写真1 H集落のイチゴ選果場(薄青色の平屋建て・現在使ってない)。周りにコンビニ、新住宅、新道路など都市化が進む
写真2 Wさんの「とちおとめ」親株、ビニールトンネルの中。外に、「とちおとめ」稔る大型ビニール温室が見える
写真3 Aさんのイチゴビニール温室(イチゴ栽培3戸のうち1戸)
写真4 Tさんのイチゴビニール温室(写真の右・イチゴ栽培3戸のうち1戸)
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Wさん(81歳・弊ブログ2013年10月11日)のイチゴ栽培は、今次のよう。
秋9月に植える「とちおとめ」の親株は3月、ビニールトンネルの中(写真2)。
隣なりのビニール温室には、「とちおとめ」が稔り(弊ブログ2014年03月30日)、4月20日頃まで出荷は続く。
Wさんは、居住するH集落のイチゴ栽培の変遷について次のようにご教示。
かつて、約46戸の集落で農家40戸ほどがイチゴ(ダナー・女峰など)を栽培・出荷。
毎日、集落の選果場(写真1)に集め、農家がハシアワセ(品種合わせ・ランク分け)を行ない、
荷造りして運送業者のトラックで東京の市場へ出荷した。
栽培・出荷農家はじょじょに減り、出荷先は大宮となった。
さらに減り8戸ほどになると、ハシアワセして荷造りの後、農家が交替で、
大宮より近い春日部の市場へ運んだ。
現在、栽培・出荷農家はWさん宅を含め3戸に減り、交替で春日部の市場へ運ぶ。
ただし、ハシアワセ・荷造りの場は農協支所となり、毎日の出荷でなく、
月曜日と金曜日の2日だけになった。
すなわち、H集落のイチゴ栽培農家は担い手の高齢化などに伴い減少し、最盛期の1/10に減ったことを知る。
執筆・撮影者:有馬洋太郎 撮影日:2014年03月23日 撮影地:埼玉県久喜市