EMSで土曜日に日本から届いた荷物。
配達されたことに気付かず、不在通知が
レターボックスに。
気付いたときには、郵便局も閉まってて
ジョナサン、泣。
月曜日に朝一番でとりに行って、
以来ジョナサンは、中に入っていたおもちゃで
おもいっきり遊びまくっています。
わたしは、日本語の本を4冊送ってもらい、
それを熟読中。
特に南直哉の本は、いい。
この人の本を読んでいると、月に照らされ、静まり
返った禅堂に一人座禅を組む禅僧のイメージが
喚起される。
静寂と孤独。
でもそこには悲観や絶望といった『感情的』なものは
一切なく、しなやかで突き抜けた、透明な心のありようを
感じる。
生きる切なさという言葉を、著書の中で何度も繰り返す。
人を励ますとき、多くの人は
「そんなことないよ」
「いつかいいことあるよ」
「生きるってすばらしいよ」
と言って、落ち込んでる人を崖から突き落とすようなことを
平気でやってのけ、悩む人をさらに孤独に追いやる。
しかし、彼は答えが欲しい人に一切、答えを与えず
「色んなことがわからない、生きるって切ない。」
と堂々と宣言することによって、心弱った多くの人に
「あなただけではないんです」
というメッセージを送る。
その一言に、どれだけ多くの人が心の安堵を覚えることか。
共感のメッセージを送る彼は、弱った人と同じ心の
ありようなのか。同病相哀れむ的な立場にいるのか。
彼は言う
「生きる」ことを選んだ。
「生きる」ことを選ぶことに賭けた。
精神的なところで「死」と「生」のぎりぎりところまで行った
けれど、その境の「生」の内側ラインにいるだけというような
感覚をわたしに与える。
限りなく死に近いところで、生きている。
そこに大した意味はない。
「賭けた」のだ。
それだけだ。
人生や生きることに最大の意味を付与することもなく、
虚無感に陥ることもなく、
わたしは「生きる」ことに賭けたのです。
と言い放つ。
逆説的なのだけれども、何の悩みもなく生きているという
ことを当たり前のように生きていて、生きることに意思すら
必要ともしない幸せな人よりも、死線すれすれのところまで
行って、どうでもいいんだけれど、でも生きることに賭けた
ということに、
生きることを選んだ意思のすさまじさを感じる。
あえて言えば、それが彼の強さなのかもしれない。
配達されたことに気付かず、不在通知が
レターボックスに。
気付いたときには、郵便局も閉まってて
ジョナサン、泣。
月曜日に朝一番でとりに行って、
以来ジョナサンは、中に入っていたおもちゃで
おもいっきり遊びまくっています。
わたしは、日本語の本を4冊送ってもらい、
それを熟読中。
特に南直哉の本は、いい。
この人の本を読んでいると、月に照らされ、静まり
返った禅堂に一人座禅を組む禅僧のイメージが
喚起される。
静寂と孤独。
でもそこには悲観や絶望といった『感情的』なものは
一切なく、しなやかで突き抜けた、透明な心のありようを
感じる。
生きる切なさという言葉を、著書の中で何度も繰り返す。
人を励ますとき、多くの人は
「そんなことないよ」
「いつかいいことあるよ」
「生きるってすばらしいよ」
と言って、落ち込んでる人を崖から突き落とすようなことを
平気でやってのけ、悩む人をさらに孤独に追いやる。
しかし、彼は答えが欲しい人に一切、答えを与えず
「色んなことがわからない、生きるって切ない。」
と堂々と宣言することによって、心弱った多くの人に
「あなただけではないんです」
というメッセージを送る。
その一言に、どれだけ多くの人が心の安堵を覚えることか。
共感のメッセージを送る彼は、弱った人と同じ心の
ありようなのか。同病相哀れむ的な立場にいるのか。
彼は言う
「生きる」ことを選んだ。
「生きる」ことを選ぶことに賭けた。
精神的なところで「死」と「生」のぎりぎりところまで行った
けれど、その境の「生」の内側ラインにいるだけというような
感覚をわたしに与える。
限りなく死に近いところで、生きている。
そこに大した意味はない。
「賭けた」のだ。
それだけだ。
人生や生きることに最大の意味を付与することもなく、
虚無感に陥ることもなく、
わたしは「生きる」ことに賭けたのです。
と言い放つ。
逆説的なのだけれども、何の悩みもなく生きているという
ことを当たり前のように生きていて、生きることに意思すら
必要ともしない幸せな人よりも、死線すれすれのところまで
行って、どうでもいいんだけれど、でも生きることに賭けた
ということに、
生きることを選んだ意思のすさまじさを感じる。
あえて言えば、それが彼の強さなのかもしれない。