まあどうにかなるさ

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早く歩けないということ

2017-05-13 17:47:55 | コラム

数年前左足を捻挫した。
痛みは割と酷く、歩くことは出来るがかなりスローペースになってしまう。
通勤のとき、数百メートルはあるかなり長い地下鉄のコンコースを歩くルートがある。
大量の通勤客が早足で職場へ急ぐ。
普段僕はそれほど歩くのは早くないが、その時は捻挫のために流れに合わせたペースで歩くのが苦痛だった。
左側通行のコンコースの最も左端は人が少なく、壁に沿った帯域は意外に空いている。僕は急いでいる人のために中央を通らず、一番左端の空いているスペースを歩くようにした。
だが、そこは人の流れよりも急いでいる人も利用したい帯域だったのである。壁に沿って小走りにやって来た男性が僕の後ろにつき、コンコースが混んでいるため歩行の遅い僕を追い抜くことができず舌打ちをする。
(なにトロトロ歩いてやがるんだ)
そんな心の声が聞こえてきそうである。
急ぐその男性の気持ちも分からないではないが、相手が早く歩くことが困難な年よりが相手でもやっぱり舌打ちはしたのだろうか…

高校時代を過ごした浜松から東京に来た時に人の歩く速さに驚いた記憶がある。
東京の人はみんな目的地へ一目散に走るように歩く。
そこに歩くことを楽しむ余裕はない。
浜松に比べ交通機関は格段に便利で、たとえ電車に乗り遅れてもすぐに次の電車がやってくる。それにも関わらず早足で目的地へと向かう。
だけど、お年寄りなど、早く歩くことができない人も決して少数ではない。
これからの高齢化社会ではむしろ早く歩ける人の方が少数派になるかもしれない。
早く歩くことが出来ない人も街を歩く権利はあるはずである。自分のペースでゆっくりと歩くことも周りは許容しなければならない。
舌打ちをして前を歩く人を不愉快にさせることは決して望ましいことではない。

僕は仕事中でもなるべく小型カメラを持ち歩くようにしている。
ゆっくり歩くと、ふと、街で意外にきれいなものに出会うことは多い。
人知れず咲いている花だったり、夕日が建物を美しく染めていたり…
周りの景色など目もくれないで一目散に歩いていては気が付かないことである。
増してやスマホを見ながらの歩行など、ずいぶんともったいないことだと思う。
 



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