銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

ノーベル賞と、炭素が四価であるということから、始まる話

2010-10-08 13:21:19 | Weblog
 今日は、最初はきれいな話をさせてくださいませ。実は、今年のノーベル賞の内容ですが、私には非常によくわかるところがあるという話です。鈴木先生と根岸先生は触媒を使って、ふつうなら結びつかない物質同士を結びつけたという業績です。特に有機化合物です。有機化合物は必ず炭素原子が入っています。炭素原子は、炭酸ガスになると、酸素に対して4価となります。というのは中学生レベルの化学でいうと、外郭分子がイオンとして、4っつあるということです。ただし、大学レベルでいうと、外郭電子とは、雲であるとか、ひかりであるとか、波動であるとか、いうこととなりますので、簡単にはいえなくなりますが、ともかく、4価ということは、非常に安定しているということです。

 どうしてかというと、また、中学生レベルの化学にもどりますが、そこでは、外郭電子は8個あると一番安定すると、いうことを教わります。外殻電子が八価になると化学反応を起こしません。ところが外郭電子が一個だけですと、大変反応が早くなります。突出して一つだけ、外にあるイオンは早く、どこかの穴に入り込み、八個の仲間を形成したがるからです。これらは分子名としては、水素、カリウム、ナトリウムなどで、大変に過激な活動をします。一方でソトガワに七個の電子がある物質があります。塩素ガスがもっとも有名なもので、その足りない穴に、早くイオンを一つ招き入れ、安定した状態になろうとするので、これも、化学反応的には非常に活発です。で、HCL(塩酸、最初はガスの形である。ふつうは水にとけ込ませてガラス瓶に入った状態で売っている)とか、NaCl(塩)などを作るのは、あっという間に可能な反応です。それこそ、中学生レベルの化学反応です。

 ところが炭素は、外郭電子が四個あるのです。これは、攻撃にでてもいいし、防御にでてもいい立場です。サッカーでいえば、ミッドフィルダーという立場かな? ただ、サッカーの場合では、ミッドフィルダーも走る速度は同じです。フォワードやディフェンダーと同じ速度で走ります。ところが化学反応における四価の速度は、まるで、落ちるのです。決定的に遅くなります。で、時には反応が起こらないので、触媒というもので、それを促進させます。私が大学四年の時に取り組んだのは、触媒をアルミナをつかった実験でしたが、化学反応の原理は、このノーベル賞受賞の先生方と同じです。

 炭素原子でも、亀の甲(これも中学生レベルの言葉ですが)という物質類で、鈴木先生とか、根岸先生が扱っている物質と比べると、シンプルで、より無機に近いものです。鈴木先生や、根岸先生の扱かっているものは、人間のからだの中とか、動物の中、特に動くものの中に含まれているたぐいのもので、私の扱ったのは、植物が死んだあとにできた石油(化石燃料といわれる)の中に含まれているもので、地球の土の中から掘り出されたものです。その上、炭素の二重結合というものがあって、さらに反応しにくいものです。つまり、一つの炭素が隣の炭素と、新しい手を結びにくいものです。で、今のところ、世界中で、二重結合を、そのままで、何とか反応をさせた人はいないはずです。二重結合の外に何かを加えていく反応はできるでしょうが、二重結合を切って、どうのこうのという話は、聞いたことがありません。ともかく、反応しにくいものですから、触媒を使います。塩化アルミニュームを使いました。で、塩酸ガスがでました。使っている物質はまるで違いますが、反応の形式はおなじす。
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 だから、鈴木先生と、根岸先生の業績と同じラインの、もっと、もっと、基礎的なことを、大学でやったわけです。ところで、ここで、ちょっと自慢げで恐れ入りますが、あっさりいうと、常にこういう知識が、頭に残っています。68歳でも、なにも教科書をみないでも、さっとこういうことを書くことができるし、いざとなったら、話としても、することができます。
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 話が脇にそれて申し訳ございませんが、1999年ニューヨークのプラット・インスティチュートという美大の大学院で、日本人の27歳の中途半端な女性に、いじめられきって、仕事ができなくて困ったことがありました。でも、彼女のいじめは、教授の嫉妬を肩代わりしたもので、虎の威を借る狐というたぐいのものです。ところで、教授は私をいじめたことで、次の学期にだれも学生が受講をしなかったほど、実力のない女性で、今は引退している学部長の愛人だから、教授になったというひとで、薬品類のメインテナンスもできておらず、けっきょく、その日本人女性も仕事が進まなくなり、私に教えを乞うてきました。そのときに、銅板と硝酸の反応の化学方程式をそらで述べて、「これは、中学生レベルの反応ですよ」と、いったら、彼女はパニックを起こして、きちがいになり、わたくしが食堂へ行っている午後の一時半という真昼間に、塩化第二鉄の原液という猛毒のもの、一リットル(これは、私が自分専用として部屋の隅の、タナの下だんにおいていたもの)を、床にぶちまけてしまいました。これは、版画科の教授たちすべてを、震撼させる出来事でした。ふつうは一〇〇〇倍とか、五〇〇倍に希釈してもちいるものの、原液を床にぶちまけたのですから、ヒステリーというのは怖いです。

 今、私の頭に水をぶっかけようとした安野夫妻など、私から言わせれば、きちがいになっているといってよいし、誰かから(伊藤玄二郎と井上ひさしでしょうが)教唆されて、それをやったのなら、その源泉がきちがいになっていると見えます。ともかく突然に、また、汚い話になってしまいましたが、いつも、勉強をしている私にとって、井戸端会議の騒音はやはり、迷惑至極なものでした。

 でね、それをまた詳細に書いていきたいわけですが、その前に翻訳をたくさんやった過去があると申させてくださいませ。化学技術論文とか、特許の翻訳なので、私の名前は表にでません。が、期限を迫られる仕事で、しかも緻密さを要求される仕事でした。それをこなしてきたので、日本語の実力がついたと感じます。翻訳というのは、英語にしろ、フランス語、中国語、ロシアご、スペイン後、イタリア語にしろ、そちらの言語が、大切だ、と考えられています。もちろん外国語の知識やテクニックは必要です。だけど、50%以上の割合で、日本語に堪能どうかで、結果が決まるところもあるのです。

 科学技術というのは、長足のスピードで進歩しますので、今の私が、現役の翻訳者ができるはずもないのです。が、日本語を駆使する能力は残ったわけです。それが今に役立っています。で、私は文体に凝るということはありません。できるだけ、シンプルに、かつ正確に書くということが、主是です。よく「あなた、文章など書きはじめて、芥川賞をとるつもり」とからかわれるのですが、文学者として立つという意識はないのです。

 ただ、考えるということが好きですね。それは一番好きなことかもしれません。美術の仕事をするのも好きですが、何の道具も使わないでできる、『考えること』というのは、いつもやっています。で、考えるということは、文章を書かないと先へ進めません、だから、文章を書くこととなります。

 そしてそれが、結果として、一つの文学の形となるのなら、それはありがたいことです。ともかく考えるテーマは多岐にわたっていますが、住居地で様々な刺激を与えられるので、それも一つのテーマとなってしまいます。「悪い刺激を与えないでほしい」と思いますが、この雪の下二丁目の山の、住民の感覚はどうも違いますね。すべての人間を、一元的な価値で、序列づけようとしているので、非常に困ります。
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 たとえば、1990年頃の話ですが、前田夫人が、「のぶこがさあ、湘南高校の男の子とつきあっているのだけれどー、結構、イケメンなのよ。だからさあー、早く決めなさいよ、って、いうんだけれどねー、ちっとも、はきはきしないのよー」なんて言うせりふは、様々な感想と思索を、私にもたらすものです。

 そのころの我が家の猫は、「ちび」というおとなしいタイプの猫で、すでに、14才ぐらいの老猫だったので、「外で、一緒に遊ぼうよ」などという、今の猫とはまるでタイプが違いました。で、私は外で、その大声を聞いたわけではなくて、家の中で、静かに仕事をしてるのに、聞こえてくるわけです。ほかのご婦人たちの、話の、内容がわかることはほとんどありませんが、彼女だけは毎日、内容が耳に入ってしまいます。うるさい。しかもただうるさいだけではなくて、その声が原因で、我が家のアジサイ畑を使えなくさせられていて(実質盗まれている)、しかも、その1990年は、その事件から、六、七年が、経っているのに、まだ全然、反省をしていないということに、驚くのです。
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 でもね、まさか、外へでていって「あなたは、迷惑よ」なんていうタイプでは、私はありません。弱いからではなくて、それが下品なことだと思うので、喧嘩を好まないのです。考えて分析し、それを、文章に書くことは好きですが、人間として真っ向から喧嘩をするなど、下品極まりないことだと思っていて、避けます。だけど、瞬間的に、彼女を分析してしまいます。それは男性の言葉で言えば、「ケツの穴の毛まで抜く」というシヴィアー(きびしさ)さです。彼女は女性なので、女性固有の身体臓器を使ってたとえれば、「大陰唇が、みえていますよ」とか、「小陰唇まで見えていますよ」というたぐいの言葉に変わります。

 で、以下にそれを詳細に語りましょう。彼女はこの山に引っ越してくる前に、中学受験をしてそれに失敗したのだということが推定できます。上のせりふの要旨は、「うちの娘は、湘南高校へ行っていますよ」ということを、誇りたいわけです。ものすごく深く、学校名のブランドにこだわっています。それは、過去のどこかで、トラウマがあったことを示しています。ご自分も静岡大学よりよいところをねらって不合格だった過去があるのかもしません。

 だけど、道路でわめき散らすほど、誇りたいのは、異常です。しかも御成中学のPTA総会での驚天動地の威張りかえりかたを示す演説もあったので、ご長男に関してのトラウマだと感じました。つまり東京圏の、中学受験が盛んな地域に、以前は住んでいたと仮定をします。中高一貫教育の私立で、東大にたくさんの入学者がいる学校を、受験させたと、仮定します。不合格だったとして、二流と目される私立に入れるか、地元の公立へいれるか、という二者択一を迫られたとも仮定をします。そのときに、「私立へ入れると、遊んじゃうなあ」という判断もあろうし、「公立に入れると、ご近所さまに恥ずかしい」という判断もあったと仮定します。で、新しい場所であり、公立中学が名門的に聞こえる、鎌倉へ引っ越してきたとすれば、いろいろな謎が一気に解けてきます。

 つまり、そうせざるを得ないほど、ご近所様というか、地域で、うまくいっていなかったということです。恥ずかしいと思わざるを得なかったというほどライバル意識が他者に対してあったということです。つまり、前の地域で、主婦としては、失敗してきたということを暗示しています。だから「今度はうまくやろう」という意識も強いのでしょう。前の地域では、大学院卒のインテリとして、ご近所とは一線を画す形でつきあってきて、それで、浮き上がっていたのではないかな。それに対する反省があって、今度はおもねりに近いほどの、融和がみられます。彼女にしてみれば、この山で、もっとも強い人は安野夫人です。で、『そちらに、なびいておけばよい』という判断があったと思います。だから、過剰に深入りをしています。で、意外と芯がないかな。弱い人かな? 弱い犬ほど、キャンキャン、吠えるという形かな。そこはわかりません。

 私たちは前の家も、まだ持っているほどで、前の地域で、普通の人とトラぶったわけではありません。益山某・元海軍参謀が、特別な詐欺事件を仕掛けてきたが、それは、私が、勝ったわけですしね。

 上にいった、お受験の失敗があっただろうと仮定できる点が『心の、大陰唇まで見えた』という話ですが、もう一つ、この日には、「心の、小陰唇までも見えた」のです。それは彼女がもっている、とてつもないレベルでの、傲岸不遜ということです。子供の恋愛とか、結婚というのは、神の領域にはいることで、道ばたで、数人の主婦を相手に、大音声で、はなすことではありません。「ああ、これだから、前の地域でも嫌われたんでしょうね」とパッとわかるポイントでした。おじょうさんに対する愛も少ないです。慎み深く、かつ真実の愛を持っていたら、こんな形での自己宣伝には、このエピソードを使わないはずです。私は安野夫人は、演技だけの母だから、見限っているわけですが、前田夫人の方hは、実の子なのに、どうして、こうなのかなあと、不思議です。これから先も、これは、やってはほしくないということが、数々あるので、それは、事実として書きます。別の日に。
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 ところで、いままでずいぶんと大学のブランドにこだわってきました。で、あなたの方はどうしたのよ。ということになると思います。はっきり言えばうちの子は、ブランド大学卒でもないし、もちろん、東大卒でもありません。その件で大原さんに、ひどく腹を立てたことがあります。「川崎さん、中谷さんのお子さんって、東大教授ですよ」といわれたことがあり、その当時は、電話が盗聴されているなどとは夢にも思わなかったので、友達にグチりました。

 大原さんは、お嬢さんが一人しかいないし、そのお嬢さんは、お父さんが並の形で働いてはいないのを、密かに問題としていらっしゃるから、覚悟と気概があるわけです。ご一家自体は、『我々はエリートだ』と、認識をしていらっしゃっても、世間の価値観というものも、あるのです。月に三十万円にしろ、五十万円にしろ、毎月、お金を稼いでくるのが、一般的なおとうさん像ですからね。それからは、ずれているということに、密かに悩んでいらっしゃったのか、お嬢さん自体が、しっかりしていて、フェリス女子大から、神奈川県立美術館・鎌倉館(ただし、学芸員ではなくて、美術品のそばにたって監視をする役目・・・・・でも、外聞はよいでしょう)を経て、ご結婚にいたり、お孫さんもいるというわけです。大成功です。
 ただし、これは誰でも知っていて、自明のことだと思いますが、女の子は育てるのが楽なのです。そしてこどもが一人だったから、大原さんは、まだ、いろいろ人間の真実について、わかっていないことが、多いです。だから、一見して軽い人だと主人たちに言われてしまうわけですが、それだけでもないです。誇りもあって、粘っこいし、したたかでもあります。

 柄沢さんにお子さんがあるかどうかを知りませんが、市川某氏には子供がありません。だから、大原さんから流された悪口にすぐ乗って、人の名誉や尊厳まで奪う形で、それを、さらに拡大して風評として、流します。『人の口に、戸は立てられない』と、よくいいます。だから、市川さんから銀座に噂を流されて、高橋典夫(T-box のオーナー)さんが、月刊ギャラリーに手紙を出して、連載をやめさせろというまでになって、大変評判がよかった連載を、やめさせられる第一歩になってしまったわけですが、それも、ひたすら泣き寝入りするほかはありませんでした。

 そして市川さんが垂れ流した害毒は、もう一つあります。それは画材店の店員でもある市川さんの方から、商取引の停止を言い渡されたことです。彼には、数百万円の売り上げを、私の方から与えているのに、彼の方から、商取引を断ってきたことです。

 これは、あじさい畑欺もう事件から始まる丁寧な説明がないと、単なる不名誉なことと、とられますから、私は泣き寝入りの極地であり、長らく黙っていました。が、キャンバスを張ることとか、キャンバスを運版する事とかいう、純粋に労働だけで対価を得られる部分は、もっともおいしいところであり、お金が100% 自分のものになる、売り上げです。女性であり、かつ体力がない私は父の遺産ののこり、二千四百万円を、美術の世界へ使ってきたのですから、市川さんへも、相当な儲けを与えたはずなのです。

 それを、風評だけで、切るとは、『商売の神様への冒涜だ』と感じました。唇を噛んで我慢をしましたが、『きっと、市川さんの収入は減るでしょう』と直感しました。つまり、悪魔の側にたつと、何らかの制裁が、自分にも落ちてきます。彼の納税額を調べたわけではないが、この推測は、当たっているでしょう。

 彼のお店のご近所に世界堂ができたし、100号以上の大きな絵を描く人も減ってきました。だから、「キャンバスを張ってほしい」という依頼も、「運んでほしい」という依頼も減っているはずです。こんな話は、みなさまも聞いていて、イヤになる話だとは思いますが、私も、しのびがたきを忍び、五年も待っていたことですし、こういう風に書かないと、どんどん、被害が増すので、書かせていただきます。

 私のことをバカだと、未だに思っているみたいですからね。「バカじゃあないわよ。あなたのいっさいの事績を記録して、ずっと将来にわたって残しますからね。あなたがやったことが、あなたの勝ちという、一方的な形で終わることはありません。作用・反作用の法則は、必ず自分にかえってきます。大銀杏も倒れたことですし、流れがが変わったのですよ」と、ここでひそかにいっておきましょう。面と向かって言うほど、私は、野暮でも子供でもないです。

 特に自分の方は毎日、我が家の私道を、家族四人、または、三人で通ります。「そのときに、私が何を妨害しましたか」と問い合わせたいです。お嬢さんに、対して、なにを嫌がらせをしましたか。もし何かがあるのなら、是非、パソコンうちの文章で、答えてほしいです。何千回もの、声を、おおきくあげながら通ったくせに、年に一回もない、私の猫と一緒の散歩を妨害するなど、本当に悪魔の行為です。はっきりと記録をしておきます。その片寄りと幼稚さをも、きちんと記録をしておきます。特にあなたの声は、嗄れ声でよくないですよ。きれいじゃあない」と、坊主憎けりゃ、袈裟までにくいといなっていいつのっておきます。ともかく、パンドラの箱を開けたのは彼です。彼がすべてのきっかけを作りました。

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 さて、私自身の大学とブランドの関係についての意識を述べましょう。今まではすべて、他人の観察でした。名門大学へ自分の子どもを、入学させられなかったことを、どう考えているかです。
 今までは、ごく簡単に、それを説明をするために、「四年制大学卒の母おやは、子育てが下手ですよ。私もその例に漏れません」といっておきました。特に東大とか、お茶大等の、私が在学した当時1960年代の名門校を卒業した人は、子育てが下手なケースが多いです。

 私が卒業した国際キリスト教大学も一種の名門です。でも、上の二つの大学と、きわめて異なった部分は、子供を産まなかった人が多いということです。キャリアーウーマンとして仕事に恵まれたということが、かえって子供を産まない結果となりました。

 それから、キャリアーウーマンでありながら出産をした人は、高齢出産が多いので、他の人の例を学んで、割り切って、中学受験を成功させ、東大に子供を入れましたという人も多くて、結果として、失敗例をあまり聞きません。だけど、全体的には、下手なのです。すべて、ご自分が勉強をしっかりした女性は子育てが下手です。東大に行っても「性格が悪くて」なんておっしゃる人もいる。また、お子さん自体が、結婚をしなかったり、孫を生まなかったりもします。

 それから、親が両親とも、ブランド大学をでていると、そのありがたさを家庭全体で否定するというか、尊敬できないというか、夢を持てないということもあって、中退とか、引きこもりも生まれます。

 私は六十八歳ですが、この年齢だと、四年制大学卒の女性で、しかも専業主婦をしている人が少ないので、常に短大卒とか、高卒のお母さんとつきあってきたわけですが、みなさん、かしこいですよ。前田夫人のエピソードなどを知らせたら、みんな笑うと思います。そして、そういう人がお子さんを二人とも医者にしていたりします。もう一方、安野夫人のエピソードを聞かせたら、嫌悪感を示すだけでしょう。子供のいる人は、子供を守りたいですから。
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 でね、うちの主人なんかは、女性はすべて、高卒で、結婚をすべきで、子育てに専念すべきだといいます。「勉強したい人は、子育てが終わってから、すればよい」といいます。私はそれに対して、こう思っています。『子育てを終えてから、勉強するはむりです』と。子育てって、非常に長期にわたる場合があります。となると、難しい勉強はできない年齢になってしまいます。だから、自分に才能があると信じる人は大学へ行けばよいのです。自分の特別な才能を信じることのできる人は、子供を育てる必要はないです。その優れた遺伝子が伝わらないことは残念ですが、両立は本当に難しいです。

 で、独身でインテリであるという人も、社会の中で、キチンと、対等に、損をしないで生きていかれる社会にしなければなりません。それは必要です。この山みたいに、主流派を作って、安野夫人や、石川和子女史(が持っている、反小市民的な姿を隠すための)側だけの、価値の押し付けをする社会は、最悪です。インテリであるはずの前田夫人が、そちら側に加担をしたことは残念です。

 それとは別に、自分には特別なところはないと思っている女性は、一種の箔をつけるために、大学へ行くという必要はないと思います。結婚の際も、学歴を問題にする風潮は捨てるべきです。健康さと人柄の良さを最重点にすべきです。今は社会が豊かになったので、女性が大学へ行くのが普通になっていますが、子育ての任務の難しさを考えると、若いうちに取り組んだほうがよいです。ヴィトンのバッグを買うために大企業に勤めるのはどうかなあ。だけど、出会いを求めるのなら、大企業もいいですけれどね。

 ともかく、『進路を15歳ぐらいで決めなさい』というためには、今の学校教育では無理でしょう。もっと、子供の能力の高さを信じて、高度な事を教えないとだめです。作文もたくさん書かせて、自分で考えるように、させないとだめです。
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 私はね、生命力の強い子供になってほしかったのです。大学のブランド名にこだわることは、勉強一筋になるでしょう。それは私のやってきたことです。自分を卑下もしていますよ。だから、自分とは違う生き方を、してほしかったのです。それは、できたと思います。二人とも、元気なタイプです。それで、十分です。伴侶も自分で見つけたし、立派な結婚式も、すべて、自分たちで企画して、一切親に援助を頼みませんでした。それだけで『あ、しっかりした子に育ったなあ』と満足しています。大学のブランド名にこだわっているのは、この山の人たちを分析するためだったのです。自分はすでに、なにもこだわっていません。では、2010年10月10日、表向きの発信日は、8日に設定してあります。
                         雨宮舜

 
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