あれはあかるい陽射しのあたる午後、金沢八景駅のホームでのことでした。本当に久しぶりに屈託のない、元気な男の子に出会いました。鎌倉には清泉小学校というのがあって、下校時のこどもたちとはよく出会いますが、私立小学校の子どもたちは、親から、知らない大人と接触を持たないようにと教えられているせいか、外部に対して無関心なのです。
でも、その日、ホームにいたこどもたちは、制服を着ていなかったので公立・小学校のこどもでしょう。何も背中に背負っていなかったので、課外授業の帰りだったはずで、遠足ほど疲れてはおらず、元気一杯だったのです。
私はお昼を食べないで墓参りをしたので、ホームでは、ミルク入りの紅茶の缶を自動販売機で買いました。百二十円を入れたつもりですが、今、本作りで頭を使いきっていて疲労困憊していたらしくて、十円一枚と間違えて百円硬貨を二枚入れたらしいのです。おつりがじゃらじゃらと音を立てて落ちてきました。つまり、九回も十円硬貨が落ちてくる音がしたのです。
~~~~~~~~~~
私にはその音はもちろん聞こえました。しかし、今の私の脳は、シナプスが特別に複雑に動くようになっていて、その音の解釈にたいして、普通ではない複雑さを示しました。
(これは多分ですが、十年以上前のパリでの情景を思い出しながら書き下ろしで文章を書いているせいなのでしょう。)
一番最初に思い出したのは、上野の国立西洋美術館のロッカー前での光景です。ラトゥーヤ展という、大衆的に大人気を博した美術展の最終日近く、しかも五月の連休の中の一日で、お客さんが一杯でした。私は、A4のパソコンをいつも持ち歩いているので、(モバイル・ノートは、当時は高かったのです)ロッカーのあるところでは、常にロッカーを頼ります。
こう言う国立のロッカーは、かぎ閉めの際に、一応百円を取ります。しかし、解錠をすると、その硬貨が戻ってくる仕組みになっています。私自身も何年間もその仕組みに気がつかず、百円玉を残したまま帰宅をしていたのですが、何時のときか、気がついて、その百円を自分で持って帰ることに、し始めました。
しかし、その日は、何らかの強い視線を感じて、そちらを眺めると二十メートルくらいの遠い位置から立派な制服を来たガードマンが、こちらを凝視しているのです。そのとき、瞬間的に、『あ、残して行くコインを狙っている』と判ったのです。
で、『私は、彼にあげるつもりはないわ』と思って、開錠し始めたら、私の隣の列のロッカーを開錠した紳士がいて、その人が予想通り、百円玉を残して去ったのです。私の荷物はバックパックをはじめ、とても多いので、その紳士ほど手早く、身支度が出来ず、ちょっと立つのが遅れたのですね。すると、さっきのガードマンが、まだ私がロッカーの前にいるにもかかわらず、私の手から三十センチほども離れていないその穴から、百円玉を回収していったのです。三十センチも体が離れていない位置でそれを、やって向こうへすっと行きました。その全体の様子や雰囲気から、美術館のための仕事をしているとは思えず、彼が、自分のポケットマネーにするために、急いでいたと見えました。
すごい衝撃を受けました。今から五年ぐらい前で、社会全体が逼迫を、いまほどは、していなかった時代です。しかも彼の立場が立場ですからね。立派な制服を着ていて、・こ・そ・泥・(または美術品を盗む大泥棒)を取り締まるほうの立場の人間が、そういう惨めな姿を、人目(私の目のこと)をはばからずやるということに。・・・・・
それ以来、私は、あの・・・・・縦が五センチ、横が四センチぐらいで、入り口にプラスチックのドアがついている・・・・・小さな箱、に、指を突っ込むのを特別にためらうようになってしまったのです。
この金沢八景駅でも、自分では百二十円を入れたつもりですから、音で、『何らかの異変が起きたなあ』とも思いましたが、指を突っ込むのが嫌で、
・・・・・特に、そこにお金がなかったときに、回りの人が、あの上野での、私みたいに『さもしいなあ』と思う事が嫌で、黙ってそこを立ち去りました。・・・・・
『多分、この機械は、缶ジュースが出た後で、私が入れたコインが落ちる仕組みになっているのよ』と自分を納得させながら。・・・・・
五メートルも歩かないうちに、突然後ろから元気な男の子の声で、「おばさん、お釣りを忘れているよ」と呼び止められました。振り返ると、男の子が小さな右手にコインを溢れさせんばかりに握っているので、私が思わず手を差し出すと、手のひらに九枚の十円硬貨が落ちました。
私は瞬間的に、これが間違いなく自分のお釣りであり、私が間違えて二百十円を入れたことを悟り、それをありがたく受け取り、「ありがとう。あなたって、偉いのね」といいました。
すると、その周りにいた、八十歳ぐらいの、立派な体格の、ネクタイをつけた紳士が、「本当に君は偉いね」とフォローをしてくれました。誰もが、感心する活発さと、屈託の無さと、気働きをその男の子は示しました。
私は感動しきってしまいました。金沢八景の駅は西側にこんもりした樹木が茂っていて、そこを乗り越えた輝く陽射しにホームは明るく照らされていて、黄色いお帽子をかぶった小学生たち数十人も輝いていましたが、その男の子の輝きは特別なものを発していました。みんなも彼に、注目していました。
まっとうに、暖かく、育てられているこどものすばらしさとは、格別なものです。素敵なものです。美しいものです。誰も知らない場所で輝いているものこそ、すばらしいです。『日本は、マダマダ、大丈夫かな』とも思いました。
では、今日はこれで。 二〇〇九年四月二十五日
初稿をその日に描き、ブログでは、五月十六日に載せる
雨宮 舜
でも、その日、ホームにいたこどもたちは、制服を着ていなかったので公立・小学校のこどもでしょう。何も背中に背負っていなかったので、課外授業の帰りだったはずで、遠足ほど疲れてはおらず、元気一杯だったのです。
私はお昼を食べないで墓参りをしたので、ホームでは、ミルク入りの紅茶の缶を自動販売機で買いました。百二十円を入れたつもりですが、今、本作りで頭を使いきっていて疲労困憊していたらしくて、十円一枚と間違えて百円硬貨を二枚入れたらしいのです。おつりがじゃらじゃらと音を立てて落ちてきました。つまり、九回も十円硬貨が落ちてくる音がしたのです。
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私にはその音はもちろん聞こえました。しかし、今の私の脳は、シナプスが特別に複雑に動くようになっていて、その音の解釈にたいして、普通ではない複雑さを示しました。
(これは多分ですが、十年以上前のパリでの情景を思い出しながら書き下ろしで文章を書いているせいなのでしょう。)
一番最初に思い出したのは、上野の国立西洋美術館のロッカー前での光景です。ラトゥーヤ展という、大衆的に大人気を博した美術展の最終日近く、しかも五月の連休の中の一日で、お客さんが一杯でした。私は、A4のパソコンをいつも持ち歩いているので、(モバイル・ノートは、当時は高かったのです)ロッカーのあるところでは、常にロッカーを頼ります。
こう言う国立のロッカーは、かぎ閉めの際に、一応百円を取ります。しかし、解錠をすると、その硬貨が戻ってくる仕組みになっています。私自身も何年間もその仕組みに気がつかず、百円玉を残したまま帰宅をしていたのですが、何時のときか、気がついて、その百円を自分で持って帰ることに、し始めました。
しかし、その日は、何らかの強い視線を感じて、そちらを眺めると二十メートルくらいの遠い位置から立派な制服を来たガードマンが、こちらを凝視しているのです。そのとき、瞬間的に、『あ、残して行くコインを狙っている』と判ったのです。
で、『私は、彼にあげるつもりはないわ』と思って、開錠し始めたら、私の隣の列のロッカーを開錠した紳士がいて、その人が予想通り、百円玉を残して去ったのです。私の荷物はバックパックをはじめ、とても多いので、その紳士ほど手早く、身支度が出来ず、ちょっと立つのが遅れたのですね。すると、さっきのガードマンが、まだ私がロッカーの前にいるにもかかわらず、私の手から三十センチほども離れていないその穴から、百円玉を回収していったのです。三十センチも体が離れていない位置でそれを、やって向こうへすっと行きました。その全体の様子や雰囲気から、美術館のための仕事をしているとは思えず、彼が、自分のポケットマネーにするために、急いでいたと見えました。
すごい衝撃を受けました。今から五年ぐらい前で、社会全体が逼迫を、いまほどは、していなかった時代です。しかも彼の立場が立場ですからね。立派な制服を着ていて、・こ・そ・泥・(または美術品を盗む大泥棒)を取り締まるほうの立場の人間が、そういう惨めな姿を、人目(私の目のこと)をはばからずやるということに。・・・・・
それ以来、私は、あの・・・・・縦が五センチ、横が四センチぐらいで、入り口にプラスチックのドアがついている・・・・・小さな箱、に、指を突っ込むのを特別にためらうようになってしまったのです。
この金沢八景駅でも、自分では百二十円を入れたつもりですから、音で、『何らかの異変が起きたなあ』とも思いましたが、指を突っ込むのが嫌で、
・・・・・特に、そこにお金がなかったときに、回りの人が、あの上野での、私みたいに『さもしいなあ』と思う事が嫌で、黙ってそこを立ち去りました。・・・・・
『多分、この機械は、缶ジュースが出た後で、私が入れたコインが落ちる仕組みになっているのよ』と自分を納得させながら。・・・・・
五メートルも歩かないうちに、突然後ろから元気な男の子の声で、「おばさん、お釣りを忘れているよ」と呼び止められました。振り返ると、男の子が小さな右手にコインを溢れさせんばかりに握っているので、私が思わず手を差し出すと、手のひらに九枚の十円硬貨が落ちました。
私は瞬間的に、これが間違いなく自分のお釣りであり、私が間違えて二百十円を入れたことを悟り、それをありがたく受け取り、「ありがとう。あなたって、偉いのね」といいました。
すると、その周りにいた、八十歳ぐらいの、立派な体格の、ネクタイをつけた紳士が、「本当に君は偉いね」とフォローをしてくれました。誰もが、感心する活発さと、屈託の無さと、気働きをその男の子は示しました。
私は感動しきってしまいました。金沢八景の駅は西側にこんもりした樹木が茂っていて、そこを乗り越えた輝く陽射しにホームは明るく照らされていて、黄色いお帽子をかぶった小学生たち数十人も輝いていましたが、その男の子の輝きは特別なものを発していました。みんなも彼に、注目していました。
まっとうに、暖かく、育てられているこどものすばらしさとは、格別なものです。素敵なものです。美しいものです。誰も知らない場所で輝いているものこそ、すばらしいです。『日本は、マダマダ、大丈夫かな』とも思いました。
では、今日はこれで。 二〇〇九年四月二十五日
初稿をその日に描き、ブログでは、五月十六日に載せる
雨宮 舜
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