ローマ10:1〜21
イエス様を救い主として信じて、口で告白して救われるということは、どのようなことでしょうか。
1.自分の正しさを主張することの間違い(1〜5節)
パウロは、同胞が救われることを望んでいたが、彼らは自分の義を立てることで救われようとしていた。
2.心に信じて義と認められ、口で告白して救われる(6〜13節)
心で信じたことを、口で告白して救われる。それは、主への信頼を表しているからです。「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる。」のです。
3.宣べ伝える人の大切さ(14〜15節)
誰かが福音を携えて、宣べ伝え、聞くことがなければ信じて、告白するようにはなりません。主はすでに信じている人々が、これを実行することを望んでおられる。
4.救いについての、神のご配慮(16〜21節)
福音が伝えられても、すべての人が信じるのではありません、そこには神様のご配慮が働いています。しかし、神様はイスラエルについてもつねに手を差しのばしておられます。
私たちの救いは、難しいことではなく、自分の思いではなく、単純に神様に信頼して、呼び求めることから始まります。
分かち合いのために
私たちは自分が信じていることを口で言い表すことが大切です。これについて、実践の証があれば、分かち合いましょう。
今週の聖句
なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。聖書はこう言っています。「彼に信頼する者は、失望させられることがない。」ユダヤ人とギリシヤ人との区別はありません。同じ主が、すべての人の主であり、主を呼び求めるすべての人に対して恵み深くあられるからです。「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる。」のです。(ローマ 10:9-13)
口でイエスは主と告白する
鈴川キリスト教会牧師
川崎 廣
イエス様を救い主として信じて、口で告白して救われるということは、どのようなことでしょうか。
1.自分の正しさを主張することの間違い(1〜5節)
パウロは、同胞が救われることを望んでいたが、彼らは自分の義を立てることで救われようとしていた。
2.心に信じて義と認められ、口で告白して救われる(6〜13節)
心で信じたことを、口で告白して救われる。それは、主への信頼を表しているからです。「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる。」のです。
3.宣べ伝える人の大切さ(14〜15節)
誰かが福音を携えて、宣べ伝え、聞くことがなければ信じて、告白するようにはなりません。主はすでに信じている人々が、これを実行することを望んでおられる。
4.救いについての、神のご配慮(16〜21節)
福音が伝えられても、すべての人が信じるのではありません、そこには神様のご配慮が働いています。しかし、神様はイスラエルについてもつねに手を差しのばしておられます。
私たちの救いは、難しいことではなく、自分の思いではなく、単純に神様に信頼して、呼び求めることから始まります。
分かち合いのために
私たちは自分が信じていることを口で言い表すことが大切です。これについて、実践の証があれば、分かち合いましょう。
今週の聖句
なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。聖書はこう言っています。「彼に信頼する者は、失望させられることがない。」ユダヤ人とギリシヤ人との区別はありません。同じ主が、すべての人の主であり、主を呼び求めるすべての人に対して恵み深くあられるからです。「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる。」のです。(ローマ 10:9-13)