縄文時代、すなわち狩猟で生活をしていた時代には貧富の差はなかったとよく言われる。
日がな一日、男は狩りをし、女は木の実などの採収を行って生計を立てる原始的な社会環境ではのんびりしていて、一見貧富の差はないように思われる。
人類が農業を始めた弥生時代に入ると、飢饉などで満足な収穫ができなかったエリアと十分な収穫のあったエリアで争いが起こるようになる。これが戦争の始まりで、他のエリアから農作物を奪取するために武器が発明され、進化していったと考えられている。
保存可能な農作物を得て、飢餓から劇的に開放されることと引き換えに、戦争が生まれたのである。そして保存可能な農作物の大小により貧富の差が広がっていったと考えられてきた。
しかし、財産とは保存可能なものだけだろうか? 縄文時代には財産のようなものは存在しなかったのだろうか?
狩猟生活の時代でも、個人による相対的な財産はあったと考えられる。狩猟可能なエリアを誰が多く支配するかということ、すなわち「縄張り」である。
当時は土地の所有という概念はなかったはずだが、力のあるもの、あるいは力のある集団が独占的に狩猟できるエリアを力によって確保していたというようなことはたやすく想像できる。現在のやくざの「シマ」のような概念である。
力のあるものが富を独占する。それは今も昔も変わらなかったのではないだろうか。
縄文時代だけが特別であったとする考えも一理あると思うが、広大な縄張りをもつ者と持たない者とでは貧富の差があったと考える方が自然である。
広い面積、あるいは狩猟に適した良質の縄張りをもつ者はたくさんの食物を得ることができ、余剰品を別の何かと交換することも可能だったはずである。
縄文時代、貝塚ができるほど豊富に貝が採れる海岸や石器の材料となる良質の石材が採れる鉱山は交易により栄えていたことが判っている。
また、碧玉や火山性ガラス、雲母、きれいな貝殻などの装飾品が縄文時代の遺跡から見つかっており、当時としての貴重品をわざわざ遠くから取り寄せることができる富を保持していた者がいたということになる。これらが縄文時代の全員にできたことだとは考えにくく、一部の特権階級が存在していたと考えるべきである。
縄文時代は、言われているほどに無邪気な社会ではなく、身分も貧富もあったのではないかと思う。
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