
図版:三十年戦争(Wikipediaより)
ジャガイモの食用植物としての有用性が認識されたのは、17世紀の三十年戦争(1618~48)だったそうです。
戦場になったプロイセンは国土が荒廃し、飢饉が頻発しました。このときに注目されたのがじゃがいもです。
ジャガイモは寒冷な地域でも、荒れた土地でもよく育ちます。
当時の主要な作物であった小麦は、畑が踏み荒らされると収穫が大きく減りますが、ジャガイモは地中にあるため戦争の被害を免れ、また必要な時に掘り起こして食べられる保存食としてもすぐれていました。
また、プロイセンで食用肉として重要だった豚は、エサのなくなる冬には屠畜しなければなりませんでしたが、じゃがいもをエサにすることで、冬季も飼育が可能になりました。
ジャガイモの活用で敵国プロイセンが国力を増強したことを聞きつけたフランスでは、ルイ16世が植物学者バルマンチェに命じて、ジャガイモを普及させようとしましたが、「悪魔の食べ物」を栽培しようとする農民はいませんでした。
そこでバルマンチェは国王所有の畑にジャガイモを植え、昼間は武装した兵士に厳重な警備をさせました。農民たちが「何か貴重な作物を育てているに違いない」と噂するようになってから、わざと夜間の警備を手薄にしたのです。
すると、農民たちは夜間にジャガイモの苗を盗んで、自分の畑で栽培するようになり、あっという間にジャガイモ栽培が普及したんだそうです。
ジャガイモの食用植物としての有用性が認識されたのは、17世紀の三十年戦争(1618~48)だったそうです。
戦場になったプロイセンは国土が荒廃し、飢饉が頻発しました。このときに注目されたのがじゃがいもです。
ジャガイモは寒冷な地域でも、荒れた土地でもよく育ちます。
当時の主要な作物であった小麦は、畑が踏み荒らされると収穫が大きく減りますが、ジャガイモは地中にあるため戦争の被害を免れ、また必要な時に掘り起こして食べられる保存食としてもすぐれていました。
また、プロイセンで食用肉として重要だった豚は、エサのなくなる冬には屠畜しなければなりませんでしたが、じゃがいもをエサにすることで、冬季も飼育が可能になりました。
ジャガイモの活用で敵国プロイセンが国力を増強したことを聞きつけたフランスでは、ルイ16世が植物学者バルマンチェに命じて、ジャガイモを普及させようとしましたが、「悪魔の食べ物」を栽培しようとする農民はいませんでした。
そこでバルマンチェは国王所有の畑にジャガイモを植え、昼間は武装した兵士に厳重な警備をさせました。農民たちが「何か貴重な作物を育てているに違いない」と噂するようになってから、わざと夜間の警備を手薄にしたのです。
すると、農民たちは夜間にジャガイモの苗を盗んで、自分の畑で栽培するようになり、あっという間にジャガイモ栽培が普及したんだそうです。
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