前報は一万字の字数制限に引っかかったので、いい足りないところもいっぱいありました。そして、この山の問題は、心理学的な物にとどまらず、政治的なものへと、繋がっていくと話してあります。三週間前には一気にそこまで行くつもりでしたが、母の死とか、さまざまな要因(主に、私が自分の体をいたわったこと)で、遅れていて、今は、そこを書くのが億劫になっています。で、ちょっと、そこを離れて、銀座へ戻りましょう。
銀座にも、さまざまな事がありますが、山口みつ子さんの急死は、いつも気にかかる大きな問題です。
一番問題だったのは、読売新聞の記事です。それを、ライブのオーナー森さんが、私に見せてくれたことも大問題です。森さんは、読売新聞を取っていないそうですが、どうしてか、持っていて、それが、まず不思議です。誰からもらったのだろう。
そして、記事の中身も問題です。一度書いていますが、今回は川島女史に対する遠慮を捨てますので、さらにはっきり、くっきり書けると思います。
その記事には山口みつ子という名前は一字も入っていないのですが、事情通なら、すぐ『これが、山口さんの死を自殺だと、規定することが目的で、意図的に、作成された記事ある事は、すぐに読める』形式になっています。
文章は、Yで始まる美術評論家か学芸員(後で特定します)が、村松画廊のオーナーだった川島女史にインタビューをしていて、最近の画廊の経営事情を聞くという形になっています。簡単に言えば、画廊の経営が苦しいという話です。そこに、山口みつ子さんが経営していた画廊の入り口の写真が使われています。2010年現在は、シャッターが閉じられていますが、それは、2010年1月30日まではガラスドアが、道路に面して、画室と繋がっていました。その写真のキャプションに、『画廊の中には経営に行き詰まって、自殺をする人もある』と出ていたのです。私は13日に出会っていて健康な彼女を見ていて、17日ごろ、銀座では有名な紳士である奇魔ま美術館のオーナーからのメールで、15日に急死をされたことを知りました。
毎日新聞に訃報が載ったそうですが、そこに自殺と明記されていたかどうかはまだ調べてありません。が、三田晴夫(有名な信用高い美術評論家)からの推薦で、この訃報を、紙面に載せたと推定しますので、三田さんの配慮があるはずで、従って、自殺とは書かなかったはずです。
読売新聞が、何らかの裏側からの教唆を受けて、自殺という報道をする、措置に出たのです。しかも新聞社が責められないように、写真のキャプションという形で、しかも、個人名を伏せてね。誰の発案だろう。例の二人羽織なら、このくらいのあくどい演出はあるでしょう。当然の事として。もし、前報にあげた、ちよこれーと遊びが前田夫人の発案ではなくて、その二人羽織の発案だったら、なおさら、かれらの、いじましいまでの幼稚さと不自然さを感じますので、この読売新聞の記事も、彼ら原発のアイデアであった可能性も感じます。
山口さんに対しては、非常に失礼な扱いです。「あの、オーナーは、自殺をしたらしい」と聞くケースも他にはありますが、この山口みつ子さんのケースに見られるほど、全体として、失礼な措置をとられたオーナーは、過去にありません。川島女史は自分が利用されたことを知っていたか、いなかったかは、私は知りませんが、川島女史自身が山口さんの大悪口を言っていることは知っています。主に、経営が破綻していて破産をしたという側面を強調している噂話を撒き散らしている人です。
どうして、そういう事になるかというと、性格がきれいだった山口みつ子さんへの、潜在意識の中での嫉妬があると感じます。川島女史というのは、スーツをぱりっと着こなしていて、男性っぽい、雰囲気を漂わせている女性です。しかし、人は外見と中身は相当に異なります。川島女史は、結構女性っぽいところがあって、後輩として現れた山口さんの人間的な魅力に嫉妬していた可能性は大きいです。
川島女史の方は、より高い審美眼はあるでかも知れません。また、きつい性格なので「個展をさせて欲しい」と頼まれても、断ったりして、ご自分の画廊のレベルを保つ工夫はしたと感じます。
ただ、それだけではなくて、さまざまな心理的な、テクニックを駆使して画廊の経営に当たっていたでしょう。が、実質的には、弱い、かつフェミニンな人だったと感じます。助手の相馬さんが(ある意味で鈍感めいて)誠実だったので、コンビがうまく行って、長年にわたり成功をしてきた人ですが、その画廊がもつ、名声にふさわしい人格まで、ご自分を陶冶していたとは思えません。というよりも、別の一面で、ものすごく、原始的なところのある人です。それに、ご自分に対して甘えていて、傲慢であり、私のご近所の前田夫人などが持つ、雰囲気と似たところもあります。
でも、ここで、余談ですが、私は前田夫人に対する怒りほど、川島女史に対しては怒っていないのです。それは、いじめられたり被害を与えられたりする回数が少ないこともありますが、川島女史が独身であろうと見ているからです。いかにもそう見える人です。それで、『苦労が足りない人』の典型だろうと思っています。他人からちやほやされてきていて、修行する暇も無かった人です。そう言う人はそう言う人で、放っておくほか無いのです。
が、前田夫人のように、ご自分の本当の子があり、孫がある人が、ああいう風に残酷だったり悪辣だったりする事に、驚くのです。そうですね。目的はご自分を守るためです。それに、子供や孫を道具として使う事は、あに、私に対してだけではなくて、身内である子供に対しても、孫に対しても残酷で悪辣なことだと思いますけれど、ご本人がそれに気がついていない模様なので、それに驚くのです。静岡大学の法学部経由、都立大学、大学院出身、國學院大學講師という肩書きに比して、その残酷さに驚くのです。心理学、教育心理学、および哲学を学んできた人のはずなのに、恐ろしいことを平気でする人だから、驚くのです。
比較して、川島女史は、幼い人や大学生を動かしたわけではないから、罪が軽いかな? だけど、彼女が山口さんの悪口を言いふらしているということを知ったときには、驚きました。同業者だし、山口さんが、・・・オーナーとしては先輩である川島女史の、・・・機嫌を損ねるようなへまはしていない・・・と思うので、その悪口のオンパレードに驚くのです。
ところで、私は、それを直接に耳にしたわけではありません。間接的にある作家さんから聞きました。親しくも無い男性なので、その事実を私に告げれば、却って、川島さんが損をするという判断も無かった模様です。川島さんを信じきっていて、彼女の口車に乗っていて、私に山口さんの悪口を吹き込みました。私は、もちろん反論をしたかったのですが、あまりにも確信を持って、「山口さんは破産をしていたのだ。だから自殺をした。いろいろな面で、無責任だ」とその人が言うので、川島女史の、他人への感化力の強さに驚きました。それが、彼女が画廊経営に成功した秘密だったのでしょう。つまり、正当に経営していたって、画廊など、儲からないものだと思います。
特に自治体の財政が引き締まってきていて、公立の美術館に対する予算が削られてきていて、そのために、作品がほとんど売れなくなっています。そうなると、立地条件がよくて、大きな画廊ほど、苦しくなるのだと思います。
小さいスペースの画廊を経営していて、売るといっても、個人のお客を相手にしていたところは、公立の美術館の予算が低くなっても、わりと無関係ですが、大きな画廊で、公立の美術館に主に、作品を収めていたようなところは軒並み苦しくなっているのかもしれません。
その中で、無事に人生を終えた、川島女史は、失敗して(?)破産をして(?)自殺をした(?)山口みつ子さんに比べれば、『自分は賢かった。うまくすべてを切り抜けて、失敗が無いうちに、画廊を閉鎖する事ができて、ほっとしている』というのが本音かもしれませんが、ちょっと、口が軽いですよね。いや、性格的にも軽いかな? だから、読売新聞の記事に利用されたのかな?
ここで、少し元へ戻ります。つまり、『彼女は、話術の大家だな』と言うことです。つまり、ご自分、もしくはご自分の画廊へ付加価値をつける事に、長けていたとなります。立派な画廊で、立派なオーナーだと思っていたけれど、2007年か、8年ごろ驚くような事が、対、私に対してもあって、それ以来、相当警戒してみていた人ですが、この、山口みつ子さんの急死前後の、彼女のはしゃぎようを見ると、私の危惧や懸念と、推察はすべてあたっていたとなります。
彼女の後ろにいて、彼女をサポートしていた人が誰かを知りたいですね。いわゆる美術評論家との仲良しぶりが、彼女の信念を醸成したと思うから、そこをしりたいです。ともかく、私の場合は『必要と思われるデータが、必ず手に落ちてくる』ということ・・・・・それは、常に信じています。そのとおりになります。
いずれ、川島さんに関するもっと詳しい情報は、何らかの形で手に入るでしょう。ところで、私は別に銀座に探偵をやりに行っているわけではありません。画廊でも無駄話はしないで風のように去ります。絵を見て、作家と一言、二言、技術について語るだけです。でも、論考に必要な事はすべて、どうしてか、手に入ります。だから、天を信じているわけです。川島女史について書くべきことの、原(元)データは、必ず手に入るだろうと。
でも、今の所だけでも、彼女がご自分の画廊へ高度な付加価値をつけていった過程を、推察できます。画廊も、トップレベルとみなされるのと、「平均的な画廊ですね」とみなされるのでは、まったく違うはずです。収入も名誉も、他人からのご自身対する扱いも。彼女はつまるところ、口八丁、手八丁という類ですが、でも、はっきり言えば、たぶらかしの技術が高いともいえます。それって、ちょっと先へ行くと、欺もうという規定で言われる類のこととも、なっていきます。つまり、他者をどう動かすかという問題ですが、自分が利益を得るという側面だけで他者を、動かすと、いつかは化けの皮がはがれるということになります。
ところで、その口八丁、手八丁と言うところが、山口みつ子さんにはありませんでした。高潔と言うか、高貴な感じはありましたし、魅力も十分ある人でした。が、詰めは甘かったかもしれません。私も「あんたは、お金の計算が出来ない人だから、」と常に母から言われてきていますが、山口さんにもその種の気配が、あったのかもしれません。なんとなく、「何とか成るわよ」と言う感じで、まずくなる方向を、放任しておいたと言う事はあるのかもしれません。となると、経済的な破綻は、私にも受容が、でき始めました。が、自殺と言う方はいまだに受容が出来ません。
私の心の中では、他殺の線が、80%以上の確率で残っています。その他殺説を裏付ける一つが、上に書いた、川島女史の不審な動きです。『あなたが、本当に賢い人なら、こんな記事に、加担して、山口さんを侮蔑する側に支援を与えては駄目でしょう』と思います。で、この川島女史の動きと、読売の記事は、二つ合わせて、他殺説の、傍証の一つとなっています。
~~~~~~~~~~~~~
ここで、スピンオフとして、画廊の運転資金というか、経済的循環について述べたいと感じます。
もし、月刊ギャラリーの連載が続いていたら、美術界の深奥に関係している人間の一人として、ここまでは書かないと言う分野の話の一つですが、突然に止めさせられたので、それが却って大きな自由を生んでいます。敵たちにしてみれば、『私から、親しい知人たちを引っ剥がせば、私が弱くなるだろう』と思っているみたいですが、そうなればそうなるで、孤独の極地に達するので、神様の世界とは、より近くなります。それは、別の次元に立つということとなり、まったく種類の異なる新しい力を与えられるということと成ります。人為的なもの、特に悪魔的な措置と言うものは、天と言うか、神の力の前では効力を失い、弱くなるのです。
これは、「一作家であるあんたにとっては、僭越なことだ」と仰る向きもあるでしょうが、今は、私のお金が常に狙われている状態だから、それを防衛するために、「お金の計算も出来るのですよ」と敵に対して言っておかないといけないからです。
で、元に戻りますと、日本の特に銀座(プラス京橋)で発展したシステムは独特のものですが、パリやニューヨークでは違う方式で運営をされています。ただ、日本でも数少ないがパリと似た形式で運営をされているところもあります。
ゴッホの弟テオが、現在の日本円に換算すると、毎月、15万円程度の仕送りを続けていて、結婚をして赤ちゃんが生まれたために、それを、中止しようとして、兄のヴィンセントと争いになり、追い詰められたテオが、兄を狙撃したのではないかと言うのが最近の新説です(BSジャパンで放映をされた)が、それは、あながち、友愛だけでもなかったと思われます。画家とか、芸術家は破滅型なので、月給制度で、基本的な生活費、10万円から15万円程度を画廊(画商)サイドから支給する事はあるでしょう。でも、それを、五年から十年続けていても、目が出ない場合には切られると言う現象が起きるでしょう。だから、弟テオは、単にその慣例に従っていたことだったかもしれないのです。そして、このシステム自体は今でもパリなどでは生きている可能性があります。新進の画家としてはありがたいシステムですが、しかし、一生の束縛もされるはずです。芸術家として生きていくのは大変です。
しかし、日本ではこれが定着しませんでした。日本では主に、美術館が、現代アートの購入者です。でも、一般の人は買いません。同じ分量のお金が、書画(日本画)骨董へ流れます。素人はデパートで、平山郁夫のエスタンプ(後年何でも鑑定段で、五千円ですといわれる一種の印刷物)を50万円で買ったりしますが、銀座の画廊で、5万から10万円の安さでも、本物を、買うという事をしません。よく赤い小さな○がついていて、売れたと言うしるしになっていますが、ほとんどが、友人、親戚の一種のお祝いとして売れているものでしょう。少数の理解者、・・・原美術館の創設者とか、大黒屋ホテルのオーナーとか、最近ではベネッセの重役とか・・・が、いますが、一般の人が買うことにならないと、画廊は、画商としてはやっていかれないのです。日本人自体に主体性がないように、過去の稲作の歴史が、させていますが、現代では巧妙なる、国際的軍産共同体のメディアや、文部科学省への支配によって、さらに、主体性が失われているので、欧米のように、一般の庶民(しかし、給料が高い)が、自分の好みの作品を適宜な値段で買い求めるというシステムは、発展しないのです。
日本では貸し画廊と言う名の、展示をする作家側が、お金を出すという形式が発達しました。日本で絵が売れないと言う事は、美術の世界に生きている人は、みんな知っていて、何らかの別業を確保しようと、決意します。で、美大を出ていても、先生として、また、デザイナーとして、月給が出る道を確保している人が多くて、みんな、ある種のお金持ちなのです。ボーナスを充当すれば、個展を、年に一回とか、数年に一回開くのは、可能なことです。専業主婦であって、ご主人がお金持ちなら言う事はないし、私のように、68歳でも、まだ、親の支援があるという人間もあります。
ともかく日本では、ある程度以上の軍資金がないと、芸術家生活もやって行かれないのです。
で、そう言う形式で、運営されるとしても大小や規模の差はあります。これから先は川島さんが経営していた村松画廊や、山口みつ子さんが、経営していた大きな画廊の内実に迫ります。安定して経営するためには、大小二つの部屋がある事が望ましい模様です。大きな部屋は、実質、一週間で40万円程度の金額で貸し出され、小さな部屋は、実質20万円程度で貸し出されます。となると、順調に行けば、月に、240万円の収入があることと成ります。
ただし、全部の週から、それだけの収入が上がるわけではありません。画廊にも作戦と言うか、プライドがあって、貸し料を取らないで、展示をさせてあげる作家があるのです。だから、一月にならせば、だいたい180万円程度の収入があると考えると、当たりでしょう。そのうち、給料として、100万円を当てるとします。これは、手取りではないし、オーナー一人で、がめるわけでもありません。画廊の事務員さんって、いいところのお嬢さんがお嫁入り前の腰掛として勤めていたりするので、事務員さんには、お安い給料で、済ませられるかもしれないし、オーナーだって、それほどの高給取りではないかもしれないのです。で、残りの80万円でビル管理会社に賃貸料を払い、光熱費を払い、通信費を払い、インテリアの修復費を積み立てるとなると、苦しいですね。
特に山口さんは人が良くて、年に数週間も野見山さんや、そのほかの有名人にタダで個展をさせてあげていたと考えられるので、苦境に立たされた可能性はあります。
他の画廊も同じですが、1980年代まではうまく行ったのです。それは、自治体設立の美術館が、作品を購入したからでした。税金に絡んでいる人が、一番安定した小金もちとなっているのが現代の日本です。純粋にビジネスだけでやっている人よりも、労働に対する報酬が高いと私は感じています。銀座の三越の、新館の11階と12階にレストラン街がオープンしました。きれいで、余裕のあるスペースです。そこに集っている奥様方のご主人が、税金に絡んでいるケースは、数多いと感じています。
ここで、スピンオフ中のスピンオフと成りますが、伊藤玄二郎氏と井上ひさし氏の二人羽織が発案して、鎌倉市の税金、および、神奈川県の税金、および、国の税金、・・・・・および、ほぼ税金と等しい、NHKの番組を恣意的につかうこと、NTTや、東電も支配をしている事を考えると、恐ろしいほどですが、それもおいおい書いていきます。今回は銀座と京橋に限りますが。
その日本が国として、豊かだった時代に、蓄積をしてある人は、現在でも安定して画廊を経営する事が出来ますが、ビルの改築などで、移転をしたりした村松画廊は賃貸料があがったのかもしれないし、また、二つめの小画廊が、昔ほどの、機能を果たしていないので、将来への見切りをつけて、さっさと閉鎖してしまったと見るのも正解でしょう。頭が良い人ではあります。
でね、この挿入部分の、最後に付け加えるとすれば、・・・文化の最先端と言うか、業種として、最下流にあるというかである・・・画廊の経営といえでも、日本経済の総体と、リンクしているので、日本と言う国そのものを守ろうとしている私は、実は貢献をしていとなります。が、それは、なかなか、理解をされていません。そして、酒井忠康氏発だと思いますが、何度かの波状攻撃として、銀座の画廊街でいじめられています。そんな事も冷静に、かつ客観的に見通している私ではありますが・・・・・・なお、この部分は、11時40分にアップしますが、先へ行って、今日の主文が大きくなれば、削って別の日に公開することとなるでしょう。それはご了承を頂きたいと存じます。
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で、このお金の計算の部門の冒頭に書いた私が持っているお金が狙われるはなしですが、つい、この間も、「川崎さん(雨宮の本名)、草間弥生を買わない」と言うお電話が入ってきました。「アクリルで描いた本画(版画ではないと言うこと)で、350万です」って。「だけど、デパートの画商を通したら、1000万円ほど、するものだ」そうです。「だから、お買い得だ」と言う話でした。だけど、もちろん、断りました。
そのお電話を掛けてくださった方はもちろん、良い人で知り合いです。だけど、裏がありますね。その電話が、母が死んだ直後だったので、『あの人には遺産が入るはずだから、それを、使わせてしまえ。でないと、本を作るぞ。彼女が本を作ったら大変だから』と言う案が、まだ、実際には生きている井上ひさし辺りから出て、早速の形で、草間弥生が用意されて、私と親しい画廊を通じて話が持ち込まれたのです。
これは、井上ひさしが、まだ生きていると考えるよい証拠となります。彼は、さまざまな私をいじめる案を提出している存在ですが、文章だけから、私を判断している人間ですので、矛盾があり、すぐ、私にはこれが彼の発案である事が分かります。
私の個展を一度でも見て、その作品内容を、吟味をした人なら、『私が草間を買うはずがない』ということはすぐ分かるはずです。ただ、ニューヨーク時代に、まだ、今ほど、ブレイクをしていなかった(と言うのは日本でですよ。海外ではすでに高評価でした)草間について、何度も文章を書いているから、『彼女は、草間を尊敬していて、好きなはずだ』と判断をされたのでしょう。
私はそれこそ、審美眼があるから、草間のかぼちゃを、350万円で買ったりしません。ばかばかしい。本当に怒っちゃいます。だって、私は色を専門とする作家です。色のセンスは高い。草間は、脅迫的にドットを繰り返すことで、有名になっていった作家で、膨大な労力を掛けた大作、・・・原初は、幅五メートル以上、今は切り離して売っている・・・には、驚きと畏怖を抱きますが、買ったりはしません。
ただ、提案をした画廊のオーナーに、怒りをぶつけるほど、野暮な人間じゃあないです。丁寧に、説明をしておきました。「私ね。新人の小品で、一万円前後のものなら買います。が、草間に350万円は出しません」と。
そして、一番大切なこと、「昨日母が死んだばかりだから、これは諜略です」とは、言いませんでしたよ。本当はそうですが、それは、言いませんでした。ただ、単純に「値段が高い(自分たちの作品に比べれば、圧倒的な高さと成りました)から、買わない」と断っておきました。
私が、もし、作品を買うとしたら、この鎌倉雪ノ下二丁目の大木の下の家を、画廊喫茶とか、美術館へ改変したいからです。ただし、今は主人が反対だし、自分の体力が足りないので、あきらめています。でも、立地的には、なかなか魅力のある場所ですし、自分の審美眼と、自分自身の作品には自信があるから、これは夢の一つではあります。
何かが、うまくいったら、実現できることかもしれません。私の場合は、必ず、夢がかないます。ただし、30%ぐらいの内容で通ります。100%の形では、実現をしませんが。
~~~~~~~~~~~~~
この「草間の作品が350万円だ」と言う話ですが、もし、私が買ったら、画廊は、50万円は謝礼をもらえると思います。普通は、40%ぐらいですが、オーナーの話の通り、最初から値段が安く設定をされている仮定をとしたら、画廊が受け取る謝礼も少ないはずです。
なお、この最後の部分が新しいエピソードであり、皆様の注目も引くと思うのですが、残りが1350文字となりました。その字数では書き抜けない内容ですので、後日に続くとさせてくださいませ。
私としては、『山口さんの急死疑惑』にも拘泥したいし、『また、鎌倉に戻ってきたい』という思いもあります。『草間の作品を、350万円で買わないか』と言う提案が・・・・・途中で、誰をはさんだにしろ、・・・・・鎌倉原発のアイデアである事は確かです。それと、電話の盗聴を証明することも確かです。
遺産相続があることも、確かめられているでしょう。それで、出てきたアイデアですから、そこにこだわると鎌倉へ戻ってくる事となります。いずれにしろ、本日はここまでとして、誤変換直しに取り組みましょう。2010年、10月19日 12時
銀座にも、さまざまな事がありますが、山口みつ子さんの急死は、いつも気にかかる大きな問題です。
一番問題だったのは、読売新聞の記事です。それを、ライブのオーナー森さんが、私に見せてくれたことも大問題です。森さんは、読売新聞を取っていないそうですが、どうしてか、持っていて、それが、まず不思議です。誰からもらったのだろう。
そして、記事の中身も問題です。一度書いていますが、今回は川島女史に対する遠慮を捨てますので、さらにはっきり、くっきり書けると思います。
その記事には山口みつ子という名前は一字も入っていないのですが、事情通なら、すぐ『これが、山口さんの死を自殺だと、規定することが目的で、意図的に、作成された記事ある事は、すぐに読める』形式になっています。
文章は、Yで始まる美術評論家か学芸員(後で特定します)が、村松画廊のオーナーだった川島女史にインタビューをしていて、最近の画廊の経営事情を聞くという形になっています。簡単に言えば、画廊の経営が苦しいという話です。そこに、山口みつ子さんが経営していた画廊の入り口の写真が使われています。2010年現在は、シャッターが閉じられていますが、それは、2010年1月30日まではガラスドアが、道路に面して、画室と繋がっていました。その写真のキャプションに、『画廊の中には経営に行き詰まって、自殺をする人もある』と出ていたのです。私は13日に出会っていて健康な彼女を見ていて、17日ごろ、銀座では有名な紳士である奇魔ま美術館のオーナーからのメールで、15日に急死をされたことを知りました。
毎日新聞に訃報が載ったそうですが、そこに自殺と明記されていたかどうかはまだ調べてありません。が、三田晴夫(有名な信用高い美術評論家)からの推薦で、この訃報を、紙面に載せたと推定しますので、三田さんの配慮があるはずで、従って、自殺とは書かなかったはずです。
読売新聞が、何らかの裏側からの教唆を受けて、自殺という報道をする、措置に出たのです。しかも新聞社が責められないように、写真のキャプションという形で、しかも、個人名を伏せてね。誰の発案だろう。例の二人羽織なら、このくらいのあくどい演出はあるでしょう。当然の事として。もし、前報にあげた、ちよこれーと遊びが前田夫人の発案ではなくて、その二人羽織の発案だったら、なおさら、かれらの、いじましいまでの幼稚さと不自然さを感じますので、この読売新聞の記事も、彼ら原発のアイデアであった可能性も感じます。
山口さんに対しては、非常に失礼な扱いです。「あの、オーナーは、自殺をしたらしい」と聞くケースも他にはありますが、この山口みつ子さんのケースに見られるほど、全体として、失礼な措置をとられたオーナーは、過去にありません。川島女史は自分が利用されたことを知っていたか、いなかったかは、私は知りませんが、川島女史自身が山口さんの大悪口を言っていることは知っています。主に、経営が破綻していて破産をしたという側面を強調している噂話を撒き散らしている人です。
どうして、そういう事になるかというと、性格がきれいだった山口みつ子さんへの、潜在意識の中での嫉妬があると感じます。川島女史というのは、スーツをぱりっと着こなしていて、男性っぽい、雰囲気を漂わせている女性です。しかし、人は外見と中身は相当に異なります。川島女史は、結構女性っぽいところがあって、後輩として現れた山口さんの人間的な魅力に嫉妬していた可能性は大きいです。
川島女史の方は、より高い審美眼はあるでかも知れません。また、きつい性格なので「個展をさせて欲しい」と頼まれても、断ったりして、ご自分の画廊のレベルを保つ工夫はしたと感じます。
ただ、それだけではなくて、さまざまな心理的な、テクニックを駆使して画廊の経営に当たっていたでしょう。が、実質的には、弱い、かつフェミニンな人だったと感じます。助手の相馬さんが(ある意味で鈍感めいて)誠実だったので、コンビがうまく行って、長年にわたり成功をしてきた人ですが、その画廊がもつ、名声にふさわしい人格まで、ご自分を陶冶していたとは思えません。というよりも、別の一面で、ものすごく、原始的なところのある人です。それに、ご自分に対して甘えていて、傲慢であり、私のご近所の前田夫人などが持つ、雰囲気と似たところもあります。
でも、ここで、余談ですが、私は前田夫人に対する怒りほど、川島女史に対しては怒っていないのです。それは、いじめられたり被害を与えられたりする回数が少ないこともありますが、川島女史が独身であろうと見ているからです。いかにもそう見える人です。それで、『苦労が足りない人』の典型だろうと思っています。他人からちやほやされてきていて、修行する暇も無かった人です。そう言う人はそう言う人で、放っておくほか無いのです。
が、前田夫人のように、ご自分の本当の子があり、孫がある人が、ああいう風に残酷だったり悪辣だったりする事に、驚くのです。そうですね。目的はご自分を守るためです。それに、子供や孫を道具として使う事は、あに、私に対してだけではなくて、身内である子供に対しても、孫に対しても残酷で悪辣なことだと思いますけれど、ご本人がそれに気がついていない模様なので、それに驚くのです。静岡大学の法学部経由、都立大学、大学院出身、國學院大學講師という肩書きに比して、その残酷さに驚くのです。心理学、教育心理学、および哲学を学んできた人のはずなのに、恐ろしいことを平気でする人だから、驚くのです。
比較して、川島女史は、幼い人や大学生を動かしたわけではないから、罪が軽いかな? だけど、彼女が山口さんの悪口を言いふらしているということを知ったときには、驚きました。同業者だし、山口さんが、・・・オーナーとしては先輩である川島女史の、・・・機嫌を損ねるようなへまはしていない・・・と思うので、その悪口のオンパレードに驚くのです。
ところで、私は、それを直接に耳にしたわけではありません。間接的にある作家さんから聞きました。親しくも無い男性なので、その事実を私に告げれば、却って、川島さんが損をするという判断も無かった模様です。川島さんを信じきっていて、彼女の口車に乗っていて、私に山口さんの悪口を吹き込みました。私は、もちろん反論をしたかったのですが、あまりにも確信を持って、「山口さんは破産をしていたのだ。だから自殺をした。いろいろな面で、無責任だ」とその人が言うので、川島女史の、他人への感化力の強さに驚きました。それが、彼女が画廊経営に成功した秘密だったのでしょう。つまり、正当に経営していたって、画廊など、儲からないものだと思います。
特に自治体の財政が引き締まってきていて、公立の美術館に対する予算が削られてきていて、そのために、作品がほとんど売れなくなっています。そうなると、立地条件がよくて、大きな画廊ほど、苦しくなるのだと思います。
小さいスペースの画廊を経営していて、売るといっても、個人のお客を相手にしていたところは、公立の美術館の予算が低くなっても、わりと無関係ですが、大きな画廊で、公立の美術館に主に、作品を収めていたようなところは軒並み苦しくなっているのかもしれません。
その中で、無事に人生を終えた、川島女史は、失敗して(?)破産をして(?)自殺をした(?)山口みつ子さんに比べれば、『自分は賢かった。うまくすべてを切り抜けて、失敗が無いうちに、画廊を閉鎖する事ができて、ほっとしている』というのが本音かもしれませんが、ちょっと、口が軽いですよね。いや、性格的にも軽いかな? だから、読売新聞の記事に利用されたのかな?
ここで、少し元へ戻ります。つまり、『彼女は、話術の大家だな』と言うことです。つまり、ご自分、もしくはご自分の画廊へ付加価値をつける事に、長けていたとなります。立派な画廊で、立派なオーナーだと思っていたけれど、2007年か、8年ごろ驚くような事が、対、私に対してもあって、それ以来、相当警戒してみていた人ですが、この、山口みつ子さんの急死前後の、彼女のはしゃぎようを見ると、私の危惧や懸念と、推察はすべてあたっていたとなります。
彼女の後ろにいて、彼女をサポートしていた人が誰かを知りたいですね。いわゆる美術評論家との仲良しぶりが、彼女の信念を醸成したと思うから、そこをしりたいです。ともかく、私の場合は『必要と思われるデータが、必ず手に落ちてくる』ということ・・・・・それは、常に信じています。そのとおりになります。
いずれ、川島さんに関するもっと詳しい情報は、何らかの形で手に入るでしょう。ところで、私は別に銀座に探偵をやりに行っているわけではありません。画廊でも無駄話はしないで風のように去ります。絵を見て、作家と一言、二言、技術について語るだけです。でも、論考に必要な事はすべて、どうしてか、手に入ります。だから、天を信じているわけです。川島女史について書くべきことの、原(元)データは、必ず手に入るだろうと。
でも、今の所だけでも、彼女がご自分の画廊へ高度な付加価値をつけていった過程を、推察できます。画廊も、トップレベルとみなされるのと、「平均的な画廊ですね」とみなされるのでは、まったく違うはずです。収入も名誉も、他人からのご自身対する扱いも。彼女はつまるところ、口八丁、手八丁という類ですが、でも、はっきり言えば、たぶらかしの技術が高いともいえます。それって、ちょっと先へ行くと、欺もうという規定で言われる類のこととも、なっていきます。つまり、他者をどう動かすかという問題ですが、自分が利益を得るという側面だけで他者を、動かすと、いつかは化けの皮がはがれるということになります。
ところで、その口八丁、手八丁と言うところが、山口みつ子さんにはありませんでした。高潔と言うか、高貴な感じはありましたし、魅力も十分ある人でした。が、詰めは甘かったかもしれません。私も「あんたは、お金の計算が出来ない人だから、」と常に母から言われてきていますが、山口さんにもその種の気配が、あったのかもしれません。なんとなく、「何とか成るわよ」と言う感じで、まずくなる方向を、放任しておいたと言う事はあるのかもしれません。となると、経済的な破綻は、私にも受容が、でき始めました。が、自殺と言う方はいまだに受容が出来ません。
私の心の中では、他殺の線が、80%以上の確率で残っています。その他殺説を裏付ける一つが、上に書いた、川島女史の不審な動きです。『あなたが、本当に賢い人なら、こんな記事に、加担して、山口さんを侮蔑する側に支援を与えては駄目でしょう』と思います。で、この川島女史の動きと、読売の記事は、二つ合わせて、他殺説の、傍証の一つとなっています。
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ここで、スピンオフとして、画廊の運転資金というか、経済的循環について述べたいと感じます。
もし、月刊ギャラリーの連載が続いていたら、美術界の深奥に関係している人間の一人として、ここまでは書かないと言う分野の話の一つですが、突然に止めさせられたので、それが却って大きな自由を生んでいます。敵たちにしてみれば、『私から、親しい知人たちを引っ剥がせば、私が弱くなるだろう』と思っているみたいですが、そうなればそうなるで、孤独の極地に達するので、神様の世界とは、より近くなります。それは、別の次元に立つということとなり、まったく種類の異なる新しい力を与えられるということと成ります。人為的なもの、特に悪魔的な措置と言うものは、天と言うか、神の力の前では効力を失い、弱くなるのです。
これは、「一作家であるあんたにとっては、僭越なことだ」と仰る向きもあるでしょうが、今は、私のお金が常に狙われている状態だから、それを防衛するために、「お金の計算も出来るのですよ」と敵に対して言っておかないといけないからです。
で、元に戻りますと、日本の特に銀座(プラス京橋)で発展したシステムは独特のものですが、パリやニューヨークでは違う方式で運営をされています。ただ、日本でも数少ないがパリと似た形式で運営をされているところもあります。
ゴッホの弟テオが、現在の日本円に換算すると、毎月、15万円程度の仕送りを続けていて、結婚をして赤ちゃんが生まれたために、それを、中止しようとして、兄のヴィンセントと争いになり、追い詰められたテオが、兄を狙撃したのではないかと言うのが最近の新説です(BSジャパンで放映をされた)が、それは、あながち、友愛だけでもなかったと思われます。画家とか、芸術家は破滅型なので、月給制度で、基本的な生活費、10万円から15万円程度を画廊(画商)サイドから支給する事はあるでしょう。でも、それを、五年から十年続けていても、目が出ない場合には切られると言う現象が起きるでしょう。だから、弟テオは、単にその慣例に従っていたことだったかもしれないのです。そして、このシステム自体は今でもパリなどでは生きている可能性があります。新進の画家としてはありがたいシステムですが、しかし、一生の束縛もされるはずです。芸術家として生きていくのは大変です。
しかし、日本ではこれが定着しませんでした。日本では主に、美術館が、現代アートの購入者です。でも、一般の人は買いません。同じ分量のお金が、書画(日本画)骨董へ流れます。素人はデパートで、平山郁夫のエスタンプ(後年何でも鑑定段で、五千円ですといわれる一種の印刷物)を50万円で買ったりしますが、銀座の画廊で、5万から10万円の安さでも、本物を、買うという事をしません。よく赤い小さな○がついていて、売れたと言うしるしになっていますが、ほとんどが、友人、親戚の一種のお祝いとして売れているものでしょう。少数の理解者、・・・原美術館の創設者とか、大黒屋ホテルのオーナーとか、最近ではベネッセの重役とか・・・が、いますが、一般の人が買うことにならないと、画廊は、画商としてはやっていかれないのです。日本人自体に主体性がないように、過去の稲作の歴史が、させていますが、現代では巧妙なる、国際的軍産共同体のメディアや、文部科学省への支配によって、さらに、主体性が失われているので、欧米のように、一般の庶民(しかし、給料が高い)が、自分の好みの作品を適宜な値段で買い求めるというシステムは、発展しないのです。
日本では貸し画廊と言う名の、展示をする作家側が、お金を出すという形式が発達しました。日本で絵が売れないと言う事は、美術の世界に生きている人は、みんな知っていて、何らかの別業を確保しようと、決意します。で、美大を出ていても、先生として、また、デザイナーとして、月給が出る道を確保している人が多くて、みんな、ある種のお金持ちなのです。ボーナスを充当すれば、個展を、年に一回とか、数年に一回開くのは、可能なことです。専業主婦であって、ご主人がお金持ちなら言う事はないし、私のように、68歳でも、まだ、親の支援があるという人間もあります。
ともかく日本では、ある程度以上の軍資金がないと、芸術家生活もやって行かれないのです。
で、そう言う形式で、運営されるとしても大小や規模の差はあります。これから先は川島さんが経営していた村松画廊や、山口みつ子さんが、経営していた大きな画廊の内実に迫ります。安定して経営するためには、大小二つの部屋がある事が望ましい模様です。大きな部屋は、実質、一週間で40万円程度の金額で貸し出され、小さな部屋は、実質20万円程度で貸し出されます。となると、順調に行けば、月に、240万円の収入があることと成ります。
ただし、全部の週から、それだけの収入が上がるわけではありません。画廊にも作戦と言うか、プライドがあって、貸し料を取らないで、展示をさせてあげる作家があるのです。だから、一月にならせば、だいたい180万円程度の収入があると考えると、当たりでしょう。そのうち、給料として、100万円を当てるとします。これは、手取りではないし、オーナー一人で、がめるわけでもありません。画廊の事務員さんって、いいところのお嬢さんがお嫁入り前の腰掛として勤めていたりするので、事務員さんには、お安い給料で、済ませられるかもしれないし、オーナーだって、それほどの高給取りではないかもしれないのです。で、残りの80万円でビル管理会社に賃貸料を払い、光熱費を払い、通信費を払い、インテリアの修復費を積み立てるとなると、苦しいですね。
特に山口さんは人が良くて、年に数週間も野見山さんや、そのほかの有名人にタダで個展をさせてあげていたと考えられるので、苦境に立たされた可能性はあります。
他の画廊も同じですが、1980年代まではうまく行ったのです。それは、自治体設立の美術館が、作品を購入したからでした。税金に絡んでいる人が、一番安定した小金もちとなっているのが現代の日本です。純粋にビジネスだけでやっている人よりも、労働に対する報酬が高いと私は感じています。銀座の三越の、新館の11階と12階にレストラン街がオープンしました。きれいで、余裕のあるスペースです。そこに集っている奥様方のご主人が、税金に絡んでいるケースは、数多いと感じています。
ここで、スピンオフ中のスピンオフと成りますが、伊藤玄二郎氏と井上ひさし氏の二人羽織が発案して、鎌倉市の税金、および、神奈川県の税金、および、国の税金、・・・・・および、ほぼ税金と等しい、NHKの番組を恣意的につかうこと、NTTや、東電も支配をしている事を考えると、恐ろしいほどですが、それもおいおい書いていきます。今回は銀座と京橋に限りますが。
その日本が国として、豊かだった時代に、蓄積をしてある人は、現在でも安定して画廊を経営する事が出来ますが、ビルの改築などで、移転をしたりした村松画廊は賃貸料があがったのかもしれないし、また、二つめの小画廊が、昔ほどの、機能を果たしていないので、将来への見切りをつけて、さっさと閉鎖してしまったと見るのも正解でしょう。頭が良い人ではあります。
でね、この挿入部分の、最後に付け加えるとすれば、・・・文化の最先端と言うか、業種として、最下流にあるというかである・・・画廊の経営といえでも、日本経済の総体と、リンクしているので、日本と言う国そのものを守ろうとしている私は、実は貢献をしていとなります。が、それは、なかなか、理解をされていません。そして、酒井忠康氏発だと思いますが、何度かの波状攻撃として、銀座の画廊街でいじめられています。そんな事も冷静に、かつ客観的に見通している私ではありますが・・・・・・なお、この部分は、11時40分にアップしますが、先へ行って、今日の主文が大きくなれば、削って別の日に公開することとなるでしょう。それはご了承を頂きたいと存じます。
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で、このお金の計算の部門の冒頭に書いた私が持っているお金が狙われるはなしですが、つい、この間も、「川崎さん(雨宮の本名)、草間弥生を買わない」と言うお電話が入ってきました。「アクリルで描いた本画(版画ではないと言うこと)で、350万です」って。「だけど、デパートの画商を通したら、1000万円ほど、するものだ」そうです。「だから、お買い得だ」と言う話でした。だけど、もちろん、断りました。
そのお電話を掛けてくださった方はもちろん、良い人で知り合いです。だけど、裏がありますね。その電話が、母が死んだ直後だったので、『あの人には遺産が入るはずだから、それを、使わせてしまえ。でないと、本を作るぞ。彼女が本を作ったら大変だから』と言う案が、まだ、実際には生きている井上ひさし辺りから出て、早速の形で、草間弥生が用意されて、私と親しい画廊を通じて話が持ち込まれたのです。
これは、井上ひさしが、まだ生きていると考えるよい証拠となります。彼は、さまざまな私をいじめる案を提出している存在ですが、文章だけから、私を判断している人間ですので、矛盾があり、すぐ、私にはこれが彼の発案である事が分かります。
私の個展を一度でも見て、その作品内容を、吟味をした人なら、『私が草間を買うはずがない』ということはすぐ分かるはずです。ただ、ニューヨーク時代に、まだ、今ほど、ブレイクをしていなかった(と言うのは日本でですよ。海外ではすでに高評価でした)草間について、何度も文章を書いているから、『彼女は、草間を尊敬していて、好きなはずだ』と判断をされたのでしょう。
私はそれこそ、審美眼があるから、草間のかぼちゃを、350万円で買ったりしません。ばかばかしい。本当に怒っちゃいます。だって、私は色を専門とする作家です。色のセンスは高い。草間は、脅迫的にドットを繰り返すことで、有名になっていった作家で、膨大な労力を掛けた大作、・・・原初は、幅五メートル以上、今は切り離して売っている・・・には、驚きと畏怖を抱きますが、買ったりはしません。
ただ、提案をした画廊のオーナーに、怒りをぶつけるほど、野暮な人間じゃあないです。丁寧に、説明をしておきました。「私ね。新人の小品で、一万円前後のものなら買います。が、草間に350万円は出しません」と。
そして、一番大切なこと、「昨日母が死んだばかりだから、これは諜略です」とは、言いませんでしたよ。本当はそうですが、それは、言いませんでした。ただ、単純に「値段が高い(自分たちの作品に比べれば、圧倒的な高さと成りました)から、買わない」と断っておきました。
私が、もし、作品を買うとしたら、この鎌倉雪ノ下二丁目の大木の下の家を、画廊喫茶とか、美術館へ改変したいからです。ただし、今は主人が反対だし、自分の体力が足りないので、あきらめています。でも、立地的には、なかなか魅力のある場所ですし、自分の審美眼と、自分自身の作品には自信があるから、これは夢の一つではあります。
何かが、うまくいったら、実現できることかもしれません。私の場合は、必ず、夢がかないます。ただし、30%ぐらいの内容で通ります。100%の形では、実現をしませんが。
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この「草間の作品が350万円だ」と言う話ですが、もし、私が買ったら、画廊は、50万円は謝礼をもらえると思います。普通は、40%ぐらいですが、オーナーの話の通り、最初から値段が安く設定をされている仮定をとしたら、画廊が受け取る謝礼も少ないはずです。
なお、この最後の部分が新しいエピソードであり、皆様の注目も引くと思うのですが、残りが1350文字となりました。その字数では書き抜けない内容ですので、後日に続くとさせてくださいませ。
私としては、『山口さんの急死疑惑』にも拘泥したいし、『また、鎌倉に戻ってきたい』という思いもあります。『草間の作品を、350万円で買わないか』と言う提案が・・・・・途中で、誰をはさんだにしろ、・・・・・鎌倉原発のアイデアである事は確かです。それと、電話の盗聴を証明することも確かです。
遺産相続があることも、確かめられているでしょう。それで、出てきたアイデアですから、そこにこだわると鎌倉へ戻ってくる事となります。いずれにしろ、本日はここまでとして、誤変換直しに取り組みましょう。2010年、10月19日 12時
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