木課長であり、奥さんがとても親しかった、杉本夫妻が問題になってきます。 杉本氏は、とんとん拍子の出世で、一般の戸建て住宅から、敷地が三倍ほどあり、宮大工が建てたようなお宅へ引っ越しました。が、同じ町内だから、本当は大問題なのです。
一種の誇示なのですが、普通の人は何でと思いますでしょう。だから、杉本家の噂もちまたに飛び交うこととなります。私は、10方向ぐらいからそれを、聞きました。
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副題6,『昔、親友、今は敵なる、杉本、横須賀市・元または、現・副市長夫人』
ここで、徹夜明けの午前、五時半になりました。今から家事をしないといけないので、ここで、いったん切ります。ここで、終わりとさせてくださいませ。この続きは次の日、18日にここで、書くか、別の章で、表します。
ところで、今日のタイトルはすごいのですが、土井してか、いつも救われます。
下の益山夫人に車に轢かれそうになる項目ですが、50メートル先で、彼女の車が停止していたときから、変だぞと思い、何か気構えがあったのでしょう。急発進して、こちらに向かってきたときに、横っ飛びに逃げることができました。たまたま、120どの角度で、くぼんでいたので、彼女の運転する大型車は、そのくぼみには入れず、私は助かりました。で、どうか、すべての他殺・企画はつぶれて行くと、安心して、お読みいただきたいのです。なんだか、『自分は、天に守られている』という感じがします。
副題1,『バスティーユで、美形の紳士に呼び止められたが、悪人だとすぐわかる』
副題2,『私のブログと連動して、外務省が、パリは治安が悪いと発表する』
副題3,『週刊朝日は、できごとろじいの中で、拉致を、冗談めいて、しつこく繰り返し、報道した』
副題4,『北久里浜駅裏(東の岡の上)の、大マンション群は、疑惑の土地の上に建つ』
先ほど、外出していた間、紙のデータを読んでいたら、まさしく、これから書こうとしていた、パリでの、拉致未遂の、ブログの文章が見つかりました。
それは、2010年2月13日に発信したモノです。トラックバックで、利用したいところですが、たぶん利かないと思うので、ここに、再現させてくださいませ。ただ、相当に、解説を加えます。
一年前にそれを、書いたときも、それが、諜略の結果であるとは、うすうす気がついていたのですが、そこまでは、はっきりとは、書いていないでしょうし。
原文は、3200字ですが、重要なところだけ残して、短縮します。
サクレクール寺院のそばの工房で、そちらを摺り師として、版画を摺ってもらおうとした帰りなのですが
サンポールという駅で降りなければいけないのに、私の版画は、一枚日本では、摺るのに、一万円も取られるほど、高いお金を出さないとできない版画なのです。特殊な種類です。が、私は、自分の方から、一枚につき、7000円、当時のレートで、100フランかな、出しますとは言わなかったのが災いしたと思います。
摺り師としての、働きを断られてしまいました。
で、がっかりして、帰宅する途中、あまりに、がっかりしていたので、地下鉄一番線で、たった、15分ぐらいの距離を乗り過ごしたのです。サンポールという駅で降りないといけなかったのに、バスティーユまで、乗り過ごしてしまいました。
サンポールは小さい駅ですが、バスチーユは大きい駅です。すべて、地下にあるのですが。
その中の、
あたりに誰も居ない場所で、突然に、私は呼び止められたのです。
相手の背は180センチぐらい。私より頭ひとつ高いです。そして、何よりも着ているものが素敵なことにはまず気がつきました。とても、上等な、しかし、十分に着こなしていて、やわらかくなっているホームスパンのジャケット。グリーンか茶色かわからないが、色合いもすごく素敵です。こういうものを着ている人は、意外と現在(=1998年のこと)は、地下鉄や町では、みかけないのです。パリでも、お金持ちは車に乗って移動をしているのか、オーソドックスなおしゃれをした人に出会うことは少ないのです。日本だってこれほど、おしゃれなジャケットを着ている紳士には、めったに出会えません。
彼は顔も優しそうでした。日本でたとえるなら、森本レオさんという雰囲気。または、渡瀬恒彦か?
でも、外人(白人)ですから森本さんとは、違います。・・・・・どうしても似た人を探せば、ウィリアム・ホールデンかハンフリー・ボガートかな。はたまた二人を足して二で割ったような渋い美形です。
版画の関係では、ぱりで、すでにいろいろな外人に出会っていましたが、一番の美男子だったでしょう。最初は、だから、安心して話を聞こうとしました。だけど、内容を聞いた途端に、私は『変だ。これはおかしい』と思い、全速力で、逃げ出していたのです。
どうして、『あ、この人は悪人だ』と気がついたかですが、周りに四・五人の屈強な同じく背の高い男性が居て、それらの人間の顔が悪相だったのです。スキンヘッドだったりして。中心人物とは明らかに差があり、紳士が、命令者で、手下を数人従えているのだと、察しました。
その上、一番変だったことは、「地下鉄の切符を後検札するから」といわれたことです。
これがものすごくおかしいと感じました。今ではどうなっているかがわかりませんが、1998年当時の改札口は、非常に簡単なもので、そこを飛び越える若者も居ました。だけど、私みたいな外人が、そんな小銭を節約するはずがありません。緑色のラシャ紙を、細く切った素朴な切符で、お値段も安くて、パリ市内なら、外へ出ない限り、全線同じ、値段だった記憶があります。
そして、改札を出た後では、切符は手に持っていないのが、普通ですから、チェックするのなら、改札のすぐ傍でチェックをするのが普通でしょう。彼らに呼び止められた場所は、改札口よりは20メートルは離れていて、地下鉄の職員とはまるで関係がなく、この呼びとめが行われたことが瞬時にわかりました。
普通なら誰だってもって居ない切符を「持っていないから、駄目だ」と、責め立てられれ、警察に来て欲しいなどといわれて、車に乗せられたら最後、警察ではなく、どこか、恐ろしい場所に、拉致されるのだと想像します。
すごい勢いで走って逃げました。ヒールのある靴を履いていて、スカートもはいていて、しかも左腕には、重い銅板入りの、紙袋を持っています。それなのに、必死で走って逃げました。
バスティーユは地上に出れば、中心のオベリスクを囲む円形の広場です。地下鉄の駅は、その中心から、やや細い地下通路が、四方八方に向かって放射状出ています。たびたび例として出す映画『ポンヌフの恋人』でも地下鉄の通路が印象的な場面で使われていますが、それも、バスティーユ駅の地下道を使っているのではないかと思うほど、似ています。
そこを全力で走って逃げました。よくぞ、重い銅版を入れた紙袋が破れないで済んでくれたものです。もしそれが敗れたら、それは、制版済みといって、模様が既につけられているものですから大切なので、それを拾うために立ち止まり、敵に捕まってしまっていたでしょう。
そして、時も味方してくれました。そのころの私は、まだ、十分に若かったのです。今では心臓がそれこそ破れる感じで、五十メートルも走れないでしょう。しかし、その日は火事場の馬鹿力がでました。
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実はパリの普通の人って意外と背が低いのです。私は普通の日本人として、外人だとアメリカ人のことを思うので、背が高いはずだと信じ込んでいるのですが、アメリカの特に白人は、数世代にわたって、大漁のお肉を食べてきたのか、特別に大きいのです。
しかし、フランス、スペイン・イタリア、ギリシャ、トルコ等の南欧の人は、体格はそれほど大きくは無いのでした。そして、この後で、続きますと、2010年には書いていながら、その続きを書いていません。
それは、ほかの現象が入ったこともありますが、結局はそのときは、まだ、覚悟が定まっていなかったのです。真実の敵を明らかにする覚悟が定まっていなかったのでしょう。
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副題2,『私のブログと連動して、外務省が、パリは治安が悪いと発表する』
私は、2008年の9月に、ブログを始めてから、1700本、以上のエッセイを載せていますので、このバスティーユのケースは、もしかすると、別の場所で書いているかもしれませんが、そちらか、こちらかの、すぐ後で、外務省がパリは、治安が悪いと発表をし、それが、朝日新聞に載りました。
これこそ、国際的、軍産共同体が、私を個別、というか、特別に狙っていることを証明しています。というのはパリ観光当局か、フランス外務省かは知りませんが、そんなことを発表したら、損でしょう。そんなことは普通は発表をしません。が、ためにする報道だから、堂々と発表をするのです。
一過性というか、実態がないニュースです。これは、ソニーのハッキング事件も同じだし、ありと、あらゆる、ハッキング事件も同じです。ホワイトハウスも韓国政府にもハッキングが入ったと言われていますが、損亜はずはありません。私が、自分へ、個別に加えら得ている特殊な攻撃を語るたびに、それが、特殊なことでは、なくて、一般的にもあるのだといいたくて、そういうニュースが作られます。
だから、そういうニュースを見ている打ちに、自分が大物だと気がつくこととなります。そして、ホワイトハウスでさえ、動かすのだし、パリのバスティーユに、俳優よりもすてきだと思う紳士(本人も屈強だし、手下どもはさらに、屈強だった)が、現れて、拉致されそうになり、
・・・・・・しかも、外務省やら、朝日新聞まで加わって、それを、一般論へと、転換すべく、ニュースを作り出し、発表するのを見ていたら、そりゃあ、自分は大人物だと思い至りますよ。で、何でそんなに、注目されるの? と思えば、頭の良さしかないですよね。だから、私は自分の観測が正しいと、信念を持つようになっていくのです。
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副題3,『週刊朝日は、できごとろじいの中で、拉致を、冗談めいて、しつこく繰り返し、報道した』
この1998年から数年間、週刊朝日は、『できごとろじい』というコラムの中で、繰り返し、世界中で拉致が行われていて、女性は、手足を切り落とされ、売春窟で働かされると言う、ニュースを伝えました。
イラストがついていて、一種のジョークです。ほかの話題がすべて、笑いを誘うモノですから、これも、その一環です。北朝鮮の、本当の拉致が明らかにされて、帰還者モデル用になり、蓮池さんのように、インテリも入っていると、この『できごとろじい』の、記事は終わりました。
私はその頃、元気で、東京への行き帰りには、週刊誌を読む習慣があり、行きに一冊、帰りに一冊で、週に四冊ほど読む習慣にしていましたので、これは、確かです。
私は、それらの記事を全く信じませんでした。日本全国の人も信じなかったと思います。時々、アムステルダムで殺されたとか、ヨセミテで、殺されたとか、南の島で、死体が見つかったとか報道をされます。
だけど、できごとろじいが、報道をしたようなプロの誘拐犯が、色町の娼婦を集めるために、誘拐すると言うことはないでしょう。
そして、本当に、それがあるのなら、絶対に、まじめな姿勢で、報道を、したり、キャンペーンを張らないといけません。本日以降、それが起きたら、それもまた、私が左右したニュースとなりますが。
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副題4,『北久里浜駅裏(東の岡の上)の、大マンション群は、疑惑の土地の上に建つ』
2011年10月17日の月曜日の夜、私は北久里浜へ行ってきました。そこに、1970年代までは確かに横須賀市の水道山がありました。私の家が、根岸町、2-103という番地で、そこから真南の位置に、それがありました。
が、驚いたことに、そこは、すっかり、木が伐採をされ、宅地開発もされ、大マンションが4棟建っていました。そのことは、2週前の訪問でも、遠目からは、気がついており、
鎌倉の、自宅へ戻って、グーグルや、ヤフーの地図を拡大してみましたが、不思議なことに、その大マンション(sora とか言う名前がつけられている)が、地図に現れてきません。だが、実際にはそこにたっています。
しかも、そのマンションから、五階分の高さを持って、地上に降りる、エレベーターが、ついているそうですが、その切符(月極、1500円)は、登録制でないと買えないのだそうです。
秘密主義が強いです。が、後ろの一戸建ての、住宅地、池田分譲地の人は、サービスで、無料だった時期を経て、今は、登録制で、その切符を買うことができ、それを利用することができるとも聞いて、さらに、この土地が持つ疑惑に思い至りました。
この土地は、総面積で、5千坪ぐらいあるでしょう。それ以上かもしれません。そのうちの、1200坪分は、確かに、大建産業(これは、1970年代までの名前、それ以降変更された可能性はある。社長は中野某氏のはず)のものであり、
あとは、・・・・・2005年頃、私に電話をかけてきた、測量士の談によれば、「伊藤忠何とかという伊藤忠の子会社が持っている」そうです。・・・・・マンションを分譲する場合、土地の所有権は移転をするのでしょうから、今は、違うはずですが、2008年までは、完璧に、その、4,5社のモノだったでしょう。
大建産業の元社長は、益山某という人物で、伊藤忠の顧問で終わった、瀬島隆三氏と親友です。益山某氏は元海軍参謀で、瀬島隆三氏は元、陸軍参謀かな?
この益山某氏が、横須賀市の水道山を、搾取(収入の上前をはねることではなくて、詐欺で、自分のものに)してしまった課程を、私はつぶさに知っているのです。つまり、事件の目撃者なのです。で、それが遠因となって、バスティーユで、人生において、三回目の暗殺を狙われたわけです。命令の主体者は瀬島隆三でしょう。でも、結局は、逃げおおせたので、ついに、はげしく、天を信じるようになったというわけです。
バスティーユの拉致未遂が起きたのが、1998年で、
北久里浜の詐欺事件が、起きたのが、1980年だったと覚えています(が、これは、後で、調べ直さないといけません。ただ、30年も前です。
で、どういう作業かというと、横須賀市の水道山(=公有地だから、だれも、その地境に、敏感ではない)に接して、150坪ぐらいを益山氏は、買いました。だが、実際には、水道山を、一部は蚕食して、1000坪分ぐらいを、道路込みで、宅地開発してしまいます。こちらの仕組みは、1970年代の、まだ、引っ越して売る前のことなので、私は目撃者ではありません。ただ、登記簿上、益山氏は、1980年の事件を起こしたときには、一坪分桃っていなかったのです。つまり、2,73平米しか残っていなかったのです。500何平米かっておいても。
一部分は、道路にしてあります。が、益山さんが、1970年代に、最初に、売り払った建て売り住宅や宅地の総計を見るととても、500平米では収まりません。ます。そして、人を小馬鹿にし、なめきったシステムですが、本人の登記簿上の残りの土地は、一坪以下(=2.73平米)になってしまっています。
その上で、二回目の蚕食に取り組みます。自分の家、それは、すでに違法な部分に建っているのですが、それを、高い五メートルぐらいの、木の塀で囲み、その中でシェパードを放し飼いにして、他人を近寄らせない様にして、開墾を進めてしまうのです。で、見かけ上では、いかにも、その人の宅地であるがごとくにしてしまった後に、それを、地積変更届という仕組みだけで、自分のモノにしてしまうのです。
それが、可能なのは、その水道山が、一種の岬の突端という形を取っていて、誰にも見えない形であるからです。ヘリコプターでも飛ばせばね。みえますが、北久里浜の市街とか、後ろの住宅団地からは見えません。
で、私は、その地積変更届の実印を押すように迫られたときに、なんと、ついでに、自分の土地を取られそうになって必死で戦ったから、すべてがわかってしまったのです。なんと、書類上だけで、何も審査もしないで、突然に、ある人物の土地が、2,73平米から、4260平米に増えてしまうのです。おどろくべきしくみです。
いわゆる経済犯罪の一種だと思うし、私は、それの、つぶさな、目撃者です。しかも、それは、法務局とか、財務局を舞台として行われたので、私は、同時に、そちらを相手にして、たたかわなくても、いけなくなって、・・・・・
結果として、法的には、勝っているから、すこぶる頭のよい人間であると言うことを、彼らに、しっかりと見せつけ、植え付けてしまったのです。で、瀬島隆三は、私の命を狙う必要があルと、決意したのでしょう。
きょう、その水道山の山桜等の、自然林が、跡形も、無くなっていて、4棟の、大マンション群が建っていることを知り、『なるほどね。こういう将来を導き出すために、1998年に、私を、暗殺しようとしたのですね』と、わかったわけです。
そのマンション群は、その元横須賀市水道山の、益山氏が、開拓した、1200坪の上に建っているわけではありません。
が、2005年か、2006年頃、彼ら側の・・・・・「自分は、東工大を出ています」と前置きをした、・・・・・測量士を名乗る人間から、電話がかかってきたときの感触では、その水道局の山全部が、同じ考えの持ち主の、意思で、これから、開発をされるのを知りました。
その時彼が、後で、述べる、横須賀市の副市長である杉本家の「坊ちゃんのことを知っていますか?」と聞いてきたので、変なことを聞くなと、疑問に思ったのです。杉本家の坊ちゃんとは、地域社会で、噂の対象となっているぼっちゃんです。ですから、噂の内容は、知っていることを伝えるために、彼にも、もちろん正確に伝えました。
今となっては、向こうがひどいことをやってきたときに、私が防衛上、杉本夫人のことを、どういう風に分析し、どういう風に、書くつもりであるかを探ってきたのだと思います。ですから、坊ちゃんについては、ここでは、わざと、触れません。
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副題4,『益山夫人に、ひき殺されそうになるが、と、同時に益山氏は、急死する』
その事件の際、私は、電話が完璧に盗聴をされているのを知りました。でも、今思うと、それ以前もそうだったかもしれないし、それ以降は、完璧に、電話はすべて盗聴をされています。それから、それは、一瞬も、やすまずだったとわかります。
しかし、それを、こちらが、自分の身を守るために利用したこともあります。たとえば、益山夫人に私は、車でひき殺されそうになりました。私は外の公衆電話からも弁護士さんにそれを知らせ、また、自宅の電話からも、それを知らせました。すると、その同じ日の夜に益山氏は、急死しました。
それから先の解釈ですが、夫人の企みがもし、出来心なら、『妻を、ここまで追い詰めてしまったか。・・・・・前の妻はアメリカ側の将校とアメリカへ、逃げてしまっており、二度目として迎えた、この若い妻は、自分にとって、とても愛しいモノだったのに、それほどの、ことをさせてしまったか』と嘆いているうちに脳卒中でも起こしたというケース。
反対に、奥さんが、車でひき殺そうとしたのは、夫婦同意の上で、『ここまで、あいつが頭がいいと、殺すしかない』となって取り組んだことだけれど、それが失敗したので、単なる経済事件でhなくて、殺人未遂にまで発展をしてしまい、将来、そのことを、彼女に口外される可能性もある。
彼女の口を封じるためには、ここで、私が切腹をするしかない』と、言って、自殺をしたのかもしれません。
益山氏は、高級軍人ですから、ヒ素は常に持っていたでしょう。だから、切腹イコール、服毒自殺です。が、瀬島隆三がついているのですから、死因は、通常の病死として届けられているはずです。
そういえば、益山夫人は、100メートルぐらい向こうにある自宅(祭壇がしつらえてあるはず)から、わざわざマイクを持ってきて、我が家の居間の前の、6メートルのところにある、我が家の塀のところで、「私の主人は立派な人間でした」と、繰り返していました。つまり、おまえが殺したんだと言わんばかりでした。
私は外にけんかを、やりになど、出ませんでしたが、
『何という悪人たちなのだろう。自分で勝手に経済的な、ちょうずるい事件を起こしておいて、しかも、その真実がばれたら、目撃者たる私を、殺そうとして、さらに、それも失敗したら、『おまえのせいで、死んだ』と、甘えまくるつもり。やめてください。大人でしょう。どこに自己責任があるのです。最初から悪いことを、やらなければいいでしょう。お馬鹿さんめ』と、内心で、怒っているだけでした。私は、虫も殺さぬほど、優しい人ですが、優しさとは強さです。だから、脅かされれても一切引きません。ただ、いつ何を書くかは神様にゆだねています。
昨日も銀座で、一軒だけ、非常に失礼な態度を取ったところがあります。それを、相手にけんかぱやく、抗議はしません。だけど、『あ、そうですか? あなたにそういう態度を取らせる、敵陣の一角は崩しますわよ。あなたより、時間的には前の、前の前の、前の段階のことは話しますわよ』と、決意しますわよね。それは当たり前です。ですから、『自陣営に、人数が多い、多いと、喜んでいたって、お馬鹿さんが含まれていたら、それで、アウトですよ』と、敵陣様と言っておこう。
しかも、深夜から、朝の五時にかけての、文章を今、さらに深めてはっきりと書いています。それは、なぜかといえば、フェイスブックでも、また、障碍にあいましたので、さらに、覚悟が決まったからです。『ハイ、ハイ、そうですか。じゃあ、こちらも先へ進みますよ』となります。
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ところで、読者の皆様にもうし上げます。何度も繰り返していますが、都会に住む限り、誰かを、馬鹿にしたり、いじめたり、下手においたりしていはいけません。それは、あなたご自身の墓穴を掘ることになります。私は、目の前で、益山某元海軍参謀が、実際の墓穴を掘るのを見ましたから。
戦時中には、三十代で、参謀と呼ばれた人間です。最も頭がいいと言われた人種です。が、私から言えば、彼のすることなすこと、すべて、予測がつきましたから、「実際には、たいしたことないね」です。
この益山夫妻は、両方なくなっているそうです。で、実質的に、この山を牛耳っているのが、益山夫人の弟である、中野某氏ですが、彼の自宅とおぼしきあたりも見て来ました。なんと、コンクリート製の、高さ3~4メートルの塀に囲まれていて、ふと、稲川会の会長の自宅を思わせました。そちらは、お城みたいなおうちですが、建物部分が外から見えます。が、中野氏の所有地は、一切中が見えません。
ただね、さらに、はっきり言えば、その塀の中には、彼の、家はないのかもしれないのです。そこが問題の土地であるが故に、誰の目にも見えない様に隠されている・・・・・そういう可能性はあります。そして、こういう大規模なマンションには、上の階に、特別に広い区画で分譲しているところがありますね。そういうところを、三つぐらいもらっているのかもしれません。
が、稲川会に比べても、こちらは・・・・・・一切を世間から隠していますから、・・・・・悪人度が、より高いですね。中野氏は、普通の日本人ぽいしょうゆ顔をした男性ですが。お姉さんの方の、益山夫人は原節子みたいな洋風の美人でしたけれど。でも、この大マンション群を売った利益の内、4分の1は、彼のモノだと思うから、資産15億以上の大金持ちだというわけです。で、金の力で、威張りまくるでしょう。特に子供や孫はいきさつを知らないから。堂々と威張りまくるでしょう。
最初はゼロ円だったのですよ。だって、この土地は、横須賀市の水道山だったのですから。それを、買ったわけではなくて、蚕食して、登記簿上、自分のモノに、してしまったのですから。
ただね。伊藤忠なんとか、かんとか、という伊藤忠の子会社が持っている部分は、横須賀市から正式に、買ったことになっているのかもしれません。と、なると、当時土木課長であり、奥さんがとても親しかった、杉本夫妻が問題になってきます。 杉本氏は、とんとん拍子の出世で、一般の戸建て住宅から、敷地が三倍ほどあり、宮大工が建てたようなお宅へ引っ越しました。が、同じ町内だから、本当は大問題なのです。
一種の誇示なのですが、普通の人は何でと思いますでしょう。だから、杉本家の噂もちまたに飛び交うこととなります。私は、10方向ぐらいからそれを、聞きました。
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副題6,『昔、親友、今は敵なる、杉本、横須賀市・元または、現・副市長夫人』
ここで、徹夜明けの午前、五時半になりました。今から家事をしないといけないので、ここで、いったん切ります。ここで、終わりとさせてくださいませ。この続きは次の日、18日にここで、書くか、別の章で、表します。
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