
写真1 T氏の左後方はジンギョウ(草に覆われる盛り土と板壁・瓦屋根の建屋)、後方に母屋、右にクネ(生垣)。薄茶色の更地部は屋敷林跡。

写真2 庭と作業舎・納屋(右2階建て)より一段高い屋敷に建つ母屋(左端)とジンギョウ(作業舎・納屋の隣り)

低湿地や湛水・水害常襲地に住む人たちは、命を守るために、田畑など財産を守るために、農作業をするために知恵を出し合い、育んできた。その一つに洪水時の避難用建屋がある。その例として、埼玉県吉川市域のジンギョウを紹介する。当地は、江戸川と中川に挟まれた南北に長い地域で、河川の恩恵をうけ、他方で水害に悩まされた。
ジンギョウは群馬県東端の邑楽東部地域(渡良瀬川と利根川にはさまれる両川合流部域)のミズカにあたる。
写真1をみると、T氏が立つ左後方にジンギョウ(草に覆われる盛り土と板壁・瓦屋根の建屋。昭和11(1936)年12月に旧建屋を壊し新築。)があり、シュロの後方に白色外壁の母屋が建つ。ちなみに、T氏の身長は150cmで、ジンギョウ(盛り土)の高さを想定できる。
T氏宅の屋敷は北側が少々高く、その微高地に母屋とジンギョウがあり、庭と作業舎・納屋は低い南側にある(写真2。作業舎・納屋にはタブネが吊るしてある)。屋敷の西側には、庭と同じ高さに西大場川の堤防があった。
すなわち、T氏宅のジンギョウ(避難用建屋)は微高地に盛り土して建つ、微高地・平屋敷・堀付型に該当する。
ジンギョウは「中二階」形成で、2階にはナガモチ(9尺×3尺・来客用の蒲団と座布団。)2本、人寄せ用食器類、大小の火鉢、雛人形などが置かれ、1階の6畳部屋にはタンス・ツヅラ・座卓・扇風機が置かれていた。
T氏と家族は、昭和22(1947)年9月、カスリン台風の大洪水時に、「中二階」と6畳部屋を使った。洪水水位は、母屋敷地を越え、ジンギョウ建屋の敷地すれすれまで上がった
かつて、写真1のT氏の右(北方)と奥(西方)にひと続きの屋敷林があった(写真1の薄茶色の更地部分)。また右にはクネ(生垣・写真2)があり、さらに右にはカマエボリ(構え堀))があった。カマエボリはジンギョウ(盛り土)用に掘った跡。
上記のようなジンギョウ(盛り土・避難建屋)、屋敷林、クネ、カマエボリに、当地に暮らした、暮らす人たちの防水害や防寒の知恵や工夫を、すなわち「伝統の水文化」を知る。今に生きる我々は「温故知新」の態度と行動が必要であろう。
災害は忘れた頃やってくる。財政効率や経済効率だけでは律しきれない。今回の東電事故が物語る。事業仕分けでスーパー堤防について、200年に1回の水害に・・・・とばっさり切ったK.K氏がいましたねー。
注 筆者によるミズカ分類の基準
(当ブログ「農山漁村の今昔物語<農村の水18>」2011年4月26日版の基準を修正)
基準1 ミズカが平坦地に盛り土して建つか、自然堤防や旧堤防など微高地に建つか。⇒平坦地型×微高地型
ミズカの敷地は盛り土されるのが大多数であり、ミズカ敷地そのものの盛り土の有無は基準としない。
基準2 ミズカは、盛り土した一段高い屋敷に建つか、それとも盛り土しない屋敷に建つか。⇒高屋敷型×平屋敷型
基準3 屋敷やミズカ敷地の盛り土用に、屋敷の北部や北西部に堀を掘り巡らしているか、否か。⇒堀付型×無堀型
謝辞:ご丁寧に、細部にわたりご教示くださったT氏に感謝致します。
引用・参考文献等:①『吉川市史 民俗編』215頁・520-522頁、吉川市、平成22年、②当ブログ「農山漁村の今昔物語 <農村の水18>」2011年4月26日、③当ブログ「農山漁村の今昔物語 <農村の水21>」2011年5月10日
執筆・撮影者:有馬洋太郎 撮影年月日:2011年5月3日 撮影地:埼玉県吉川市小松川