いつも粋なバナーを掲揚する北千住「サンロード」商店街に桜が咲きました!
まだ寒いけど、春の到来に心が弾みます。
ここのところ家紋を掲揚していた商店街です。季節に合わせて「桜紋」を持ってきましたね。
人で賑わうと良いですね。
いつも粋なバナーを掲揚する北千住「サンロード」商店街に桜が咲きました!
まだ寒いけど、春の到来に心が弾みます。
ここのところ家紋を掲揚していた商店街です。季節に合わせて「桜紋」を持ってきましたね。
人で賑わうと良いですね。
第5福竜丸の船首です。
船体脇に見学の為の設備があります。
模型も有ります。本体と両方を見ると解り易いです。
操舵室です。
船首です。
高いマストです。全てを保存する為に屋根を高く造っています。
船尾です。大きいです。
第5福竜丸の歴史です。1947年にカツオ漁船「第7事代丸」として誕生しました。
1951年、カツオ漁船として改造され、1953年に、静岡県焼津市所属の「第5福竜丸」として再デビューします。
1954年に被爆した第5福竜丸は、貴重な学術資料として日本政府に買い取られました。東京水産大学(現・東京海洋大学)で放射線の観察が行われた後、練習船「はやぶさ丸」となりました。
やがて、1967年に廃船処分となりました。船体は当時「ごみの島」と呼ばれた夢の島に放置されました。第5福竜丸を保存しようと多くの市民が立ち上がり、1976年に「第5福竜丸展示館」が開館し現在に至ります。
船体傍に千羽鶴が有りました。全国からの修学旅行で見学しに来た生徒が作ったのだと思います。その気持を忘れないで大人になってくださいね。
さて、もう1ヶ所確認する場所があります。初めて第5福竜丸を見た時に知りました。当時の写真です。
被爆時に積んでいたマグロの一部は築地市場に水揚げされました。国と東京都の検査で放射線汚染が認められ、市場内に埋められました。その記録プレートです。当時の築地市場入り口の、塀の壁に有りました。
やがて、築地市場が閉鎖・解体されて、豊洲に移転することになりました。2021年解体工事中の築地市場です。
地下鉄築地市場駅の傍です。
その工事中のフェンスに引き継がれています。
あの第5福竜丸被爆マグロのプレートです。
たぶん、今もあそこにあると思います。