今、14日(金)の午後23時です。続きを書く予定が、10時間ぐらい遅れています。恐れ入ります。実は、その間、手書きで、原稿用紙換算、70枚ぐらいのものを書いていました。突然に創作の嵐に見舞われることがあり、そういうことをいたします。パソコンあhハッキングを受けているので手書きをします。便利な道具はそれだけ弱いのです。
で、こちらに取り組めませんでした。お許しください。フェイスブックと連動して、お読みいただいている方は、「そっちでは、コメントなんか、出していたじゃあないの」とおっしゃるかと思いますが、フェイスブックは、どんなに真剣に書いても、400字ですから、このブログとは重みが違います。
こちらの方が、体力や気力が、充実していないと書けません。フェイスブックは、頭の回転のために、入ったりしています。頭を休めたり、リフレッシュさせるために。
こちらは違うのです。こちらの方が、相当に真剣になります。しかも、弾圧をされながら書いていますから、超がつくほど、たいへんで、気力も体力も最高の、場合しか、書きません。では、一応まとめましたので、タイトルも全体を表すものへと、変えていきます。どうか、よろしく。
副題1,『なぜ、地上波から、BSへ、田原氏は移ったのか?』
副題2,『田原総一朗を、グーグルで検索をすれば、』
副題3,『読売新聞は、どうなっているのか?』
副題4,『あと10年もすれば、紙の新聞は、終わりだろうが』
副題5、『田原総一朗氏を、1000字でまとめれば、どうなるか?』
副題6、『恋愛は、男にとって、身を立てる武器ともなり、
反対に、身を滅ぼす、凶器ともなる』
副題7、『得する離婚と、損する離婚』
~~~~~~~~~~~~~~~
副題1,『なぜ、地上波から、BSへ、田原氏は移ったのか?』
さて、私の最近のものをお読みになっている方は、二、三回、それているなと、お考えでしょう。自分でも気がついています。が、それを書くのは、非常に体力がいると言うことに、取り組む予定でしたから、充実するのを、待っていました。つまり田原総一朗氏をまな板にあげることです。
が、間に次から次へと別用が入り、お待たせをしていて申し訳ございません。
ところで、私は田原総一朗氏に対して、一回すでに批判をしています。すると、氏が、テレビ朝日の日曜日午前中の番組を降りて、BSの方へ移り、後を小宮悦子さんが、引き受けました。
そのときにも密かに、『自分の文章はしかるべき筋から注目をされているなあ』とは、感じました。つまり、私は原発に反対しています。で、原発を容認する人々から、嫌われています。と、同時に、それらの陣営にこそ、注目をされているのです。
~~~~~~~~~~~~~~~~
副題2,『田原総一朗を、グーグルで検索をすれば、』
今回も、そのときの批判を繰り返すことで、始めたいのです。それ以外は、田原氏を注目していませんので。最近では氏の登場する番組を一切見ないので、何にも感じていませんし。
しかし、以前も一回入ったように、もう一回グーグルで検索をして、wikipediaのところだけはチェックしました。すると、大変に項目の多い人です。大きく活動をして来た人です。
『あんた何なんだよ。比較してどうなんだよ』と、問われれば、『ちょっとひるみますね。さすがに器が違うかな?』と答えておこうかな?・・・・・と、一瞬は感じます。
しかし、大量の言葉より、俳句の方が表現力が強かったりする真実を皆様はご存じでしょう。たとえば、一休さんなんて、使った、仮名文字の数から比べれば、紫式部より遙かに少ないです。だけど、この日本国内で、どちらの作品の方が、人口に膾炙しているかと言えば、むろん、一休さんでしょう。
ちょっとしたインテリなら、誰もが感じているが、絶対に口外しない真実として、『田原総一朗は、死んだら終わりだ。肉体的パフォーマンスの人だから』と言うことがあると思います。
しかし、ちょっとまともな人なら、あの司会の仕方は、嫌うと思います。彼が予定調和として、内心で、抱いている方向へ、強烈に、持って行くから。討論も何もあったものじゃあないです。
~~~~~~~~~~~~~~~~
副題3,『読売新聞は、どうなっているのか?』
私はかねてより、朝日新聞と、テレビ朝日を批判しています。が、そちらが依然として強く、むしろ平均的な日本人の信条を代表していると思われる、毎日新聞と産経新聞が、どんどん、落ち込んでいます。
まあ、日経新聞は、日本の学歴的エリートが購読している新聞として、あまりに偏頗したことは書かないはずだと、日本中が見なしていると思うし、記事の組み立て方、一面の、大見出しの付け方は、今のところは、そうなっています。
次に読売新聞ですが、私はほとんど接触したことがありません。
が、『日本一の部数を朝日新聞と争っていて、
論調はどちらかというと右派であり、自民党としっかりと結びついている』というのが、国民の大多数が見るところの特徴でした。
そして、朝日新聞と比較をすると、なりふり構わぬエンターテインメント路線を追求していて、少し、低級なのだという判断もあったでしょう。
そういう判断は、産経新聞にも与えられていて、さらに言えば、中日新聞など、さらに格が落ちるという判断があったと思います。
しかし、今、一番そのニュースが期待されているのがウエブサイト上で見ると、産経新聞と中日新聞です。つまり、その二紙は信頼度が高いと見なされています。しかし、読売新聞と朝日新聞と、日経新聞はウエブサイト上で、注目すべきニュースとして取り上げられる回数が圧倒的に少ないのです。
また、フェイスブック紙上では、中日新聞の評価が高いです。つまり、ニュースが加工されていない素であり、信頼性が高く、かつ、読者の方に、考察の余地があるのです。朝日新聞はその最も対極にあり、読者に対しては傲慢であり、真実を知らせるという意味では怠慢です。
そして、あらたにすという三者連動・契約ができている限り、読売新聞は、右派系という特徴を失い、日経新聞も傲慢と怠慢の、輪の中に入れ込められてしまったのです。
『あらたにす』創設の罪は重いです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
副題4,『あと10年もすれば、紙の新聞は、終わりだろうが』
私は書物は紙の方がいいと思っています。が、ニュースを配信してもらうという意味では、すでに、紙の新聞を見放しています。
今、雑誌が無理矢理、廃刊に追い込まれていますが、それと同じように採算重視になったら、やがて、新聞は購読者が減り、かつ、広告収入も減るようになると考えます。
アメリカでは、宅配の制度はないのですよね。そして、大衆はキオスクか、コンビニみたいなところで、あつくて充実している、タブロイド新聞(無料のものが多い)とか、大判の、ニューヨークタイムズとか、ヘラルドトリビューンを、買うという形式です。が、これでは大量の部数は出ません。が、国土が広いので、地産地消で、これでいいと考えられていると思います。
日本は国土が狭くて、かつ、人口密度が高いので、宅配制度が発達しています。特に、朝日新聞は、インテリが作ってやくざが売ると言うほど、強引な拡大政策をとり、読売新聞と争ったために、さらに、読売も同じような作戦をとり、両者が、寡占状態を引き起こしました。
日経を加えると圧倒的な寡占状態を、作り出しているのです。
が、1980年代みたいに、各新聞に特徴があったらよかったのです。会社とか、学校という組織では、職場で、数紙の新聞を取っていたと思いますので、会社や学校などの組織に金宇している人は、特に男性は、新聞を読み比べて、判断をするという生活様式が確立をしていたのです。女性は若ければ、そんなスタイルは生意気だと思われるし、四〇過ぎの女性にはパート勤務のような立場が多かったので、昼休み、および三時のお茶の時間に、新聞を読み区rべるというような習慣は少なかったと思われます。
ところが、現在の若者は、1980年代の、中年女性のような、切り売り労働を迫られているケースが多く、かつ、集約的に働かされていて、かつ、生活スタイルに、ださいとか、お宅という言葉が持ち込まれ、軽薄であることがよしとされています。ですから、新聞を職場でじっくり読むというような生活スタイルが消えているのです。
が、若い人が本当に能なしで、不真面目なのかというと、そうでもないのです。が、彼らは、紙のメディアだったら、コミックを読むし、ニュースはケータイ等で、配信されたもので十分だと考えているでしょう。
いやね、人様のビジネスを衰退するなどと予測をするのは失礼です。が、今のように傲慢で、かつ怠慢だと、必ずそうなります。
それは、原発事故のことで、政府が隠蔽工作を、はなはだしくしていることを国民みんながわかって来ていて、しかも、メディアが、それを、追求しないどころか、メディアそのものが隠蔽していることを、国民がみんな、すでに、気がついているからです。
その傲慢と怠慢の象徴的なケースが『新たにす』であり、それを作ったのが、石塚雅彦氏であろうというのが、前の文章でした。
で、本日はテレビの世界で、朝日新聞という大権力をバックにして、ありとあらゆる・・・・・国民にとって、悪い・・・・・ことをやり抜いている田原総一朗氏をとリあげるわけです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
副題5、『田原総一朗氏を、1000字でまとめれば、どうなるか?』
ところが、ここで、間に、手書きにする文章が入ってしまいました。明日土曜日も延々それを書くつもりです。でね、ここで、急きょ、この文章を短めにも、短すぎるのでも、終わりとさせていただきたいのです。
田原氏については、小選挙区制の推進と、映画コーヴの上映推進という二つのポイントで、責め(攻め)ないといけません。が、いつもは、必ず、10時間以内に、続きを書く私が書けなかったので、ここはひとまず、この文章自体を終わりとさせてくださいませ。
だけど、決して逃げたわけではないのですよ。頭に、詳細が降りてこないと、書かない人間が私なのです。で、これを書き始めようと思った、一週間前には、詳細な細部が頭に浮かんでいたのですが、それを、すぐパソコンに落としていないうちに、消えてしまったのです。ですから、再度、その細部を思い起こすのが大変です。
が、たった、3行でも、この人が日本社会において、大変な悪をなした、弊害を残したということは、だれの目にも明らかでしょう。俳句と同じ形式で、結論だけをポンとあげておきます。
とても、困った人です。で、その陰険な、方向性が何から出てくるかですが、
激しい上昇志向を持っている人です。それが何から来るのかはわかりません。
在日という出自はないと思う。劣等感がある場合は激しい上昇志向を持つのですが、何が田原氏の劣等感を刺激しているのだろう。
しいて言えば、若いころ、貧乏だったということがあります。また、当時は東大全盛時代なので、東大を出ていないということが引け目だったかな?
それとも、劣等感ではなくて、優越感が、田原氏をああい言う人間にしているのだろうか。優越感とは、仕事をしているうちに、ご自分が能力が高いと認識したのに、よい場所が与えられていないと判断して、それに対する怨念があったかな?
周りにいる人間が、みんな馬鹿に見えるから、総理大臣よりもえらい位置に立っている、政治評論家になって、・・・・ある特殊な・・・・権力を振るおうというのかな?
まあ、お顔は美形の方だと思う。それに、年齢に比してお若い。
だから、テレビ時代の寵児として、それこそ時代と結婚した男の一人でしょう。
が、とても、困った人間として、この日本社会に存在している人です。
何が氏をああいう困ったチャンにしているかは、本当はわからないのですが、それでも、例の見てきたようなうそを言いの一つとして、
田原氏は、弱みを握られて、それを種に、転向をするように迫られ、それ以来国際的軍産共同体の犬になったという案です。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
副題6、『恋愛は、男にとって、身を立てる武器ともなり、
反対に、身を滅ぼす、凶器ともなる』
弱みというのは恋愛です。ご自分が告白していらっしゃるけれど、ダブル不倫だったと言われています。ご自分の方にも妻と子供があり、相手の方にも夫と子供があった。そういう間柄で、好きになって、云々、かんぬんと続くのですが、・・・・・・
テレビ世界の寵児としてお茶の間に直接届く立場であれば、それは、暴露されると困る現象であり、それを伏せてもらうことを条件に、絶対に、国際的軍産共同体の言うなりになって、そちらが伸びるように尽くすと、誓った・・・・・うんぬん、かんぬんと。
これは、以前書いた、細野豪司氏と同じ流れです。
特に、細野豪司氏は、小沢出廷の後で、証人喚問を迫る各党を抑えるべく、証人喚問をすべきではないと言いました。
これこそ、小沢一郎氏が、国際的軍産共同体の、もっともかわい子ちゃんであることを証明しており、細野豪司氏が、小沢氏の孫(=第三の)世代として、国際的軍産共同体の軍門に下っていることを示しており、
この日本が、このような、少数の、エージェント化した、人間たちに、牛耳られていることを証明していると考えます。
そして、週刊朝日と、テレビ朝日を主要な、舞台として活躍をしていることから考えて、利用できる逸材として、利用されまくっているという考察です。
だけど、こんなことを言うと、田原氏本人が怒りまくりひていするでしょうから、「恋愛を種に、脅かされてああいう主張と、マナーを発揮しているわけではない」と、言う方向でも、考えておかないといけません。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
副題7、『得する離婚と、損する離婚』
離婚はありがちなことです。でも、その結果、こちらが、損をするような結婚だと、世間は納得をします。つまり、下世話な言葉でいえば、捨てられた方だと、世間の人は、納得をして、同情します。
または、逃げられたといってもいい。が、反対に、捨てたとか、逃げたとか、乗り換えたという印象を与えると世間の人は、納得をしないのです。その話題の人物を、いやな人間だなあと思います。
赤瀬川原平さんの離婚はそういう意味では、世間が受け入れ納得をしている離婚です。赤瀬川さんが、尾辻克彦の名前で書いていた小説は、広義の意味では現夫人(第二の奥様)に対するオノロケです。だけど、前の結婚が、赤瀬川さんの苦境時代に起きた現象だから、『糟糠の妻を、全うできなかったのね。甘えた人だったのでしょう』と、前夫人を、低く評価するからです。
ところが、世間の人は田原氏の離婚を消決っして高くは、評価をしていません。ご本人にとっては、現夫人が切実にほしい人材だったとしても、世間は深い同情を、前夫人に対して寄せているでしょう。お気の毒にと思っています。
それでも、自分の思う様にふるまった田原氏は、傲慢の典型です。一般的に言って、一人の人間が所有してよい欲望の達成の数倍の欲望を達成しているわけです。金、女、知名度、ある種の権力の、4っつ、すべてを手に入れたわけですが、世間が、彼を高く評価しているとは、まるで、思えません。でも、いつまでも、彼は、サバイバルし君臨し続けています。
その生き残り術の確かさは、小沢一郎並みです。これは、例の、この日本の、真実の権力者たる、国際的軍産共同体から、大きな支援を、受けているからです。
3,11以前は、それでも、彼の存在を、この日本社会は許容できました。が、今は、許容すべきではないです。
では、どうすればよいのか?
彼が出ているテレビ番組・・・・・例えば、朝まで生テレビを見ない事です。彼が原稿を寄せている週刊朝日を、買わないことです。
そして、さらに言えば、持ちつ持たれつで生きてきた、朝日新聞は、いつかは、凋落をすると思います。というのも、原発という災禍を招いた、人材こそ、田原総一郎で、代表される陣営だからです。それらを表舞台で、活躍させた朝日新聞は、それだけの罪を、国民に対して、負っているからです。
では、今日はこれで、この一文を終わります。明日、午前中に誤変換を直します。
で、こちらに取り組めませんでした。お許しください。フェイスブックと連動して、お読みいただいている方は、「そっちでは、コメントなんか、出していたじゃあないの」とおっしゃるかと思いますが、フェイスブックは、どんなに真剣に書いても、400字ですから、このブログとは重みが違います。
こちらの方が、体力や気力が、充実していないと書けません。フェイスブックは、頭の回転のために、入ったりしています。頭を休めたり、リフレッシュさせるために。
こちらは違うのです。こちらの方が、相当に真剣になります。しかも、弾圧をされながら書いていますから、超がつくほど、たいへんで、気力も体力も最高の、場合しか、書きません。では、一応まとめましたので、タイトルも全体を表すものへと、変えていきます。どうか、よろしく。
副題1,『なぜ、地上波から、BSへ、田原氏は移ったのか?』
副題2,『田原総一朗を、グーグルで検索をすれば、』
副題3,『読売新聞は、どうなっているのか?』
副題4,『あと10年もすれば、紙の新聞は、終わりだろうが』
副題5、『田原総一朗氏を、1000字でまとめれば、どうなるか?』
副題6、『恋愛は、男にとって、身を立てる武器ともなり、
反対に、身を滅ぼす、凶器ともなる』
副題7、『得する離婚と、損する離婚』
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副題1,『なぜ、地上波から、BSへ、田原氏は移ったのか?』
さて、私の最近のものをお読みになっている方は、二、三回、それているなと、お考えでしょう。自分でも気がついています。が、それを書くのは、非常に体力がいると言うことに、取り組む予定でしたから、充実するのを、待っていました。つまり田原総一朗氏をまな板にあげることです。
が、間に次から次へと別用が入り、お待たせをしていて申し訳ございません。
ところで、私は田原総一朗氏に対して、一回すでに批判をしています。すると、氏が、テレビ朝日の日曜日午前中の番組を降りて、BSの方へ移り、後を小宮悦子さんが、引き受けました。
そのときにも密かに、『自分の文章はしかるべき筋から注目をされているなあ』とは、感じました。つまり、私は原発に反対しています。で、原発を容認する人々から、嫌われています。と、同時に、それらの陣営にこそ、注目をされているのです。
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副題2,『田原総一朗を、グーグルで検索をすれば、』
今回も、そのときの批判を繰り返すことで、始めたいのです。それ以外は、田原氏を注目していませんので。最近では氏の登場する番組を一切見ないので、何にも感じていませんし。
しかし、以前も一回入ったように、もう一回グーグルで検索をして、wikipediaのところだけはチェックしました。すると、大変に項目の多い人です。大きく活動をして来た人です。
『あんた何なんだよ。比較してどうなんだよ』と、問われれば、『ちょっとひるみますね。さすがに器が違うかな?』と答えておこうかな?・・・・・と、一瞬は感じます。
しかし、大量の言葉より、俳句の方が表現力が強かったりする真実を皆様はご存じでしょう。たとえば、一休さんなんて、使った、仮名文字の数から比べれば、紫式部より遙かに少ないです。だけど、この日本国内で、どちらの作品の方が、人口に膾炙しているかと言えば、むろん、一休さんでしょう。
ちょっとしたインテリなら、誰もが感じているが、絶対に口外しない真実として、『田原総一朗は、死んだら終わりだ。肉体的パフォーマンスの人だから』と言うことがあると思います。
しかし、ちょっとまともな人なら、あの司会の仕方は、嫌うと思います。彼が予定調和として、内心で、抱いている方向へ、強烈に、持って行くから。討論も何もあったものじゃあないです。
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副題3,『読売新聞は、どうなっているのか?』
私はかねてより、朝日新聞と、テレビ朝日を批判しています。が、そちらが依然として強く、むしろ平均的な日本人の信条を代表していると思われる、毎日新聞と産経新聞が、どんどん、落ち込んでいます。
まあ、日経新聞は、日本の学歴的エリートが購読している新聞として、あまりに偏頗したことは書かないはずだと、日本中が見なしていると思うし、記事の組み立て方、一面の、大見出しの付け方は、今のところは、そうなっています。
次に読売新聞ですが、私はほとんど接触したことがありません。
が、『日本一の部数を朝日新聞と争っていて、
論調はどちらかというと右派であり、自民党としっかりと結びついている』というのが、国民の大多数が見るところの特徴でした。
そして、朝日新聞と比較をすると、なりふり構わぬエンターテインメント路線を追求していて、少し、低級なのだという判断もあったでしょう。
そういう判断は、産経新聞にも与えられていて、さらに言えば、中日新聞など、さらに格が落ちるという判断があったと思います。
しかし、今、一番そのニュースが期待されているのがウエブサイト上で見ると、産経新聞と中日新聞です。つまり、その二紙は信頼度が高いと見なされています。しかし、読売新聞と朝日新聞と、日経新聞はウエブサイト上で、注目すべきニュースとして取り上げられる回数が圧倒的に少ないのです。
また、フェイスブック紙上では、中日新聞の評価が高いです。つまり、ニュースが加工されていない素であり、信頼性が高く、かつ、読者の方に、考察の余地があるのです。朝日新聞はその最も対極にあり、読者に対しては傲慢であり、真実を知らせるという意味では怠慢です。
そして、あらたにすという三者連動・契約ができている限り、読売新聞は、右派系という特徴を失い、日経新聞も傲慢と怠慢の、輪の中に入れ込められてしまったのです。
『あらたにす』創設の罪は重いです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
副題4,『あと10年もすれば、紙の新聞は、終わりだろうが』
私は書物は紙の方がいいと思っています。が、ニュースを配信してもらうという意味では、すでに、紙の新聞を見放しています。
今、雑誌が無理矢理、廃刊に追い込まれていますが、それと同じように採算重視になったら、やがて、新聞は購読者が減り、かつ、広告収入も減るようになると考えます。
アメリカでは、宅配の制度はないのですよね。そして、大衆はキオスクか、コンビニみたいなところで、あつくて充実している、タブロイド新聞(無料のものが多い)とか、大判の、ニューヨークタイムズとか、ヘラルドトリビューンを、買うという形式です。が、これでは大量の部数は出ません。が、国土が広いので、地産地消で、これでいいと考えられていると思います。
日本は国土が狭くて、かつ、人口密度が高いので、宅配制度が発達しています。特に、朝日新聞は、インテリが作ってやくざが売ると言うほど、強引な拡大政策をとり、読売新聞と争ったために、さらに、読売も同じような作戦をとり、両者が、寡占状態を引き起こしました。
日経を加えると圧倒的な寡占状態を、作り出しているのです。
が、1980年代みたいに、各新聞に特徴があったらよかったのです。会社とか、学校という組織では、職場で、数紙の新聞を取っていたと思いますので、会社や学校などの組織に金宇している人は、特に男性は、新聞を読み比べて、判断をするという生活様式が確立をしていたのです。女性は若ければ、そんなスタイルは生意気だと思われるし、四〇過ぎの女性にはパート勤務のような立場が多かったので、昼休み、および三時のお茶の時間に、新聞を読み区rべるというような習慣は少なかったと思われます。
ところが、現在の若者は、1980年代の、中年女性のような、切り売り労働を迫られているケースが多く、かつ、集約的に働かされていて、かつ、生活スタイルに、ださいとか、お宅という言葉が持ち込まれ、軽薄であることがよしとされています。ですから、新聞を職場でじっくり読むというような生活スタイルが消えているのです。
が、若い人が本当に能なしで、不真面目なのかというと、そうでもないのです。が、彼らは、紙のメディアだったら、コミックを読むし、ニュースはケータイ等で、配信されたもので十分だと考えているでしょう。
いやね、人様のビジネスを衰退するなどと予測をするのは失礼です。が、今のように傲慢で、かつ怠慢だと、必ずそうなります。
それは、原発事故のことで、政府が隠蔽工作を、はなはだしくしていることを国民みんながわかって来ていて、しかも、メディアが、それを、追求しないどころか、メディアそのものが隠蔽していることを、国民がみんな、すでに、気がついているからです。
その傲慢と怠慢の象徴的なケースが『新たにす』であり、それを作ったのが、石塚雅彦氏であろうというのが、前の文章でした。
で、本日はテレビの世界で、朝日新聞という大権力をバックにして、ありとあらゆる・・・・・国民にとって、悪い・・・・・ことをやり抜いている田原総一朗氏をとリあげるわけです。
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副題5、『田原総一朗氏を、1000字でまとめれば、どうなるか?』
ところが、ここで、間に、手書きにする文章が入ってしまいました。明日土曜日も延々それを書くつもりです。でね、ここで、急きょ、この文章を短めにも、短すぎるのでも、終わりとさせていただきたいのです。
田原氏については、小選挙区制の推進と、映画コーヴの上映推進という二つのポイントで、責め(攻め)ないといけません。が、いつもは、必ず、10時間以内に、続きを書く私が書けなかったので、ここはひとまず、この文章自体を終わりとさせてくださいませ。
だけど、決して逃げたわけではないのですよ。頭に、詳細が降りてこないと、書かない人間が私なのです。で、これを書き始めようと思った、一週間前には、詳細な細部が頭に浮かんでいたのですが、それを、すぐパソコンに落としていないうちに、消えてしまったのです。ですから、再度、その細部を思い起こすのが大変です。
が、たった、3行でも、この人が日本社会において、大変な悪をなした、弊害を残したということは、だれの目にも明らかでしょう。俳句と同じ形式で、結論だけをポンとあげておきます。
とても、困った人です。で、その陰険な、方向性が何から出てくるかですが、
激しい上昇志向を持っている人です。それが何から来るのかはわかりません。
在日という出自はないと思う。劣等感がある場合は激しい上昇志向を持つのですが、何が田原氏の劣等感を刺激しているのだろう。
しいて言えば、若いころ、貧乏だったということがあります。また、当時は東大全盛時代なので、東大を出ていないということが引け目だったかな?
それとも、劣等感ではなくて、優越感が、田原氏をああい言う人間にしているのだろうか。優越感とは、仕事をしているうちに、ご自分が能力が高いと認識したのに、よい場所が与えられていないと判断して、それに対する怨念があったかな?
周りにいる人間が、みんな馬鹿に見えるから、総理大臣よりもえらい位置に立っている、政治評論家になって、・・・・ある特殊な・・・・権力を振るおうというのかな?
まあ、お顔は美形の方だと思う。それに、年齢に比してお若い。
だから、テレビ時代の寵児として、それこそ時代と結婚した男の一人でしょう。
が、とても、困った人間として、この日本社会に存在している人です。
何が氏をああいう困ったチャンにしているかは、本当はわからないのですが、それでも、例の見てきたようなうそを言いの一つとして、
田原氏は、弱みを握られて、それを種に、転向をするように迫られ、それ以来国際的軍産共同体の犬になったという案です。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
副題6、『恋愛は、男にとって、身を立てる武器ともなり、
反対に、身を滅ぼす、凶器ともなる』
弱みというのは恋愛です。ご自分が告白していらっしゃるけれど、ダブル不倫だったと言われています。ご自分の方にも妻と子供があり、相手の方にも夫と子供があった。そういう間柄で、好きになって、云々、かんぬんと続くのですが、・・・・・・
テレビ世界の寵児としてお茶の間に直接届く立場であれば、それは、暴露されると困る現象であり、それを伏せてもらうことを条件に、絶対に、国際的軍産共同体の言うなりになって、そちらが伸びるように尽くすと、誓った・・・・・うんぬん、かんぬんと。
これは、以前書いた、細野豪司氏と同じ流れです。
特に、細野豪司氏は、小沢出廷の後で、証人喚問を迫る各党を抑えるべく、証人喚問をすべきではないと言いました。
これこそ、小沢一郎氏が、国際的軍産共同体の、もっともかわい子ちゃんであることを証明しており、細野豪司氏が、小沢氏の孫(=第三の)世代として、国際的軍産共同体の軍門に下っていることを示しており、
この日本が、このような、少数の、エージェント化した、人間たちに、牛耳られていることを証明していると考えます。
そして、週刊朝日と、テレビ朝日を主要な、舞台として活躍をしていることから考えて、利用できる逸材として、利用されまくっているという考察です。
だけど、こんなことを言うと、田原氏本人が怒りまくりひていするでしょうから、「恋愛を種に、脅かされてああいう主張と、マナーを発揮しているわけではない」と、言う方向でも、考えておかないといけません。
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副題7、『得する離婚と、損する離婚』
離婚はありがちなことです。でも、その結果、こちらが、損をするような結婚だと、世間は納得をします。つまり、下世話な言葉でいえば、捨てられた方だと、世間の人は、納得をして、同情します。
または、逃げられたといってもいい。が、反対に、捨てたとか、逃げたとか、乗り換えたという印象を与えると世間の人は、納得をしないのです。その話題の人物を、いやな人間だなあと思います。
赤瀬川原平さんの離婚はそういう意味では、世間が受け入れ納得をしている離婚です。赤瀬川さんが、尾辻克彦の名前で書いていた小説は、広義の意味では現夫人(第二の奥様)に対するオノロケです。だけど、前の結婚が、赤瀬川さんの苦境時代に起きた現象だから、『糟糠の妻を、全うできなかったのね。甘えた人だったのでしょう』と、前夫人を、低く評価するからです。
ところが、世間の人は田原氏の離婚を消決っして高くは、評価をしていません。ご本人にとっては、現夫人が切実にほしい人材だったとしても、世間は深い同情を、前夫人に対して寄せているでしょう。お気の毒にと思っています。
それでも、自分の思う様にふるまった田原氏は、傲慢の典型です。一般的に言って、一人の人間が所有してよい欲望の達成の数倍の欲望を達成しているわけです。金、女、知名度、ある種の権力の、4っつ、すべてを手に入れたわけですが、世間が、彼を高く評価しているとは、まるで、思えません。でも、いつまでも、彼は、サバイバルし君臨し続けています。
その生き残り術の確かさは、小沢一郎並みです。これは、例の、この日本の、真実の権力者たる、国際的軍産共同体から、大きな支援を、受けているからです。
3,11以前は、それでも、彼の存在を、この日本社会は許容できました。が、今は、許容すべきではないです。
では、どうすればよいのか?
彼が出ているテレビ番組・・・・・例えば、朝まで生テレビを見ない事です。彼が原稿を寄せている週刊朝日を、買わないことです。
そして、さらに言えば、持ちつ持たれつで生きてきた、朝日新聞は、いつかは、凋落をすると思います。というのも、原発という災禍を招いた、人材こそ、田原総一郎で、代表される陣営だからです。それらを表舞台で、活躍させた朝日新聞は、それだけの罪を、国民に対して、負っているからです。
では、今日はこれで、この一文を終わります。明日、午前中に誤変換を直します。
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