写真1 あっちの燃えはいいねー 2014/03/15 10:59
写真2 今年は燃えないねー、雨降ったから 2014/03/15 10:57
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焼け具合の悪い渡良瀬遊水地のヨシ原、2014年03月15日。
第2調整池の堤防天端におばあちゃん2人(写真1・写真2)。
昭和5年(1930)と昭和6年(1931)生まれ。
若い頃のヨシ刈やヨシ編みについて次のようにご教示。
ヨシ原をヤマと呼ぶ。
遊水地周りの各集落が地さきのヤマをヨシ刈場として共同利用。
H集落では、構成戸が毎年12月、ヨシ刈場をクジ・籤で決めた。
これをヤマワケと呼ぶ。
集落構成戸の多くは、女性を中心にヨシを編みスダレを造り販売した。
余ったヨシは、ヤマシ・山師に売った。
昭和5年生まれのおばあちゃんは、親指と人指し指をくっつけ、カネになったと強調し、
そのカネを貯めて住宅を新築した。
ヤマに500束の山を1つ、2つ造った。
束の山を火事で失った年もあった。
現在、ヨシ編みは集落に1戸。
私・筆者と同年配の男性(写真2の男性とは別人。)は次のようにご教示。
H集落では構成戸が入札でヨシ刈をし、ヨシを編んだ。
落札金は自治会費に繰り入れた。
余剰金が出ると、男たちは古河の街に繰り出す年もあった。
これらは1945年以降、ヨシ編みが衰退するまで続いた。
引用・参考文献等:弊ブログ2014年03月17日・22日
執筆・撮影者:有馬洋太郎