総副題『戦後の政治的な事件は、アメリカの対日試行錯誤の結果だったのではないかな?』
これは前報の続きです。その最後で、有名な知識人、柄谷行人氏を不誠実だと、断言しています。それは、前々報で「原発反対のデモに、参加しなさい」と、柄谷行人氏が若者に進めていることへ反発をしているからです。
「右翼のデモにしろ、左翼のデモにしろ、いわゆるスパイというのが必ず入っていて、あなたのことをレッテルを張ります。そうなると、あなたは、一生、大変な重荷を、背負う可能性があるから、おやめなさい」と私は、言っているわけです。
有名人と真っ向から対立しているわけですが、わたくしは自説を曲げようとは思いません。そして、自分の方がずっと誠実であり、他者に対して、愛情を持っていると確信をしています。でも、それを、読者にご理解をいただくためにはたくさんのことを、説明をしないとだめです。
どうか、付き合ってくださいませ。なお、この文章も政治的にすこぶる微妙な領域に踏み込みますので、ツィッター方式で、少しずつ、書きぬかせてくださいませ。
もし、意味が通らないところがあるとお考えでしたら、前報、前々報へ戻って、そちらを読んでいただけますと幸いです。前報の誤変換直しが済んでいませんが、不誠実云々が気になるので、先へ進みます。
副題1、『戦後重要事件は、すべて、日本を支配するための、
安定した関係を、構築するための、
アメリカ側のトライアンドエラーであった』
副題2、『庶民階級が、支配されにくい日本』
副題3、『共産党の変質、・・・・・宮本賢治、不破哲三、井上ひさし』
副題4、『日米安保条約締結と、安保闘争』
副題5、『樺美智子さんの死と、その謎の部分について』
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副題1、『戦後重要事件は、すべて、日本を支配するための、
安定した関係を、構築するための、
アメリカ側のトライアンドエラーであった』
アメリカは近・現代史の資料をずいぶんとたくさん公開している模様です。が、そこに出ているデータは、日本でいえば、官僚が作ったものあたりであり、真実の政治的なトップの意思決定・事項など外には出ていないと私は考えます。ケネディ一家のドラマに、そこらへんが相当出ていたのですが、アメリカでさえ、大統領がトップではない可能性は強いのです。
1943年ごろ、まだ、第二次大戦中にアメリカは勝利をすでに確信して、国家建設以来、初めての植民地を持つことに、大きな喜びを感じ、支配計画案を練っていた可能性が高いのですが、1944年ごろから、日本人のメンタリティに関して、恐怖を感じ始めたと推察されます。
それは、南方戦線でも、すでに、把握をされていたと思いますが、日本に宣戦が近づくにつれ、神風特攻隊やら、沖縄戦を通じて、畏怖と、恐怖の両方を抱き、生易しい形では日本は支配できないと感じて、最初から練りに練って、乗り込んできたのです。
その実行が天皇制維持、東京裁判、帝銀事件の3つで、『結構大丈夫だ。日本人は支配できる』という目論見を得たと思われます。これらの事件や、事象の詳細はwikipedia 等をご参照いただくとして、
以上の三つは、戦前からの日本の支配階層の、アメリカ側の支配の確立でした。それは、うまく行ったのです。思いがけないほど、スムーズだったのです。今の言葉でいう富裕層はそういう風にうまくいったのです。白洲次郎が抵抗したといっても、それは、些末な部分であり、大局としては、うまく行ったのです。
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副題2、『庶民階級が、支配されにくかった日本』
ところが、意気軒昂なのは庶民です。日本は江戸時代、200年間の平和を通じて、全国通々浦々に、寺子屋制度が、確立し、庶民も一定の教養を確保していました。伊勢講とか、俳句会とか、和算の勉強会等を、通じて、ソサイエティを作ることにもたけていました。
それが、戦前に大正ロマンとして花開いたのに、戦前戦中がっちりと抑圧されていたのですが、戦後解放をされて、突然に、百家争鳴というほど、活発になりました。ありとあらゆる分野が活発になったのですが、特に新興宗教の分野と、共産党が活発になりました。
共産党は、戦時中激しく弾圧を受けていたことへの大反発があり、かつ、ソ連、や、中国、および、北朝鮮からの大宣伝もあり、わが意を得たりという大活躍でした。しかし、これは、宗主国アメリカにとっては許せないことでした。
東西対立が激しかったからこそ、アメリカはアメリカ国内も、植民地国家日本も資本主義一本で染め上げたいのに、手ごわい共産党が、抵抗するからです。
共産党というのは、アメリカにも、フランスにもイタリアにもあって、それぞれ活発に動いていたのですが、アメリカのそれが、真っ先に弾圧をされました。マッカーシーという議員が、発案して、赤狩りが行われたのです。特に映画界でのそれが有名です。日本にもエピソードが数々伝わっています。が、労働争議のそれは、あまり、伝わっていません。
しかし、日本では数多くの労働争議が、起されたのだと思います。で、困ったアメリカはアメリカで生み出された手法ではなくて、徹底的な裏工作を用います。それが、謀略です。共産党側に言わせれば、冤罪ですが、各種の事件を起こして、その犯人が共産党だといったのです。で、警察が共産党員を逮捕しました。白鳥事件、松川事件までは、共産党は激しく抵抗しましたが、下山事件で、とうとう、折れたのです。
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副題3、『共産党の変質、・・・・・宮本賢治、不破哲三、井上ひさし』
共産党というのは、敵がある存在だから、内部にスパイが入ることを恐れて、内部で、スパイの疑いをかけられた人材は、リンチ裁判に会うなどと言われ、暗黒の部分もあったのです。一方の警察にも暗黒の部分があり、警察側のそれは、独立系の映画で、描き出されています。共産党側の、それは、離党した人材によって語られ始め、やがて、それらの離党者が、アメリカ側に目をつけられ利用されることなっていきます。が、もちろんのこと、アメリカとの結びつきは、表面上は伏せられていたでしょう。そうしないと命が危ないというような状況だったと思います。もちろん、ナイフで刺されるというような意味ではなくて精神的に追い詰められるという意味でです。
ところで、長い間、日本の共産党のトップとして君臨した宮本賢治という人は、男性的な、魅力(エロチックな意味で)にあふれた人だったと感じます。それは、美形で育ちの良い年上の女流作家、中條百合子と結婚をしたことでも明らかで、口(理論)では共産主義を主張していても、実際の生活では贅沢三昧を好む人です。
これは、現在の中国・国民が激しく批判をしている通り、ほかの共産国家でも、共通してみられる現象でしょう。つまり共産党の幹部は、特権階級であり贅沢三昧をしているとのことです。
週刊誌の記事によれば、百合子夫人が亡くなった後で、別の女性と結婚をした宮本賢治は自宅近辺の宅地を、130か所か、買い求めたそうです。個人名義か、党の所有かは知りませんが、大・資産家でもあるのです。
その宮本賢治を継いだのが、不破哲三(ペンネーム)という人で、グレーのスーツがよく似合う白髪の紳士でした。この人が上田耕一郎という人物と兄弟で、共産党を支配しました。この時期に、この党は大きく変質したのだろう思います。そしてその変質の結果、実は、アメリカ側に協力をするようになったと私は見ています。
そのことは、小泉純一郎元首相が靖国神社に参拝をしたころ、日本全国で、集団訴訟というのが起こされ、首相の靖国参拝は違憲であるという判決が多数出たころに確信をしました。
実は、我が家は、13坪以上、不当に使用できない形にコンクリートうちをされてしまっています。それに関して、前田家というお宅を中心に、あまりに被害を与えられ続けるので、怒った私が前田氏を、グーグルで検索をしたことがあるのです。(2010年、9月26日発信のブログ他にその詳細が書いてある)すると、前田氏は、集団訴訟の原告になっていることがわかりました。
その集団訴訟は、郵便局員の過重な労働に対する抗議の意味でのもので、まっとうなものですが、それでも、その同じメンバーが、地域ごとに分割して、例の靖国参拝反対の違憲訴訟をおこなっていると思いますので、共産党がいかに、アメリカに協力をしているかがわかってしまうのです。
というのも前田氏は、人の苦しみなど、話も聞かないし、勘案もしないで、ペンキ塗りお当番というのを設定したのですが、それが、赤旗祭りとか、何とかというのとそっくりな手法なのです。人の土地を、自分たちのしりぬぐいのために、ほぼ無断で奪っておいて、その傷口に、さらに塩を塗りこめるような作業を、お祭りみたいにしてやって行く。
そこには、無神経を通り越した、恐ろしいものがあるのです。たぶんですが、誠実などとは程遠い、何かがある。本当に恐ろしい。だから、ここでぴったりと共産党と、集団訴訟が結び付きました。アメリカが最も神経をわずらわしている、A級戦犯のまつられている靖国を、無視し、つぶそうとすることへ、協力をするという一点でも『うわあ、現在の共産党って、ずぶずぶのレベルで、強者の味方であり、アメリカの協力者なんだ』と、わたくしは判断しているわけです。これは、書物から判断した様な知識ではなくて、毎日毎日の苦しみから判断をしたことですから、どこへ出ても、主張ができることなのです。
ここで、A級戦犯がどうして問題になるかというと、東京裁判そのものに、疑惑があって、そのことをアメリカのある部分は自覚をしているのです。だから、気になり、気にかかり、気に病む問題なのです。アメリカという国は、やはり、西欧の一家ですから、原理的なところがあって、良心に反した行動をとったというポイントを後々まで、悔やんでいるのです。
で、民主党の全閣僚は、参拝を、しません。こういうポイントでも、日本はさらに深く、植民地支配を進められています。
しかも、民主党と対立する自民党でさえ、野党なのに、靖国参拝を放棄しています。一つの、橋頭堡だったのに、失っていますね。谷垣さんは、モダンでおしゃれな政治家を目指しているのか、靖国参拝をしませんが、今の自民党にとって、アメリカに大事にされていないからこそ、力を使う必要があるのに、それを放棄しています。靖国参拝は長い間の、慣行だから、それを行使することは、過激なことでもなんでもないのに、それを、放棄して、丸腰になっています。
戦後の日本はもとから何の武器も持っていないのです。しかし、与党として、各国から大切にしてもらえる時代を過ぎて、より弱体化した自民党となっています。野に、慣行かしていて、それを、切るのは問題がない、ジョーカ-であった靖国参拝という切り札を、自ら捨ててしまった谷垣自民党は、何の力も今ないのです。だから、お正月休みに、アメリカに行こうとしても取り合ってもらえないというほど、アメリカから、ばかにされています。お育ちがよくて甘い一方の谷垣さんは、戦う手法というのを、何も、知らないのです。
しかも、地方選挙で、勝ち続けているにもかかわらず、それを、国政に反映できません。
それは、赤ちゃんのように無策でいるからです。民主党の方は、こういう風に調略を常に練っている国際的軍産共同体の支援を得ていますので、メディアを手下にしていますので、何もしなくても有利なのですが、自民党は戦わなくてはだめなのです。だが、靖国参拝などという有効な武器を捨てて、単に、民主党の上げ足とりばかり、子供っぽい戦いばかりやっています。一見すると、派手に戦っているように見えますが、実際には、相手の土俵に乗せられていて、家来としての戦いしかやっていないのです。
自民党から、また、共産党へ度ります。今の共産党は、日教組をも支配しています。ですから、50メートル徒・競走で、一等賞を作るのはいけないという発想が生まれます。そして心身ともにひ弱な子供が出来上がります。植民地ならその方がいいのです。元気があって、反権力闘争など起こす若者が育った
ら、困るからです。
でも、福島県の、原発地元民および、東北の被災者に聞いてごらんなさい。「人間は強くなければ生きていかれないのだし、自主的に判断できるぐらいでないと、生きていけないのだ」と、おっしゃると思いますよ。それらの基本的な力を奪ったのだからひどい教育です。
輿石幹事長は、そういう日教組の偉いところから、今、永田町の偉い人になった人です。ただし、輿石氏は、共産党ではなくて民主党の党員ですけれどね。
ところで、わたくしが本当に言いたいことは、共産党は、一種の装置となってしまっている。何の装置かというと、あたかも、本当の民主主義と言論の自由が、この国にあるかのごとく見せつけるための。で、結果として、見事にアメリカの役に立っているわけです。だから、この国の中で、存在を許容をされていて、その党員であることが危険なことではなくなっているのです。
で、とても数多い党員がこの国にはいると思います。ただ、その姿は、隠されているでしょう。その方が、便利だと考えられているのです。だけど、それゆえに、この国には、隠された何重の仕組みによる、裏支配が、生まれることとなりました。このほかに、隠れ、創価学会、隠れフリーメイソン、隠れ、在日、隠れなにがしと続いて、この国には何が何やらわからぬ、タブーが何重にも網を張る国家となってしまい、その中を生きていくためには、用心に次ぐ用心をしないといけないので、つい口をつぐむとなって、この日本社会には、KYなどという言葉さえ生まれています。これはとても不健全な社会です。
もし、私の、こういう分析===共産党は、大変アメリカと近いのです。むしろ、その家来です===が間違っているのなら、それこそ、集団訴訟の力を利用して、原発を阻止してほしいです。日本各地で「これが子供の健康を阻害するものだから、憲法に違反する」と訴訟を起こして、ください。
どうしてここで、こういうことを言うかというと、いよいよ懸念をしていた方向へ進んでいるからです。『どんこ』がだめでも、『ヒラメ』は大丈夫だから、底引き網漁を再開するそうです。牛肉も汚染が基準値以下になったから、売るそうです。これは科学的に考えるとありえないことなのです。科学的環境の方は、一か月では変わらない。
基準値その物とか、計測そのものを変えているのです。つまり科学よりも地元の経済的環境の改善が、優先されています。で、数値も計測結果も、非常に怪しくなってきています。
さて、共産党を分析するだけで、2011年まで、話が飛んでしまったのですが、ここで、1950年代に戻ります。
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副題5、『日米安保条約締結と、安保闘争』
1949年に下山事件他で、共産党の弾圧に成功したアメリカは、トライアンドエラーが、一段階、進んだとみなして、日本へ自衛隊の設立を勧めます。当時の保守政党が、それを決定したかのように国民には、見えましたが、実際にはアメリカがそれを望んだのでした。というのも、その前の年に、朝鮮戦争が終結しています。
つまり、一種の傭兵として、日本人にも一肌脱いでもらいたいと、アメリカは考えたのです。そして、その傭兵としての自衛隊が、実際に、北朝鮮や中国を相手に、戦えるようにと整えるのが、安保改定で、それをきっかけとして、安保反対闘争が起こりました。
今なら、自衛隊は、「災害復旧に貢献してくださってありがとうございます」となって、日米安保は、『思いやり予算』というものまで公開されていて、まるで日常茶飯事となっています。しかし、1959年と1960年は、すごい状況でした。私は樺美智子さんが亡くなった当日の夕方、友達と一緒に、丸ノ内線、国会議事堂前に行き、駅の出入り口に立って、国会の内庭を眺めたのです。
友達と、10人ぐらいが一緒です。のちに東大とお茶大と教育大学へ進学した友達たちがいました。後で、先生に、うんと叱られました。「御茶ノ水女子大の付属高校は、国立だから、国家に反対する闘争なんて見に行ってはいけません」と。
でも、今、大人になった自分から先生の言葉を噛み直すと、身の安全を人の子の親として、心配をしてくださったのです。
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副題6、『樺美智子さんの死、と、その謎?』
今回2011年の9月11日の新宿駅南口での原発反対でも、と、その際警官隊が出て、数人を拉致、逮捕して、数日後、釈放をしたということが、ウエブサイト上で、大騒ぎになったわけですが、本当の闘争なんて、そんなやわなものではありません。
あんな、ものは、フェイクです。お遊びの一種といってよいぐらいです。
1960年、当夜永田町で、塀の外で、その熱気に接した人間としては、樺美智子さんは、転んだ上に、人々の乗っかられてしまった圧殺死だったと感じています。後年、明石市で、花火見物の人の間に、大勢の死者が出たでしょう。あれと同じだと感じます。もし、警官隊が意図して、殴ったりしたのだったら、ほかにも数人の死者が出ている筈です。人があの広い広場に、密集しきって、わっしょい、わっしょいともみ合っていました。そのエネルギーレベルが高かったのは確かですが、警官隊が、警棒で、樺さんを殴ったとは、考えられません。
私は警察をひいきにする人間ではないのですよ。ご近所との猫をめぐるトラブルから始まった、警官を巻き込んだ大騒ぎを起こした側の石川和子女子側をひいきする現状を考えても、今の警察が正義を守るとも、順法精神があるとも思えず、大っきらいです。だけど、樺さんを意図的に標的にして、殺害をしたとは考えられません。
wikipedia を見ると、落合信彦氏が、KGBによる謀殺説を唱えておられるようですが、それは、当たっているかもしれません。
と、言うのも彼女が、警官隊によって殺されたとあれば、国民の大批判が、警察に対して起こり、それは、当然のごとく、時の内閣に対する批判となり、それは、また、当然のごとく、安保条約によって、日本の対ソ連要塞化(または、塹壕化)を、阻止するわけです。
それによって得をするのはソ連です。ソ連が、当時の日本を分析するに、『日本は、再び、中国や朝鮮に再び侵略する可能性はない。が、ソ連には、侵略する可能性はある』だったでしょう。それは北海道での、漁船の拿捕が、続いている時期でもあり、シベリア抑留(一種の奴隷として、日本人の労働力を、使ったこと)の具体的、記憶が、残っている時代です。で、アメリカと同じく、日本に対する『復讐をされるのではないか』という警戒心を持っていたと、考えられます。そうすると、自らを守ることに役立つ謀略に取り組む可能性は大いにあります。
繰り返しますが、私は日本の警察を信頼していません。が、日本人である警察官が、女子学生に、警棒で殴り掛かるとも思えません。アメリカの警官が、よくアフリカンを、なぐりたおしたり、蹴ったりしている映像を見ますが、菜食の日本人は、特に1960年代は、体格も小さかったはずです。で、獰猛でもなかった。
この情報を信頼する理由がもう一つあって、それは、樺美智子さんが、生前すでに、有名人であり、一種のスターだったことがあります。
私のような一般人は、まだ、その名前を、しりませんでした。が、共産党にしろ、新左翼にしろ、こういう活動をしている人々の間では、すでに有名人だったのです。となると、有名人一人を殺害することは、象徴的な意味が強まり、効果が上がります。
ここおで、この落合信彦氏の、アイデアが当たっているとすれば、ソ連にもアメリカにも謀略として、有名人を殺害されたということおなります。東大生樺美智子さんと国鉄・総裁・下山氏です。
そして、謀略によって殺されたにしろ、警官に、暴力を振るわれたにしろ、一種の事故だったにしろ、樺美智子さんは、その後、英雄として祭り上げられました。
が、わたくしが問題にするのは、無名の人たちの戦死なのです。大戦中も戦死した人がいたわけですが、これらの運動のさなかと、それ以降に、不利をこうむったまま、緩慢な死を迎えた人が大勢いるのです。
そこを問題とする私は、さらに、この文章を敷衍し、補筆していくわけですが、
その内容を、今回の、文章に入れ込めてしまうと、項目が多くなりすぎます。
戦後、左翼運動史を、通観していっているわけですから、入っている現象が多くなっています。で、ここで、いったん切って、明日にでも、あらたな項目を立てて、続きを書きたいと感じています。
その完成は、明日か、明後日になる見込みで、その中で、断言しっぱなしで、おわっている、柄谷行人氏が、不誠実だという、話を、煮詰めていくつもりです。
なお、今晩は、柄谷氏、関連の、3つの文章、今号、、前報、前々報の、誤変換直しにとりくみます。よかったら、それら、三文、を、タイトルに△印が付いた後で、再読でも、していただきたく。
2011年9月17日 雨宮舜(本名 川崎千恵子)
これは前報の続きです。その最後で、有名な知識人、柄谷行人氏を不誠実だと、断言しています。それは、前々報で「原発反対のデモに、参加しなさい」と、柄谷行人氏が若者に進めていることへ反発をしているからです。
「右翼のデモにしろ、左翼のデモにしろ、いわゆるスパイというのが必ず入っていて、あなたのことをレッテルを張ります。そうなると、あなたは、一生、大変な重荷を、背負う可能性があるから、おやめなさい」と私は、言っているわけです。
有名人と真っ向から対立しているわけですが、わたくしは自説を曲げようとは思いません。そして、自分の方がずっと誠実であり、他者に対して、愛情を持っていると確信をしています。でも、それを、読者にご理解をいただくためにはたくさんのことを、説明をしないとだめです。
どうか、付き合ってくださいませ。なお、この文章も政治的にすこぶる微妙な領域に踏み込みますので、ツィッター方式で、少しずつ、書きぬかせてくださいませ。
もし、意味が通らないところがあるとお考えでしたら、前報、前々報へ戻って、そちらを読んでいただけますと幸いです。前報の誤変換直しが済んでいませんが、不誠実云々が気になるので、先へ進みます。
副題1、『戦後重要事件は、すべて、日本を支配するための、
安定した関係を、構築するための、
アメリカ側のトライアンドエラーであった』
副題2、『庶民階級が、支配されにくい日本』
副題3、『共産党の変質、・・・・・宮本賢治、不破哲三、井上ひさし』
副題4、『日米安保条約締結と、安保闘争』
副題5、『樺美智子さんの死と、その謎の部分について』
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副題1、『戦後重要事件は、すべて、日本を支配するための、
安定した関係を、構築するための、
アメリカ側のトライアンドエラーであった』
アメリカは近・現代史の資料をずいぶんとたくさん公開している模様です。が、そこに出ているデータは、日本でいえば、官僚が作ったものあたりであり、真実の政治的なトップの意思決定・事項など外には出ていないと私は考えます。ケネディ一家のドラマに、そこらへんが相当出ていたのですが、アメリカでさえ、大統領がトップではない可能性は強いのです。
1943年ごろ、まだ、第二次大戦中にアメリカは勝利をすでに確信して、国家建設以来、初めての植民地を持つことに、大きな喜びを感じ、支配計画案を練っていた可能性が高いのですが、1944年ごろから、日本人のメンタリティに関して、恐怖を感じ始めたと推察されます。
それは、南方戦線でも、すでに、把握をされていたと思いますが、日本に宣戦が近づくにつれ、神風特攻隊やら、沖縄戦を通じて、畏怖と、恐怖の両方を抱き、生易しい形では日本は支配できないと感じて、最初から練りに練って、乗り込んできたのです。
その実行が天皇制維持、東京裁判、帝銀事件の3つで、『結構大丈夫だ。日本人は支配できる』という目論見を得たと思われます。これらの事件や、事象の詳細はwikipedia 等をご参照いただくとして、
以上の三つは、戦前からの日本の支配階層の、アメリカ側の支配の確立でした。それは、うまく行ったのです。思いがけないほど、スムーズだったのです。今の言葉でいう富裕層はそういう風にうまくいったのです。白洲次郎が抵抗したといっても、それは、些末な部分であり、大局としては、うまく行ったのです。
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副題2、『庶民階級が、支配されにくかった日本』
ところが、意気軒昂なのは庶民です。日本は江戸時代、200年間の平和を通じて、全国通々浦々に、寺子屋制度が、確立し、庶民も一定の教養を確保していました。伊勢講とか、俳句会とか、和算の勉強会等を、通じて、ソサイエティを作ることにもたけていました。
それが、戦前に大正ロマンとして花開いたのに、戦前戦中がっちりと抑圧されていたのですが、戦後解放をされて、突然に、百家争鳴というほど、活発になりました。ありとあらゆる分野が活発になったのですが、特に新興宗教の分野と、共産党が活発になりました。
共産党は、戦時中激しく弾圧を受けていたことへの大反発があり、かつ、ソ連、や、中国、および、北朝鮮からの大宣伝もあり、わが意を得たりという大活躍でした。しかし、これは、宗主国アメリカにとっては許せないことでした。
東西対立が激しかったからこそ、アメリカはアメリカ国内も、植民地国家日本も資本主義一本で染め上げたいのに、手ごわい共産党が、抵抗するからです。
共産党というのは、アメリカにも、フランスにもイタリアにもあって、それぞれ活発に動いていたのですが、アメリカのそれが、真っ先に弾圧をされました。マッカーシーという議員が、発案して、赤狩りが行われたのです。特に映画界でのそれが有名です。日本にもエピソードが数々伝わっています。が、労働争議のそれは、あまり、伝わっていません。
しかし、日本では数多くの労働争議が、起されたのだと思います。で、困ったアメリカはアメリカで生み出された手法ではなくて、徹底的な裏工作を用います。それが、謀略です。共産党側に言わせれば、冤罪ですが、各種の事件を起こして、その犯人が共産党だといったのです。で、警察が共産党員を逮捕しました。白鳥事件、松川事件までは、共産党は激しく抵抗しましたが、下山事件で、とうとう、折れたのです。
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副題3、『共産党の変質、・・・・・宮本賢治、不破哲三、井上ひさし』
共産党というのは、敵がある存在だから、内部にスパイが入ることを恐れて、内部で、スパイの疑いをかけられた人材は、リンチ裁判に会うなどと言われ、暗黒の部分もあったのです。一方の警察にも暗黒の部分があり、警察側のそれは、独立系の映画で、描き出されています。共産党側の、それは、離党した人材によって語られ始め、やがて、それらの離党者が、アメリカ側に目をつけられ利用されることなっていきます。が、もちろんのこと、アメリカとの結びつきは、表面上は伏せられていたでしょう。そうしないと命が危ないというような状況だったと思います。もちろん、ナイフで刺されるというような意味ではなくて精神的に追い詰められるという意味でです。
ところで、長い間、日本の共産党のトップとして君臨した宮本賢治という人は、男性的な、魅力(エロチックな意味で)にあふれた人だったと感じます。それは、美形で育ちの良い年上の女流作家、中條百合子と結婚をしたことでも明らかで、口(理論)では共産主義を主張していても、実際の生活では贅沢三昧を好む人です。
これは、現在の中国・国民が激しく批判をしている通り、ほかの共産国家でも、共通してみられる現象でしょう。つまり共産党の幹部は、特権階級であり贅沢三昧をしているとのことです。
週刊誌の記事によれば、百合子夫人が亡くなった後で、別の女性と結婚をした宮本賢治は自宅近辺の宅地を、130か所か、買い求めたそうです。個人名義か、党の所有かは知りませんが、大・資産家でもあるのです。
その宮本賢治を継いだのが、不破哲三(ペンネーム)という人で、グレーのスーツがよく似合う白髪の紳士でした。この人が上田耕一郎という人物と兄弟で、共産党を支配しました。この時期に、この党は大きく変質したのだろう思います。そしてその変質の結果、実は、アメリカ側に協力をするようになったと私は見ています。
そのことは、小泉純一郎元首相が靖国神社に参拝をしたころ、日本全国で、集団訴訟というのが起こされ、首相の靖国参拝は違憲であるという判決が多数出たころに確信をしました。
実は、我が家は、13坪以上、不当に使用できない形にコンクリートうちをされてしまっています。それに関して、前田家というお宅を中心に、あまりに被害を与えられ続けるので、怒った私が前田氏を、グーグルで検索をしたことがあるのです。(2010年、9月26日発信のブログ他にその詳細が書いてある)すると、前田氏は、集団訴訟の原告になっていることがわかりました。
その集団訴訟は、郵便局員の過重な労働に対する抗議の意味でのもので、まっとうなものですが、それでも、その同じメンバーが、地域ごとに分割して、例の靖国参拝反対の違憲訴訟をおこなっていると思いますので、共産党がいかに、アメリカに協力をしているかがわかってしまうのです。
というのも前田氏は、人の苦しみなど、話も聞かないし、勘案もしないで、ペンキ塗りお当番というのを設定したのですが、それが、赤旗祭りとか、何とかというのとそっくりな手法なのです。人の土地を、自分たちのしりぬぐいのために、ほぼ無断で奪っておいて、その傷口に、さらに塩を塗りこめるような作業を、お祭りみたいにしてやって行く。
そこには、無神経を通り越した、恐ろしいものがあるのです。たぶんですが、誠実などとは程遠い、何かがある。本当に恐ろしい。だから、ここでぴったりと共産党と、集団訴訟が結び付きました。アメリカが最も神経をわずらわしている、A級戦犯のまつられている靖国を、無視し、つぶそうとすることへ、協力をするという一点でも『うわあ、現在の共産党って、ずぶずぶのレベルで、強者の味方であり、アメリカの協力者なんだ』と、わたくしは判断しているわけです。これは、書物から判断した様な知識ではなくて、毎日毎日の苦しみから判断をしたことですから、どこへ出ても、主張ができることなのです。
ここで、A級戦犯がどうして問題になるかというと、東京裁判そのものに、疑惑があって、そのことをアメリカのある部分は自覚をしているのです。だから、気になり、気にかかり、気に病む問題なのです。アメリカという国は、やはり、西欧の一家ですから、原理的なところがあって、良心に反した行動をとったというポイントを後々まで、悔やんでいるのです。
で、民主党の全閣僚は、参拝を、しません。こういうポイントでも、日本はさらに深く、植民地支配を進められています。
しかも、民主党と対立する自民党でさえ、野党なのに、靖国参拝を放棄しています。一つの、橋頭堡だったのに、失っていますね。谷垣さんは、モダンでおしゃれな政治家を目指しているのか、靖国参拝をしませんが、今の自民党にとって、アメリカに大事にされていないからこそ、力を使う必要があるのに、それを放棄しています。靖国参拝は長い間の、慣行だから、それを行使することは、過激なことでもなんでもないのに、それを、放棄して、丸腰になっています。
戦後の日本はもとから何の武器も持っていないのです。しかし、与党として、各国から大切にしてもらえる時代を過ぎて、より弱体化した自民党となっています。野に、慣行かしていて、それを、切るのは問題がない、ジョーカ-であった靖国参拝という切り札を、自ら捨ててしまった谷垣自民党は、何の力も今ないのです。だから、お正月休みに、アメリカに行こうとしても取り合ってもらえないというほど、アメリカから、ばかにされています。お育ちがよくて甘い一方の谷垣さんは、戦う手法というのを、何も、知らないのです。
しかも、地方選挙で、勝ち続けているにもかかわらず、それを、国政に反映できません。
それは、赤ちゃんのように無策でいるからです。民主党の方は、こういう風に調略を常に練っている国際的軍産共同体の支援を得ていますので、メディアを手下にしていますので、何もしなくても有利なのですが、自民党は戦わなくてはだめなのです。だが、靖国参拝などという有効な武器を捨てて、単に、民主党の上げ足とりばかり、子供っぽい戦いばかりやっています。一見すると、派手に戦っているように見えますが、実際には、相手の土俵に乗せられていて、家来としての戦いしかやっていないのです。
自民党から、また、共産党へ度ります。今の共産党は、日教組をも支配しています。ですから、50メートル徒・競走で、一等賞を作るのはいけないという発想が生まれます。そして心身ともにひ弱な子供が出来上がります。植民地ならその方がいいのです。元気があって、反権力闘争など起こす若者が育った
ら、困るからです。
でも、福島県の、原発地元民および、東北の被災者に聞いてごらんなさい。「人間は強くなければ生きていかれないのだし、自主的に判断できるぐらいでないと、生きていけないのだ」と、おっしゃると思いますよ。それらの基本的な力を奪ったのだからひどい教育です。
輿石幹事長は、そういう日教組の偉いところから、今、永田町の偉い人になった人です。ただし、輿石氏は、共産党ではなくて民主党の党員ですけれどね。
ところで、わたくしが本当に言いたいことは、共産党は、一種の装置となってしまっている。何の装置かというと、あたかも、本当の民主主義と言論の自由が、この国にあるかのごとく見せつけるための。で、結果として、見事にアメリカの役に立っているわけです。だから、この国の中で、存在を許容をされていて、その党員であることが危険なことではなくなっているのです。
で、とても数多い党員がこの国にはいると思います。ただ、その姿は、隠されているでしょう。その方が、便利だと考えられているのです。だけど、それゆえに、この国には、隠された何重の仕組みによる、裏支配が、生まれることとなりました。このほかに、隠れ、創価学会、隠れフリーメイソン、隠れ、在日、隠れなにがしと続いて、この国には何が何やらわからぬ、タブーが何重にも網を張る国家となってしまい、その中を生きていくためには、用心に次ぐ用心をしないといけないので、つい口をつぐむとなって、この日本社会には、KYなどという言葉さえ生まれています。これはとても不健全な社会です。
もし、私の、こういう分析===共産党は、大変アメリカと近いのです。むしろ、その家来です===が間違っているのなら、それこそ、集団訴訟の力を利用して、原発を阻止してほしいです。日本各地で「これが子供の健康を阻害するものだから、憲法に違反する」と訴訟を起こして、ください。
どうしてここで、こういうことを言うかというと、いよいよ懸念をしていた方向へ進んでいるからです。『どんこ』がだめでも、『ヒラメ』は大丈夫だから、底引き網漁を再開するそうです。牛肉も汚染が基準値以下になったから、売るそうです。これは科学的に考えるとありえないことなのです。科学的環境の方は、一か月では変わらない。
基準値その物とか、計測そのものを変えているのです。つまり科学よりも地元の経済的環境の改善が、優先されています。で、数値も計測結果も、非常に怪しくなってきています。
さて、共産党を分析するだけで、2011年まで、話が飛んでしまったのですが、ここで、1950年代に戻ります。
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副題5、『日米安保条約締結と、安保闘争』
1949年に下山事件他で、共産党の弾圧に成功したアメリカは、トライアンドエラーが、一段階、進んだとみなして、日本へ自衛隊の設立を勧めます。当時の保守政党が、それを決定したかのように国民には、見えましたが、実際にはアメリカがそれを望んだのでした。というのも、その前の年に、朝鮮戦争が終結しています。
つまり、一種の傭兵として、日本人にも一肌脱いでもらいたいと、アメリカは考えたのです。そして、その傭兵としての自衛隊が、実際に、北朝鮮や中国を相手に、戦えるようにと整えるのが、安保改定で、それをきっかけとして、安保反対闘争が起こりました。
今なら、自衛隊は、「災害復旧に貢献してくださってありがとうございます」となって、日米安保は、『思いやり予算』というものまで公開されていて、まるで日常茶飯事となっています。しかし、1959年と1960年は、すごい状況でした。私は樺美智子さんが亡くなった当日の夕方、友達と一緒に、丸ノ内線、国会議事堂前に行き、駅の出入り口に立って、国会の内庭を眺めたのです。
友達と、10人ぐらいが一緒です。のちに東大とお茶大と教育大学へ進学した友達たちがいました。後で、先生に、うんと叱られました。「御茶ノ水女子大の付属高校は、国立だから、国家に反対する闘争なんて見に行ってはいけません」と。
でも、今、大人になった自分から先生の言葉を噛み直すと、身の安全を人の子の親として、心配をしてくださったのです。
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副題6、『樺美智子さんの死、と、その謎?』
今回2011年の9月11日の新宿駅南口での原発反対でも、と、その際警官隊が出て、数人を拉致、逮捕して、数日後、釈放をしたということが、ウエブサイト上で、大騒ぎになったわけですが、本当の闘争なんて、そんなやわなものではありません。
あんな、ものは、フェイクです。お遊びの一種といってよいぐらいです。
1960年、当夜永田町で、塀の外で、その熱気に接した人間としては、樺美智子さんは、転んだ上に、人々の乗っかられてしまった圧殺死だったと感じています。後年、明石市で、花火見物の人の間に、大勢の死者が出たでしょう。あれと同じだと感じます。もし、警官隊が意図して、殴ったりしたのだったら、ほかにも数人の死者が出ている筈です。人があの広い広場に、密集しきって、わっしょい、わっしょいともみ合っていました。そのエネルギーレベルが高かったのは確かですが、警官隊が、警棒で、樺さんを殴ったとは、考えられません。
私は警察をひいきにする人間ではないのですよ。ご近所との猫をめぐるトラブルから始まった、警官を巻き込んだ大騒ぎを起こした側の石川和子女子側をひいきする現状を考えても、今の警察が正義を守るとも、順法精神があるとも思えず、大っきらいです。だけど、樺さんを意図的に標的にして、殺害をしたとは考えられません。
wikipedia を見ると、落合信彦氏が、KGBによる謀殺説を唱えておられるようですが、それは、当たっているかもしれません。
と、言うのも彼女が、警官隊によって殺されたとあれば、国民の大批判が、警察に対して起こり、それは、当然のごとく、時の内閣に対する批判となり、それは、また、当然のごとく、安保条約によって、日本の対ソ連要塞化(または、塹壕化)を、阻止するわけです。
それによって得をするのはソ連です。ソ連が、当時の日本を分析するに、『日本は、再び、中国や朝鮮に再び侵略する可能性はない。が、ソ連には、侵略する可能性はある』だったでしょう。それは北海道での、漁船の拿捕が、続いている時期でもあり、シベリア抑留(一種の奴隷として、日本人の労働力を、使ったこと)の具体的、記憶が、残っている時代です。で、アメリカと同じく、日本に対する『復讐をされるのではないか』という警戒心を持っていたと、考えられます。そうすると、自らを守ることに役立つ謀略に取り組む可能性は大いにあります。
繰り返しますが、私は日本の警察を信頼していません。が、日本人である警察官が、女子学生に、警棒で殴り掛かるとも思えません。アメリカの警官が、よくアフリカンを、なぐりたおしたり、蹴ったりしている映像を見ますが、菜食の日本人は、特に1960年代は、体格も小さかったはずです。で、獰猛でもなかった。
この情報を信頼する理由がもう一つあって、それは、樺美智子さんが、生前すでに、有名人であり、一種のスターだったことがあります。
私のような一般人は、まだ、その名前を、しりませんでした。が、共産党にしろ、新左翼にしろ、こういう活動をしている人々の間では、すでに有名人だったのです。となると、有名人一人を殺害することは、象徴的な意味が強まり、効果が上がります。
ここおで、この落合信彦氏の、アイデアが当たっているとすれば、ソ連にもアメリカにも謀略として、有名人を殺害されたということおなります。東大生樺美智子さんと国鉄・総裁・下山氏です。
そして、謀略によって殺されたにしろ、警官に、暴力を振るわれたにしろ、一種の事故だったにしろ、樺美智子さんは、その後、英雄として祭り上げられました。
が、わたくしが問題にするのは、無名の人たちの戦死なのです。大戦中も戦死した人がいたわけですが、これらの運動のさなかと、それ以降に、不利をこうむったまま、緩慢な死を迎えた人が大勢いるのです。
そこを問題とする私は、さらに、この文章を敷衍し、補筆していくわけですが、
その内容を、今回の、文章に入れ込めてしまうと、項目が多くなりすぎます。
戦後、左翼運動史を、通観していっているわけですから、入っている現象が多くなっています。で、ここで、いったん切って、明日にでも、あらたな項目を立てて、続きを書きたいと感じています。
その完成は、明日か、明後日になる見込みで、その中で、断言しっぱなしで、おわっている、柄谷行人氏が、不誠実だという、話を、煮詰めていくつもりです。
なお、今晩は、柄谷氏、関連の、3つの文章、今号、、前報、前々報の、誤変換直しにとりくみます。よかったら、それら、三文、を、タイトルに△印が付いた後で、再読でも、していただきたく。
2011年9月17日 雨宮舜(本名 川崎千恵子)
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