宗教法人 鈴川キリスト教会

わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。

2009年2月15日礼拝メッセージ要旨

2009年03月08日 | 礼拝メッセージ
善悪の知識の木はどこに
       
<黙示録22:1~15>
                牧師 鳥居 完次  
 人は、エデンの園にあった「善悪の知識の木」から取って食べたことによって「いのちの木」から遠ざけられた。では、その「善悪の知識の木」はその後どこに行ったのか。

 1.「善悪の知識の木」とは一体どういうものであるのか。それは、本来良いものである。神は人のためによいものを造られ、悪いものはお造りにならなかった。その意味で「善悪の知識の木」には、神の愛が込められていた。つまり、善悪に関して完全な自由を持っておられる神ご自身に全面的に依存する(従う)ときにこそ、人は神の真の自由をそのまま反映させて生きることができることを「善悪の知識の木」は教えているのである。従って、人が神に従わずその「善悪の知識の木」を食べたとき、人は神ご自身の内にある真の自由を失い、自分の感情や周囲の判断に基づいて事の良し悪しを決めるようになってしまった。

 2.「善悪の知識の木」はいったいどこに行ったのか。人間の歴史の中に隠されている。人間はアダム以来あの「善悪の知識の木」を食べ続けているとも言える。これには、神の選びの民イスラエル人も例外ではない。今、私たちに求められていることは何か。今こそ、私たちは「善悪の知識の木」を食べることを自らの意志でやめるべきとき、即ち善悪を判断する主権を、本来持っておられるお方に全面的に返すことである。そうするならば、主は「いのちの木の実」を先取りする権利を聖書のみことばによって与えてくださる。そして、その日(主の再臨)が来れば、文字通り本物の「いのちの木の実」を思いのまま食べることができるというすばらしい約束が与えられているのである<黙22:12~14>


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