さよなら三角 また来て四角...日本編☆第二章☆

オーストラリアから10年ぶりに帰国。特別支援教育に携わりながら
市民農園・家庭菜園に励んでいます。

勝間和代とひろゆきの対談

2010年05月10日 09時09分37秒 | Web log
ネットで話題になっていたので、気になって対談を
テキストで読んでみました。

わたしの考えは「ひろゆき」寄りかな。

カツマーとか言うフォロワーがいるらしいですけれど、
きっとバブル期に学生だった私たちみたいな40代女性で
上昇志向の高い人が、あの人の考えに共感するんじゃないのかな
って思います。

でも「こうじゃなくちゃいけない」っていう幸せになる公式
というか、定理みたいなものを提示して、一部の共感する
人を煽動しているような感じは、ある意味宗教に似ているの
かもしれない。

でも、こうじゃなくちゃいけないなんてものは果たしてあるのかな
と思う。

一時流行った「勝ち組」と「負け組」という言いかたも好きじゃないし。

ひろゆきが「起業したい人はすればいいんですよ。それに年齢なんて
関係ないし」っていってたみたいですが、本当にそうだと思います。

幸せだとか、そういうかなり主観性の高い、ものの感じ方に公式とか
定理なんてないし。

彼女の言う幸せは「自己実現」とか「キャリア」とか「高収入」
とか「ステータス」とか、そういうものなんじゃないのかなと思う
わけです。

まちがっていたらすみません。

でも、それはすでに競争原理に支配されたものの考え方であって、
その原理の中にいるかぎり、終わりがないし。
もっと!もっと!の世界ですからね。

上には上がいますから。

でも、最終的にそれを得ることで幸せを感じられるなら、
それでいいんだと思います。

でも、全ての人がそれを得られることはあり得ないし、
また、全ての人がそれを得ることを幸せと思うかっていうと、
そうじゃないってことだと思います。

お金を持っているひろゆきさんが言うに説得力ないですけど
彼曰く「お金ない=幸せじゃない」と言う考えかたを他人に
強要しないほうがいいということのようです。

(でも、もっと考えれば『自分はお金がある生活に満足している』
けれども、そうじゃない人を否定したり、幸せじゃないといいきる
ことは、するべきではないと思う、ってことなんだろうね。
徹底した個人主義が背景にあると思います。)

もともと根本的な価値観のようなものが違う二人ですから、
きっと対談も平行線だったんだと思いますね。

でも、彼女が出現し、民意をあおり、ムーブメントが起きて
結婚、出産後に女性が社会に復帰できる道が少しでも確保されるシステムの
ようなものができるのであれば、それを願う人にとっては必要な存在なんだとも思います。

そういえば、日本は「母親になるのに適した国ランキング32位」だ
そうで、わたしの住むオーストラリアは2位なんですよ。

確かにそうかも。

母親うんぬんは置いといて、女性が年齢に関係なく社会に出たり、
キャリア変更したり、復帰したり、子育て期は子育てに集中できる
システムができているなぁと感じる。

そういう意味で、日本は女性の社会参画を支えるシステムが
整っていないと思うし、不満を感じている女性も多いと思うので。

彼女に全面的に賛同するかどうかは別として、ま、社会の一部の
人に必要とされているから注目されているんでしょうけどね。

カツマーなんて言葉ができるくらいだから、その『一部』も
少なくないってことなんでしょうけど。

それはさておき、ひろゆきさんはとても頭のきれる、冷静な人
なんだなぁというのがわかりました。

2ちゃんねるにも、ちょっと抵抗というか、偏見のようなものが
あった私ですが、今回の一件でひろゆきに対する見方が
変わったという意味では、わたしにとって収穫ありでした。

偏見はいけませんね。






乳糖不耐症の片鱗

2010年05月08日 12時58分11秒 | Web log
マイクが「牛乳を口にするとどうも調子が悪いような気がする」
と言い出して、牛乳をやめた。

で、おなかの不具合も解消されたと言っていた。
どうも ラクトース イントレランス のようです。

日本語では乳糖不耐症というんですよね。

話を聞くと、小さいときから乳製品はあまり得意でなかったらしい。

暖めた牛乳は匂いがだめで、受け付けなかったと言うし、
その点はジョナサンも同じで、最近牛乳を飲めるようになった
のだけれど、以前はだめだった。プリンもだめ。

ジョナサンが小さいとき、あまりにも牛乳を飲んでくれないので、
なんとか食べてもらいたいとプリンを手作りしたけれど、
だめだったのを思い出す。

結局、体が受け付けなかったんだろう。

牛乳といえば、確か小学校2年生のとき。

Mちゃんというかなり太めの女の子がいた。
偏食で牛乳が飲めない子だった。

当時、給食は残さず最後まで食べることがとても大事に
思われていたので、特に牛乳は残してはいけない(単価が高いからか?)
ことになっていて、その子が牛乳が飲めるようになることが
クラス全体の達成すべき目標みたいになっていた。

今日はこれだけ、明日はと少しづつ飲む量を増やしていき
最後に飲めたときは、クラス全員で拍手した。

当時は乳糖不耐症なんて言葉もなかったので、好き嫌い
で片付けられていたのだろう。

嫌いとか苦手っていうのは、アレルギー傾向があったりする
のが原因だったりする。

ジョナサンはぶどうが苦手なのだけれど、アレルギー体質
の友達が「ぶどうはアレルゲンになるから、きっと体が
拒否するんだよ。わたしも苦手だし」と教えてくれた。

マイクが暖めたミルクが苦手なのも、ジョナサンがシチューが
苦手なのも、きっと何らかの理由があって体が拒否するんだろう
と思う。

さらに、自閉症の子供には、葉っぱ系の野菜がダメな子供が多いと
聞いたことがある。

私たちにはわからない独特の感覚があるらしく、葉っぱものを
食べる=薄いガラスの膜を食べる感触となるらしい。

最近は無理やり食べさせたりしないらしいけれど、昔は
無知ゆえに拷問に近いようなことを学校で平気でやっていた
んだなぁと思うと、本当に怖いなと思う。

研究が進んでいなかったということなんだろうけれど。

今はどうなんだろう。

昔みたいなことは少なくなっていると思うけれども

知らないというのは怖いことだと思う。


幼稚園が大嫌いだった私

2010年05月06日 10時16分28秒 | Web log
小さいころ、幼稚園が大嫌いだった。

園バスに乗ると吐き気がし、とにかく回りにいる同じ年の
子供たちが怖かったし、話せるのは近所にいた同じ年の女の子
一人だけだった。

楽しかった思い出はひとつもないと思うなぁ。

クリスマス会かなんかで発表するイソップの『アリとキリギリス』の劇で
アリのお母さん役に何故か選ばれてしまい(きっと背が高かったから)
でも、わたしは人前に出て一人で何かするなんて、苦痛以外のなにものでも
なかった。

ほぼ毎日、朝起きて、病気であることを願い、
そうでなければ、しぶしぶ幼稚園に行くような子供だった。
そして、バスに乗ると気持ち悪くなるので、お迎えバスに乗っている
先生の脇に座り、少し窓を開けて、外を眺めながら新鮮な空気を吸う
ように言われていた。

わたしはとても変わった子だったと思う。

今も変わっているか 

周りに自分と同じ子供がいても、関わりたいという気持ちが
薄かったような、自分の世界の中にどっぷり浸っていたような気がする。

何故かはわかりません。そうだったとしか、言えない。

こんなエピソードもある。

姉は自然に自転車に乗りたいと言い、練習し、ちゃんと乗れるように
なったにもかかわらず、わたしは「痛い思いをしてまで練習して、
乗らなきゃいけないのか?」なんて強く拒否する子供だったし。

で、親切な姉が「あやこちゃん、自転車の練習だ!」と言って
乗れるように特訓しようとしてくれたのだけれど、本人にやる気が
ないのだからねぇ。

小学校2年生のときにグレープ(さだまさしがソロになる前に
活動していたグループ)の『無縁坂』を喜んで聞いていたような子供
だったのですから。

はじける好奇心とか、無邪気さとか、そういう言葉とは
ほど遠い子供だったと思う。

そして、数十年の時を経て今、ベンジャミンが『学校に行きたくない!』
と毎朝ごねる。

幼稚園嫌いのわたしだったので、ベンジャミンの気持ち、わからなく
ないんだよねぇ。

母親という立場で考えたら、スムーズに喜んで行って欲しいの
だけれど、かつて子供だった自分の記憶が、ベンジャミンに
同情してしまう。

子供の立場からしたら、嫌だって言ってるのに、無理やり連れて行く
母親に怒りを覚えるのは当然だろう。

嫌がって私に怒りをぶつけるベンジャミンのことを、それでも
子供らしいなぁと思えるのは、たとえマイナスの感情であっても
表現する力があるから。

わたしは、行きたくないという感情を表現することもできずに
「腹痛」という形で「体」が表現していたから。

私を叩くベンジャミンを見て、「お母さんを叩いちゃだめでしょ?」
と私に代わってベンジャミンを叱ってくれる人がいるんだけれど
内心「それでも怒れるベンジャミンは、健全だと思うんだけれど」
と思ったりもする。

ま、時が来ればね。

ベンジャミンも変わると思います。

わたしが学校に行くのを楽しいと思い始めたのは、おそらく
小学校3年生くらいだったと思います。



ベンジャミンは果たしていつになったら、楽しい学校生活を
送れるようになるのか!!!!











世界征服への野望

2010年05月05日 08時38分33秒 | Web log
アメリカが「正義」を武器に、イラク戦争をはじめたのは
実は石油の利権を求めてのことだったというのは、もう定説に
なっているかと思います。

実はアフガニスタンも。。という意見もあったりして。

それにしても、アメリカ(以下、米男さんとしましょう)に対する
ネガティブな意見が多い私。

日本(以下、日助さん)も似たようなものかもしれませんけどね。
国際復興支援とか、かっこつけても本当はそれ以降に発生
するだろう、利権目的だったりするかもしれないので。

世の中、お金だ~。

さて、時々気になる情報が目につくんです。

最近気になったのは、米男さんとこのM社の社長が東芝と組んで、
次世代原子力発電炉開発にかんする投資(筆頭株主)になったとか。

G社が太陽熱発電および風力発電へ投資することが決まったとか。

別の記事で、G社が地下熱発電への投資も検討しているらしいという
話も聞いたことがある。

ってもんで、巨大企業の次世代エネルギーへの投資は、更なる野望が
あってのことってのは明白ですね。

もう油田も底を尽きそうだし、車もエコカーに転換しつつあるし、
地球温暖化とか異常気象とかメディアでは騒がれているし、
次に狙うのは、次世代クリーンエネルギーだ!と考えるのは、
流れ的には当然でしょう。

バイオ燃料で、とうもろこしの値段が急騰したのだって、そういう
背景があってのことだしね。今はジャトロファが注目されているようだ。

米男さんは、野望に満ちておりますなぁ。

(きっと米男さんだけじゃないけどね、米男さんとこの巨大企業が
動くとやっぱり注目しちゃう。)

誰しもが、そうやってチャンスを虎視眈々と狙っているんだ。

東芝がM社の社長と組んで、次世代原子力の開発を進めるってのも
家電とパソコンでない異事業への参入をもくろんでのこと
なんだろうしね。

生き残りと更なる発展ってのはこういうことなんだろうか。

利権のために開戦しちゃうのと、次世代エネルギーへの投資って
まったく違うように見えて、根本は一緒なんじゃないの?って
思うのは私だけでしょうか?

要するに、征服欲なんじゃないんだろうか。軍事力か?お金か?って
違いはそれだけ。

そういうハングリーさを見ると、草食系、農耕民族の日助さんは
米男さんに代表される狩猟系にはどんなにしても勝てないんじゃないの?
と思うのです。

しかし、日助さんの自動車産業なんて、質で世界を制覇したと思うし
ゲーム産業だって製品のクオリティーの高さで人気を博している
と思うわけです。

日助さんとこの製品が世界で高い評判を得たのは、世界市場を征服しよう
って野望があったからなのか?勤勉な日助さんがより良いものを
より手ごろな価格でという気持ちで作ったから売れたのか
定かではありませんが。

どう考えても、日助さんは草食系のおだやかさ、米男さんは肉食系
のアグレッシブさがあるように思えてならないのですけれど、
これって偏見に満ちていますかね?

意外と日助さんは、自分では戦わない、前にでていかない
けれど、米男さんの影に隠れておいしいところをもらっちゃおう
的な、ずる賢いところがあるのかなぁなんて思ったり。

他の国が日助さんをどう分析し、どう見ているのか、
定かではありません。

米男はジャイアンなら、日助はスネオかな~。

でも同じアジアの中太郎さんあたりなんかは、どういう風に
分析したらいいんだろう。騎馬民族だから、メンタリティーは
どっちかというと米男さんに近いような気がする~。

獲物を求めて動き回るという点で。

発言が過激ですかね。
異なった人種についてのネガティブ発言は気をつけたほうが
いいですね。

失礼いたしました。











自分の面目を保つためか、それとも相手のためか?

2010年05月04日 09時40分34秒 | Web log
今、学習障害に関する本を読んでいる。

ちょっと興味があったので。

というのは、周りにアスペルガーだの、自閉症だの、
ディスレクシアだの、ADHDだの、Central auditory disorder
だのって、専門機関から診断された子どもたちがいて、行動を
観察する機会があるので、いったいそういう子供たちはどういう行動
パターンを持ち、どういう風にアプローチしたらポジティブな
結果がもたらされるのか、親はどういう立場にあるのか、
どんな環境におかれているのか、知りたいという理由。

わたしが小学生くらいのときだったら、きっと「問題児」
「頭が悪い」「変な子」とかで片付けられていたに違いない。

でも、今は発達心理学の研究が進み、調査が進められ、
いろんな方法論が確立されているようだ。

ある意味いいことだと思う。そういう子供が救われる受け皿
ができたのだから。

でも、反面、少なくともここオーストラリアでは安易な
ラベリングが行われているような気もする。

ベンジャミンの学校で、ある女の子が「自閉症傾向がある」
と言われ、専門家の診断を受けるようにと言われた。

まだ3歳だよ?

小さいうちは、なんとも言い切れない部分があると思うし
発達途上ということで、一風変わった行動も寛容に受け入れ
見守る態度も必要なんじゃないのかなぁ?と思う。

しかし、早く手を打つことで、親が曖昧なまま悩まなくても
いいという長所もあるので、なんとも言えないけれども。

それにしても早急な結論というのは、あまりよろしくない。

ま、それはさておき、子供と親というのは切っても切れない
関係にある。

子供がよく育てば親はうれしいし、良くなければ、自分が
親失格のような気持ちになってくる。

ベンジャミンが頑なに謝るのを拒否したときに、自分は
親としてきちんと躾けていないのか、わたしの態度が
いけないのか、色々考えた。
ジョナサンのときもそうだったけれども。

学習障害の本を読んでいると、子供の普通とは変わった行動に
対し、親のしつけが悪いだのと、途方にくれている親が
非難の対象になることがよくあると書いていた。

どんなに愛していても、変わった行動をとる子供と向き合って
いるだけでも大変だろうことは察せる。そして親もできる限り
のことはしていると思う。

それでいて、非難されるのだから。本当にそれはつらいことだと思う。

でも、こういうことは、多かれ少なかれあらゆるところとで
起こることだとも思える。

問題をもった子供だけでなく、子供というのは発展途上
にあるのだから、完璧でないのが当たり前なんであって、
躾けつつ、受け止めるというのがあるべきスタンスなんだと
思うのだけれど、実際、子供が逸脱した行動をとると
親はカリカリしたり、落ち込んだりする。

子供との関わりは言うまでもなく、いつも考えることは、
自分の心はどこを向いているのか、自分の心は誰を意識
しているのか?である。

自分の面目を保つためにしているのか?
それとも本気で相手のことを思ってしているのか?

どちらも、というのが本当なんだろうけれど。

できれば『自分の面目を保つため』にという比重は
少ないほうがいい。

自分の面目を保つためにしているとしたら、相手は
自分のプライドの犠牲者でしかない。

忘れていけないことだと思う。




数字は語る

2010年05月03日 09時51分26秒 | Web log
数字というのは面白い。

無機質でストーリー性がないようで、でもそこに隠された事実の一片
が読めるときがある。

会社などは、経理上はじき出された数字を元に、会社の財政だけでなく
市場の傾向とかが見えてきて、会社の短期、長期の経営戦略とか、
経営方針とかが決まっていくくらいなのだから。

家計だって似たようなもんだ。

どの分野にお金を多く使っているかで、その家族の嗜好、信条、傾向
が見えてくると思う。

わたしは食べ物にお金を使うことに厭わないし、マイクは募金にお金
を使うことに躊躇がない。

ね、みえてくるでしょ。性格が。

で、マイクは今期結構なボーナスをいただいた。

別にマイクが特別なことをしたわけではなく。

大掛かりな人員削減が世界規模で行われ、固定費が浮いたから。
で、株価が上昇して株主が喜んだからか、よくわからないけれど
ボーナスが支給されたらしい。

で、マイクはそうやってお金を手にすることに罪悪感を感じたと
言っていた。

結局このお金は、誰かが職を失い、悲しみと痛みと自尊心がずたずたに
傷ついた結果のものだからと。

だいぶ前の話だけれど、マイクも突然首を切られた。
別に能力がなかったとか、そういう理由は全くない。
ただ、入って数ヶ月だったから切りやすかったというだけの理由。
会社の意向がそうだったというだけ。

スキルがあっても固定費が高く退職間近な人とか、
とにかく若くて他のところでなんとか雇用してもらえる可能性のある人
とか、ターゲットになりやすいんだろう。

で、今回もマイクがアフリカ時代にお世話になった上司が、突然
もう会社にこなくていいと言われて、本日終業前に全ての荷物を
まとめて出て行くように、メールアカウントも無効になりますと
言われ、その日限り。

すさまじいね。

そういうことがあったので、マイクは複雑な思いでお金を受け取った
に違いない。

話は逸れましたが、去年の人員削減は、個々人にとっては地を
揺るがされるような大事件だっただろうに、今年、会社は再雇用の
方針を進めている。

人手が足りないのだそうです。

去年の固定費と今年の固定費は同じようでまったく違う。

年度が変われば、リセット。

人を馬鹿にしたような話だけれど、アメリカでは普通。

もう10年も前の話になるけれど前にいた会社でアメリカ人の偉い
おじさんたちと話す機会があったのだけれどその人たちがそういってた。

僕たち一旦首切られたけど、再雇用されたのさって。

数字上、見た目がよければ、理屈が通っていれば、働いているほうから
見たら無駄で、ばかげたことが平然と起きている。

一旦首を切ったのに、再雇用ってどういうことだ?って思っても
経理上、固定費がマイナスいくらで計画を達成し、そして
今期の固定費目標以内ならば、再雇用だってありなんだよね。

個人にしたら、人員削減対象→再雇用ということであっても、
数字上では、プラスマイナスの世界でしかない。

特にアメリカは投資が盛んなので、会社経営も結局は数字を元にした
マネーゲームでしかないのだろう。

数字がいろいろ語るのは、本当だと思う。

数字をみれば、国や会社など経営母体の傾向、何を大事にしているか
がきっとみえてくる。

そういうのを細かく読み取れたら、とても面白いに違いない。

しかし、数字に翻弄されて、仕事を失ったりしたらたまったものでは
ないと思うのはわたしだけなんだろうか。

それにしても、アメリカ人にとってはこういうことが日常茶飯事だから
首切りに対しても、案外免疫とかがあって、社会も転職とかを簡単に
受け入れる体制ができているから、私が思うほどオオゴトではないのかも
しれない。

でも、そういう受け皿が出来上がっていないのに、形だけ真似して
人をどん底に陥れている社会。

残念ながら、それが『日本』だったりする。

形だけアメリカの真似するのは、もうやめたほうがいいと思うんですけど。

そもそもメンタリティーが違うんだからさ。









頑固なベンジャミン

2010年05月01日 14時11分55秒 | Web log
とても育てやすくて、大人しいと思っていたベンジャミンが
最近、とても反抗的だ。

自分の子供なので例えどんなであっても可愛いには
変わりないのだけれど。

とても攻撃的なのである。

昨日はクラスのお友達とそのお母さんたちとで
公園に遊びに行ったのだけれど、ベンジャミンが
女の子にぶつかって、その子を転ばせてしまった。

その子は泣かなかったし、たいしたことなかった。

でも、とりあえず「ごめんなさいを言いなさい」とベンジャミンに
言ったのだけれど完全拒否。

そして逆ギレしてわたしを何度も何度も叩き始めた。

ベンジャミンにはベンジャミンなりの理由があるのだろうけれど
わたしやマイク、ジョナサンが「だめだよ」と言うと
グーパンチで応酬してくるので、困ったもんだと
ずっと思っていた。

公園でも同様に「ごめんなさいを言いなさい」と言ったら、
わたしをしつこく叩き始めたので、ちょっとイライラしてきた。

悪いことをして素直にごめんなさいが言えないのは、
かなり問題である。

その後、ベンジャミンともう一人の男の子が大きな枝を振り回して
遊んでいた。

何故かはわからないけれど、ベンジャミンが振り回していた枝が、
隣にいた男の子の顔にぶつかってしまい、かすり傷&少量の出血。

目の近くだったので、本当に危なかった。

男の子大泣き。

で、わたしがベンジャミンに「謝りなさい」と言うと
また拒否。

わたし、キレました。

本気で、ベンジャミンと戦ったと思う。

とにかくごめんなさいを言わせなければ。これだけは譲れない。

他のお母さん「鬼のような母親だ」と思ったに違いない。

でも、ここまでのことをして謝らなかったら、
今日が終わらないと思った。

ごめんなさいが言えないのなら、家に帰ります。と言って
車に向かった。

でも、内心このままでは帰せないと思っていた。

離れたところで、もう一度言い聞かせた。

悪いことをしたら、人を傷つけたら、謝らなくちゃいけない。

ベンジャミン、泣き出した。

やっと「謝る」と言った。

怪我させた男の子のところに戻り「ごめんなさい」と言った。

ホッとした。

他はどうであっても、この一点だけは、どうしても譲れないのだ。

とにかく、ごめんなさいが言えて良かったと思った。

ちなみにベンジャミンの頑固さは、わたし譲りです。

まるで自分と戦っているような感じです。






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