すみません。「前報(あと注1)を整理します」という約束をたがえて、6月1日に、であった新しい罠を語ります。芸大関係者を使って、角野栄子さんが、2007~2010年ごろ、新橋駅、横須賀線ホームで、行った、激しいいじめを糊塗し修正して行こうとする・・・・・新しい罠の説明です。芸大を、種として、使っている罠です。
第一部で、罠の分析を、書いているうちに、私が、微に入り細に入り、攻撃をされていることを知り、突然に息子の命が、奪われることが、心配になってきました。それを第二部に書きます。
第一部、・・・・・横須賀線内で、芸大関係者を使った罠に出会った。それは、鎌倉駅から、北鎌倉駅の間の、たった五分間で、行われたことだったので、騙されたままで、終わった。相手からの回復の機会は、つゆほども無かった。だが、別の人から、慰めを得て、・・・・・ああ、なんとか、神様が癒してくださった。・・・・・・と考えた。しかし、子供への生前贈与の機会を利用して(=みずほ証券横浜西口支店に行かないといけないのだが、それを狙って)、かくも詳細に、練り上げられた罠が用意されているのを見ると、
しかも、横須賀線内だけではなくて、鎌倉雪の下で、石春産業の第二期道路補修工事が、行われていて、その際に立ち現れた、ご近所人間の動きを見ると(後注1)、そちらでも、周到なる罠が、次から次へと、組み立てられているのを発見した。それで、
急に、大展開が起きた。私の息子に対して、命を狙う、ほどに、恐ろしい罠が、準備されているのではないかと、突然に気が付いた。妹も他殺なのだけれど、その直前に妹から異様な電話が、生涯初めて私宅にかかってきて、その時に、これを録音されて、以降使われるのではないかと、心配したのと、同じ心配に見舞われている。それで、夜の11時半から、午前一時頃まで、一時間半、椅子に座って、転寝をしたのだけれど、その後、午前3時に至って、急に、目がすっきりと覚めて、後半の、第二部を書き始める。前半と、後半は、舞台が、横須賀線車内と、相模湾内太平洋上と、異なっているが、巧妙なわなを仕掛けてくると、言う意味では同根の話である。
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副題1、『日曜美術館の、展覧会情報のところ(後半15分間)で朝倉摂展の紹介があった。だが、始まって、二か月も過ぎ、会期が、終わりそうな段階での紹介であり、そこから、やはり、・・・・・・カリタス小通学バス襲撃事件は、日吉の小田(歯科医院)の先生、沢野家(塩野義製薬勤務者、ファミリー)のひろしちゃんと、その母堂と、水沢勉先生(葉山の美術館、現館長)先生と、その姉君悦ちゃんが原因で、起きたことを確信をした』
今、たった、3行を書くだけで、膨大な量のシステム異常を起こされて、しまったので、やはり、私が想像していることは正しくて、この三家族が、引き金になって起きた事なのでした。むろん、裏があって、この三家族の裏側には、それぞれひもがつながっていて、その紐の、反対方向に、居る人間の個人名が、いまのところ、はっきりしていません。水沢先生の後ろには、酒井忠康がいるということは、だいたい想像通りでしょうが、酒井氏が、水沢先生と、私の事を話題にした、その日に、私は、彼ら二人から、三メートル離れた、会話がよく聞こえる、位置にいたわけでもないからです。
で、水沢勉さんを守るために、5月29日に至って、あとたった二週間という時点で、やっと、朝倉摂展の、紹介があったのです。その前に、2か月以上、すでに、展示が続いていたのに、紹介をせず、末日まで、あとわずかを残すところで、紹介したのは、意味があるのです。
私は、鎌倉エージェントの、心理的動きを、そこからも、読み取り、おなかの中で、些少、わらいました。
保美死刑囚がやったとされている【五人の老人】を、はじめとして、寝屋川で、山田死刑囚に殺されとされる【二人の児童、新潟で、小島りょうが行ったとされる、おおももたまきちゃん、殺人者が、まだ、見つかっていない、おぐらみさきちゃんなどが殺されていることは、確かなのです。だから、笑うといっても、普通に笑うわけではなく、ただ、心の中で、ニヤッとしただけですがね。
ともかく、この章は、それについて、フォローするのではなくて、全く新しいことを書きます。しかも、現象としては、とても小さい事。
だけど、書けば、書くほど、大きな罠であったと、気が付いてきています。
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副題2、『22-6-1,午後二時38分、鎌倉発の電車に乗ったのだけれど、15両連結されている車両の、後ろから4両目に乗り、もっと、車掌室に近いところで、座りたいと思って、電車が、駅を、出発してからも、逗子方向に向かって歩いていた。
それで、後ろから、三両目の、もっとも逗子よりの老人用、優待席に腰を下ろした。コロナ騒動が始まる前には、そこは、6人がかけられるベンチ状の椅子なのだが、その日は、間をあけて、4人しか座っていなかった。その4人は、午後の二時台だから、すべて女性だった。その上、すべての女性が、70歳より上だと、推察された。私は、その時より前、(20時間前ぐらい前)に、見たNHK日曜美術館内の朝倉摂展の、紹介記事が強く頭に残っており、
目の前に座ってる二人組は、その帰りではないかと、勝手に思い込んだ。右側の女性は、大柄で、化粧っ気が、一切なかった。それがニューヨークで出会った、学者や、芸術家などの知的な職業についている女性たちに固有の気風であった。で、彼女も、もしかしたら、葉山の美術館に行ってきた帰りの人ではないかと思ったのだ。彼女は、隣に座る友達に、熱心に話しかけており、したがって横向きに座っていた。その彼女のTシャツの胸に、◇KANTHUS というロゴが見えたので、『ああ、この人は芸大卒なのだわ』と、これまた、勝手に思い込んだ。とても、古いシャツで、ロゴがすでに消えかかっていたが、アカンサスとは、芸大の、みしるしなのだ。
私は銀座で、画廊巡りをする際に、社交的な、集まりには、顔を出さない主義だったが、それでも、北久里浜に住んでいるころから、40年近く画廊巡りを続けてきたのだから、芸大生、または、卒業生にとって、アカンサスと、言う植物が、特別なものであることを知っていた。イチョウ(東大)ほど、一般社会にはポピュラーではない。また稲穂(早稲田)ほど、古臭くもない。
ともかく、地中海沿岸には多い植物(草花)らしいが、和名が、はびこっていないほど、希少種で、したがって、芸大関係者にとっては、特別に誇り高い、アイテムらしいのだった。
私は、彼女の誇りの示し方が、いたく、気に入ってしまった。とても、抑えてある。だけど、素晴らしいレベルで、誇りが一杯なのだ。「だから、ちゃんと、わかりましたよ」と言ってあげたくなった。
で、乗車してから、4分後ぐらいに、立って、彼女の胸が、正面から見える位置に移動をして、そのロゴの、最初のスペルが、Aであることを確かめたのちに、「そこにアカンサスって書いてありますよね。あなたって芸大卒ですか?」と質問をした。すると、彼女は、「違います」と答えた。
私は、そこで、二の句が継げなくなった。・・・・まさか、この人も角野栄子さんと同じく、私の顔写真を、伊藤玄二郎から、紹介をされている? そして、隣にいる、友人も同じで、わざと、嘘をついて、からかう様に命令をされている?・・・・・と、瞬時に考えた。
それで、でくの坊の様に、突っ立ったまま、二の句が継げないでいると、彼女が、「主人が芸大卒です。だから、これは、主人の、ものかもしれません」と言った。だけど、夫のTシャツを着る際に、それが、自分の物か、夫のものかが、わからない女性がいるだろうか? 認知症だったら「ぼけました」ということもあるやもしれないけれど、彼女は、生き生きしていて、全く普通に見えた。それに彼女は胸が大きくて、Dカップ以上の大きさであり、そのサイズに向けて、Tシャツがなじんでいて、ふくらみに沿って、すでに、ふっくらと、変形していた。夫のものではないだろう。
私は、立ったまま、『この会話をどういう風に納めたらいいだろう? 困ったものだ』と、考えながら、そのまま、無言でいると、彼女が続けて、「でも、娘がアメリカにいます。だから、これは、娘のものかもしれません」と言った。
私はますます面食らった。娘の物か、自分の物かが、わからない主婦が、この世にいるだろうか? 立派な体格で、背筋もしゃんとしていて、言葉遣いも明瞭で、老いの影はない。この時点において、自分が、からかわれていることが、120%明らかになって、憮然としながら、元の位置へ、戻って座った。わたくしの娘が、今アメリカにいる。それをも、ついでに、からかってきているのだった。2008~2010年ごろ、新橋駅のホームで角野栄子さんに、声の応答が全くない形で、さいてい辺の人・扱いを受けたのを、修正して来ているのだった。だけど、中身は、全く同じ。はぐらかしと、からかう方向しかないセリフ群だった。
ただ、私の習性を本当によく研究していることと、理解をして、それには驚いた。$$$$$罫線以下に、その日、マイクロソフトのブラウザを経由して、みずほ証券に関するニュースをロイター電からもらっている。それをコピペしておいてある。
たしかに、その日、私は、みずほ証券、横浜西口支店に行くつもりだった。そこに行くためには、横浜駅では、久里浜よりの位置で、降りた方がよいのだった。複雑な、横浜駅で、高島屋より、南西に位置する、みずほ証券に行くためには、後ろの方に乗り、南口改札へ降りるエスカレーターを利用するのが、最もわかりやすい。それで、15両つながっている長い電車の中を、鎌倉駅から乗った位置から、さらに後ろに向かって歩いていた。私は、だいたい老人用優待席に座る。だから、仕掛けられた罠として、私の定位置を利用すれば、あの女性が、あの席に座っていたのも、理解ができるのだった。最近の鎌倉エージェントって、そこまで、やるのだった。
これは、『ひっかけられたなあ! 参った。参った』と思い至った。こういう風に服装を使って、敵さんが、示威行為をしてきたのは、森まさこ(第14代、少子化担当大臣)が、国会議事堂で、エルメスのスカーフを、紺のスーツの襟もとにのぞかせて、登壇したときにも、裏に意味があって、大いにそれを感じ取ったものだった。
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副題3、『リッツ・カールトンホテルの、地下一階で、開かれていたランバンのシーズン前お披露目に来ていた日本最初期の、服飾評論家である大内順子さんに出会った。朝倉摂も、大内順子も、私が高校生や、大学生のころ、私は、彼女を、45階のロビーラウンジに誘い、二時間ほど、懇談をした。すばらしく上品な人で、いろいろな、すてきなお話が聞けたので、私は、そのまま、二子玉川まで、ご一緒させていただいたのだった。それは鎌倉の大きなお菓子屋さん、豊島屋の前社長、雅彦さんと、鎌倉(旧)中央公民館(今は、きららと、呼ぶ)、一階で立ち話ながら、二時間程度、懇談を交わしたのと、とてもよく似ているケースだった。豊島屋の社長、雅彦さんとの、懇談の内容はメルマガに書き、後程、紙の本へと直していった。【れすとらん・ろしなんて】というタイトルで。
で、伊藤玄二郎一派は、息子の、陽彦(てるひこ)さんを取り込み、材木座の命名権を買わせたり、いろいろ、画策をしている。
で、大内順子さんのほうだけど、それをブログで、書いたか、書かなかったかは、今は、はっきりと覚えていないが、もし、文章化しなくても、尾行が付いていてその結果、鎌倉エージェントとしては「大内順子は、お前の友人ではなくて、こっち側の人間なのだよ」と、言う必要が出てきて、その示威が、国会を通じてなされたので、「ああ、そうですか?」と、言うほかはなかった。
どういうことかというと、少子化担当大臣だった頃、森まさこさんが、エルメスのスカーフを、襟元にのぞかせて、国会で、質疑応答に答えたのだ。そのとき、あまりにも、色の組み合わせのセンスが良かったので、『ああ、後ろに、大内順子さんが居ますね』と確信をしたのだった。こういう風に、私は、自分の全人格をかけて、獲得した、友誼を、全部奪われるのだった。
ところで、この現象を見た後で、あまたの数の女性議員が居る中で、森まさこさんだけが、あれほど、見事に利用をされたのかが、不思議で、グーグル検索をかけてみた。すると、1999年、私が、ニューヨークのブルックリンにある美大の大学院へ、通っていたころ、彼女は35才であり、生まれたばかりの長女を連れて、ニューヨーク大学ロースクールへ留学とあった。
私は、彼女より23歳年上だ。だが、同じ年の、1999年、同じ場所ニューヨークに留学していると、言う共通点があったので、彼女が特筆して使われるのだった。
鎌倉エージェント特に、いまだ生きている井上ひさしは、本当に嫉妬深い人で、私の生き生きした態度が、相手を感動させ、有名人に限らず、どういう種類の人からも、得難いお話が聞くことができることに嫉妬をもよしていて、上の様な、画策を催した。その上で、「おまえさあ、ニューヨークに詳しいと、威張るんじゃあねえよ」と言って居るのだと、推察している。
確かに、私は、森まさこさんには、社会的知名度としては、負けている。100万分の一ぐらい負けている。だけど、森まさこさんが、ニューヨーク生活について生き生きとした文章を書けますか?
人間には、人それぞれの個性があり、人それぞれの、任務があるのです。私は、私にできることを精一杯、がんばってとりくんでいます。
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ここまで、だけだと、本当に暗い話になってしまう。しかし、2022年6月1日には、或る救いが、用意されて居た。
私をひっかけるために、準備された、大柄の女性と、その友人が、北鎌倉駅で、降りた後、突然に、左側に座っていた女性が、助け舟を出してくれたのだった。その人が、特定をされて、今度は、そちらがいじめられると、困るので、会話の詳細は、書かないが、その女性も芸大関係者であり、「あのTシャツは、確かに芸大のものですよ」と、教えてくれたのだった。その後、私は、その女性と、結構、実りある哲学的な話ができたので、大いに心が慰められた。ギリギリのところで、いつも神様が、守ってくださると、言うのは、ここでも、実現した本当のことだった。
後注1,
石春産業、第二期・道路・工事=・=・=・=疥癬症にかかったタヌキをめぐる一章 2022-05-30 21:52:46 | 政治
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第二部、息子が、私の身代わりになって、大きな被害を被っている。その実態に、私が気が付いてるからこそ、たびたび、彼は、苦しめられ、その度に、私は、命が縮む思いがする。
副題4、『2021年の夏休みの旅行中に、彼らの家で、冷蔵庫が壊れ、釣り竿も壊れた。合いかぎを持つ、例の、我が家へ侵入する泥棒群が、息子の家にも、入って、冷蔵庫を壊し、釣り竿にも、小さな切れ目を入れたと、確信をしている。彼が、旅行後、はじめて使った日に折れたというのだが、すぐ、ピンときた』
この・・・・・息子がいじめられ、職さえ奪われる・・・・・件については、何度も何度も書いてきています。西原理恵子、上村卓美(今は、すこし改名、三国屋善五郎社長)大前研一、大前勇介、石塚雅彦の流れが、逆順にうごいて、息子は、二度目の、職を奪われました。
その前は、かどや製油を、三井物産から来た、佐野雅明専務に、苛め抜かれて辞めざるを得なくなっています。
その間、鎌倉の中華料理店、山下飯店で、再就職を祝う会が、彼の発案で、おこなわれたのに、そこに、わながはられていて、孫が、いじめぬかれたりして、鎌倉エージェントが動いているのは、わかっています。
ここらあたり、ほかにも、どんなにすごいことがあったのか、言うに言われないほどです。カリタス小通学バス襲撃事件について書いていくのも、子供や孫を守るためだし、
安野家の次男が、1983年には、公立・御成中学で、通信簿に、1と2しかないと、言うことで、有名なお子さんだったのに、1986年には、国立大学の付属高校にご入学あそばされて、現在は、海上保安庁勤務だという事。だから、知床の観光船沈没事故が起きて、NHKニュースは、毎日、まいにち海上保安庁という語彙を、一般国民に向けて発していくこと。
そして、前田・安野家に、保美死刑囚の事件以来、小学生だったお子さん方を使って、協力したおかげで、専業主婦だった奥様は、子供が中学に入学後、鎌倉市役所に、再就職ができたし、ご長男は、「東大へ、推薦入学で、前年度=2020年の秋には、入学できますよ」と、お知らせが届いていて、高揚し、ショパンの英雄ポロネーズを、電子ピアノの音を、15年間で、初めて出して、弾いていたのが、平木さん一家です。
私は、誹謗中傷をしているのではありません。自分の方の被害を出して書くと、コトダマの被害はあるし、鎌倉エージェントは、「そこが弱みだったのか、じゃあ、そこをついてやれっと』なって、さらに、猛攻を加えて来るので、私が「真相を、わかっていますよ」と、示すために、彼ら、ご近所様や、学友の裏切りを書いているのです。
いわゆるライバル設定が、常に生起させられ、
私を苦しめるためにさらに、得を重ねている、ご近所様住人の、得をしている有様を書いていっているのでした。今般の、石春産業の道路補修工事・第二期も、前田家の長男を助ける目的があり、
この写真の奥の方に、磨き抜かれた大谷石が、三段積み重なっている。そここそ、前田達之君のシェアハウスに向かうところで、この工事が、前田家を助けるためのものだということが如実に出ています。最も、きれいな造作ができているところです。
二週間前の、ある日、石春産業のこの工事担当のトップ(社長の弟にして、専務)は、前田家と、安野家だけにあいさつに来ていた。そして、昨日前田夫人は我が家のすぐ近所で、また、大きな声で、得意そうに、井戸端会議を行っていた。それが原因で、我が家の土地が盗まれたのにもかかわらず、少しでも、自分が有利になると、それを誇示してくる。行動がすべて、計算づくである。ともかく、私の文章は、誹謗中傷ではなくて、正当防衛中の正当防衛だ。しかし悪人たちは、困り果てているので、これを、誹謗中傷ということで、つぶしたくて、それを狙って、三浦春馬と、竹内結子さんを殺した。
今回の工事は、町内会費の積み立てで、行われるので、すべての住民が平等のはず。しかし、石春産業は、裏からの指示通り、わたくしの土地が、盗まれる原因を作ったその二軒を、私より、上に置いている。私が、そういう小さい事でも、イライラして、早めにノイローゼになるだろうと、考えて、それを狙っている。二週間前かな。その二軒に特別なあいさつに来ていたし。社長の弟がだ。
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副題5,息子は、愚痴を言わない。絶対に、自分の状況について、私には説明をしない。だけど、私は、ポルタ(横浜駅周辺に在る、13の商店街の一つで駅東側の地下街)のスパコンに手が入り、息子が店長をしている三国谷善五郎、ポルタ店が、集計ができないことになったりした、そうで、それを後から聞いたら、すぐ、裏側がわかるので、根本的な救済策を施してやりたいとおもっては居る。しかし、非常に難しいのだった』
息子は、何も言いません。固有名詞も一切出しません。ただ、私が一回、ごとに、次の攻撃が起こらない様にするために、調べているのですが、本当に偶然が、重なって真相がわかってくるのです。そういう意味で、私は神様に見守られていると感じています。特にそれをダイナミズムが発生してくるとも、いっています。たとえばロシアのウクライナ侵攻ですが、ここに【ゼレンスキー】という人気ものにして、天才的政治家が、出現しました。それによって、事前の予想を、覆す動きが生まれています。私という小さな個人にもそういうダイナミズムが起きるのでした。
しかし、ここに言霊というキーワードがあります。「悪い予測があっても、それを書いてしまったり、発語してしまうと、現実のものになりますよ」と、親切な友人が、昔、忠告をしてくれました。しかし、我慢をして、黙っていても、悪いことは実際に起きるのでした。
だから、必死になって、調べているのです。すると、彼らの心情が、極めて明快にわかってきました。鎌倉エージェントと、呼ぶ、人間のうちの何人かに、数代前に、在日の出自があった人間がいるのです。ヘイトスピーチがだめだと、言うポスターが鎌倉市の公立の施設には、たくさん張ってあるのも、それを示しています。が、問題は、彼らの、心情が、まるで、日本人ではないということなのです。恥を知るとか、侍・精神とかは無いのです。
また、アメリカ本土で、活躍する国際的軍産共同体の頭脳としてのCIAは、たいへん残酷です。沖縄駐留米軍に、それが、現れているのですが、日本本土で、日本人を支配する際にも、肉食系中の、肉食系で、残酷です。
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副題6、『息子は、月曜日に電話をかけてきて、水曜日に行くといった。そのさいに、「道路をきれいにしないとだめだよ」と言った。私はすぐ、裏に誰かがいる可能性を感じた。それで、たいへんに緊張をして会わない方がいいと思った。私が正しいことを書いていて、CIAと、その部下である警察が、困ると、どこからかの筋が動いて、息子を使う。息子に、彼らの代弁者として、機能をさせ、私がブログをかけない様にするのだった。で、会わない様にしようとして、主人にそれを告げると、絶対にダメだ。あった方がいいという。で、自宅で、彼の来るのを待っていた。すると、とても悪い顔をしていた。なんというか人間が小さくなった様な顔。
これは、横浜緑区の鴨居駅を最寄りとするマンションに住んでいたころの写真。むすめをだく私の右側がむすこ。
同じころ、横浜駅、京浜東北線ホームにて。顔は、かわいくないが、ムチムチの体形が、かわいかった。私にとってだけだろうが。
年子で、二人の子供ができたので、私は常に下の子をおんぶ、抱っこで、運んでいた。したがって、下の子=娘には、スキンシップが一杯で、ころころと太っている。そして、性格もおっとりとしていて、おおらかだ。お兄ちゃんには、小さい頃の、スキンシップが足りなかった。写真に写るときに、常にひょうきんなしぐさをする。それは、何らかのアッピールをしたいという事だろうか?
北久里浜に住んでいたころの私たち一家は車を持っていたので、三浦半島に、よく、遊びに行っていた。これは、武山か?、または、松輪港あたりか?
この写真は、1982年の私の銀座での個展に、来てくれた二人の子供。本当は、ピントが合っていたはずだ。小学六年生の時の息子である。のちに大人になってから、ご近所のプロの画家大原光孝さんが、「お宅のお子さんは、二人とも美形ですね」と言ってくれたほど、明るい、顔をした少年だった。しかし、中堅の私立中学二校に、不合格とされてのち、相当に荒れてきたのだった。
それは、戦後最大のCIAエージェント瀬島隆三の、北久里浜における、横須賀市水道山のただでの取得に関して、私が、買ったときには無かった青地などを、急に設定をされて、損失を多大に与えられたことにびっくりして、調査を開始したせいだった。尚、それをかかせないが為に起こされたのは赤木俊夫の自殺説だった。結局二か月の審査で、真実を把握した私を隠微に殺していくために、息子は、私を弾圧するための、身代わりとして、一生にわたって、損をこうむり続けている。恐ろしい彼らである。
上の写真の時の個展には、のちにJWトンプソンの副社長になる小池玲子さん、が来てくれた。下は小池さんが、日経BP社から、出版した自伝。
上は、小池玲子さんの著書、妹が殺されてから、この著書の奥付を見たところ、妹は、実は、小池さんの会社にヘッドハンティングされて、再就職を果たしていたのだった。こうして、いろいろなことが、今では、相当に、明瞭にわかってきている。妹が他殺なのに、その連れ合いから、自殺だったという電話が来た後、7日のちに立派なお葬式が、身内だけで、行われた。その時、会場を飾っていた写真の一つ、ブルースかワルツを踊っている妹の写真をスマホで、撮った。
それが、ピンボケになっている。したがって、これも傍証の一つとして、妹は他殺なのだ。
上の個展の写真で子供たちの姿がピンボケなのは、その個展に、ICUの先輩、
テレビ東京プロデューサーの宮崎明子さんが来てくださって、明子さんの紹介で、勝さんも来てくださった。宮崎明子さんは、私のエフェソスのスケッチを、10万円で買ってくださった。1982年の事だった。それが、石塚さんには、気に入らないので、子供たちの写真がスキャン後、ピンボケにされたのだと思う。
その宮崎さんが、石塚さんの命令で、縁を切ってこられたのが、もっとも初期の、コネ切りの例だった。
これは、息子と私。若い二人が、全力投球をして、親の援助を一切頼らず、みなとみらいの京急、パンパシフックホテルB1のバンケットホールで、結婚式、披露宴を挙げた。かどや製油からも、何人もの重役が来てくださって、祝福をしてくださった。しかし、その後、創業一族の、小沢家の内紛が起きて、息子をかわいがって、くれていた重役さんたちが、全員追い出されてしまった。
これも、私を弱体化させるためだったと思う。だけど、そのころは、手も口も出さない方が息子のためになると思っていた。お嫁さんは、とてもきれいな人だ。知り合ってから、9年間も待ったので、息子の額が、剥げている。
この日、息子から「お母さん、育ててくれてありがとう」と言われて、それは、驚きと、ともに、ああ、これで、やっと手が離れると、本当に安心したものだった。
ところで、京急は品川のホテルも手放し、みなとみらいの方は、東急に譲渡してしまった。これも、私がブログで、書いている固有名詞を、消滅していく、仕業の一つだ。
これは、その披露宴後、5年目か6年目に我が家に来てくれた時の写真である。孫は、椅子の上に立って居る。この孫の正面から写っている写真を、このブログの世界にあげたところ、井上ひさしと思われる、人物から匿名のコメントで、「統合失調症のお前の孫だ。やはり、そういう顔をしているなあ」というひどい文章を寄せられたので、それ以来、子供や孫の写真をさらさない様にしてきた。
ところが、2022年6月1日に、息子が殺されるかもしれないと、気が付いて、それを予防するために、神様に、息子に気が付いていただきたいと思って、ここに改めてjpeg 画像をさらしたのだ。息子が、もし殺されたら、68歳で、殺された妹と違って、お嫁さんと孫は、たちまち露頭に迷ってしまう。
その上、2013年ごろから、比較をすると、息子が、ものすごく成長をした。それで、小さいころ、自閉症、スペクトラムと診断をされ、よく泣くので、育てにくかった、息子(私にとっては孫)を大変丁寧に、静かにしっかりと育てていて、孫は、とてもいい子に育っている。自分から、本を選んで買う様になったが、いい本を選んでいると息子が言っていた。おととしの夏は、丹沢に父子で出かけ、今年は、瑞牆山へ出かけるそうだ。だが、もし、彼がいなくなったら、お母さんだけではとても育てられない。息子は、殺されてはならないのだ。だから、かえってここに顔写真を公開し、神様に御・見守り・頂きたいと、考えた。
では、なぜ、私が、そう=殺されるかもと、考えたかを語っていこう。
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副題7、『息子は来る前に釣りをして、その釣果を、持ってくると言って居た。しかも、母方の先祖の墓を掃除し、父方の先祖の墓にはお参りをしてくるという』
鎌倉霊園内のお墓は、200段ぐらいの、石段を上がらないといけないし、私は、膝が、外部からの攻撃で、しょっちゅう悪くされるので、以前は、月に一回行っていた墓参りが、疎遠になっている。そこを息子がカバーしてくれるので、大変助かっている。
来る前には、政治的な意味で、難しい会話が始まるのではないかと思い、懸念を深くしていたのだけれど、私の懸念を、掘り下げない形で、何気ない会話が続いた。ありがたい平和さだった。だけど、息子の顔が悪くなっているのには、気が付いて、それについては、心配を深めていた。鼻を中心にして、すべての部品が、縮んでいる様に見えた。肌もなんだか、黒ずんでいるみたいだった。しかし、うかつな質問はできない。
私の方は、質問を投げかけず、お料理を出すなどの作業を淡々としながら、すると、お料理を食べ終わり、食後のカステラも食べ終わったころ、「今朝は、朝食も食べないで、出たので、おいしかった」という。変だなあと思っていると、
「会社の行事だったのだ」という。『ああ、だから、出発時間が決まっていたのだ』と思い当たる。釣りは朝四時出発が、多い。
「うちから、二人出て、会社の人ではない、釣りの名手が、二人来た」という。黙って聞いていると、これから、会社で、新しい企画が立ち上がるそうだった。それは、ここでは明かせない。新しい企画だから伏せよう。安定して、発展をしていくことを願っている。
で、私が「あなたが一番上手だったの?」と聞くと、「違う。上から二番目ぐらいだったかな?」という。社長は、加山雄三が持っている様なタイプの、すてきな船を持っていて、それで、出かける際は、うちの息子が、一番大物を釣り上げたこともあるそうだ。だが、そのうちに釣果をもって、墓参りもした日は、社長は、いなかった模様。
今の会社では、社長も社員も全員釣りが好きで、上手だ。4年ぐらい前は、話を聞いていると、まるで、釣りバカ日誌の世界だと、思われた。しかし、息子が、80cmの、何かを釣り上げたときに、社長が、釣りの雑誌に紹介してあげるとおっしゃったらしい。のに、実現をしなかった。そのあたりから、だんだん、・・・・・変だ。とうとう、この会社にも裏から手が入ったかな?・・・・・と、私は考えて、不安になった。
ともかく、息子は、「ああ、本当に今日は疲れた。僕は岸壁の釣りは、上手で、好きなんだけれど、ボートはつかれる」という。で、私が「ボートって、どんな形の❓」と聞くと「いわゆる手漕ぎボートだよ」という。
「もしかすると、井の頭公園などにおいてある、あれ?」と聞くと、「そう」という。「あれで、海へ出るの?」と聞くと「そう」と答える。息子の会社がある地域、を考えると、海とは、東京湾ではなくて相模湾だ。それは、太平洋につながっている。
非常に驚いて、「救命胴衣を着けているのでしょう?」と聞いてみた。「もちろん」と彼は答える。
しかし、彼が旅行中、愛用の釣り竿に、「目立たない傷」が、侵入者によって入れ込められ、旅行後、初めて使った日に折れたという話を、彼とは、違った解釈をしてる・・・・・そういう・・・・・私は、戦慄をした。
救命胴衣に、特に彼の物へ、あらかじめ、小さな傷をつけておく。そうすると、彼の物だけ、膨らまない。しかも、謀略行為を行う際には、二重、三重の、準備を彼らはするだろう。ということは、今回紹介された特殊潜水服を着た特殊工作員も出動するはずだ。必死になって、陸へ向かって、泳ぐ、息子の足を引っ張って、海中、深く引きずり込む。死んだのを確認した後で、海中で、正常に開いた、救命胴衣に着かえさせて、息子がパニックに陥ったので、おぼれたということにする。
私の予測は、たいてい当たっている。私は、常に正しいポイントをつくのだ。神様と、祈る。どうか、息子をお助け下さいと。
本日の文章は、神様へのご報告という趣が、とても強いものだ。一般の方向けではない。神様へのご報告である。神様が助けて下さることを願っている。
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みずほFG、みずほ証券を完全子会社化 農林中金から株式取得
[東京 1日 ロイター] - みずほフィナンシャルグループは1日、農林中金が保有するみずほ証券の全株式を取得し、同社を完全子会社したと発表した。金額は開示していない。
農林中金が農中証券の営業をみずほ証券に譲渡した経緯から、農中がみずほ証券の一部株式を保有していた。
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