銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

担任W先生は我が家のお隣をもスパイとして仕立てて私と津田塾卒ママを監視していた。だが慈母観音のごとき福田先生に出会って、私は救われる

2024-03-08 06:29:43 | 政治

 この章を書いて6日目の13日になりました。新しく最後尾に、副題6としてF先生という方を登場させます。このF先生はW先生に比べると、数段上の人格者でした。しかし、お別れしてから、48年もたってしまっていて、その間に、すっかりCIAエージェントたちが取り込んでしまっています。で、以前とは、違う態度になっていますが、1976年時のF先生は、十分に素敵で、そして、親切でした。その方との、エピソードをさらします。それで、ある程度、この文章の、わっかが、整ってきて、意味が、深くなるでしょう。

 そして、子供が、いじめられている親御さんに申し上げたい。転校するのが、いいでしょう。だが、その前に、今、現在の学校で、戦ってしまうと、転校先にも悪い情報が流れます。それは、都府県を超えても、伝わってしまいます。だから、転校するのだったら、宗教を売りにしている学校に事情を話して、転校するか、否かですが、私立学園にいじめがないわけでもないので、リスキーではあります。

 転校しないケースですが、必ず、闇は晴れると、信じてください。時節が変わると、担任も変わるのです。ただし、それでもだめだったら、学校へ行かせないで、フリースクールのいいところを探すべきです。ただね。親の方が先生にしっとされて、憎まれて、子供がいじめられるケースは、どうしようもないけれど、友達から、いじめられるお子さんの場合は、親が、子供を真に、愛していないケースが多いのです。学校に問題を訴えるのも、まず、親が、自分で、その苦しい状況を、引き受け様としていないですよね。そういう意味では、いじめとは、親が本当に良い親であるかどうかの資格を問われるバロメーターでもあります。

 担任に訴えても駄目だし、校長に訴えても駄目だし、教育委員会に訴えても駄目です。ただ、ひたすら嵐の通り過ぎるのを待つのみです。ただし、このブログを、その新しい場面にいくまでの途中を2回ほど、お読みいただくのが、申し訳ないので、副題6を、副題1の上に置きます。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題6、『W先生の、役員を、小学校2年になった長男の、クラスで、引き受けなかった私は、小学校、1年に、新入学をした長女のPTA役員を引き受ける様に、内々で打診を受けた。こちらの担任F先生は、人格も優れていて、人気の高い先生であり、

 小学校1年の親たちが、最初に出会う、新入学時の、最初の父兄会での、互選でもよかっただろうと思う。だから私の記憶違いで、最初の父兄会での、互選だったのかもしれない。

 先生の評判は、全く悪くないのだけれど、普通の場合、お母さんたちは、自ら、「役員を引き受けます」などとは、名乗りを上げない。で、毎回そうなるのだったが、なかなか、決まらない。すると、F先生(実名を福田先生という。立派な方だった。教師という職業に向いている方だった)が、私の方を向いて、「川崎さん、引き受けてください」と言われた。

 もう、びっくりして、縮み上がった。つい先だって、上の子の、担任、W先生から、「2年のPTA役員を引き受けてください」と頼まれていて、それを断ったばかりだった。直接ではない。間に、のちに、お子さんに自宅を放火されてしまう仮名【マダム、役員大好き】を挟んではいる、うえ、彼女は電話で頼んできたのだった。だが、W先生に逆らったという事実は、事実だった。

 W先生に反旗を翻しておいて、福田先生の役員を引き受けたら、どういうことになってしまうか、火を見るよりも明らかだった。だから、「いいえ、申し訳ありませんが、できません」というしかなかった。理由もむろん言えなかった。

 すると、福田先生は、視線を、空に這わせながら、こうおっしゃった。「私には、二人子供がいます。そのうちの一人は、今日、中学の入学式です。わたくしは、そちらには、出席せず、今、ここにいます」と。

 先生が、言外におっしゃしゃっていることは痛いほど、わかった。「あなた方は、専業主婦でしょう。だから、時間は、十分にあるはずです。どうして、こんな簡単な仕事を引き受けられないのですか?」と。

 私は、あまりに切ないので、その夜、福田先生にお手紙を書いた。鳩居堂の便せんに、7枚ぐらいになった。むろん手書きの時代だ。そして、次の日に、大津小学校を訪ねた。そして放課後も、お教室にいらっしゃった、福田先生に、手渡しをして、「先生、私が、昨日ああいう態度だった、本当の理由を書いてあります。みんなの前では、言えなかったことを書いてあります。どうか後で、読んでやってくださいと、言った。そして帰った。

 帰宅したのちに、福田先生から電話がかかってきた。「川崎さん、読みました。

川崎さんて、深くものを考えるんですね。もうご安心なさってください」・・・・・瞬時、先生は、沈黙なさったのち・・・・・「私は、国文学を専攻しました。川崎さんのお手紙、よくかけていると思いますよ」と、続けられた。私は本当に嬉しかった

~~~~~~~~~~~~~~~~~以下、初稿に入ります。

 

私は前報、

最愛の息子の担任教師の残酷さに参って自殺したママの、恨みを果たしてあげたい私===それこそが市井の哲学家だという自負のある私

2024-03-07 21:14:25 | 子育てモノ

を、書けたことに対して、大きな自信を持っております。本当に深いテーマに踏み込んだと、思っています。

副題1、『我が家の南側のママは、茶髪ロン毛で、緑色のマニキュアをしていた。1970年代の、しかも、二人の未就学児、未就園児の母親が、そういうお化粧をしているのは、非常に珍しいことだった。で、それこそ、過去にホステスだったのではないかと思っていたが、ある時、あまりに奉仕をさせられて、お礼も言われないので、経歴を、聞いてみたら、元資生堂美容部員だったそうだ。

 私は、鎌倉雪ノ下に引っ越してきてから、ご近所に、ものすごく勝ち気で、近隣住民の中で、女に対しては、絶対に勝たずには、おかないと、言う女性がいて、二か月以内に、彼女が略奪婚を果たしてきたのがわかった。それは、北久里浜で、この元資生堂美容部員だったママに、大いにこき使われて苦しめられてきたと、言う経験があったのが大きい。

 ただ、同じ職歴の、元資生堂美容部員でも、夫が、大企業勤めのサラリーマンだったら、こういうお化粧はしないと思う。彼女は、お父さんは、一部上場企業(有名なところ)のサラリーマンだったらしい。だが、母親が早く死んだそうだ。で、母親から、愛情ある言葉で、「きちんとしてほしい」と、言われなかったのだろう。ダンスホールか何かで、夫と知り合ったのだろうと思われるところがある。彼女も背が高い(165cmはあるだろう)が、体重は、55キロ以内だと思われる。一方夫たる男性は、170cmで、体重75~80キロはあるだろうという、堂々たる体躯で、独立事業主として、運送業をしていた。横浜や、神奈川県内では、質の良いことで、有名な、牛乳や、生クリームを製造している会社専門の運送業である。

 で、月別収入は、高いはずで、派手な、暮らしをしている様に見えた。だが、あまりに坊や(仮名を、ターちゃんとつける)に問題が多いので、いろいろ、質問をしてみた。

 彼女は、我が家のお隣に引っ越してくる前に、ご近所の中年主婦に、叱られたそうである。あまりに、子供(三歳と、一歳半)の面倒を見ないで、大音響で、ロックンロールのレコードをかけているので、「彼女は、間違っている」と普通の女性なら、思うはずだった。特に、子供を育てたことのある人だったら、だれもがそう思うはずだった。しかし【マダム、元資生堂、美容部員)は、そのおばちゃんの忠告をせせら笑って、そこを逃げ出し、我が家のお隣に、引っ越してきたそうである。

 どれほど、間違っているかといえば、ターちゃんは、(お父さんに言わせると)、三つの幼稚園に不合格だったそうで、その理由はたったひとつ、しつけが全くできていないという点にあった。

 同じ日に同じ幼稚園を受験したので、「どうだった?」と質問をすると、茶髪ロン毛、緑色の爪をしたママは、こう答えた。「教室中を走り回ったの。そして、先生に、いっぱい、自分のことを話したのよ」と。つまり、自分の子供がどれほど、エネルギッシュな強い子であるか!を、正しく、表現できたと、得意満面だった。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題2、『しかし、ターちゃんの服装がまずかった。胸に汚いしみがついた半袖、プリントのTしゃつだった。母親の服装もジーパンで、それは、無論まずかった。彼女は、本当に、気が付かないのだろうか? バカでは、資生堂は、採用しないだろうに。不思議なことだった』

 桃が出回るのは、7月である。どうも、一個を、皮をむかないで、そのまま、与えている模様だ。モモは、一個の価格が相当に高い。で、我が家だったら、四人家族で、二個を分けて食べる。皮をむいて、きちんと切り分けて、フォークで食べさせる。で、むしゃぶりつかないので、ターちゃんのTシャツほど、シミが付いた、洋服はない。皮を、食べるのは、外国風で、ターちゃんのママは音楽でも、ロックンロールが大好きで、アメリカ崇拝だから、皮つきのまま、一人につき一個、与えたと思う。その結果、口ビルより大きな、それにむしゃぶりついた結果、果汁が飛び散って、胸元に、濃いグレージュ(灰色とベージュが混ざった色)のしみがついてしまった。そういうプリント模様のTシャツを着せて、受験をさせていた。

 しかし、わたくしは、自分の足元にいるターちゃんと、その妹マミちゃん(これも仮名)の、着ているおそろいの模様のTシャツが、たった2歳と4歳の違いなのに、サイズが、違うことに気が付いた。これは、子供服専門店で、売っている高いものであろうと気が付いた。つまり、ふつうの品質のものだったら、1500円で買えるはずの、モノを、7600円ぐらい出して、横浜元町あたりで買ってきたのだろう。だから、彼女にしてみると、非常に得意なものとして、認識されているのだった。白いブラウスに、紺のジャケットを着て、半ズボンを、はいている男の子たちと、比較すると、圧倒的に個性的で、優れていると、なるのだろう。

 だけど、幼稚園の入園試験は、10月で、桃の季節よりは、四か月も後なのだ。どうして、それが、汚く見えるということに気が付かなかったのだろう。ただ、ただ、値段が高いものだったら、他の人に勝つと、思っていたのだろうか?

 こういうところに彼女の勝気さが表れている。私は、自分の指先が世界のニュースを生み出していると、豪語しているが、性格を言うと、まったく、勝気ではない。だから、勝気な女性を見ると、いろいろな問題点がすぐ見つかって、『おー、この人は、市井の哲学者としては、好個の材料だなあ』と、思って、冷静に観察する。

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副題3,『ターちゃんのママが、独特な子育て方針をとっていたのは、ルソーのエーミールを高校の先生が押していらっしゃって、それを、金科玉条のごとく、正しいと、信じているからだった』

 彼女は、自分では、それを、読んだこともないくせに、好きな社会科の先生が、押していたから、エーミールが好きで、それを信奉するという結果になったそうだった。どうしてそれを知っているかと、やっぱり、ターちゃんと一緒に子供たちを遊ばせていると、全くしつけを受けていないゆえに、困ったことがいっぱい起きて、時々は、現場を見せた。すると、さすがの、【マダム、元、資生堂美容部員】も、やや、軟化気味だったので、そういう時にいろいろ、質問をしたのだった。私は、他人の自尊心というものを尊重するので、こっちが年上だけれど、彼女を叱ったことはない。

 ギリギリの時は叱った。ターちゃんが、年下の子に、鉄筋の切れ端で、殴られていて、悲鳴を上げているときは、電話をかけて、「あなた、すぐ外へ出なさい。ターちゃん、頭にけがするわよ」と、しかりつけた。彼女は、その日、初めて、夜の六時より前に、ターちゃんを家に回収をした。

 ただ、その時は、うちの子がそこにいなかった。もしいたら、そんなことは、やらせなかっただろう。それに、うちの子の親である私も、ターちゃんの悲鳴を聞く前に、子供たちに、「鉄筋の切れ端で遊んじゃあだめよ」というだろう。うちの子は、幼稚園で、仲良くなった、お友達と遠くで、もっと、高度な遊びをしていた。三角ベースとかね。ただ、こういう風に「やってはいけないことがある」と、言うことを、何回外で、注意をさせられただろう。ターちゃんを含むグループ遊びをしているときは、いつも外で、」監視をしていないとだめだった。大変疲れさせられた。

 隣の人間としてどれほどに、ターちゃん母子に、奉仕をさせられただろうか? 一方、W先生は、全く、その子の、面倒を見ないのだった。だから、ターちゃんは、試験がない、形で公立の小学校に入っても、学校から、二キロぐらい離れた、京急北久里浜駅の、踏切のそばで、生えているススキなどを、引っこ抜いて、猫じゃらしみたいに振って、一人で、あそんで、いた。猫がいるわけでもないので、空気を切って、一人で、遊んでいた。』

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副題4、『W先生は好き嫌いを、公然と外へ出す人だった』

 なぜ、その人=悩んだ末に、お子様が、三年になった、一か月以内に、自殺した【マダム 元バー勤務】がスパイをしているのかが分かったか?と言うと、、仮名【マダム、元資生堂美容部員】と、私がトラブっているという事を聞きつけてW先生に、それを、言いつけていたからでもあった。

 で、W先生は、露骨に、そちらのママに、「あなたを好きですよ」という雰囲気を出し、優越した待遇を、私の目の前で、与えた。私がICU卒だと、言う事を知っていて、一生懸命、押さえつけようとしていたのだろう。その一手法として、【マダム、元資生堂美容部員】を、好待遇をして、私を、半分虐める様な、態度をとったのだった。

 そんないじめを、第一回父兄会から、やっているのに、一年の担任のおわりの二月に、W先生は、一年目の役員を通じて、私への打診をさせたのだった。「二年目の役員を引き受けてくださいね。川崎さん。W先生がそれを望んでいらっしゃるから」と、言う電話が、一年目の役員から、かかって来たのだった。その女性は、のちに娘に自宅を放火されてしまうので、生き残った娘さんの事を考えて、このテーマ=W先生に、振り回され、不幸になるママ達=で、まとめているシリーズを、全員仮名で、書いているのだった。その自宅を放火されてしまった、ママの名前へは、一応【マダム、役員になるのが大好き】として置く。

 ただし、その【マダム、元資生堂美容部員】を優遇するのは、お子さんとは、別問題で、ターちゃんは、小学校一年の時から、登校拒否生徒で、京急北久里浜の駅傍のごみ捨て場で、ススキの穂を、左右に振ってひとりで、遊んでいた。W先生は、ママには、「おたくの、お子さん、学校に来ていないわよ」とか、「二時間目から、居なくなったわ。探して頂戴」と言う連絡を電話でやるという仕事をしていないのだった。ターちゃんが教室にいない方が、先生が楽だからだ。

 W先生にとっては、自分が勝つために、そのママの方を父兄会で、大切にして、私へのいじめ用に、使っていたが、ターちゃんを含め、どんな子供に対しても、W先生は愛情なんて皆無だから、スパイママ=【マダム、元バー勤務】から聞いていた、事実、

 その坊やが、入学前の二年間、幼稚園に通っていなかったという事を知っていて、それを最大限に利用していた。それは、三つの、幼稚園から入園拒否をされているからだが、W先生にとっては、幼稚園側が、教育は無理と言って切り捨てたのだから、自分だって、面倒は見られませんよ‥・・・という考えだったのだろう。・・・・・もう、ダメなんだ。この子は、しつけも教育も無理だ、

・・・・・と言う、のっけからの感じで、面倒を見ることが無かったのだと思う。

 私こそ、もっとも、そのお子さん、【仮名、ターちゃん】を大切にしてあげていたのに、ママには、ターちゃんが、年下の子に、150cmぐらいの鉄筋で、打たれていて、頭を抱えているのを見て、びっくりして電話をかけた時までは、なかなか、わたくしの言いたいことは、理解をされなかった。その鉄筋騒ぎ以来、だいぶ、変わったが、本当に大切な部分は、なかなか、彼女には、理解が出来なかった模様だ。

 私は、【8050ママ】と仮名で呼ぶ、大学時代のお友達にも同じなのだけれど、あくまでも他人だし、相手は、大人なのだから、自分が、わかっていることを全部は言わない。特に注意すると言う形では言わない。ただ、質問をすると言う形をとる。【マダム 元資生堂美容部員は、お子さんを道具として、他人に勝ちたかったのだった。どうして、勝ちたかったかというと、銀行が、住宅ローンを貸してくれなかったからだった。だから、賃貸の一戸建てに住んでいた。実家にいた時は、父親が、一部上場の、大企業に就業していたので、そんな差別に出会ったことがなかった。ひどくびっくりして、悔しかったのだと思う。そこまでは、ターちゃんのママから聞いたから、わかったことだ。だが、ここから先は私の推量である。

 ターちゃんのママにとって、自分の子が、泣いたり、悲鳴を上げたりした時に救って、家に入れてしまうと、歯止めが利かなくなって、ずっと、外で、遊ぶ子にはならないと、考えていたと思う。獅子が千尋の谷に、子どもを突き落とすという、そういう気概で、ひたすら、大音量のロックンロールを聞いていたのだと、わかってくる。あの大音響は、子供たちの遊ぶ声を聞かないための工夫だったのだと、いまでは、思う。

 実は、平均より弱い人だったのだ。そうわかってくると、たった、三歳から五歳までだったターちゃんの強さに、彼女は、依存をしていたとなる。不思議なことだが、そうなる。

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副題5、『W先生とは、とんでもない、弱い人だったのだ。W先生が、低学年を受け持っていたのは、母親が、比較的に若くて、自分と拮抗する可能性が少なかったからだ。と、思う。

 なぜ、W先生が、小学校の先生になったのだろう。それは、小さい時から、お勉強はよくできて、いつも、学級委員等をしていたので、就職する際にも、人に勝つ職業でないとだめだと、言うことで、先生を選んだと思われる。

 医者も、人の上にたてる職業だが、医学部入試は、非常に難しい。それよりも横浜国立大学、学芸学部の方が、入学しやすい。それで、小学校の先生になったのだろうが、まったく向いていなかった。

 そのうえ、とても弱いところのある人だったと思う。彼女は、自分の人気がないことを知っていた。だが、わたくしの様に、それを飲み込み、納得をして生きていくと、言う覚悟がなかった。

 彼女が、最も恐れていたことは、自分に人気がないことが、母親たちに露呈をしてしまうことだった。四月の第一回父兄会で、互選で、役員が決まる時に、だれも引き受け手がないと、大きな恥となると、考えていた模様だった。それを防ぐために、

 スパイを放っていたのだった。

仮名を、【マダム、元バー勤務】としていたママは、そういう職歴だったので、割と、年取ってからの子どもだった。でね。とてもかわいい顔をした坊やだった。

 ところで、バー勤務と書いているが、それは、字数を少なくするためで、居酒屋だと、言う評判だった。彼女自身が、告白したと言うよりも、数百軒の家が建ち並ぶ、大住宅街で、結婚前の彼女と、お店で、接待を受けたと、話す様な住民が居たから、わかった事だろう。頭の良い人だったと思う。冷たい性格でもなかった。お顔も、眼がぱっちりとして、きれいな方だった。

 だが、その前歴ゆえに、それを、マイナスとする、W先生に、スパイをする様に頼まれたのだと思う。

 ここから先はどうか、前報をお読みいただきたい。彼女の魂魄は、いまだに、成仏できず、この世をさまよっている様に、私には思えるのだ。しかも、彼女の自殺の真の、原因はだれも知らないのだった。

 第一部下としての、【マダム元バー勤務】は、さらに下に、【マダム、元資生堂美容部員】を使っていた。で、私が、【マダムべっティブープ】という美女にして、津田塾卒の才媛を自宅に招いて、お茶会を開いているのも、W先生は、知っていた。

::::::::ところで、その時、マダムべっティブープが連れてきた、米軍、横須賀基地の高官夫人とは、実名を、エレンシャピロさんという。ユダヤ系で、アウシュビッツの生き残りだと、マダムべティぶーぷは教えてくれた。エレンさんは、きゃしゃなタイプで、猫が大好きだった。三回は、パーティを一緒にした。だが、マダムべってぃぶーぷが、秘密裏に、引っ越してしまったので、このグループは、自然消滅した。

 私はそれで、いいと思っている。だって、ある日の父兄会で、彼女は、泣いて、みんなに訴えた。「うちの子は、泥棒ではありません」と。ある女の子が、ランドセルに、ミンクのしっぽか何かでできたチャームを吊り下げていた。それが無くなったら、先生は、生徒みんなの前で、「マダム、べってぃブープの息子が盗んだ」と、言ったそうだ。私は、地域社会が、まったく違うので、そのお子さんと、一緒に遊んだことはないが、彼女の息子さんが、母親を悲しませる様なことをするわけはなく、

 これは、ひとえに、W先生の、偏見と、差別意識が生んだ、間違いだとおもう。マダムべっティブープが、離婚をして、木造アパートに住んでいることも、軽蔑の対象だったのだろう。ところで、先生は、マンション住まいだった。それで、だろうか、家庭訪問時に、我が家には、お寄りにならなかった。敷地60坪で建坪27坪、駐車場付きで、車を持っている。そして、専業主婦だ。親の力だったが、W先生には、許せなかったと、推察される。

 ところで、スパイ役を果たした、マダム 元バ-勤務だが、京急北久里浜住まい時代に知り合った、人物のうち、最も性格の良い人だったと、今では、わかっている。上がってもらったり、そちらの家に上がったことはないが、好人物だったと、今では、わかってきている。かわいそうだったね。つらかっただろうねえと、言うしかない。

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副題6、『W先生の、役員を、小学校2年になった長男の、クラスで、引き受けなかった私は、小学校、1年に、新入学をした長女のPTA役員を引き受ける様に、内々で打診を受けた。こちらの担任F先生は、人格も優れていて、人気の高い先生であり、

 小学校1年の親たちが、最初に出会う、新入学時の、最初の父兄会での、互選でもよかっただろうと思う。だから私の記憶違いで、最初の父兄会での、互選だったのかもしれない。

 先生の評判は、全く悪くないのだけれど、普通の場合、お母さんたちは、自ら、「役員を引き受けます」などとは、名乗りを上げない。で、毎回そうなるのだったが、なかなか、決まらない。すると、F先生(実名を福田先生という。立派な方だった。教師という職業に向いている方だった)が、私の方を向いて、「川崎さん、引き受けてください」と言われた。

 もう、びっくりして、縮み上がった。つい先だって、上の子の、担任、W先生から、「2年のPTA役員を引き受けてください」と頼まれていて、それを断ったばかりだった。直接ではない。間に、のちに、お子さんに自宅を放火されてしまう仮名【マダム、役員大好き】を挟んではいる、うえ、彼女は電話で頼んできたのだった。だが、W先生に逆らったという事実は、事実だった。

 W先生に反旗を翻しておいて、福田先生の役員を引き受けたら、どういうことになってしまうか、火を見るよりも明らかだった。だから、「いいえ、申し訳ありませんが、できません」というしかなかった。理由もむろん言えなかった。

 すると、福田先生は、視線を、空に這わせながら、こうおっしゃった。「私には、二人子供がいます。そのうちの一人は、今日、中学の入学式です。わたくしは、そちらには、出席せず、今、ここにいます」と。

 先生が、言外におっしゃしゃっていることは痛いほど、わかった。「あなた方は、専業主婦でしょう。だから、時間は、十分にあるはずです。どうして、こんな簡単な仕事を引き受けられないのですか?」と。

 私は、あまりに切ないので、その夜、福田先生にお手紙を書いた。鳩居堂の便せんに、7枚ぐらいになった。むろん手書きの時代だ。そして、次の日に、大津小学校を訪ねた。そして放課後も、お教室にいらっしゃった、福田先生に、手渡しをして、「先生、私が、昨日ああいう態度だった、本当の理由を書いてあります。みんなの前では、言えなかったことを書いてあります。どうか後で、読んでやってくださいと、言った。そして帰った。

 帰宅したのちに、福田先生から電話がかかってきた。「川崎さん、読みました。もうご安心なさってください」・・・・・瞬時、先生は、沈黙なさったのち・・・・・「私は、国文学を専攻しました。川崎さんのお手紙、よくかけていると思いますよ」と、続けられた。

 彼女に比べると、外見は、弱そうに見える私は、実は強いのだ。W先生は、それが分かってきたから、2年目の役員を引き受けてくださいねと、ひそかに打診をしてきた。わたくしは、むろん断った。

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