この章ですが、後半に蛇足という説明をいろいろ、付け足します。どうか、よろしく。
副題1、『前報で、書き残したことがあり、残念で、ここでも、繰り返したい。それは、追い詰められた私が、福田先生に、お手紙で、隠された裏側を説明した時の事。
先生は、すぐお電話をくださった。私が大津小学校から、自宅へ帰るまで、ほぼ、一時間歩くのだが、一時間後位に、こうおっしゃったのだ。
そこだけを繰り返すと、こうなる。
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「川崎さん、読みました。川崎さんて、深くものを考えるんですね。もうご安心なさってください」
・・・・・その言葉ののち、電話内で、瞬時、先生は、沈黙なさった。そののち・・・・・
「私は、国文学を専攻しました。川崎さんのお手紙、よく書けていると思いますよ」と、続けられた。私は本当に嬉しかった
福田先生は、ご自分に欠点がないので、事前に根回しをして置いて、役員を選んでおくなどと言う姑息な手段は、おとりにならず、
初めて、クラスのママ達(1970年代父兄会に、父親が参加することはなかった)が、顔を合わせる入学式後の第一回目の父兄会で、互選で、役員を決めようとおっしゃった。
これは、どこの学校でもそうだろうが、なかなか、決まらない。
で、福田先生は、私の方をご覧になって、「川崎さん、いかがですか」と、おっしゃった。わたくしは今でこそ、CIA軍団にいじめられきっていて、影が薄いが、意外と、存在感がある人間だったらしい。まず、洋服について、おしゃれだった。洋裁を横浜鴨居駅周辺のマンションに住んでいた時に、お茶大体育科卒の先生に習っていて、襟がないスーツなら、自分の体形ぴったりのものを、上等な布地で、作って、着ていた。そのうえ、⇒⇒⇒
⇒⇒⇒ ICU卒であることが、その地域の大卒ママの間、または、幼稚園や学校の先生の間で、確実に知られていたと、推察しています。自分から吹聴したわけではないのですよ。でも、どうしてか、知られている。
ともかく、ちょっと、普通じゃあないと、言う印象を与えていたのは、確かだったでしょう。だって、幼稚園の場合も、PTA三役、特に会長をしたいなどと、自分から、名乗りを上げたわけではありません。すべて、上から、の指名です。
それも、この地域の最も大きな幼稚園(園児が、470人もいる)の、PTA会長でした。それをやって来て、たった、一年間のブランクをあけただけですから、PTA役員となる能力はあるだろうと、だれもが考える、そういうタイプの人間でした。しかし、その、お誘いを心ならずも断らなければならなかった、苦しさを、福田先生は、理解なさらなかったと思います。
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むしろ、こういう風に誤解をなさったのではないかしら? あの人は、傲慢にも、一クラスだけを支配する平役員は、もうやりたくないと考えているらしいわ。三役なlら、お引き受けしますけれど・・・・・なんて、内心で、考えているのでしょう。・・・・・とね。
それがビンビンとわかる私ですが、絶対にお誘いに乗れない、影の事情があった。
なぜかというと、その問題の日の二か月前に、上の子の担任の、W先生からの、依頼=「次の、四月からは、あなたが、役員になってくださいね」を断っているからだった。
もし、その日に、福田先生の、御名指しを受けて、福田先生の役員(一種の秘書的な家来である)を、引き受けてしまったら、
今度はW先生の誤解を招くだろう。「川崎千恵子とは、なんですか? 私の指名を断って、福田さんの指名を引き受けたのですって。福田さんを、私より上の置いたのですか? 金輪際許せないわね」と。そして、一年時に、ターゲットになっていた、津田塾卒のままの、立ち位置が、今度は、私に回ってくるはずだ。そんな怖いこと、絶対に引き受けられない。W先生の憎しみって、母親と、子供の両方に向かうから、ほんとうにこわいものだし・・・・・
しかも、福田先生が、W先生の実態を、知っていらっしゃるかどうかは、わからなかった。W先生は、自分より強いものに対しては、用心して、丁寧な態度をとるはずだった。特に福田先生には、お子様が二人いる。それだけで、子供のいないW先生は負けたと感じて、下手に出ている筈だった。福田先生がW先生の悪質さを、把握しておられなかったら、私が何をしても無駄だった。だが、W先生の醜い心は、広く知れ渡っていたらしい。それゆえ、次の日に持って行ったお手紙が生きた。
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副題2、『福田先生が、おっしゃった、「私は、国文学を専攻しました」は、先生が、どうして立派な方であるかの、秘密を解くカギだった。それなのに、それが、前報で、書き表せていたかどうかが、不安になって、この章を書いている。もしかすると、私が、自分の筆力を、ほめていただいた、そういう、ぽいんとだけ、これを、読む方に、伝わっているのではないかと、心配している』
私が書き残した事と言うのは、福田先生が、「私は、国文学科の専攻でした」と、おっしゃったことの意味です。そこに福田先生の全存在がかかっていました。それほど、大切な秘密をさらっと伝えてくださったことに感激をしたのです。
横浜国大の教員養成課程の専攻は、各種あると思います。で、女性なら、音楽専攻とか、美術専攻が、好まれるコースだと思います。そういう専攻をしていると、二股をかけることができるからです。二股とは、職業を持ちながら、お嫁さん候補にもなれると言う二方向の目的を持つ学科であると言う意味です。福田先生は、何も工夫をしなくても、男性の方から、「付き合ってください」と言われるタイプだと思います。何よりも優しいのです。お顔も、声も、その優しさを見事に表現しています。
だから、お嫁さんになれるとか、なれないと言う事は、全然心配しないで、済んだのでしょう。で、子供たちにとって、何が大切か?を中心に据えて、考えて、「子供たちが、正しく自分を表現することが大切だ」と、お考えになったのでしょう。で、国文学を専攻なさったのでした。
今、愛子さまが、学習院の国文学科に進学なさって、そして、卒業後、日本赤十字社にお勤めになることが決まり、国文学科に光が当たっています。しかし、戦後は、あまり、評価が高くなかったのでした。まあ、女性なら、英文学科が人気が高かったでしょう。この学科は、つぶしがきくのです。銀行に勤めるにしても採用される学科であろうし、商社に勤務しても採用される学科だからです。そして、そこで、社内恋愛に入り、エリート社員の、お嫁さんになる。
そういう流行とか、社会的な評価ではなくて、福田先生は、小学校時代の、子供を導く道具としての、国語を大切だと、お考えだったのでしょう。
福田先生こそ、自律性のある強い女性だったのです。強いから、やさしくもなれるのでした。男性の中には、妻にするのは、自分より弱い女性がいいなんて、考えている人がいませんか? 違うんですよ。弱い人は、ずるかったり、逃げ腰だったりして、信頼がおけないのです。芯が強いが、態度が、穏やかな人間こそ、信頼できるのでした。
この章は、あっち、こっちへ、広がる章です。しかし、W先生に強い影響を受けた第四番目の主人公・・・・・自宅を娘に放火されてしまったママへ、筆を移したいので、ここで、終わります。
雨宮舜(本名、川崎千恵子) 2024-3-14=15にかけて、これを書く。
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(蛇足1)
私は、結構、人間を見る目はあるのです。で、福田先生が、良い方だとは、瞬時に分かり、そういう方から、「私の助手をしてね」と依頼をされるのは、本当にうれしいことでした。だが、5秒もしないうちに、「断らないといけないのだ」
と、感じたわけですが、その時の、苦しい思いを、『それは、100%ディレンマというものだ』と思いました。
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