~恵みとあわれみ~
鈴川キリスト教会顧問牧師 川崎 廣
エペソ2:1-10
今日の箇所で、神様の素晴らしいあわれみと恵みについて学びます。「あわれみ」という言葉は200回以上聖書に使われていますが、だいたい旧約聖書に出てきます。「恵み」という言葉は120回以上使われていますが、だいたい新約聖書に出てきます。この二つの言葉の意味はどのように違うでしょうか。考えてみましょう。
「あわれみ」というのは私達が神様から当然受けるはずのもの(ばつ)を受けないことです。エペソ2:1?3によると、すべての人間は「自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、不従順の子らの仲間で、御怒りを受けるべき子らです」と言われています。御怒りを受けるべきですが、神様はあわれみ豊かな神ですので私達を許してくださいます。
「恵み」というのは私達が神様から当然受けるはずでないもの(祝福等)を受けることです。どのように祝福して下さるでしょう。エペソ2:4?9によると「私達が救われて、キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました。」というのは、永遠の命を与えられたということです。この永遠の命が死んでから始まるのではなく、イエス様を受け入れた時から与えられます。
でも、どうしてこんなに素晴らしいあわれみと恵みが私達の人生に流れてくるのでしょう。それは、「私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。」(ロマ5:8)ということです。何と素晴らしいことでしょう。そして、こんなにすてきな愛を体験してから、私達は神様と一緒に歩んで、良い行いをすることのために神様に招かれました。私たちはぜひ実行したいと思います。
分かち合いのために
1.「あわれみ」と「恵み」の意味が分かりますか。
2.それを体験したことがありますか。
3.あなたのために神様があらかじめ備えてくださった良い行いはなんだと思いますか。分かち合いましょう。
今週の聖句
あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。(エペソ2:8、9)
鈴川キリスト教会顧問牧師 川崎 廣
エペソ2:1-10
今日の箇所で、神様の素晴らしいあわれみと恵みについて学びます。「あわれみ」という言葉は200回以上聖書に使われていますが、だいたい旧約聖書に出てきます。「恵み」という言葉は120回以上使われていますが、だいたい新約聖書に出てきます。この二つの言葉の意味はどのように違うでしょうか。考えてみましょう。
「あわれみ」というのは私達が神様から当然受けるはずのもの(ばつ)を受けないことです。エペソ2:1?3によると、すべての人間は「自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、不従順の子らの仲間で、御怒りを受けるべき子らです」と言われています。御怒りを受けるべきですが、神様はあわれみ豊かな神ですので私達を許してくださいます。
「恵み」というのは私達が神様から当然受けるはずでないもの(祝福等)を受けることです。どのように祝福して下さるでしょう。エペソ2:4?9によると「私達が救われて、キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました。」というのは、永遠の命を与えられたということです。この永遠の命が死んでから始まるのではなく、イエス様を受け入れた時から与えられます。
でも、どうしてこんなに素晴らしいあわれみと恵みが私達の人生に流れてくるのでしょう。それは、「私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。」(ロマ5:8)ということです。何と素晴らしいことでしょう。そして、こんなにすてきな愛を体験してから、私達は神様と一緒に歩んで、良い行いをすることのために神様に招かれました。私たちはぜひ実行したいと思います。
分かち合いのために
1.「あわれみ」と「恵み」の意味が分かりますか。
2.それを体験したことがありますか。
3.あなたのために神様があらかじめ備えてくださった良い行いはなんだと思いますか。分かち合いましょう。
今週の聖句
あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。(エペソ2:8、9)