銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

侮米と言う新・造語に、とまどう司馬遼太郎氏、ー(その4)

2010-04-28 12:53:37 | Weblog
昨日の記事をあげて、一晩たったところ、読んでくださった人数は少ないものの、文章を何度も読み返してくださった方は多いという現象に気がつきました。それで、タイトルが悪かったと思い直し、タイトルを書き直し、以下の追加を入れました。アメリカがチョウリャクの国であると言うことは、普通の人には受け入れがたいことなのでしょう。
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その侮米という、アメリカにおきた新・造語にいろいろないやな裏側があり、日本人はそういう風に他者をあつかう国民ではないとお考えになっても、とっさのこと(たった一週間の滞在であり、自分はアメリカ一般市民にとっては無名の存在であると言うことこと)ですから、

司馬遼太郎氏は、事前に用意していった、原稿が、誤解を招くと判断をされたのです。

そちらの内容が、日本語の、優越性を語っているとの誤解です。
司馬さんの本旨は、明治政府以降の社会・変革、もしくは、改革がすべて、日本語を通じて行われたということです。つまり、それだけ、江戸時代から、文明が発達をしていて、
法体系や、文学、自然科学等、すべて、日本語で、理解をすることが可能であったというところになりました。

 明治が好きな斯波氏らしい、演目です。それは、後進国では珍しいことで、それを、同じ立場にあった別の国の人々には理解ができないことと、言われて、日本人としても初めて気がついたとおっしゃっています。

 最初はコロンビア大学のドナルド・キーン博士に招かれたのですから、日本語の力・・・・・と言うことだったのですが、他のテーマに変えられたのです。

  ここでは、大変短く終わります。すぐ次の章を書きましょう。2010年4月28日   雨宮 舜
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