午前中 学校へお手伝いに行ったので あまり時間はなかったけれど
3番目の候補のケーキ(カップケーキ)を作ってみた。
・・・ おいしい ・・・
これで決まり
さて
学校でお手伝いをしているときに、先生が 5歳児を相手に 結構ひどいことを言っていました。
Aくんが クラスのボスザル Bくんにちょっかいだされていました。
私が見ていたときは 大事なところを パンチされそうになっていました。
目の前で起こったので、わたしは 「 だめだよ 」と強く言いました。
先生もそれを見ていました。
しばらくして 私が他のところで クラスの仕事をやっていると
どうも、ボスザルが その後も Aくんにちょっかいを出し続けたらしく、Aくんが怒って言い返したようなんです。
でも、その言葉が悪かった。
その言葉を聞いた先生が、ボスザルではなく Aくん(ちょっかいだされたほう)をクラスメートの前で吊るし上げ。
・・・ ちょっと 待てよ
そのクラスのボスザル、問題児なんです。他の子も被害にあっているし、他のクラスのお母さんからも
Bくんは いじめをしている というコメントを聞いたくらい。
確かに Aくんが吐いたその言葉は 悪い言葉かもしれないけれども でも ちょっかい出したほうは
悪くないんかい?
一部始終を見ていたのなら、どっちもどっちなのは分かるだろうに?
非常にショックでした。教師と言う立場を利用した 言葉によるいじめ としか思えませんでした。
Aくんは 人をいじめたりするような子ではないのですが かなりの頑固者で 『 嫌だ、やりたくない 』と
思うと中々やろうとしない。クラス活動に参加しようとしない。アメもムチも全く効果なし、という性格。
ので、先生との間にある種の確執(性格が合わない)があるのも知っています。
だから先生、切れたんでしょうね。
ま、私がクラスにいるのを知っていて 言うのだから たいしたもんだ。
ああいうタイプの人は 自分が正しいと信じて疑わないのでしょう。
ふと 自分が中学生だったときのことを思い出しました。
かなり尖っていたんです。
一部の先生とか大嫌いだったし。かなり、かなり生意気でした。
(先生に言いたいこと言っていた以外はルールは守っていたし、真面目でした。
だから先生たちは 尚更『手に負えん』と思っていたことと思います。)
あの頃 何もかもが面白くなかったなぁ。
自分の中の理由のない怒りのような気持ちを 組織とか権力とか
そういうものにぶつけていただけなんだと思います。
かなり傲慢だったし、ある意味、残酷だったと思う。相手の気持ちも考えずに言いたいこと
言いまくっていたような気がします。
今になって思えば 自分の中の危うさのようなものを守るために、必死に理由をつけて
大人が悪い、学校が悪い、先生が悪い、組織が悪い、自分以外の何もかもが悪い、悪い、絶対に悪い!!!
と自分の不満とか不機嫌さとかそういうネガティブな思いを環境の責任にしていただけに過ぎなかったんだなぁ
と思います。
自分は絶対正しい。悪いのは全て自分以外のもの。不機嫌の塊。
でも、もっと心の奥の奥では 自分に全く自信がなくて不安とか孤独とか満たされない
何かをずっと抱えていたなぁと思います。
自分は絶対正しいと思い込んでいた、その裏側で もろくて、どうしようもない自分を
必死に守ろうとしていたんじゃないかと思います。
話は戻って・・・
で、中学生のときに感じていた 教師への『怒り』を久々に体験して
もう腹が立って 昨日は遅くまで 眠れませんでした !!!!
今朝も頭から蒸気がシューシューって出るかのような勢いで ぶつぶつ 言っていたのですが
マイクが 「 そんなに怒るなよ、無駄だよ。無駄。そんな人を相手にして 怒ってどうなるの? 」
って言われても
「 わかっちゃいるけど、怒らずにはいられんのよ 」と言う感じです。
ま、冷静に考えると子供を相手に暴言を吐いた教師も、中学生の頃の私も
ある意味 一緒だよな~と思うのですけどね。
でも、その先生が最低だなぁと思うのは 小さい無力な子供が相手だということ。
私は、決して 先生のすること成すことが全て悪く、子供が絶対的に正しいというつもりもありません。
でも 自分の鬱憤のようなものを子供相手に撒き散らしているようにしか聞こえませんでした。
弱いものいじめは 最低です。
あ・・・・・ こんなにも 長く 愚痴ってしまいました。
3番目の候補のケーキ(カップケーキ)を作ってみた。
・・・ おいしい ・・・
これで決まり
さて
学校でお手伝いをしているときに、先生が 5歳児を相手に 結構ひどいことを言っていました。
Aくんが クラスのボスザル Bくんにちょっかいだされていました。
私が見ていたときは 大事なところを パンチされそうになっていました。
目の前で起こったので、わたしは 「 だめだよ 」と強く言いました。
先生もそれを見ていました。
しばらくして 私が他のところで クラスの仕事をやっていると
どうも、ボスザルが その後も Aくんにちょっかいを出し続けたらしく、Aくんが怒って言い返したようなんです。
でも、その言葉が悪かった。
その言葉を聞いた先生が、ボスザルではなく Aくん(ちょっかいだされたほう)をクラスメートの前で吊るし上げ。
・・・ ちょっと 待てよ
そのクラスのボスザル、問題児なんです。他の子も被害にあっているし、他のクラスのお母さんからも
Bくんは いじめをしている というコメントを聞いたくらい。
確かに Aくんが吐いたその言葉は 悪い言葉かもしれないけれども でも ちょっかい出したほうは
悪くないんかい?
一部始終を見ていたのなら、どっちもどっちなのは分かるだろうに?
非常にショックでした。教師と言う立場を利用した 言葉によるいじめ としか思えませんでした。
Aくんは 人をいじめたりするような子ではないのですが かなりの頑固者で 『 嫌だ、やりたくない 』と
思うと中々やろうとしない。クラス活動に参加しようとしない。アメもムチも全く効果なし、という性格。
ので、先生との間にある種の確執(性格が合わない)があるのも知っています。
だから先生、切れたんでしょうね。
ま、私がクラスにいるのを知っていて 言うのだから たいしたもんだ。
ああいうタイプの人は 自分が正しいと信じて疑わないのでしょう。
ふと 自分が中学生だったときのことを思い出しました。
かなり尖っていたんです。
一部の先生とか大嫌いだったし。かなり、かなり生意気でした。
(先生に言いたいこと言っていた以外はルールは守っていたし、真面目でした。
だから先生たちは 尚更『手に負えん』と思っていたことと思います。)
あの頃 何もかもが面白くなかったなぁ。
自分の中の理由のない怒りのような気持ちを 組織とか権力とか
そういうものにぶつけていただけなんだと思います。
かなり傲慢だったし、ある意味、残酷だったと思う。相手の気持ちも考えずに言いたいこと
言いまくっていたような気がします。
今になって思えば 自分の中の危うさのようなものを守るために、必死に理由をつけて
大人が悪い、学校が悪い、先生が悪い、組織が悪い、自分以外の何もかもが悪い、悪い、絶対に悪い!!!
と自分の不満とか不機嫌さとかそういうネガティブな思いを環境の責任にしていただけに過ぎなかったんだなぁ
と思います。
自分は絶対正しい。悪いのは全て自分以外のもの。不機嫌の塊。
でも、もっと心の奥の奥では 自分に全く自信がなくて不安とか孤独とか満たされない
何かをずっと抱えていたなぁと思います。
自分は絶対正しいと思い込んでいた、その裏側で もろくて、どうしようもない自分を
必死に守ろうとしていたんじゃないかと思います。
話は戻って・・・
で、中学生のときに感じていた 教師への『怒り』を久々に体験して
もう腹が立って 昨日は遅くまで 眠れませんでした !!!!
今朝も頭から蒸気がシューシューって出るかのような勢いで ぶつぶつ 言っていたのですが
マイクが 「 そんなに怒るなよ、無駄だよ。無駄。そんな人を相手にして 怒ってどうなるの? 」
って言われても
「 わかっちゃいるけど、怒らずにはいられんのよ 」と言う感じです。
ま、冷静に考えると子供を相手に暴言を吐いた教師も、中学生の頃の私も
ある意味 一緒だよな~と思うのですけどね。
でも、その先生が最低だなぁと思うのは 小さい無力な子供が相手だということ。
私は、決して 先生のすること成すことが全て悪く、子供が絶対的に正しいというつもりもありません。
でも 自分の鬱憤のようなものを子供相手に撒き散らしているようにしか聞こえませんでした。
弱いものいじめは 最低です。
あ・・・・・ こんなにも 長く 愚痴ってしまいました。